戦車道素人集団を優勝へ導く138の方法   作:ススキト

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史上最多25000字でお送りするプラウダ戦最終回。

書きたいこと全部書いたら収集がつかなくなったので、二度とこんなことはしないと誓いました。


拙作ですが楽しんでいってください。





第43話 「プラウダと戦いましょう⑦ ラスト・ダンス」

包囲を脱した大洗女子学園は、迅速に次の行動に移った。

 

説明するまでもなく、この時点で大洗女子学園の勝ち筋は一つしか残っていない。

つまりフラッグ車一点狙い。

他の戦車は見向きもせず、勝利条件であるフラッグ車だけを追う。

 

既にカメさんチームを失い、ただでさえ大きかった戦力差はより大きくなった。

時間は大洗女子学園に味方せず、可及的速やかに試合を決着させなければならない。

そういったみほの意志は、チーム全体に行き渡っている。

故にみほの作戦を、全員が迷いなく遂行するだろう。

 

「アヒルさん、ウサギさん、カモさん、後は頼みました!!」

 

二つに分かれた大洗女子学園。

その内訳はあんこうとカバの二両チーム、アヒル、ウサギ、カモの三両チーム。

戦車の特性を見れば、どういう道理で分けられたかは明白。

 

すなわちプラウダに通用する火力を持つ二両、四号戦車と三号突撃砲がフラッグ車を叩く本命。

もう一方は、本命から目を逸らすための囮である。

 

本来フラッグ車は前線に出すべきではない、というのが戦車道の鉄則である。

みほはそれを承知の上でフラッグ車の戦闘参加を止む無しとしていたが、それでも積極的に被弾の可能性が高い場所へは行かせなかった。

 

しかし今回は違う。

みほは明確な理由を以て、フラッグ車を敵前に晒すことを決意していた。

 

それは、カチューシャの目を逸らすためには何が必要か、というのを考えたからである。

 

この作戦は、はっきりとした弱点がある。

それはフラッグ車を狙うあんこうとカバ、そちらにプラウダの全戦力を投入された場合、それだけで詰むということである。

 

というよりは、普通それが定石だ。

例えばこれが兄であれば、何の迷いもなくみほ達を刈り取りに来る。

もはや大洗女子学園の勝ち筋はソレだけ。ならばそこさえ潰してしまえば、と合理的な思考で冷酷なまでに勝利を取りに来るだろう。

 

けれどカチューシャならば、とみほは考えた。

緻密な計算もできる戦術家、けれど同時に激情も内心に秘めている。

氷のように冷たい思考と、焔のように熱い本能。

その両方を併せ持つのが彼女。

 

そんな彼女の前にフラッグ車を泳がせる。

果たして無視できるだろうか。

 

理性は放っておけ、と言うだろう。

しかし本能は?

こう言うんじゃないか?―――西()()に踊らされていいのか、と。

 

カチューシャの激情の裏にある想い。

それが自分への対抗心のようなものであることを、みほはこの試合を通して読み取っていた。

どういう類の感情かまでは分からない。

けれどそれが、カチューシャにとって小さなものではないことは理解できた。

 

なら、それを利用しない手はない。

 

存分に煽れ。

心をかき乱せ。

均衡を崩して隙を作れ。

 

そう、これはカチューシャの心を狙い撃つ一手。

彼女だけに向けて放たれる、混迷の一矢。

 

与えられた選択肢は二つ。

カチューシャはいずれを選ぶか。

完全な正解は一つだけ。

それをカチューシャが違えた瞬間、大洗女子学園に光明が差す。

 

(偶にはこういうのもいいかも)

 

分の悪い賭けだ。

けどそれも良し、とみほは思った。

 

兄も、こういうのが好きだろうから。

きっと楽しんでみているはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

一方でプラウダ高校は、みほの思惑通り決断を強いられていた。

包囲を突破された時点で、カチューシャの指揮により追撃の体勢が整ってはいたが、問題は指針であった。

 

「カチューシャ、ここは一時フラッグ車の守りに専念すべきかと」

「………」

 

ノンナの声はカチューシャに届いていたが、返ってくる声はなかった。

小さな暴君は、ただ前だけを見つめている。

 

「状況は圧倒的に此方が有利です。大洗女子学園の勝ち筋はもはや一つ、此方のフラッグ車を倒すことだけ。そこさえ防いでしまえば、後は時間が我々に味方します」

 

しかしノンナは言葉を止めなかった。

それは彼女が、カチューシャの心の行き先を感じ取っていたからであった。

 

「………全車、相手のフラッグ車を追うわよ」

「カチューシャ!」

 

青い瞳が、ゆっくりと此方を射貫いた。

たったそれだけのことで、ノンナの身体は委縮した。

自分よりも数段低い身長、小さな体躯。

だというのに放たれる圧力は、膝から下を折ってしまいそうなほどに重い。

 

「……どうかお考え直しを。これは大洗の隊長の挑発です」

 

僅かに汗を滲ませながら、ノンナは声を絞り出した。

 

分かっていた。

カチューシャは、きっとその道を選ぶだろうと。

なぜなら彼女の相手は、大洗女子学園じゃない。

初めから彼女の眼に映るのは、西()()()()という一人の戦車乗りだけ。

 

よりにもよってその彼女に、()()()()()()()()()()()()()

カチューシャがその道を、どうして我が物顔で歩けるだろうか。

 

『私と決着をつけたいなら、私と同じ道を歩くがいい』。 

そんな大洗の隊長の思惑を、知りながらも彼女はその道を往くに決まっている。

 

けれどそれは、本来冒さなくていいはずの危険を冒す行為だ。

このままいけば、プラウダは100%勝利する。

断言してもいい。カチューシャが勝つという未来は、絶対に覆らない。

 

だからノンナは言う。

どうかこのまま、勝利に徹してくれと。

 

「――――それで?」

 

瞳と声が、冷気を纏う。

聞き慣れたはずの声が、やけに普段と違って聞こえる。

 

「挑発?上等じゃない。あっちがそれを望むなら、私はそれを受けて立つわ。どこだろうとなんだろうと、真正面から往って、完膚なきまでに捻じ伏せてやるのよ」

「……カチューシャ。無理に相手の土俵に立たなくても、貴女は勝ちます。そもそも、この状況に相手を陥れた時点で、貴女は勝っているようなものです」

「誰がいつ勝ったというの。相手はまだそこに立っているじゃない」

 

ノンナがカチューシャと意見をぶつかり合わせるのは、何も初めてではない。

寧ろノンナは、積極的に意見を差し出す方だった。

そしてカチューシャもまた、「ノンナが言うなら」とその意見を汲んでくれるのが常だった。

 

けれどこの瞬間、ノンナはいかなる言葉を以てしても、今度だけはカチューシャの意志を曲げることが叶わないことを悟った。

 

「カチューシャ、お願いです。貴女は必ず勝ちます。この私が、何に代えても勝たせてみせます。貴女の誇りも、矜持も、全て守ります。だからどうか……」

 

それでもノンナは、言葉を尽くした。

そうすることしか、彼女にはできなかった。

 

「―――――ノンナ」

 

心に語りかけるような口調。

ノンナはゆっくりと、面を上げた。

 

「―――――それは、誰の為の勝利?」

 

そして一瞬にして、心身共に氷結した。

 

「私の為に勝利を捧げるというなら、なんで私の邪魔をするの。私はね、運よく掴み取った勝利も、相手のミスに付け込んだ勝利も、これっぽっちもいらないの」

 

声が、心身の奥まで浸透していく。

 

「私が求めるのは、完全な勝利。誰にも言わせない、そして何よりこの私が心の底から納得できる、そんな勝利だけが欲しいのよ」

 

およそその発言は、百人に近い戦車乗り達を統べる者としては、あまりにも無責任なものだったかもしれない。

 

『勝利も敗北も、全てはチームで分かち合うもの』。

かつて神栖渡里はそう言ったが、カチューシャの言葉はその正反対を行く。

チームの勝利は、すなわちカチューシャの勝利。

チームの敗北は、すなわちカチューシャの敗北。

チームの意志とは、すなわちカチューシャの意志で()()()()()()()()

 

だからカチューシャは微塵も思わない。

例えば自分の判断が原因で、この試合が最後になってしまう三年生がいたとしても、カチューシャは何の迷いもなく我を通す。

そんなことは知ったことではない。

自分はやりたいようにやるし、行きたい道を行く。

 

それが当然なんだと、カチューシャは本気で思っている。

そしてそれは、彼女の配下もまた同様。

自分達の全てはあの小さな暴君の為にあると、当然のように思っている。

 

そんな信頼関係が、プラウダにはある。

 

「二度と勝利を盗んだなんて言わせないんだから……!!」

 

青い瞳に、炎をが灯る。

既にこの時、カチューシャはノンナを見ていなかった。

 

状況は単純だ。

相手より早く、相手のフラッグ車を倒せばいい。

たったそれだけの事。相手が何をしてこようが、それさえ為せば全ては無意味。

 

だというのに、何を恐れることがあるというのか。

あぁ確かに、敗北の可能性は出てくるだろう。

万が一、いや100分の一くらいの確率で、負けの目が出る状況だ。

 

しかしそれでも、カチューシャは意志を曲げない。

敗北するよりも受け入れ難いモノが、カチューシャにはあるのだ。

 

「………カチューシャ!!」

 

鋭い声が、袖を掴んで歩みを止めた。

振り返り、声の主を見る。

そこには今まで見たことのない表情を浮かべる、右腕の姿があった。

 

「……それでも、()()()にも譲れないものがあります」

 

二つのサファイアの瞳が交錯する。

 

「何があっても貴女に勝利を捧げる。この身がどうなろうと構わない。それほど、貴女に勝ってほしいんです。例え、それで貴女が私たちを恨んだとしても」

「………」

 

腰が折れる。

いつも高い所にある頭が、カチューシャと同じ目線にまで降りてくる。

 

「お願いです。一両でも構いません。フラッグ車の守りを固めてください」

 

少しの沈黙が、場を支配した。

カチューシャがじっとノンナを見つめる間、ノンナは身じろぎ一つしなかった。

雪が容赦なく彼女に降り注ぎ、体温を奪っていっても。

ノンナは本当に、微動だにしなかった。

 

それが覚悟の表れであることを、カチューシャは理解していた。

恐らく自分が何も言わなければ、彼女は試合が終わるまで、ずっとここを動かないだろう。

例えその先に、凍死が待っているとしても、だ。

 

「………」

 

大きく、深く、カチューシャは息を吐いた。

白煙が、雪に混じって天に溶けていく。

それが完全に消えた時、カチューシャはノンナに一瞥もくれることなく命令した。

 

「カーベーたんはこの先の戦いについてこれないでしょうから、フラッグ車の護衛に向かわせなさい。後一両は貴女に任せるわ」

「―――――――カチューシャ」

 

喜色が滲んだ声。

カチューシャはその声を掻き消さんとするように大きな声を出した。

 

 

「貴女に免じて二両だけ折れてあげる!!でもそれ以上はダメだから!!」

「はい……はい……!」

 

 

仕方ない、とカチューシャは腕組みをしながら吐息を零した。

他の誰ならいざ知らず、ノンナがそう言うのだ。

全部受け入れてやるわけにはいかないが、少しくらいなら自分を曲げてやってもいいだろう。

 

カチューシャはこれまで、たった一人でのし上がってきた。

けれども誰の力を借りなかったわけでは、決してないのだから。

 

「それと!交換条件よ!」

 

畳みかけるようにカチューシャは言葉を紡いだ。

これだけは絶対に言っておかなければならなかったのだ。

 

 

「私に勝利を捧げると言ったなら、それを実践しなさい!分かった!?」

 

 

きょとん、とした顔。

カチューシャでも中々記憶にない、ノンナの珍しい顔だった。

 

しかしそれも一瞬の事。

すぐに彼女は、目に見えるくらいの気炎を上げた。

絶対零度の瞳に、焔が灯る。

全国で一、二を争う魔弾の射手は、ここに完全覚醒を果たした。

 

これもまた、比翼。

二つの心があるからこそ高く飛べる、二心同一の飛翔。

 

そして試合は、終わりへと加速していく。

 

 

 

 

 

 

状況を整理しよう。

勝敗を分けるポイントは最早単純。

どちらが先にフラッグ車を撃破するか、である。

 

大洗女子学園からは二両、四号戦車と三号突撃砲。

プラウダ高校からは十両以上、そのどれもが大洗のフラッグ車である八九式を一撃で葬る火力の持ち主たち。

これらが互いのフラッグ車を撃破せんと疾走する。

 

フラッグ車周りの防御は、どちらも薄い。

大洗女子学園はルノーB1bis、M3リーを護衛として付けているが、おそらく肉壁以上の役割はできない。

対しプラウダ高校は現時点でフラッグ車は孤立状態。

護衛として二両の戦車が向かっているが、合流までは暫しの時間を要する。

 

その点だけ見れば大洗女子学園が一歩先んじているように思えるかもしれない。

しかし実際は真逆。

現時点で圧倒的に有利なのは、プラウダ高校の方であった。

 

なぜなら未だフラッグ車の影さえも見つけられていない大洗女子学園に対し、プラウダ高校は既に大洗女子学園のフラッグ車を射程圏内に収めているからである。

 

スピード勝負においてこれは、本当に絶対的なアドバンテージ。

大洗女子学園はまず、この差をどうにかして埋めていく事から始めなければならない。

 

故に初手。

大洗女子学園は当たり前かつ、普通の一手を打った。

 

「ゴモヨ、アヒルさんチームの護衛に回るわよ!後ろにつけなさい!」

「桂利奈、こっちも同じようにアヒルさんの後ろに回って!」

 

後背に砲塔の群れを背負った今、意識を注ぐべきは後ろのみ。

フラッグ車の即死を免れるために、カモさんとウサギさんは弾を防ぐための盾となる。

 

もちろん、盾として優秀というわけではない。

ただでさえ薄い装甲に加え、戦車の急所とも言うべき背面を常に相手に晒した状態での逃避行。

一撃貰えば撃破は免れない。

 

しかし彼女たちは、そうする他ない。

一分、一秒でも時間を稼ぎ、八九式に少しでも長く生きてもらう。

その為に全力を尽くすことだけが、今の彼女たちにできる事だから。

 

「曳光弾、撃て!」

 

放たれた弾の軌跡が、煌々と光る。

それは暗夜を照らす月光となり、大洗女子学園の戦車をスポットライトのように照らし出した。

 

それはこの試合のクライマックスを彩るに相応しい、砲声の大合唱の幕開け。

一息、猛吹雪の如く一撃必倒の砲弾が大洗女子学園を襲った。

 

 

「―――みほ、あっち攻撃され始めたって!」

「あまりモタモタしてられないな。そう長くはもたないぞ」

 

一方でプラウダ高校のフラッグ車撃破の為に疾走するみほ達。

沙織によってもたらされた情報は、僅かな焦燥と緊張を生んだ。

 

そんな中、みほは思考をフル回転させていた。

フラッグ車は何処か、それをみほは読み切らなければならない。

 

(過去の試合の傾向から、お兄ちゃんがフラッグ車の配置を大体三つに絞ってくれてる……そこから先は、私が読まないと……!)

 

神栖渡里は天才的な先読みの持ち主だが、予言者でも予知能力者でもない。

戦場では森羅万象を見通す眼も、盤外では想像力という限界に阻まれて本領を発揮できない。

しかし神栖渡里からすれば、それは大した問題ではなかった。

なぜなら大洗女子学園には、西住みほがいる。

自分の読みを継承し、そして戦場の情報を入力することで読みを完成させてくれる隊長が。

 

みほもみほで、自分で一から十まで読み切る必要がなくなったため大きく負担が減った。

お蔭で最後の詰めだけに、全神経を集中させることができる。

通常よりも、高い精度で戦場を見切れるのだ。

 

とはいえ、もちろん百発百中ではない。

今のみほでは、どれだけやっても十中八九。

何を選んでも、必ずそこには外れる可能性を内包する。

 

「――――――――うん」

「みほ、決まった!?」

 

しかしそれでもみほは一つの答えを選んだ。

沙織の言葉に頷き一つ、指示を飛ばす。

 

「ポイントA23に向かってください!」

「よし――――飛ばすぞ」

 

叩きつけるようにしてギアを上げる麻子。

途端、四号戦車は火の玉となって雪原を駆けていく。

外れるかもしれない、という不安はなかった。

そんなことを考えている隙間がなかったというのもあるが、それ以上に「外してたまるか」という意志が勝っていた。

 

なぜなら今この瞬間にも流れていく一秒一秒は、アヒルさん達が必死で稼いでくれている貴重な刻。

一つだって無駄に消費していいわけがない。

彼女たちの努力を無為にしないために、みほはほんの少しの失敗でさえも拒絶する。

その為に全身全霊を尽くすのだ。

 

「―――――っ」

 

そしてみほの一念が天に届いたのか。

勝利の女神は、ここにきて大洗女子学園にも慈悲を零し始めた。

 

降雪と闇夜。

著しく視界の悪い中、それでもみほの両眼は確とソレを捉えた。

 

「フラッグ車!西住殿の読みが的中しました!」

 

掲げられる、赤い旗。

勝利条件(フラッグ車)を意味する、みほ達の望んだものが目の前にあった。

 

「さすがみほ!バッチリ!」

「ドンピシャ」

 

活気づく乗員。

しかしみほは、砂一粒ほども気を緩めることはなかった。

これでようやく追いついただけ。ここからが本当の勝負なのだ。

 

「華さん!カバさんチーム!砲撃用意!」

 

精度の高い静止射撃は、不可能。

相手のフラッグ車も此方の存在に気づいたのか、快足を飛ばして逃げ始めている。

命中率は下がるが、行進間射撃でいくしかない。

 

二人の砲手が、ハンドルを回して砲身を調整する。

上下左右に揺れる中での砲撃、教科書通りの角度など存在しない。

頼れるのは己の感覚(センス)のみ。

弾道を虚空へと映し出し、想像力だけでそれを修正していく。

 

「撃て!」

 

初撃。

放たれた二つの砲弾は、雪原を抉るだけの結果に終わる。

悔しがる暇は、ない。

装填手たちが弾を配給する間、砲手たちも再び調整を加えていく。

 

そしてみほはその間、結果の考察を進める。

初撃の外れ具合と、華と左衛門左、二人の砲撃技術を鑑みて、相手フラッグ車を仕留めるまではおそらく、かなりの時間を要する。

 

二人の腕が未熟と言うよりは、環境があまりにも悪すぎると言うべきだろう。

視界不良に行進間射撃、そして高機動の戦車。

これほど砲撃にマイナス補正がかかる状況もない。

 

しかしそれでも今は、ひたすらに撃つしかない。

そのうちの一発が、あのフラッグ車に当たることを祈って。

 

「装填完了です!」

「――――――う」

 

て、という声は続かなかった。

 

唐突。

本当に唐突に何の脈絡もなく―――――――雪原が燃えた。

 

「っ!?」

 

みほの視界が赤に染まる。

同時、足元でダイナマイトが爆発したかのような衝撃が、全員を襲った。

砲撃なんて以ての外、操縦手の麻子でさえ急な接地感の消失により車体の制御を失う。

 

「な、なになになに!?」

「至近弾です!!けどこの威力は――――!」

 

くるり、と強制的な超信地旋回を一回行った後、四号戦車は麻子の敏腕により平静を取り戻す。

キューポラから身を乗り出していたみほは、すぐさま爆撃とも言うべき一射の下手人を見つけた。

 

「KV-2……!」

「『街道上の怪物』の異名を取る戦車!」

「ええとKV-2……KV-2……あった!搭載してるのは……152㎜砲!?」

 

ノートを捲っていた沙織が、悲鳴に近い声を上げた。

 

KV-2。

ソ連製の重戦車で、その特徴は何と言っても他の戦車とは隔絶する超威力の152㎜榴弾砲。

その破壊力を簡単に言うなら、()()()()()()()()並みの戦車を打倒し得る。

四号や三突の砲撃を()とするなら、KV-2は()

圧倒的な攻撃範囲と威力を以て多数の相手を薙ぎ払う、制圧兵器とも言うべき戦車である。

 

(ここで来るなんて……)

 

カチューシャがフラッグ車を単独にしておくわけはない。

必ず護衛を送り込んでくると、みほは予想していた。

故にそれまでにフラッグ車を見つける、あわよくば撃破するというのがみほの考えだったが、しかしそれはあの小さな暴君に見透かされていたことを、みほは悟った。

 

KV-2は、教会を包囲している時には見なかった。

それが今、みほ達よりも早くフラッグ車と合流していたということは、おそらくカチューシャはここまでを読んでいた。

みほ達が通るであろうルートに、KV-2を動かしていたのだろう。

 

視界の奥、KV-2の陰にフラッグ車が消えていく。

一秒だって無駄にしたくないというこの状況で、遠ざかるフラッグ車の姿はみほ達に焦りを生んだ。

そして追い打ちをかけるようにして、悪い知らせがやって来る。

 

『大洗女子学園、M3リー走行不能!』

「ウサギさんチームが……!」

 

フラッグ車を守る盾の消失。

それは明確な危機の到来を示していた。

 

 

 

 

『うぅ、すみません!後は頼みます、カモさんチーム!!』

「了解!!」

 

ウサギさんチームが黒煙を吐いて斃れたのは、あまりにも突然の事だった。

八九式の背後にピッタリとくっつき、防御に徹していたところ、飛来した砲弾によってエンジン部を破壊されたのである。

 

相手に一番脆い所を差し出しながらの逃避行ゆえ、覚悟していたことではあった。

だからウサギさんチームも、すぐさまカモさんへと指示を飛ばすことができたのだが、しかし一同には緊張が走っていた。

 

彼我の距離は、決して短くない。長距離と言っても差し支えはないだろう。

そして視界が悪くなる闇夜、加えて降雪。

更に言えば行進間射撃。

 

これだけの悪条件が揃ってなお、ウサギさんチームは的確に急所を射貫かれた。

それも短い時間の間で。

 

射手が誰かは、もはや疑う余地もない。

ブリザードのノンナ。

IS-2という強力戦車を駆る魔弾の射手が、牙を剥いたのである。

 

「………っ」

 

極寒だというのに、そど子は汗を流した。

 

多分これは、理屈じゃない。

本能が、叫んでいる。

 

こっちを見るな。

もっと速く走れ。

何でもいい。何でもいい。何でもいい。

何でもいいから、あの狩人の視線から外れろ。

全身全霊で逃げろ、と。

 

心臓が早鐘のように鼓動する。

息は浅く、背筋は凍り、悲鳴が喉から零れ出ようとする。

 

あぁ、神に命を握られる感覚とは、こういうものか。

ただただ真面目に、模範的な学生であろうと三年間努めてきただけのそど子にとって、それは未知の体験。

闘争とは縁遠い世界に浸し続けた身体と心は、ゆっくりと恐怖に屈しようとしている。

 

「そ、そど子ぉ……」

 

そしてそれは、そど子以外も同じ。

操縦席に座るゴモヨが振り返る。

その顔は、不安の色に染まっている。

 

分かっている。

この恐怖は、並大抵じゃない。

どんな不良学生と対峙しても、ここまで足が竦みそうになることはなかった。

 

「――――ダメよ。ここは絶対に退いちゃダメ」

 

けれどそど子は、逃げるわけにはいかない。

心身に鞭を打ってでも、足に釘を刺してでも、ここに立ち続けなければならない。

 

「私たちは自分の意志でここにいるのよ。それが怖くて逃げだしたなんて、恥ずかしくて風紀委員なんてやってらんないわ」

「で、でも……」

「言われたでしょ!どんなになっても、頼まれた事は全力でやり通せって!」

 

カモさんチームは紛うことなき新参者であるが、まるっきりの素人のまま今日に至ったわけではない。

神栖渡里という、彼女たちからすれば背後の魔弾の射手よりも恐ろしい人物の教えを受けてここにいる。

 

もちろん、多くの事ができるようになったわけではない。

必要最低限の事がいくつかできるようになっただけだ。

しかしその中には、素人なりに心得ておかなければならないことが、ちゃんと含まれていた。

 

『隊長からすれば、指示を守ってくれるだけでも十分力になる。とりあえず目指すべきとこはそこだな』

「私達まだまだ初心者だけど、だからって何にもできないじゃただの足手纏いじゃない!言われた事くらい守れなくて、なにが風紀委員よ!」

「……風紀委員関係ないけど」

 

パゾ美の呟きは有意義に無視して。

カモさんチームは気炎を以て、恐怖を焼き払った。

疾走に芯が一本通り、今にも崩れそうだった盾は堅牢さを宿す。

 

その様を見ていたカチューシャが、ポツリと零した。

 

「あのルノー、今日が初陣だったわよね?」

「はい、乗員も戦車道を始めたばかりの素人だと聞いています」

 

ふぅん、とカチューシャは興味があるのかないのか、曖昧な返事をした。

 

「その割には、随分骨がありそうじゃない。これもあの西住の力ってわけ」

「……そうかもしれませんね」

 

ノンナは返答には、少し間があった。

言うべきか言うべきでないか、判断のつかない事が一つ彼女の中にあったのである。

 

大洗女子学園にいるのは、西住流だけではない。

彼女はあくまで戦場で人々を率いる指揮官であり、育成という分野においてはそれほど突出した存在ではない。

その箇所を補う、どころか一つの強みにさえ昇華させた別ベクトルの怪物がいるということを、ノンナは心の中に仕舞い込んだ。

 

「ともあれ、所詮は素人。さっさと片づけて、フラッグ車を墜とすわよ」

「もちろんです」

 

一息、魔弾がカモさんチームを襲う。

 

轟音と激震の中、カモさんチームは数分、あるいは数秒後の未来を視る。

しかしそれがどうした。来るならこい、とカモさんチームは強がる。

 

最後に勝つのは、こっちなんだから。

 

 

 

 

「この分だと、そど子の方も時間の問題だな」

「はやくフラッグ車を追いかけないとじゃん!」

「うん、だから――――KV-2はここで墜とそう」

 

時間的余裕は皆無。

立ち塞がる怪物には、さっさとご退場願う。

 

みほは指示を飛ばした。

 

「KV-2は火力こそ並外れていますが、動きは遅いです。砲身の動きをよく見ていれば回避できます。次の砲撃を外させて、カウンターで一気に仕留めましょう」

『了解!』

 

そうして四号戦車と三号突撃砲は、お互いの邪魔にならない範囲で、かつ許容できる最大限まで距離を縮めて固まった。

 

本来であれば、お互いが別方向に逃げてターゲットを分散させる方がよい。

そして狙われた方が時間を稼いでいる間、狙われなかった方が抜け出す。

KV-2の鈍重さと状況を考えれば、此方が最善のように思える。

 

しかしKV-2は攻撃力もさることながら、防御力もまた高い。

黒森峰が所持しているような戦車であれば単騎でも撃破できるだろうが、大洗女子学園では二両がかりでないと難しい。

 

後々の事を考えてKV-2をここで墜としておくというなら、ここは二両一丸となって戦う方がベターだと、みほは考えたのである。

 

当然リスクはある。

弾を避け損ねたら、その時点で二両とも白旗を挙げることになるだろう。

 

けれどみほは確信していた。

KV-2は脅威ではあれど、対処不能ではない、と。

 

その予測は的中することとなる。

 

ゆっくりと狙いを定めるKV-2の砲身。

通常の戦車と比べて二回りほど緩慢なソレは、砲撃ポイントを割り出すのに十分な時間をみほ達に与えてくれる。

 

横合いから不意打ちされたらどうしようもない。

実際さきほどは、それで危うく撃破されるところだった。

 

けれど撃たれる場所がわかっているなら――――――

 

 

「―――――散開!」

 

 

避けるのは、難しいことじゃない。

 

火薬が炸裂し、弾を撃ち出す―――本当に直前。

まるで砲手のトリガーにかかる指を見透かしていたかのように、みほはここしかないというタイミングで指示を出した。

 

瞬間、四号と三突の合間を綺麗に弾が抜けていく。

遥か後方で爆発が起こったことを全身で感じながら、みほは返す刀で一太刀を浴びせた。

 

「装甲の隙間を狙ってください!ピンポイントで貫けば撃破できます!」

『応!』

「――――!」

 

ドン、ドン、と連なるようにして放たれた二発の砲弾。

まるで銀の矢のようにして、一直線に向かうは怪物の心臓。

降雪を蹴散らし、闇夜を切り裂いて、流星となって突き刺さる。

 

怪物は一度、大きく震えた。

そして間もなく、悲鳴を上げることなく永遠に沈黙した。

 

『プラウダ高校、KV-2、走行不能!』

 

「やった!」

「お見事です五十鈴殿!」

 

それを見届けた後、二両の戦車は走り出す。

行く手を阻む者は、もうなにもない。

消えかけたフラッグ車の背中を、再び掴む――――

 

 

『させませんよ』

 

 

前に。

前方に突如として、一つの影が現れる。

 

「――――っ回避!!」

 

半ば脊髄反射に近い形で放たれたみほの指示。

それと同タイミングで麻子もまた、回避運動に入っていた。

しかし二人とも気づくのが、僅かに遅かった。

眼前の相手は、既に攻撃態勢に入っていたのである。

 

 

放たれる砲弾。

それは四号戦車の砲塔部分を直撃した。

 

「きゃあ!!」

「くっ!」

 

衝撃が振動となって乗員へ伝わる。

みほもまた身体を大きく揺さぶられたが、しかし相手から目は離さなかった。

第二射、到来の予兆を感じ取る。

 

「麻子さん!」

「わかってる。カバ、二手に分かれるぞ」

 

ギュン、と即座に分離する四号と三突。

狙いを絞れなくなった影は、一時砲撃を中断する。

 

影、いやもうそんな風に呼ぶべきではない。

既にその姿は、みほの前に明らかになっている。

 

「T-34/85……」

「護衛は二両だったんですね!」

 

自分のフラッグ車を守るよりも、相手のフラッグ車を倒す方に戦力を大きく傾けるよう仕向けるのが、みほの策だった。

しかし護衛が全く来ないとは思っていなかった。

極端に少なくなるだけで、何両かは来るだろうとは踏んでいた。

そしてその数次第で、状況は大きく変わるだろう、と。

 

しかしその不確定要素も、いま確定した。

 

(この局面で時間差を付ける理由はない。となると、護衛は多分これで最後)

 

つまりこれが、本当に最後の壁。

このT-34/85さえ倒してしまえば、フラッグ車は丸裸。

 

しかしみほは直感していた。

このT-34/85は、楽に超えられる壁ではないと。

 

対峙するだけで、だいたいわかる。

意地とか気迫とか、そういったものは関係なしに。

ただ純粋に強い戦車乗りが、そこにいる。

 

『カチューシャ様の勝利の為、ここは通しません』

 

誰だ、とみほは思考した。

兄の諜報(スカウティング)では、カチューシャとノンナ以外に特別危険度の高い戦車乗りはいなかったはず。

しかし、それじゃあ目の前の相手は誰だと言うのだ。

間違いなく手こずると、みほがそう確信するに足る戦車乗りなんてもういないはずなのに。

 

「―――カバさんチーム、こちらで相手を引き付けます。その間に抜けてください」

『我々がフラッグ車を……?』

「お願いします。もう時間がありません」

 

おそらく二両がかりで相手しても、そう大した時短にはならない。

ならば一両だけでも、フラッグ車の元に向かわせる。

そうでなければ、結局勝ちの目は出てこない。

 

「麻子さん、上手くカバさんチームの道を作ってください」

「任せろ」

 

戦車が急旋回し、T-34/85へと肉薄していく。

必然、相手の矛先はこちらへと向く。

そして迷いなく、砲弾が放たれる。

 

迫る初撃。

麻子の操縦技術により、なんとか回避。

装填のタイムロスをついて、あんこうチームは車体を体当たりさせる。

 

「今です!行ってください!」

『わかった!必ず仕留めてくる!!』

 

その背後を、三突が疾走する。

遮るものはなにもない。

 

「……?」

 

不意に、みほは違和感を覚えた。

この状況、フラッグ車の元に一両たりとも行かせたくないであろうこの場面で。

T-34/85から、その()が感じられなかったのである。

 

(見送った……?)

 

なぜ、という思考はそれ以上前に進まなかった。

途端、それまでとは打って変わって、T-34/85が猛烈な反攻を始めたのである。

 

「……これ以上はマズいな。一旦離すぞ」

 

余計な被害を負う、と感じたのだろう。

みほの言葉を待たずして、麻子は戦車を動かした。

彼我の間に距離ができ、ゆとりが生まれる。

そうするとT-34/85は、また大人しくなったのである。

 

「なんでしょう……お相手、何か変な感じが……」

「さっきまで肉食系だったのに、急に草食系になっちゃった」

「まるで此方が近づいてくるのを待っているみたいです」

 

――――まさか、とみほは瞠目した。

 

「……なるほど。そういうことか」

 

同時、麻子も気づく。

 

「へ、どうしたの麻子?」

「相手の狙いは、私たちをここに釘付けにすることだ」

「釘付けって……でもカバさんはもう行っちゃったけど」

「『カバさんなら通しても問題ない』、ということだろ」

 

客観的に見て。

みほはあんこうチームなら、フラッグ車を取れると思っている。

今は時間的余裕がないだけで――それが一番致命的なのだが――時間さえかければ実力的には多分問題ない。

対してカバさんチームは、微妙。

並みの相手ならまだしも、プラウダ高校でフラッグ車を任されているチームを相手となると、おそらくは分が悪い。

 

そしておそらく同じ読みを、プラウダの隊長もしている。

いやもしくは副隊長の方かもしれないが、ここにきて的確に大洗女子学園の勝ち筋を潰しにきた。

 

「やられた……」

 

みほがそうやって苦悶の表情を浮かべている一方で。

みほとは対照的に笑みを浮かべる者がいた。

 

『クラーラ、この局面を託せるのは貴女しかいません』

 

T-34/85の砲手席。

そこに座り、好戦的な笑みを浮かべて照準器を覗き込む、日本人から遠く離れた顔の造形をしている少女。

 

『貴女はまだこの大会一度も参戦していない。つまり相手には、貴女のデータがありません。間違いなく意表を突けるでしょう』

 

その隙を活かして、西住流を止めてください。

その言葉に二つ返事をして、クラーラはここに駆けつけていた。

フラッグ車を守る、最後の盾として。

 

「ノンナの指示は一つ。四号戦車を足止めする事。撃破するのではなく、とにかくフラッグ車の元にはいかせない」

 

容易いことだ、とクラーラは笑みを深めた。

ここまで圧倒的に有利な状況もない。

時間も状況も、全てはプラウダに味方している。

 

「さて、どうしますか?そうやって立ち尽くしているだけでいいのですか?」

 

それでも一向に構わない。

ただし勝利の女神と時間の神は、容赦しないけれど。

 

『大洗女子学園、ルノーB1bis、走行不能!』

「チェックメイトは近いですよ?」

 

 

 

 

 

 

その時アヒルさんチームは、絶望的な状況にあった。

 

自分達を護ってくれる盾はついに斃れ、この広い雪原にただ独り。

背後には敵の群れ。十を超える砲身が、己を撃ち貫かんと睨みつける。

 

頼れるものはなにもない。

健在の味方は遠い彼方。

駆けつけてくれることは、万に一つもない。

アヒルさんチームは、たった独りでこの状況を切り抜けなければならない。

それも戦車道歴数か月の素人が、低スペック戦車に乗って。

 

本当に、笑ってしまうほどの絶望だ。

希望なんてどこにもない。

どう足掻いたって待っているのは凍死。

こうやって必死に逃げているのだって、無意味な延命かもしれない。

 

――――けれど。

 

「うぅー、ピリピリくるなぁ」

「強豪校のジャンプサーブが来る前の感じに似てます……」

「サーブレシーブが一番緊張するもんね」

「今回飛んでくるのは砲弾だけど」

「どっちにしろ怖いことに変わりないな!」

 

アヒルさんチームは笑った。

冷や汗を流し、バクバクとする心臓をなんとか鎮めながら、それでも笑っていた。

 

強がり、と誰もが思うだろう。

実際半分くらいはそうだ。

笑うしかないから、笑っていると言ってもいい。

 

けれど。

アヒルさんチームは周りが思っている程絶望しているかと言えば、そうではなかった。

 

「……コーチの言うことが本当に当たっちゃったなぁ」

「本当に予言者って感じですよね」

 

アヒルさんチームはしばし、その意識を過去に移した。

思い起こされるは、試合数日前の会話であった。

 

『八九式を少し弄った』

『弄った……ですか?』

『試合前なのに……』

 

磯辺と佐々木の言葉に、神栖渡里は呆れたように返した。

 

『弄ったっても操作感が変わる様なことはしてねぇよ。そんなことして意味あんのか』

『いや、コーチのすることは何でも意味あるように感じちゃうんですよ』

『それは改めろ』

 

はぁ、と一つため息を吐いて、気を取り直したように神栖渡里は続けた。

 

『プラウダが相手で、フラッグ車はお前達。となればもう展開は読める。最後は間違いなく、お前達がプラウダに追っかけられている』

『追いかけられるって……そんな』

『プラウダ相手ならどうしたってそうなるんだよ。説明しても分からないだろうけど、間違いなくな』

 

神栖渡里はこと戦車道に関しては誰よりも見る眼がある。

その彼が言うのであれば、多分それは予知に等しい的中率で到来する。

 

『その為の調整だ。弄ったのは出力系。簡単に言うと――――今までよりもパワーが出るようにした』

『……っていうと、前より速くなったってことですか?』

『そういうこと』

 

そう言いながら、彼は頭を掻いて少し困ったような表情をした。

 

『厳密に言うと、()()()()()、なんだけどな。今までは出力系と変速機に細工をして、フルパワーが出せないようにしてた。一番美味しいとこを封印してたってわけだ』

『な、なんでそんなことしたんですか!?』

『当時のお前らじゃ使いこなせないパワーが出るからだよ』

『八九式なのに、ですか?』

『うん』

 

八九式。

それは低性能の代名詞。

 

『けど今はお前達のスキルも上がった。そうでなくても、プラウダ相手に出し惜しみはできない。なんとかして逃げ切るための手段がいる』

 

コンコン、と彼は八九式の装甲を二度小突いた。

 

『そこで、今までずっと封印していた最高出力(トップギア)の出番だ。これを使えば、ギリギリ競る所までは行ける。そこからはお前らがなんとかしろ』

『なんとかしろって……』

『どうしたってプラウダを振り切るだけの速度までは出せない。機体性能はイーブンにしたんだから、後は中に乗ってる奴等の勝負だ』

 

戦車道は人車一体。

どんな戦車も、全ては乗り手次第という彼の哲学が垣間見える瞬間だった。

 

そしてピンと、指が一つ立つ。

ひと際真剣な声が、アヒルさんチームの鼓膜を打った。

 

『いいか、これはとっておきだ。最初からは絶対に使うな。使っていいのは――――』

 

「――――本当に最後の最後の勝負所だけ。その時だと思ったら、迷わず叩き込め」

 

大きく深呼吸を一つして、磯辺は神栖渡里の言葉を諳んじる。

それは、間違いなく今、この時である。

この最終局面まで残しておいた()()()()()

神栖渡里がくれた、最後の切り札。

 

それをここで解放し、死ぬ気で逃げる。

 

あぁ本当に、事前に言ってくれて良かった。

心の準備ができないままこんな状況に追いやられてたら、パニックを起こしていただろう。

 

「やっぱりコーチっていいなぁ……バレーやってたみたいだし、戦車道だけじゃなくてバレー部の方も面倒みてくれないかなぁ」

 

どんな逆境でも、必ず希望の道を示してくれる。

それがどれだけ、戦ってる選手にとって心強いことか。

 

そして今回も、彼は期待を裏切らなかった。

ちゃんと、この絶望的な状況を打開する策をくれた。

 

なら後は、とても単純だ。

上手くいくかいかないか、そんなのは考えない。

ただ上手くいくように、必死で頑張る。

 

アヒルさんチームにできることは、最早それだけだ。

 

「ここからははっきゅんの力も大事だぞ!」

「頑張ってね、はっきゅん!」

「応援してるから!」

「しっかりね」

 

声援に応えるようにして、八九式はひと際大きく唸りを上げる。

同じようにして、バレー部の四人も気勢を上げた。

 

「いくぞー!!」

「「「おー!!!」」」

 

 

――――ずっとずっと、本当に長い間。

()()()()は、鎖で雁字搦めにされ、檻に閉じ込められていた。

それは今にも崩れ壊れそうな身体を、少しでも長く生き永らえさせる為の医療処置。

しかし()の心を蝕む毒でもあった。

 

檻の中で生まれ、檻の中で育った獅子ならば、それでも生きていけただろう。

けれどずっと草原を駆けて生きてきた獅子には、同じ生き方はできない。

 

だから彼は、きっと悲鳴を上げながら戦っていた。

あるいは逸る心を、溢れる衝動を、必死に抑えつけてここまできた。

 

いつの日か、この枷が外れる時が来ると、そう信じて。

 

そしてようやく、その時は訪れる。

四肢を縛る鎖も、身体に嵌められた枷も、全て取っ払い。

自由に、思うがままに、戦場を駆けることができる日が。

 

操縦手がギアを入れる。

ずっと封印されてきた、封印しなければならなかったギア。

しかしもう、その必要はない。

固く閉じられていた鍵が、弾け飛ぶ。

 

『――――――――』

 

かつて烈火の如く戦場を駆け抜けた戦車乗り。

そして今は亡き彼女と共に時を重ね、そして緩やかな死を迎えようとしていた獅子。

彼は錆びて黴てボロボロになった姿ではなく、全盛期そのままの姿となって。

 

 

『■■■■■■――――――!!!!!!』

 

 

雪原に放たれる。

 

 

 

 

 

「……?」

 

異変を真っ先に感じたのは、ノンナであった。

既に行進間射撃でありながら、M3リー、ルノーB1bisと二両の戦車を屠ってきた彼女は、当然のように次の獲物を照準器に捉えていた。

 

ノンナからすれば、最も容易い獲物が最後に残った形であった。

八九式のスペックは既に承知。

ついでに言うと、どのようなカスタムをしたかは知らないが、あの八九式が並み以上のスピードを出せる事も知っている。

 

それを踏まえて尚、ノンナは容易いと断言する。

多少スピードが上がった所で、ノンナには関係ない。

例え目の前を走っているのが八九式ではなく、快足と言われるクルセイダーなどであっても問題なく射止めてみせただろう。

 

しかしこの時、ノンナの身体が、あるいは砲手としての直感が告げていた。

八九式に、何かが起こったと。

 

「どうかした、ノンナ」

「……いえ、なんでも」

「そ。じゃあさっさと沈めなさい」

 

頷き一つ、ノンナは照準器を覗き込む。

その眼に映る八九式には、何の変化も見られない。

 

考えすぎか、とノンナは結論付けた。

所詮は八九式。ここまでまともに戦ってこれた事自体が、奇跡に近い。

なればこそ、これ以上の事は起こるまい。

奇跡とは、そんな安上がりなものではないのだから。

 

「―――――」

 

意識を砲撃に集中させる。

集中というと静寂を連想する者も多いが、ノンナは違う。

彼女の神経を研ぎ澄ませてくれるのは、歌。

いつも頭の中に流れる愛らしいメロディーが、彼女の砲撃を高次元のものへ昇華してくれていた。

 

そして今もそう。

必中の加護を授けてくれる歌声が、絶えずノンナの中で響いている。

 

こういう時ノンナは、砲撃を外す気がしなくなる。

弓道の世界では「中るかどうかは打つ前に分かる」なんて言うらしいが、それと似たようなものだろうと思う。

最善の角度、最善のタイミング、全てが手に取るように分かるのだ。

 

「―――――」

 

さぁ幕引きだ、とノンナはトリガーに掛ける指に力を込めた。

ドラマはない。観客が求める大どんでん返しは、残念ながら訪れない。

 

この一射。

この一撃を以て戦いを終わらせ、そしてノンナは敬愛する隊長へと勝利を捧げる。

 

だからどうか、さっさと眠ってくれ。

そんな思いを込め、放たれた砲弾。

糸を引くようにまっすぐ、美しい軌道を描くソレは、まるで八九式に磁石で吸い込まれているかのように飛翔し、そして。

 

 

「………え?」

 

 

白い大地を、穿つだけの結果に終わった。

 

状況は、何も変わらない。

ただノンナが一つ弾を外した、という事実だけがこの試合の歴史に積まれただけ。

 

目を、疑った。

しかし何度瞬きをしても、現実がノンナの思い描いていた理想に上書きされることはなかった。

ただただサファイアの瞳は、()()()()()()()()()()()を映している。

 

「そんなはずは……」

 

ガコン、と荒々しい装填の音が鼓膜を打つ。

それは目覚まし時計のような効果を果たし、ノンナは再び照準器を覗く目と、トリガーに掛かる指に神経を集中させた。

もちろん歌は、今も流れ続けている。

 

しかし此度は、ノンナはトリガーを引くことができなかった。

視線の先、疾走する八九式の姿が――――変容していたから。

 

「これ……は……?」

 

なんだ、と枯れた声が零れる。

先ほどまでは距離を取るための直線軌道だった八九式は、盾の消失と共に的を絞らせないような蛇行の軌道に変わっている。

 

それ自体は、大したことじゃない。

寧ろ蛇行することが当たり前。そんな逃げ方をする戦車を、ノンナは幾両も仕留めてきた。

 

けれど今目の前にあるあの戦車は、なんだ。

 

「あの軌道……っ!」

「蛇行しているのに……さっきより速い……!?」

 

そして全員が、とうとう異常事態に気づく。

八九式の動きが、桁外れに速くなった、と。

 

直線軌道と蛇行軌道、100mをどちらが早く走り切るかと言われば、それは間違いなく前者である。

理由は単純。寄り道をしない方が早いから。小学生でもわかる簡単な理屈だ。

 

しかしその理屈を根本から覆す事象が、目の前にある。

 

右に、左に、大きく、小さく、細かくフェイントを入れながらの疾走。

だというのに、先ほどより遅くなっているはずのに、その姿が捉えられない。

照準器の中に入れたと思っても、次の瞬間には霞んで消えていく。

 

「変な動きしちゃってなによ!全車、一斉砲撃!」

「!カチューシャ、それは――――!」

 

ダメだ、という声は届かなかった。

まるでマシンガンのように、一撃必倒の砲弾が八九式へと降り注ぐ。

しかしその全てが、八九式の残像を射貫くだけの結果に終わった。

 

当たる、素振りすらない。

まるで木の葉のように、砲弾の風圧に揺れてするりとかわしていく。

 

「カチューシャ、一度砲撃を止めてください!下手に撃てばより狙いが定まらなくなります!」

 

ただ闇雲に撃って当たるものでは、最早ない。

旧式の戦車には似つかわしくない程の軽やかな疾走。

まるで最新型の戦車のように、雪道をものともせずに走り抜けていく。

それも雪に慣れた自分達よりも速く。

アレはもう、並みの砲手の手に負える相手じゃない。

 

「私が仕留めます!」

 

ノンナはさっきよりも照準器を縮小した。

拡大(ズーム)した方が当てやすいのは間違いない。しかし狭くなった視界だと、八九式の動きが捉えられない。

だから視界を広くし、八九式の全部を見えるようにする。

 

(これなら左右に激しく動こうとも、関係ありません)

 

見えないから予測できないのであって、逆に言えば見えてさえしまえば、八九式の次の動きが読める。

どれだけのスピードで走ろうと、行く先が見えているなら惑わされることはない。

 

「―――――」

 

そしてその時ノンナは、信じられないものを見た。

突如、彼女の目は雪上という湖面から飛び立とうとする白鳥を映していたのだ。

 

(まぼ、ろし―――――……)

 

幻視に決まっている。

それは分かっている。

 

しかしノンナは、間違いなく見た。

雪が見せた幻か、あるいは砲手としての本能が見せたイメージか。

 

走る八九式。

その背から生える――――白い翼。

一つはためく度に羽根を散らしていく、大きな翼を。

 

 

「―――ノンナ!!」

 

隊長の頬を叩くような声が、ノンナを現実へと帰還させた。

もうその目に、白翼は見えない。

 

「時間は気にしなくていい!落ち着いて、確実に仕留めなさい!状況はまだまだこっちが有利なんだから!」

 

その言葉に、ノンナはハッとした。

いつの間にか()()()()()()と、そう気づいたのである。

 

そうだ、何を浮足立つことがある。

追い詰めているのは此方。窮鼠は相手の方だ。

噛みつかれることだってあるだろう。けれどそんなものは無駄な抵抗だ。

 

大きく深呼吸をし、平静を取り戻す。

加護をくれる歌が、また流れ始める。

 

 

『■■■■■―――――!!!』

 

 

一つの異音を、混じらせながら。

 

 

 

 

 

「な、なんかアヒルさん、なんとかなってるっぽい!」

「っぽいってなんだ」

「通信が悲鳴混じりだった!」

「……まぁ無事ならいいんじゃないか」

 

麻子の返答は素っ気ないものだったが、しかし状況を考えれば当然だった。

細い腕は激しく操縦桿を動かしていて、麻子の額には僅かに汗が滲んでいる。

 

切迫した声で、彼女は言う。

 

「それよりこっちの方が問題だ。カバは?」

「あっちのフラッグ車に追いつきはしたけど……倒すのは難しいかもって」

 

チラ、と麻子の瞳が後方へ向く。

車長席に座るみほは、神妙な面持ちで頷いた。

 

三突単騎でフラッグ車を撃破するのは、多分難しい。

固定砲塔はそもそもとして、追いかけながらの撃ち合いに向いてない。

特に待ち伏せ運用が基本の三突では、尚更。

 

やはりフラッグ車を取るなら、二両がかり。

一秒でも早く、みほ達は三突と合流しなければならない。

 

それは、わかっている。

わかっている、けれど。

 

(この人……守りが硬い……!)

 

そうさせてくれない壁が、目の前にある。

T-34/85。KV-2の次に現れた、最後の砦。

あんこうチームの怒涛の猛攻を受けながらも、なお健在である堅牢な城壁。

既にして五度、みほは()()で倒しに行き、その全てを凌がれていた。

 

「こんな人がいたなんて……」

 

みほは苦悶の表情を浮かべた。

 

兄のチェックミス、とは思わない。

あの人がそんなヘマをするはずがない。

とすればおそらく、カチューシャの策謀。

兄の眼を欺く為、かどうかは不明だが、あの小さな暴君が何かしらの罠のつもりで、ここまで巧妙に隠してきた人材なのだろう。

 

いやそんなことはどうでもいい。

ここから、どうする?

 

「こちらは一度も攻撃に当たっていないのに……どうして突破できないんでしょうか……!?」

「……あるいは、一度も攻撃に当たっていないから、なのかもしれません」

 

華の静かな呟きに、みほは一つ頷いた。

 

単純な実力で言えば、あんこうチームの方が上。

乗員の練度、連携、全ての要素で此方が勝っている。

 

それでも突破できない理由。

それはT-34/85が、自身の戦力を全て防御に回しているからである。

 

みほは、いやみほでないにしても、多くの戦車乗りは自分の持っている力を、時には攻撃に多く偏らせ、時には守りに多く偏らせ、と言った風にバランスを考えながら立ち回っている。

今もそう。みほは攻撃を仕掛けながらも、いつでも反撃(カウンター)に対応できる状態を維持しているし、その逆も然りだ。

普通は、そうやって戦う。

 

けれど目の前のT-34/85は違う。

とにかく守ることだけに意識を集中させていて、攻撃をする気がない。

例え反撃のチャンスがあっても、それを無視している。

それが意味するところを、みほは既に気づいていた。

 

勝つ気が、ない。

そして生還する気も、またない。

目の前の相手は、ただ時間を稼ぐことだけに()()を捧げている。

斃されるのは前提。そこに至るまでに、どれだけみほ達を足止めできるか。

ともすればみほ達と接戦を演じることもできるであろう戦車乗りの想いは、その一点だけ。

 

だからこそ、簡単にはいかない。

 

『まだです!まだ斃れません!全ては、プラウダの為に!』

「くっ……!」

 

どうする、とみほは思考した。

攻め手がないわけじゃない。このまま攻め続ければ、倒せるという確信はある。

けれどそれまでにどれだけ時間がかかる?

最速最短で、みほ達は三突と合流しなければならないのに。

 

(時間が……零れる……!)

 

ポツリ、とみほの頬から垂れた雫が、床を濡らす。

 

「――――――みほさん」

 

そしてそれが呼び水となったのか。

静かな声が、みほの鼓膜を打った。

 

「渡里さんはきっと、約束を破るような子は嫌いですよね?」

 

視線が、()()()()()()()

みほの前に座る、長い黒髪の砲手の、その柔和な笑みに。

 

「華さ――――――――」

 

みほの言葉を待つことなく。

すぅ、と大きく一度、瞑目しながら華は息を吸い込む。

 

そして息を吐くと同時。

開かれた瞼の奥にある眼は、まるで凪いだ水面のように静謐を湛えていた。

 

「華さんまさか―――――」

「麻子さん、真っ直ぐに行ってください―――――次で、終わらせます」

 

フツ、フツ、と。

彼女の周りの空気が砥がれ、裂けていく。

近くにいるだけだというのに、まるで刃に肌を撫でられるような感触。

 

全身が泡立ち、息を呑む。

この刺すような威圧感。身体を切り刻むかのような覇気。

サンダースとの試合、最後の砲撃で見せた、()()状態。

神栖渡里が五十鈴華に授けた奥義。

 

――――明鏡止水。

 

『な、に―――――』

 

覇気に押され、四号戦車が加速する。

何の変哲もない、ただの突進。

けれどそれがさっきまでとは次元を異にしたものであることに、彼女は気づいているか。

 

「通してくれないのであれば、仕方ありません」

 

そして、極限の集中状態から放たれる一矢。

必中にして必死。回避不能の致命の一撃。

華の覇気に全身を射貫かれ動きを止めたT-34/85に、抗う術はない。

 

一息、

 

 

「押し通ります」

 

 

無情の砲撃が、直撃する。

 

あっけなく。

本当にあっけなく。

あれほど苦戦したとは思えない程あっさりと。

T-34/85はその一瞬で沈黙した。

 

『そ、んな……!』

 

そんな驚愕と絶望の声を、果たしてあんこうチームは聞いただろうか。

いや、聞いてないだろう。なぜなら彼女たちは、白旗を挙げたT-34/85に一瞥もくれることなく、走り去っていった。

クラーラという、戦車の乗り手名前すら知らないままに。

 

「やった!さっすが華!」

「お見事です五十鈴殿!」

 

歓声に沸く車内。

しかし次の瞬間には、彼女たちは顔色を180度変えることとなった。

華が、短い悲鳴と共に苦悶の表情を浮かべ始めたのである。

 

「は、華さんっ」

「五十鈴殿、大丈夫ですか!?」

「大、丈夫です……少しクラっとしただけですから。まだまだ戦えます」

 

そう言って微笑む華。

しかしほんの一分前にはなかった大量の汗が、みほ達の心を暗く覆っていた。

 

「……華さん、もしかしてさっきの……」

 

汗の理由に、みほはすぐに思い当たった。

というよりも、気づかない方が不自然だった。

なぜなら以前、まったく同じ事が華の身に起きていたから。

 

「……多分、渡里さんには凄く怒られると思います。でも、勝つ為ですから」

 

華はそう言って、それ以上の事は口にしなかった。

 

みんな頑張っているのだから自分も。

そんな思いが彼女に無茶をさせてしまったのだろうか。

だとしたら責任の一端は、自分にもある。

こんなところで手間取り、決断を代わりにさせてしまった不甲斐ない自分に。

 

けれど照準器を覗き込み、戦う意志を漲らせる華を見て、みほはそんな思考を振り払った。

 

「ありがとう華さん。でもお兄ちゃん、多分そんなものじゃない。三日くらい口聞いてくれないと思う」

「え」

 

頭を切り替える。

今は、フラッグ車を仕留める事だけに集中しろ。

 

雪道を駆ける四号戦車。

ついに遮るものはなにもなく、あんこうチームはプラウダ高校のフラッグ車を捉えた。

 

 

 

 

 

 

 

最初から最後までプラウダ高校が優勢だったこの試合において、ついに戦況は本当の意味で互角となった。

 

スタートラインに辿りつくことさえままならず、プラウダに大きくリードを許してしまった大洗女子学園。

しかし細い細い希望の糸を握り、時には犠牲を払い、決して諦めず前に進み、ようやく彼女たちはプラウダ高校に追いつく。

両チームの砲手たちは勝利を掴み取る為、絶え間なくトリガーを引く。

 

優勢、劣勢は既に存在しない。

 

プラウダ高校は超機動で逃げ回る八九式を未だ捉えることはできず、大洗女子学園は廃村という障害物を巧みに使って逃げるT-34に弾を当てることができない。

前者は数こそ足りているが技量が、後者は技量こそあるが数が足りないという対照的な要因によって決め手に掛けていた。

 

勝負の行方は、神のみぞ知る。

今は両者、勝利へ続く道をひた走るだけ。

その想いにも上下はない。同じレベルで、勝利を渇望している。

 

しかしどちらともが勝者になることはない。

必ずどちらかが、敗者という道へ分岐する。

 

そしてその岐路は、突然やってきた。

 

「―――――え」

 

大洗女子学園フラッグ車八九式が、何の前触れもなく黒煙を吐いたのである。

 

被弾、ではない。

八九式は本当の力を解放して以来、未だただの一度も弾を頂戴していない。

 

「は、はっきゅんから―――――」

「煙が出ている?」

 

真っ先に気づいたのは二人。

キューポラから身を出して指揮を取る車長、磯辺。

そして照準器越しにその姿を捉え続けていた、IS-2の砲手ノンナ。

 

二人は瞬時に悟る。

一方は危機の、もう一方は好機の到来を、全く同じ根拠の元に。

 

原因は何か。

直ぐに思い当たったのは、この異常な機動力。

八九式にあるまじき超スピードでの疾走。

これが黒煙と無関係ではないと思うほど、二人は楽観的ではなかった。

 

「おい、はっきゅんから煙が出てる!中に異常は!?」

「え、えぇ!?中は……と、特に変わったことはありません!」

「河西、操縦してて変な違和感は!?」

「ありません!」

 

磯辺は余計に困惑した。

目に見える範囲に異常はなく、走行にも問題はない。

ならばこの煙はなんだ?

何かしらの問題がなければ、こんなものは絶対に出てこないはず。

 

「コーチは何も言ってなかったけど……」

 

あるいは彼すらも想定外の事態なのか。

そんなことがあるのか、と磯辺は疑念に駆られた。

よりによってあの人が整備不良なんて、本当にあるのだろうか。

 

けれど磯辺は、八九式のこの疾走は、自身も傷つける諸刃の剣なのではないかという思いが芽生え、それを拭うことができなかった。

あの翼が生えたような超機動の代償が、この黒煙なのではないか。

 

その時、八九式に更なる変化が訪れる。

 

バキンと、甲高い音が一つ車内に響く。

それは磯辺達にとって正体不明の音だったが、()()()()()()と察するには十分すぎるものだった。

 

磯辺は反射的に叫んだ。

 

「河西、ギア下げて!」

「は、はい!」

 

もはや確定的。

このままこの速さで走り続ければ、間違いなくまたどこかが壊れる。

磯辺はそう直感した。

 

速度を落とすしかない。

被弾の確率はグンと落ちるが、戦車が壊れたらそれこそ終わり。

全国一、二を争う砲手相手にどこまで通用するか分からないが、技術で弾を避けるしかない。

 

しかし、

 

「変速機が……動かない!?」

「なに!?」

「ギアが下げられません!何かが引っ掛かってるみたいで……!」

 

さっきの音はソレか、と磯辺は疑った。

よりにもよって変速機の故障。

これではこの状態で走り続けるしかなくなる。

 

「なんとかして無理やりにでも下げて―――」

 

それは寿命を削る行為だ。

八九式を救おうとした磯辺の声は、しかし轟音と振動によって遮られる。

ほんの僅か数センチ横に、砲弾が突き刺さったのである。

 

思わず背筋が凍る。

少し気を緩めただけで、ここまで追いつめられる。

これで速度を落としたら、一体どうなる?

 

磯辺はギアを下げるか下げないかという岐路に立った。

そして少しの思考の後、彼女は悲痛な表情で叫んだ。

 

「――――お願い、はっきゅん!後少しだけでいいから頑張って!」

 

次いで通信手に指示を飛ばす。

 

「あんこうチームに連絡!八九式に異常発生、多分あと数分しか持たない!」

 

 

「――――みほ!!」

「――――」

 

沙織の切迫した声に、みほは頷きだけを返した。

 

状況は、とても難しい。

相手のフラッグ車は手の届きそうな所にいるが、後一歩が届かない。

その理由は明確。

廃村という地形が、限りなくあちらに味方しているからである。

 

端的に言うと、相手が見えない。

家屋などがブラインドになってしまっていて、相手の行き先が読めないからどうしても捉えきれないのだ。

 

元より雪上というステージでの機動力はあちらが上。

二両がかりでも追いつけない。どころか相手を見失ってしまうこともある始末。

 

このままでは埒が明かないと、みほはそう結論づけた。

そこに加えて今の無線。

数分以内に、フラッグ車を倒す。

 

 

次の一手で確実に獲ると、みほは覚悟を決めた。

 

 

躊躇は、なかった。

多分自分は今、岐路に立っている。

右の道、左の道、どちらを選ぶかで勝利か敗北かが決まる。

 

それでも何の迷いもなく、みほは選んだ。

勝つ為に、と。

 

「麻子さん、後はお願いします!」

 

戦車から、飛び降りる。

 

「ちょ、みほ!?」

「西住殿!?」

「私が高い所から相手フラッグ車を見て状況を伝えます!」

 

問題は単純だ。

要するに見えないから捉えられない。

ならば見えるところに自分を持っていけばいい。

 

廃村には地上を一望できる高台がある。

そこに登れば、相手フラッグ車の動きを直で見れる。

そこで指示を出せばいい。

 

鬼ごっこの練習と要領は同じ。

きっとできる。

車長がいなくてもあの戦車には、冷泉麻子がいるのだから。

 

ざく、と靴が柔らかな雪を踏む。

着地は、あえあく失敗。

慣性を上手く殺しきれず、みほの身体は雪の絨毯の上を転がる。

 

「西住殿、大丈夫ですか!?」

「大丈夫!」

 

遠ざかる声。

見向きもせず、みほは直ぐに立ち上がって走る。

 

冷たい風が口から入る。肺が凍りそう。

でも走れ。

 

足が滑りそうになる。こけたらきっと痛い。

でも走れ。

 

木製の梯子を掴む。軋んだ音がした。

腐りかけているのだろうか。

 

崩落したら大惨事だ。怪我じゃすまない。

けど構うか。

 

一歩。一歩。一歩。

掴んで、登る。掴んで、登る。

下は見ない。上だけ見ろ。

 

今自分にできる事は、これしかない。

勝つ為に、皆頑張っている。

カメさんチームは皆を勝たせるために囮になってくれた。

ウサギさんチーム、カモさんチームはフラッグ車を守ってくれた。

アヒルさんチームは勝つ為に今必死に逃げている。

 

皆、皆、歯を食いしばって必死で勝とうとしている。

一度は諦めそうになったけれど、それでもここまで上がってきた。

心の底から勝ちたいと、そう願っている。

 

だったら。

西住みほは、皆を勝たせなければならない。

だってみほは、みほは、

 

 

―――――大洗女子学園の、隊長なんだから。

 

 

梯子を登り切る。

何度か足を滑らせて膝を打った。鈍い痛みがじんわりと広がっているけど、そんなものは関係ない。

 

目を見開き、地上を視る。

あんこうチーム、カバさんチーム、T-34。

全ての戦車の現在位置と、地形情報。

 

それら全てを一瞬のうちに処理したみほは、喉が潰れそうなほどに叫ぶ。

 

 

「右――――――――――――!!!!」

 

――――届け。

 

 

 

「――――カバ、そのままフラッグ車を追え!!」

 

――――受け取った。

 

「五十鈴さん、戦車を相手の側面に出す!一瞬だが行けるか!?」

「――――やってみせます」

「六秒後だ!」

 

華の瞳に火が灯る。

照準器を覗き込み、トリガーにかかる指が熱を持つ。

大きく深呼吸をし、六秒後に現れる、撃ち貫くべき相手だけを見据える。

 

それと同時。

華と全く同じ態勢に入っている砲手が、一人いた。

ブリザードのノンナである。

 

既に八九式の異常には気づいている。

どういうわけか知らないが、時間が経つごとにその疾走に陰りが見え始めていることも。

なればこそ、次こそ仕留めてみせる。

 

サファイアの瞳に冷気が宿る。

呼吸を一つ、絶対零度の冷徹となってトリガーに指をかける。

 

「……っ!」

 

その殺気を、磯辺は痛いほどに感じ取っていた。

既に八九式は満身創痍。

最初は少しだった異常も、いまや黒煙が噴出する箇所は増え、車体全体から軋む音が絶え間なく響く。

 

ボロボロ、なんていうレベルじゃない。

こうやって走れているのが奇跡。

弾が当たるまでもなく、いつ自壊してもおかしくない。

 

「はっきゅん、頑張れ……!!」

 

けれど八九式は止まらない。

速度を少しも落とさない。

身を削りながら、前に進む。

 

痛みなど知らぬ。斃れることも知らぬ。

ただ走る。最後まで戦う。

そしてその果てに―――朽ち果てようとも。

構わないんだと、そう言わんばかりに。

 

「あと少しだけでいいから頑張って!!」

 

 

そして、二人の砲手はトリガーを引く。

 

放たれる弾丸は、真っ直ぐに標的へと飛翔する。

一切のブレが無い綺麗な軌道。

 

回避は不可能。

既にその機は逸し、両者迫りくる魔弾をその身で受ける以外に道はない。

 

けれど勝者二人になる事は非ず。

必ずどちらかが敗者となる。

 

それがどのようにして分かたれるのか。

実力?運?それとも執念?

それは誰にも分からない。

 

いやあるいは、戦う者達にとっては、そんなものどうでもいいのだろう。

結果は、先には来ない。ならば考えるだけ無駄。

 

ただ、勝利を求めてひた走る。

勝つか負けるかではなく、斃れる最後の刻まで()()()()と想いながら戦う。

それだけが近道なのだ、と。

 

「----……」

 

実力差はあった。

運は両者とも恵まれていた。

執念は拮抗していた。

 

それでも尚、勝利の女神を一方にしか微笑まない。

そしてもし、女神を振り向かせるものがあったとしたら。

それはきっと、

 

『プラウダ高校、フラッグ車、走行不能!』

 

泥に塗れても立ち上がり続け、。どんなになってもひたむきに進み続けた。

 

 

『大洗女子学園の勝利!!」

 

 

そんな彼女たちの横顔に、勝利の女神は惚れたのかもしれない。

 

 

 

 




世の中には羽を生やして夜道をドリフトする車があるそうですよ。
なんたら豆腐店っていうんですけどね。

ラスト、あっさりし過ぎている気もしないでもない。
なぜ八九式が生き残ったか。その辺は次の話で。

書ききれたようなそうでもないような感じですが、このモヤモヤは黒森峰戦に全てぶつたいと思っています、まる。


後日談は5000字くらいでまとめて、さっさと黒森峰戦にいこう。

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