戦車道素人集団を優勝へ導く138の方法   作:ススキト

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約一か月の時を経て投稿されるのが、こんな話。

独自設定やら何やらの地雷要素が結構ありますので、無理な方は止めた方がいいと思います。

本作のダージリンはこんな感じ。格言を喋らないのは、きっと作者の知識量のせい。





幕間3 その後のお茶会

その時の自分は、きっと自惚れていたのだと思う。

『男性でも戦車道に参加できる』、そんな言葉にまんまと騙され、お世話になった人を裏切り単身英国へ渡った。

いや騙された、というのは違うか。男性でも戦車道に参加することは、変則的ではあったが確かにできた。ただ過程で、嫌がらせとしか思えないようなことがあっただけだ。

一体何人の人間が心折られ、夢半ばで去っていったのか。参加資格を手にすることができた自分は、きっと幸運だったのだろう。

 

幸運。果たしてそうだろうか。今思えば、それは更なる苦難の幕開けだった気がする。

八百長を告発され、大規模な改革が行われた英国の戦車道協会。そのゴタゴタに乗じて滑り込ませた、男性の戦車道参加に関する規則は、きっと誰にとっても邪魔な存在だった。八百長問題を嫌悪し、立ち上がり、腐敗した協会を打破し新たな秩序を作り上げた高潔な精神を持つ彼女たちにとっても、それは例外ではなかった。

いやむしろ、これ以上不浄な存在を戦車道に近づけてなるものか、と一層苛烈に男性を排除しにかかっていた。

 

それを自分は、ただ黙って見ていることができなかった。

英国に渡って、綺麗なものばかり見てきたわけではない。参加資格を手にする過程で、執拗な虐めを、迫害を受けたこともある。男性が戦車道に関わるな、と石を投げられたことも少なくなかった。

自分はそれに耐えてきた。結果さえ出せば誰も文句は言わないだろうと、努力を重ねた。その先に自分の夢があるから。

だがこれは違う。黙っていたら、容赦なく自分の夢が摘み取られる。家族も、友人も、何もかもを捨てて追い求めた未来が、途絶えてしまう。

 

立ち上がるしかなかった。結果だ、結果さえ出せば、自分の夢は守られる。そのためなら、とあらゆる手を、人脈を、金を使った。

そうして男性の戦車道参加資格を賭けた、女性にとっても男性にとっても重要な戦いが開かれた。起死回生の一手だった。

事ここに至れば、後は単純。ただ勝てばいい。たとえどんな形だろうと、勝ちさえすればいい。

 

しかし現実は厳しかった。向こうが用意したのは、当時最高峰の選手たち。ただ憧れだけでこの場に立っている男性選手たちは、あっけなく蹂躙された。

あっという間に黒星が積み上がり、残されたのは自分だけ。

自分が負ければ、全てが終わる。それだけは、絶対に嫌だった。

 

全身全霊を懸けて、策を練った。絶対に勝てるように、あらゆる条件を、変数を、全てを思考に組み込み、方程式を組み上げる。

それは報われた。これまでの戦いで失った分の負けを、自分は一人で取り戻した。あらゆる策を、妨害を、裏工作を読み切り、勝利し続けた。

 

そして最後に立ち塞がったのは、当時から常勝と称され、今や伝説となった一人の戦車乗り。

自分は知っていた。彼女が、どれほど化物染みた強さを持っているかを。間違いなく自分より格上、いやそれどころか、彼女に勝てる人間など存在するのかと本気で思ってしまうくらいの実力の持ち主だった。

しかし負けるわけにはいかなかった。例え相手が戦の神だったとしても、自分は勝たないといけなかった。

 

戦いは熾烈を極めた。戦術では誰にも負けない自信はあったが、初めてその自信が揺らいだ。五手先を読んでも、相手は六手先を読んでくる。自分が立てた作戦は全て見切られ、無効化されていく。

唯一有利に立てたのは、防御。相手の攻めを受け流し、無力化させ、自軍の好機へと繋げるという能力に関しては自分が勝っていた。

ならば、ここを突破口にするしかない。削れていく味方の戦力が、限界に達する直前で秘策を作動させた。

一世一代の大博打、成功するかは運次第。

 

そしてそれは、成功した。形勢は一気に逆転し、自分が失った戦力の倍の損失を相手に与える。そこから畳みかけるようにして道を絶っていく。逆転の機会を与えないように、慎重に、相手を追い詰めていく。

勝利は、目前だった。結果を見れば、一体どっちが勝者か分からないほど無様でボロボロで、負けてないのが不思議なくらいだったけれど。

それでも自分は勝った。誰がなんと言おうと、それは勝利だった――――――――――――――――――――はずだったのに。

 

 

 

 

 

 

 

オレンジペコは聖グロリア―ナ女学院戦車道において、一年生でありながら隊長車の装填手を務めるという、いわゆるエリートである。

しかし彼女はそんな風に呼ばれる人間にありがちな、高慢さとか歪んだ自尊心などは一切持ち合わせておらず、寧ろ素直で真面目な、良き後輩そのものだった。

 

それは何故かと言うと、自身のすぐ隣にもっと凄い人がいたからである。それはもう、色々な意味で。

金髪青眼、モデル顔負けのプロポーションとビジュアルを持ちながら、戦車道の腕前は聖グロどころか全国トップクラス。神は彼女に二物を与えたとかと言われるほどの才色兼備は他に類を見ず。正グロリア―ナ女学院において絶対的な存在であり、オレンジペコの憧れであるその人の名前は、ダージリンといった。

 

オレンジペコはまだダージリンと共にチャーチルに乗ることになってから日は浅いが、それでも心酔と言えるほどの尊敬を捧げていた。ところどころ変な人だな、とは思うものの、もし目の前にダージリンを侮辱する人がいれば近年稀に見るレベルで怒る程には敬愛していた。

 

これは別にオレンジペコに限った話ではなく、聖グロで戦車道をしている者ならば、大小の差はあれど誰でも思うことである。それくらい、ダージリンという人は慕われているし、尊敬されている。

 

ダージリンの主な住処である『紅茶の園』に入りたくて血の滲むような努力を何の躊躇いもなく日々重ねるような人が後を絶たず、紅茶の園に入ること自体に、相応の実力と気品の持ち主という称号が与えられるくらいである。

 

だからこそオレンジペコは困惑していた。それも人生でベスト5に入るレベルで。

目の前で起きている光景を、視覚はしっかりと認識しているのだが、それを脳が処理しきれていないような感覚がさっきからずっとあるのだ。

 

 

「いい?すなわち戦力差を覆すことはできないけれど、戦術によって相手を分断することで局所的に優位な状況を作り、これを連続することで相手の一部を機能不全にしたの。それと忘れてはいけないのは、序盤で伏線が張られていたことによって最後の作戦が成功したということ。つまり試合の流れは最初から最後まで完璧にデザインされていて、相手の動きは完全にコントロールされていたの。これがどれだけ驚異的なことかわかるかしらオレンジペコ?」

「はい、はいもう充分わかりましたダージリン様……」

 

オレンジペコは必死に頷いて、許しを乞うた。もう限界だ、これ以上話を聞かされると机に突っ伏すことになる。一人の後輩、一人の淑女としてそれだけは避けねばならなかった。

 

「そう……まぁ、神栖渡里様に関することはこれくらいよ。理解できたかしら?」

 

語り足りないのか不満げな様子のダージリン。

その問いにオレンジペコは、すぐさま答えることができなかった。

 

発端は神栖渡里という、聖グロの聖域『紅茶の園』に初めて足を踏み入れた男性という名誉を手にした人について、オレンジペコが何も知らなかったところからである。

 

いや、オレンジペコはてっきり、神栖渡里という人は()()だと思っていたのだ。

だってそうだろう。ダージリンの語り口は、一人の戦車乗りを褒め称えているものであった。なら誰だって女性と思う。だって戦車道に参加できるのは女性だけなのだから。

 

ところが実際に合ってみれば、神栖渡里という人はどこからどう見ても男性。

聖グロの凝ったデザインの椅子に座っていてもわかるほどの高い身長。

丸みのないシャープな顔つき。広い肩幅に筋肉質な腕。

そして聞き心地のいい低い声。

百人いれば百人男性と答える外見だし、中身も紛うことなく男性だった。

 

となるとオレンジペコは、それはもう混乱した。

シンプルな疑問として、なぜ戦車道に参加できない男性である神栖渡里を、ダージリンは一人の戦車乗りを褒めるような口ぶりで尊敬しているのか。

もし神栖渡里が女性なら、こんな謎はなかった。

世間一般に知られてないだけで、そういう人もいたんだなぁ、とその程度の感想で済んだはずだった。

 

というところで、助け舟を出してきたのはダージリンだった。

そしてそれが、オレンジペコの最大のミスだった。

 

彼女はお気に入りのティーカップを片手に、それはもう雄弁に、流暢に、まるで我が事のように自慢げに神栖渡里について語った。

 

それはありがたいことだった。先輩の好意として、後輩は嬉しい限りだった……のだが、長かった。そのまま神栖渡里のヒストリーを上から下に素直に読んでくれればいいのに、所々、というかほぼ全ての箇所で脱線したのだ。

一々ダージリンが、「アレはこういうことだ」「これはそういうことだ」といった具合に自分の所感を言うものだから、とにかく話がとっ散らかる。

 

そういう時にストッパーとして頼りになるはずのアッサムは、何故か今回は我関せずの姿勢を貫いて一言も喋らない。オレンジペコはアッサムの代わりが務まるほどダージリンに気安くはなれないし、初対面で招待客の神栖渡里は殊更に無理。

ということでブレーキを踏む人がいないダージリンは、とにかく喋った。それはもう、口から産まれたのではないかというくらいに。

 

そんな聴覚に不健康な状況が、今ようやく終わった。

謎の倦怠感に襲われながら、オレンジペコはダージリンの説明を必死に整理する。

 

「ええと神栖渡里様はイギリスにいたとき、戦車道の試合に出たことがあって……それはイギリス戦車道協会が合法的に認めた権利を使用しての正当な参加で……けれどすぐに参加資格が凍結されて、『男性が戦車道に参加した』という記録は隠蔽されて、情報統制も行われて……だから誰も知らないはずが、唯一残っていた試合映像が運よく規制から漏れて、ダージリン様の元に渡ったから、ダージリン様は神栖渡里様を知っていたということでいいですか?」

「大事な言葉が抜けてるわ。知って、尊敬しているの」

 

それは重々承知してます。

こんな原稿用紙半分もいかない文字数を話すのに、あんなに長い時間かけたのかこのお人。脱線のほとんどはその試合映像の中身に関することだったけども。

 

「しかしよく調べましたね。日本でダージリンさんくらいですよ、そんなに詳しいのは」

 

机を挟んでダージリンの対面に座る神栖渡里は、感心したように息を吐いた。

紅茶の園に男性がいることにまだ違和感を覚えるオレンジペコだが、不思議と目の前の男性は瀟洒な館の雰囲気にマッチしていた。一つの風景としては寧ろ何の問題もないくらいである。

 

最初はダージリンが自分のファンと聞いて、少し驚いた様子だったが今は完全に持ち直したらしく、紅茶を慣れた手つきで飲んでいる。

ただ自分の過去の話をされるのはアレだったのか、少し居心地が悪そうな感じでもあった。だいぶ美化されてるなぁ、という呟きが印象的だった。

 

「ふふ、聖グロリア―ナには秘密の諜報機関がありまして。聖グロの隊長になった時、いの一番に調べさせましたの」

 

なんという特権の乱用。オレンジペコは白い目になった。

 

「あと渡里さん?敬語は結構ですわ。できれば先ほどの……そう!みほさんと話していた時と同じようにして頂ければ!ええ、是非!」

 

んふー、と鼻息が荒く見えたのはきっと幻覚なのだろう。オレンジペコは全力でそう思うことにした。敬愛する先輩の姿を、そのままにしておくために。

 

「え、流石に妹と同じように話すのは……」

「妹!?……なるほど、そういうのもあるのね。アリだわ」

「はい?」

「いえ、お気になさらず。私たちも年長者にそんなに改まれてしまうと、困ってしまいますので!なので私のこともダージリンと、どうか呼び捨てにして頂いて結構です!」

 

着実に距離を詰めていこうとするダージリンの策士っぷりに、オレンジペコは心の中でため息を吐いた。

あと、対面で距離があったから相手には聞こえなかったかもですけど、横にいる私には丸聞こえでしたよ。なんですか、妹アリって。もしかしなくてもそうゆうことですか。

オレンジペコの中の敬愛カウンターが減少した。

 

「あ、じゃあそっちも様付けは無しにしてくれるなら」

「あら……で、では、わ、渡里さんとお呼びしても?」

 

一転、いじらしく頬を染めるダージリン。先ほどまでの表情が嘘のようである。

まるで可憐な花のような表情に、オレンジペコの中の敬愛カウンターが急上昇。

 

「結構だよ、ダージリン」

「はうっ……!」

 

ずきゅーん、と何処かで銃声が鳴った気がした。

憧れの人から名前で呼び合う関係になる、というのはトキメク展開なのだろうか……なんだろうな。全然関係ないオレンジペコですら、少しドキッとしたのだから。

 

「どうしましょうアッサム……何年も温め続けていた『神栖渡里様と会えたらやりたいことリスト』の最上位をあっさり達成してしまったわ……私死ぬのかしら?」

「私がなぜ今まで一言も喋らなかったのか分かる?巻き込まないで、ダージリン」

 

つれないアッサムの対応も、有頂天のダージリンにはノーダメージ。

頬に手を当てて漫画みたいな照れ顔ムーブで、アッサムにやいのやいのと絡んでいる。

 

「ダージリンは普段からあんな面白い感じなのかい?」

「いえ……」

 

こっそり聞いてくる神栖渡里に、オレンジペコは曖昧に返事するしかなかった。普段はもっと理知的で覇気と余裕に満ちた感じだが、案外あれが素なのだろうか。

というかあのダージリンを見て、面白いの一言で済ませる神栖渡里も大概な気がする。

 

「聖グロの生徒から羨望と尊敬の念を一身に集める、凄い人なんですけど……」

「そんな戦車乗りから尊敬されているのか、俺は。人間生きてればいいことあるもんだ」

 

感慨深い語調だった。オレンジペコはダージリンからの話でしか神栖渡里という人を知らないが、話の限りでは結構な苦労をしている。オレンジペコが同じ言葉を言ったとしても、きっと重みが違うだろう。

 

「ねぇねぇアッサム!次はこの『やりたいことリスト』第6位を聞いてみようと思うのだけど!どう思うかしら!?」

「お好きにどうぞ」

 

一方何やら小声で相談している二人である。オレンジペコとアッサムは対面同士なので、何を言ってるのかはよく分からない。しかしなんとなく、アッサムの表情から内容を察するオレンジペコであった。

 

「渡里さん、お好きな紅茶はありますか?」

「紅茶?……あー、あんまり詳しくはないんだ」

 

聖グロと言えば聖グロらしい質問だった。なんとなくダージリンの思惑を読み取ったオレンジペコ。おそらく神栖渡里の帰り際にさり気無くプレゼントするつもりなのだろう。

 

しかし相手の反応は芳しくなかった。そういえばアッサムが淹れた紅茶も美味しい美味しいと飲んではいるものの、種類を聞いてこなかったな、とオレンジペコは先刻のことを思い出していた。

 

うーんうーん、と腕を組んで分かりやすく悩んでることを示す神栖渡里は、大体10秒くらいの間を終えて、

 

「あ、ダージリンが好きだったかな」

 

と、はっきり答えた。

ぼかーん、と何処かで何かが爆発する音がした。

 

あ、とオレンジペコが言った。

あ、と神栖渡里も言った。

前者は右隣に座っている人の惨状を見て、そう言った。

後者は自分の発言がこの場においてあらぬ誤解を生むことを悟って、そう言った。

 

ダージリン(紅茶)が好き。

普通に考えれば、人はこのように神栖渡里の言葉を理解できる。

ただ紅茶の名前をニックネームとして使うような習慣がある、ここ聖グロにおいては、それはとても愉快な意味になる。

 

どういうことが起こったかというと、紅茶のシャンパンの名前を持つ、オレンジペコの敬愛する先輩は、神栖渡里の言葉を正確に理解できず、あるいは音の響きに惑わされてーーーー爆発した。

 

「だ、ダージリン様!?」

 

ティーカップを持った状態で見事に機能停止したダージリンに、オレンジペコは慌てて近寄った。顔の前で手を振っても、肩を揺すっても反応がない。どうやら意識を失っているようだ。気絶しても紅茶を零さない辺り、もはや流石としか言えない。

 

「あー、申し訳ない。ちょっと不用意だったか……」

「いえいえ、ちょうど良かったですわ。うるさいのがいなくなって」

 

髪を掻きまわす神栖渡里に、アッサムは美しい笑顔で答えた。

 

「いくら尊敬する人に逢えたからといって、少し興奮し過ぎです。紅茶のおかわりはいかがですか、神栖さん?」

「頂きます。あと、できれば渡里の方で呼んでくれると有難いんだけど……」

「そうするとこの人がやきもちを焼いてしまうので。一度拗ねるとご機嫌取りに苦労するんです」

 

流麗な手つきで渡里のティーカップに紅茶を注ぐアッサムは、聖グロ女子の一つの理想であった。選手としての尊敬はダージリンの方が大きいが、女子としてはアッサムの方がより憧れるオレンジペコであった。

 

「全くこんなものまで作って……よっぽど楽しみにしてたんですね、貴方に逢える日を」

 

席に戻ったアッサムが手に取って見せたのは、表紙に大きなマル秘の文字が書かれた、やけに凝ったデザインのノートだった。二人が何やらヒソヒソしていた時にダージリンが持っていた物である。

 

「よろしければどうぞ見てやってくださいな」

 

すっと差し出されたノートを手に取り開いた神栖渡里は、黙々とページを読み進めていく。ちなみにそれが何か知らないオレンジペコは、このアッサムの行為がどれほど残酷なものか分からなかった。

 

ノートの中身が気になりつつも知ることができないオレンジペコ。

チラチラと横目で神栖渡里の様子を窺っていると、オーバーヒートしていた隣のダージリンが不意に目覚めた。

 

「はっ!?何かとてつもなく素敵な言葉が聞けたような……夢だったのかしら?」

「現実ですよ、ダージリン様。神栖さんは()()のダージリンが好きなようなので、後でお持ちします」

「そ、そうよね……ダージリンは普通紅茶のことよね……」

 

何やら息が荒いダージリンだが、オレンジペコはもはや気にしないことにした。

 

「それで渡里さんは……」

「今はアッサム様と話してますよ」

 

すー、とダージリンの青い瞳が、神栖渡里の方に向けられた。

そして顔を凝視すること三秒、視線が神栖渡里の顔から手元に行く。

そしてまた三秒くらいの間があって、

 

 

「きゃ――――――――――――!????」

 

 

突如としてダージリンは絶叫した。

高価な楽器のような美声が、音割れしたみたいに部屋中に響き渡る。

オレンジペコのティーカップの中の紅茶が大きく波立ち、神栖渡里の肩がビクンと震えた。

 

絶叫が止むと、なんだなんだと全員の視線が金髪青眼に集中し、ダージリンはまたもやオレンジペコが見たこともないような表情をした。

 

「な、なんで渡里さんがそのノートを――!?」

「私が渡しました」

「アッサム―――――――!????」

 

目を丸くして、あわわわわ、といった表情でアッサムと神栖渡里を交互に見やるダージリンは、端的に言うととてもテンパっていた。

 

「だ、ダメです渡里さんっ!お願いですからそれは見ないでください!」

「第1位『神栖渡里様と名前で呼び合う』……第5位『一緒に紅茶を飲む』、第13位『好きな戦車を聞く』……」

「あぁぁ―――――!!」

 

ダージリンの表情が青くなったり赤くなったりと、忙しなく変わる。

神栖渡里の言葉から大体のことを察したオレンジペコは、ダージリンに今日初めて同情した。つまりあのノートには、ダージリンの願望やら妄想やらが事細かに記されていて、アッサムはそれを直接本人に見せたというわけか。恐ろしい。

 

「質問がいっぱい書いてるね」

「だいたい60個くらいありますわ。ところで神栖さん、私としては第9位の『好きな女性のタイプ』を推しますが。もしくは15位の『付き合っている人』とか―――」

「アッサム!いい加減にしなさいアッサム!それ以上はほんとに私が死ぬわよ!?」

 

謎の脅し文句で、ダージリンは必死の抵抗を見せた。女子としてはほとんど致死レベルの羞恥だし、気持ちは痛いほど分かるが60個も質問考えていたのか、あの人。毎日毎日ノートにコツコツと書き連ねていたと思うと……オレンジペコは複雑な気持ちになった。

 

「貴方のことだからどうせおっかなびっくりになって、半分も訊けないに決まってるもの。だったら見てもらった方が早いじゃない?」

「そ、それは………」

「どうする?とりあえずこの第7位の『戦車道の話を聞く』から答えようか?それとも第22位の『紅茶を淹れてもらう』の方がいいかい?」

「い、いえそのぉ……」

 

二方向から意地の悪い攻撃を受けて、ダージリンはタジタジになった。

おそらく普段の鬱憤を晴らそうとしているアッサムはともかく、神栖渡里も結構いい性格をしていたらしい。

 

助け舟を出そうにもオレンジペコでは力不足なので、敬愛する先輩の無事を祈るしかない。まぁ、兎も角として自分の願いが叶うのだから、ダージリンも嫌なわけじゃないだろう。

多分、きっと。

 

やがて毒牙が金髪青眼に襲い掛かろうとした瞬間だった。

コンコンコン、とドアが叩かれた。

 

「は、入りなさい!!」

 

ダージリンの心境的には、きっと「入ってきてください」くらいだっただろう。

静かに開かれたドアから現れたのは、青い制服に身を包んで、茶色の髪をサイドで三つ編みにした女子だった。

その姿はオレンジペコもよく知っているものだった。

 

「ルクリリ様?」

「ようやく来たのねルクリリ!待ってたわよ!」

 

オレンジペコより一つ年上の先輩にしてマチルダの車長、ルクリリがそこにいた。

淑やかな女子が大半の聖グロにおいて、強気で勝気というか、普通の学校なら普通の生徒だったのに聖グロにいることによってその枠から外れてしまった人である。

 

ただオレンジペコはルクリリのお嬢様っぽくない気質が不思議と気持ちよく、ダージリン、アッサムに次ぐ仲の良い先輩でもある。入学間もないが、何度かお世話になっている。

 

「――――――――」

 

だからオレンジペコは、この時ルクリリが普段と違う様子なことに気づいた。

荒々しさ(悪口ではない)が鳴りを顰め、それこそ聖グロスタンダードのお嬢様のようである。

練習試合の汚れを落としてきたのだろうけど、そのせいか普段より髪の艶が良い気が…

 

「紹介しますわ渡里さん。彼女はルクリリと言いまして、聖グロのマチルダ隊で活躍する優秀な戦車乗りですの。ルクリリ、こっちに来なさい」

 

ぎくしゃく、と油の切れたロボットのようなルクリリの動きだった。

オレンジペコは思った、誰だろうアレ、と。普段のサバサバした感じのルクリリとは真逆である。

 

「オレンジペコ、悪いけど紅茶を貰えるかしら」

「あ、はい」

 

席を立ち、アッサムの横に移動してポットから紅茶を注ぐ。

聖グロの一員として紅茶の淹れ方は猛勉強したオレンジペコは、一応先輩方から合格点を貰ってはいるものの、緊張しないと言われればそうではないわけで。

ほんの少しだけ震える腕を必死に抑えつつ、オレンジペコはなんとかやり遂げた。

 

「あの、ルクリリ様はどうしたんでしょうか?」

 

隣に来たので、ちょっと聞いてみるオレンジペコ。

アッサムは紅茶の香りを楽しみつつ、何気なく答えた。

 

「ダージリンが言っていたでしょう?あの子もダージリンと同じなのよ。積み重ねてきた時間はルクリリの方が長いけどね」

 

あ、とオレンジペコは練習試合中のダージリンの言葉を思い出した。そういえばルクリリも神栖渡里のファンであることを匂わせるような事を言っていたような。だからあんな感じになってしまっているのか。

オレンジペコの視線の先にいるルクリリは、ダージリンと神栖渡里に挟まれる形で石柱のように直立不動になっている。

 

「ダージリンがとても喜んだのを覚えるわ、『神栖渡里様を知ってる子が入ってきた!』って。ダージリンとは別ルートで知ったらしいけど、不思議と同類は一か所に集まるのね」

「でも反応は対照的ですね。ルクリリ様の方がファンっぽいです」

 

寧ろダージリンの方がおかしいのだろうか。

正直見たことない姿だが、それでも普段の延長線上のような気はする。

 

「ダージリンは元々話す方が好きだし、テンションが振り切れたらあんな風になるのは予想できたわ。……ただ、私からするとダージリンもかなり緊張しているわよ」

「え、アレでですか」

 

ブレーキが粉々に砕けているだけではないだろうか。

しかしアッサムは冷静に言った。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()を、一言も話してないじゃない。多分神栖さんに変な娘と思われるかも、と迷ってるのね」

 

とんでもない説得力があるアッサムの言葉だった。

そういえばあの歩く格言再生機のような人が、今日はまだ一度たりとも格言を披露していない。

オレンジペコは愕然とした。これは恐るべきことであった。どれくらいかというと、聖グロのお茶会に緑茶と煎餅が出るレベルである。

 

あんな人でもやはり緊張するのか、とオレンジペコは視線を再び移した。

そこにはぎこちなく話している様子の人、嬉しそうに語る人、そして楽し気に笑う人の三人がいた。

 

 

 

 

ルクリリという少女が差し出してきたのは、いわゆる色紙という奴だった。

渡里はそれが一瞬、何を意味しているのか理解できなかった。まさか自分がこんなものを向けられる日が来るとは、思ってもいなかったのである。

 

「さ、サインをください……!

 

頬を紅潮させてそう言う彼女に、渡里は何も言わなかったらどんな反応をするだろうか、と少しイジワルなことを思いついたが、流石にやめておいた。

 

「名前を書くだけでいいのかな?」

 

当然サインなんて持っていない渡里はサインの決まりとか分からないので、渡されたペンをクルクル回しながら聞いてみた。

 

なんでもこのルクリリという少女、ダージリンと同じ自分のファンであり、なんと聖グロに入学したのも自分がきっかけだという。イギリスと縁のある聖グロなら、いつか渡里に会えるかもしれないと思ったらしい。結果的にはそれは叶ったわけだが、だいぶリスキーなことをする娘だと渡里は思った。

 

そんな風に憧れてもらえるのは人生になかったことなので、渡里としてはサインを書くことに文句なんてない。なんなら三十枚くらい書いてもいいくらいである。

それくらいに気分が良かった。美味しい紅茶も飲めて、才能豊かな戦車乗りに尊敬してもらえて、渡里は万々歳である。暗黒色に染まった思い出が繋いでくれた縁だが、世の中不思議なこともあるものである。こんな日が来るなら、少しは良い思い出として受け止めることができるかもしれない。

 

だから何か頼みごとがあるなら、可能な限りは聞こうと思った。

ダージリンと話していたお蔭で、もはや大抵の事は動じずに受け入れることができると思っていたから。

 

それでも、次のルクリリの言葉は渡里の予想を超えていた。

 

 

「な、何か神栖選手に関係ある物が欲しいです!!」

 

 

はい?と渡里の一瞬停止し、そして高速回転する。

戦車道関連でしか本領を発揮できない極端な脳は、今回は珍しく働き、ルクリリの言葉の意味を即座に理解した。

 

『名前を書くだけでいいのかな?(やり方を聞いている)』という渡里の言葉を、

『名前を書くだけでいいのかな?(ほかに頼み事はないのかな?)』と受け取ったのだろう

 

マジかこいつ。渡里は笑みを必死で崩さないようにしながら、内心で冷や汗を垂らした。

日本語って難しい…、いや受け取り側にも問題がある気が。

しかしどうしたものか、今更そうじゃなくて、とは言い難い。ただでさえテンパり気味なルクリリにそんなことをしてしまうと、どうなるか分かったものではない。

ファンと言ってくれたこの子のために、という想いが渡里には捨てられなかった。

 

だが何かをプレゼントしようにも、渡里は時計もアクセサリの類も身に着けていない。今持ってるのは携帯電話と財布だけである。

あげれるものなんて……

 

「あ、じゃあこのジャケットは?」

 

冗談っぽく渡里は言ってみた。

 

「これ、ほとんど使わなかったタンクジャケットなんだ。パッと見た感じは普通の私服っぽいけど」

 

汎用性が高いので、本来の用途ではなく普段着として重宝している神栖渡里の一品である。サッカーや野球ではないが、ユニフォームみたいなものだしプレゼントとしては悪くない。

とはいえ流石に、男が今の今まで着ていたものは欲しがらないだろう。これは場を和ませるため、そしてルクリリの反応を見て対処を考えようという考えからの行動だった。

 

渡里は端的に言うと、ファンというものを侮っていた。

 

「ぜ、是非!」

 

そして罰が当たった。

一度言ってしまったことは取り消せない。渡里は泣く泣く、私服を一枚失うことになった。もはや返ってくることはないだろうし、まさかルクリリが着ることもないだろうと思ってジャケットにサインを書いておいたが、その時の渡里はもうどうにでもなれ、くらいの気持ちであった。

 

まぁ、ルクリリが心底嬉しそうに渡里のジャケットを抱きしめていたので、それで良しとすることにしようと渡里は思った。

 

「渡里さん渡里さん、私も渡里さんのファンなのですけど」

 

くいくい、と長袖のシャツを引っ張られて、渡里は意識を金髪青眼に移した。

 

「そういえば第8位だっけ、『サインをもらう』は。いいよ、どこに書く?」

「そ、それはもう忘れてくださいっ。というか、そうじゃなくてですね……」

 

歯切れの悪いダージリンに、渡里は首を傾げた。

ダージリンは視線を泳がせて、言葉を口の中で転がしては飲み込んでいるようであった。

なんだ、と綺麗な金髪に視線を注いでいると、ふと渡里は思いついた。

 

「私も、何か渡里さんに関係するものが欲しいですわ」

 

渡里は恥ずかしそうなダージリンの表情から、きっと勇気を振り絞って言葉にしたんだろうな、と思った。同時に申し訳ない気持ちが沸き上がる。

 

「もう渡せるものがないんだけど」

 

ここから更に追剥されると、渡里はおそらくこの紅茶の園を出た瞬間警察に捕まる。

そして死ぬ。

 

するとダージリンは、今まで見たことない悲しい表情をした。

渡里はその顔に見覚えがあった。昔みほが好きなボコのキーホルダーを失くした時の顔と同じだった。何も悪いことはしてないはずなのだが、心が罪悪感で大変なことになってしまった。

 

「……な、何か他に頼み事があるなら何でも聞くよ」

「―――――今、なんでも、と仰いました?」

 

背中らへんが一気に寒くなった。

 

「か、可能な範囲ならね……」

「ええ、ええ分かっていますわ勿論。ふふ、ふふふふ……」

 

ほんとにわかってんだろうか、この子。笑みは怪しいし目も血走っている気がするのだが。

何か致命的なミスをしてしまったようで落ち着かない渡里であった。

しかし本当に致命的だったのは、この後だった。

 

「じゃあこれ、電話番号とメールアドレス。渡しておくから、決まったら連絡してくれ」

 

財布の中から名刺(角谷杏謹製)を取り出して、渡里は自分の携帯に直通の連絡先をダージリンに差し出した。

それは自分なんかに憧れてくれた目の前の少女へのお礼であり、いつか大洗女子学園戦車道の利に繋がればいいなという伏線であった。

 

個人情報を渡すのはあんまりよくないが、この子たちに限って変に悪用することもないだろう。

 

 

 

後に30分で40件という驚異的なペースで送られてくるメールの恐怖を、神栖渡里はまだ知らない。

 

 

 

 




いつか聖グロVS大洗女子学園が公式戦でやってくれるといいな(願望)。



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