久しぶりの投稿が本編には関係ない幕間
できるだけ全員をかわいく書きたかったのですが、筆者の力量では無理でした。
西住みほは過去と向き合うことを決意し、その第一歩として武部達に自分のトラウマについて明かすことにした。
どう思われるかは分からなかったが、それでもこの先、共に歩んでいきたいと思う相手ならば、話さなければならない。そうじゃなきゃ、きっとみほはずっと武部達に引け目を感じたまま戦車道をすることになる。
神妙な顔で自分の過去について話し始めたみほに、武部達は真剣に向き合ってくれた。
そして一通り話が終わった後、僅かに震えるみほの手を掴んで言ってくれたのだ。
「話してくれてありがとう」――――と。
それから皆は、順番に自分の想いを伝えてくれた。
じゃあこれからは、私たちがみほを守ってあげる。
みんなで、一緒に強くなりましょう。
私は、西住殿が間違っているとは思えません。
誰にだって辛い過去はある。元気を出せ。
みほが心が震える思いだった。心の底から思った、話してよかったと。
一体自分は、この先何度思いだすんだろう――友達に恵まれた、という兄の言葉を。
そこからは大変だった。思わず涙ぐんでしまったみほを、みんながハンカチはないかティッシュはないか、と騒ぎ、無いと分かると結局自分たちの袖で拭ってくれた。
着の身着のままで飛び出してきたから、携帯しか持ってなかったと笑う武部と、私も同じです、と微笑む五十鈴。私は一応非常食も持って来ました、とポケットからいつかの乾パンを取り出す秋山に、冷泉が大げさだと静かにツッコミを入れる。
そしたら誰かのお腹がきゅーと鳴って、一拍置いてみんなで大笑いした。
音の出所はみほだった。紅葉顔負けに顔を赤くして恥ずかしがるみほに、みんなは「晩御飯を済ましていなかったから私もお腹が減った」とフォローしてくれた。
そんな時だった。ずーーーと遠くでみほ達のことを見守っていた渡里が声をかけてきたのは。
武部達は尋ねた。神栖先生もみほのことが心配だったんですね。場所が分かってたなら教えてくれればよかったのに。みほの昔のことについて知ってたんですか。
次々に飛んでくる質問を、しかし兄は一切合切無視して。
そして言った、「それはさておき、飯食いに行こう」――――と。
○
そしてやってきたのは、学園艦の中にあるとあるファミレスだった。
既に夜も遅いこんな時間に、店を開けていてなおかつみほ達の要求に応えてくれる飲食店はここしかなかった。
受付担当の女の人が、外用の服と寝間着を足して二で割ったような恰好をしている女子五人と、ジャージ姿の成人男性一人という奇妙な組み合わせの六人組に眉を顰めていたが、禁煙席の一番隅っこの席に案内してくれた。
みほ達だけなら不良と間違われ、そこに兄が加わるといたいけな少女五人といかがわしい男性という構図になる。みほは密かに変な誤解を受けてないだろうか、と危惧した。兄の名誉を守れるのは自分しかいなかった。
「ファミレスで夕食なんて、私いつ以来でしょうか」
「わ、私も全然かも。お昼ご飯は食堂かお弁当だし、晩御飯は自分で作るし」
「私も全然来ない。精々アイスクリーム屋だな」
「私は結構家族と来たりしますよ!まぁこのお店じゃないですけど」
席に着くなり談笑を始める一同。
ちなみに席は片側三人の六人席。秋山、みほ、五十鈴と並ぶ反対側に、冷泉、武部、渡里という具合で座っており、五十鈴の正面に兄が座る形である。
なぜこうなったかというと、三人乗りの横長の椅子を見た兄が、「一番小さい奴と一番大きい奴は一緒の列」という言ったことが原因である。
兄は無駄におっきな体をしているので、おそらくは自分が狭くならないようにそんなことを言ったに違いない。見たところ、向かい側は椅子の幅にジャストフィットしているし、
もし冷泉の代わりにみほが向こうに座っていたら、兄の思惑通りギュウギュウ詰めで座ることになっただろう。
というわけで、見た目で一番小さい冷泉、そしてどう見ても一番デカい兄、そして真ん中に武部が巻き込まれる形で同じ椅子に座ることになった。
しかしギュウギュウ詰めではなくとも、個人個人の距離は近いわけで。
常に肩が触れあうようなことはないが、身じろぎひとつでもすれば肌が触れあう距離ではある。
なので何が起こるかというと、
「ちょっとメニューくれ」
「ひゃい!?」
兄が冷泉の近くにあるメニューを取ろうと手を伸ばすと、その間にいる武部は素っ頓狂な声を上げた。たぶん、兄の腕がわずかに武部の腕に当たったのだろう。別に強打したわけでもなく、ちょっと触れただけ。この状況では、何もおかしくないことである。あれだけ近ければ、それくらい普通に起こる。
おかしいのは、武部の反応のほうだった。
一々敏感というか、兄の一動作一動作に対してリアクションが過剰なのである。
はて、とみほは首を傾げた。あれはなんだろうか。
見た感じ、兄が何かしているようには見えない。今もぼーっとメニューを眺めているし、いたって普通な感じである。「あーこれ美味しそうー」以外何にも考えてなさそうな顔をしている。
となると問題は、武部の方だろうか。
みほはじーっと観察してみた。
「武部、そっちのも見せて」
「へぁ!?あ、こ、これですか!?」
「そうそう。こっち期間限定しか載ってなかった」
「は、はいどうぞっ」
「いや、渡さなくてもいいよ。机に置いてくれたら俺も冷泉も見えるし」
挙動不審、と言うほどではない。ただ明らかにいつもの武部ではない。
目線は泳ぎ、口調は早口で、頰はわずかに赤い。
チラチラ、と兄とメニューを交互に見ては、視線が合うとすごい勢いで逸らす。
……なんだろう、すごくデジャヴだ。みほは記憶を辿った。
つい最近、本当に今日くらいにあんな感じの人を見たような。
瞬間、みほの頭の中の電球が点灯した。
今の武部の姿と、今日出会ったばかりの金髪青眼の美少女の姿がバッチリと重なる。
まさか、とみほは仮設に思い当たった。
もしかして、緊張しているのだろうか。……武部が、兄に。
そんなばかな、とみほは首を振った。初対面のダージリンと違い、武部はもう何度も兄を見てるし、会話もしてる。最初こそキャーキャーと兄に黄色い歓声を上げていたが、神栖渡里が西住みほの兄であることを知ってからは、変に意識するような言動は見られなかった。普通の、例えば学校の先生と接するような、そんな距離感と関心だったはず。実際、ここに来るまでは何ともなかったし。
それが何で今更。
しかしみほは、あることに気づいた。武部は大洗
だからだろうか。武部は何事も恋愛に結びつけてしまうような、いわゆる恋に恋するお年頃。少女漫画はもちろん読み込んでいるし、なんなら階段3つくらい飛ばして結婚雑誌すらも読んでいる。とにかく恋とか青春とか、その辺にすごく憧れを抱いているのだ。
これらを踏まえて、今の状況を見てみる。
舞台はファミレス。横には年上の男の人、しかも属性は友達の兄。
配置は、少し動けばそれだけで肌が触れあうような、至近距離。息遣いだって聞こえちゃう。
一つのメニューを、二人(反対側にもう一人いるけど)で共有して見る、ためにちょっと顔が近いというこの場面。
みほは思った。結構、少女漫画チックじゃない?
そこまで思いつけば、答えは目の前だった。
普段は心理的にも物理的にも遠いところにいた渡里だったが、思わぬ形で急接近することになったため、武部の心の奥の方に沈んでいた
一度
とどのつまり武部は、兄を先生としてではなく、一人の男性として見ていたのである。
(………まぁ、そのうち慣れるよね)
そしてみほはメニューを見る作業に没頭しはじめた。よそ見ばかりしてないで、自分の分も決めてしまわなければ。
「いっぱいメニューがあるんですね……どれにしようか迷ってしまいます」
「そうですね~あ、これ美味しそうです!」
三人で肩を寄せ合いながらメニューを眺める。流石有名チェーン店の名前を冠するファミレス、かなり品揃えが豊富である。サラダからアイスクリーム、お酒まで置いてある。
パスタ、ハンバーグ、ピザ、その他諸々。ここまであるとなると、どうしても目移りしてしまうみほであった。
「どうしよかな……」
お昼ご飯を食べてからここに至るまで何にも食べていなかったので、空腹メーターはかなり高まってる。練習試合もしてるんだから、普段より割り増しでお腹ペコペコである。
となると、結構ボリュームのある品でも問題ない。すると、単品よりかはセットの方がお得なのでは。ここらへんのハンバーグセットとかとても美味しそうだし……
「お兄ちゃんはもう決めた?」
「ハンバーグセット」
被った。まさか兄もハンバーグ推しとは。
「ハンバーグは安牌だろ。嫌いな奴いないぞ」
「たしかに。ハンバーグ嫌いな人見たことないかも」
みほは不意に、少しだけ過去のことを思い出した。そういえば、黒森峰にもハンバーグが大好きな人がいたっけ。
「それに量多そうだし」
「それが一番の理由でしょ」
「そりゃな」
「食べ過ぎると太るよ」
まぁ、兄は絶対に太らないだろうけど。子どもの頃からよくご飯を食べる人だったが、体型が変わった所を見たことない。おそらく食べたもの全部、横じゃなくて上に大きくなるために使われてるんだろう。それこそお菓子だろうが何だろうが、である。女子からすれば羨ましい限りだ。
特に意味はなかったみほの言葉は、しかし別の人間にぶっ刺さった。
「………私この明太子パスタにする」
「さっきまでステーキセット食べようとしてなかったか、沙織」
ソンナコトナイヨー、と変な口調になる武部と、呆れたような視線を向ける冷泉。みほは自分の言葉が失言だったことを悟った。
「女子は大変だなぁ」
フォローしようとしたみほに先んじて、カラカラと笑いながら兄は言った。
いけない、とみほは手元のお手拭きを投げつけるべきか迷った。それは経験則による警鐘だった。
デリカシーのない兄がこれ以上話すと、何を言うか分かったものではない。そうなる前に口を封じなければ。しかしみんなの手前、あんまりはしたないことをするのは……
「でも今日くらいは遠慮せずに食べたほうがいいぞ。戦車道は激しい競技だから、選手の負担も大きいんだ。自分で思っている以上にエネルギーを消費してるはずだから、その分ちゃんと食べないと、どんどん細くなってくんだよ」
しかし渡里、ここで意外にも普通の発言。拍子抜けしたみほであった。
「や、痩せれるならそれもありかも……」
視線を逸らしながら口をもにょもにょする武部。
あのな、と兄は呆れたように言った。
「健康的な痩せ方じゃないんだ。調子は悪くなるし、身体も壊しやすくなる。これから本格的な練習が始まるっていうのに、そんなんじゃ困る」
あう、とぐうの音も出ない武部。しかし兄の言葉は、武部だけでなく全員に言っているような気がした。
「食べたいものを我慢してまで痩せることなんてないさ。それに痩せてるからって男性にモテるとは限らないし」
「ど、どういうことですか!?詳しく!!」
今日一番鬼気迫る表情の武部に、兄はつれなく言った。
「武部は今のままで大丈夫だってことさ」
みほからすると、兄のこの感じはかなり面倒臭がってる時の反応である。まぁ武部に辟易としているんじゃなく、ぐだぐだ語るのが嫌だったんだろうけど。それにしてももうちょっと取り合ってあげればいいのに、とは思う。武部さん、結構真剣だったよ。
しかし当の武部は、兄の言葉を誉め言葉として受け取ったらしく、えへへと笑顔を浮かべていた。……うん、複雑な気持ちだ。
「うーんうーんどうしましょう……これも美味しそう……あ、こっちも……」
チラ、と横を見るとウンウンと唸っている五十鈴がいた。食い入るようにメニューを見つめている。
「五十鈴殿は随分迷ってますね……」
「そうだね……秋山さんは何にしたの?」
「カレーライスです!」
わぁ、普通。イロモノ担当とか勝手に思っててごめんなさい、とみほは心の中で懺悔した。
横では腕組みをする兄と、眉を八の字にした五十鈴が何やら話している。
「なぁ、もう店員さん呼んでいい?」
「す、すいません……もう少しだけ」
「そんなに悩むことか」
ずずい、と兄は身を乗り出すと、五十鈴が見ていたメニューを反対から覗き始めた。
みほも横から同じところを見てみる。開かれているページにはセットメニューが並んでいた。兄が言う、ボリュームが多い品ばかりのページである。多いといっても女子には食べ切れないほどでもないが。
「どれで迷ってんだ?」
「えっと、コレとコレと……あとコレです」
兄の質問に、綺麗な指で一つずつ指し示して答える五十鈴。すると兄は「ふーん」と気の抜けた返事を一つして。
そして何でもない風に、
「じゃあ三つ全部頼めばよくね?」
と、まるで妙案を思いついたかのように言った。
「えぇ!?」
一同、驚愕。しかし渡里、自らの暴挙を気にした様子もなく、寧ろ当然とばかりに言い放った。
「決めきれないなら、決めなければいいんだよ」
「いやっ、それはそうなんですけどっ」
困惑する五十鈴。
兄の発想が馬鹿すぎて辛いみほであった。
「大丈夫大丈夫。食べきれなかったら俺が食べるし」
サムズアップしていい笑顔で言う兄。でも、と口ごもる五十鈴に、兄はトドメの一撃を繰り出した。
「それにどうせ俺が全部払うんだから。お前ら財布持ってないだろ」
○
そして結局、テーブルの上には八人分の皿が並ぶこととなった。五十鈴は最後まで遠慮していたのだが、渡里の「メニューに載ってるもん全部頼めるくらいの金はある」発言と、「年長者が奢るって言ってんだから大人しく奢られなさい」発言によって五十鈴含む全員が撃沈。
財布を持っている人間が本当に渡里しかいなかったので、どうあっても渡里が払わざるを得なかったというのが、みほ達が折れた理由でもあった。仮にみほ達が財布を持っていたとしても渡里は自分で全額払おうとしただろうが。
どうせなら、と渡里はサイドメニューまで頼もうとしたが、みほ達は全力で拒否。これ以上お金を払ってもらうわけにはいかない、という優しさと、お腹周りに対する心配が生んだ結果だった。
いざ皿が並んで食べ始めれば、「無料で食べるご飯ってすごい美味しいね」状態で全員舌鼓を打っていたのだから、現金なものであった。
ちなみに五十鈴が頼んだ三皿は、渡里と分割で食べられることになった。比率は五対五であった。五十鈴、見た目に反してかなり大きめの胃袋を搭載。
そんなこんなで渡里が大人として当然の義務を遂行し、みほ達から一定の感謝を捧げられることとなった夕食会は、腹ごなしの雑談タイムに突入していた。
女子とは話題が一つあれば、そこから何時間でも話せるものなのである。……渡里は男性だが。
その中で特に盛り上がったのは、名前に関する話題。
始まりは、渡里が神栖という自分の名字を呼ばれるたびに、むずがゆそうな反応をするところをみほに指摘されたところからだった。
「あんまり神栖って呼ばれ慣れてないからなぁ。なんか変な感じするんだよ」
「なんでそんなミエミエの嘘つくの」
戦車道の練習中は普通に呼ばれてるし、そんな素振り見せないでしょ。
ジトー、とみほは白い目を向けた。
しかし兄は手を振って、
「練習中はもうそういう心構えだから。今はプライベートじゃん」
上下ジャージの姿は、そりゃ誰が見てもプライベートだろうけど。
口調も普段と違って砕け気味だし。
「人生の大半はずっと下の名前で呼ばれてきたからさ、気が抜けてるとイマイチ反応できなかったりする時もある」
「そういうものなんですかね?」
「私はどっちでも返事できるけど」
「それは両方で呼ばれてるからじゃないか」
「私は『武部さん』で冷泉さんは『沙織』だもんね……」
名前でしか呼ばれないというのは、そう考えると結構稀な気がする。それだけ兄が特殊な環境で生きてきたということだろうか。
(あ、そっか……)
「でも神栖先生のお名前は、どこか不思議な響きですよね」
みほが不意にあることに思い当たった時と、五十鈴がそんなことを言ったのは同時だった。
「それに、何故かすごく聞き覚えがあるというか……」
「あー、大洗女子の人間なら俺の名前は結構聞き馴染みがあるかもな。地名的に」
「え??」
どういうことだろうか、と首を捻ったみほ。
しかし対照的に、他の四人は得心が言ったように歓声を上げていた。
ますます意味が分からず、疑問符を浮かべるみほに、渡里は苦笑しながら言った。
「茨城県には神栖市っていう名前の市があるんだ。大洗町から更に南の方で、字も一緒だぞ」
「あ、そうなんだ」
知らなかった、とみほは感心したように息を吐いた。
だから武部たちはあんなリアクションをしたのか。ずっと茨城県に住んでいる彼女たちなら、当然県内の市くらいは知っているはずだし、みほだって地元熊本の地名は大体言える。
「じゃあ渡里市もあるの?」
「そんな市は聞いたことがないなぁ。な、五十鈴?」
イジワル気に笑う兄に、眉を吊り上げて頬を膨らませるみほ。
話を振られた五十鈴は、困ったように笑いながら答えた。
「水戸市の中に、渡里町というところがあるんです。大洗町と比べるとすごく小さい町なんですけど……あ、字も神栖先生と一緒ですよ」
「え、じゃあお兄ちゃんの名前って……」
「全部茨城県にある地名と一緒ってことだな」
なんだその偶然、とみほは驚いた。熊本で生まれ育った兄の名前に、遠く離れた茨城の地と深い関係があるなんて。しかもその茨城県の学校で、戦車道を教えているとなると、少し運命的なものを感じる。
「華よく知ってたね?」
「私は実家が水戸にありますから」
「それにしてもすごい偶然ですね!」
「ほんとな。でも覚えやすいし、名前も呼びやすいだろ?」
暗に名前で呼べ、と言う兄だった。
公私で区別をつけることはできているが、本人的にはおそらく「渡里先生」で呼んでくれた方が楽なのだろう。みほは別に構わないが、他の人がそう呼ぶかどうかは、その人次第だろう。
しかし自分の兄が、自分以外の女子に名前を呼ばせようとしていることには、思うところがないわけではないみほなので、
「そんなに名前で呼ばれたいんだ?」
と、少し温度を下げた声で言ってやった。
すると手痛い反撃が待っていた。
「あ、なにやきもち?大丈夫大丈夫、お前普段『お兄ちゃん』呼びだし、アイデンティティはまだ守られてるぞ」
「そ、そんなこと言ってないよ!」
みほは声を上ずらせながら、か弱い反論を行った。迂闊だった。みほは舌戦で兄に勝った試しがなかったのだ。兄の言ってることは的外れもいいところだが、武部達がどう受け取るかは容易に想像がつく。
途端、おつかいをする幼稚園児を見守るような暖かい視線がみほに注がれた。
いけない、話題を変えなければ。みほが慌てて軌道修正しようとした瞬間、一歩早く兄が口を開いた。
「つーかお前の方こそ、いつまで名字呼びなんだよ」
「あ、え、だってみんな神栖先生って呼んでるし、お兄ちゃんも練習中は西住って……」
「そっちじゃなくて」
と兄は言って、ピンと立てた指をくるりと回した。
「武部達の方」
「………え!?」
言葉の意味を理解して、みほは誰の目にも分かりやすく狼狽えた。
いや、確かにみほは武部も五十鈴も冷泉も秋山も、名字で呼んでいる。
それは別になにか理由があってそうしてるわけじゃない。ただ最初から名字で呼んでいたから、切り替えるタイミングが見つからなかっただけ。
「過去は明かした、弱みも見せた。ならもうお前にとって武部達は、何よりもかけがえのない存在だろ。そんな人たちに他人行儀な名字呼びはどうかと思いまーす」
前半は真剣に、後半は茶化すような渡里の口調だった。
言い返そうにも、渡里の言うことは全て正しい。だから反論のしようがない。
こういうとき、兄の口の巧さをみほは思い知るのだ。心が読めるというのは、全く卑怯な話だ。
「あ!それいいじゃん!」
「いいですね、私もみほさんから名前で呼んでほしいです」
「私もです!」
「……私は、別にどっちでもいいが」
そして増援である。思わぬ所からの援護射撃で、みほは一気に不利に。
あと冷泉さん、どっちでもいいという割にはその期待するような目はなんですか?
「別に名前の呼び方で仲の良さを量れるとは思ってないけど、戦車の操縦はチームワークが命。乗員同士の仲は良いに越したことはない。お互い名前で呼び合えば、もっと仲良くなれるし、もっと戦車道が上手くなる。いいこと尽くめだと思うけどな?」
「む、むむ……」
トドメとばかりに兄は、戦車道の講師としての理由まで持ち出してきた。
逃げ道をどんどん塞がれてしまったみほは、もはや力なく唸るしかなかった。
断じて言っておくが、決して嫌なわけじゃない。武部達とはもっともっと、仲良くなりたいと心の底から思っている。
……ただ、こうも丁寧にお膳立てされてしまうと、変に恥ずかしいのである。
普通こういうのって、成り行きでいくものじゃないの?
内心で兄に精いっぱいのしかめっ面を送るみほは、しかしもはや覚悟を決めるしかなかった。
大きく息を吸って、南無三。
「さ、沙織さん!」
「うん!」
「華さん!」
「はい!」
「優花里さん!」
「はいです!」
「麻子さん!」
「ん」
おー、という感嘆の声と共に、パチパチパチ、と讃えるような拍手がテーブルの上で巻き起こった。
しかしみほは顔から火が出る思いだった。なに、この公開処刑。
斜め前では諸悪の根源たる兄が大爆笑していた。割と本気で殴っても許されると思うのだがどうだろうか。みほは正当な怒りを覚えた。
その視線に気づいたのか、兄は不意に笑うのをピタリと止めて、気まずそうに後頭部を掻いた。そして仕切りなおすようにコホン、と咳を一つして、
「良かったな、みほ」
なにが、という言葉が口から出る前には、みほはある思いに至った。
もしかして、最初からこれが狙いだったのだろうか。恥ずかしがり屋なみほは、きっと自分から「名前で呼びたい」とは言えない。たとえ、心の中でそれを望んでいても、きっとどこか遠慮して、それを実行に移せないだろう。
それを知っていたから、兄は――――――――
「な、名前で呼べるようぶふっあちょっとだめだ笑いが我慢できな――――」
みほは手元にあったおしぼりを、あらん限りの力を込めて兄に投擲した。
会心の一撃が兄のおでこに炸裂した。
○
「さっきから渡里先生の携帯すごく鳴ってますけど、大丈夫なんですか?」
「あぁ、これ」
さり気に『渡里先生』呼びをした武部は、不思議そうにテーブル上で振動する携帯を見つめた。
確かにみほもずっと気になっていたことだった。ほんとに、2分に一回くらいのペースでバイブレーションしていて、それが30分くらいずっと続いている。会話を止めてまで聞くことではなかったので皆スルーしていたが、いよいよ沙織は我慢できなかったのだろう。
兄は後頭部を掻きながら白状した。
「聖グロの隊長さんと連絡先を交換したんだけど、どうも筆まめ?な人だったみたいで」
「ダージリンさんと?」
うん、と兄は頷きながら携帯を操作した。
「こっちが一件返すと五件くらいメールが送られてくるもんだから追っつかないんだよな。だから時間を置いてまとめて返そうかと思って放置してる……まぁ気にすんな」
「そ、そんなに……」
普通の女子高生なら普通かもしれないが、あの聖グロ、それもダージリンが高速でメール打ちしている姿は、ちょっと想像できないみほであった。
「そういえば渡里殿は聖グロの人達に招待されたんですよね?どんな話をされたんですか?」
「大したことじゃない」
好奇心に目を輝かせた優花里に、兄は笑みを滲ませて言った。
「普通の話さ。少し昔話して、戦車道の話をして、世間話。それだけ」
「へーなんか意外かも。それってメールもですか?」
次は隣に座る武部が尋ねた。兄は携帯を置いて、背もたれに身体を預けた。
「大体はな。今さっき届いたのは、ちょっと違ったけど」
「どんな内容だったんですか?」
お淑やかに聞くのは、五十鈴だった。兄は冷泉と一緒に頼んだメロンソーダを飲みながら、メールの内容を諳んじる。
「『ティーセットを二つ御贈りしましたので、一つは渡里さんに。もう一つはみほさんに差し上げてください』……だってさ」
「ティーセット?私に?なんで?」
「さぁ?」
聖グロリア―ナ女学院が対戦相手にティーセットを贈る理由を、この時のみほと渡里は知らなかった。
オリ主の名前はこんな感じで決まりました。
オリ主への名前呼びは、あんこうチーム→会長→全員って感じでこの後広まっていきましたとさ。
西住殿の苗字呼び→名前呼びも、本作ではこのタイミングとなりました。
ダー様が携帯片手にずっとニマニマしながらポチポチメール打つの、可愛くない?
次回は秋山殿メイン回です。