戦車道素人集団を優勝へ導く138の方法   作:ススキト

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本編じゃなくて幕間。
毎回言ってますが、幕間は頭からっぽで書いてます。

台風で大変な目に遭っている人もいる中で、「不謹慎かなぁ」と思いながらも投稿することにしました。少しでもそういった人を元気づけることができれば幸いです。

本編が盛り上がっているところでもあり、文字通り水を差す話ですが、よろしければどうぞ。


幕間6 雨の日に

ザアザアと、はげしい雨っていうのは本当にそんな音がするんだな、とまほは思った。

視線の先、窓のむこうの景色はどんより雲でお昼とは思えないくらい暗い。

ホースで水をまいたみたいにガラスは濡れていて、もしここで少しでも窓を開けたら教室の中は大変なことになるだろう。

 

男子はそんな外の様子を見て、キャッキャと笑っている。

何が面白いのかまほにはさっぱり分からないけど、とにかく面白いらしい。

逆に女子は静かだ。「俺ぬれてかえる!」なんて馬鹿言ってる男子に冷たい視線を送ったりする子や、外の暗さと大きな音にちょっと怖がっている子もいる。

 

「どーしよ、わたし傘持ってくるのわすれちゃった」

「わたしもー天気よほうは雨って言ってなかったのにね」

 

ちょっとだけ盗み聞きをしながら、まほはもう一度外を見てみた。

雨の勢いは、全然収まりそうにない。しばらくはずっとこんな感じだろう。

しかしなんとも、見ているだけで少し気分が落ち込んでくるくらいの、大雨である。

まほは天気よほうを見ていないが、家を出る時にだれも何も言わなかったし、朝はすごく晴れていた。だからまさか、こんな風になるとは思いもしなかった。

 

「わたし雨きらい。服はぬれるし髪はボサボサになっちゃうし」

「どこにも遊びにいけないもんね。男子はちっとも気にしないけど」

 

ランドセルに教科書やノートを詰めながら、まほはちょっと考えた。

さて、どうしようか。

こんな雨が降るとはまさか思ってもいなかったわけだから、当然まほはこういう時ぜったいに必要なものを持ってきていない。

すなわち、傘である。あるいは、合羽である。

 

これらがなければ、おそらくまほは家に帰るころにはお風呂に入った時のようにずぶぬれになっているだろう。いや体がぬれるのはまだいいけど、ランドセルの中の物がそんな風になってしまうのは大変困る。

 

しかし傘はどこにもない。

いっしょに登校した妹も、まほと同じように持っていなかったら、二人で相合傘をすることもできない。かといってだれかに借りることもできない。

 

「まほちゃん。まほちゃんも傘ないの?」

「あぁ、わすれてきてしまった」

 

クラスメートに声をかけられて、まほはそちらを向いた。

クラスメートは「そうなんだ」と言いながら、とても嬉しそうな顔をした。

 

「わたしも傘わすれてきちゃったんだ!でもお母さんがむかえに来てくれるの!さっき先生が教えてくれたんだー」

「よかったじゃないか」

「うん!じゃあね!」

 

そう言ってクラスメートはランドセルを背負って教室から出ていった。

いったい自分は何を聞かされたのだろうか、とまほは首を傾げた。

 

しかしお迎えか。

たしかにその手はある。

でもまほには使えない手だった。

 

まほは知っている。

お父様は、今日は戦車のせいびがたくさんあるらしくて、帰ってくるのがおそくなると朝に言っていた。

お手伝いのきくよさんも、今日はどこかに行くらしくて夜まで帰ってこないらしい。

そしてお母様も、そう。

ずっとずっと忙しそうにしているお母様は、きっとむかえには来れない。

 

「………」

 

さびしくはない。

まほは戦車のせいびがとても上手なお父様が大好きだし、強くてかっこいいお母様も同じくらい大好きだから。

だからさびしくなんかない。二人がすごく頑張っているのをまほは知っているから、ちっともさびしくない。

 

キーンコーンカーンコーン、とチャイムが鳴った。

みんなまばらに教室を出ていく。

男子はぬれて帰る道を。

女子はだれかに迎えに来てもらう道をそれぞれ選んだらしい。

だれかの傘に入れてもらうことはできないようだ。どっちにしろ、そんな気もなかったけど。

 

ランドセルを背負い、教室を出て、階段を降りる。

下足箱で上履きと靴を履き替えて、外と中の境目にまほは立った。

 

雨は止んでない。止む気配もない。

どうしようか、とまほは立ち尽くすしかなかった。

家まで走れば、どれくらいぬれずにすむだろうか。でも、この雨じゃあんまり変わらない気がする。

 

暗く、重く、黒い空。

こんな日の空を、なんていうんだろう。

まほにはわからないけど、見ているだけで心が痛くなるのだけはわかった。

かなしいのか、さびしいのか、つらいのか、そのどれでもないのか。

 

ただまほは漠然と、独りはいやだと思った。

だれか、

 

「だれか、きてくれないかな」

「来たよ」

 

遠くの方で、声がした。

辺りを見渡す。だれもいない。

ただシャワーのように降り続ける雨と、それが地面を叩く音だけがまほの周りにはあって、だれもかれもそこにはいない。

 

気のせいだろうか。

視線を真正面に戻す。

 

――――そしてまほは、それを見つけた。

 

とてもよく知ったデザインの、何度も何度も見た中学校の制服。

まほよりずっと高い身長に、深い色をした髪。

するどい目つきの中には、まっくろな目。

よおく、よおく知っている男の人が、青い傘を持ってそこに立っている。

 

瞬間、まほは駆け出していた。

さっきまであった「ランドセルの中のものがぬれたらいやだなぁ」とか「風邪ひくかもしれないなぁ」とか、そういうの全部置き去りにして、砲弾みたいになってまほはひた走る。

 

ぐん、ぐんと加速して、二号戦車よりも速くぬかるんだ地面を駆けて。

助走の勢いそのままに、一直線。

まほはその人のお腹に飛び込んだ。

 

「お兄様!」

「ぐえっ」

 

ドン、とおでこがみぞおちにさくれつ。

トラックにひかれたカエルみたいな声を上げて、兄はまほの頭に手を置いてプルプルしていた。

 

「むかえにきてくれたのですかっ」

「うん、そして今迎えに来るんじゃなかったと後悔してる」

「ありがとうございますっ」

「聞けよ」

 

げんなりしてても、傘は手離さない。

雨が傘を叩く音に、兄の息づかいが混じる。

ぎゅっ、とまほは兄の背中に手を回した。身長差的に、腰か背中かわからないけど。

そしてぎゅーってすると、兄はまほの背中を二度叩いた。

それだけのことで、まほは心が少しあたたかくなった。

 

「待った?」

 

まほは首を横に振った。

そっか、と兄はまほをぺいっと引きはがした。

 

「雨ん中走ってくんなよなーそんなことしなくても近くまで行ってやるのに」

 

そう言いながら兄は、カバンの中からタオルを取り出して、まほの頭に被せた。

そしてポンポン、と軽く叩くようにして滴を取ると、次は身体を服の上からふいてくれた。

 

まほは上を見る。

 

まぎれもない、まほのよく知る兄の顔。

おこってないのにおこってるように見える、カッコいい顔。

お母様とは違うするどさがある顔。

まほの、好きな顔。

 

「しほさんから帰り途中迎えにいけって言われてさ。まほもみほも、傘持ってかなかったろ?」

「お兄様は持っていったのですか?」

「もちろん。雨降るって知ってたし」

「天気よほうでは晴れって言ってました」

「ばかだなぁ。そんなもんより外見りゃわかんだろ」

 

うりうり、と頭をくしゃくしゃに撫でられる。

少しくすぐったくて、まほは目を細めた。

見ればわかる、と言われてもまほにはさっぱりだけれど、今はそれよりこの感触を味わっていたかったので、まほは何も言わないことにした。

 

「はい拭けた。それじゃ帰ろか。みほは?もう帰った?」

「わかりません」

 

まほとみほは行く時は一緒だけど、帰りはそうじゃない。

まほにはまほの友達が、みほにはみほの友達がいるから、帰りはその子たちと帰ることが多い。

まだ教室にいるだろうか。もしかしたらこの雨の中走って帰っていったかもしれない。あの子はとってもやんちゃだから、これくらいの雨でも関係なしに突っ走っていってもおかしくない。

 

「お兄ちゃーーーーーーーーーーーーーんっ!!」

 

すると遠くから、学校全体に聞こえるんじゃないかというくらい大きな声がした。

思わずそっちを見る。

するとそこには雨にぬれるのも御構い無しに、ドチャドチャバシャバシャと泥と水を巻き上げながら突進する戦車がいた。

いや、戦車じゃない。あれほ、

 

「みーーーーーー」

「お兄ちゃんっ!!」

「ほげぇっ」

 

戦車みたいな、妹。

ぴょーん、とジャンプし、どーん、とぶつかって、ぎゅーっ、と首に腕を回して抱きつきプラプラと浮かぶ、元気120パーセントなおてんば娘。

まほと一文字ちがいの名前の、顔と名前くらいしか似てないとよく言われる、たった一人の妹。

 

「みほ、よかった。まだいたんだな」

「お兄ちゃんなんでいるの!?むかえにきてくれたの!?あ、お姉ちゃんもいる!」

 

ぐいんぐいん、と身体を振りまわすみほ。

たぶん兄の首が大変なことになってるが、それでも傘は落とさないし、みほの体もしっかり受け止めている兄はすごいと思った。

 

「傘をわすれてただろう?だからお兄様が迎えにきてくれたんだ」

「そうなんだ!ありがとお兄ちゃん!」

「………うん」

ぼそり、と何かをつぶやいて、兄はみほを降ろした。

 

「ってかみほ、なんでそんな濡れてんだよベチャベチャじゃん」

「へ?」

 

まほはみほを見た。

髪の毛はしっとり、服はビッショリ、肌にはところどころどろんこが。

母が見たら何も言わずお風呂場に叩きこみそうな、そんな有様だった。

 

するとみほは「えへへ」と一つ笑って、

 

「さっきまで外で遊んでたの!」

「あほか」

「あいた!」

 

ズビシ、と兄のチョップがみほの頭に直げきした。

 

「こんな時に外で遊ぶな!風邪引くだろ!」

「えー、でもこんなに雨がふることってないもん!」

「男子か!」

 

ギャイギャイと一つ傘の下でくり広げられる小さな争いは、まほの耳から雨の音さえ消していく。

どんな雨が降っても、どんなあらしが来ようとも、きっとこの傘の下の世界は変わらない。ずっとずっと、この景色はまほの近くにある。

まほはちょっとだけうれしい気持ちになったので、少し笑った。

 

「あーもうこんなちっちゃいタオルじゃ追っつかねぇな」

 

ぐしぐし、とまほの時とは違ってちょっと激しく、兄はみほの頭をタオルでふいていく。

その下のみほの顔は、頭をなでられてる犬みたいにうれしそうである。兄はとてもあきれてるけど。

 

「いいや、終わりっ。あとはもう家帰って風呂入れ」

「えー、じゃあお兄ちゃんも一緒に入ろ!」

「やだよ、俺濡れてないもん」

「ケチー」

「ケチじゃありませんー」

 

そうして二人は、どちらからでもなく笑った。

雨の中、太陽みたいに笑う妹と兄。

つられてまほももっと笑ってしまった。

 

「よし、帰るぞー!」

「おー!」

「お、おー」

 

傘を上に突き上げる兄。

元気よく右手を突き上げる妹。

二人に挟まれたまほは、ちょっと恥ずかしかったので小さく左手を突き上げた。

 

そして一つの傘に三人入って、仲良く歩き始める。

真ん中は傘を持つ兄。その左側はみほで、右側はまほ。

ゆっくり、ゆっくり、雨の中を歩いていく。

 

「ねぇお兄ちゃん、帰ったら戦車ゲームしよ!」

「えーまたかよ。みほ弱いからなーやってても面白くないんだよなー」

「むー、今日はちがうもん!すっごい作戦かんがえたんだから!」

「へーどんな?」

「こっつん作戦!」

「弱そう」

 

キャーキャー言いながら歩くみほの反対側で、まほはとっても静かに歩く。

ふと、左ななめ上を見た。

 

兄は右利きだから、何かを持ったりする時は右手で持つことが多い。

おはし、本、電話、おかしを食べる時も当然右手。

だから()も、右手で持つ。

今も、そう。兄の右手は、傘が独占している。

 

「………」

 

まほは反対側を見る。

ニコニコとしながら歩くみほの右手、その先にあるのは兄の左手。

ちっちゃい手とおっきな手がしっかりとにぎり合って、一つの橋ができている。

 

「………」

 

まほは前を見た。

それはよそ見歩きしないためのもの、ではなかった。

 

いいんだ。だってまほは、みほのお姉ちゃんだから。

一年早く生まれたまほは、みほより一年多く甘やかしてもらえた。

だからその分、みほは誰かに甘えさせてもらうべきなんだ。

それにお姉ちゃんは、妹に優しくしないといけない。

母や父が自分よりもまほたちを大事にしてくれるように、まほもまた自分より妹のことを大事にしなければならない。

 

おかしはみほに一つでも多くあげて、アイスの当たりが出たらゆずってあげて、みほがこまってたら手を引いてあげる。

みほが好きなことを好きなだけできるように、まほはちょっとだけガマンをするのだ。

 

それが、お姉ちゃん。

だからまほは、()()()()()()()()()()()いい。

だってその分みほが、兄と手をつないでいられるんだから。

 

「………みほ、肩車してやるよ」

「へ?どうしたの急に」

「いいからいいから、ほら傘持って」

「お兄様?」

 

兄は突然立ち止まり、変なことを言いはじめた。

傘を押しつけるようにしてみほに渡し、みほの体をひょい、と持ち上げて少しかがむ。

そして、

 

「合体!」

 

チャキーン、という音はしなかった。

しなかったけど、みほの体はとても高いところにいった。

 

「わぁー!高―い!」

「これでだいたい常男さんと同じくらいだな」

「お父さんと?へぇー、こんな風にみえてるんだー」

「そうそう。あ、こらちゃんと傘持てそんな高く掲げるな。濡れる濡れる」

 

ぶおんぶおん、と傘をゆらすみほと、つられて体がゆれる兄。

みほが楽しそうで何よりだけど、いったい兄は何がしたかったのだろうか。

まほは首を傾げた。

 

「よーし!行けーお兄ちゃん!ぱんつぁー、ふぉー!」

「おー」

 

みほのかけ声で、兄が発進する。

 

よくわからないけど、まぁいいか。

そんな風に考えて、まほも歩こうとする――――――よりも早く、まほはだれかに引っぱられて前に進んだ。

そしてようやく気付く。自分の左手を、だれかがつかんでいることに。

いや、だれかなんてわかりきっていることだった。今まほと手をつなぐことができる人なんて、一人しかいないんだから。

 

左手の先。そこにあるのは、自分よりも一回りもふた回りも大きな手。

ゴツゴツしてて、ちょっと冷たくて、でもじんわりとあたたかくまほの手をつつんでくれる、そんな手。

 

「あめあめふれふれーかーさんがー♩」

「じゃーのめでーおむかえうれしいなー」

 

兄が、手をにぎってくれていた。

何も言わずに、だまって、まほのちっちゃな手を。

 

心の声が聞こえたのだろうか。それとも、たまたまだろうか。

しかしまほはすぐに、どっちでもいいかと思った。

ただ前も見ずに、自分と兄をつなぐ橋をながめる。

 

いつだってそう。

兄は、とっても優しい人なのだ。

まほがしてほしいと()()()()はすなおにやってくれないのに、してほしいと()()()()はすぐにやってくれる。

まるで心がつながってるみたいに。

 

うれしい。うれしい。うれしい。

雨が降っているから体はさむいのに、心はこんなにもあったかい。

 

ほっぺたがユルユルになるのが、まほは自分でわかった。

きっと、へんな顔になってる。でも、いいや。

 

きゅっ、とまほは左手を強くにぎった。

すると、同じくらいの力で、きゅっ、とにぎり返される。

それだけのことで、こんなにもしあわせな気持ちになれる。

 

「ぴーちぴーち♩」

「チャープチャープ」

「らん!」

「ラン」

「……らん♩」

 

三人は歩く。

歌いながら、笑いながら、手をつなぎながら、楽しく歩く。

わんぱくな妹と、遠慮しがちな姉と、優しい兄。

そんな関係を描きながら。

 

 

 

 

 

ところで帰り道、兄は言った。

 

『うーん、この雨夜までいきそうだな。雷降るかも』

 

その時まほは、兄が「痛い痛い」と言うくらいに兄の手を強くにぎってしまった。

雷。

はげしい雨といっしょに、ヤツも来るらしい。

 

まさか、とまほは思った。

 

しかしこういう時、兄の言うことはぜったいに当たる。

本当にふしぎなことに、100パーセント当たる。

なぜかわからないけど、当たってしまう。

こんな風に。

 

「………っ」

 

ゴロゴロ、ドッカン。

遠くの方で、その音は聞こえた。

まほはふとんの中に頭まですっぽり入って、枕を抱きしめた。

 

こわくはない。ほんとうである。

だってまほはお姉ちゃんだから。小学二年生だから。

カミナリがこわいなんてことは、ぜったいにないのである。

 

ただこれは、そう。

カミナリがうるさくて眠れないから、ふとんの中にもぐって少しでも静かにしようとしているだけ。

ガタガタバンバンという窓や、ゴロゴロとおこってるカミナリから逃げようとしているわけではない。

だってどんな時でも逃げないのが、西住流だから。

 

「………っ」

 

ゴロゴロ、ドッカン。

まほはまくらをぎゅーっと抱きしめた。

それで何かが変わるわけじゃないけど、とにかく抱きしめた。

 

小学生になってからまほは、みほといっしょに使っていた部屋から自分一人だけの部屋にお引っ越しした。

自分から出ていきたいといったわけじゃなく、母からそうするように言われたからである。

 

別にまほは今のままでよかった。みほといっしょにいるのが楽しかったから。

でも母にはダメと言われたので、兄に聞いてみたところ、「西住家の風習じゃね」と言われた。

ふうしゅう、というのがなにかは、まほには分からなかったけど、兄が「良いことだよ」と言ったからまほはそれを受け入れた。

 

広い部屋。だれにも、なんにもされない自分だけの部屋。

いいことはたくさんあったけど、わるいこともすこしあった。

よくもわるくも、ここではまほ一人しかいられないのだ。

 

「……?」

 

ふとゴロゴロ音がしなくなったので、まほは頭だけふとんから出してみた。

そして窓の外を見る。

そこにはザァーザァーと降りつづける雨。でも少しだけ、さっきよりマシになっている。

 

『まぁ、明日の朝には止んでるだろ』

 

まほは兄の言葉を思い出した。

そうだった。この雨も雷も、ずっとつづくわけじゃない。

明日の朝には止んでいるということは、この夜の間には雨は止むということ。

そしてそれは、お日様が出てくるとの同時とは限らない。今止んだって、おかしくはないのだ。

 

まほは上半身までふとんから出し、大きく息をはいた。

まったく、めいわくな天気である。さんざんうるさくしておいて、気がすんだらかってにどこかに行って。みほでももうちょっとおとなしい……かは、ちょっとわからないけれど。

しかしまぁ、これ以上まほの眠りをじゃましないと言うなら、ゆるしてあげよう。

まほはお姉ちゃんだから心が広いのである。

 

 

 

ピカッ。

ドカーン!!!

 

ガタガタッ。

ガチャバタン。

ドタドタドタドタ……。

 

 

 

 

 

「……それで逃げてきたわけか」

「にげてません。せんりゃくてきてったいです」

「それ昨日教えてあげたやつじゃん」

 

まほは兄の部屋に来ていた。

兄の部屋はとにかくちらかっていて、本本本たまに服、みたいな感じ。全部出しっぱなしにされていて、片づけのかの字もない。

そんな、母が見たらとてと怒りそうな部屋のまんなか、ベッドの上にまほと兄は座っていた。

壁にもたれる兄、の股の間に座って胸にもたれるまほ、という図である。

 

あいかわらず外はうるさい。

でも兄がいるだけで、こんなにも気にならなくなるのは、ふしぎなことだった。

 

「カミナリが怖いねぇ。音だけなら戦車のほうがよっぽど大きいと思うけど」

「ぜんぜんちがいます」

 

ぎゅっ、とまほはいっしょに持ってきたまくらを抱きしめた。

兄にはわからないかもしれないが、まほにとってはぜんぜんちがうのである。

 

「戦車はドーン、で雷はドカーン、です」

「ドーンとドカーンの違いとは……」

 

兄はケラケラと笑った。

 

「……お兄様はなんの本をよんでたのですか」

「んー?」

 

まほは話題を変えることにした。

視線の先、まほの目の前には、兄の両手と一冊の本があった。

正確に言うと、兄と本の間にまほがむりやり割って入っていったから、本の方が先にいたのだけど。

 

「戦車の図鑑だよ。世界中の戦車が載ってるんだ」

 

ぐい、と兄が少し身を起こした。

するとまほと兄の姿勢がちょっとだけ前のめりになる。

そしてぽん、とまほの頭の上に兄のあごが乗っかった。

ほんのちょっと重み。でも、しあわせな重みだった。

 

「まほはドイツの戦車はわかるよな?これが普段乗ってる二号戦車、それが進化した三号戦車。名馬って言われた四号戦車に、三号と四号が合体して生まれた五号戦車、パンターって呼ばれてるやつだな」

「パンターは好きです」

「まほが好きなのはパンターF型。設計上の最終形態で、実際には量産されなかったんだ。でも戦車道にはギリギリ参加できるから、いつか乗れるといいな」

「お父様に買ってもらいます」

「常夫さん頑張れ……いくらするのか知らないけど」

 

まほは本の1カ所を指差した。

 

「お兄様が好きなのはこのティーガーですよね」

「お、そうだよ。戦車道をあまり知らない人でも、ティーガーは知ってるって人はいたりするよな。それくらい有名な戦車だ」

 

ティーガーI。

兄が言うには、世界最強の戦車と呼ばれたこともあるらしい。

 

「硬い装甲。高い火力。シンプルで、だからこそ誤魔化しが効かない。誰が乗っても強いわけじゃないけど、使いこなせばどんな戦車にも負けない。そんなカッコいい戦車だよ。いつか俺も乗ってみたいな……」

 

まほにはチラと兄の顔を見た。角度的に全部は見えなかったけれど、それでもわずかに見えた兄の顔は、うれしそうで、でもかなしそうだった。

 

まほには、なんで兄がこんな顔をするのかわからない。

それが、まほが子どもだからなのか、別の理由なのか、それすらもわからない。

 

でも、兄のこんな顔は見たくないと、それだけははっきりと分かった。

 

「お兄様」

「うん?」

「私が、ティーガーに乗せてあげます。お父様にティーガーを買ってもらって、お兄様を乗せてどこへでも連れていってあげます。お兄様の行きたいところに、いつでも連れていってあげます。だから……」

 

その後の言葉は出てこなかった。

代わりに、ぎゅっ、と兄の腕をつかむ。

答えは、息づかいとともに返ってきた。

 

「……ふふ、そりゃ楽しみだなぁ」

 

兄は笑った。うれしそうに笑って、まほの頭に乗せたあごにちょっと体重をかけた。

 

「でもいいよ。まほは、まほの好きな戦車に乗りな。俺のためとか、そういうんじゃなくてさ」

 

兄は本を置いた。

そして空いた両腕が、まほの体に巻かれる。

前のめりの体は、再び元の体勢に戻った。

 

「まほはお姉ちゃんだから、みほのために色々我慢しなきゃいけないこともあるかもしれない。まほが偉いのは、それをちゃんと分かってて、実行できてること。でも、ちょっと行きすぎかなってお兄ちゃん思うな」

 

とくん、とくん、と兄の心臓の音が聞こえる。

ふしぎとそれに心地よさを覚えるまほがいた。

 

「みほの前だけじゃなくて、しほさんや常夫さんの前でもそういう風にしてるだろ。俺がまほのくらいの頃なんてさ、もっともっと聞き分けなくてみほよりヤンチャだったよ」

 

みほよりヤンチャな兄。まほにはちょっと想像できないけれど、いろんな意味でたいへんな子どもだったにちがいない。

 

「それに比べたらまほはすごいよ。でもさ、まほはみほのお姉ちゃんだけど、俺の妹でもあるわけじゃん」

 

兄はあたりまえのことを言った。

そしてほんのちょっとだけ、両腕の力を強くした。

 

「だからもっとワガママ言っていい。自分のことを考えていい。しほさんも常夫さんも、きっとそう思ってる」

 

じんわりと、その言葉はまほの心にしみこんでいく。

優しい声色。

父とも、母ともちがう、ふしぎなあたたかさ。

それが、まほの心を解いた。

 

「……じゃあ、ずっといっしょにいてください」

 

それはウソ一つない、まほの心からの言葉だった。

まほにとっては、兄のいない世界なんて考えられないことだから。

だから、グーっと兄の胸におもいっきり体重をかけて、まほはワガママを言う。

 

「ずっと、ずっと、この先ずっと、私といっしょにいてください」

「んー、それはできないかも」

 

まほはほっぺたをふくらませた。

 

「話がちがいます」

「なんでも言うことを聞くとは言ってないし。それにできないことはあるよ。鳥みたいに飛べったってできっこないだろ?」

 

むー、とまほはうなった。

口げんかで、まほは兄に勝ったことは一度もない。兄に通用するのは、母から教えてもらった『なきおとし』だけである。

 

「ずっと一緒は無理だけど、今日くらいはいいよ」

「いやです。明日もいてください」

「……はいはい」

 

そして二人は、布団の中で横になった。

時刻はすでに23時を回りつつあり、それは中学生と小学生が起きてていい時間ではなかった。

電気を消し、部屋の中は外と同じくらい暗くなる。

しかしまほは、ちっとも怖くなかった。

 

「なぁ知ってるか、まほ。クーゲルパンツァーは火星人が地球に置いてったオーパーツなんだ」

「いせいじん」

「だからあんな変な見た目してるんだ。ちなみにイギリスにはそういうのがたくさんあるんだぞ。パンジャンドラムとか」

「たくさん」

 

こうやって触れることができる暖かさが、そこにある限りは。

まほは何にも怖くないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「隊長、今日の練習の中止を伝えてきました」

「あぁ、すまない。流石にこの雨じゃ、少し危ないからな」

「いえ……あの、どうかされましたか」

「どうした、急に」

「少し、気落ちしてるように見えましたので」

「………そんなことはない、が。少し昔のことを思い出していた」

「昔……ですか?」

「あぁ、知ってるかエリカ。クーゲルパンツァーは、火星人が地球に置いていったオーパーツなんだそうだ」

「は、え、……はい?」

「昔、そう教わったんだ」

「あの、隊長……騙されてますよ、それ」

「――――――――知ってるさ。でも、それが私にとっての真実なんだ」

 

 

 

 




ちなみに原作のまほさんはちゃんと自分を持っている人です。
本作ではオリ主がいるせいで変な感じになっています。

「まほさん好きな戦車はパンターなのになんでティーガー乗ってるんだろ」という疑問は誰しもが一度は抱くものですが、本作ではこんな風に解釈しました。

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