戦車道素人集団を優勝へ導く138の方法   作:ススキト

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アンツィオ戦の最中ではありますが、久しぶりに幕間の話です。
たまにはこういう季節に沿ったネタをやるのも良いですよね。
水着回の話とか、書いたはいいもののシーズン過ぎてお蔵入りしたけど。

此度より本編と幕間は完全に分けることにしました。
時系列は前書きなりに書いておきます。徐々にですけど。


幕間7 「平凡だけど普通じゃない幸せ」

「菊代さーん!!」

 

ドコドコドコ、と廊下を派手に踏み叩く音と一緒に、そんな元気100%な声が響く。

その時菊代は前を見ていたので、背後から近づく何者かの姿は見えない。

けれどその音だけで、菊代は後ろから誰が近づいてきているのかを理解した。

 

振り返り、柔らかな笑みと声色を以てその子の名前を呼ぶ。

 

「みほお嬢様」

「菊代さん!おはよう!」

「はい、おはようございます」

 

時刻は午前九時。

誰もが活動的になり始める時間だがこの少女に関しては、他の人の数倍はエネルギッシュ。輝く陽のような笑顔につられて、菊代もまた口角が自然と上がった。

土曜日という二連休の始まりということもあってか、西住みほはいつもより割り増しで元気に見える。

西住家の使用人ということで土曜だろうが水曜だろうが変わらず働く菊代には分からないが、やはり休みの日というのは違うものだろうか。

 

学生時代を思い返して、少し逡巡する菊代であった。

 

「菊代さん、おはよう」

「あ、まほお嬢様も。おはようございます」

 

すると次は、西住みほとは対照的に、あまりにも静かに現れた影があった。

実母の血をより濃く受け継いだのか、菊代の主人にそっくりな顔立ちをした、理知そうな子。

さながら太陽のような西住みほとは違い、月のように静謐な少女の名前を、西住まほと言った。

 

二人は菊代の主人、西住しほの実子であり、この西住流家元における歴としたお嬢様である。

当然使用人の身分である菊代よりも上の立場になるわけだが、幸いにも二人は菊代のことを慕ってくれているようで、ぞんざいに扱われたことは未だ一度もない。

 

しかしだからといって菊代の方から、過剰に馴れ馴れしくすることはできない。

こんな小さく可愛い子達であっても、将来はこの家と名を背負う者。

その身には戦車道界に覇を唱える西住の血が、しっかりと、それも色濃く受け継がれているのだ。

だから菊代は、決して仕方なく畏まっているわけじゃない。

自分なんか足元にも及ばないであろう才に、唯々敬意を払っているのだ。

自分もかつて戦車乗りであったが故に。

 

「どうされましたか?」

 

この二人が二人でいることは、決して珍しいことじゃない。

学校の登下校は勿論、時間と機会が許す限りは、二人は一緒にいる。

何処へ行くにも何をするにも、本当に一緒だ。

 

まぁ西住を継ぐ二人の仲が良いのは、菊代にとっては大変喜ばしいことだ。

仲が悪いより何百倍もいい。この世界、に限らずこういう名家には往々にして骨肉の争いというのは存在するが、当然無いにこしたことはないのだから。

 

(……まぁそこにはもう一人いますけどね)

 

ここにはいない、西住しほの長男の姿を思い浮かべながら菊代は笑みを深めた。

 

「あのね、もうすぐ()()()()()()でしょ!?」

「あぁはい、そうですね」

 

そうか、もうそんな時期か、と菊代は矢のように過ぎゆく時の流れに思いを馳せた。

 

バレンタイン。

それは様々な風習を持つ文化だが、ここ日本においては、主に女子から男子へとチョコレートを渡す文化として知られている。

決してイギリスの戦車のことではない。

そんな鉄の匂いがするものじゃなく、寧ろ甘酸っぱい恋の香を日本中に漂わす、ピンク色のイベントなのである。

 

最近は友チョコとかなんとか言って、色恋は薄れつつあるが、それでも未だに日本ではカップルの仲を深める、あるいはカップルを量産する文化だ……菊代ももうあまり分からないけれど。戦線離脱してからが長すぎて。

 

「それでね、実はチョコレートを作りたくって」

「私とみほだけじゃ作れないから。菊代さんの力をかりたい」

「それは……」

 

なるほど、と菊代はいずれ来るであろうと思っていた日が、遂に到来したことを悟った。

手作りの、チョコレート。そしてバレンタイン。

このワードを並べて見て、果たしてそのことに思い至らない人間がいるのだろうか。

 

実に喜ばしいことだ。

8歳と7歳にしては少しマセすぎていないか、と言う人間もいるだろうが、菊代は決してそうは思わない。

いくら花より団子、花より戦車な二人であっても、あの西住しほの娘。

本人の前では決して、というかどこにいても大きな声で言えないが、そういう男女の関係に関しては誰よりも貪欲……じゃなくて意欲的!であってもなんらおかしくはない。

 

そうでなければ旦那様も、そしてこの二人も今ここには存在していないだろう。

撃てば必中、守りは硬く、進む姿に乱れ無し。

西住の女は戦車に乗っていようが降りていようが、常在戦場の天下無双なのである。

 

「良いことですね。どなたに送るのですか?」

 

チョコレートの作り方を指南することに関しては何の異論もない。

菊代としては喜んで引き受ける。年齢的にも大人が一人いないと危ないし。

ただ、別に駄賃をねだるわけではないが、誰に送るかどうかは聞いても許されるだろう。

 

えぇ、決して邪な気持ちがあるわけじゃなく。これは大事な大事なお嬢様方に悪い虫がつかないようにするための、いわば護衛である。

もし名前を聞いて、それが禄でもない人間であったなら、その時はあらん限りの手段を以て排さねばならぬ故に。

 

「お兄ちゃんだよ!!」

「お兄様です」

 

そっちかーい。

 

 

 

 

『菊代さんにはお兄様がどんなチョコレートが好きかを聞いてきてほしいんだ』

『お兄ちゃんが一番好きなチョコレート作りたいの!』

 

というわけで菊代は、お嬢様二人から重大な任務を賜る運びとなった。

普通に二人で聞きに行けばいいのでは、と思い進言してみたのだが、どうも二人には企みがあったらしく。

 

『さぷらいずしたいから!』

 

こっそり作って、かの人を驚かせたいのだと言う。

まぁそれは大変結構なことだが、そこでなぜ菊代が採用されたかというと、単純に二人ではバレてしまうからである。

妹の方はもういわずもがな。隠し事なんて絶対にできない。すぐ顔に出るから。

姉の方は結構ポーカーフェイスだが、それでも()()()相手には分が悪く、おそらく見抜かれる。

 

というわけで菊代の出番と相成ったわけだが……

 

(結構難しいですよね……)

 

主人、西住しほの元に仕えて数年。

戦車道の名門の次期家元ともなれば、当然相手にする人間も並みではない。

彼女に付き従う菊代も魑魅魍魎、跳梁跋扈の手合いと対峙し、それはもうお嬢様方には聞かせられないような戦を繰り広げたことも何度かある。

故に経験は豊富。舌戦においてはそこそこできるという自負もある。

 

ただそんな菊代を以てしても、自信満々に「任せてください」とは言えない相手というのが、かの人なのである。

 

おおよそ、大事を成す人間というのは常人とはかけ離れたものを持っている。

例えば幼少の頃から異常に理知的であるとか、慧眼の持ち主だとか、とにかく何かが()()とは違うと周囲に思わせるような、そんな人間が得てして天才だとか異才だとか言われる。

かのお兄様は、どちらかと言うとそういう人間寄りだ。

勿論菊代は、彼の事を怪物だとか化物だとか、そんな風に思ってはいない。

普通の男の子のように笑い、怒り、悲しみ、喜ぶ、そんな姿を何度も見てきたから。

 

ただ時々、ふとした瞬間に菊代は思わされるのだ。

 

――――あぁ、やっぱりこの子は普通とは違う、と。

 

片鱗、とでもいうのだろうか。

何か巨大な、それこそ菊代の想像もつかない程のナニカ。

その一部が時折、そして確実に顕現する時を菊代は何度も見てきたし、その度に背筋を凍らせた。

 

そしてその()というのが、よりにもよってこういう時に多いのだ。

 

「隠し通せるでしょうか…」

 

眼力、とでもいうのだろうか、ああいうのは。

彼の眼はとにかく、()()()事に関しては超一級品。

人の心、人格、物事の本質など、あの眼は森羅万象を見通す。

隠し事なんて一番できない相手だと菊代は思う。

そのあまりにも透徹した眼の恐ろしさたるや、間違いなくあと数年もすれば菊代なんて足元にも及ばない傑物になるだろう。

 

そんな未来の怪物を相手に、これから菊代は挑まなければならない。

バレンタインが近いということ、お嬢様二人がそれに備えてチョコレートを作ろうとしていること、そしてそれを渡す相手が彼であること。

これらを絶対に気づかせず、彼のチョコレートの好みを聞く。

 

「渡里様、菊代です。いま少しお時間よろしいでしょうか?」

 

割と無理ゲーじゃないだろうか、と思いながら菊代は彼の部屋の前に立ち、ノックと同時に彼の名を呼んだ。

しかしやらねばなるまい。他ならぬ、あの二人の為なのだから。

 

「…………………」

 

しかし応答はなかった。

はて、と菊代は首を傾げた。

土曜日とはいえ、時刻はもう午前10時に迫ろうかというところ。

流石の彼ももう起きているはずなのだが。というか起きてないと菊代の主人が黙ってないと思うのだが。

 

「渡里様?渡里様―?」

 

念のため、もう一度ノックをしてみる。

しかし依然、応答はなし。

 

数秒逡巡して、菊代はドアノブを回した。

 

「渡里様、失礼いたします」

 

そして一息、ゆっくりとドアを開けた。

 

「渡里様?」

 

部屋の中を見渡す。

相変わらず、というのは失礼かもしれないか、あまり綺麗にされていない部屋である。

とにかく至る所に物が散っていて、そこそこ広いはずの部屋がやけに狭く感じる。

そしてまた、散っている物のほとんどが戦車道に関する物というのかいかにも彼らしいところだが……肝心の本人の姿がそこにはなかった。

 

「留守ですか…」

 

うーむ、と菊代は頬に手を当てて息を吐いた。

彼は別に日がな一日部屋に篭っているわけではない。普通に外に出かけたりもするし、なんなら朝に出てって夜遅くまで帰ってこないこともある。

だから部屋にいないこと自体は珍しくもないのだが、果たして問題はどこに行ったか、である。

 

菊代の知る限りでは、友人と遊ぶといった話は聞いてない。

だから多分、いつもの衝動に任せた突発的な外出だろう。

そうなると困った事に、彼はいつ帰ってくるか分からない。こういう時の彼は決まって気分で行動しているから、帰りたいという気分にならなければ本当に帰ってこないのだ。

 

チョコレート作りは結構時間が掛かりそうだし、できるなら昼一に始めたい。

それが無理となると、別日にするしかないが……そうこうしている間にバレンタインは来てしまう。

 

少し考えて、菊代はとりあえず手当たり次第に聞いて回ることにした。

もし所在がわかって、それが近くならば出向いた方がいいだろう。

 

くるっ、と踵を返して、

 

「あれ、菊代さん。なにしてんの?」

「わぁっ」

 

くるり、とそのまま一回転しそうになった。

 

「わ、渡里様」

 

彼が、いた。

綺麗に整えられた髪に、宇宙みたいな色をした瞳。

すっかり声変わりをして、少年から青年へと変化する真っ最中の、西住しほの長男。

 

「俺に何か用だった?」

 

西住渡里が、薄い笑みを浮かべながらそこに立っていた。

 

「お、驚かせないでくださいっ」

 

僅かに乱れた鼓動を抑えつけながら、菊代は抗議の視線を送った。

すると彼はあまりにも屈託のない笑顔で「ごめんごめん」と謝る。

 

もう、と小さく息を吐いて、菊代は改めて彼を見やった。

 

身長は、もうすっかり抜かされてしまった。

初めて会った時は菊代の腰ほどしかなかったのに、いつのまにか彼の顔は菊代の視線の上にある。まだまだ成長期の最中だし、もう一、二年もすれば頭二つ分くらいの差が生まれてしまうだろう。

身体の成長に伴って、顔つきもどことなく大人びつつある。

目つきが()()()に似て鋭すぎるが、それを差し引けば整った顔立ちだ。

しかしそこそこ女の子にモテそうな見た目なのに、そういう話が一切聞こえてこないのは、やっぱり彼の心をたった一つのものが独占してしまっているからだろうか。

 

「……あら、渡里様お顔が」

「あぁ、油?さっきまで常夫さんと一緒に戦車弄ってたからさ」

「旦那様と?」

「そうそう」

 

ちょっと呼ばれて、と彼は腕で顔を拭いながら答える。

 

それはまた珍しいこともあるものだ、と菊代は思った。

西住しほの夫である西住常夫は、腕利きの整備士である。西住家にある戦車の大体は彼が整備しており、また彼の腕を頼って各地から整備依頼が届くことも多々あることから、整備の腕がどれほど優れているかが分かる。

 

しかし彼は、あまりそれを人に見せたがらない。

勿論「見せてくれ」という頼みを無下にすることは決してないが、自分から「見に来い」ということもまた決してないし、手伝いを乞うことも滅多にない。

 

まさかそんな彼が、という思いが顔に表れていたのか、あるいは早速彼の眼力が力を発揮したのか、渡里は苦笑交じりに答えた。

 

「俺が前々からせがんでたんだよ、整備見せてくれって。そうやって言わなきゃ、常夫さん絶対にやってくれないからね」

「あぁ、なるほど」

 

そうかそうか、まぁそうだろうな、と思いながら菊代は頷いた。

しかしまぁ、本当に戦車道が好きな子だ。

何をしている時よりも、戦車道をしている時が一番いい顔をする。

その辺もやはり()()()の血筋だろう。

 

「それで?結局何の用だったの?」

「あぁ、えーと……」

 

どうしようか、と菊代は逡巡した。

一体どういうアプローチで攻めるべきか、一応いくつか考えてきてはいるが、どれが最適なのだろうか。

 

 

プランAとしては、今度お客様に出す茶請けの試作の味見と称して、彼に様々か甘味を食べさせてそこから好みを探っていく。

問題点としてはまず茶請けの試作なんていうものが完全な嘘であること。ちょっと真実が混じっていればまだしも、純度100%の嘘なんて果たして彼に通用するのか。

そこからお嬢様方二人の目論見が見抜かれる可能性もあるし、なかなかにリスキーである。

 

プランBは、あえてバレンタインという話題で世間話をし、菊代の巧みな話術でこっそり好みを抜き取るというもの。

時期的には全然違和感のない話題だし、話の流れと菊代の技量にもよるが、プランAよりかは成功率が高いと思う。まさか彼も、何もない所から「サプライズでチョコレートを送られる」ことを見抜くことはできまい……もちろん、違和感さえ抱かせなければ、の話だが。

 

結局はそこだ。

どれだけ彼に不信感を与えず、自然な話ができるか。

全てはそこに掛かっている。

 

「次期家元の方から、渡里様が部屋を散らかしていないか確認してこいとのお達しがありまして」

 

とりあえず場を繋ぐ為の話を菊代は繰り出した。

ここから話を転がして、バレンタインの話題なり何なりを出してもおかしくない空気を作っていこう。

ちなみにコレは全くの嘘というわけじゃない。確かに主人から言われたわけではないが、渡里のお部屋チェックは定期的に行われており、周期的にはそろそろのタイミングで主人から言われるはずのものだから、渡里も変には思わないだろう。

 

すると彼は「あちゃあ」みたいな顔をした。

 

「そろそらくるかなー、とは思ってたけど、来ちゃったかー…」

「失礼ながら中を見させてもらいましたが、案の定でしたね」

 

アレを「片付いてる」と報告することは、菊代にはできない。

 

「アレはアレで効率的なんだよ?よく手に取るものはベッドから動かずに取れるように、それでいてスペースは極力使わないように計算して置いてあるんだ」

「毎度同じ言い訳ですね」

 

ニッコリ笑顔でバッサリ斬った菊代に、渡里は気まずそうに身を逸らした。

 

「ま、まぁ後でちゃんとやっとくから……しほさんには黙っててくれない?」

「あら、どうしましょうか。そういって渡里様がちゃんとやってくれたことはあまりないですからね」

 

あまり、とは言うものの、菊代が知る限りではほぼ無いレベルである。

この子はとにかくしない。

 

「……菊代さんは俺の味方だと思ってたのになー」

 

非難まじりの視線だった。

こういう所を見ると、まだまだ中学3年の子どもだと思う。

なんとなく、彼の背丈が菊代の腰ぐらいまでしかなかった頃の関係を思い出して、菊代は言葉を紡いだ。

 

()()()が良い子の内は、ちゃんと味方だよ」

「………敵わないなぁ、菊代さんには」

 

困ったように笑う彼を見て、菊代もまた笑った。

こうなってしまえば、菊代にとって彼は未来の怪物なんかじゃなく、可愛い弟にしか見えなくなる。

 

「今から片付けるよ。まぁいつ終わるかはわからないけど」

「あまり寄り道しないでくださいね?」

「難しいね。腕を引っ張られて無理やり寄り道させられることもあるから」

 

かのお嬢様方、彼にとっては妹二人、のことだろう。

だいたいこの部屋のドアを開けるのは、あの二人だから。

 

「今日一日は大丈夫ですよ、きっと」

 

そんな菊代の言葉に、彼は目を丸くした。

確かに彼の言う通り、普段ならばそういうこともあるだろう。

けれど彼は知る由もないだろうが、今回ばかりは大丈夫なのである。

少なくとも、2月14日までは。

 

「だから安心してお片付けしてくださいね。部屋を散らかす男の子は今時女の子にモテませんから」

「そこは別にいいよ」

 

不貞腐れたような、そんな表情だった。

けれど菊代は知っている。彼は本気で、女の子にモテたいという気がないということを。

彼が振り向いて欲しいのは、たった一人。戦車道の女神様だけだから。

 

「そんなだと、バレンタインにチョコレートを貰えませんよ?」

「あれ、珍しいね。菊代さんからそんな話題が出るなんて」

 

鋭いなあ、と菊代は表面上はニコニコとしながら、内心で少し冷や汗をかいた。

普通、そんなところで引っかからないだろうに。

 

「菊代さんにも遂に春が来たのかな?」

「あはは、渡里君は面白いことを言うね」

「す、すみません……」

 

菊代と一切目を合わせずに、彼は僅かに後退りしながら声を震わせて言った。

おかしなものだ、別に菊代は何にもしてないというのに。

何をそんなに怯えることがあるのだろうか。

 

「渡里」

「あ、しほさん…」

 

すると不意に、凛とした声が菊代の背後から響いた。

そして彼の視線もまた、菊代の後ろへと抜けていく。

途端彼は、とても微妙な顔になった。

その内心を、菊代は彼ほどの眼力を持ってないにしても推し量ることができた。

 

援軍かと思ったら第三勢力だった、そんなところだろう。

まぁ仕方ない。救援がよりにもよってこの人なんて、助かったのか助かってないのか、よくわからないし。

 

「菊代。渡里に何か用かしら?」

「いえ、用という程のものでは……」

 

菊代としても、主人の言いつけを偽造して渡里に届けた以上、あんまりよろしくない事態である。

あまり余計なことを言うと薮蛇を突きそうだったので、菊代は慎重に言葉を選んだ。

 

そう、と彼女は短く答えて、

 

「渡里、常夫さんが探していたわ」

「え?なんで?」

「教え忘れたことがある、だそうよ」

「ふーん、わかった。行ってくるよ」

 

そして彼もまた、あまり長期戦を望んではいないようだった。

おそらくは、部屋の中を見られたくないが故に。

パッパッと会話を進ませて、彼はこの場からエスケープしようとする。

 

「じゃあ菊代さん。()()()()()はまた後で聞かせて」

 

そんな風に、さりげなく菊代の心胆を寒からしめて。

 

トットット、と軽い足取りで彼はいなくなった。

 

……本当に、全くを以て恐ろしい眼である。

一体どこをキッカケに、菊代の心を見抜いたのか。

あるいは本当に心を読んでいるのだろうか。

 

「本当の用件?」

 

そしてジロリ、と渡里とは別の意味で鋭い眼光が、菊代を貫いた。

一瞬の思考の後、菊代は大人しく白状することにした。

 

「実はかくかくしかじかで……」

「……そう、あの子達が」

 

その時のしほの表情は、長年の付き合いがある菊代でもかろうじてでしか読み取れなかった。

この人は滅多に笑わないし、それを他の人に見せようともしない。いつも眉を釣り上げ、口を真一文字に結んでいる。

でもこの時ばかりは、その口元にほんの少し、本当に少しだけれど、穏やかな笑みを浮かべていたような、そんな気がしたのだ。

 

西住流そのもののような鉄の女傑でも、自分の子どもは可愛いということだろう。

きっとそうに違いない、と菊代は思うことにした。

口には、出せないけど。

 

「―――――苦味は出さないようにしなさい」

「……はい?」

 

いつもの表情に戻ったしほが、唐突に言った。

それがあまりにも脈絡のない言葉だったので、菊代の理解は少し遅れてしまった。

 

「あの子は甘いのが好きだから。ビター風味は避けて、味も普通でいいから甘くすること」

「あ、あの……?」

 

菊代の静止も虚しく、しほは更に言葉を続ける。

 

「アーモンドやスナックを入れるのもやめておきなさい。変に凝ったものを作るのはあの子達には難しいでしょうし、渡里もその方が喜ぶわ」

 

そして一呼吸おいて、

 

「―――――独り言よ」

 

そうしてスタスタと、踵を返して足早に彼女は去っていった。

もしかするとその機敏さは、表情を見られまいとするためのものだったのかもしれない。

 

「……ありがとうございます」

 

深々と頭を下げて、菊代は彼女の背中を見送った。

随分と大きな独り言だ。

あまりに大きいから、菊代も聞く気はなかったのに耳に入れてしまった。

お蔭で、菊代はお嬢様方の期待に沿うことができそうだ。

 

「……にしても、素直じゃないですね」

 

ニヨニヨしようとする頬を、菊代は必死に押さえた。

別にいいだろうに、()()()()()()()()()()()()()()()

それを誰が変に思うというのか。当然のことだろう。

 

「さてさて、早速お嬢様方とチョコレートを作るとしましょうか」

 

好みはばっちり抑えた。

後はそれに沿うようなチョコレートを作って、渡すだけだ。

 

どうせだ、ラッピングくらいは凝ったものにしよう。

 

そう思い菊代は、ラッピング用の飾りが余っているかどうかを確認しに向かった。

その足取りは、とても軽かった。

 

 

 

 

そうしてそうして、後はどうなったかと言うと。

 

チョコレート作りは、非常に上手くいった。

エプロンを付けて、三角巾を頭に被って、悪戦苦闘しながらそれでも一生懸命に。

少しでも美味しいチョコレートを贈りたいという一心で頑張って。

そうして、菊代が手伝ったとはいえ、小学校低学年が作ったとは思えない程の出来栄えで、味もバッチリ。完璧に彼の好みに沿う、そんなチョコレートが出来上がった。

 

そこまではとても良かったのだが。

問題は、ラッピングで起きた。

 

大事に大事に箱に詰めたチョコレート。

それを包装している時、急にかの姉妹が、やれ「お兄様はこっちの色が好きだ」、やれ「お兄ちゃんはこっちの色が好きだもん」と言い争い始め、果ては「こっちの方がカッコよくてお兄様に合ってる」「こっちの方が可愛いからこっちがいい」など、あやうく掴み合いになるところまでいってしまったのである。

 

折角仲良く作ったのだから、最後まで仲良くあってほしいものだ。

苦笑いしながらその様子を見ていた菊代が、最終的に「チョコレートは二つあるから、それぞれでラッピングしましょう」と言って場を納めたことで、喧嘩の火は燃え上がる前に鎮火したが、まったくこんなところで仲違いなんて笑い話にもならない。

 

そうしてなんだかんだあって、西住家は2月14日を迎えて。

彼の元に、無事二つのチョコレートが届くこととなる。

 

「お兄ちゃん!!」

「お兄様」

「ん?」

 

 

「「ハッピーバレンタイン!」」

 

 

それは妹二人と、そして母の愛情がたくさん込められたチョコレート。

太陽のように眩しい笑顔と、月のように輝く笑顔と、そして少しのサプライズと一緒に贈られたそれを受け取った彼は、それはそれはもう――――

 

 

 

「菊代さん」

「あら、渡里様」

「みほ達から聞いたよ。菊代さんが手伝ったんだってね」

「微力です。ほとんどお嬢様方が自分の力で作ったんですよ」

「あぁ、そう。通りで――――今まで食べたチョコの中で、一番おいしいと思ったわけだ」

 

 

 

 

 

 

 




菊代さんの話し方とか全然分からないし、未婚かどうかも分からないけれど。
とりあえず言えることは、なんか母性がすごそう。

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