戦車道素人集団を優勝へ導く138の方法   作:ススキト

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本作には独自設定&ガバガバ知識、そして他作品のオマージュ要素があります。
暖かい目で見てやってください。

蝶野さんは普通に好きなキャラです。


第6話 「鬼ごっこから学びましょう②」

土を踏みしめ、弾く音が生まれ、連なっていく。運動靴が翔けるたびに砂利が飛び、健康的な脚に当たってどこかへ散ってゆく。

規則正しい吐息と不規則な吐息が、折り重なるようにして空気中へと溶けて、協奏曲を作りだす。

サラサラの髪を風で揺らし、端正な横顔には玉のような汗が、浮かんでは滴となり、落ちて衣服を濡らす。

 

 

そんなことを西住みほ含めたAチームは、既に何十回も繰り返していた。

 

「もー!もーもーもー!」

「沙織、うるさい」

「落ち着いて、ください、沙織さん……叫んでは、余計に、疲れます…」

「五十鈴殿も、無理して喋らないほうが、いいですよ」

 

武部は空を仰ぎ見ながら叫び、冷泉は普段より一層気だるそうに走り、五十鈴は息も絶え絶えといった様子で前を見据え、秋山は五十鈴を気遣うように背中を支える。

 

地獄だ、とみほは思った。率直に言って、青息吐息の有様である。特に五十鈴あたりは突けば倒れそうなほどに疲労困憊で、大声が出る武部のほうがまだ余裕がありそうである。

冷泉と秋山はそこまで疲れている様子ではないが、冷泉は猫背のカーブが大きくなっているし、秋山も戦車道時特有の高いテンションが見受けられない。

 

結論、みんな、しんどい。

 

先頭を走るみほは、心の中でそう思った。自分だって日課のジョギングと、古巣での激烈に厳しい訓練を経験していなければやばかったかもしれない。そう考えると、この練習の、ひいては神栖渡里のヤバさが見え隠れしている気がするみほであった。

 

チラリ、と後ろをもう一度振り返ってみる。Aチームの更に後ろ、体操着姿の女子たちがひぃひぃしながら追いかけてきている。平然としている者、倒れそうな者、そして『鉄の板』を持った者。多様な人物の姿がそこにはあった。

 

大洗女子学園戦車道受講者は、端的に言って走っていた。ひたすら、本当にひたすら、ぐるぐると走り回っていた。

勿論その背景には、神栖渡里という教導官の姿がある。

 

 

 

「随分面白い練習をしてるじゃない?」

 

一度聞いたら忘れられないような独特の声が、渡里の背後から響いた。当然渡里はその声の主を知っていたので、あえて振り向くことはせず、返事もしなかった。

声の主はそんな渡里の態度にかまわず、真横へと歩みを進めてくる。一目でわかる陸自の制服と、帽子に収められた黒髪。

 

「どちら様ですか?ここは関係者以外立ち入り禁止です」

「あら、私は以前ここに教導官として招かれたことがあるの。無関係ではないわね?」

 

からかうような声色の女の名前は、蝶野亜美といった。渡里は横目で姿を視認したが、自分の予想が間違っていなかったことに落胆した。

 

「そんなに嫌な顔されるとは、心外ね。昔はあれだけお世話してあげたのに」

「ナチュラルに心を読まないでください」

 

顔に出てるのよ、と蝶野は笑った。それほど愉快な気分ではなかったので、渡里は笑わなかった。

知り合い以上友達未満。軽く年の開きがある彼女との関係を、渡里はそう定めていた。お互いに連絡先は知っているが、渡里は積極的に連絡を取ろうとしないし、蝶野は蝶野で飲みにしか誘わない。蝶野が西住流の道場に通っていた頃から計算すると、渡里と知り合ってからの時間はそう少なくないものの、それに比例するだけの深い関係を築いてはいなかった。

 

理由は単純、渡里が深く関わろうとしないからである。その原因は渡里だけが知っている。

 

「今日は何の用ですか、蝶野さん」

「なんだか他人行儀ね?昔みたいに亜美さん、と呼んでもいいのよ」

「勝手に過去を改ざんしないでください。………で?要件は?」

「もちろん、貴方に会いに来たのよ」

「はい嘘」

 

呆れたように渡里はため息を一つ吐いた。渡里は積極的に関わろうとしないが、逆に蝶野は渡里に積極的なのである。一時期は暇さえあれば酒飲みに付き合わされそうになって、どエライ目に遭ったこともある。会いに来た、だなんて。そんな健気な性格をしている女ではないということを、渡里は知っていた。

 

「ひどいわね、半分は本当よ?」

 

半分もあんのかよ、とは口に出さない渡里だった。

 

「もう半分はあの子たちを見に来たの。久しぶりに見たわ、あんな面白い子たち。素直で上達が早くて、それに不思議な雰囲気を持ってるわ。気になるのは当然じゃない?」

(暇なのかな、この人)

 

そう言う蝶野の視線の先には、いくつものケーブルが繋げられたモニターがあった。画面は細かく分割されていて、小さな四角形たちの中には見覚えのある少女たちが駆け回っている。

これは渡里が設置した監視カメラの映像である。彼女たちが後々復習できるように、渡里は練習の風景を映像として残すようにしていた。後から無線の音声を編集で重ねてやれば、ちゃんとした教材が完成する。強豪校では選手がやっているような細かな雑用も、人手不足のここでは渡里がやるしかない。別に嫌な作業ではないから構わないけれども。

 

「大会には出場するんでしょ?」

「そりゃまぁ」

「だったら大洗女子学園は、台風の目になるかもしれないわね」

 

楽し気な蝶野の声色に、渡里は嘆息した。

 

「保有戦車は僅か五両、おまけに旧式。選手は一人を除いて未経験者ばかり。この学校を見てそんなことを言うのは、貴方くらいでしょうね」

「あら?そうでもないと思うけど?」

 

渡里は蝶野へと視線を向けた。

 

「ここには貴方がいるじゃない。あの当時西住流の道場にいた人間なら、私と同じことを言うはずよ」

「ッハ」

 

可笑しなことを言う、と渡里は嗤った。

 

「そこは『西住みほ』がいるから、の間違いでしょ」

「いいえ、『西()()()()』がいるから、で合ってるわ」

 

その時渡里は、笑っていなかった。

黒い瞳はブラックホールにも似た重力を放ち、静かに隣の人間を圧する。並みの人間なら竦むようなそれを、しかし年季の差か、蝶野は動じず、言葉を続けた。

 

「西住流の伝統修練にして最難関、『百戦練磨の業』を無敗で終えた史上三人目の門下生。全国から集まる戦車道の猛者の中に在って、頂点に君臨し続けた天才。後に戦車道先進国である英国に留学し、最先端の戦車道と教育を学んだ者。それが西住渡里であり―――今この大洗女子学園の講師をしている人間でもある……そうよね?」

 

人を喰ったような普段の雰囲気とは異なる、茶目っ気の中に尋常ならざる鋭さを秘めたような蝶野の視線だった。

黒曜石の如き瞳同士のぶつかり合いは、数秒に及んだ。やがて重ねた月日が若かった方が硬度で劣り、敗北した。

 

渡里は緊迫した空気を入れ替えるように、息を一つついた。

 

「……そんな人間は、西住流の記録(・・・・・・)には存在しない。そして、そんな名前の人間も西住家の戸籍には載ってない。大洗女子に招かれた講師は()()()()だ。貴女の言うことは一つ除いて大外れだよ、亜美さん」

「………そ。貴方がそう言うのなら、きっとそうなんでしょうね」

 

彼女には似つかわしくない、やるせないような表情だった。渡里は自分がどんな顔をしていたか分からないが、彼女の表情を鏡にすることで、ある程度は察することができた。

二人の間を、季節外れの冷たい風が駆け抜けていく。それが二回繰り返された後、蝶野は打って変わって明るい声色で切り出した。

 

「ところで、この練習はいつまでやるつもりなの?基礎体力も無線の使い方も、確かに大事だけど……彼女たちならもう次のステップに進んでもいいと思うわ」

「………そうですね。本当は、もう一週間ほどやるつもりでしたけど」

 

渡里は監視カメラの映像に視線を移した。そこには変わらず、機敏に森の中を駆け回る少女たちの姿が映し出されている。汗を流しながらも走るその姿は、渡里が「少なくとも二週間はかかるだろう」と予想していたものだった。

 

「模擬戦の時から思っていましたが、飲み込みが異常に早い。初めて試す練習だから見積もりができないとしても、ここまで早いペースで進んでいくのは流石に想定外でしたよ……初心者と侮ってたんですかね?」

「初心者だからこそ、なのかもしれないわね。余計な前知識がないから、スポンジみたいに吸収していく。固定観念の欠如がプラスに働いてるのねきっと。……まぁ、そうでなければ貴方の言う事に素直に従ったりしないでしょう」

「なるほど。たしかに俺もそれで苦労したもんですよ」

 

男の戦車道指導者。それが日本において示す意味を、一人は知識として、もう一人は実体験として知っていた。

神栖渡里が戦車道チームの全指揮を執ることができるというのは、普通の事では決してない。

 

「だからこそ、信用を失うような真似はしないことね。貴方の場合、疑念を抱かせることも危ういわ。今は良くとも、溜まった不満は決して消えず、いつか必ず噴出する」

 

その言葉に込められた色は、姉が弟に言い聞かすものと同じであった。

 

「この練習の意味は、表も裏も分かるわ。確かに必要なことだし、貴方らしいユニークなやり方で、効率もいい。でもね、『やらなければならないこと』と『やりたいこと』はいつだって乖離するものよ。――――私たち指導者はね、あの子たちの成長の、ほんの数パーセントにしか関わることができないということを、忘れないようにしなさいな」

 

蝶野の教えは、深く渡里の心に沈殿していった。その時渡里を襲った感情の名前は、感銘だった。

英国に留学し、教導を学んだとはいえ、渡里の指導者としてのキャリアは不足と言わざるをえない。これは決して渡里の不勉強、努力不足だけが原因ではないが、陸上自衛隊で教官を務める蝶野と比較してしまうと、どうしたって見劣りする。蝶野亜美はその一点に関して、明確に渡里より上なのだ。

だからこそ、渡里は感銘してしまった。頭ではなく、本能がその言葉に響いてしまった。

 

「………流石に長生きしてるだけあって、言う事が違いますね」

 

しかしそんなことはおくびにも出さない渡里であった。寧ろなんだか悔しかったので、少し悪態をついてやった。

すると蝶野は何でもないように、

 

「それがどうしたの?二十二歳の若造にはわからないでしょうけどね」

 

渡里は相手が一枚上手であることを悟った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しん   どい!!!!」

 

すぐ横で武部が突然叫んだものだから、みほは思わず飛び上がってしまうところだった。

そうならなかった理由はひとえに、飛び上がるだけの体力がなかったからである。

 

十キロメートル。それは大洗女子学園の学園の縦の長さを超えている距離。そしてみほ達が走った距離である。勿論実際の数字ではなく、体感の話だが。

 

レクリエーション、と渡里が言った鬼ごっこは、あれから三日間続いている。渡里曰く「別の練習」だが、みほを筆頭にほぼ全員の中で「いや同じでしょ」というツッコミが入った。しかし渡里の言葉が真だったことに気づくまで、そう時間は変わらなかった。

 

最初に、鬼ごっこが終わった後のランニングにペナルティが追加された。ぐるっと森の周りを一周なのだが、最後まで残ったチームがこのランニングを免れることができる。しかし最初に捕まったチームは、ペナルティとして『履帯を一枚』持ったまま走らされる。ちなみにこの履帯、めっちゃ重い。華も恥じらう女子高生が担いでいいものじゃない。持ち上げたときに腰に電撃が走る。

 

次に鬼ごっこの終了から開始までの間、十五分のインターバルが設けられた。これは休憩時間という意味合いもあるが、それ以上に意見交換の場とされた。チーム毎に集まって、何が良くて何が悪かったのか、といったことを話し合っていく。「できるだけ活発に」という渡里の指示により、全員が一回以上感想なり意見なりを出さなければならない。みほのチームで言うと、武部と秋山がよく喋り、五十鈴が応え、みほは聞かれなければあまり喋らず、冷泉は半分寝てる。

 

以上が主な変更点、追加点である。履帯が追加されたことによって体力の消耗が倍になり、練習が終わるころにはみんなヘトヘトになっている。余力を残せているのはバレー部とみほくらいで、後は全員ゾンビのような姿勢で帰っていく。その姿に、武部に肩を貸していたみほは少し古巣のことを思い出した。

 

武部の絶叫も、みほには分からないでもないことでもない。

 

「戦車道なのに戦車一回も触ってないよ!どーゆうこと!?こんなんで本当に男子にモテモテになるの?!」

「延々と走らされ続けて、流石に疲れた」

「……………………………お腹、すきました」

「あ、はは……」

 

色とりどりの愚痴にみほは苦笑するしかなかった。これと似たようなことが、周りでもチラホラと聞こえ始めている。

それもそうだろう、とみほは思った。訓練のしんどさもさることながら、まだ一度も戦車に乗っていないのが大洗女子の不満の種であり、自分たちはいったい何をやらされているのか、という疑問が種を育てる水である。

 

みほとしては、兄が何の意味もないことをさせるとは思わない。きっと何かしらの理由があり、戦車道にとって何か重要なことを養う練習なのだろうと思う。しかし未だこれといった答えは出ていない。

既に不満の芽は出始めている。このまま答えが出ないのでは、花を咲かせることになるだろう。

 

「みなさん、私おやつを持ってます!これを食べて元気出してください!」

 

一人にこやかで明るいのが、秋山である。どこから取り出したのか、その手には缶詰が握られている。

見た目非常食っていうか、乾パンに見えるのだが、それおやつと言っていいのだろうか。

構わず五十鈴は秒で掴み取った。

 

分からないと言えば、秋山のテンションもみほには謎だった。

 

「優花里は元気だね……いいの?あんなに戦車好きだったのに、まだ乗れてないんだよ?」

 

そう、秋山とは戦車に乗った瞬間人が変わる、パンツァー・ハイの素質持ちである。ミリタリー系の知識は豊富で、戦車は特に大好き。初見で戦車の名前を当て、歴史まで言えるという筋金入り。

そんな彼女が、目の前に戦車があるのに乗せてもらえていないというこの状況で、不満げな様子を一切見せないのがみほには不思議だった。

 

すると、秋山は満面の笑みを浮かべて言った。

 

「私はみなさんと一緒に何かしてるだけで楽しいですから!」

 

良い子や…。誰かの声が流れた。

 

「それに、まるっきり戦車道に関係ない練習ではないと思うんです」

「え~だって鬼ごっこだよ?」

「でも、ただの鬼ごっこじゃないじゃないですか」

 

思うんですけど、と秋山はつづけた。

 

「あの見張り役って、名前を変えてるだけで、実際は前線観測員なんです」

「なにそれ?」

 

素人の武部は首を傾げたが、みほには馴染み深い言葉であった。捕捉するように、みほは言葉を紡ぐ。

 

「前線観測員は、戦車から降りて敵を観測、位置情報を伝える偵察役みたいなものなの」

 

本来の意味は間接射撃という、目に見えない場所を砲撃する際、部隊の目となって砲撃地点を指定する役のことだが、戦車道ではみほの言う通りである。

 

「徒歩偵察は戦車兵の基本なんです!敵の位置をいち早く観測し、味方に正確に伝えることができるかどうかで、勝敗も分かれてきますから。この鬼ごっこはそういった基礎を鍛える練習なのかと思いまして…だから私は全然楽しいです!」

 

特に装填手は観測員をすることも多いですから、と秋山は笑った。

理屈の通った、説得力のある説である。ちゃんと戦車道に関係ある練習なのですよ、と言われたような気がしてくる。武部も感化されたのか、うぅむと説き伏せられたようだった。

 

「あ、あの武部さん。お兄ちゃんは普段は面倒くさがりでぐーたらで、いい加減な人だけど…戦車道に関してはすごく真面目なの。だから、もう少しだけ信じてあげてくれないかな…?」

 

みほは援護射撃を行った。友達も兄も、両方大事なみほにとって、できれば両者は良い関係を築いてほしかった。

武部は一瞬目を丸くして、そしてゆっくり頷いた。

 

「そっか。二人が言うんならそうなんだよねきっと。じゃあもう少し頑張ってみよう!」

「単純だな……」

 

冷泉の冷ややかな一撃が武部へと刺さる。 「お兄ちゃんがすることだから」というある種盲目的な根拠しか持たないみほにも言えたことだった。

しかし武部は冷泉の一刺しも何のその。屈託のない笑顔を浮かべて言うのだ。

 

「友達が言ってるんだから大丈夫だって!それ以外に信じる理由はないでしょ?」

「武部さん……」

 

みほが武部と友達に良かったと、心の底から思うのはいつだってこういう時だった。その優しさが、心の在り方が、何よりも眩しく、尊いもののように思えるのだ。人と人とを繋ぐ稀な気質は、通信手として得難い素質でもあった。みほは武部を通信手に推挙したことが間違いではなかったと確信した。

 

「でもさー、少し気にはなるよね。この前の蝶野さんみたいに、ちゃんとした肩書とかあるわけじゃないし……」

 

肩書、資格。それは時として何よりの説得力を持つもの。神栖渡里はその一点において、明確に蝶野に劣る。だってあの人、『みほの兄』しか持ってない。

武部の言うことも否定したいが否定できないみほである。

 

「みほは何か知らないの?妹なんだよね?」

「ええと、お兄ちゃんは私が小学生の時にイギリスに留学して、それっきりだったから……小さい頃は一緒に戦車道の勉強とかしてたけど……」

 

『子どもの渡里』は知っていても、『大人の渡里』はほとんど何も知らない、と同義である。

 

「そっか……優花里は?戦車道に詳しいんでしょ?あの人のこととか、何か知ってる?」

「う、まぁ一応……といいますか、なんといいますか…」

 

歯切れの悪い言葉だった。一同の視線を受けて、観念したように秋山は述べる。

 

「私も気になって、色々と調べてみたんです。過去の記事、ネット、テレビとか、メディアを漁り尽したんですが……」

「ですが?」

 

ええっと、と秋山は言い淀み、衝撃の事実を明かした。

 

「『神栖渡里』という名前はどこにもありませんでした……完全に無名の人です」

「―――――え」

 

うそやん、とみほは目を剥いた。

 

「む、無名って……」

「記録がどこにもないんです……どこかの学校で教導官をやっていたとか、そういうのが一切……」

「それは、変ですね…?蝶野さんは『戦車道に関しては信用できる』と言ってましたし、それなりの実績がある人とお見受けしてましたけど……」

「あ、華。乾パン食べ終わったんだ……」

「はい、美味しかったです」

 

にっこり、と五十鈴は笑った。乾パンって美味しいものだったっけ?

 

「それに神栖さんを招いたのは、生徒会の人達と伺っています」

「……なら、ちゃんとした人のはずだが」

「うーーーーん??」

「あ、あの……」

 

秋山がおずおずと手を上げた。八つの視線が一気に集中する。

 

「実は、一つだけあるんです。神栖殿の名前があった記事が……」

「……なら、最初から言ってくれ」

 

猫背気味の背を直さず、冷泉はそう言った。気持ちとしてはみほも同感である。あやうく兄が無職だったのかと勘違いするところだった。

 

「大学選抜のコーチをしていた、というのがネットの掲示板にあったんです」

「大学選抜!?すごいじゃん、それって普通じゃないよね!?」

 

武部の言葉にみほは頷いた。大学選抜は、文字通り選び抜かれたエリートたちが集まる場所。チームでエースを張れるような実力者たちが『普通』とされる世界だ。そしてそんな選手たちを教えるには、更に優秀な人間が求められる。東の戦車道最大流派の家元が、今の大学選抜のトップとして君臨しているように、並大抵の能力の持ち主ではコーチは務まらない

 

神栖渡里は、そんな役職に就いていたという。本人の優秀さを表すに十分な実績であった。

 

「掲示板によると、約一年半コーチをしていた、らしいんですけど……」

「けど?」

 

秋山は含みのある言い方をした。それは次の言葉の破壊力を高めるだけであった。

 

「公式の記録にはないんです。神栖渡里が大学選抜でコーチをしていた、という記録が。それにネットの掲示板も、神栖殿がコーチを止めたとされる時期のものがほとんど削除されてました……」

「他には何か書いてなかったんですか?」

「残念ながら何も……」

 

その言葉を最後に、みほ達はそれ以上の追求をやめた。

ここで話しても分からないというが一番の理由だったが、それ以上に踏み込んではいけない領域に片足を入れようとしているかのような気持ちがあったのだ。

 

夕暮れの空を見上げながら、みほは思う。

兄は、イギリスに留学してからどんな道を辿ってきたのだろう。私が知らない間、あの人は何をやっていたのだろうか。

 

「お兄ちゃん……」

 

 

 

 

 

遠く遠く離れた海に、それは浮かんでいた。

県立大洗女子の学園艦より二回り以上大きく、後ろ側が大きく張り出した特徴的なフォルム。『王室の方舟』の名を冠した空母とよく似ているこの学園艦の名は、聖グロリア―ナ女学園という。

 

広大な森に覆われた艦首部、その一等地に建てられた、上品で瀟洒なコロニアル様式の館。『紅茶の園』と呼ばれ、選ばれた者しか足を踏み入れることの許されないその場所に、三人の女学生がいた。

 

色合いの異なる金髪が二人、彩度の高いオレンジ色の髪が一人。

彼女たちはそれぞれの本名を伏し、紅茶の名前で呼ばれていた。それはここ聖グロリア―ナ女学園戦車道で、一種の称号であり、名誉でもある。

 

ティーカップを上品に持ち上げ、静かに紅茶の香りと味を楽しむその姿は、英国淑女そのもの。大洗女子学園では考えられないが、英国色の強いこの学校では、このような風景は寧ろ日常的であった。

 

絵画的ですらある光景は、世の写真家が見れば思わず一枚収めてしまうほどであったが、突如として無粋とまで言える音が鳴った。電話、である。

 

「――――はい」

 

優美さを極めたような声が、静かに奏でられる。金髪をギブソンタックと呼ばれる複雑な編み方にしている彼女は、電話の声に短く応える姿すら美しかったが、ただ一つ。ある会話を皮切りに、その表情を傍目からは分からない程に変えた。

 

「―――ええ、それでは。当日、楽しみにしていますわ」

 

そう会話を締めくくり、凝ったデザインの電話を置く。やがて宝石のように青い眼が、もう一人の金髪の持ち主に向けられた。

 

「アッサム、練習試合が決まったわ」

 

淡い金髪を黒いリボンで結った女学生は、音一つ立てずにティーカップを置いた。

鋭くも華麗な瞳が、ゆっくりと向けられる。

 

「急ですね。どこの学校ですか?」

「大洗女子学園、というところよ」

「大洗女子……?」

 

どこから取り出したのか、アッサムと呼ばれた少女はノートパソコンを開いた。武骨な機械が加わっても優雅さが失われないあたり、彼女たちの所作がいかに洗練されているかが分かる。

まるで鍵盤を弾くようにタイピングし、やがてアッサムは口を開いた。

 

「今年から戦車道を始めたようですね。データがほとんどありませんが、諜報部隊によると戦車の数は少なく、選手の数も同様です」

 

その小さなデバイスの中に、一体どれだけの情報が詰まっているのか。それは誰にも分からない。

 

「ええ、五両対五両の殲滅戦を申し込まれたわ」

「それは……凄い勇気のある人達ですね…」

 

オレンジ色の髪をした小柄な少女は、ティーカップを持ったまま感嘆の声を上げた。

 

「こちらからはマチルダ四両、それにチャーチルを出すわ。アッサム、オレンジペコ、準備をしっかりしておいて」

「チャーチルを、ですか?ということはダージリン様がお出になるのですか?」

「あら、ダメかしら?」

 

恐縮したように、オレンジペコと呼ばれた少女は否定の意を示した。アッサムがオレンジペコの代弁をするように、言葉を紡ぐ。

 

「戦車道新設校相手にわざわざチャーチルを出す必要はないのでは?大会も近いことですし、下級生に経験を積ませるのも一つの手だと思いますが」

「そんなの、優雅じゃないわ」

 

紅茶を一口飲み、たっぷりと間を取ってから、『紅茶のシャンパン』と称される名を持つ美少女は静かに言う。

 

「聖グロリア―ナは、いついかなる時、いかなる相手からの挑戦も受ける。そして、常に全力でそれに応えるわ」

 

それはノブレス・オブリージュの体現であった。やれやれ、と言わんばかりにアッサムは瞳を閉じ、オレンジペコは微かに笑った。

 

「それに……今回は絶対に私が出るわ」

「それはまた、なぜですか?」

 

ダージリンという女性は、常に余裕のある態度が特徴的である。しかしこの時ばかりは、不思議と語気に力が込められていた。それはオレンジペコ、そして付き合いの長いアッサムから見ても珍しいことだった。

 

オレンジペコの問いと、アッサムからの視線に、ダージリンは応える。

 

「――――『不敗の指揮官』からの、挑戦状だからよ」

 

その言葉の意味は、金髪の持ち主だけが知っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




原作では、西住流にそんな修練は存在してません

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