戦車道素人集団を優勝へ導く138の方法   作:ススキト

8 / 55
本作には作者の「理論的なようで理論的ではない理論」がふんだんに盛り込まれています。
カスピ海のように広い心で読んでやってください。



第7話 「目隠しして学びましょう」

 

「今日は別の練習をしようか」

 

渡里のその言葉に、周囲から歓声が上がった。戦車道の練習開始5日目にして、大洗女子はついに新たなステップへと昇った。

長かった……陸上部かといわんばかりに走らされ、薄暗く虫も出る森の中を駆け回ったあの日々。ちゃんと意味はあるのだから、と自分に言い聞かせながら履帯を担いだこともあったが、ようやく解放の日を迎えたのだ。

 

「流石に同じ練習ばかりじゃ飽きてくると思ってな……『戦車道を楽しむ!』がスローガンなわけだし、ここらで新しい風を入れようじゃないか」

「おぉ……!ということは、ついに戦車に乗れるんですね!!」

 

またもや歓声が上がる。やはり戦車道とは、戦車に乗ってこそ。先日は「みんながいれば戦車に乗れなくてもいいです!」と言っていた秋山だが、やはり戦車に乗るとなると、目の色が変わるようだった。

みほの後ろの立つ武部も、高揚を隠せていない。模擬戦のときは散々狭いだの暑いだのと言っていたが、戦車に乗れると分かったらこの様子である。最も彼女の場合、ランニング地獄から解放される喜びのほうが勝っている気がしないでもないみほであった。

 

「――――それじゃあ早速、二人組作ろうか。同じチーム同士で組んで、人数が奇数のチームは余りモン同士で組んでくれ」

「じゃあ私は麻子と組もうかな。目離すと寝そうだし」

「………流石に起きてる」

 

猫背気味の背中と眠たげな目を隠そうともしない冷泉の横に、武部が立つ。

そして問題が発生する。

みほがいるAチームは五人組なので、二人組を作ろうとすると当然、

 

「どうします?じゃんけんで決めましょうか?」

 

一人余る。誰か一人が、三人組の生徒会チームの余りものと組まなければならないわけだが、みほ、五十鈴の二人は生徒会に対してぶっちゃけあまりいい印象がない。のでできれば避けたいが、そうなると秋山をハブった感じがして変な後味の悪さが残る。誰もそんなこと気にしないかもしれないが、みほは気にしてしまうのである。そんなところが美点であり、欠点でもあった。

五十鈴の言う通り、じゃんけんで公平に決めたほうがいいだろう。結果的に生徒会の誰かと組むことになるかもしれないが、それは運に任せるしかない。みほは決意した。

 

秋山は既に同意している。みほも頷き、拳を差し出した―――

 

「――西住!お前は私と組め!」

 

―――ところで、右腕を掴まれてみほは連行された。生徒会広報、河嶋である。

 

「えぇ!?」

「Aチームは五人だから誰か余るだろう!」

 

ぐいぐい、と有無を言わさぬ力で引っ張られる。突然の事態にみほは対処できず、無抵抗をさらしてしまった。

いや、確かにこれはこれで後腐れないやり方だけども!

しかし悲しいかな、みほは先輩に真っ向から立ち向かう程の勇気を持ち合わせていなかった。あれよあれよ、というままに、河嶋の隣に立たされてしまい、事態は進んでいく。

 

「組めたかな?そんじゃあ、はい」

 

そう言って渡里は長い布のようなものを各ペアに一枚ずつ渡した。

 

「ほら、西住」

「え、は、はい…」

 

渡されるまま受け取る。それはハチマキであった。八九式に乗るバレー部の近藤妙子が巻いているようなものではなく、やや幅広で長さは近藤のものより短い。

これ、なに?全員の頭に疑問符が浮かぶ。

 

あ、とみほは直感した。それはデジャヴに近い感覚であった。以前、というかめっちゃ最近に同じようなことがあったような……。

こほん、と渡里は咳ばらいを一つして、にっこりと告げた。

 

「今日はサッカーしようぜ!」

 

この兄そのうち殴られるんじゃないだろうか。みほは危惧した。

大洗女子が今一つ血の気の多い女子達であったら、みほの予想は的中していただろう。

 

 

 

そして連れてこられたのは、森…ではなく体育館であった。普段はバスケ部やらバドミントン部が使っているかもしれない場所だが、今日は無人である。活気に溢れた喧騒もなく、豊かな色彩のラインが床一面に張り巡らされている。

 

そんな体育館をこれから使おうとする女子達は、今回は体操着ではなく制服である。いまだに大洗女子学園のパンツァー・ジャケットは届いていない。「今回は激しい練習じゃないし、制服でも大丈夫だろ」とは渡里の言である。ただしバレー部と三突チームだけはいつも通りの練習着を貫いている。動きやすい恰好、という指定がなければコートも羽織もマフラーも外さない頑固さは寧ろ尊敬に値するのではなかろうか。

 

「そんじゃ早速始めようか」

 

はーい、という言葉に覇気はなかった。消沈した空気に渡里は首を傾げた。

 

「なんだなんだ、元気がないな。もっとやる気出してこーぜ」

 

無理もない、とみほは思った。戦車に乗れると思った瞬間の、これである。一度上げといて落とすことはないだろう。

 

「そういえば一言も『うん』とは言ってませんでした……」

「確かに」

「なんか騙された気分……」

「騙したなんてひどいなぁ。ちょっと事実を明らかにせず返事を曖昧にしただけだっての」

 

大人のやり口、汚い。全員の考えが一致した。

 

「鬼ごっこの次はサッカー……」

「私たち何の授業してたんだっけ…」

「せんせー…、これどういう練習なんですかー…?」

「意味あるんですかー?」

「うん?」

 

一年生チームは周りと比べて、精神的にほんの少しだけ幼い。ゆえに他のみんなが思っていたとしても「流石に……ね?」と遠慮して心に秘めていたことも、口に出してしまう。

しかし一年生チームの火の玉ストレートもなんのその。渡里は表情一つ変えずに、首を傾げた。

それそうだろう、とみほは思う。既にあの兄は、一年生チームの質問に対する絶対的な答えを持っているのだから。

 

「練習の意味を教えたら意味ないだろ?自分で考えてみることさ」

 

あれはレクリエーションの次の日に行われた練習の時だった。恐らく一年生チームとは違う、純粋な疑問から発露したバレー部チームの同じ質問に、渡里は今と同じ答えを返した。

これはその時や今に限った話ではなく、渡里は常にこういった趣旨の事を言う。

 

なんで上手くいかないのか、自分で考える。

どうすればできるか、自分で考える。

なんのためにやっているのか、自分で考える。

 

『考えること』。渡里はまるで口癖のように、その言葉を繰り返す。それは経験者であるみほですら、新鮮で奇妙なことと感じる時があるほどである。

 

ゆえに渡里の返答に、驚いた者はいなかった。みんな「やっぱりね」と言わんばかりに肩を竦めたり、息を吐いたりする。決して落胆しているわけではなく、渡里の言の正当性を一部認めているからこその、一種の諦めであった。

 

「うぅ、……そこをなんとか!せめてポイントだけでも!」

「うーん、…………………………………じゃあちょっとだけ」

 

食い下がる一年生チームに、今日だけは、渡里はいつもと違う反応を見せた。相当間があったが。全員が瞠目し、視線が一気に集中する。

それはみほも例外ではない。鬼ごっこの最中、基本的に一言も喋らず練習開始と終わりの挨拶だけやる様だった兄が、一体何を言うのだろうか。

 

「あの練習は、なにも無線の使い方とスタミナを養っていただけじゃなく、もっと別の事を鍛えるものだったんだ。あくまで前者の二つは、ただのおまけにしか過ぎない」

「え、そうだったんですか?」

「そうだよ。そうじゃなきゃ、お前達も納得しないし、怒るだろ?」

 

いや怒りはしないだろうけど、とみほは心の中で応えた。不満は徐々に溜まっていたけど。

 

「じゃあ何を鍛えてたでしょうか?」

 

沈黙。ここで素直に答えを教えてくれないのが、神栖渡里という人間である。

ぽくぽくぽくぽく、と木魚を叩く音がどこからともなく聞こえてくる気がするみほであった。一向に鈴が鳴る気配がないまま、秒針が一回転した時、秋山がおそるおそる手を挙げた。

 

「あの、前線観測員としての能力、でしょうか……」

「ん?………あぁ」

 

その時の渡里の表情は、意外な一手を差された棋士のようだった。その顔が何よりも雄弁に、秋山の不正解を語っていた。あれ?!と困惑する秋山。渡里はまるで学者みたいな口調で答えた。

 

「そっかそっか、そういう考え方もあるよな。うん、確かに」

「ち、違うんですか?」

「うん?いや、そんなことはないよ。寧ろ七割正解さ。ただもう少しだけ手前の話というか……そうだな、前線観測員は何ができないといけないか、ってことなんだよ。戦車乗りにも言えることだけど」

 

ぐるぐる、と頭の中の無限軌道が回転する。状況はまるで、難問を出された数学の授業のようになった。

誰も何も答えず、うんうんと唸る光景に渡里は意地悪気に見つめている。なんとなく、性格の悪さが滲み出ている気がするみほであった。

しかしこのままでは埒が明かない。自信はないが、みほには一つ思い当たる節があったのでそれを口に出そうとした、その瞬間だった。渡里の視線が矢となってみほを射止めたのだ。

――――まだ言うな、ということなのか。笑みを隠そうともせず、渡里はみほから視線を外した。

 

「一年生チーム。順番に『これが上手くなった』って思う事、言ってみ」

「ええ!?」

 

声を上げたのは一年生チームの眼鏡兼副砲手、大野あやである。突然の指名に狼狽える彼女たちだったが、渡里の視線がずーーっと固定されていることから状況を察し、最早逃れられぬと分かると我先にと答えていった。

 

「無線です!」

「正解」

「地図の読み方!」

「あい正解」

「鬼から逃げることー!」

「もちろん正解ー」

「え、ええっと…あ!鬼を見つけること!」

「正解正解」

「………………」

「ほう?そこに気づくとは、やるじゃないか」

 

あっという間に答え合わせが進み、残るは車長、澤梓のみとなった。次々に答えを取られた彼女は、しどろもどろになって目がぐるぐる巻きになっている。……というか、副砲装填手の丸山は何も言ってなかった気がするのだが。え、なにあの兄、何が伝わったの。

 

「後は…えと、えーと、うーん……」

「なんでもいいぞ。間違いがあるわけじゃないからな」

 

とはいうものの、難しい問題だとみほは思った。答えやすい所は既に全部取られていて、後何があるかと言えば、返答に困る。

 

「なんでも………あ!えっと、話すのが上手くなった、とか……です、か」

 

右下がりの声量だった。そして渡里の眉は、ピンと跳ねあがった。

 

「―――――澤、」

 

名指しで射止められ、M3リーの車長、澤梓は身を硬直させた。1年生チームの中でも比較的精神が熟しており、チームのまとめ役をしている彼女は、この時ばかりはしどろもどろになる。渡里の声色が1段階低くなったことに恐縮したのかもしれない。渡里もそれを察知したのか緊張を解きほぐすように語調を柔らかくした。

 

「ゆっくりでいい。できるだけ、分かりやすい言葉にしてみてくれないか?」

「え、えと……見張り役をする時、鬼がどこにいるか、とかどっちに逃げたらいいとか、そーゆーのを伝えないといけないんですけど、みんなに上手く伝わらないことがあって……」

 

それは確かに、とみほも心の中で同意した。戦車道を嗜んでいたみほは、既に地図を暗記して自分の位置を常に把握することができている。ゆえに見張り役から送られてくる情報を、すぐにフィードバックできるし、足りない部分は自力で補足できる。西住流の英才教育、その恩恵である。ただ全員がそれをできているかというと、否である。「分かるだろう」という曖昧で自分勝手な考えの指示は、この鬼ごっこでは何の意味もなさない。通信が理解できない、といったケースは既に何回もあった。

 

「だから、できるだけ丁寧にっていうか……相手に分かるような言葉にしないと、って思ってやってる内に、なんだか喋るのが上手くなって、スムーズにできるようになったかなぁ……っていう感じなんですけど……」

 

澤の言葉は尻すぼみに小さくなっていった。腕を組み瞑目していた渡里は、一つ頷いて、

 

 

「――――百点満点だ、澤。花丸をあげよう」

 

 

百点満点の笑顔で、渡里はそう言った。みほには見覚えのある顔だった。姉や自分が渡里の質問に答えたとき、渡里は今みたいな満足げな顔を浮かべたのだ。

 

「澤が言ったことと同じような感覚が、自分にもあったなぁ、って思う奴は手あげて」

 

約半分、いやそれよりちょっと少ない数の手が挙げられる。みほは少数派に属した。

それでも渡里の満足げな様子は変わらない。

 

「いま澤が言ったこと、それが今までの練習で一番大切な事だ」

「????」

 

疑問符を乱立させた一同。

ちょっと説明しようか、と渡里は小さなホワイトボードを取り出した。

 

「大前提として、戦車は一人で動かせない。そのために役職が分かれていて、何人も乗ってるわけだからな」

 

つまりこうゆうことだな。と渡里はホワイトボードを返した。

そこにあったのは、非常に下手くそだが人型っぽい絵だった。右手右足、左手左足、そして頭にあたると思われる部分からそれぞれ線が引かれている、ようである、多分。

圧倒的画力の無さを一切気にせず、渡里は話を続ける。

 

「今のお前たちは、頭と手足が繋がってる状態で、一つの身体を一人で動かしている。その場合、自分の思考がダイレクトに身体に反映される。まぁ、人間としては普通のことだな」

 

渡里はホワイトボードを指で叩いた。

 

「だが戦車の場合は違う。一つの身体を複数人で動かすと想像してみてくれ。右手には右手の人が、左足には左足の人がいて、それぞれ思い思いに動けるし、逆に自分の担当の箇所以外は一切干渉できない」

 

―――さて、どっちの方がスムーズに動けると思う?

 

渡里のその問いに、全員が沈黙した。それはネガティブな態度の結果ではなく、全員が等しく渡里の言ったことを想像していたからだった。

みほが誰よりも早く答えを出したのは、経験の差だった。戦車乗りとして生きてきた十年以上の月日の中で、みほは当たり前のように渡里の言ったことの真意を知っていたのだ。

―――当然、

 

「当然、一人が一つの身体を動かす方がスムーズだ。これは比較的じゃなくて、絶対的な話」

 

渡里はホワイトボードを持っていない手の方を、剣を振るみたく挙げて降ろした。

 

「こんな簡単な動作一つとっても、『どの高さから』『どれくらいの速さで』『何回するのか』って具合に、無意識でできていることを一々人に伝えなければならない。動きが複雑化すればそれだけ、伝え方の難易度も比例していく―――戦車を動かすっていうのは、これと同じだ。乗員が一丸となって、いや一体になって初めて戦車は綺麗に動くんだ」

 

そしてそれは、素人にいきなりやれと言ってできるものではない。みほはそう思った。みほもまた、一朝一夕でできるようになったわけではなかったから。

 

「その時、乗員同士を繋ぐものとなるのが『言葉』だ。言っとくけど、これは『できればいい』ものじゃなくて、『できて当然』のものなんだ。戦車道が強いところは、みんなこれを当たり前のようにできてるし、逆にできない内は戦車に乗せても意味がない。本当は長い時間をかけてできるようにするんだが、お前達には時間がないからな。少し無茶な方法でやってるんだ」

 

一つ一つ重点的に鍛えるのではなく、いくつかのパラメータをまとめて鍛えるようなやり方。それは効率という点においては優れているが、負担も大きい。

 

だが全ては。

全ては、戦車を動かすため。

渡里の言葉は、それまで大洗女子にあった不信と疑惑の霧を払い、欠けていたピースを埋める効果があった。

 

「鬼ごっこも、これからやる練習も目的は一つ。『言葉で繋がる』のが戦車の操縦だ。今は完全に理解できなくとも、そう遠くない将来にできるように。今言ったことを胸に刻んで練習してくれ」

『――――はい!』

 

目的がはっきりしたためか、はたまた今までの練習に意味があると改めて教えられたからか、一同の返事に淀みはなかった。

渡里も満足げに一つ頷いた。

 

そして一拍置いて、苦笑した。

 

「ただまぁ、おまえ達がもうちょっとだけ優秀じゃなかったらなぁ。今頃戦車に乗ってたんだろうけど」

「―――ど、どういうことですか!?」

 

秋山の驚愕にも、渡里はどこ吹く風で応えた。

 

「蝶野さんも言ってただろ、『初めてとは思えないほど優秀だ』って。俺も同意見でな。お前たちがろくに戦車を動かせない……まぁ、言葉とか一心同体とかそれ以前のレベルだったら、最低限の動かし方は教えることになってただろうな」

 

しかしみほ達は『操縦できてしまった』し、なんなら『砲撃もできてしまった』わけで。上手くはないが目も当てられない程下手くそでもなかった結果、渡里が予定していた練習内容が繰り上がってしまったのである。

そのことを知った一同は、微妙な表情をするしかなかった。

嬉しいやら、悲しいやら、である。

 

 

 

「麻子そっちじゃないって!右、もうちょい右!」

「右ってどっちだ。右に回転すればいいのか、右に動けばいいのか」

「わー!紗季ちゃん違うよ!?そっちいっちゃダメだって!!」

「そこだ河西!回転レシーブからのBクイック!!」

「キャプテン!!意味がわかりません!!」

 

この光景はなんだろう、とみほは自問した。体育館の半面ほどのスペースで、十一人の女子が右往左往している。その様はさながらB級映画のゾンビのようである。

その場をくるくると回る者、一歩踏み出しては一歩戻る者、じっと立ち尽くす者、コートの外に出ていきそうになる者。

色とりどりの動きを披露する彼女たちに共通しているのは、一枚の鉢巻きによって目を覆っていることだった。

 

「西住!ボールはどこだ!?」

 

視覚を完全に遮断された状態で彼女たちが追いかけているのは、一つのサッカーボール。そこらの百均で売ってそうなチープで女子にとっては縁遠いものを、彼女たちは暗闇の中でがむしゃらに追いかけている。

 

『目隠しサッカー』。バスケットゴールの下に置かれた小さなサッカー用ゴールの横に、この練習を作った張本人はいた。

 

「さっき言ったことを思い出せ!ポイントは『言葉』だ!」

 

渡里が激を飛ばすものの、コートの内にいる十一人の動きは未だ精彩を欠いている。それはそうだ、とみほは思った。渡里の言葉が向けられたのは、コートの内にいる十一人ではなく、コートの外にいる十一人だったからだ。

 

「っ!河嶋先輩、一度止まってください!ボールの方向は河嶋先輩が向いている方の真反対です!身体をゆっくりと回転させてください!」

「真反対だと!?……こうか!!」

 

みほの指示で河嶋は身体を翻した。しかしその角度は真反対ではなく、僅かに手前になっていた。回転が足りなかったのだ。

みほは歯噛みした。これでもまだ足りないのか。簡単そうに見えて、これが中々悪辣な練習だ。否、それもそのはず。なぜなら考案者は神栖渡里、あの兄が一筋縄でいく練習をやらせるわけがないのだ。

 

練習が始まる前、渡里はみほ達にペアを組ませ、一組ずつに鉢巻きを渡した。

そしてコートの中に全員を入れ、ペアのどちらかが目隠しするように言い、そうでないほうはコートの外に出した。これで『受信役』十一人と『送信役』十一人の二グループができる。

そしてサッカーボールをコートの中に蹴り入れ、一言である。

 

『そのボールをゴールに入れたらクリアだ』

 

それはあまりにも、簡単すぎる練習と思われた。

首を傾げた一同は、しかし次の瞬間にこの練習の難しさを体感する。

 

目が見えないコート内の十一人は、当然ボールがどこにあるか分からない。ゆえに彼女たちの目とならなければならないのが、コート外の十一人である。

ボールの方角、距離、他の人間の位置、ゴールの方向。コート外いる者にとっては一瞬で分かる事象も、コート内の者にとっては全てが暗中のこと。

遭難する船を導く灯台のごとく、言葉という光で導いてやらなければならない。

 

口で言うには簡単だが、行動に移した時これは困難を極めた。

受信役となったみほは最初、鬼ごっこの時の要領で河嶋にボールの方角と距離を伝えた。

それは可能な限り明瞭な指示だったが、河嶋はみほのイメージ通りの動きをすることはなかった。

全く同じ人間というのが存在しないように、みほと一ミリも違わず同じ感覚を持っている者はいない。みほの10センチと河嶋の10センチは、距離としては同じでも感覚としては異なっている。それは体格的な違い、性格的な違いが生み出す誤差である。

もし河嶋が目隠しをしていなかったら、みほの言う通りに動いていただろう。視覚情報でみほの指示を補い、その誤差を埋めるようにするからだ。

だが河嶋は目隠しをしている。視覚という人間最大の感覚器官を封じられたこの状況下において、みほの指示は親指と人差し指で10センチを正確に図れと言うに等しかったのだ。

 

渡里は言った。『戦車の操縦とは一つの身体を複数人で動かすようなものだ』と。

この練習は、身体に指示を出す『頭』の部分を別の人間が担うような練習だった。

みほは身体を動かす権利を持たず、河嶋は自分の判断で身体を動かす権利を持たない。

もちろん全くそういうわけではない。河嶋もボールの転がる音や周囲の会話からある程度の位置関係は予想できる。しかしそれは、根本的な解決にはならなかった。

 

「鬼ごっこはレクリエーション」という渡里の言葉は、嘘ではなかったということをみほは悟った。あれはまだ、自分の身体を自由に動かせた。見張り役の指示もある程度は自分の中で補うことができた。だがこの練習は違う。『主観』に依った指示は、本当に何の役にも立たなかったのだ。

 

 

「ボールは河嶋先輩から見て東45度、河嶋さんの歩幅六歩分です!間に人はいないので、怖がらず進んでください!」

「45度……六歩分…」

 

みほの指示を受けた河嶋の動きは、慎重そのものだった。怖がらず、とみほは言ったが、視界が塞がれている以上仕方ないことでもあった。

みほの予想より長い時間をかけて、河嶋はボールの下へとたどり着く。その間ボールに触れる者がいなかったのは、幸運以外の何ものでもなかった。

 

「河嶋先輩!ボールはもう足元です!蹴らないようにゆっくりとボールの位置を確かめてください!」

 

ようやくスタート地点にたどり着いたみほだったが、この時なにより恐れていたのは河嶋が誤ってボールを蹴ることだった。流石にボールの正確な位置まで言葉にすることはできなかったので、とにかく慎重に動くよう指示するしかみほにはできない。

 

河嶋は熱湯風呂に入る寸前のような足の動きで一度、二度と空を掻き、三度目にボールが大きく動かない程度に小突き、そして四度目でようやくボールを足元に収めることに成功した。

 

「よし、やったぞ西住!後はゴールに入れるだけだ!!」

「はい!えーと……」

 

足でしっかりとボールを踏みつけ、逃がさないようにしている河嶋は目隠しをしていても口角が上がっているのがわかる。終わりが見えたことで、気分が高揚したのだろう。みほは半分くらいは同じ気持ちだった。

 

みほはまずは河嶋の位置を確認し、そしてゴールのある方へと目を向ける。位置関係を把握すれば、後は『河嶋の視点』になって指示を出せばいい。

神栖渡里がこの練習で想定した『真髄』を無意識下で行いながら、みほは頭の中で情報を再構成し、その結果が喉から出ようとした、まさにその時だった。

 

「河西!河嶋先輩の声がした方にボールがある!根性で突っ込めーー!」

「桂里奈ちゃんもいっちゃえー!」

「よーし小山ぁ!お前も続けー!」

「――――ほえ?」

 

吊り目に片眼鏡という、凛々しい見た目の河嶋から漏れた悲鳴は、あまりにも間の抜けたものだった。

あ、河嶋先輩そんな声出るんですね。みほは一瞬場違いな事を考えた。そしてその一瞬の間に、悲劇は起こった。

重ねて言うが、コート内の十一人は目隠しをされていて、視界が塞がれている。

そんな真っ直ぐ歩くことすらあやふやな状態で、勢いに任せた行動をすればどうなるか。

人は、人とぶつかりそうになると反射的に避けるものだが、それは目で見ているからであって、目が見えないとどうなるのか。

 

その答えが目の前にあった。

 

「おい、なん―――――――ふぎゃ」

 

それは端的に言うと、事故だった。それも頭に酷い、という二文字が付くくらいの。

最初に、比較的慎重(?)だった生徒会チーム小山が河嶋に接触。この時点でボールはまだ河嶋の足元。

次にキャプテンの指示通り(しかも正確に)突っ込んでいったバレー部河西が、二人と衝突。三人は軽く揺れたものの、そこまで激しい接触ではなかった。ちなみにボールは河嶋の足から解放された。

そして一年生チーム阪口桂里奈が止めとなった。溢れる元気をそのまま力に変換し、目隠ししているとは思えない速度で吶喊し、そして大クラッシュ。後に続いた者もそのまま巻き添えである。

 

みほは思わず目を瞑った。河嶋の変な悲鳴が聞こえた後、恐る恐る目を開けてみれば、そこには「ぐちゃあ」という表現がピッタリくるような絵があった。ボールは何処かに飛んで行ってた。

 

「だ、大丈夫ですか…」

 

うーん、という悲鳴が聞こえた。河嶋のものだったかもしれないし、そうじゃないかもしれなかった。それほど複雑に、というか悲惨な感じで彼女たちは積み重なっていた。

 

「…………あー、一旦休憩しよか」

 

ため息混じりの渡里の声が、「うわぁ……」という雰囲気の中を走り、虚しく空中に溶けていく。

練習はそこで、仕切り直しとなった。

 

その後メンバーを入れ替え幾度か同じ練習が行われたが、全員よちよち歩きに毛が生えたような動きだったこと、そしてゴールネットを揺れた回数は片手の指で足りるほどだったことをここに記しておく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




相変わらず使いづらいオリ主に悪戦苦闘しながら書いています。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。