戦車道素人集団を優勝へ導く138の方法   作:ススキト

9 / 55
本作にはガバガバ知識&独自設定の要素がたくさんあります。でも許してください。

今までで一番書いてて楽しかった回。ガルパンオリ主の立ち位置はこれくらいがベストな気がします。

そして試される知識量。参考資料:「萌○よ!戦車道学校」


第8話 「練習試合をしましょう➀」

玄関のドアを閉め、寮を後にした西住みほは、大きく深呼吸をして空を見た。

雲一つない晴天、というわけではないが、雨の到来を微塵も感じさせない透き通った空である。早朝五時、まだお日様は頂への道を登り始めたというところで、辺りはほんの少しだけ暗いところがある。しかし湿度は低く、風に運ばれた心地よい温もりが頬を撫でていくような気持ちのいい朝であった。

 

「やっぱり潮の香りはするんだぁ…」

 

故郷では緑豊かな土地が天然のマイナスイオンを生み出していたが、ここは海の上。優劣をつけるわけではないが、香りという一点においては故郷のほうに軍配が上がる。県立大洗女子学園の学園艦は古巣の学園艦の何倍も小さく、その分だけ海との距離が近いため磯の香がより感じられるのだろう。

今は少し違和感を覚えてしまうが、きっとすぐにこの匂いにも馴染んでしまうのだろう、とみほは思った。

 

武部は髪がべたつくのだけが不満、と言っていたがみほはまだその心境に至ったことはない。ストレートのボブは生まれたときからの艶を未だ維持し続けており、戦車道で汚れることはあってもその滑らかさだけは失うことはなかった。小学生の時分などは寧ろ泥や土が髪飾りになっていたほどだったが、今思えばよく痛まなかったものである。

ちなみに汚れた髪を洗うのは両親ではなく兄で、そのやり方もみほに目を瞑らせて洗顔もいっしょにやるような勢いのものだった。トリートメントや化粧水の存在を知った今のみほからすればとんでもない所業である。

 

――――いやまぁ、小学生のころなんてそんなものだけど。

 

あの時は花より団子で、汚れさえ落としてくれればそれでよかった。それが無邪気と言うか無頓着と言うか、みほには分からないが。

しかしそれを差し引いても、渡里のやり方は雑だった。

 

雑。みほは兄である渡里を、よくそう言う。

例えば片づけ。読んだ本は本棚に返さないし、机の上はペンやイヤホンやらが百花繚乱。

例えば掃除。目に見えるところだけ綺麗にして、サッシの溝は埃の楽園。

例えば会話。面倒くさいときは「そだな」しか言わないしそもそも聞いてない。

 

みほと渡里は9年ほどしか同じ場所で時を刻まなかったが、それでもみほは渡里のことならいくらでも思い出せるし語れる。楽しかった思い出も、そうじゃない思い出も鮮明に覚えているが、記憶の円グラフを三割くらい占めているのはいった私生活での駄目さ加減だった。母から怒られ、妹に説教され、とあの手この手で矯正が行われたが、こうか は いまひとつ だった。結局みほや姉が甲斐甲斐しく世話を焼いてやったのだった。

子どもの頃は持ち前のやんちゃさで周りを振り回していた、と言われるみほだが、今考えるとみほだって渡里に振り回されていたような気がする。

 

「いぢわる、だったからなぁ……」

 

父は「みほはいつも渡里に揶揄われてるね」と言ったが、正にその通りだった。「クーゲルパンツァーは火星人が地球に忘れていったオーパーツなんだ」というバカな嘘をみほは小学校を卒業するまでずっと信じてたし、そのせいで大変恥ずかしい目に遭った。そういったことが何回もあったのだから、みほと渡里はお互いに振り回し、振り回される関係だったのだろう。

 

そして今、あの頃と性格的に何も変わっていない兄に、性格が大人しくなったみほは振り回されっぱなしで。そして大人として成長した兄は、みほだけでなくもっとたくさんの人を振り回すようになった。

 

みほは歩を進めた。目指すは、学園艦下船所。今日はじめて、みほは学園艦から降りて、大洗女子学園艦の寄港地である大洗町の土を踏むことになる。

 

――――戦車道の、選手として。

 

某月某日、天気は快晴。

本日の予定、聖グロリア―ナ女学院との練習試合。

 

そのことが神栖渡里から告げられたのは、つい一昨日のことであった。

 

 

 

「……うん、早いけど終わりにしようか」

「―――一同、礼!」

 

ありがとうございましたー!という合唱が礼とともに奏でられる。それは練習終了の合図であった。やがて顔を上げた22名の女子達の顔は、僅かに疲弊の色を滲ませてはいるものの、重苦しいものではなかった。それは戦車道の練習が始まった当初と対照的であった。

 

「お疲れ様。ゆっくり着替えて気をつけて帰るように」

 

神栖渡里、というみほの兄が大洗女子学園の戦車道教導官として赴任してから既に二回目の木曜日を終え、そして今まさに二回目の金曜日が終わろうとしていた。この頃になると一同も渡里の変わった練習への適応を見せており、寧ろ高い意欲を以て取り組んでいた。その理由は言わずもがな、先日の渡里の「今やってる練習は戦車を動かすためのもの」という発言である。これができるまでは戦車に乗せない、と渡里は言うが、逆説的に考えると、できるようになれば戦車に乗れるとみほ達は思い至ったのだ。

そこからはもう、ロケットに火が付いた勢いである。目隠しで行うサッカーも、終わったと思ったら帰ってきた鬼ごっこも、みほ達は真剣に取り組んだのだった。

 

日を追うごとに渡里からの要求も難しくなっていったが、それはゴールが近いことの裏返しなのだろう、というポジティブさを全員が発揮していた。

事実として、みほ達は渡里が想定していたペースの倍近い速さで成長していたが、本人たちの知るところではなかった。

 

「―――と、解散するところなんだが。今日はちょっと言うことがある」

 

踵を返そうとした寸前のことだった。何事か、という多くの視線を一身に受けながら、渡里は言った。

 

「明日の練習はお休みだ。最近は熱心に練習していたし、授業もないからここいらで一度ゆっくりしといた方がいいだろ。あんまり根を詰めても効率よくないしな」

 

おぉ、と歓声が俄かにあがった。先週の土曜日は当たり前のように練習があって、半休のようなものだった。てっきり明日もそうだろう、と思っていたところにサプライズ休暇。テンションが上がるのも道理だった。

しかしそんな中、みほだけが周りと真逆の反応をしていた。この時、みほは嫌な予感が全身を駆け抜けていくのを感じていたのだ。それは神栖渡里という人間をこの中で誰よりも知ってるが故の、経験則だった。

 

(お兄ちゃんが無料でそんな美味しい話をくれるわけないよね……)

 

その考えは当たっていた。休みの予定を立て始めてすらいた者達の喧騒を断ち切って、なんでもないように渡里は言った。

 

「明後日の日曜日は、練習試合があるから。あんまり遊ぶのはいいけどケガだけはしないでくれ」

「――――え?」

「あぁ、だよね……」

 

遠い目になるみほと、目が点になるみほ以外の全員。カァーカァーと烏の鳴く声が良く聞こえる。

 

「れ、練習試合ですか?」

「いえす、練習試合」

 

えぇーーー!という絶叫が赤みを帯び始めた空を突き抜けていった。

一同の驚愕を他所に、渡里は淡々と言葉を続けていく。

 

「そろそろ戦車に乗りたいんじゃないかなー、と思ってな。どうせなら試合したほうが色々得だし」

「い、いや。それは確かに嬉しいですけど…!」

 

だからって練習試合って、と秋山は困惑した様子だった。うん、気持ちは分かる。でもこういう人間なのだ、兄は。

 

「急な話なのは分かってるけど、向こうの都合もあるからな。明後日しかなかったんだよ」

「そ、それは仕方ない…です、ね?」

「うん、まぁ10日前には決まってたことだけど」

 

言えよ。という言葉が喉まで出かかっていたが、みほは押しとどめた。全然急な話じゃないよそれ、お兄ちゃんが私たちに言わなかったから急な話になっただけだよ!むしろ結構余裕のあるスケジュール組んでくれてるよ!

 

「ちなみに私も知らなかったんですけど、相手はどこなんです?」

 

角谷はいつもの調子を崩さず、渡里へ問うた。生徒会長である角谷にも話が通っていないとなると、うっかりミスではなく確信犯的な匂いがするみほであった。あの兄、わざと言わなかったんじゃないだろうか。

しかし対戦相手がどこなのかは、みほも気になるところであった。なんせ出来立てほやほやの戦車道新設校。おまけに戦車に乗った回数はほぼ一回(渡里の指示)で練度は未知数。加えて保有戦車はたった五両でしかも低スペック。

自分で言うのもなんだが、こんな学校の相手をしてくれる善良な学校があるなんて―――

 

「相手は聖グロリア―ナ女学院。試合会場は大洗町、ホームグラウンドだな」

「あぁ!?西住殿が白目に!!?」

 

 

場所は変わって生徒会長室。一人が使うには大きすぎる面積を持つこの部屋は、今は広さに適した人数を飲み込んでいた。

長い机に供えられた七つの椅子に座っているのは、各チームの車長、計五名と生徒会長、そして神栖渡里である。

あれから渡里は、作戦会議ということでチームのリーダーポジションである車長だけを集め、他の者は解散させた。

「練習試合とはいえ、それ相応の準備はしっかりするべき」というスケ管ダダ甘マンが振りかざしてはいけない正論を振りかざし、この会議は開催された。

 

「聖グロリア―ナかぁ……」

 

みほは憂鬱な気持ちをため息とともに吐き出した。その名前が戦車道の世界でどういう意味を持つか、みほは知っていた。

 

「あの、西住さん。聖グロリアーナって強いんですか?」

 

バレー部キャプテン磯部の言葉に、みほは力なく応えた。

 

「過去十年くらい、全国大会ベスト4を独占している四校の内の一つなんです……準優勝も何回かしてる、全国屈指の強豪校です…」

「な、なんでそんなところと……」

 

澤の言葉は、みほの心中を的確に表したものだった。ほんとうに、なんでそんなところと練習試合を組んだのか。説明責任があると思うみほであった。

ぎょろり、と全員の視線が渡里へと向かう。

当の本人は呑気に茶を啜っていた。一杯飲み終わり、やがて口を開く。

 

「練習試合なんだし、どこの学校と戦っても勝敗は関係ない。だったら弱いところとやるより、強いところと戦ったほうがいいだろ?高い実力の持ち主がわんさかいるんだ、一つ二つ参考になる部分もあるだろうし」

「そ、それはそうですけど……」

「気後れすることなんか何にもない。何もかもが初めてなんだ。戦車道の楽しさってやつを存分に堪能してくればいいのさ」

 

練習試合ほど気楽にできる試合もないだろ?と渡里は笑った。

 

「さしあたり、お前達がやらなきゃならないのは戦車道の名門、聖グロとどういう風に戦うかを考えることさ」

「そこは是非、渡里さんにアドバイスを貰いたいところですけどねー?」

 

からかうような角谷の口調だった。しかし渡里の対応は素っ気ないものだった。口角を僅かに上げて、渡里は目の前の茶菓子に視線を注ぎながら言う。

 

「練習試合なんかで一々口は挟まないさ。俺のアドバイスはさっきも言った通り、『楽しむこと』だけだ。それさえ守ってくれたら、後はお前たちが自由にやればいいさ」

 

そう言って彼は、茶菓子を食べてお茶を飲むという作業に没頭し始めた。本気でみほ達の作戦会議に余計な口を挟む気はないらしい。

角谷の視線が、つぅーとみほに向けられた。

 

「西住ちゃん、まずはどうすればいい?」

「え!?えーと、まずは基本となる方針を立てることでしょうか…?」

 

自分に真っ先に聞いてきたのは、自分が唯一の経験者だったからだろうか。

確かにみほは、過去幾度となくこういった作戦会議をしてきた。その時の経験上、絶対に最初に決めてきたことはある。

 

「というと?」

「えと、大雑把な目標みたいなものなんですけど。簡単に言うと、相手の装甲が硬いなら側面や背後に回り込み、機動力が高いなら一か所に誘引して叩く、といった感じです。とにかく全員が統一された動きをできるようにしないといけなくて」

 

基本的にどういう風に戦うのか。これは戦車道において、真っ先に決めなければならないことである。全員がバラバラに動いては、決して勝てない。何かしら一つの意志の下、彼女たちは行動しなければならず、その範囲内での自由のみ行使できるのだ。

 

「何か具体的な作戦案があれば、それに従事するでもいいんですけど…」

「――――私が考えてきた」

 

素人ばかりの大洗女子では、まともな作戦案は出ないだろう。みほのそういう、当然とすら言えた予想を覆したのは、片眼鏡が特徴的な生徒会広報、河嶋だった。

 

「か、考えたって作戦をですか?」

「それ以外に何がある」

「河嶋先輩も戦車道未経験のはずだが……練習試合のことを聞かされてここに来るまでの僅かな間に考えた、というのか?」

 

赤いマフラーが特徴の三突チーム、カエサルの疑問は最もであり、もしそれが正しいというなら驚異的なことですらあった。作戦立案能力に関してはみほと同等と言えるかもしれない。

 

「ふっ、当然だ。私とて――――」

「かーしま、さてはお前盗み聞きしたな?」

 

ぎく、と河嶋の動きが静止した。角谷の全てを見透かしたような瞳が、鋭い矢となって河嶋を射貫いたのだ。

 

「お前にそんなことできるわけないだろー?大方、渡里さんが電話してるところに偶々出くわしただけだろ。それでこっそり作戦とか考えて、今日まで温めてた――」

「会長!」

 

頬に朱が差した河嶋の咎めるような声にも、角谷はどこ吹く風だった。この一幕から、二人の力関係がどのようなものか、推測することは容易だった。

 

「ゴホン!えーでは、早速作戦を説明する」

 

仕切り直し、とばかりに席を一つして、河嶋はホワイトボードに黒いマーカーペンで簡易的な地図を作った。そこに手際よく記号やら何やらを書き込んでいく。

 

「私が調べたところによると、聖グロリア―ナの主力はマチルダⅡ。強固な装甲が特徴だ。我々の戦車では100メートル以内でなければ通じない」

「100メートルですか?意外と遠くな気がするんですけど…」

「戦車は基本的に500メートルから1000メートル以上で撃ち合うんだ。100メートル以内じゃないと通じないっていうのは、装甲が厚すぎるか主砲が弱すぎるかのどちらか。今回はその両方だが、まぁなんにしても普通のことじゃないな。戦車道では度々超近距離での攻防が行われるけど、やりたくてやってる奴はほぼいないし」

 

口出しはしないが、補足的な説明はしてくれる渡里であった。

へぇー、と磯辺は感心したように頷いた。

 

「そんなにマチルダっていうのは硬いんですか?」

「硬い。最大装甲厚78㎜は、戦車道で使用できる戦車の中でも硬い部類に入るし、同じ時期に開発された戦車の中ではトップクラスだ。まともに装甲を抜ける主砲を載せた戦車は、こいつが開発された当時なかった。ドイツ軍がマチルダⅡのために高射砲を用意したっていうのは有名な話さ」

 

ちなみに高射砲というのは、地上から航空機を堕とすために使われたもので、地上戦に持ってくるものではない。射程距離はピンキリだが、渡里が言った高射砲は88㎜高射砲で、最大射程は約2000メートル。1500メートルの距離で80㎜の装甲を抜けたことから、マチルダⅡへの対抗策として持ち出されたのも納得というもの。寧ろこんなものを持ち出さないとまともに戦えなかったという、マチルダⅡの装甲がいかに優れたものかが良くわかる。

そんなものを相手にしないといけない、と考えると気が重くなるみほであった。

 

「それでも戦争中期から後期にかけては、マチルダⅡくらいなら余裕でぶち抜く主砲を持った戦車が出てきたが……ま、火力に乏しいウチの戦車じゃ、正面からは戦えないだろうな」

「そこで私が考えたのは、一両を囮にして、敵を此方の有利になる場所に誘引し、一気に叩くことだ!」

「えっ?」

 

バン、とホワイトボードにペンが叩きつけられた。

おぉ~!と感心した声が響く中、みほだけが違う反応をしたことに角谷ともう一人だけが気づいていた。

 

「西住ちゃん?気になることがあるなら言ってみ~?」

「え、いや、でも……」

 

渡里を一瞬でも見てしまったのは、最早本能に近い動きだった。みほの中で渡里とは、やはり特別な存在なのだと自覚してしまう。

渡里は何も言わず、視線で言葉を紡ぐように促した。

一呼吸程の躊躇いを経て、みほは河嶋に視線を向けて言い放った。

 

「装甲の硬いマチルダと真正面から戦わないのはいいと思います…でも、四号の75㎜短砲身でギリギリなのに、それ以下の火力しかない八九式や38tでは例え側面からでも有効かどうか…」

 

現在大洗女子学園で、まともな対戦車能力を持っているのはみほ達の四号戦車、歴女チームの三号突撃砲、そしてギリギリではあるが一年生チームのM3リーの三両のみ。八九式や38tは当時の設計思想が対戦車戦を想定していなかったため、偵察などはできても戦闘面では不安が残る。河嶋の作戦は、少し投機的と言えた。

 

「それに私たちはまだ、まともに砲撃訓練をしていませんし……初の実践でどこまでできるか未知数な以上、河嶋先輩の作戦は―――」

「だ、だったらお前には何か別の作戦があるのか!?」

 

言い切る前に河嶋に口を挟まれ、みほは閉口した。

いくら経験者とはいえ、一時間もしない内に最善の作戦を立案することはできない。どちらかというと入念な準備をし、様々なケースを想定して試合に臨むタイプのみほは、()()()では瞬発力に欠けていた。

 

「まぁまぁ、会議は始まったばかりだ。河嶋の作戦は第一案ということにして、他にもいろいろと考えてみるのもいいんじゃないか?」

 

助け舟を出したのはやはり渡里だった。

 

「折角の機会なんだから、お互い意見を交わしてみるといい。未経験だからこそ生まれる発想もあるだろうし。河嶋も、自分の作戦が周りにはどう思われているのかっていうのを知るのは悪くない事だろ?人の作戦を評価するのは、後々の成長に繋がることでもあるし」

 

大人に冷静な態度で理論的なことを言われてしまったら、未成年の高校生は感情的に反論することはできない。河嶋の火口も一気に冷えたようで、口をへの字にしながらも席に着いた。

そこからはお世辞にも洗練されていたとは言えなかったが、一人一人がしっかりと考えなければいけないような、慎ましくも活発的な会議が行われたのだった。

 

 

 

結局作戦会議の結果、河嶋の第一案が採用されることになった。磯辺、カエサルが初心者とは思えないほど理に適った作戦を立て、みほもいくつか献策したが、やはり実戦でどれくらい動けるのか未知数、というところで引っかかり、河嶋の「100メートル圏内なら下手でも当てられる」という意見により一決したのだ。

 

河嶋の作戦は、無茶で無謀なわけではない。相手が乗ってくれるかどうかは別として、理論的には間違っていない。敵を誘い込み、包囲し、高所から撃つ。戦車道の世界の常道ともいえる。だが懸念は、やはり……

 

「せめてもう少し戦車に乗れてたらなぁ……」

 

みほはため息をついた。それくらい憂鬱な気分だった。

会議の後、渡里は「土曜日の午前中までなら戦車を触ってもいい」とみほ達に告げた。嬉しさ半分、なぜ午前中だけ、という声も当然出たが、聖グロとの練習試合に備え、戦車の整備をもう一度しっかりとやるらしく、昨日の午後から自動車部と渡里は倉庫内に籠っていた。

 

僅かとはいえ、練習前に戦車に乗れる貴重なチャンス。当然みほ達は休日にも拘わらず、学校へと足を運んだ。しかし自主練習、という形になるため全員が参加することはなく、また時間の都合、その他の事情(冷泉麻子、安定の寝坊)もあり、砲撃訓練に絞って練習することになってしまった。

 

何もしないよりはもちろんマシだったが、人間望んでしまえばどんどん高望みしてしまうもの。「せめて砲撃だけでも」と思っていた昨日のみほは、今日は「走行訓練も」と思っていた。

 

「西住殿、どうしたんですか?何か暗い顔してますけど……」

「あ、秋山さん…ううん、大丈夫。ちょっと緊張しちゃってるのかも…」

 

作り笑いを浮かべて、みほは何でもないように装った。

秋山は両こぶしを握って、「私も緊張してます!」と興奮した様子だった。その姿にみほは曖昧に笑った。自分と秋山の緊張は、同一のモノではないような気がしたからだった。

 

すでにみほ達は会場入りしており、後は自分たちの戦車と相手チームの到着を待つばかりとなっている。戦車は渡里がまとめて運んでくることになっており、相手チームは先ほど港に着いたという報告があった。試合会場となる大洗町では着々と試合観戦の準備が進んでおり、住民の退避から観客席の設置など、人が目まぐるしく動いている。

もうまもなく、試合が始まる。そんな雰囲気をみほは肌で感じ取っていた。

 

「でも意外ですね。西住殿は試合慣れしてるから、緊張なんてしないと思ってました!」

「試合慣れなんてそんな……」

「あ、もしかして隊長に任命されたからとかですか?」

「それはちょっとあるかも」

 

そうなのだ。角谷生徒会長と渡里が会議の終わり際、さらっと「経験者が隊長をやるべきだよね」と口を揃えて言ったものだから、みほは反論の余地なくその席に収まってしまったのだ。しかも今日の試合、負けたら「あんこう踊り」なるものを踊るというペナルティがしっかり用意されており、武部や五十鈴の反応を見る限り、恐らくろくでもない踊りである。

 

隊長とはチーム全体を指揮し、引っ張っていく者。勝敗を左右する重要なポジション。

そういう意味では、みほの華奢な肩には軽くはない重圧がかかっていた。

 

「でも西住殿以外に隊長はできないと思いますし、何よりピッタリです!私たちは西住殿にならどこまでもついていけますから!」

 

その通りです、と静かながら凛とした声がみほの横から響いた。

 

「みほさんならきっと大丈夫です。確かに私たちはあまり戦車に乗れませんでしたけど、だからといって何の練習もしてこなかったわけじゃありません。何かしら得ているものもあると思います」

 

傍に来た五十鈴が、柔らかな笑みを浮かべてそう言った。

 

「初めての試合ですし、精いっぱい頑張りましょう!」

「五十鈴さん、秋山さん………」

 

敗けさせたくない。そんな思いがみほの心をよぎっていく。誰だってきっと、敗けるより勝つ方が楽しいのだから。戦車道を楽しんでもらうためには、絶対に勝たなければいけないのだ。それができるかどうかは、みほにかかっていた。

 

表情を強張らせたみほに気づいた様子はなく、五十鈴は首を傾げて言った。

 

「ところで…沙織さんと麻子さんはどちらに?」

「えっ?」

「そういえばまだ来てませんね……あとは二人だけなんですけど……」

 

既に集合時間は過ぎており、大洗女子の面々も武部と冷泉以外集まっている。そろそろ試合も始まろうという時に、この場にいないのはどう考えても可笑しな話なのだが、とみほも首を傾げた。

その時、みほの脳裏にある言葉が閃いた。

 

『人間が朝の六時に起きられるか』

『私はそれよか、麻子がちゃんと起きられるかが不安だよ……』

 

――――あかん。みほは一瞬で事態を察知した。

 

「ま、麻子さんもしかして……」

「というかやっぱり……」

「起きられなかった……?」

 

みほはポケットの携帯電話を素早く取り出した。

すると画面にはメールの受信が約23件。

 

『麻子が起きない』

『どうしよみほ』

『っていうか助けて』

『やばい私もなんか眠くなってきた』

『ふぎぎぎぎぐぐぐ―――――!!!』

『もう疲れたよみほラッシュ……』

 

みほは素早く携帯電話を閉じた。

そして秋山と五十鈴に向き直り、

 

「―――――いい試合だったね」

「ちょ、西住殿!?まだ何も始まってませんけど!?」

 

いやもうだめだよ、とみほは晴れやかな表情を浮かべた。いっそ清々しい気分でさえあった。

携帯電話の画面を突きつけると、二人の時間は静止した。

再起動するのにかかった時間は、秋山が秒針数メモリ分早かった。

 

迎えにいこう。どうやって。間に合わない。そんな会話が横で繰り広げられている。

操縦手不在。戦車道においてこれほど致命的なことはなかった。秋山や武部を悪く言うわけではないが、装填手や通信手ならまだリカバーできたかもしれない。最悪兼任できるからだ。だが操縦手は話が違う。あれは替えが効かない超重要ポジション。操縦手がいなければ試合なんて―――

 

「試合なんてできるわけないだろ。なぁ、みほ」

 

弾かれたようにみほは声のする方へと目を向けた。

そこに、救世主がいた。

 

深い濃紺のジャケット。グレーのパンツ。オフィスカジュアル的な服装に身を包んだ長身の男性。ジャケットと同色の髪を、普段とは違い綺麗に整えて、みほの良く知る人物はそこに立っていた。

 

「お兄ちゃん――――――」

 

背中に、パジャマ姿の女子を背負って。

背中に、パジャマ姿の女子を背負って(二回目)。

 

「――――あの、お兄ちゃん」

「待たせたな。準備はできてるか?すぐに戦車を載せた運搬車が来るから……」

「いや平然と続けようとしないでお兄ちゃん。それ、その背中に背負ってるのなに」

 

渡里は首を傾げた。

 

「見りゃ分かるだろ。戦車を運搬車に詰め込んだ後、学園艦からここまで来る間に白いウサギに導かれ不思議の国に迷い込み、最終的に白の女王によってパジャマ姿の女子を引き取ることを条件に現世へ戻ってきたことくらい」

「エスパーでもわからないよ!何イン・ワンダーランドそれ!?」

 

冗談冗談、と渡里は意地悪気に笑った。寧ろ冗談じゃなかったらどうするつもりだったのだろうか。

 

「あれ?神栖先生が背負ってるのって……」

 

五十鈴が目を瞬かせた。同時にみほもハッとする。

艶のある髪を少し跳ねさせ、白雪姫のように微睡むその姿。トレードマークのカチューシャこそ着けてないものの、小柄な体躯と顔は間違えようもない。

 

「おら、いい加減起きろ冷泉。お眠りも大概な時間だ」

 

四号戦車の操縦手、冷泉麻子がそこにいた。パジャマ姿で。

 

「な、なんでお兄ちゃんが……」

「ま、冷泉が朝弱いのは知ってたからな。通り道がてら、様子を見に行ったんだよ」

 

グッジョブお兄ちゃん。みほは心の中でガッツポーズした。ほんと、戦車道となると頼りになる兄である。私生活はダメダメだけど。

 

「――――ん、」

「ほんと朝弱いんだなぁ。まだ寝ぼけてんのか」

 

小さな手が渡里の襟を握り、綺麗にアイロンされた襟がよれた。

いやそれだけじゃない。渡里のジャケットの肩の部分にも、少し皺が寄っていることにみほは気づいた。その位置に触れられる人物は一人しかいなかった。

 

「こん中に着替えやら何やらが入ってるらしいから、さっさと準備してやってくれ」

 

渡里は冷泉を五十鈴へと引き渡し、次いで秋山に肩に掛けていたバッグを渡した。冷泉に気を取られて気づかなったが、さすが成人男性。人一人とバッグくらい余裕で担げるということか。

 

「え、ええっとでも……どこで着替えさせたら……」

「あん中でしたらいい」

 

渡里が親指で示した先、まるで計ったようなタイミングで現れたのは、巨大な車だった。

車を運ぶ車、キャリアカーと呼ばれるものを少し変形させたような形は、中々見ることない大きさを誇っており、さながら巨大な陸亀のようだった。そしてその背中に、彼女たちの待ち望んだ物が積まれていた。

いつぞやの頃とは違う、新品のような装甲が太陽の光を反射し、威風堂々たる様で鎮座する鉄火の車が、そこにあった。

 

五十鈴と秋山は互いに頷き合って、素早く駆けていった。

戦車の中なら、確かに誰にも見られることはない。

私も手伝わないと。そう思い駆けだそうとした瞬間、みほは右腕を掴まれて強制的に留められた。それが誰の手によるものか、みほは瞬時に理解した。

 

「お兄、ちゃん……?」

 

振り返り、顔を見る。見慣れた渡里の表情は、真剣味を帯びていた。

どうしたの?と尋ねるよりも早く、渡里の両手がみほの頬へと伸ばされ、一息。

むにゅ。

 

「あほ、おひぃひゃん…?」

「表情が硬いんだよ、ばか。まーた変な事考えてたろ」

 

むに、むに、みょーん。みほより一回りも二回りも大きな手が、柔らかなほっぺを捏ねる。

少し硬くて、温かくなく冷たすぎもしない、乾いた手。みほが好きだった手の感触。

 

「いいか。今日の試合負けたとしたら、それは今日まで碌に戦車に乗せなかった俺の責任だ。お前が余計なもんまで背負いこむ必要はない。一昨日言ったこと、もう忘れたのか?」

「あう……」

 

みょーん、みょーん、むいーん。ほんの少しだけ激しさを増した手つきから、叱るような感情が伝わってくる。

 

そのことにみほは、少しタイムスリップした気分になった。怒るのが下手くそな兄は、言葉の代わりにいつもこうやってみほや姉の頬っぺたを引っ張ったのだ。呆れたように、面白がるように、咎めるように。時に厳しく、時に優しく。けれど妹たちはいつだってその罰を受け入れて、なんなら怒られていることも忘れて笑っていた。そこに兄の情があると知っていたから。

 

 

「――『楽しんでこい』。負けたらとか、勝ちたいとか、関係なく。頭真っ白にして純粋に戦車道をしてこいよ。今日はお前と、お前の友達と、お前の仲間の、記念すべき初めの一歩を踏み出す日だろ。そんな暗い顔してどうすんだ」

 

頬から手の温もりが離れ、みほと渡里の間に隙間が生まれる。頭一つ分以上高いところにある渡里の顔を、みほは吸い込まれるように見た。

 

「お前は優しいから、すぐ人の分まで頑張ろうとする。それはお前の良いトコだけど、だからって兄貴の分まで働かなくていんだよ。もっと気楽にやればいいんだ」

 

ぽん、と頭を押すように叩かれ、みほは僅かに後ずさった。

 

「行ってこい、みほ。帰ってきたときにもそんな顔してたら、次はデコピンだからな」

 

そう言って渡里は笑った。あの頃と何一つ変わらない、柔らかな顔で。

 

……この兄はほんとに、ほんとに人の心が良くわかる人だ。ずるい人だ、とみほは思った。

きっとみほの考えていたことなんてお見通しで、だからこそこうやって、みほの心を解きほぐしにきた。薄暗い思考で強張った心を、暖かく溶かしに来たのだろう。

もし無自覚でやってることなら、我が兄ながら相当なタラシである。

 

「―――――うん、行ってきます。私、頑張るよ。お兄ちゃん」

 

踵を返し、みほは駆けだした。心は明るく、身体は軽やかで。

指先まで巡る熱を失くさないように、みほは胸の中で手を握った。

 

 

戦車道を楽しむ。そのことだけを、考えながら。

 

「ところで武部さんは?」

「途中まで一緒だったけど遅くて。どっかに置いてきちゃった」

 

 

 

 

 

「練習試合を受けて頂き感謝する」

「構いませんわ。聖グロリア―ナはいついかなる時、誰からの挑戦も受ける。それが私たちの流儀ですもの」

「……では、よろしく頼む」

「こちらこそ。……あぁ、それと。一つだけよろしくて?」

「なにか?」

「なんでも大洗女子はコーチを招いた、とのことですけれど。その方は今日来ていらっしゃるのかしら?」

「あぁ、さきほど運搬車と共にきて、戦車を降ろしていった。今頃は観覧席に移動しているはずだが……それが?」

「いえ、なんでもありませんわ。ただそう、――――無様な姿は晒せないと、思っただけですわ」

 

 




この話は「西住殿のほっぺをむにむにしたい」「麻子さんをおんぶしたい」という作者のマジで気持ち悪い願望から生まれました。
普段は邪魔者扱いのオリ主ですが、今回ばかりは全力で自己投影しました(クソ)。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。