親しくなってからぶっ壊れるまで 作:おおきなかぎは すぐわかりそう
カーテンから朝日がおぼろげに漏れ出している。
日の光に照らされた鎮守府。寝室のクローゼットを適当に探りながら、提督はこれからのことを早くも想像し、鼻歌なんか漏らしながらとてもご機嫌だ。
戦線の安定化にともない、計画休日制度が本格始動。北極作戦によって余剰人員となった多くが、今計画の補填を執り行っている。完全な休みなんて何ヶ月ぶりかと、指折り数えて手元のスピードを緩めたが、そんなもの今はどうでも良いかと再び元の調子を取り戻す。
楽しみ過ぎて、遠足前の子供のように興奮して良く眠れていないのだが、だからと言ってこの貴重な時間を投げ打つ理由にはならない。何より、まだ艦娘達が活動を開始する前に鎮守府を離れなければ、折角の休みが結局いつもと変わらない日常に成り代わってしまう。
荷物は軽装。予定は未定。だが、激務に追われる毎日を暫し忘れ、退屈なんて言う贅沢を噛みしめるのも悪くはない。
行き当たりばったりで無駄の多い行動ではあるが、肩肘を張らずに気楽に行こうと執務室と通路、その境界を跨ぐのだった。
廊下に響く足音は控えめに。下手に起こしては悪いと、ゆっくりとした足取りで鎮守府正門を目指していた提督だったが、曲がり角の先から人の気配が。
出来れば艦娘との接触は避けたがったが、迫り来る未確定な脅威のために、わざわざ時間を擦り減らすのもなんだかなと進路そのまま。こんな朝も早い段階から身支度も終えて行動しているんだ、よく目にする朝の鍛錬だろうと高を括って挨拶しようと身構える。
「あの、提督」
「」
意識外の背後から届く声に、提督は驚きの余り心臓が跳ね上がった。あまりのショックに機能不全を起こしてしまった提督を心配して、背後にたたずんでいた大井は横から覗き込む。これでも一端の軍人のである提督は感性が鈍ったのかと自らに問いかけながら、上目遣いでこちらを伺い、両腕を体の後ろで組む大井に対応する。
「お、おはよう大井。今日は絶好の休日日和だな」
「えぇ、そうですね。北上さんがいればさぞかし素敵な休日だったんですけどね」
嫌味ったらしく口を尖らせる大井。苦笑いで返事する提督は、ふとさっきまで意識を向けていた曲がり角に視線を送る。すると、ピンク色の髪をポニーテールにまとめ、ランニングウェアを着込んだ駆逐艦、不知火が冷たい眼差しを返すのだった。
「し、不知火? おはよう?」
「おはよう御座います提督……大井さんもおはよう御座います」
「あら不知火さん、おはよう御座います。朝のランニングですか? 精が出ますね」
「はい……それでは」
何かを察知でもしたのか、そう言い残すと不知火は足早にこの場所を離れていった。鎮守府内は走るなと伝えたかったが、喉元まで出掛かった言葉をすんでのところで手で押さえ込む。危うくみんなを起こしてしまうところだったと一人胸を撫で下ろしていると。
「それで、この責任はどうしてくれるんですか」
「? 何の話だっけ」
「人の話聞いてるんですか!? 提督のせいで退屈な休日を過ごす羽目になってるんですよ!」
「大井さん静かに、静かに。こっちも色々と手は回してるつもりだけど、どうしても誰か一人を優遇する事はできないんだ、そこん所はわかってくれ」
「そんなのわかってますよ」
「???」
「……提督は今日予定あるんですか?」
「いや、これと言った用事はないが……」
「こんな朝早くに準備して?」
「ああ、そうだな……」
「へーそうですか、へー」
しきりに頷いて、なぜか煮え切らないままに納得する大井は、それきり喋らなくなってしまった。謎は続出するばかりだが、ここで会話は終わったのかと、一応確認はしてみることにするのだった。
「あー、そろそろ良いか?」
「え、あ、はい」
北上が長期遠征でしばらく留守にしているので、ついにおかしくなったのかと心配しそうになったが、それを気にするのは勤務時間内での仕事。このことを検討するのはまた日が昇ってからにしようと気持ちを切り替える。無理にでも切り替えないと、失敗をいつまでも引きずっていては尚更状況が悪くなるとは陸奥の教えだ。それじゃあと声を掛けたが最後、どこかよそよそしい大井を置いて、たまの休日を一人でパーッと楽しむことに集中するのだった。
鎮守府の正門を越える。手ぶらで出て来たは良いが、はてどうしたものか。時間を確認し、そう言えば朝食も食べずに飛び出て来たんだったと気付き、その気付きが過去の記憶とリンクした。
そうだ、激辛ロードマップを過去に作ろうとしてたんだ。この地区新任の頃、僅かな空き時間を激辛発掘に精を出していた。担当官不在が問題に上がり、自粛せざる負えなかったが、普通なら一発でヤバイとわかるような事を平然と繰り返していた辺りそれだけ熱中してたのだと振り返る。今にして思えばそんな行動恐怖でしかないのだが。
とは言え、今日は特例中の特例、こんな日が何度も巡ってくるとは提督自身も分かってはいる。なのだがどうしても古傷が疼いて仕方がない。あの頃夢中になって駆け回って口内を焼き焦がし、肛門すら燃え盛らせた至福のひと時が一挙に襲いかかって来たのだ。
この禁断症状を鎮めるには、ニコチンにはニコチンを、アルコールにはアルコールを、味覚破綻者には辛うじて食せる劇物を、本能の忠実な下僕になるしか抗う術はないのだ。
提督自身それは痛いぐらいに理解していた。一応、この施設の最高指導者である点からセーブは心掛けなければならない。その事実が更に拍車をかけたのだ。制限時間は本日一日限り、場所はそこまでカバーできそうにないのでこの地域が主になりそうだ。過去のデータは頭と舌と尻の穴が覚えている。下調べなしで何処までやれるか分からないが、相手にとって不足なし、必ずやより多くの情報をロードマップに献上する。
軽く手首足首を回して準備体操。クラウチングスタート……は流石に恥ずかしかったのか、スタンディングスタートで妥協。ヨーイの号令で掲げられたピストルに、鋭くなった目で遠方を眺め、下半身に力を込める。あとは火薬の爆ぜる音を待つばかり。
「あの……提督……」
「」
背後からの声に、提督は寿命が縮む思いであった。
もう軍人がどうたらこうたらは問題ではない。この上がり切ったボルテージが、一気に萎んでいく感覚。そしてそこまでに至る過程を見られたのではないかと言った羞恥心。以上を加味して、誰か早く提督の顔を隠してやってくれ。穴でもパテでもなんでも良いから、状態になってしまった。
顔を両手で覆いたくなる程に恥ずかしいのは事実だが、提督とてそれなりの修羅場をくぐり抜けて来た歴戦の猛者だ。部下に返答しない訳にもいかず、一際大きな咳払いを披露した後、何事もなかったかのように次の句を促した。
「な、なんだ大井、おめかしして。今から北上を追いかけるのか?」
「何言ってんですか提督。そんなことしたら北上さんに迷惑じゃないですか……提督こそ、正門の前で何やってるんですか」
「いや、これは、その、だな?」
「ハー、もう言わなくて良いです。どうせ下らないことで盛り上がってたんでしょうから。そんなことより、ほら、行きますよ」
小豆色のタートルネックに灰色の羽織りもの、それに黒のジーンズを合わせた大井は提督の片腕を掴んでズンズン引っ張る。
はて? 大井さんに付き従う予定があっただろうか、いやそんなものはなかったはずだ。
「いやいやいや待て待て待て大井ちょっと待て、何しに行く気なんだ? 全く状況が飲み込めないのだが!?」
「何ってそりゃ……どうせ暇人の提督が、私に美味しい麻婆豆腐のお店を紹介するんですよ」
「俺はたった今、記憶の改竄攻撃を受けているのか?」
「いえ、たった今告げたばかりですよ?」
何言ってんだこいつと目を向ける大井に、何言ってんだこいつと返す提督。会話が噛み合っていない。提督はいつの間にかタイムリープしてしまったのか? いやそんな訳あるか。ここで一旦話を整理しよう。
朝一に会った大井の格好は今とは違う、つまりこの短時間で着替えて来たわけだが、目的は提督と美味しい麻婆豆腐を食べに行くことらしい。………………わかったぞ、犯人は北上だ!! 大井絡みの奇行は、大体北上って言っておけば正解だ。今回の件もどうせ一言目か二言目に北上が含まれているのだろう。
QED証明終了。
予定が入ってなかったのはある意味事実であり、あの時予定はないと言った手前、大井を否定してしまうのは気が引ける。八方塞がりの出口なしで、完全に詰んでいることを理解した提督に残された手段といえば、強引に袖口を引っ張る大井が、これ以上ヘソを曲げないように丁重にエスコートしてやることだけであった。
「あぁ、大井、服似合ってるよ」
「ありがとうございまーす」
引っ張っていく背後にかけられた褒め言葉には、無関心を装った適当な返事が答えてくれた。服装を褒めたその瞬間から、大井が引き連れるペースが若干上がった気がするのだった。