親しくなってからぶっ壊れるまで 作:おおきなかぎは すぐわかりそう
「ほら、提督起きて下さい。もう朝ですよ」
私より一際大きな背中を揺する。胸一杯に彼の匂いを吸い込んで、途方もない幸福に身を委ねていると、少し驚いて提督は体を起こす。
「……なんで布団の中にいるんだ大井」
「やだなぁ、提督があまりにも起きなかったので、ちょっとした悪戯ですよぉ」
そういって小さく微笑んで、本当は夜のうちに忍び込んだことを隠すように嘘をついた。たとえ虚偽の申告と受け止められようとも、変に私の気持ちを曲解されるよりは遥かにマシだ。明確なる好意を前にして、それでも言い逃れできるほどに鈍感な人間などいるのだろうか。
「退いてくれないと布団から出られないのだが……それと暑い」
「決号作戦の資料が届いています。今日中に片付けてしまいましょう」
「そうだな、今日中に。今日中に……」
朝の状況報告は秘書艦の仕事。提督を真に思うがこそ、仕事で手を抜いてしまうわけにはいかない。それに、私のパワーは今きっかり溜まり切ったところだ。パワーが有り余っているのを感じる。追い詰めたようにベットを領有したのを解き、大井ついで提督の順番で就寝が解かれた。
「シーツと枕カバー洗濯に出しておきますね?」
「あぁ悪い、よろしく頼む」
露わになる上半身に目がいきそうになるのを必死に堪えて、急ぐように寝室のドアを潜った。ランドリーへの道すがら、まだ早い時間なのをいいことに、手持ちのシーツと枕カバーに顔を埋めた。汗のしょっぱさが残るような、皮脂と体臭が染み付いたそれは、パチパチと脳味噌を麻痺させる麻薬のようなもの。今さっき目撃した裸体をオカズに、主食をむさぼる。満ち足りた朝食を済ませた大井は、ランドリーに少々体液が付着した寝具を放り込んで任務を終える。そうして大井の満ち足りるような日常に火が昇るのだった。
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「ここは資材の数を端数も入れてはっきり明記してくれ。資材の横領が発覚したとかで本部が大パニックなんだ」
「提督はそんな小物みたいなことしてないですよね?」
「俺をなんだと思ってるんだ。横領するなら信頼できる秘書官を固定するだろう」
「ずいぶん犯罪者目線の供述ですね、一回査察を入れましょうか?」
「ばか言え。やってるなら気軽に会話に出さないだろう、普通」
「また犯罪者目線……」
「とにかく、一の位までしっかり明記するように。……頼んだぞ」
「了解です提督」
ぴっしりと軽く敬礼して了解を告げると、提督は気まずそうに顔を逸らした。まだビンタしたことを引きずっているのだろうか。北上さんに聞いた話だと、陸奥さんとの仲を引き裂く凶行に見えたらしい。思い込みが激しいところも素敵。何気ないやりとりの一つ一つが心を満たす。こんなものがこの鎮守府の艦娘に行き届いていたと思うと、嫉妬で狂ってしまいそうだ。ほかの誰かに明け渡してくない。陸奥さんにも、まして北上さんにすら……。
「そういえば、訓練の方は順調か?」
「みんなと遅れがある分大変ですが、北上さんが熱心に教えて下さるので不足はないです」
「遅れが出そうだったいつでも言ってくれていいからな? 代役ならいくらでもたてられるから」
「そんな、お気遣い感謝します」
「その様子だと北上と仲直りできたみたいだな」
「いえ、私が一方的に避けていただけなので、仲直りと言うよりは私がちゃんと向き合っただけの話ですから」
「……そうか」
自分のことと重ねたのだろう。眼力に覇気がなくなり、暗い影を落とした顔。その表情に口角が歪むのを必死に耐えながら、誤魔化すように話題を取り上げた。
「あ、北上さんからホットチョコの作り方を教わったんです。良かったら入れましょうか?」
「んー……。そうだな、一つ貰おうかな」
「はい! すぐできるのでちょっと待っててくださいね?」
少しの陰を引きずりながら、それでも懸命に平静を保とうと努力する提督を背後に置いて、大井は台所へ向かった。おおむね計画通り。罪悪感を持ち越すクセをもった提督になら、今やろうとしている行動は、今後の人生まで決定づけ縛る足枷となるだろう。牛乳を沸かし、チョコを細かく刻み入れ、用意してあった薬を入れる。水に入れると違和感を覚えることこの薬も、牛乳のまろみと、チョコの甘さと苦さがうまく覆い隠してくれる。木べらで抵抗がなくなるまで混ぜ、マグカップに注いだ。
「お待たせしました、どうぞ提督」
「あぁ。ありがとう」
コトリと置かれた寒色系のマグカップ。茶色ががかった灰色。上空を飛ぶ水蒸気。取っ手を握り、熱そうにフーフーと息を吹きかけ飲むまさにその時、一点を見つめる視線が気になった。
「そ、そんなに見られると恥ずかしんだが……」
「へ? あ、ごめんなさい。でも感想を聞きたくって」
「そうか?」
再び口に運ばれるとズズっとすすり、鼻から息を吐き出す。しっかりと飲み込まれていく様を確認したのを最後に、私は視線を露骨に外して達成感を味わうのだった。
「? これミルクとチョコだけだよな?」
「そうですけど。どうかされましたか?」
「いや、なんでもないよ」
「お味の方は……」
「うん、うまい。美味しいよ」
「そうですか、一瞬分量を間違えたのかもと思って心配しちゃいました」
ポロっと本音が漏れ出てしまったに、しまったと口元に手を持ってくるが、提督に気にした様子はなかった。効果が出てくるにはしばらく時間がかかるだろう。なに、もう計画は完遂したも同然なんだ。後は邪魔が入る心配だが、その点も抜かりない。仕事もフルパワーで取り組めばなんとかできる。小さく気付かれないように笑い、その時を虎視淡々と待った。
「どうかされましたか?」
目敏くも、わざとらしく提督に駆け寄る。胸の辺りを押さえて、心臓発作のように苦しい表情を形作るっているが、どうも顔を赤らめているから本命だろう。伺った顔にエロスを感じて心が昂る。
「なんだか体調が良くないようだ。さっきっから心臓が痛い」
「それは大変ですね!! 医務室まで私が付き添いますよ」
「い、いや待て、一人で歩ける。仕事を邪魔するわけにはいかない」
「そんなことありませんよ。ほら、脂汗が滲んでますよ」
「いや、待て、こっちに来るな」
「そんなぁ冷たいじゃないですか提督」
拒否する手を押し除けて、ハンカチで鼻元を拭った。ちゃんと理性が働いている点は評価に値するが、いまはそんな情報はどうでもいい。どんどん外堀を丁寧に埋めながら、提督を追い詰める。苦しいそう……半分も意識が向いていないようだ。あともう少しと一歩踏み込んだところで、見計らったかのように扉が開く。
「ほほーい。あれ、なにやってんの二人とも」
「き、北上。大井を引っぺがしてくれ、頼む」
「……大井っちなにやってんの?」
「提督の体調が優れないみたいなので、医務室まで付き添おうとしたんですけど、頑固なんですよ」
「いや、提督が助けいらないって言ってるんだから、好きにしてあげればいいじゃん。ぶっ倒れたら自己責任ってことで引きずっていけばいいんだし」
「……どうして提督の肩を持つんですか?」
「べっつにー」
不貞腐れたように目を伏せて口を尖らせる北上さんに、不思議とおかしさが滲み出ていた。どうも私が失意のどん底にいる間、提督と北上さんの関係性が変化したように感じられて、あんなに威勢よく噛み付いていたのに今ではまるで子犬の用だ。苛立ちと、腹立たしさで内心バカにするように視線を送る。
「そんなことどうでもいいからそこを通してくれないか?」
「担当の方に見てもらいましょう。念のため付き添いますよ」
「あれ? 医務室にいま誰もいないんじゃなかたっけ?」
「そうなんですか? 取り敢えず確認のためにも医務室に向かいましょう」
「ちょっとまってよ。苦しいのに変に動かすのはまずいんじゃない? 先に私達が見に行ってからの方が良くない?」
「……随分と提督に肩入れしてるじゃないですか。私がいない間になにかあったんですか? あれだけ目の敵にされてたのに」
「別にそんなんじゃないけど……」
勢いが収まったのをチャンスとして、さっさとこの場から離れるように始動する。
「さ、いきましょう提督」
「ちょ、ちょっと! 大井っちからはなれてよ!」
「私は別に構いませんよ?」
「そう言うのじゃなくて……」
身の置き場がなさそうに、不満な顔で言い淀む。いつもヘラヘラと言いたい放題言ってしまう性分である北上さんなだけに、自分の本心も曝け出せずにモゴモゴと口元を動かす様は結構レアだ。
「もうおいてくぞ……」
「ま、待ってくださいよ提督〜」
「近付くな近付くな」
「まあまあまあ。あ、北上さんは気になさらなくても私が責任を持って提督を輸送するので」
「……提督が変なことしないかついてく。あと、嫌がってるっぽいよ大井っち」
「北上さんには関係ないことじゃないですか?」
「は? 何言ってんの」
「二人とも喧嘩はやめろ。仲直りしたんじゃないのか」
「なにいってるんですか提督。そんなんじゃないですよ」
振り返って笑顔でそう応え、北上へと視線を送り真顔。そのまま近づき、囁き声でこう告げる。
「一目惚れですか?」
「へぁ!? いきなり何言ってるのさ」
「自分が甘えられないからって八つ当たりしないで貰えます?」
「だからそんなんじゃないって!」
「私のことを大切に思ってくれているのなら黙って見ててくれませんか?」
「提督には陸奥がいるじゃ……!?」
何かを察した北上は、そのまま驚いたように大井を見た。もはや勝利宣言とも言って差し支えないくらいに挑戦的に睨んでみる。
「北上さんはなにもない空っぽですよね? 思い出もなければ、言葉を交わしても喧嘩腰。はじめから始まってもいない恋に時めかないで下さいよ」
北上はわなわなと体を震わせたかと思うと、キッと目元を鋭くさせて、私を睨み返してきた。
「カッチーン。なに? 大井っち喧嘩売ってるの? いくら温厚な私でもむかっ腹が立つんだけど」
一触即発の状況かで、大井が提督が執務室から出ていくのを見てしまえば、キャットファイとに一目散に尻尾を振り向け後を追い縋る。
「あ、まってくださいよぉー提督ぅー」
いかにも女子受けの悪そうな甘ったるい声を侍らせれば、北上は共感性羞恥に体をゾワつかせる。いかにもな猫撫で声で、相手に取り入ろうとしている様は側から見ていて非常に痛い。自分に対して向けられている時はなんとも思わなかったが、落ち着いて第三者目線で物事を見ると目を覆いたくなる。もしかして、大井っちが友達少ないのって、あれが原因なんじゃないかと頭が回れば、薄寒いさすら感じた。その威力はしばらくその場から動けなくなるほどに。
「なにあれ、すっごいイラつくんだけど……」
誰に向かって放つでもない言葉が骨身に染みた。
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医務室の扉にもたげるように寄りかかり、額の熱っぽさを手の甲を感じ取りながら、ベットを目指す。視点の先はブレ、頭を降って正気を保とうとしていた。
「ハァ、ハァ」
「大丈夫ですか提督?」
「……あぁ大丈夫だ。それよりも、暑苦しいからひっつくな。ハァ、ハァ」
「ずいぶん苦しそうですね。ささ、ベットはこっちですよ?」
案の定と言うべきか、医務室には担当の者がおらず、提督は唇を噛んだ。明らかにおかしい大井の態度に、一々感情がかき乱されるこの事態。揺れ動く心は感情に想起させ、なんだかこのまま進むと取り返しのつかないことになるんじゃないかとの考えが唐突に湧き出た。
「ちょっと、トイレに、行かせて、くれないか」
「そんな調子で用を足せますか? なんだったら私がお手伝いして「ちょっとちょっと、何してるのさ大井っち!」
「あら? 北上さん? まだついてこられてたんですか?」
「ついてきたって、明らかに様子がおかしいじゃん。大井っちなにかした?」
「さぁ? なんのことやら」
「提督トイレでしょ? 早く行ってきたら?」
「……邪魔しないでいただけます?」
「ほら早く行け!」
埒が明かないと提督の背中を張り飛ばす。次の瞬間青ざめる北上であったが、なんとかバランスを崩しながらながらも立て直したことにホッと安堵する。それを見ていた大井は、目に見える形での明確な意志表示と小さな勢力の出現に、卑しくも笑みを浮かべるのだった。