親しくなってからぶっ壊れるまで 作:おおきなかぎは すぐわかりそう
たおやかな朝の陽気が吹き抜ける。そんな穏やかな空気が入り込むはずの医務室では、栗毛のロングと黒の三つ編みその両者によって、今まさに通り過ぎようとした空気が凍てついた。
北上は、自分に挑戦的な笑みを絶えず向け続ける大井に、その非愛な顔面を向けてみた。さきほどからカメレオンのように赤くなったり青くなったりと、朝っぱらから忙しいことこの上ない。
キュウっと寄せた結ばれた手を握って、それを庇うように空いていた手が覆えば、途端に目が泳ぎ出す。何かしら語るべき大井が微笑を浮かべているのが気味が悪くて仕方がなかった。
「フフフ……そんなに怯えることないじゃないですか北上さん。私たちの仲じゃないですか〜」
以前の北上にべったりであった大井を引っ張り出し、まるで今までの全てが演技であるかのように訴えかけるが、態度のあまりの豹変ぶりに心底馬鹿にされている気分だ。
認めたくないと乙女心は揺さぶられ、けれど自覚してしまった以上ごまかし用のない感情に振り回される。提督が倒れたら引きずればいいと口で言っておきながら、いざ目の前で倒れてしまいそうになるとその矛盾は本心となって現れた。
北上は納得できる筋の通った理論を構築しようと試みる。が、あまりにも整合性を欠いた事柄によって、素直さが真っ先に逃げ出す。
「いつから狙ってらっしゃったんですか? この鎮守府に来た時からですか? それとも……」
「ち、ちが……」
傷心の親友を差し置いてならともかく、そんな早い段階から彼を意識なんてするわけないと訴えようと口は動くが声は出ず。反対に心がその回答の是非を考え始めると、今さっき矛盾を感じ取った身としては、なんとも否定しきれない自分がいることに気がついた。
「あぁでも残念、彼の隣は一人で満員なんです。だからその……諦めてくださいね?」
視線を明後日の方向に向けて、なんとも誠実さを失った大井はクルリと背を向ける。そしてそのまま、見せ付けるように左腕を伸ばし、今度は引き寄せて頬擦りを始めた。提督から送られた銀色の指輪が、鈍くも光を取り込んで妖しく光った。
「へ、へー。でもそれってさ? ただの装備品でしょ?」
ノーダメージを装うように震えた声で強がる北上は、提督との目に見える繋がりがない自らを守るように抱きしめて、数段リードを重ねる親友を蹴落としにかかる。フッと音が消え、色を失った大井。瞬間、弾けたよう笑いだす。その姿は誠に妖艶であった。
人は時に、まだ救いがあると希望を見せられるより、もう無理だ諦めなと声をかけられた方が救われることもある。あんなにも執着の対象である陸奥を差し置いて、大井が提督に選ばれることなどあってはならないこと。
そんな事に気付いてしまったら最後、このやるせない感情をどう処理すればいいのか。大井のこの行動はただの妄想である、そうであってくれと心のどこかで北上は思っていた。
二人の間を沈黙が支配する。一体どれほど佇んでいただろうか。ソワソワと落ち着きのない北上をチラリと見て、大井が口を開く。
「……提督、遅いですね」
「……うん」
「私、見にいってきますね?」
「待って! ……私も行く」
医務室の出口へと向かう大井に北上が追いすがるように駆け寄る、扉が開け放たれると、いつもより距離を置くように開いた両者の間を、一陣の風が吹き荒む。
「提督〜ご無事ですか〜」
男子トイレの前で大井が呼びかける。けれども返事はおろか、人のいる気配すら感じられない。困惑する顔を浮かべる北上とは対極に、大井は至って冷静そのものだ。
「他のトイレってわけじゃないよね?」
「ないですね。医務室から一番近いトイレはここ以外ありえませんから」
そう言い終わると、大井は一歩踏み出す。その行動に背後から声上がった。
「ってちょっとちょっと! なにはいっちゃってるのさ大井っち!!」
「こうしないと調べようがないじゃないですか」
「いや、でも、えぇー……」
普段なら変態扱いが普通の行動を平然とこなす大井。北上は常識をもって諭そうとするが、今は緊急事態のためそうもいっていられないか。と、物言いたげな顔を引っ込めて、まるで男子トイレの入り口にバリアでも貼られているかのようにアワアワとその行方を見守るしかできなかった。
「提督? いらっしゃいますか?」
提督がいるであろう、ロックのかかった個室へと呼びかけるが返事がない。すると大井は扉の上部にしがみつき中の所有者の安否を確認する。いくら鎮守府内の男が提督にだけとはいえ、提督以外の人間が使っているかも使うかもしれないのに、膝上の切り詰めたようなスカートを翻してよじ登る様に北上が恥ずかしさを覚える。
「んっ、しょっと」
「ど、どうだったの?」
「無事ですよ、気絶しているみたいです。薬の量間違えましたかね? 」
「それって大井っちのせいなんじゃ……」
このままでは危ないので、めくれるスカートをほぼ全開まで開いて向こう側へ乗り越える。さすがの大井も恥ずかしいのか、提督の方を見遣り、しっかりと目視確認の上で上体を迫る天井にとの間に滑り込ませた。すぐさまガチャリと開錠の音が北上の元へも届く。
「さ、いつまでも意地張ってないで手伝って下さい。私一人だとバランスが悪いので」
「う、うん……」
絶対不可侵の領域。無闇に入るようなら変態の烙印が押されるこの場所へ、北上は心理的抵抗感から少し躊躇していた。男子トイレの前で、ウーンウーンと悩ましげな声を自分を是非客観視していただきたいところだ。
ようやく踏ん切りが付いたのか、ピンク色に染めた頬でパタパタと駆け寄り、提督に密着する。北上の品のいいお椀が脇腹に沿って凹み、近さも相待って変に気持ちが盛り上がる。対して大井はが肩を貸すと、タワワに実った果実が脇腹を飲み込む程に変形し、北上の顔をムッとさせるに至った。
「肩に手を回して医務室まで運びましょう」
「うん」
大井の胸へと向けられた視線は、次に自分の胸を射抜き、同じ艦種のはずなのにどうしてとため息をついた。白目をむいて口をあんぐりとさせた提督を見ると、そういえば彼のことを運ぶのは、居酒屋の時以来だなと物思いにふけったり。
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「北上さん手を離して下さい……北上さん?」
「へぁ!? あ、うん。離すよ」
医務室に来るまでに提督の匂いに飲まれたからか、お酒を飲んだようにクラクラと思考判断が鈍っているのを感じる。好きな異性の匂いには興奮作用があるとかないとか、いつかの日見た雑誌の知識が、気持ちの混乱を加速させているような気がした。
「これでよしと……はぁ、北上さんのせいで計画が台無しですよ」
「やっぱり大井っちが原因なんじゃん」
「提督が寝てしまった以上、秘書艦である私が書類を処理しなければいけません。なので私はこの辺りで失礼させていただきます」
「ちょっと! まだ話は終わってないよ! ……行っちゃった」
あれだけ固執している提督を置いて、大井はさっさと自分の責務を全うするように動き出した。静止の声も軽くスルーで、仕方ないかとチラリと提督を見る。自分は医学の知識はないが、張本人が大丈夫と言っているのなら問題はないのだろう。
ようやく人目から離れたと、フーと背もたれのない椅子に座り、だらしなく脱力する。なんとなしに眺める提督は無防備で、今なら何をしても許される気がした。
「……」
物は試して手は伸ばされて、辿り着いたのは手の平。にぎにぎと両手で手の感触を確かめて、まるで手相を見るのかマッサージをするような光景。誰の目もないからか、取る行動の出は早く、大幅な遅れをからの焦りで積極性は北上史上最高峰と呼び声高い。
「……」
形に残る戦果が欲しいと北上が睨んだ先は、間抜けに半開きにされた口へと向かう。周囲や窓に部外者がいないことを再度確認すると、なんてことない日常のように、唇と唇の距離をみるみる狭めていく。
「……」
視界が提督いっぱいになったところで動きが止まった。ただの唇を重ね合わせるだけなのに、どうしてどうして怖気付いているんだろう私と首を振る。
接吻がキスたらしめる難易度。しかし、この無性に湧き上がるこの羞恥心を克服すれば、大井と同列どころか一気にリードも射程圏内のチャンス。あとの隙間は目を閉じて……。
ガチャ
「うわわわ」
「あれ? どうかしましたか北上さん」
「い、いや。ちょっと提督が倒れちゃってさぁ」
医務室の主人である明石が顔を出すと、北上は勢いよく立ち上がってる。タハハと笑ったその顔は、暖を取れるほどに燃え盛っているのだった。