東方小話集   作:尖った耳

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例の日

 

 

 

 

 

 

八月の暮れ。

既に夏も終わる頃ではあるが、まだまだ猛暑の日々が続いている。蝉の鳴き声はそろそろ断末魔染みてきているにせよ。

どうやら聖は、茹だるように暑い法堂の中、季節にそぐわない相変わらずの暑苦しい格好で、暇な信者相手に説法をしているようだ。遠目にはよく見えないが、きっと何時も通りのぴんと張った背筋で正座をして、思わず見惚れてしまうような美しい所作を、住職として皆に見せつけているのだろう。

まあ、見せつける、と言っても、相手にはっきりと分からせる、といった意味合いであるが。無意識にそれをやってのける聖のカリスマは流石のものである。

 

さて、買い物から帰ったはいいが。

何時も門前に居る響子さえ見当たらない。そもそも一応は御本尊扱いの私を駆り出すというのは、随分と珍しいことである。尤も、いくら居るだけで効果が有るとは言え置物には成りたく無いので、自分なりに修行してこそいるし、寺の手伝いだって幾らでもやるのだが。どうも皆少し遠慮している節がある。

まあ、それは置いておいて。

聖以外に誰も居ない。

 

ああ、成る程。忘れていた...

偶に有ることだ。今回は私が買い出し担当だったというわけか。

 

 

 

日が傾き始めている。見立て通りならそろそろ信者は疎らになるだろう。

炊事場に行ってきたが、案の定であった。村紗にはバレていたようで少し怒られてしまったが、必要なものが揃っていたのは幸運であった。

少しぶらぶらとしている間に、どうやら皆帰ったようだ。

 

「お疲れ様です、聖」

 

「あら星」

 

「今日は例の日ですね」

 

「そうね」

 

どうやら聖はしっかり覚えていたらしい。となると私一人だけ抜けていたのか、参ったな...。最近どうも忘れっぽくて困る。

 

「それじゃあ」

 

「用意してありますよ。どうぞ」

 

実は帰ってくるまで忘れていたんです...偶々買っていて本当に良かった。買わないことの方が少ないにせよ。

 

「有難うね」

 

それじゃあ、炊事場に行きますか。

 

 

 

 

~~~~

 

 

 

 

 

ゆっくりと慎重に、火を点ける。

淡い色味の粉末に火が燻って、そうして暫くすると、方丈一杯に塗香特有の香りが拡がった。

懐かしい香り。本来は写経用の香であるのだけれど、こうしてただぼんやりと過ごすのによく使う。数週に一度だろうか?

 

鼻腔一杯に空気を吸い込む。思い出すのは、弟のこと。

 

命蓮。

それはそれは素晴らしい僧侶だった。

 

亡き弟に思いを馳せる。

 

彼の息抜きがこの香であった。

当時の私は未熟な僧侶であったから、優秀な弟を誇りに思いつつも、姉としての卑小なプライドに押し潰されそうだったのかも知れない。

無理な修行をしていたという意識は無かったが、どうもそう言うことであったらしく。

 

心配そうに私に声を掛けた、弟の顔は忘れられない。

半ば無理矢理に、私を荒行から引っ剥がす為に、そうして私も一緒にぼんやりとする運びとなった。

 

目を閉じれば弟が居るような気がしやしないだろうか。

何せ五感のうち当時と異なるのは一つ、視覚だけなのだ。それを閉じてしまえば、同じ香りの部屋でただぼんやりとしていることが、弟との再開に成り得る。

 

成り得るか?

 

否、成り得ない。

 

彼の死を見て、そこから居なくなってしまったことを自覚して、それに臆面もなく恐怖したのは何処の誰で在ったか。

自分が消えることも、他人が消えることも、金輪際御免被ると、立ち消えはしない妖怪に助力したのは何故か?

昔有った出来事にも懲りずに、世の為と言い訳をしては、私の存在を周知のものにしようとしているのは、どうしてか?

 

私は弱くて、誰よりも忘れ去られることが怖くて。

 

それは随分なエゴイズムでは無かろうか?

 

 

思考して、しかし相変わらず答えは見当たらず。空ら空らし始めて、夕映えに方丈が染まった。

 

 

 

~~~~

 

 

 

 

 

 

昼時。昼食を済ませて、直ぐに準備に取り掛かる。星は買い出し、一輪、響子、それから私は炊事係。ナズーリンは探し物。ぬえはマミゾウさんと宜しくやっているのやら、見当たらない。どうも馴染めない様で外に出ている事が多いが、まあ、夜になれば帰ってくるだろう。

 

 

精進料理と言うのは厄介なものだ。

肉魚であれば一品で済むところを、補う為に何品も作らなければならない。

その為、普段はあまり凝ったものは出していない。大抵が漬け物に汁物、そこに一品二品付けて夕餉としている。

 

今日は大忙しだ。なんと言っても例の日なのである。久々に豪勢な食事が出来るが、用意するのは私達。つまりそれが豪勢であればある程私達の忙しさは増すのであって...

 

「さてさて」

 

「何時もの品目でいいんでしょ?」

 

「うん」

 

「何時ものって何ですかー?」

 

「ああ、響子。説明するよ」

 

...一生懸命なのは良いんだけど、覚えててくれるかなぁ。

子供の手伝い程度に考えておくとして、私と一輪、二人で毎年乗り越えてきた経験から言わせてもらうと...

 

「それじゃあ、作業開始!」

 

一時間後にでもここは戦場と化すのだ。

 

 

 

 

~~~~

 

 

 

 

「しまった、味噌切れてるわね」

 

「響子!蔵から取ってきて!」

 

「はい只今!」

 

出汁一つ取るにも結構な手間だ。ああ忙しい。響子は意外にも飲み込みが早く、例年よりは楽かもしれないが。それにしたって可也忙しい。聖の封印前はどうやって越していたのやら、よもや越せていなかったのではないかと疑わしくなってくる。

 

「ただいま」

 

視界の隅に、灰色の人影を認めた。

料理に注視しつつも、視線をやる。

 

「帰ったよ」

 

「それ以上進まないでね、ナズ」

 

「端からそのつもりさ。鼠達が入ってしまうかもしれないからね」

 

「難儀ねえ」

 

「厨房に鼠の数匹居るのは当たり前。潜んでいるか居ないかの違いだと思うんだがなぁ」

 

「ペストに羅るわよ」

 

「ははっ、そりゃ怖い」

 

仰々しく笑って見せるナズ。

 

「ところで」

「探し物はこれで合っているかい?」

 

「ん」

「オーケーオーケー。大丈夫よ」

 

「それじゃあ

「御主人の様子でも見に行こうかね」

「お邪魔みたいだし」

 

「はいはい。出来たら呼びに行くわよ」

 

 

 

「あーそうだ」

「まだ仕事残ってるじゃないか...」

 

 

 

 

~~~~

 

 

 

 

 

ようやく一段落。まあ、鍋は見ていなければならないし、下拵えが済んだだけの食材も多いけど。一輪は花でも摘みに行った様だし、星が帰って来るまで忙しくは無い。

 

「ただいま」

 

何時もの事ながら、タイミングが良い。

 

「お帰りなさい」

「買い物袋」

 

「はい」

 

「...ん、揃ってるね」

 

「そりゃあ、御使いも出来ないようでは毘沙門天様に申し訳が立ちません」

 

自慢気に言っているが、さて。

 

「さっき頼んだとき変な顔してたから、てっきり今日のこと忘れてるんじゃないかと思ってたんだよね」

 

星の顔が歪む。図星か。

 

「うぅ...」

「毘沙門天様に申し訳が立ちません...」

 

本気で悄気る辺り彼女らしいと言えば彼女らしい。

 

「...まあ、結果としては問題なかったし、良いんじゃない?」

 

「村紗は流石キャプテンですねぇ」

 

「次は無い」

 

「以後絶対に覚えておきます!」

 

とは言え、封印が解けて初めてのこの日であるから、星がうっかりするのも仕方無い。寧ろ私達はどうして数百年前の事をはっきり覚えていたんだろうか。

聖が封印されてからも聖に任された仕事を出来た彼女と、ただ封印されたままで居ることしか出来なかった私達、その差なのだろうか。埋められなかった永い月日をこうすることで埋め合わせようとしているのだろうか。

 

まあ、しかし、或いは彼女が単に忘れっぽいだけか。うん、そうに違いないや。皆変に気を置いているけれど、あのうっかりさんは中々どうして親しみやすいのである。

 

妙にぎこちない動きで出ていった星を尻目に、調理を再開した。

 

 

 

~~~~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「姉さん」

 

「んぅ...?」

 

頭がぼんやりする。

 

「誰...?」

 

「酷いなあ、折角弟が起こしてあげたのに」

 

「ああ、命蓮ね...」

 

何だか意識がはっきりしない。ぽっかりと何か抜け落ちている様な...

恐る恐る目を開ける。

 

「目、覚めた?」

 

齢十歳と言ったところで有ろうか。若々しさを伴った快活そうな少年が、枕元から私の顔を覗き込んでいた。

 

「うん...」

 

「何だか、姉さん寝惚けてるね」

「ちょっと散歩にでも行かない?」

 

「そうしようかしら...」

 

「じゃあ、着替えてきてね。門の前で待ってるよ」

 

寝起きで言うことを聞かない体を無理矢理引き摺るようにして、箪笥を開けた。

最近漸く届くようになった三段目の引き出しから、着替えを取り出す。その代償か、少し前まで着ていた気に入りの服は着られなくなってしまった。

 

急いで着替え、洗面所で簡単に身嗜みを整えて、弟の元へ向かう。

誘いなど掛けなくとも、散歩は殆ど日課のようなものであるのに。

 

 

 

 

 

 

門の前では、既に青年が待っていた。

 

「ごめんね、待たせちゃったでしょ?」

 

「いえ、お気になさらず」

 

「その敬語は止して欲しいって、前々から言ってるじゃない」

 

「そうは言われましても...もう癖になってしまいました」

 

連日坊主生活、最近では優秀だと説法を任されたりもしている。敬語が癖になってしまうのも、分からなくは無い。

無いけど...

 

「むぅ...」

 

「何だか申し訳無いですねぇ」

 

少し顔を見合わせる。こうは言っているが、その実彼はとんでもなく頑固だ。変えないと言っているのだから変えてはくれないだろう。

 

「さて、行きましょうか」

 

「悪いわね、付き合わせちゃって」

 

「一人で放っておくと何をするか分かったものじゃありません」

 

「流石にそこまでやらないわよ」

 

「その寸前までやるんでしょう...全く、手の掛かる姉を持ったものです」

 

言わせておけば。

 

「ふん、直ぐに命蓮なんて追い越してやるんだから!」

 

「仏の為ではなく自分の為、それでは真に僧として成長したとは言えませんよ」

 

「むむぅ...」

 

「だからこうして付き添っているんです、やり過ぎない様に」

 

何だかんだ言っても心配してくれるのは嬉しい。だが、弟がここまで成長したのに姉はと言えば...

頑張らなくてはいけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

夕焼けに染まる寺。縁側に座り込んで、二人で甘味を味わっている。

 

「こんな話が有ります」

「昔々、ある寺の和尚が水飴を隠し持っていました」

「その寺で修行をしているとある幼い坊主が、和尚が水飴を舐めているのを見て、おらにも舐めさせてくれと言ったそうです」

 

「うん、それで?」

 

「それを聞いた和尚、これは子供が舐めると毒になるからやめておけ、と」

「勿論坊主は嘘だと分かっていましたから、一計を案じた訳です」

 

「はいはい。どんな?」

 

「和尚が居ない隙に大事な壺を割って、水飴をたんと舐めた後、全身にそれを塗りたくったそうですよ」

 

「うーん?」

「ああ、そういうことか」

 

「分かりましたか。壺を割ってしまったので死んで償おうと思った、と。そう言ったんですよ」

「嘘はいけないという教訓話です」

 

「ふふ」

「明日辺り壺が割れてるかもしれないわね」

 

「坊主達には内緒でしたからねぇ...」

「まあ、聞かれたら正直に答えますよ」

 

「なんて?」

 

「やらん、と」

 

「正直の方が酷いんじゃない?」

 

「そんなことは有りません」

 

長閑な時間が過ぎていく。

 

「ところで姉さん」

「そろそろ次代を確りと育てなければなりません」

 

「突然ね。どうして?」

 

「そりゃあ、育てておくに越した事は無いですよ。私達も結構な歳です」

 

「成る程ねぇ...」

 

命蓮は殺しても死なないような気がするが。

 

「そうね、明日辺りから早速」

 

「ええ」

 

「......もう長くはありませんから...」

 

「何か言った?」

 

「いえ、何も」

 

 

 

 

 

 

 

 

夜更け。

香の匂いが充満する小さな方丈に、嗄れた命蓮が臥せている。多分、もう長くは保たないだろう。

我が身を振り返れば、年上であるから当然とは言え、まあ随分と衰えたものである。それでも弟より長く生きてしまいそうなのは、或いは御仏の采配であろうが...些か残酷では無いかと、そう思わずにはいられない。

 

「姉さん」

 

「なんだい?命蓮」

 

声もお互い嗄れてしまった。

 

「そろそろ気付く頃だと思うのですが」

 

「はて、何のことやら」

 

「気付いているんですね」

 

気付いている。きっとそれは命蓮の力の一部によるものだったのだろう。

 

「...はぁ、勘が良いわね」

 

「姉さんのことは一番よく知っていますから」

「それに、夕刻を過ぎた辺りで徐々に思い出す様な仕掛けにしましたしね」

 

事実そうだった。体が老人になって初めて気付いたのだ。数十年の時を過ごしていたと思っていたら、実際には大凡一日分の記憶しか無いこと。その一日と言うのも夢の中のことであり、数時間の出来事かもしれないこと。そして何より...これが現実では無く、現実には"命蓮寺"の聖白蓮が居ること。

その決定的な証拠が、夜更けになって漸く掴めたのだ。

 

「だって」

「命蓮は私の前で」

「こんなに綺麗に死んでくれなかったもの」

 

「...ええ」

 

「私の見ていないところで」

「ちゃっかり自分だけ逝っちゃった」

「病気のことを教えてくれなかった」

 

「......」

 

「だからトラウマになっちゃったのよ」

「死ぬのが怖くて」

「それで、人間じゃなくなっちゃった」

 

「姉さん」

 

「何よ」

 

「死ぬのは、まだ怖いですか?」

 

「ええ、勿論」

 

命蓮の表情が陰るのが分かる。私の弱さが原因だったのに、私がこうなってしまったのは自分のせいだとでも思って、負い目を感じているのだろう。そう言う妙な正義感の有る弟だった。

 

「でもね」

「今日ので踏ん切りが付いたわ」

 

「え?」

 

「私が死を怖れるのはもう、死ぬことそのものが怖いからじゃないわ」

「寺に私を必要としてくれる人が沢山居る。だから私はまだ死ねない」

 

「姉さん...」

 

「妖怪僧侶なんて前代未聞でしょうけどね」

 

「全くです...でも」

「私は姉さんの考えは素晴らしいと思いますよ」

 

「うん、有り難う」

「それと」

「どうしてここまで大きなことが出来たの?」

 

「それは勿論修行の賜物...と言いたいところですが」

「彼岸からそう日が経っていませんし、それに今日は私の命日でしょう?」

「姉さんの大事な方々が、曲がりなりにも年回忌を開いて下さっていますから」

 

「成る程、いやそれにしても、やっぱり凄い僧侶なのね」

 

「その代わり、もう二度と同じことは出来ないですがね」

 

「そっか」

「それとね、もう一つ」

 

「何です?」

 

「その...ね、久し振りに話せて、嬉しかった」

 

「こちらこそ」

「それじゃあ、もう会えないでしょうが。これでお別れです」

 

「うん」

 

「お元気で、姉さん」

 

そう言うと痩せ細った命蓮は、私の夢の中で、静かに息を引き取った。

...やっと私は、彼の死に目に会うことが出来た。もう二度と会えないけれど、悲しみより、満足感が勝っていた。

脇には短刀。皆に顔向け出来るように、けじめを付けなければならない。

 

そうして私は、自分の喉に白刃を突き立てた。寿命を亡くした人間は、数百年も遅れて漸く一度死んだ。

 

 

~~~~

 

 

 

 

香の残り香ではっとして目を覚ますと、もう夜になっていた。転た寝にしては寝過ぎであるが、仕方有るまい。

 

「聖ー?」

 

「あら、呼びに来てくれたのね。有り難う」

 

「いえいえ。皆集まってますよ」

 

「あら。それじゃあ急がなくちゃね」

 

 

~~~~

 

 

「それでは」

 

仰々しく咳払いをして、村紗が言う。

 

「これより"例の日"を執り行います」

 

「まあ、食事するだけなんだけどね」

 

「一輪...身も蓋も無いこと言わないの」

 

テーブルには在りし日の命蓮の好物ばかりが並んでいる。封印される前は毎年行っていたが、数百年経っても皆覚えていたとは。

 

「聖さん」

「儂も参加して良いかのう?」

 

「だからこれは行事だから信仰している奴だけなんだってば...」

 

「構いませんよ?」

 

少し前の私なら、難色を示していたかも知れないけれど。

 

「それとね」

「今年から"例の日"は廃止とします!」

 

「本当に?」

 

「また突然どうして」

 

「まあ、色々と考えるところが有ったのよ」

 

「結局何の日だったのかは」

 

「それは教えてあげられないわ」

 

「やっぱり」

 

「まあそんなわけで」

「今日はパーティーみたいなものだと思って、皆自由にどうぞ!」

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