過去。
思い出したくない過去。
病魔で蝕まれた一人の青年、そしてそれは妹の過去の記憶。
それから既に7年以上経っている。
月日が立てば、人は悲しみを忘れる。本当に、少しずつ。
しかし、七年はまだまだ短い。忘れるのには時間がかかるのだ。
その記憶はまだ脳裏にしっかりと焼きついている。
スポーツをやっている姿、笑顔を浮かべている姿、そして、最期の姿。
水色の髪をした女子生徒は眼を丸くしたまま動かない。
なぜなら、亡くなった兄の容姿そっくりの人物が、そこに居るのだから。
02 「翼」お兄ちゃん
(はぁ?いきなり何を言っているんだこの子は?)
亜流の頭の上にハテナマークが浮かんでいる。疑問しか出てこない。
まず、亜流には妹と言う存在は居ない。
高校生、正確には中学三年の冬に一人暮らしを始めた亜流にとって、まず他の人物が家に入ることはない。
しかもその人物は、合鍵を持っている母親のみ。妹など居た記憶すらない。
(いや、まてよ……)
そう言えば母親から、過去に自分には生き別れの妹がいた事を母から聞いたことがあった。
しかし、亜流の記憶のメモリに妹は存在していない。生まれて15年、「妹がいた!」と言う記憶がない。
第一、共に生活している中でも、母親がそのことについて殆ど口にしなかった。思い出すのが苦痛なのか、それは母親にしか分からない。
今思い出すにしても、あまりに古過ぎる情報だった。
話を戻そう。亜流の目の前には、女の子が座り込んでいる。亜流は困惑気味に、横目で彼女を見た。
水色の髪。大きい瞳。白鳳学園指定のセーラー服。
白鳳学園に通っている女子や、クラスの女子なんて、殆ど記憶していなかった亜流。
特に女子に話しかけた事は無い。面識は無い筈だ。
「翼お兄ちゃん、何で……」
なのに、この子は何故自分のことを「お兄ちゃん」と呼ぶのだろうか。
まず名乗った記憶は無い。それどころか出会った記憶も無い。
しかも今「翼」と呼んだ。確かに亜流翼なのであっていることはあっているのだが。
女の子は涙ぐみながら、こちらの方を凝視していた。
しかし亜流は面識0パーセント。ナッシング。記憶無し。
「ちょ、ちょっと待て!行き成り何!?」
流石の亜流も、声を荒げることしかできなかった。
行き成り目の前で泣かれたら困る。
(オイオイ、俺が虐めているにしか見えないじゃないか)
亜流が声を荒げた瞬間、涙ぐんでいた女子生徒の涙がぴたりと止まった。
そしてキョトンとした表情で亜流を見ていた。
亜流は溜息をつき、頭をガシガシとかいた。
あー、あー、と言い難そうに一二度言っていたが、とりあえず言ってみる事に。
「とりあえず、起きてくれ。そのままだと少しヤバイ」
「えっ?……あっ!!」
スカートを隠しながら、颯爽と立ち上がる女子生徒。
顔を赤らめながら、ジーと亜流を見る。
亜流もげんなりしながら女子生徒を眺めていた。
女子生徒は、口をモゴモゴさせている。何か言いたげそうだ。
「なんだよ?」
「……見たよね?」
「は?」
「……そういうの、デリカシーがないって言うんだよ」
(いや、いきなりそういわれもな。どうすりゃいいんだよ)
お兄ちゃんと呼ばれたり、デリカシーが無いといわれたり。物凄く頭が痛い。
とりあえず埒が明かないので、首を横に振る。
「見てない」
「……嘘」
「本当だ」
「………」
とりあえず亜流たちは、学園へ向かうことにした。
彼女の話を聴いたところ、亡くなった彼女の兄貴の姿、髪型、容姿がそっくりだとか。
亜流は更にげんなりした。不思議な出来事だ。と呟いた。
彼女はと言うと、こっちを見て笑みを浮かべたと思えば、亜流の視線に気づくと不機嫌になったり。
とりあえず先ほどスカートの中を覗いたことは、まだまだ気にしているのだろう。
(ハァ、頭痛い)
(翼お兄ちゃんだよね……?翼お兄ちゃん……)
それぞれ違うことを考え、二人は歩みを始めていた。
………
……
…
ガラガラガラ―――――。
一年二組のドアが開く。
そこから姿を現せたのは、亜流翼。非常に不機嫌である。
その亜流に近づいてくる足音が一つ。
亜流の眼はその足音を鳴らしている方へ。
するとそこには山倉愁が笑顔で亜流に挨拶をした。
「おはよ、翼」
「おう、おはよう、山倉」
「ありゃ、何か不機嫌だな。何かあったのか?」
「ああ、そうだな」
亜流がため息をつく。山倉は首を捻る。
とその時、亜流の後方から女の子の声が聞こえてきた。
「ちょっとお兄ちゃん!そこからどかないと入れないよ!」
「………、は?」
「ハァ……」
その声を聴いた瞬間、山倉は思わず固まってしまった。
それもその筈、亜流の後ろには一人の女子生徒が立っているのだ。
それならまだ分かるのだが、その女子生徒から「お兄ちゃん」と聞こえた気がするのだ。
亜流に妹が居ないことは知っている山倉愁。
山倉は数十秒の後、硬直から立ち直る。驚いた表情が戻らない。
亜流の不機嫌の理由が分かった気がする。
「お、おい翼、お前、妹いたっけ?いないよな?」
「ああ、いないな」
亜流は後ろにいる女子生徒を、教室の中に入れた。
山倉は「説明してくれ」と亜流に言うと、頬をポリポリと掻きながら亜流は口を開く。
「まあ、何だ。俺も初めて出会ったんだが、どうやらこの子の兄と俺はそっくりならしく、どうやら名前も翼らしい」
「うんうん」
「でさ、ずっとお兄ちゃん言い続けているんだ」
「え?」
亜流は額を押さえる。
勿論その原因はこの女子生徒。
「おい、音羽。いい加減に、お兄ちゃんって言うの止めてくれ」
「え?」
女子生徒は天にいっぱいにクエスチョンマークを浮かべた。
山倉は「ああー」と理解したのか、ポンと手を叩く。
(こりゃ、天然やな!)
(お前も十分天然だよ)
とりあえず山倉には山倉に突込みを入れておいた。
亜流はげんなりしながらため息をする。今日何度目かはもう忘れた。
しかし、今の問題はその発言。
今まで関係の無い子にずっと「お兄ちゃん」呼ばわりされるのは、周りの眼が痛いのでやめてほしいのだ。
「俺はお前の兄貴じゃない!」
「だって絶対に翼お兄ちゃんだもん!姿髪色瞳の色、全部そっくりなんだもん!」
「いや、確かに俺は翼だけど、亜流翼だ!お前の兄貴じゃないって!」
「違うもん!絶対翼お兄ちゃんだもん!!」
「違うわ!俺は亜流翼だ!!」
言い争いを始めた亜流と女子生徒。
蚊帳の外から見たら、どっからどうみても痴話げんかにしか見えない。
山倉は、そんな二人を見て豪快に溜息を付いた。
………
……
…
一応言っておくが二人は同じクラスだったりする。
それなら昨日の入学式は何故気が付かなかったのか。出席番号順だったし、席も前と後ろの違いだけ。
そう女子生徒に聞くと、昨日は熱がありぼぅとしていたらしい。
なんとなく分かる気がするが、それでも女子生徒が兄と勘違いするほど似ているのに、昨日話しかけてこなかったのはしっくりこない。
(そんなことはどうでもいい!何でずっとお兄ちゃんって呼ばれ続けているんだよ!!)
亜流は頭を抱えながら自分の椅子に座った。
一方の音羽は顔をぷーと膨らませながらも、何とか自ら静めさせ自分の席に座った。
………
……
…
夜。亜流の携帯電話にある人物電話から電話がかかってきた。
台所で晩飯を作る途中。ケータイが鳴る。テーブルにおいてあったので、取りに行く羽目になった。
あて先を見る。どうやら母親のようだ。
「はい、もしもし」
『ごめんね、あっくん。昨日電話かけるつもりだったのに忙しくてかけられなかったよ』
「別にいいよ、気にしていない」
『とりあえず、白鳳学園に入学おめでとー!』
亜流鶫(ありゅうつぐみ)、亜流の母親である。
名前が「翼」なのに、呼び名は「あっくん」なのは、長田と言う人物の影響らしい。
呼び名に関しては呼ばれ慣れているので、もう突っ込まない。
他愛もない会話を繰り返したのち、亜流は聞いてみることにした。
もちろん、今日起きた出来事だ。
「なあ、お袋。俺って生き別れの妹いるんだよな」
『なーに、いきなりどうしたの?』
「いやさ、今日俺を兄って呼ぶ女の子と出会ってさ」
『ふーん』
「お袋?」
『あっくん、それ妄想だよね!』
「ホントだよ!冗談で言ってねーよ!!」
取りとめのない会話を交わし電話を切った。
結局母親にペースを握られ、聞き出すことが出来なかった。
亜流は盛大なため息をついた。
4月11日、放課後。いよいよ高校野球開始の日。
亜流と山倉は入部届けの紙を提出後、野球部の練習が行っているグラウンドに向かった。
少し緊張してきた。一体どんな野球部なのだろうか。
当然創立三年目の白鳳学園野球部だ。知名度は低いだろう。
亜流が顎に指を当てて考えていると、山倉は鞄の中からある一冊のメモ帳を取り出した。
「こんなこともあろうかと、白鳳学園野球部の歴史を纏めておいたぜー」
「流石山倉。見せてくれ」
「ほいよー」
パラパラとメモ帳を眺める亜流。
どうやら通算で三勝はしており、本当に最弱高校ではなさそうだ。
更にデータを見てみると、本塁打を19本打っている選手もいたり、通算打率三割を超える選手も居る。
そして昨日のグラウンドの光景を思い出す。活気はある。
「まあ、いいところじゃねぇか?やってやるぜ」
やる気は十分。自分の直球の威力と、打法の力を見せてやる。
亜流はメモ帳を山倉に返し、拳に力を入れた。
「……で、だ。何でお前は野球部にまでついて来るんだ?」
「え?」
キョトンとした顔で、水色の髪をした女子生徒は亜流に、ピッと人差し指を立てた。
「だってマネージャー志望だもん!もう入部届けだしたも~ん」
「……なるほどな。まぁ、それなら良い。だが……」
「だが?」
「お願いだ、授業中にまでお兄ちゃんとまで言わないでくれ」
「だって、お兄ちゃん何だもん!」
「………」
亜流は溜息を付いた。
白鳳学園の授業開始が早い。
その授業中。彼女の名前は音羽優希(おとわゆうき)と言うのだが、音羽は授業中、先生に当てられたのだ。
悠々と答え正解し、次に当てるのを誰にするかと言われたのだ。
「じゃあ、お兄ちゃん!」
教室に衝撃が走った。
亜流は顔を赤らめながら弁解していたが。
三時限目の休み時間、クラスの男子生徒数名に亜流は絡まれた。
「……おい、亜流」
「あん?」
「お前そんな鋭い目するなよー」
「今機嫌悪いの分かってるだろ?」
バン!
「何だよ?」
「お前、何で音羽ちゃんに『お兄ちゃん』って呼ばれているのさ?」
「知らん」
「知らん、……ってそんなわけ無いだろ!何か裏が有るに違いないだろ!!?」
「だから知らん。知らんものは知らん」
「この野朗……」
怒りの感情が爆発寸前。三人組は拳を握る。
亜流は身構える。今のこいつ等は何をしてもおかしくない。
そして三人組、湊、山本、横河と言う男子生徒は声を同時に放つ。
「羨ましいぞこの畜生め!」
「この男子生徒の敵め!」
「お前絶対良い生き方しないぞ!」
「………」
亜流に、微妙なる殺意が芽生えた。
勿論、山倉以外の他の生徒からは放課後まで、かなり白い目で見られてしまったのだ。
「だからお兄ちゃん……」
「だからそれを止めろ!!!」
山倉は全く話に入れず溜息を付いた。友を同情する。