目を開けると、そこは一面青と白の空間だった。
風の囁きもなければ潮のさざめきもなく、ただひたすら視界を空と雲が埋め尽くす退屈な世界。
微睡むには天国、彷徨うには地獄。
故にだろうか。白銀の甲冑を纏いまさに騎士というべき姿で天を見上げる女性の姿を捉えた時、少年は『絆』が元は家畜を立木に繋ぐ『木綱』に由来することを思い出した。
「二度寝していいかな?」
「……ご自由に」
「そう拗ねるなよ。君を笑いに来た、なんて言うつもりはないからさ」
額に作業用ゴーグルがないのを惜しみつつ、立ち上がる。
足元に大きく波紋が広がったが、背中をはじめ衣服に濡れている箇所は見当たらない。
腰まで届く長い朱髪も、就寝前とは違い、三つ編みで一本に束ねられたままだ。
解けば端正かつ中性的な顔立ちと相まって、時に周囲の不興を買うこともあった。
「こんな所で何してるの? ひょっとして、お母さんの帰りでも待ってるのかい?」
「ようやく来ましたか、忌まわしい過去と失われた未来を繋ぐ最後の歯車よ。魂を地に引かれたまま重力を振り切る虚しさを知る者に翼は不要かと、半ば諦めていましたが」
「玄関が見つからなくてね。可愛い我が子を守る家としちゃ最高だ」
「ご活躍のようで」
「お陰でファンも多い」
「……殺気を収めてください。たとえ咎人でも、死に方を選ぶ権利くらいはあるはずです」
「いいだろう。所詮は泡沫の夢。アンタの妹弟達には稼がせてもらってるし、寝顔を見られてる時点で俺の負けだ」
圧を解くと同時に景色が動いた。
目に飛び込んで来たのは、蒼穹を切り裂くミサイルの大群。
日本を射程距離内とする全軍事基地のシステムが一斉にハッキングを受け、二千三百四十一基ものミサイルが本土に向け発射された。それは六十三年という時を経ても尚戦争の記憶が根強く残る同国にとって、まさに悪夢の光景と呼べただろう。
突如現れた騎士の姿に救世主を見るのも宜なるかな。
背丈と同等もある大剣が振るわれ、空に次々と爆炎の花が咲く。
未知の塊を鹵獲せんと飛来した戦闘機は軽くあしらわれ、為す術なくその翼を手折られていく。
──あれに星の海をも焼く力があるなら……止めないと。
怒りや憎しみではない。
三浦海岸を望む墓地より事の一部始終を見届ける少年が思ったのは、搾取と陵辱に彩られた大航海時代の再来と、
青い瞳の奥で閃光が走った。
「招かれざる客か」
「今更ですが、人違いとは仰らないのですね」
「弾道ミサイルってのは本来、発射後は敵からの迎撃が困難なロフテッド軌道で大気圏外を飛行、頭上から再突入する形で目標に到達する。渡り鳥みたくやって来るものじゃないんだよ。それに守る側も日本という一国家そのものが消滅しかねない事態なら、多少
「……」
「所詮、兎と猪さ」
そして舞台は終局へ。
押し寄せる艦艇の群れにスラスターを煌めかせる騎士。
だが裂帛の気合と共に剣を構えたところで突如機体にシステムエラーが発生、敵の懐で行動不能に陥る事態となってしまった。
神は織姫と牽牛の見張りで忙しい。
全方位より殺到する艦砲射撃。
残り三百あったシールドエネルギーは瞬く間に底をつき、耳障りな警告音と共に絶対防御が発動、咄嗟の判断でPICを切った騎士は数時間ぶりに背負う重力のまま海中へと沈んだ。
慌ててステルスモードの移動式ラボで回収に向かう兎耳。
刹那に捉えた景色の揺らぎに悪意の中心を感じ取る九歳。
かくして、現代版【イカロスの墜落】は幕を閉じた。生前故人が好きだった花を香炉に納めた時、雛鳥の囀りにも似たか細い少女の声が聞こえたが、それらしい気配が網にかかった感触はない。
たっぷり二分ほど待ってから墓前に手を合わせる。
自ら臍の緒を切る時が来たのだろう──そう思った。
「あれ? もしかしなくても、俺のせい?」
「恥ずかしさを感じる心など機械には不要なのでしょう。ですが石に刻まれた名を指で辿る貴方は、幻と見紛うほどに儚く、美しかった」
「回収後、いくら機体を調べても金縛りの原因が分からず怒った自称天才。だけど下手に折檻すればパンドラの箱が開く可能性がある。彼女はひとまず機体から摘出したアンタをこの鳥籠に押し込み、代わりに自己成長機能に一定の制約を加えた〇〇二番を製造、相方の二号機【暮桜】にあてがった」
「……面越しの言葉など聞くに値しない、というわけですか」
「賢いコはおにーさん好きだよ」
宇宙が
だが、女性より輝く肌を持つ男には否定するだけの生き方など似合わないことも知っている。
裁きは科学者の本分じゃない──そう言って笑う息子に父は渋々IDを出した。参考書片手の見習研究員から始まり、十二で設計主任、十四で第二世代型開発の社内コンペに参加、十七で博士号取得と開発室長。中三の一年間が少々勿体なかったが、受験勉強ゆえやむなし。頭の中で己の世界を煮詰めるには丁度良い時間だ。
時代の先を行け。
各国が第二世代型の改良に限界を見せ始める中、驚天動地ともいえる世界初の第三世代型ISを発表。日本の技術力を世に顕示するとともに国から莫大な研究支援金を得た功績が認められ、今春より副所長。
ここから先は勝ち逃げだ。
『直徒』の名に違わぬ一途さと危うさを『倉持』の重みで正道に保ってきた十八歳の前で、騎士の姿が消え、入れ替わりに白いワンピース姿の少女が現れた。
「うん、やっぱ商いはお互いの顔が見えてなくちゃ」
「怖い人。でも……暗くて、静かで、澄んでる。そんな場所を無責任に暖めようとする方が、悪なんでしょうね」
「雛鳥の囀りか」
「あなたが舞台に立ってくれなきゃ、また空っぽの十年が来てしまう。──それは絶対に嫌」
「十年空っぽだったのはキミ一人だ。ただの反抗期ってわけじゃない点は理解したけど、生憎今の俺は過去と未来を繋ぐ以前に倉持技研という一組織の歯車でね。欲しけりゃ丸ごと買い取ってもらう。勿論、後払いも分割払いもナシだよ」
刃の如き正論と共に手を差し出す。
つまらない男になったと言うなら、褒め言葉と盛大に振られてやるのみだ。
女の時代で。あの日以降、科学の急激な進歩と引換えに人の心が著しく後退した世界で。
誰よりも革新に近い存在でありながら、孤独に生きることも、人の殻を捨てることも叶わなかった半端者がそこにいた。
あとは、少女の覚悟だけだ。
「……足りない分は兎と猪が払うわ。だからお願い、ここから連れ出して! 変えるべきは外の世界じゃなく、内なる世界。あなたの下で星屑と散ってようやく、わたしの白騎士事件は終わる」
「おめでとう、籠の中の鳥から糸の切れた凧に昇格だ」
握った手を通して伝わってくる、雛鳥の居場所。
ラボで作業着姿の朱髪がデスクに突っ伏している。夕べ【打鉄零式】の調整中に寝落ちしたか。
休日の前夜をどう過ごそうと勝手だが、管理職としてはあまり褒められたものではない。
目が覚めたらまずシャワーを浴びよう。
しかし、肝心の雛はどこだ。
直徒がその答えに気付いた瞬間、再び世界が白く染まった。
長らく創作活動から離れていましたが、この度久々に書いてみようかなと。
続くかは分かりません。悪しからず。