緋い夕日が海の彼方に沈んでいく。
春の嵐は電子の海へと舵を切り、IS学園の生徒達にようやく一日の終わりが訪れた。
が、皆その表情は暗い。
襲撃事件の全容を改めて放送で聞かされ、否が応にも自分達の前途が危ういのを認識。
入学初日にして進路の再考を余儀なくされてしまった。
失墜したブランドを身に纏ったところで十字架。
官なら純粋な実力のみで道も切り開けようが、民は最終的に誰と仕事をするかは雇う側が選ぶ。
看板たるISを使用した集団テロが起きた学校の生徒など何処が欲しようか。
女権団の支援企業でもなければ書類で即シュレッダー行きだ。
誰のせいなのか、誰が悪いのか、誰に恨みをぶつければいいのか。
加害者三名のうち早乙女梨香、小栗愛美は直徒の反撃で死亡、唯一の生存者岡田京香は既に退学処分。
試験会場のISに『無断で』触れたのが戦乙女の弟で幸いだった。
頭では酷と分かっていても、心はそうはいかないのが人間。
この世には零落白夜より遥かに恐ろしい刃がある。
寮の貯水タンクと空調室に爆弾を仕掛け終え、沈まぬ太陽は夕食の材料を買いに一階へと下りていった。
「……大変なことになっちゃったね」
「一、二年は夏にかなりの人数が出ていくでしょう。IS学園に受かる頭なら地元の編入試験も余裕です」
食べ終えた皿に水を張り、コスタリカで一服。
相手は紅茶と直徒は思っていたが、自分も飲んでみたいと言われたため仕方なく豆を減らした。
口に合わぬよう内心祈りながら。
片や名家令嬢兼国家代表候補生、片や企業令息兼二人目の男性適性者。
しかも互いに一年で専用機持ちとなれば、一〇三〇号室はまさに勝ち組夫婦の住む
起きながら眠る術は現在も錆びておらず、夜半に襲撃を受けても即対応可能。
さて、何人イカロスが出るか。
部屋から監視カメラや盗聴器は見つからなかった。
入学条件には記したが、念には念を。
これで聴かれていたら直徒の落ち度だ。
「凄い……
「正当防衛の証拠とはいえ、見世物みたいであまりいい気はしません。敵のレベルも無駄に上がりそうだ」
「でもお兄ちゃん凄いね。零式を乗りこなすし、早乙女先生は倒しちゃうし。知ってる? あの人元候補生で序列三位だったんだよ。平手さんが出てきたから代表にはなれなかったけど、超距離射撃の命中率は今も記録が破られてないみたい」
「何で教師になったんでしょうね?」
「うーん……布教、とか?」
飛んで乱気流に入って墜落する会話。
それでも簪は再び直徒と暮らせる喜びで胸がいっぱいだった。
母親が死んで心を病み、その療養のため更識家に預けられた朱髪の少年。
光のない眼が初めは少し怖かったが、気付いたら姉共々仲良くなっていたと少女は回想する。
転んで泣いていたら、簪は強い子と言ってくれた。
頑張って一人で立ち上がったら、偉いと頭を撫でながら褒めてくれた。
姉と比較されいじめられた時は、雷の如く飛んできて悪童共を叩きのめしてくれた。
周りに内緒で
(ふふっ、結局バレてお父さんと大喧嘩したんだよね、道場で。お兄ちゃん、一歩も引かなくて格好良かったなぁ)
今も昔も籠鳥扱いする姉とは違う。
直徒は真に自分のためを思い、時に厳しくも一人で羽ばたけるよう力を与えてくれた。
そんな彼だから、本気で好きになった。
科学者になるため実家に帰ると言われた時は泣いてしまったが、二度と母親に会えない彼のそれに比べればと、遠く目白より応援することを決めた。
いつか彼の作ったISで空を飛ぶのが夢。
その夢が叶ったら告白しよう──そう心に誓って。
(でも、またあの人に先を越された……せっかく自分で決めた道だったのに……)
父の跡を継ぎ家業に専念すると思っていた姉。
そんな姉がまたも影となり、ISの道を行く少女の眼前に立つ。
再び比べられる日々。
見えない言葉の刃に切り刻まれ悲鳴を上げる心。
何かに縋りたくてヒーローの世界を見つけた。
守るだけでなく立ち向かう勇気を与えてくれる姿に、在りし日の彼を重ねる。
そうしてなんとか歩を進めていたら、今度は両足に重りが。
あなたは無能のままでいなさいな────少女はついに倒れた。
(何度も声が聞きたくて電話しようとしたっけ。結局できなかったけど)
もう独りで歩けない。
中二の夏、適性検査でBと判り政府から訓練生のスカウトを受けたが、どうでもよかった。
姉は端からAで自由国籍権を使い、既にロシア代表候補生。
しかもその姉と同期の平手工業令嬢は日本国家代表だ。
やはり生まれ持った才能の壁というものは如何ともしがたい。
とはいえ将来食えなくなるのは流石に拙いので、無駄に身に付いた情報処理能力を活かしてエンジニアにでもなろう。
そういえば彼は横浜で元気にしているだろうか。
スカウトの回答期限の朝、寝ぼけ眼で開いたネットのニュースにその答えがあった。
(本当にビックリした時って、声が出ないものなんだよね)
倉持技研、世界初の第三世代ISを発表。開発者は十七歳の同社令息。
灰色だった少女の心に、朱白青のトリコロールパンチ。
体中を電流が駆け巡り、毛穴が開き、細胞が目覚めた。
理解が現実に追いつかない中冷静な思考を総動員、政府の担当者に連絡した。
専用機を得るには最低でも代表候補生。
支給されたスーツに袖を通し、足の重みも忘れただひたすら訓練に没頭。
彼が、大好きな人が待っているのだ。もう挫けるものか。
式典の模様は歯痒くも画面越しだったが、『思う』や『かも』といった曖昧な言葉に逃げず、巨大な会場で何万という人々を前に己が信念を語る彼の姿に悶絶。
後で姉が招かれていたと知り激しく嫉妬した。
同時に例の言葉で突き放された絶望が怒りに変わり、目標が彼の作ったISで『空を飛ぶ』から『姉を倒す』に変貌した。
敵はIS学園にあり。
沈まぬ太陽も自分のため方々から来る二号機の開発依頼を拒否している。
適性向上、候補生選抜、序列五位以内、受験勉強。
全てを突破して念願のテストパイロットになり、簪は訪れた倉持技研で十年ぶりに直徒と再会した。
頑張りましたね──たった一言、その一言で、抑えていた心の堰が切れた。
(でも……私は零式に適合しなかった。折角あの人を超える力を与えてもらったのに……)
完成されたものを弄るのは難しい。
太陽炉が世に革新的技術と言われる所以は『
言わば人工の臓器。本来健康な体には異物でしかないのだ。
その脳波は先天性で、かつ一定以上の強さがなければコアと太陽炉を同調させるのは不可能。
基準に満たぬ者が乗れば最悪双方が反発、機体の暴走もあり得る。
検査の結果、簪は否だった。たがそれでも少女は姉に勝つため、不退転の覚悟で直徒に二号機の製作を望んだ。
そこから先は最早語るまい。
霧はきっと太陽が晴らしてくれる。
もう一つの戦いも既に両脇を固められているが、再び同じ屋根の下とは何たる僥倖。
これを機に十年以上分取り戻したい。
「──ふふっ」
「何か?」
「あ、ううん。いつから直君のこと『お兄ちゃん』って呼んでたかなって」
大した機長だ、と直徒は空いたカップを机に置く。
コーヒーは冷めないうちに飲むのがルールだが、某映画は四回どころか一度も泣けなかった。
忘れ難いデートでの失敗の一つだ。
ヒカルノと明乃は、いつまで共にいてくれるのか。
直徒が二股しているのだから、向こうが同様でも文句は言えない。
戦いに疲れて去るか、或いは全てが終わった後で平穏という名の無菌状態に耐えられず去るか。
いかなる時も正気を失うなかれ。
打倒天災にかまけて恋を疎かにするつもりはないが、互いに心を尽くしたうえで絆が切れるのなら、その時はこれまで同じ喜怒哀楽を分かち合えたことを感謝するのみ。
青い瞳はどこまでも静かで澄み切っていた。
「っ!? ご、ごめんなさい! 私、一人で勝手に……」
「あっはっは。お帰りなさいませ、お嬢様♪」
「はぅ……」
沈まぬ太陽を前にしても、心は夢の中。
虫除けにはなるかと直徒は思った────その時だった。
(────ん?)
階段を下りてこちらに接近してくる気配が一つ。
未確認の波長に直徒は網を張ったまま懐からM1911A1を出し、安全装置を解除。
春雨の武装も全て部分展開直前で待機完了にした。
「ど、どうしたのお兄ちゃん!? 何でそんなもの──」
「しっ、誰か来ます。お嬢さんは向こうの隅に。あと弐式をいつでも出せるようにして」
青褪める簪を頭を撫でて移動させ、ベッドの陰に隠れる直徒。
互いに銃など比較にならない兵器を所持しているのだが、何ともはや。
しばらくして、控え目なノックが二回鳴った。
「やっはろー、どなた?」
「夜分に申し訳ありません、英国代表候補生サラ・ウェルキンです。後輩の非礼をお詫びしたく参りました」
「例の二年生か。その件なら既に俺の手を離れた。キミにできるのは一日も早く国家代表になって、祖国から腐った思想を排除することだけだ」
「恐縮です。あの……御顔を拝見することは」
「他国のエージェントが現状二人しかいない男性操縦者の部屋を訪ねる。──後輩といい初日から舐めた真似を」
「いえ、そんなつもりは!!」
「キミの頭の中はどーでもいい。事実は外の世界で起きてるんだ。早乙女先生の後を追いたきゃはっきりそう言いたまえ。イギリスらしく四つニ切リ分ケテヤル」
「ひっ!? し、失礼しました!!」
気配が去り、二階に戻ったのを感知して直徒は銃を仕舞う。
本心から謝罪に来たのは分かっていたが、サービス残業を防ぐには初めに姿勢を示しておくことが肝要。
否、今も接待しているようなものか。
部屋の隅で震えるカメリア色の瞳が家族だったのは、あくまで昔の話。
生身で戦う時邪魔にならないよう、
革のベルトを用いたシンプルなデザイン。
制服は勿論、背広や白衣にも違和感なく溶け込む。
コア・ネットワークの切れていない打鉄弐式は間男を監視する兎の覗き穴。
直徒がそれを知っていて放置するのは、自分にとっても敵の居所に通じる穴だからだ。
しばらくは睨み合い。
既に『箱』のコピーは電子の海に大量にばら撒いてある。
もっと臆病に、もっと狡猾に。
倉持直徒はアスリートではない。
「右手中指は、魔除けと行動力アップ」
「……え?」
「指輪の意味です。知らずに着けてたんですか?」
「う、ううん! 知ってる! 他にも強い意思とか、結果を出すとか……」
「ですよね。少し大袈裟にしちゃいましたけど、俺と同室になるってのはこういうことなんで、どうぞお気を付けください。自分の身は自分で守る。大丈夫、お嬢さんは強いコで専用機持ちなんですから」
「……うん、分かってる」
長かった四月一日が、ようやく終わる。
本当に長かった……
太陽炉の設定が放ったらかしになっていたので、ここで。
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続くかは分かりません。悪しからず。