これは夢だと、そう思いたかった。
「や、大丈夫?」
燃え盛る炎の中、僕を抱えて飛ぶ人がいた。
額から血を流しながらもなお頼り甲斐のある笑顔を浮かべるその人は、僕の顔を覗き込む。
「ははは、酷い顔だな。そんな顔じゃあ、守るものも守れないぞ?」
しばらく飛んで、その人は僕を地面に下ろして、力尽きたように倒れこむ。慌てて駆け寄って抱き起すが、その人の胸には大きな穴が空いていて、そこからとめどなく赤い液体が溢れてくる。
「なあ、覚えておいて欲しい。これは、お前に残せる最後のものだ。遺言、みたいなもんかも」
必死に、必死に名前を呼ぶ。だけれども、その人の翠の瞳からは次第に光が失われていく。
「相手の心を想え。想いを絶やすな。希望を捨てるな。自分を信じろ」
名前を呼ぶ。だけど、その人はもうその瞳に僕の姿を映していない。
「人を、救え」
その言葉を最後にその人は力を失った。今まで確かにそこにあったものが、僕の中で、今、確かに跡形もなくなくなった。
ぱきり、と、僕の──俺の何かが歪む音がした。
首都航空隊の部隊長である男は率直に言って焦っていた。
事前調査は完璧だったはずなのに、突如現れた四つめのテロポイント。しかも、狙ったように隊舎からの距離が遠いポイント。
まるで、
「落ち着け、まだ手はあるはずだ」
伊達にエリート部隊である首都航空隊の部隊長を名乗っているわけではない。若いうちは現場でいくつもの功績を挙げ、そして指揮権限を得てからも多くの難事件に立ち向かってきたのだ。
たかがテロ事件の一つで焦る必要はない。
部隊長は時間を気にしながらも、大きく息をついて頭を巡らせ始める。
四つめのポイントである中央駅の路線は、ミッドの交通の要とも言えるリニアモーターカーが走る物だ。
その路線はクラナガンの市街の頭上を走るように作られており、そこでのテロは路線の破壊による二次被害で、多くの建物の損壊、死傷者へとつながるだろう。
そして今の時間帯も最悪に近い。休日の昼間という時間帯では、街へと繰り出そうとした家族連れやなどで駅は賑わっているはずだ。乗客もいつもにも増して多いはず。
一番恐ろしいのは路線の破壊でも、駅への被害でもなく、破壊された路線に気づかずリニアモーターカーが突っ込んでくる事。
地球におけるリニアは積載人数は凡そ七百人、最高速度はおよそ時速500キロほど、通常運行時でさえ時速300キロを優に超える。
ならば、地球より遥かに科学の発展したミッドならばそれと同等以上の性能を持つリニアを走らせているのは当然のことだ。
時速500キロのものが脱線し市街地に突っ込む。それで、何が引き起こされるかなど想像するだけでも恐ろしかった。
「犠牲者を出すわけにはいかんのだ。しかし、現場に誰を送る……!」
既に首都航空隊の隊舎で待機していた隊員を送ったが、それでも間に合うとは思えない。かといって他の警護班に連絡をすれば混乱をきたし被害を拡大する恐れすらある。
ならば、どうするのか。
部隊長が深く唸った時、不意に卓上の通信デバイスに連絡が入り、半透明のホログラムが現れた。
液晶には『SOUND ONLY』と映されているが、それが何者であるか、名乗らずとも部隊長は理解できた。
「セルジオ・アウディ……!」
『丁重に挨拶をしたいところですが時間がありません。無礼は見逃してもらいます』
「何の用だ。私は忙しい」
『テロポイントの件、聞きました。一刻の猶予もないはずです』
ちっ、と部隊長は小さく舌打ちして何の姿も映さないホログラムを睨んだ。どうやら耳ざとい三課らしく、どこかから聞き出したらしい。
「現場には首都航空隊の者が向かっている。お前に出来ることはない」
『……そこからじゃ現場には間に合わない。最低三十分はかかります』
「そんなのはわかっている! だがどうしろというのだ! 現場に避難を促すか?! そんなのかえって混乱を招くだけだ!」
『ええ、だから、俺が行きます』
「なに……?」
『俺が、行きます』
部隊長は告げられた言葉に思わず言葉を失う。
「間に合うはずがない! 現場までどれだけの距離があると……」
『俺なら間に合います。いえ、間に合わせてみせる』
「いや仮に間に合うとしてもそれ以前の問題だ! お前がやろうとしているのは命令無視に独断専行だ!」
『罰なら後でいくらでも。責任も俺が負って構いません』
「そんなもの許せるはずが……!」
『俺は!』
通信機越しのセルジオの声が部隊長の言葉を遮る。その迫力に、思わず言葉を失う。
『俺は、自分ができることがあるのに諦めたくない』
「──ッ!」
『俺は、人を救うことだけは、絶対に絶対に諦めない!』
その言葉に、部隊長が唇を噛んだ。自分のことすらいとわないその姿に、ひどく、懐かしくて、辛いものを思い出したかのように。
『それが、『セルジオ・アウディ』だから! あの人に貰った俺の想いだから!』
ぶつり、とその言葉を最後にセルジオからの通信が切れる。
部隊長が拳を握りしめて机に叩きつけると、ぶるぶると体を震わせる。
「また、また三課……! 勝手に
爆発まで、あと、十分。
(間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え!)
白光を纏ったセルジオがミッドの空を弾丸の様に飛んでいく。
マルチタスクは十個全てがフル稼働。加速魔法を並列的に処理しながら普段の数倍の効率を叩き出している。
魔力消費のことなど考えない我武者羅な魔法行使。そんな事をすればリンカーコアが平均的なセルジオではすぐに魔力が尽きてしまうだろうが、今はそんなことすら無視してひたすらに飛ぶ。
無茶な加速魔法に体が耐えきれず体が関節からぎしぎしと軋む。だが、それでもセルジオは加速をやめようとはしない。
それどころか更にマルチタスクを二つ追加して、それすらも加速魔法の行使に当てる。限界を超えたのか頭が内側から割れるような痛みを訴えてくる。
「──ブリッツ! アクション!」
己の体の痛みという警告を全て無視して、重ねて加速魔法を発動させる。
それは、ただ、人を救うためだけに。
廃工場の一階で、ガジェットドローンの残骸に囲まれるなのはとティーダ。どちらも視線は先ほど飛び出していったセルジオの方角を向いている。
「なのはちゃん」
そんな中ティーダがなのはの名前を呼んだ。
酷く寂しそうに、辛そうに、何かに耐えるように。
「あいつの後を、追ってやってくれ」
「セルジオくんの?」
「ああ。君はセルジオのコンビなんだろう? 俺にはもう──」
何かを言いかけてティーダが途中でやめる。そして、いつものようにさわやかな、でもどこか無理したようなそんな笑顔を見せた。
「あいつが、どういう人間なのかを、ちゃんと見届けてやってくれ」
「──はい。私、追いかけます」
なのはは強く頷くと先に一人で行ってしまったパートナーを追いかけて、外へと飛び出していった。
なのはの飛行速度ではセルジオに追いつけはしないだろうが、それでも追いかけるという行動に意味があるのだと、ティーダは思っていた。
ティーダが廃工場の天井の穴から覗く空を見上げて、ポツリと呟いた。
「お前は、本当に変わらないな、セルジオ」
爆発まで、あと、五分。
無茶に無茶を重ねて、セルジオは廃棄都市からクラナガンの中央駅付近までようやく辿り着いた。
残り時間はわからないが、それでも爆発したならばひどい騒ぎになっているだろう。それがないということは、まだ時間が尽きていないということだ。
(頭が、痛い。胸、リンカーコアも、痛い)
疲労のせいで息は荒く、目もぼんやりと薄暗くなっているようにすら感じる。腕も足も末端の方から痺れて、気をつけていなければゼファーを落としそうだった。
「あと、少しなんだ。いそが、なきゃ……」
そして、あと少しの距離をセルジオが縮めようとした時、胸の懐中時計の針が、かちりと動く。
瞬間、目の前のリニアの路線が凄まじい爆音とともに粉々に砕けた。
セルジオの思考が真っ白になる。間に合わなかった、間に合わなかった、という後悔が何度も何度も頭の中で繰り返される。
「まだ、終わりじゃないッ!」
だが、諦める事はしない。まだ、諦める段階ではない。これは、ただ路線が爆発しただけだ。幸い今のタイミングでリニアは走っていない。
なら、するべきなのはこの爆発の二次被害を食い止める事だ。
「ゼファー
セルジオは加速魔法を途切れさせないまま、ゼファーを素早く変形させて、市街地へと落ちていく路線の破片の下に潜り込む。
そして、市街地を守るように背中を向けて、ゼファーの砲身を落ちてくる無数の破片へと向けた。
「ディバインカノンッ!」
ズ、とゼファーのシステムによって無理やりリンカーコアから魔力が抽出され、瞬間的に砲撃を放つ。
非殺傷設定の解除されたセルジオの『ディバインカノン』は市街地へと降り注ぐ、路線の破片を一つ残らず消滅させ、空へと巨大な柱を屹立させた。
「はあ、はあ、はあ、く、まだ、まだ……!」
破片は全て消滅させた。これで、市街地への被害は食い止められたが、だからといって休んでいるわけにはいかない。
(次は爆発の後の対応、か)
今回のテロによる爆発で路線巨大な穴を作ってしまっている。早く駅へと連絡を入れて早くリニアの運行を停止してもらわなければ、今回の件は終了したとは言えない。
満身創痍のセルジオは駅に向かって飛ぼうとする。
「なんだ、これ……」
だが、それよりも早く遠くから低い音が響いてくるのを感じてしまう。既に玉のような汗を流すセルジオに、つつ、と冷たい汗が流れた。
荒い息のまま、広範囲解析を発動させて、その端から高速で此方へと走る存在を検知した。
「うそ、だろ……!」
その存在がなんであるかなどいちいち思案する必要すらない。ここは、リニアが走る為の路線なのだから、時速500キロの速さで運行するリニア以外、走る存在があるわけないのだ。
(なんで運行を止めない! 爆発が起きたんだぞ! まさか、テロの他にハッキングが……、いやでも……!)
「ああ、もうわけわかんねぇッ!」
珍しく荒っぽい言葉を吐いて舌打ちするとセルジオは未だ砲撃形態のゼファーを左腕に装着したまま、思考を巡らせる。
(このままリニアが突っ込んでくれば脱線して地上に落ちる。そうなれば乗客も、市街地の市民も死ぬかもしれない……)
リニアの乗客、およそ七百人。最悪、もしこのままリニアが止まらなければ、その全てが死亡し、ついでとばかりに市街地に突っ込んだリニアはそれと同じか、それ以上の人間を殺すだろう。
「なら、リニアはここの直前で止めなきゃな」
リニアがブレーキをするという事は考えないほうがいいだろう。もし出来るなら、爆発があった時点でしてるはずであるし、この近さでそれに気づかなかったというのは無理な話だ。
おそらくハッキングか何かを受けて操作不能の状況なのだろう。
ふう、とセルジオが息を吐いた。
マルチタスクを三つまで減らして、一つを砲撃、一つを身体強化、一つを飛行、最後の一つは予備用にあけておく。
「ブリッツ、アクション」
そして、セルジオは加速魔法を発動させ、高速で迫るリニアに向けて突っ込むと、
「ぐ、がぁぁぁぁぁぁっ!」
止まらない。なら、自分の腕で止めよう、という至ってシンプルな考え。ただ、相手が、時速500キロで向かってくる鉄の塊、というスケールを相手に、それをやる、という事だけが異常。
そんなものに正面から向かえば普通は体が弾き飛ばされるか、ぐしゃぐしゃのミンチになる事だろう。
だがセルジオは、そうなる未来を直ぐに足を地面につけて、そこから身体操作魔法で一ミリも動かないように固定、自身の体勢を完全に固定してしまう。
路線につけた足がガリガリと削れ、あっという間にバリアジャケットすらも消滅させてしまい、そのまま足裏の肉を削ろうとする。
だが、それよりも早くサブのマルチタスクにバリアジャケットの再構成の術式を叩き込み、瞬時にバリアジャケットを再生成。そしてまた、バリアジャケットが削られて、再生成、という行程を何度も繰り返した。
「ゼ、ファーッ! ディバイン、カノンッ!」
そして完璧に受け止める体勢ができると、セルジオは左腕を背後へと向けて、砲撃を発射、その威力全てを破壊ではなくリニアのブレーキとして使う。
「あああああああっ!」
何度も何度も再生成されるバリアジャケットと、絶え間なく撃ち続ければならない砲撃にセルジオの中の魔力はあっという間に吸い尽くされていく。
先程からじくじくと痛んでいたリンカーコアも、最早痛いという感覚すら感じなくなり始めていた。
「あ、きらめ、ない……!」
セルジオはそこで足以外のバリアジャケットを全て解除。ただの魔力に変わったそれを片っ端から砲撃に回していく。
何も防護機能のなくなった体が、リニアから発せられる圧力に耐えきれず、あちこちの筋肉が断裂を始める。陸の茶色の制服が、セルジオの血で瞬く間に真っ赤に染まっていく。
「俺は!」
それでも、身体操作で体は全く動かさない。血が吹き出し、骨が軋み、肉が裂けても、それでも、ただひたすらに前を向く。
「人を救うことを諦めないッ!」
セルジオの空間解析が路線の巨大な穴を捉える。その距離はもう直ぐそこで、ここで止められなければ乗客も、セルジオも間違いなく死を迎えることだろう。
「止、ま、れぇぇぇぇぇぇっ!」
セルジオが強く地面を踏みしめる。残り少ない魔力と、周囲の魔力すらも収束して砲撃を放つ。そして、祈るように叫ぶ。
「く、はは、どんな、もんだ……」
そして、奇跡か必然か、リニアは路線の穴の直前で、ゆっくりと動きを止めた。
笑うセルジオ。だが、その顔も、体も血まみれで、最早生きているのかすら怪しい見た目だ。
「あ、れ……」
そんな状態で人が意識を保てるはずもなく、セルジオの体から力が抜けて、ふらりとよろめいた。思わずたたらをふもうとして、筋肉が断裂した足がいうことを聞かない。
もう、自分の体重すら支えきれなくなったのか、セルジオが後ろへと、路線に空いた巨大な穴へと倒れ込んでしまう。
「あ────」
一瞬浮遊感がして、セルジオの体が真っ直ぐ落下を始める。なんとか飛行魔法を使おうとするが、マルチタスクの酷使により、思考が鈍化してうまく演算ができない。
重力に引かれるように、セルジオが落下していく。
(魔法が、使えない。このままじゃ、死ぬ)
ぼんやりと、そう考えて、心の残骸が動き出す。
(死ぬ、のは駄目だ。まだ、しなきゃいけないことが──)
必死に体を動かすが、だが、もう意識を保っておくのすら困難で、脳の端からずぶずぶと闇に吸い込まれていく。
(俺は、まだしなきゃいけないことが──)
そして、真っ暗になる意識の中で、桜色の星が光った。それは、次第に光を強めながらセルジオへと向かってきて、優しく抱きとめた。
「セルジオくんっ!」
星が、名前を呼んだ。
「高町、か」
「そうだよセルジオくん! しっかりして! 死んじゃだめだよ!」
「そう、だなぁ。死ねないんだ……」
「うん、うん! そうだよ、だからセルジオくん、しっかりして」
星が、必死になるのがなんだかおかしくて笑ってしまう。朦朧とした意識のまま、泣きそうな顔の子をポンポンと優しく撫でる。
「だいじょうぶ、だって。
──ただ、少し眠るだけだ。
そして、セルジオは、どろりとした闇に意識を委ねた。
なのはが病室にかかった札をぼんやりと見つめる。
ICU。日本語にすれば集中治療室。
詳しいことはなのはにはよくわからないが、それは、なのはにとってはあまり好ましくない、もしかしたら嫌いな言葉かもしれなかった。
それは、たぶん、その病室にいるのが、半年の付き合いになるコンビ、セルジオがいる部屋だということと、なのはが幼い頃、父が長い間そこにいたということを覚えているからかもしれなかった。
「…………セルジオくん」
セルジオは、あの日一人でリニアを受け止めてテロ被害をゼロに抑えてみせた。
もちろんリニアの乗客の中には無理なブレーキによって怪我した人もいたが、どれも軽傷の範囲だ。もし、彼が受け止めてなければ七百人の乗客はもちろん、市街地の人も何人死んでいたかわからなかった。
しかし、功績の代償は大きく、なのはがゼストから聞いた話では、両足骨折、あちこちの筋肉断裂、リンカーコアの著しい衰弱、失血多量と、どれか一つ間違えれば死んでいたレベルの大怪我をいくつもしていたらしかった。
「なんで……」
思い出すのは血だらけのセルジオの姿。そして、なん度も呟いていた「まだ死ねない」という言葉。その言葉が、『するべきことが終われば死んでいい』と言っているようで、なんだか怖かった。
──哀しみ苦しむ人を救い出す。
それは、今もなのはの胸の中にある、魔法を使うための誓いだ。
そして、それだけのために努力してきたなのはだからこそ、いまならメガーヌの、ティーダの言葉の意味が理解できる。
セルジオは、人を救うためだけに、迷うことなくその身を投げ捨て、そして多くの命を助けた。
無茶と、その想いだけで、無理と道理を叩き壊してみせたのだ。
その姿は、高町なのはの理想の、その行き着く先であるように感じられた。
「でも、あんなになってまで、すること、だったのかな……」
意図せずに、『セルジオ・アウディ』という存在は、高町なのはに小さな波紋を与えていた。
人を救って『満足』するなのは。
人を救って『死ねない』セルジオ。