走る、走る、走る。
何故走るかなど言うまでもない。
そんなこと、わざわざ言うことでもない。
本局の廊下をひた走る。
青い制服の本局の局員に何事かという怪訝な目を向けられたがそんなことを気にする様子もなく、セルジオは走り続ける。
転移ポートへと辿り着くと逸る気持ちを抑えて書類にチェックを入れて、ミッドチルダの駅へと転移。
そして、今度は連絡のあった場所へと、先端医療研究所へと、レジアスに言われた病院を目指す。
じとりと汗が滲む。
(魔力が使えれば身体強化でも何でも使うのに……!)
市街地での無闇な魔法使用が認められていないことも今のセルジオの頭にはない。
ただ、今彼の頭を占拠するのは急がなければならないということだけ。
「くそ、何で俺は……」
口から漏れるのはそんな苦しげな呟き。
体が火照り、滲んだ汗によってシャツが背中にへばりつく感覚が気持ち悪く、茶色のジャケットを脱いで脇で抱えた。
顔をよぎるのは自分を送り出してくれた人たちの顔。
姉のようなクイント、メガーヌ。
喧しくも大切な先輩たちである三課のメンバー。
そして、師匠で、義父のゼスト。
そんな三課の仲間たちの顔を思い浮かべながらぼやけた意識で病院を目指して走り続けて、ついに目当ての場所へと辿り着いた。
「アウディさん、何の──」
「三課は! ここにいるはずだ!」
「……それでしたら、四階の」
「わかった。四階だな」
ロビーに入ってカウンターへと食らいつくようにして問いを投げて、顔見知りの職員の言葉を最後まで聞かずエレベータへと向かう。
ボタンを押して大きな鉄の扉の前でエレベーターの前で待つが、タイミングが悪かったのか三つあるものの全てが上階からなかなか降りて来ようとしない。
「くそっ!」
思わず口から汚い罵りが漏れた。
後数分待てば来るのだろうがそれすらももどかしく、エレベーターを使うのをやめて階段を駆け上がっていく。
いつのまにか息が荒い。
既に軽く三十分は走り続けだし、その間休憩どころか満足に呼吸したのかさえ記憶が怪しい。
それでも、あと少しで目的の場所だ。
そこに行って、確認しなければ、それが自分の責任だ。
全てを三課の仲間に押し付けてなのはの元へ向かった自分の。
四階までの階段を一気に駆け上ってその中で見知った名前の書かれた札がさがる病室の扉を大きく開け放った。
そして、目の前に真っ白の光景が広がった。
それはどこまでも白く、清潔感を漂わせ、まるで作り物めいたような白さ。
(え────)
その『白』が、困惑するセルジオの目の前に広がって、そして本当に視界が真っ白に染め上げてみせる。
「は、もがっ?!」
べしゃり、粘着質な音がして、少しばかりの圧力とともにセルジオの顔面が何やら柔らかなものに包まれた。
「よし、ぶっ放せ」
「イエッサー」
何か投げられたのだ、と思った瞬間、セルジオの体が天高く舞い上がった。
(ああ、なんか昔にも似たような事された気がする)
突如視界を白で覆われているうちに、腹部を凄まじい衝撃が襲う。いっそ美しいとすら言える軌跡を描いてセルジオの体が吹き飛んで、そして数秒後に星の重力に従って落下、病院のリノリウムの床を転がる。
「ご、もはぁっ」
三回転ほどすると頭を強かに打ち付けながら体が止まり、ずるりと顔から柔らかいものが滑り落ちた。
「ぐ、ぎ……、なんだこれ……」
頭の痛みにちょびっと涙を流しそうになっていると口の中に白いものの一部が入ってくる。
「これ、クリームか?」
とろりとしていて、甘い。あまりセルジオ自身が買ったりすることはないが、それは彼の記憶の中の『生クリーム』と呼ばれるものの味に似ている気がした。
(いや、何が起こった?)
あまりの急展開に思考がついていかない。とりあえず目を開けようとするが、生クリームがべったりと顔を覆うせいで満足に目すら開けられない。
そんなセルジオの醜態を尻目に開け放った病室から楽しげな声が響いた。
「わはは、やはり引っかかりおったワイ。がはは、ナイスアシストメガネ」
「くくく、この程度エリアサーチを使えば訳ない。これは得意なのさ、ボク」
「にしてもパイなんぞよく持ち込めたわね。看護師さんになんて言ったの」
「そこは転移魔法でチョチョイと、ね。何、バレなきゃ罪じゃねえよ」
「それに質量兵器スレスレのクラッカーの在庫処分もできた! まあ紙吹雪ねえから半ば火薬だけの空気砲みたいなもんだが」
「おい、下手すりゃセルジオでも死んでたぞ、それ」
「生きてたんだしいいさ。クイントさんも昔そう言ってた」
「うむ、確かにそうだな」
「「「ガッハッハッハッハ」」」
「あらあら、手酷くやられたわね、ちょーっと待ってなさい。ギンガー、セルジオくんの顔拭ってあげてー」
「う、うん、わ、わかった! 不肖ギンガ、拭わせてもらいます」
とたとたと小さな足音が聞こえて真っ白になった顔が布で拭われていく。
「え、えとお加減どうでしょうか」
「ちょっと痛い、少し力抜いてくれると助かる。目に刺さる」
「こうですか?」
「ああ、助かる」
ごしごしとギンガが手を動かすと白いの粘着質なものが(クリーム)がなくなり、ようやく目があけられるようになる。
「じょ、上手にできましたか?」
「気持ちよかったよ、ありがとさん」
「は、はい、えへへ」
手についた白いもの*1を口に運んでいたギンガの頭を軽く撫でて、セルジオはじとりと病室の中を睨んだ。
「これは、何ですか」
「何って、なあ?」
「そりゃ、お前のなのはチャンの栄えある門出を祝したパイ投げ祭りだ」
「費用はメガネ持ちのな」
「聞いてないんだけどボクゥ!? 言い出したのはゴリラだろぉっ?!」
「ゴリラは今度嫁さんの誕生日迫ってるから勘弁してほしいワイ」
「ゴリラの嫁さん怖いもんなぁ」
「──────大怪我したっていうから来てみれば」
セルジオがぎゃいぎゃいと騒ぎ立てている三課の面子へにっこりと笑ってみせる。
「ふざけんなよてめえらぁっ!」
「ぎゃー、セルジオがキレた!」
「珍しい! 珍しいぞ! コイツが人に怒るのは珍しい!」
「今日という今日はキレました! 病人でも知った事じゃねえぞ!」
まだ顔の端にクリームをつけたセルジオが包帯を巻いたまま騒ぐ三課の面子を追いかける。
「もう、本当に仕方の無い子たちね」
「それけしかけたのは貴方でしょ、クイント」
「ありゃバレた?」
「バレないはずないでしょ、もう」
そんな弟分の様子を見ながら、ベットに横たわっていた
「どうもです、ゼストさん」
「セルジオか……何故お前の服はそんなに汚れている」
「聞かないでください。下らないことです」
場所は変わってゼストの病室。
流石に三課の隊長であるゼストは他の三課の面々と違って個室が与えられている。
ひとまずクイントやメガーヌの無事を確認したのでセルジオは一つ上の階にあるゼストの元にやってきたのだ。
「レジアスさんから連絡が来ました。今回の、『戦闘機人』のことです」
「……そうか、まあ座れ。長くなるかもしれん」
ゼストに促されてセルジオがベットの側にあった椅子に腰掛けると、目の前の男の姿に表情を濁らせる。
「あの、ゼストさん、その怪我……」
「ああこれか、少し、やらかしてしまってな」
そう言うゼストは頭に包帯をまいて、利き腕である右腕を吊っており、病院着に隠された胸元にもやはりうっすらと血の滲んだ包帯が覗いていた。
「それは、例の…………」
「ああ、AMF付きのガジェットだ。分断されてやられかけたが、俺やクイントがベルカ式だったのが幸いしたな。それに、メガーヌの召喚獣も」
「AMF付きのガジェット、ですか。報告は聞きましたが、まさか本当にあるとは」
「俺も驚きだ。AMF装置の小型化もだが、何よりガジェットの数だ。目視できるだけでも、五十は超えていた」
「もう量産はできてる、と考えるのが普通ですかね」
腕を組んでセルジオが深く唸った。
「まあその事は後で考えるとしよう。今は、今回の事だ」
「『戦闘機人』のプラントと、『ドクター』、ですか」
ごくりとセルジオが生唾を飲んで居住まいを正すと、ベットで半身を起こすゼストが目を閉じてゆっくりと話し始める。
「結論から言うと、今回の検挙は『成功』であり、『失敗』であったと言える」
「成功であり、失敗?」
ゼストが深く頷く。
「まず俺たちは情報のほとんど得られなかった研究所に赴き、そして全員が生還して、生産プラントを潰すことができた。情報もいくらかは持ち帰ることができた」
だが、とゼストが言葉を続ける。
「肝心の『ドクター』も、それどころか『戦闘機人』も
「それが、今回の『成功』と『失敗』って訳ですか」
「簡単に言えばな」
そう言ってゼストはまた目を伏せる。
その表情が苦々しく、なにかを耐え忍ぶようなもので固定されているのはきっと傷の痛みだけではあるまい。
「ゼストさん、俺のところにレジアスさんから連絡が入りました」
「────そうか、あいつはなんと」
「戦闘機人の件、然るべき処分を覚悟しておけと、ただそれだけでした」
「そう、か」
セルジオの言葉を聞いてゼストは病室の窓から覗くミッドチルダの景色へと目を向けて、小さく、セルジオの耳にギリギリ届くような小さな嘆息を漏らした。
その横顔からは何かの感情を伺い知ることはできない。
けれど、セルジオは今のゼストはひどく疲れたような、そして少しだけ悲しそうな表情を浮かべているような気がした。
しばらくの間ゼストは外を見つめていたが、やがて軽く笑みをこぼすと隣の少年へと目を移した。
「こちらはもういいだろう。そろそろお前の話をしよう」
「俺、ですか?」
「ああ、セルジオと高町、と言い換えてもいいかもしれんがな。どうだった?」
「どうだった、と言われても。一言では言えないので後で報告書を出します。それでいいでしょうか?」
「…………お前は、変なところに律儀だな」
「え?」
糞真面目な応対に頭を抱えるゼスト。
こういうところがクイントらに「なんかセルジオとゼストは似てる」と言われる所以だということは二人は知らない。
根本的なところで頭が硬いのだ、この義理の親子は。
「なら一言でいい、正直に答えろ」
「はあ」
「今回、お前はなぜ高町の元へ行った、セルジオ」
「────」
「それだけ、答えてくれ。それさえ聞ければ俺は充分だ」
ゼストの暁の色の瞳がセルジオを捉えて、二人の間に何物にも侵されることのない静謐が生まれる。
「俺が、あいつの所に行ったのは」
けれどそれも一瞬のこと、セルジオが自分の中に生まれた気持ちを、ずっとそこにあったものを口にした。
「高町の事が大切だからです。だから、助けになってやりたかった」
澄んだ瞳で、淀みなくその言葉を口にして、セルジオがゼストと向かい合った。
「いつのまにか、大きくなるもんだな」
「え?」
「なんでもないさ、セルジオ」
「うわ、ちょっとゼストさん」
不思議そうに見つめてくる少年をゼストが荒っぽく撫でた。
くしゃくしゃと淡い金髪が乱雑にかき混ぜられて、ぐいぐいと無理やり頭が下へと押し込まれた。
「よくやったセルジオ。お前の事を誇りに思うぞ」
そして、セルジオに見えない角度でゼストの顔が緩む。
その顔に浮かんだ色はひどく嬉しそうで、それはまるで出来の悪い生徒を見るようで可愛い弟子を見るようで。
大切な、自身の息子を見るようで。
沈みかけていた空の暁が、そんな二人をゆるりと包んだ。
ぐるり、ぐるりと歯車は廻る。
「『エルトリア式フォーミュラ』システムか。非常に興味深いね」
男が新しい拠点の調子を確かめるように施設の中を歩き回る。
多くのコンピュータ。
戦闘機人を作る際に用いる遺伝子と、生産プラント。
ガジェット製作のための素材と、その製造ライン。
どれも以前よりは小規模のものとなったが、それもしばらくすれば以前の規模に拡大できるだろう。
「未知の部分が多い代物だ、まったく。いや、実に面白い」
痩躯を震わせながら男は紫の長髪を搔き上げる。髪の間から垣間見える瞳にはどこまでも愉しげな金の光が宿っている。
「ドクター、一つご質問が」
「何だね」
「なぜ、あの研究所を放棄したのですか? いえ、そもそも何故
「ふむ、そうだね」
そんな男──スカリエッティの隣で付き従っていたウーノが質問を投げかけた。
スカリエッティは一度は許可した戦闘機人の出撃をとめ、あろうことか研究所を捨てるという逃げの一手すら取った。
それは合理的にものを考えるウーノからすれば理解できないことで、スカリエッティに心酔している彼女だからこそ、『理解したい』と思う、不可解さだった。
ウーノの質問に、スカリエッティの唇が半月を描いた。
「く、くく、やはりいいなぁ、『彼』から始まる変化はとてもいい」
「それはどういう意味でしょうか?」
「いや、何もない。君の質問に答えよう、ウーノ」
スカリエッティは楽しげに小さな笑い声を漏らすと、幼子が自らの成果を自慢するように、声高々に言い放つ。
「その方が、
「面白い、ですか?」
「そうとも。『彼』とその周囲の存在は私に取って面白い。それに、試したいこともあったんだ」
スカリエッティが笑う、楽しげに、愉しげに。
「故に今は満足しよう。私と、彼らの欲望に」
おお喝采を、運命の歯車は廻るのだ。
盲目の、無知な生贄は階段を登るのだ。
その身を毒へと変えて尚、衰えぬモノを抱いて前へと進むのだ。
それに応対するがは一人。
同じく無限の欲望を持つ存在だ。
それは
愉しげに、どこまで悦びに満ちた声を上げるのだ。
これにて、一つの物語は幕を下ろす。
けれど、それは『彼ら』の物語は閉幕にあらず、むしろここからが開幕の時間である。
おお、おお、喝采を。
静かに、静かに、歯車は廻る。
唯、静かに。
おめでとうございます。
三課六十七年
喝采を、送りましょう。
次回、いつも通り閑話を挟んで二章は終わりです。