マルチタスクを起動して、嫌な思いも、赤い思考も纏めて隔離する。
「────相変わらず代わり映えしないな」
三課の宿舎にある自室で目を覚ましたセルジオが小さくため息。
軽く伸びをして顔を叩いて目を覚ますと、僅かに気になり始めた冷気に眉をひそめながらベットから抜け出した。
「朝は…………まあなんだっていいか」
一応航空魔導隊にも食堂はあるが、三課の宿舎からは少し距離がある。そもそも、セルジオは食事に関しては大して興味がないほうだ。美味かろうが不味かろうが辛かろうが甘かろうが苦かろうが大体なんでも食べられるのだ。
わざわざ美味しいものを食べるためだけに遠くまで歩くつもりはなかった。
頭をかきながら、だだっ広い部屋の中にポツンと置いてある冷蔵庫から水と食パン、それに近くの戸棚から栄養サプリメントを取り出す。
「ええと、最近の栄養素的に、まあこのくらいか」
昨晩の夕食、今日とるべきエネルギーから算出した目安に沿ってサプリを手の上に乗せると水で一気に流し込んだ。
ごくり、と飲み込んでしまうと残りの冷たいままの食パンを折りたたんで面積を小さくすると口に頬張り、咀嚼する。
「ブロックタイプの栄養食も便利だけど、やっぱこれが一番手軽だな」
栄養補給を終わらせたセルジオは洗面所で荒っぽく顔を洗い、歯を磨くと、寝間着にしているジャージを脱いだ。
そして、そのまま服を脱ぎながら部屋の片隅の昨日のうちにアイロンをかけて置いてあったシャツをとって着替え始める。
「お、とと、危ない」
その際に床に無造作に転がしてあったアイロンを避ける。
「着替えながらは危ないな、うん」
パリッとアイロンのかかったシャツのボタンを閉めるとズボン、ジャケットを身につける。ネクタイを締めて、枕元に置いてある懐中時計を手に取った。
「今日も頑張ります」
小さく呟いて、胸ポケットに時計を押し込んで、最後にもう一度両手で顔を挟み込んで叩いて気合いを入れる。
「んじゃ、行きますか」
荷物を持って部屋を出る。鍵は、締めない。管理局の寮に入ろうとするトンチキな泥棒はいないだろうし、それに、そこにセルジオがとられて困るものなどないから。
セルジオが扉を閉める音が、だだっ広い部屋に響いた。
「ん、ここ違うぞ。ほら、前メガーヌさんに教えてもらってただろ」
「あっ、ごめん、ちょっとうっかりしてた」
「次同じ事しなけりゃいいさ」
なのはにチェックを終えた書類を返すとあせあせとキーボードをうって間違いの訂正を始める。
それを視界の端で見ながら、セルジオ自身も今の担当案件に関するデータをまとめ始める。
(……本当に無難なとこだよなぁ)
それはレジアスから三課に通達された案件の一つ。もちろんそれは三課に見合うものとレジアスが判断しただけあって、重要性は高い。
犯罪組織の検挙であったり、密輸品の足取りを探す事であったり、そのほかクラナガンの航空警護など、どれも大切なものだ。
けれど、それでも『戦闘機人』から手を引いたことに関して、三課が思うところがないわけではない。長い間この事件を追っていて、肝心な所には関われなかったセルジオは特に。
(でもゼストさんが納得してるのに俺がいろいろ言うのは筋違いだよな)
なにせレジアスとゼストは親友なのだ。その間にセルジオが割って入ることなどできない。
「セルジオくん、できたよ」
「そうかーーーーーよし、これなら良いだろ。後でゼストさんに提出しとく」
「やった」
セルジオが頷くとなのはが嬉しそうに小さくガッツポーズをした。思わず手が伸びて、ギンガやスバルにするようになんとなく頭を撫でてしまう。さらり、とした髪の手触りが伝わり、あ、とセルジオが声を漏らした。
(しまった、高町の頭は撫でたら嫌がれるんだった)
だが、それを思い出してももう遅い。すぐにいつものように『髪が乱れる』と頬を膨らませて手を払われる。
(あれ……?)
だが、いつまでたっても手を振り払われることはない。
不思議に思い、セルジオは手の下に隠れているなのはの顔を覗き込もうとして、その頬と耳が、彼女の魔力光のように淡い桜の色に染まっているのに気づく。
「あ、あの、そろそろやめてくれると、嬉しい、です……」
「あ、ああ! す、すまん。撫でられるのはあんまり好きじゃなかったよな」
「別に、セルジオくんに撫でられるのは、嫌いじゃないけど」
「え?」
「なんでもない。気にしなくて良いから」
「ん、そうか」
か細い声での呟きに思わずセルジオが聞き返すが、なのははそっぽを向いてはぐらかした。どうやら教えてくれるつもりはないらしい。
困った、とでも言いたげな表情でセルジオが頭をかいたが、仕方なく先ほどまでのようにデスクに向かった。
それを見てなのはも小さく息をついて気分を落ち着けると同じようにデスクに向かった。
「なあ高町、午後からって模擬戦だっけ」
「うん。クイントさんと」
「だよな。そういやメガーヌさん今日まだきてないな」
「言われてみれば。今日は旦那さんと、ゼストさんの三人で護衛任務だよね」
「……ルーテシアちゃんの事で少し戸惑ってるのかもな」
「託児所とかに預けなきゃだもんね」
「だな。あとさ高町」
「なあに、セルジオくん」
「別に俺に撫でられるの嫌いって訳でもなかったのか?」
「うん、むしろ優しくてなんか好き…………え?」
「ああ、やっぱ聞き間違いじゃなかったか。良かった安心した」
良かった、良かったと笑うセルジオの横顔をギココ、と錆びついたロボットのような動きでなのはが見つめる。
「き、きこえてた、の……?」
「ん? まあ、こんだけ近けりゃな。あんなので聞き逃すのクロノだけだろ」
「ならなんで聞き返したりしたのぉっ?!」
「いや、あんま自信なかったし」
さらりと言ってのけるセルジオと対照的に、なのはの顔がみるみる真っ赤になっていく。
「聞こえてたならわざわざ聞き返す事ないと思うの!」
「お前が嫌がってるんだったらもっと心に戒めなきゃいけないだろ?」
「そーいうのは、心に留めておくの! デリカシー持って欲しいよ!」
「でもさ」
「でももなにもないです! …………セルジオくんのばか」
「えぇ…………」
ぷく、と頬を膨らませてセルジオの肘のあたりをなのはが軽く小突いた。
なのはなりの、恥ずかしい思いをさせられたささやかな仕返しだった。
(……女ってよくわからん)
クイントにもデリカシーを持てと言われたが、男のセルジオにとって女心は複雑怪奇な代物だ。もう青年と言われる歳なのだし、良い加減に察しが良くなるべきである。
まあ未だ恋すら自覚したことのないセルジオには酷な話か。こいつは本当に性欲あるのか?
むむむ、と唸るセルジオと、すーはーと深呼吸を繰り返すなのは。
と、そんな中、唐突に三課の扉が開いた。
「メガーヌさん?」
艶やかな紫のロングヘア。その服装はいつもの茶色の陸の制服ではなく、どこか余所行き用のような、お洒落な服装である。
「あ、セルジオ君いた! よかった、貴方だけが頼りだったから」
「俺、ですか?」
「そう、貴方にしか頼めないこと」
「は、はあ、メガーヌさんの頼みなら喜んで引き受けますけど…………」
「貴方ならそう言ってくれると信じてたわ」
がしっとメガーヌがセルジオの手を取って、にっこりと笑った。至近距離で男ならば皆見惚れてしまうような素敵な笑顔を向けられて、セルジオの頰が引きつった。
(あー、早まったかな。メガーヌさんがこの顔する時ってだいたいめんどくさいことを……)
だが、今更断ることなどできるはずもない。貴方だけが頼り、なんてお人好しのセルジオに断れるはずもない。
「あなた、ルーテシア」
メガーヌが扉の方へと声をかけると、三課の一員であるメガーヌの夫と、その腕に抱えられた小さな女の子が姿を見せた。
母親とよく似た紫の髪の、ぽやんと眠たそうなまん丸の目をした幼女に、セルジオとその隣のなのはが驚いたように目を開く。
「まさか、ルーテシアちゃん?」
「えっ、あの赤ちゃんが?!」
「そうそう、もう今年で二歳になるわ」
「子どもの成長って早いな……」
視線が焦点の合ってないようにぼんやりと虚空を見つめているルーテシアに集まる。
「それで、なんでこんなとこにルーテシアちゃんを……」
言いかけたセルジオが、はっと何かに感づいたように頭を抑える。
「ま、まさかメガーヌさん、お願いってのは」
「察しが良くて助かるわ」
メガーヌが夫からぽやんとしたルーテシアを受け取ると、セルジオへはい、と渡してみせた。
「この子のお守り、お願いできない?」
ひきつるセルジオの顔を、きょとんとしたルーテシアが見つめて、小さくくちゅんとくしゃみをこぼした。
事の顛末を説明しておく。
そもそも今どちらも三課に所属するアルピーノ夫妻はどちらかが育休を取る間は、どちらかは三課で働く、というスタンスをとっていた。
産まれた直後はメガーヌだったようだが、今は夫の方が育休を取ってルーテシアを育てている。
だがメガーヌが引き受けた案件は、夫婦での潜入捜査が望まれるもので、そのためアルピーノ夫妻で当たることになっていた。その間はルーテシアは託児所に預けようという事になっていた。
ところが今日になってその託児所が風邪の大流行で一時的に閉まってると知ってからはさあ大変。
今から新しいところを探すわけにもいかず、かといってアルピーノ夫妻には頼れる親戚もいない。
そうして悩んだ挙句、三課の誰かに預けようとなり、セルジオに白羽の矢が立ったらしい。
もちろんセルジオだって二つ返事で引き受けたわけではない。「俺でなく子育て経験のある人にしてください」との文句を言ったが、「あの連中に娘を預けたくない」というメガーヌの言葉に一蹴された。
たしかに誕生日祝いにパイを投げ合うあの連中の存在はかなり教育に悪そうな気がした。
「セルジオ君は普段は普通だし、なのはちゃんもいれば安心」とはメガーヌの弁。
そうして、メガーヌが帰ってくるまでセルジオとなのはがルーテシアの面倒をみることになったのだが。
(子どもの世話って、どうすればいいんだ……?)
セルジオがオレンジジュースをストローで吸っているルーテシアに頰をひきつらせる。
「な、なあ高町、こういうのってどうしたらいいんだ?」
「ええ、それ末っ子の私に聞く?」
「俺だって兄弟なんていたことねえよ」
仕方ないなぁ、となのはが息をつくと、膝をついてルーテシアと目線を合わせるとにっこりと笑った。
「こんにちは」
「…………わぁ」
「うんうん、こんにちは。えっと、自分のお名前、いえるかな?」
「…………るー?」
「そっか、じゃあルーちゃんだ。お名前言えて偉いね」
ほわんとした目のままのルーテシアの頭をなでなでとなのはが撫でる。すると、ルーテシアは不思議そうに手を見た後に、なのはの顔をじっと見つめる。
「どうかした、ルーちゃん?」
なのはは尋ねてみるが、ルーテシアはじっとなのはを見つめたままそのまま何か話そうとはしない。
「……もしかして、名前か」
「え?」
「ルーテシアちゃん、高町の名前聞いてるんじゃないのか?」
セルジオの言葉になのはが手を打った。確かに、今なのはを見つめているルーテシアは相手をなんと呼ぶべきか知りたがっているようにも見えた。
「私は、なのは、高町なのは」
「…………?」
「な、の、は、だよ。『なのは』」
「なー?」
「うーん、そうそう、『なー』だよ、なー」
「なー」
ほにゃ、と笑うルーテシア。
「──! セルジオくん」
「どうした」
「どうしよう、ルーテシアちゃんめちゃくちゃ可愛いよ。妹ってこんな感じだったのかなぁ」
「そうか、それはよかったな」
無垢な笑顔を向けてくれるルーテシアにメロメロになっているなのは。すると、そんななのはをよそにルーテシアは今度はセルジオへと目を向けた。
「……今度は俺か」
ぽりぽりと頭をかくとなのはの隣にしゃがんでルーテシアのとろんとした目を覗き込んだ。
「俺はセルジオ・アウディだ。あー、セ、ル、ジ、オ、わかるかな?」
「せー、お?」
「んー、ちょっと違うけど、まあそれでいいや」
「せお」
「そ、せおで良いよ、ルーテシアちゃん」
ふ、と頰を緩めて見せるセルジオ。すると、ルーテシアはオレンジジュースを置いて、なのはとセルジオへと手を伸ばした。
なのはの頰を触る。
「なー」
「うんっ」
セルジオの顔をぺしぺしと叩く。
「せお?」
「ああ」
最後に自分を触る。
「るー」
そして、満足そうにほんにゃりと笑って見せる。
「……これは確かに可愛いかもしれん」
「だよね。ルーちゃん可愛いなー」
親友たちがシスコンの道に落ちた理由を垣間見た気がするセルジオだった。
その後、オレンジジュースが無くなって泣きそうになったルーテシアを得意の転移魔法でのちょっとした手品を披露して泣き止ませたり、魔力弾を応用したお手玉であやしたりして一時間ほど遊んでやると、ルーテシア突如こてんと寝こけてしまった。
まさか怪我でも?! 焦ったが、ただ疲れて寝てるだけだとわかって二人して胸をなでおろしたりした。
そして、ソファに寝かせたルーテシアの横になのはは腰掛け、セルジオはソファの側面に体を預けて、ようやく、二人は安心したようにして息をついた。
「子ども預かるのってすごく疲れるね。お姉ちゃんたちもこんなだったのかなぁ……」
「そう言う高町は、末っ子と言う割に随分手慣れているように見えたけど」
「あはは、そうかな。自分がやって欲しかったことやってあげただけだからなぁ……」
「……どう言う意味だ」
思わずそう問いかけてしまう。だって、なのはの横顔が寂しそうで、聞かずにはいられなかったのだ。
なのはが膝の上で組んだ手へと視線を落として、勤めて明るい様子で語り始める。
「私のお父さん覚えてる?」
「ああ、確かボディガードをしていたといっていたけど、あの人がどうかしたのか?」
「うん。それでね、お父さんって私がちっちゃい頃に一度大怪我してるんだ。お医者さんからは、もう目を覚ますかわからないって言われちゃったくらいの」
「大、怪我」
「それで当時は翠屋も軌道に乗ってなかったから、お母さんもお兄ちゃんもお店の方に行って、お姉ちゃんもお父さんにつきっきりだったんだ。それで、私はちっちゃい頃独りぼっちなことが多かった」
仕方ないことなんだけどね、と笑うと、なのはは膝を抱えてソファの上で体操座りのように足を組んだ。
なのはが膝の間に口元を埋めた。
「いっつも膝を抱えて部屋の片隅で震えてたなぁ。独りぼっちの家はなんだか怖くて、おばあちゃんが来るまで寂しくて……って、なんか暗い話になっちゃったね」
間を取り繕うようになのはが声を出して笑うと、隣で静かに寝息を立てるルーテシアの頭を優しく撫でた。
「だから、なんとなくちっちゃい子には親近感湧いちゃうのかな」
「…………なんか、その気持ちはわかる気がする」
「え?」
なのはが膝の間から顔を上げると、露骨にしまったとでも言いたげな表情のセルジオの顔があって。
「なんていうか、俺も、そうだったから」
セルジオがごにょごにょと何事かを言い淀む。
(……仕方ないなぁ)
なのはが、小さく息をつく。
「いいよ。無理して言わなくても」
「……すまん」
「いいの。いつかセルジオくんが話したくなった時に話してくれればそれでいいよ」
膝の上に顔を乗せたなのはが、うつむき気味のセルジオを覗き込みくすっと笑った。悪戯っぽく、優しげに。
「それまで、待ってるね」
二人の間に横たわった静寂の中で、ルーテシアの小さな寝息だけが聞こえていた。