地球に『馬鹿は風邪をひかない』という言葉がある。これは別に本当に馬鹿が風邪をひかないわけではなく、馬鹿な奴は自分が風邪であることに気づかないとかそういうった揶揄の意味が込められている。
まあこれはあくまでも前置きだ。
なぜ今この話をしたのかと言うと、答えは一つに尽きる。
「セルジオ君が風邪をひいて今日も休み?」
「そ。朝連絡があったわ」
「それはまた、珍しいこともあるもんねぇ」
「これで二日連続ね。全く、珍しく」
「セルジオくんがお休みなのってそんなに珍しいんですか?」
テレビ局の撮影が終わって数日。三課のオフィスでなのはが首を傾げた。すると遠くにいたクイントは壁を蹴って勢いをつけると椅子に乗ったままなのはの元へとやってくる。
「珍しいどころの話じゃないわよ。これは異常事態よ、異常事態。明日は槍でも降るに違いないわ」
「そ、それは流石に言い過ぎなような……」
「じゃあ聞くけど、なのはちゃんの知る限りセルジオくんが三課にいなかった事ある? モチロン、怪我とかで入院してる時は除いて」
「ええと、ない、です。たぶん」
「じゃあセルジオ君がナーバスになってた事とかは?」
「……ないですね」
「ではセルジオ君が風邪引いたの見た事ある?」
「えっ、嘘、ない?」
「因みに付き合いがもう五、六年になる私も見た事ないわ」
神妙な顔で腕を組むクイントの横でため息交じりでメガーヌが口を開いた。
「因みにミッドでは大体一年に一度は風邪をひくという人が三割。滅多にひかないという人でも二、三年に一度は、咳や、発熱、といった何かしらの症状を感じる、いわゆる『風邪』にかかると言われているわ」
「へえ、そうなんですか」
「ところがセルジオ君との付き合いが長い私達はあの子が風邪はおろか、具合悪そうなそぶりを見せたのを見たことが無い」
「これは、おかしい、何かトリックがあるに違いないわ……」
「一体何が……」
戦慄するように呟くなのはの後ろで話を聞いていた三課の面々も腕を組んで、隣の同僚へと声をかける。
「セルジオ風邪だってよ、珍しい事もあるもんだ」
「へえ、ワシの知る限りじゃはじめての経験じゃな」
とても恐ろしい集団心理である。
「もうあいつが部屋にこもってから二日になるのに、その間音沙汰もない。どうしてるんだろうな」
「もしかして風邪で動けなくなってんのかもなぁ」
「俺あいつとは長い付き合いだからな、ちょっと心配だよ」
そう! もうお分かりだろう! 誰もお見舞いに行っていないのである!
「一人暮らしの男にとって初めて死を感じる瞬間は風邪になった瞬間だ。飯を作る元気も、なにかを買いに行く元気も、病院に行く元気すらない。普通そんな中すがりつくのが家族なんだが、残念ながらそれができる状況にないものもいる」
「俺なんかも昔そうなった事がある。あの時友人に念話が繋がらなければどうなっていたか……」
そう! もうお分かりだろう!
こんな訳知り顔で頷いている局員でさえ! お見舞いに行っていないのである!
「あいつ一人でどうしてるかなぁ、心配だよ、ボクは」
「じゃなあ、早く元気になるといいが」
こう心配そうに呟くメガネとゴリラでさえ! お見舞いに行っていないのである!
「セルジオくんのお見舞い行こうかなぁ」
ぽつりとなのはが呟いた瞬間、三課の視線全てがなのはへと集まる。その目は「え、まだ行ってなかったの?」とでも言いたげで。
みんな、なのははいの一番にお見舞いに行ったものだと思っていたのだ。
「え、えーと、私、この後お見舞いに行ってもいいでしょうか?」
おずおずと発せられたなのはの言葉を否定する人は一人もいなかった。
地球での一件がひと段落した直後、セルジオは誰もいない三課の中で書類仕事で死にかけていた。
同僚はみんな入院。けれど始末書の期限は変わらないという鬼畜日程である。
「ありえねえ、ありえねえ、部隊長合わせて18人分の始末書とかほんとにありえねえ」
そも、三課の形態は少しばかり特殊である。
基本的には彼らのような武装隊は部隊長をトップとして、二人の分隊長の下に小隊がありバックヤード、という形が一般的である。
けれど、三課は基本的に二人組で事件に当たることが多いためにそう言った小隊は無いのだが、書類上ではそうもいかない。
よって、立場の上では階級が高いメガーヌとセルジオが分隊長を引き受けている。
そう、セルジオは立場と階級だけで見れば三課のトップ2なのだ。
それが何を引き起こすのかというと。
「何、『戦闘機人』に関する報告書に、命令無視に関することと、高町の事件と、あーなになに、引き継ぎ資料も明日までだと? 笑いしか出ねえ」
まあつまりこういうことになる。
もしセルジオも大怪我して入院でもしていれば期限は伸びたのかもしれないが、分隊長は無傷でピンピンしているとくればさっさと出せとせっつかれるのも道理といえよう。
「ーーーーぷは、よし根気入れろ」
血走った眼でひたすらにキーボードを叩いていたセルジオが栄養ドリンクを飲み干して机に叩きつけると、既に五、六個並んでいた瓶がガチャリと揺れた。
「教授のくれた栄養ドリンクって便利だな。眠気も疲れも吹っ飛ぶもんな、うん」
ヤベー薬でも入ってんじゃ無いのだろうか、それ。
セルジオの脳裏に狭苦しい研究所の短髪の痩躯の男が浮かんできて、苦笑いを浮かべた。
「──ッ」
そんなセルジオの頭に鋭い痛みが走り、マルチスクの一つに押し込めていたはずの思考がほんの少し溢れそうになる。それを大量の仕事の情報で押し潰して小さな嘆息。
「一度行った方が良いかもなEC関係のとこ。メガーヌさんも勧めてくれたし」
あいたたた、と軽く頭を叩きながら仕事を続けていると不意に小さなノック音が聞こえてくる。
はて、とセルジオが首をかしげる。
未だ三課の面子も、なのはも入院中である。
「高町の退院は早いとは聞いていたが、流石にこんなに早く無いだろうしな」
セルジオが仕事の手を止めて三課の扉を開ける。
「お疲れ様です、セルジオさん」
「おひさしぶり、です、おにーさん」
「ありゃ、ギンガちゃんにスバルちゃん?」
そこには、クイントの娘二人、セルジオにとっては時々会う親戚の子、くらいの認識の二人がいた。
「どうしてまたこんなところに、というか学校はどうした?」
「もう夏季休暇です。それにスバルはまだ学校にはかよってないですし」
ギンガは今八歳、スバルは六歳。セルジオとは九と十一、なのはとは二つと四つ違う。
「それで、なにしにきたかってきかれると、これです」
ででん、とセルジオの前にスバルとギンガが二人で協力して持っていたバスケットを掲げてみせる。
バスケットの蓋の隙間からはぎっしりとサンドイッチが詰まっているのが見えるのでどうやらお弁当らしい。
「これは?」
「さしいれです。スバルと二人でつくりました!」
「おかーさんが、おにーさんにもっていって、っていったので」
「おお、それはなんか悪い事したな」
「おじゃまでしたか?」
「いやそんな事ないよ。すぐに飲み物持ってくるから好きなとこで座って待ってな」
ありがとな、と笑って軽く二人の頭を撫でたセルジオがバスケットをさらうと、三課のオフィスの一角にある長机の上に置いて二人をソファに座らせる。
「コーヒー、オレンジジュース、アップルジュース、ココア、紅茶、水とまあいろいろあるがどれが良い?」
「オレンジジュースがいいです」
「わ、私は、こ、コーヒーで!」
「はいはい、二人ともオレンジな」
「むぅ」
むくれるギンガに軽く笑ってみせるとコップに入れたオレンジジュースを二人の目の前において、自分の分のアイスコーヒーを手早く作った。
「じゃ、ありがたくいただくよ」
「どうそ頂いちゃってください」
そして三人でバスケットの中のサンドイッチに手を伸ばして三人でもしゃもしゃと食べ始める。
「えと、どうですか?」
「ん? 美味いよ。ギンガちゃんもスバルちゃんも料理うまいな」
「え、えへへ、そうですか」
「よかったねギンねえ。はりきってたもんね」
「ちょ、ちょっとスバル! ち、違いますからね! 別にセルジオさんのために作ったとかじゃない…………わけでもないですけど」
赤い顔でごにょごにょとと言い淀むギンガをサンドイッチで頰をぱんぱんに膨らませたスバルが首を傾げながら見上げる。
スバルちゃんは六歳デリカシーなんてわかんない。
「ま、届けてくれてありがとう。ここんところ栄養ドリンクしか飲んでなかったから助かったよ」
「す、すごいですね……」
「正直ようやく『人間』っぽいことしてる気がするな」
「セルジオさんはちゃんと人間なんですから体をだいじにしなきゃだめですよっ」
「こらこら、そう言う君だってちゃーんと普通の可愛い女の子だ。そう言う卑下すること言わないこと」
「か、かわ……は、はいっ!」
「わかったならよし」
少し戯けた風に言ったセルジオがまた顔を赤くしたギンガににしし、と悪戯っぽく笑った。
「あの、おにーさん、ひとつおねがいしていいですか?」
「スバルちゃん?」
スバルから声がかかり首をかしげる。
目を向ければ、スバルは小さな拳で服の裾を握っている。しばらく、クイントと同じ色の瞳で心配そうにセルジオを見上げていたが、やがて意を決したようにスバルが口を開く。
「あの、これからおかあさんが、けがとかしそうだったら助けてあげてほしいんです」
「クイントさんを、助ける?」
「はい。わたし、おかあさんが、大きなけがをしたのはじめてみて、だから、だから……」
「え、す、スバルちゃん? な、泣かないで?」
言葉を紡いでいたスバルが途中で、玉のような水を目尻に溜めてぐずぐずと鼻を鳴らして俯いてしまう。
「ああ、ほらスバル泣かないの。ごめんなさい、この前おみまいに行っておかあさんのことが心配になっちゃったみたいで」
「なるほど、ん、じゃあなんで俺? ゼストさんとかもいるけど……」
「だって、おにーさんだけ、してないんですね、けが」
(なるほど、そう来たかぁ)
スバルの疑問は『お母さんは強い。けど怪我してる。なら怪我してない
その考え自体は間違いでは無いのだが、クイントよりセルジオが強いかと言うと、そう言うわけでもないと言いたいのが彼の本音だ。
「あのな、スバルちゃん、強さって言うのは一概に言えるもんじゃないと思うんだ」
「──?」
「例えばさ、俺は今AAランクの魔導師で確かにクイントさんよりランクは高い。けど、それはあくまでも形式としてそうあるだけで、本当に戦えばどうなるかはわからないと思うよ」
「??」
「えーと、なんていえば良いのかな、俺としては『強い』っていうのは魔法だけじゃなくてさ、もとの技術とか、後は心の強さとか、そういうものを全て鑑みて、『強い』っていうべきだと思うよ」
「でも、階級はセルジオさんの方が上ですよね? ならセルジオさんの方がお母さんより凄いんじゃないんですか?」
「んー、まあそう言われたら反論がしにくいんだけど……」
「だめ、ですか?」
「……わかったよ。俺に上手くできるかはわかんないけど、君たちのお母さんを助けるように頑張るよ」
スバルになんとか説明しようとしたが、やがてセルジオが困ったように頭をかいて、まあいいかと結論づけた。
管理局員になりたいのならいずれわかるようになるだろうし、そうでなくともいくらか大きくなってからもう一度話すのもアリだろう。
時間は、きっとたっぷりあるのだから。
「あ、く、そ、夢か……」
汗の気持ち悪い感覚を感じながら、セルジオが呟いた。
弾丸を受けた胸がじくじくと痛み、思考がじわじわと何かに沈んでいく感覚がする。体はやたらと熱っぽく気を抜けば意識が飛びそうだ。
ヴァイスの妹を助けようとした日、魔導師の男が撃った拳銃の弾丸はセルジオの胸に突き刺さった。
通常ならば、バリアジャケットで防げていたそれも、AMFのせいで強度が低下して、しかも至近距離だったせいで防ぎきる事ができなかった。
違法武器である質量を持った鉛玉はバリアジャケットを超えて、胸骨の間をすり抜け、そして心臓をかすめながら、『リンカーコア』をかすめていった。
そのせいで一時的に魔力が使えなくなって、そしてセルジオは見た。窓の向こうにガジェットか浮かんでおり、そのレーザーがなのはの横をすり抜けてテレビ局の二人へと向かうのを。
頭が真っ白になって、気づけばセルジオは呟いていた。
まだ使うな、と言われていたゼファーの機構の一つを目覚めさせる『イグニッション』、という短い
「く、すり……、教授からの、やつが、まだ……」
ふらふらとベットから立ち上がりだだっ広い部屋を歩いて、床に転がっていたアイロン台に足をぶつけて派手に転んだ。
がんがんと頭が痛む。
(く、そ……、これは、やばい、かも……)
吐き気がするような不愉快な世界の中で、視界が色を失い、ぐるぐると回り始める。なんとか分割思考で制御しようとしても、それすらも満足に行かない。
(……すこし、休めば良いはず、なんだ。まだ、大丈夫、なはず)
自らに言い聞かせるように心の中で呟いて足に力を入れた。意識は未だはっきりしないが、どうやらまだいうことは聞いてくれるらしい。
そのまま一歩足を進めようとして、がくんと膝から力が抜けた。そのまままた体が地面に崩れ落ちていこうとして、誰かに受け止められた。
「──ル──ん!」
「ーーーー」
誰かの声が聞こえる。だが、今のセルジオにはそれが誰かすらうまく判別できない。
けれど、顔を上げた先に見えた瞳が、水晶の様に透き通ったその瞳がとても綺麗で、セルジオの体から力が抜ける。
何故か、その色はとても好きで、宿った輝きが星の姿を思い出させたから。
「すまん、まか、せた……」
そう呟いて、セルジオは自らの意思を手放した。
今新規の読者増えてるみたいですけどど、今一番上に置いてる番外編から見たら本編読んだ人がびっくりしそうですよね。
一応言っときますけど、あの番外編はあくまでも『ifルート』です。あの通りに未来がなるとは断言できませんよ。
それはそうと僕もおびびを交えた幸せ家族計画は見たい。誰か書いて(強欲)。