ある休日の昼下がり、クラナガンのデパートの喫茶店の窓際でひと組の男女が向かい合って座っていた。
一人は淡い金髪に翠の瞳のセルジオ。今日はオフのためか眼鏡をかけて普段よりはラフな服装だ。
その対面には栗色の髪と水晶の瞳の高町なのは。いつもと違うサイドテールは少しだけ彼女を大人っぽく見せている。
ルーテシアへのプレゼントの買い物が終わった二人は少し遅めの昼食を食べに来ているところだった。
腰を落ち着けてしばらくしてやってきた店員にセルジオがすぐにコーヒーとハンバーグステーキを、なのはがまごつきながらオムライスとオレンジジュースを注文する。
「オムライスのお客様ー」
「あ、私です」
「ハンバーグステーキのお客様ー」
「俺です」
ごゆっくりどうぞーと言って去っていく店員を見送ったセルジオは手元のフォークとナイフに手を伸ばそうとして、対面のなのはが手を合わせているのに気がついた。
無言で同じように手を合わせるセルジオ。
なのはがくすりと笑う。セルジオが少し眉を寄せる。
「なんだ」
「合わせてくれるんだなーって」
「別に合わせてるわけじゃない。俺がやりたいからやってる」
「素直じゃないなぁ」
「何を言う。俺はいつでも素直だろう」
「はいはい、そうだね」
それぞれ軽く手を合わせると目蓋を閉じて一言声を揃えた。
「「いただきます」」
なのははスプーンを手に取るとオムライスを一口すくった。
薄ぼんやりと湯気をあげる中、とろりとした半熟の卵がスプーンからこぼれ落ちそうになって慌てて一口頬張る。
「ん〜、おいしい〜」
濃厚なトマトの風味を感じるケチャップライスと鼻腔に抜けるバターの香りの半熟卵。家でも再現できないわけでもないが、外で食べるから美味しい料理というのはある。
例えば今食べているようなバターのたっぷり使われてそうなオムライスとか。
もむもむとオムライスを頬張るととろけそうな笑みをこぼして頬を緩めるなのは。見ているだけで美味しさが伝わってくるような表情だった。
しばらくオムライスを口に運んでいたなのはが、思い立ったように対面に座るセルジオへと目を向けた。
スプーンを動かす傍ら盗み見るようにセルジオを見るなのは。
(……相変わらず静かに食べるなぁ)
セルジオの前にあるのは特にメニューを見ることなく頼んでいたハンバーグステーキ。それをナイフとフォークで一口サイズに切り分けると黙々と口に運んでいる。
その間なのはのように美味いという事もなければ、表情を崩す事もない。
それは『食事』と言うよりも『栄養摂取』と言った方がしっくりくるような気がした。
「なんだ」
自分を見つめる視線に気づいたのかセルジオが目だけをなのはへと向ける。
「相変わらず黙々と食べるなーと思って」
「ちゃんと咀嚼してるから特に問題はないと思うが」
「もう、ご飯って栄養をとるだけじゃないでしょ?」
「いや食事の主な目的は栄養摂取だろ」
「そうじゃなくて、こう、なんだかなぁ……」
「──?」
例えばさ、となのはが言葉をつなぐ。
「いま私はオムライスを食べてます」
「そうだな」
「大きいな声では言えないけど、ここのオムライスより
「凄い自信だ」
「でも私は今の食事が結構楽しいです。なんでかわかりますか?」
「いきなりのクイズがきたな」
「正解した人にはなんと私のオムライスを一口プレゼント!」
「まあ別にそれはいらないが」
セルジオがナイフとフォークを置いて水を一口飲んで喉を潤すと、腕を組んでふむと唸る。
「順当に考えるなら店内の条件が候補に挙げられるだろうな。家と違う場所で食べているという特別感、金を払っているという特別性、そうしたものが味を向上させているんだろう」
「ぶー」
「む……なら、体を動かしたからというのはどうだ。玩具店は非常に賑やかだったからな、その分疲れて食事が美味しくなった」
「違います」
「じゃあ高町が無類の卵好きなんだろう。好物があれば他に何もいらない人がいるって聞く」
「不正解です」
「……お手上げだ。どうにも俺にはわかりそうにない」
指で作ったバツの向こうのにこにことした笑顔のなのはに両手を上げて降参の意思を示した。
「ほんとにわからないんだ」
「生憎と」
なのはがやれやれとばかりに小さく肩を落とす。しかしその表情はやはり楽しげで、口ほどには落胆はしてなさそうだ。
「セルジオくんと食べてるから、だよ」
「俺と?」
「そう。セルジオくんと」
不思議そうに首を傾げたセルジオがなのはを見つめ返す。
「ごはんって人の気持ちを一緒に食べるものだと思うんだ。作ってくれた人の、料理してくれた人の、そして一緒に食べる人の」
スプーンを動かしてオムライスを一口すくって頬張ると、おいし、と満足そうに笑う。
「私は今セルジオくんとごはんを食べてるから普段よりも何倍もごはんが楽しい」
「……そういうもんか」
「そういうもんです」
納得いかなさそうに眉を寄せるセルジオ。その姿がなんたか子どもっぽく見えた。
そのいつもならなかなか見れない彼の表情にとくん、と小さく胸が高鳴るのが聞こえる。ビートが早まっていく。
(なんだか、セルジオくんが、今日は近い)
ごくり、となのはが喉を鳴らした。
「あの、こ、これ!」
「ん?」
「ひ、一口あげる!」
ずいっとなのはがスプーンを差し出すと、対面の青年の眉間の皺が深く刻まれた。
「正解した人にだけじゃなかったのか?」
「ざ、残念賞です。あげないのもかわいそうですし」
載せたのは一口ぶんのオムライスと、距離を縮めたいという勇気。
普段はできないような大胆な行動も桃子が選んでくれた服と化粧が背中を押してくれる。
「だから、どうぞ……」
自然に頬に熱が集まって視線が下に落ちていく。
柄にもなく胸のビートが加速してやたらと緊張してしまう。目の前にいるのはここ二年行動を共にしている相棒だというのに。
俯いてしまったなのはの差し出すスプーンを見つめてセルジオが黙りこくる。
「ーーーーー」
普段なら「間接キスだぞ」とか言ってからかうだろうセルジオは、やがて何を思ったのぱくり、とスプーンの上のオムライスを頬張って咀嚼する。
もぐもぐとセルジオの口が動く。
「高町」
「ひゃ、ひゃい」
「……詳しい事はわからないけど、これが『美味い』ってのはわかった」
降ってきた言葉になのはが顔を上げるとそこには、ゆるりとセルジオの満足そうな笑顔が待っていて。
「ありがとう高町、一つまた勉強になった」
「それなら私も嬉しいかな」
くすり、と微笑みを交わして二人はまた一口口へと食事を運んだ。
その後、「俺のも一口返そう」とフォークを差し出すセルジオになのはが顔を赤くしながら応じたりという一幕もはさみながらも食事はつつがなく終わりを迎える。
(平常心、平常心。友達ならご飯を食べさせ合うくらいあるから。あるある、何も問題ないもん)
喧しく跳ねている胸をなんとか宥めすかして注文し直した飲み物に口をつける。そして、もう一度気を落ち着けるために薄く息を吐き出そうとして、それよりも早く対面からふう、と小さなため息の音が聞こえてきた。
「セルジオくん、疲れてる?」
「……まあな」
「もしかしておもちゃ屋さん? 人混みとかダメだったっけ?」
なのはの脳裏に昼前に二人で連れ立って訪れたおもちゃ屋の賑わいを思い出す。
するとセルジオがいや、と首を振る。
「別に人混みがダメなわけじゃないが、ちょっと圧倒された」
「まあそのおかげで良いものは買えたよ」、とセルジオが足元に置いてある紙袋に目を向けた。
中にはなのはと話し合いながら買ったぬいぐるみが入っている。
「というか、玩具店っていうのはいつもああいうものなのか?」
「うーんおもちゃ屋さんが静かな時っていうのはあんまり想像できないけど、でも今日は特に人が多かったんだと思うよ」
「? 今日は普通の休日だろ?」
「休日だからだよ。お買い物のついでにおもちゃ買いに来たりする人も多いから。セルジオくんもそういう経験あるでしょ?」
「……ああ、そうだな」
なのはの問いかけに少し間をおいてセルジオが首肯した。そして何かを誤魔化すようにコーヒーに口をつけようとして、「いや」と言葉を漏らす。
「嘘だ」
「へ?」
「俺は嘘をついた」
しゃん、とセルジオが背筋を伸ばした。
「俺は一度も玩具店とかそういう所に行った事はない。勿論、親とも」
空気が引き締まり、翠の瞳がなのはを捉えた。その輝きの中には緊張と、決意と、ほんの少しの怯えの色が覗いている。
「今日俺は高町にいくつか嘘をついた」
だから、とセルジオが言葉を繋ぐ。
「その事について謝った後、お前に──君に聞いてほしい話があるんだ。もちろん高町が許してくれれば、だけど」
少しだけ気まずそうに言葉を濁して、けれど対面の少女からは決して目を逸らさないセルジオ。
一瞬、なのはが虚を突かれたように目を見開いたが、やがていつものように優しげに、ゆるりと表情を綻ばせる。
「ききたい。あなたのことを私に聞かせてほしいな」
「……ありがとう」
自己満足かもしれないけど、それでも高町に聞いて欲しかったんだ、と呟く。
「俺と、俺の家族と…………俺の殺した母さんの話」
俺って孤児なんだ。
ん? あー、違う違う。孤児院とかにいたんじゃなくて、なんていうか事件に巻き込まれて親を失ったとかそんな感じだって母さんには聞かされた。
まあそこらへんは小さかったから俺は覚えてないんだけどさ。とにかく俺に血の繋がった家族はいなかった。いわゆる天涯孤独ってやつだ。
身寄りもない。愛想も良くない年齢一桁のガキにはいくあてなんかなくて、でもそんな俺を引き取ってくれた人がいたんだ。
セピア・アウディ。
当時は地上本部でゼストさんの同僚として働いていた局員。
うん、そう、それが俺の母さん……になった人。
どんな人だったって? うーん、説明が難しいけど、『強くて優しい人』だったと思う、あくまでも俺の知る限りでは。
俺みたいなめんどくさいガキを引き取って必死に働いて、同僚に尊敬されてて、俺にもちゃんと気を配ってくれてて、何より『管理局員』としての誇りを持っていた。
正しく、偽らず、優しく、強く、ただ市民の為に。
……違うよ、俺は母さんに似てなんかいない。俺はあの人とは程遠い。あの人の代わりになれたらとは、思うけどさ。
ああ、後は、ちょっと高町と笑顔が似てるかも知れない。
優しくて、あったかくて、眩しくて、ずっと見てたいって思う、そんな感じの笑顔。
いたっ、いやお前が言えっていうから言ったんだろ……。
まあともかく、母さんは俺にとってはそういう人だった。
後話とかなきゃいけないのは……ゼストさんだな。
そう、今の俺の『義理の父親』って事になってるゼストさん。
ゼストさんは最初は俺の後見人だったんだ。なんでも母さんに頼まれて引き受けてくれたらしくてさ、良く母さんの家にも訪ねてきてた。
母さんと、ゼストさんと、俺と。あの時の母さんの家はその三人でいることが、なんとなく普通に思えてた。
ずっと続けばいいと、ずっと続いていくんだと、そう勝手に考えてた。
そんな根拠、どこにも無かったのにさ。
なのはと連れ立って歩きながらセルジオはぽつぽつと自分と母親、そしてゼストのことを語った。
どういう関係だったか、どうやって『家族』というカタチになっていったのか。
それは今まで彼が語ろうとしなかった『セルジオ・アウディ』という人間を形作る要素。なのはが知ろうとしても知れなかった過去、彼と彼女の関係を進めるための一本の楔。
「俺は、あの時初めて人の温もりというのを知ったように思う。それくらい、あの人たちは優しくて、大切だった」
セルジオに連れられるまま聖王教会の中を歩きながら、なのはがヒールのおかげでほんの少し近づいたセルジオの横顔を盗み見た。
いつもと変わらないように見えるけれど、ほんの少しだけ辛そうに唇が噛まれている。
やがてセルジオが教会の中を抜け、丁寧に手入れされた一つの墓の前で足を止めた。
掘られている名前は、セピア・アウディ。
「どうしてここに、私を連れてきてくれたの」
「今日は母さんの月命日なんだ。だから
セルジオは道すがら買ってきていた花を供えると目を瞑る。
「十年前、ミッドではじめてのロストロギアを用いたテロが行われたこと、知ってるか?」
「前言ってたレリックを使ったやつだよね。今の廃棄都市の一角が火の海に包まれたって……」
「母さんはその時現場にいた。当時のあそこは管理局員の戦技披露のステージでな、まだ中継がメインの頃だったから観客こそ少なかったが、多くの人がテロに巻き込まれた」
「そんな……」
「そして、俺も、そこに……母さんの近くにいた」
ギリ、とセルジオが手から色が失われるほど強く握りしめると、苦しげに一言一言、過去の出来事に形を与えていく。
「テロが始まってすぐ観客の避難が始まった。普通にそうやって逃げておけばよかったのに、俺は、俺はっ…………母さんが心配で、一人で会場に戻ってしまった。それが一番足を引っ張る事だなんて、露ほども思わずに」
火の海の中、母の名を呼んで走り回った過去を覚えている。忘れる訳がない、毎日毎日、毎日毎日毎日毎日、何故あんな事をしたのかと責め続けているのだから。
「そして無力なガキだった俺は当たり前のように死にかけて、そして母さんに救われた。母さんの命を犠牲にして」
目の前で自分の義理の母親の命が失われていく中、彼に残された一つの言葉。
『相手の心を想え。想いを絶やすな。希望を捨てるな。自分を信じろ』。そして──。
「人を救え」
なのはは何も言わない。ただ語り続けるセルジオの背中を黙って見つめる。
「その日から俺はあの人の言葉に従って、あの人の死を無駄にしないように生きている。あの人の代わりになれるように、戦ってる」
そう言ったセルジオが目を開いて立ち上がると墓を一瞥して、半身を翻してなのはの水晶の瞳を見つめた。
「これが俺の全て。俺の始まり。君に教えたかった事だ。軽蔑するなり、失望するなり、忘れてくれるなり、好きなようにしてくれ」
それ以上セルジオは何も言わなかった。言うべきことは言ったのか、ただ翠の瞳に悲しげな色を滲ませながら佇んでいた。
「ひとつだけ、きかせてほしいの」
なのはが風で揺れるサイドポニーを手で抑えながら自分の相棒とも言える青年を見上げた。
「なんで話してくれようと思ったの。きっと、これはセルジオくんにとって、とっても大切なことだったでしょ。それをなんで急に──」
「急じゃない。ほんとはずっと答えは出てたはずなんだけど、俺はそれを認めるのが、失うのが怖かった。でももしいつか失うとしても、高町に伝えたいって思ったんだ」
「ーーー」
「俺の目指すもの、目指したかったもの、それが高町となら叶えられるって思ったんだ」
それは、とセルジオが続けて、ふっと柔らかく表情を変える。
「きっと、俺は高町が大切だったから。だから、俺のことを知って欲しかった」
沈みかけた太陽の暁に照らされるセルジオ。翠の瞳は暁の色合いを混ぜ込みながらも、決して揺れる事はなくただ静かになのはを見つめていた。
「────そっか」
短い言葉。なのは刹那の間にふっと笑みを浮かべた。そして今度は墓前で目を瞑って手を合わせて静かに祈る。
十秒、もしくは一分、長くも短くも思えるような黙祷を終えたなのはがすくっと立ち上がり、セルジオと向かい合った。
「今日からは私のこと『なのは』って呼んで」
「え……?」
「呼んでほしいんだ、セルジオくんに。本当の貴方が、見えた気がしたから」
一瞬セルジオがあっけにとられたように目を見開いたが、頬をかきながら口を開いた。
「ええと、ナノ、ハ……?」
「ちがうちがう、な、の、は」
「ナノ、は、なノは、ナのは……?」
「ちーがーうー、なーのーはー!」
なのは、なのは、と数度か名前を連呼したセルジオは、やがていつものように嘆息交じりに笑みを漏らして手を差し出した。
なのはもその差し出した手に応じながら、くすっとおかしそうに笑う。
「よろしく、
「セルジオくんも、よろしくね」
二人の手が結ばれる。
「これって何回目の『よろしく』かな?」
「さあ、何回目だろうがいいんじゃないか。高町となら──」
「おほん」
「訂正、なのはとなら何回やろうと構わんさ」
くすくすと笑うなのはと話しながら、誰よりも大切だった人の墓に背を向ける。
(また来るよ。また、二人で)
そう心の中で伝えて、セルジオは夕焼けの中へと一歩踏み出した。
「…………変わったな」
暁に包まれる墓地で陸の制服に身を包んだ大丈夫が一人、去っていく二人の男女を見送った。
今日は『彼女』の月命日。そして『彼』が愛する女性の墓前に花を手向けに来るのは決して不自然なことではなかった。
「あいつが自分で過去の話を、か」
以前ならする筈もなかった。きっとその記憶はセルジオにとって忌々しい、罪の十字架そのものだったのだから。
「それ程までに、その存在は大きいか」
ふっと、薄く、けれど確かに笑みを浮かべるその所作はどこか彼の義理の息子を思わせた。
「俺たちの息子は、ちゃんと大きくなってるぞ、セピア」
そして、彼は既に供えられているバラとは別の色の花束を置くと墓石のそばに腰掛けて空を見上げた。
暁に混じった風が桃色と白のバラをそよそよと静かに揺らしていた。