『欲望』とは人を動かす原動力である。
人は遍く何かを望み、叶えんとする。
あれが欲しい、これがしたい、そう言った何かを強く欲する心、それが『欲望』。
人類の歴史は『欲望』の歴史だ。
もっと早く、もっと強く、もっともっともっと────そういう、求める心こそが人間に生まれた時からあるもので、原初の感情である。
であるならば、『欲望』に正直であるということは、かえって人としては正しいあり方であるとも言えるのかもしれない。
その定義に乗っ取ればジェイルはどこまでも『人らしい』人間だった。
「まあ、一先ずはこれでいいだろう」
ジェイルは研究所の培養液の中で眠る自身の作品の一つ、ディエチの調整を終えて目の前の機械を操作した。後はマシンが自動的に怪我を治癒し、ディエチを目覚めさせてくれることだろう。
「……ディエチが落とされたのは意外でした」
側に控えるウーノの言葉にジェイルはふむ、と声を漏らす。
「そうかね?」
「ディエチは射撃特化のナンバーズ。『高町なのは』とはバトルスタイルも似ており、AMF下で戦闘を行ったり以上、負ける要因はなかったはずでした」
「しかし実際は彼女にダメージを与えたに留まり、セルジオ・アウディの元に行くのを許してしまった、と」
「確かに彼女の魔力量は多くAMFでもある程度魔法は使えるでしょう。それにしたとしても──」
「なんだい随分今回は執着するじゃないか、ウーノ」
「──っ、そんなことは、ありません」
ウーノは基本感情を乱さない。
それは彼女が最初期の戦闘機人であるから感情が薄いというのもあるが、彼女は自分を『機械』であるべきと思っているのだ。故に敢えて残した『人間』の部分を否定する。
それはジェイルからすればつまらない事だが、こうした変化を見れるならば悪くないと思った。
「何、責めている訳ではないさ。私と同じく君も心を向ける対象を見つけたならばそれは良い傾向だ」
くつくつと笑うジェイルを見て、ふと、ウーノが一つのことに疑問を抱く。
ジェイル・スカリエッティはセルジオ・アウディという存在に深い興味を抱いている。
先ほどのジェイル自身の言葉を借りるなら、執着してると言ってもいいだろう。
今回の一件はセルジオに大きなダメージを与えた。だが、言ってしまえばそれだけだ。
ほかに得たものなど微々たるもので、いや、そもそもジェイルは今回の件を何かを得るために起こした行動ではない。
ただ
いったい、セルジオの何がジェイルを惹きつけたのだろうか。
ウーノはそれが『気になって』、ジェイルに尋ねる。
するとジェイルは深い喜色を浮かべて答えてくれた。
「彼はね、私と同じなのさ」
「ドクターとですか?」
その通り、とジェイルは頷いた。
ジェイルは管理局の上層部『最高評議会』と呼ばれる者たちに、遺伝子サンプルを元に作られた存在だ。
セルジオは違法科学者達によって生み出されたプロジェクトFのなり損ないだ。
自らの手駒として作り出された程のいい『モノ』、という意味ではセルジオとジェイルは何も変わらない。
ただ違ったのはその後、ジェイルは生まれついて『知識欲』を植え付けられ、『無限の欲望』を抱くに至った。
ならば、セルジオ・アウディは?
くつくつと、ジェイルが身を歪める。
「彼は、親が死に、その願いを叶えるために、そう、死ぬ間際の『叶うはずもない夢』を追いかけて、『無限の欲望』を抱いた」
ジェイルが髪をかきあげて、笑う。
「私たちは生まれは同じのはずなのに、正反対の過去を辿り、そして今同じ『無限の欲望』を抱いている。なんとも愉快じゃないかッ!」
ジェイルが先天性の『無限の欲望』ならば、セルジオは後天的な『無限の欲望』だ。
セルジオにはその夢を追わない権利も、自らの夢を見る権利もあった。けれど、彼はそれを投げ捨てて、叶わない夢を追いかけた。
まるで、届かない星に手を伸ばすように。
「私は見てみたいんだよ、ウーノ。私と正反対に進んだ者の欲望が何処へ行き着くのか、そして、
ウーノが静かにジェイルに問うた。
「…………一体、どこまでがドクターの計略だってのですか?」
一瞬ジェイルは、瞠目したものの、すぐにいつもの深い笑みを浮かべる。
「さあ、どうだろうね」
ジェイルはそれ以上何も語らずに、手の中の端末に目を落とした。
「さてそろそろ今の研究も大詰めだ。まだ安定性はないが……
すっとジェイルが背後の無数に並んだ培養ポッドのいくつかに目を向けて、歪みを深めてくつくつと身を揺らした。
「素体はあるからね、心配はいらないだろう」
暗闇の中に三つのモニターが浮かんでいる。
『航空魔導隊三課の壊滅。これもお前が手綱を握れなかった結果だ、レジアス』
『大切な手駒を失い、我らの計画にも多少の影響が出た』
『多少はジェイルの研究に還元できるのが不幸中の幸いか』
『今回のことは不問とするが、以後細心の注意を払い行動せよ』
「……は」
浮かぶモニターは三つ。
書記、評議員、議長とそれぞれ一人ずつ割り当てられている。
彼らこそが時空管理局のトップの一角、『最高評議会』。レジアス・ゲイズにとっては事実上の上司ということになる。
今この場にレジアスはいない。彼は執務室から通信でこの会話に参加しているだけであり、最高評議会とは顔を合わせたこともない。
ただ『地上の平和』の為に彼らの元で手となり足となり動くのが今のレジアスの役目である。
『レジアス、今日貴様を呼んだのは他でもない『セルジオ・アウディ』のことだ』
「──はい」
『奴は我らの計画の主要たるものを掴んでいる可能性がある』
『左様。本来は首都防衛隊に任せ適当なところで終息させるつもりであったが、もはやそうも言ってられぬ』
『くれぐれも奴には他言せぬよう厳命せよ』
『幸い奴はプロジェクトFの残骸、人の言うことに逆らうことはあるまい』
『ああ、例えその寿命が
「お、お待ちください! 今の言葉は、セルジオの寿命がもう尽きるとはどういうことですか!」
聞き捨てのらない言葉にレジアスが慌てたように声を上げる。
『ほう、レジアス、貴様はまだ知らなかったか』
『良かろう、ならば教えてやろう』
『セルジオ・アウディは一年前に『エクリプスウイルス』に感染している』
「な────」
エクリプスウイルス。その名前をレジアスも知っている。一時期、最高評議会が『非魔導師であっても戦力にできる』という点に着目して計画を立てたものの、結局成功例が少なすぎて頓挫した計画だった。
「な、そんな、治療は……」
『不可能だろうな。もう奴は手遅れだ』
『ECに適合できる人間はほんの一握り。そしてその適合できる人間も、初期、中期と侵攻が進むたびに正気を失い、死に至る』
『そして『セルジオ・アウディ』はそのエクリプスウイルスの侵攻度『末期』。あと一年も持てば良い方だろう』
『あわよくば貴様の後継者にと考えてはいたが……代わりはいくらでもいる』
セルジオ・アウディは既にECに感染している? 侵攻度は既に末期で、残りの寿命はたった一年?
(そんな、ことが……)
セルジオは親友たちの忘れ形見だ。せめてこの手を汚していたとしても、奴だけには幸せになってもらわなければならないと、そう考えていた矢先に、これだ。
これも、罰なのだろうか。
目先の人を犠牲にし、親友を欺いていた罰が、今レジアス以外を襲っているというのか。
『レジアス、セルジオ・アウディに気を配れ。奴に怪しい動きがあればしっかり処理しろ、良いな』
「────私、は」
頷いて良いのか。自分はこのままこの者たちについていって良いのか、本当にそれが友と誓った『地上の平和』に繋がるのだろうか。
レジアスが言葉に詰まり、その心の矛先が鈍る。
『どうした、レジアス、
『こうした事は初めてではないだろう。まさか、
その言葉にレジアスが拳を握り、歯を噛み締めて、絞り出すように声を出した。
「わかり、ました……。場合によっては、私が『セルジオ・アウディ』を、処理します」
『それでいい。それでこそ『英雄』だ、レジアス』
まるで嘲るかのようにレジアスと、亡き親友の若き頃の二つ名を使う顔なき声たち。
『もうよい、下がれレジアス』
「──は」
モニターの中央にあったレジアスのホログラムが消える。
『しかし『エクリプス』を今更使うものがいるとはな。あの計画を切り上げるのは時期尚早だったか?』
『いいや奴は『完成品』ではない。そもそも『ゼロ
『それよりもエルトリアから持ち帰られた『フォーミュラ』、アレこそが私は興味深い』
『無機物を操作する力、か。今の管理局の凡夫達に扱いきれるのか』
『無理であろうな。しかし我らが管理すれば使えない技術でもないであろう。確か適当な計画がレジアスのものにあった筈だ』
『『アインヘリアル』か。興味深いな、アレの素材には第23管理世界からのモノを使う予定であったが、試してみるのもよいかもしれんな』
『しかし不確定要素が大きい。フォーミュラ自体にもまだ解明できてない点も多く、我らの手駒以外に任せるのは不安が残る』
『ならばエルトリアからの技術者──確か拘束中の犯罪者がいたな、アレを使えばよい』
『後は誰に任せるかだが……、それこそ、我らの『王』に任せるべき事ではないか?』
『ふむ、興味深いが、まだ行動を起こすには早い。今は様子を見る必要があるだろう』
『我らの残されて時間は余りにも少ない。故にこそ、我らは慎重に行動しなければならない』
『全ては、管理世界の秩序のために』
最近窓の外を見ることが多くなった気がする。
なのはの病室は五階に位置するためか、海鳴の自室よりも随分と空が近い。また病室ではレイジングハートと話すか、テレビを見る以外には特に出来ることもなく、従ってなんとなく空を見てしまう、というわけだ。
「…………青いなぁ」
今日の天気は晴れ。先日の雨続きが嘘のように晴れ渡り、今はどこまでも青い空が広がっており目に痛いほどだ。
もし怪我していなければ今頃あの空を飛んでいたのだろうか、と考えて、追随して一人の青年な思い出された。
──達者でな、高町さん。
セルジオが病室に見舞い──なのはに辞令を言い渡しに来たのはもう一週間前の事となる。
その間、セルジオからは連絡も無かったし、もちろん病室に訪ねてくる事だってなかった。
しばらくは「もしかして気が変わるのでは」と期待していた事もあったが、一週間経った今では、そう思う事もほとんどなくなった。
きっと全てが終わったあの日に、閉じられた壁の向こうでセルジオと別れてしまってから、なのは達の関係は終わってしまったのだろう。
ぼうっと、なのはが寝転んだまま胸元に手を伸ばして、いつもの感触を捉えることができず、包帯の巻いてある傷口を軽く触ってしまう。
「──ッ、また、やっちゃった、な……」
一瞬痛みに顔を歪めたなのはが、誤魔化すように空いていた左手で顔を隠した。
「もう、あのネックレスは無いのに」
初めてセルジオと出かけた日、セルジオに買ってもらったシルバーのネックレス。
何でか凄く大切で肌身離さずつけていた。
後にセルジオはクイント達に囃し立てられたから買ってくれたのだと知ってからも、大切であることは変わらなかった。
しかし、そのネックレスは目を覚ました時には既になかった。
起きた時に慌てて周りの友人達や看護師に聞いてみたが、皆首を振るだけでなのはの求める答えをくれる人はいなかった。
腕で隠した向こうの瞳がほんの少しだけ潤みそうになって慌てて目元をぐしぐしと擦った。
「涙脆くなってるなぁ、私」
ふっとなのはがまた空へと視線を送る。
昔、仲間達と守っていた空は、今日もどこまでも青かった。