「敬語やめませんか、セルジオ一尉」
時刻は深夜。場所はヴァイゼンの研究所のあてがわれた一室。情報提供を受けたもののそれを馬鹿正直に信じることもできず、結局こうして一晩中寝ずの番を申し出た、と言うわけだ。因みにリインはもう寝た。
ソファに座っているはやての問いかけに、少し離れてデータの整理をしていたセルジオがほんの少し眉を歪める。
「唐突ですね」
「まあもう深夜で
「それは同意しますが」
第23管理世界に来てから早数日。調査を続けても思うような成果は得られず、待てど暮らせどハーヴィスの言っていた侵入者が来ることもない。
一瞬咎めようかともおもったが、まあこのくらいいかと思い直す。
ゼファーでのデータを整理する手を止めるとパイプ椅子に座りなおして、ぽりぽりとセルジオが頬をかく。
「それで敬語……ですか」
「それです、それ。私、セルジオ一尉の後輩で部下ですよ? いつまでも敬語というのは居心地悪いです」
「しかし、公私を分けるのは大事ですし……」
「いーや、その言葉には騙されません」
びしっとはやてがセルジオを指差す。
「なのはちゃんと話すときは敬語じゃあらへんかったと思うんですけど」
「……そうでしたか」
「まあそれは、最初からなのはちゃんみたいに接しろとは言いませんけども……」
「そういうヤガミ二尉も私には敬語じゃないですか」
「セルジオ一尉は上官ですし、私がタメで話すのも良くないでしょうし」
「いえ私は特に気にしませんよ」
「えっ」
はやてが瞠目する。
「私は特に話し方や呼び方には拘らない方です。呼びやすいように、話しやすいようにどうぞ」
「……ほんとにいいんですか?」
「ええ、公私の区別さえつくのなら」
はやては膝の上のリインに視線を落とすと、その合間にちらりとセルジオを伺う。
(……まだ、やな)
盗み見たセルジオにはどこか壁があり、とても以前海鳴でなのはと自分たちをからかった気さくな青年と同一人物とは思えない。
はあ、とはやてが小さくため息。
「やっぱり敬語の件はええです。私だけやってもアホみたいやし」
「む、そうですか」
「その代わり好きなものの話ししましょ!」
「好きなもの?」
はやてがぱんと、軽く手を叩くと首を傾けてにこりと笑う。
「やっぱ今の私とセルジオさんには親密さが足りへんと思います。やからお互いの事を知ろう思うて」
「そのために好きなもの、か。なるほど……」
ふむ、とセルジオが唸る。
「じゃあまずはセルジオさんの方からお願いします」
「俺の好きなもの、好きなもの、か……」
「食べ物でもスポーツでも本でもなんでもええですよ」
セルジオはしばらく腕を組んで考えを巡らせる。
(好きな食べ物は……ない。何食っても同じだし。スポーツも殆どしない。娯楽本も読まない。バイクも母さんのモノなだけだしな……)
結果。
「好きなものは、特に……ない?」
「えぇ……」
これにははやても流石にドン引きである。
なのはが以前言ってた自分よりも無茶苦茶という言葉に信憑性が出てきた。
(この人もしかしたら放っておいたらいけないタイプの人なのでは……?)
図らずも正解である。
「じゃあ私の方から、話しますからセルジオ一尉もその間に考えてください」
「む、申し訳ない」
「セルジオ一尉は謝ってばかりですねぇ」
はやてがこほん、と咳払い。
「私が好きなのは『家族』です」
「家族?」
「はい、家族」
少し照れたようにはやてが続ける。
「不器用やけど優しいシグナム。気がきくけどどこか抜けとるシャマル。ツンケンしとるけど人の気持ちがわかるヴィータ。寡黙やけどみんなの事をよく見とるザフィーラ。そして、末っ子みたいで甘えん坊のリイン」
はやてが自分の膝の上ですやすやと心地好さそうに眠りこけているリインの頭を人差し指で撫でる。
「みんな、血は繋がってないけど大切な『家族』です」
と、そこまで話してはやてが照れたように軽く頭を叩く。
「殆ど初対面の人に何話してるんでしょうね。な、なんや話しづらくなってしもうて」
「いや、そんな事はない」
「へ?」
「家族、『家族』……。家族が『好き』、か」
セルジオが椅子に腰かけたまま背もたれに体重を預けて天井を向いた。安っぽいパイプ椅子が体重に耐えかねたように軋む。
「そっか、そういう風に考えた事はなかったな」
セルジオが髪をかきあげると、はやてへと視線を戻す。
「俺は好きな『もの』はないけど、『人』ならいると思う」
「お、おおっ!? だ、誰ですか?!」
「凄い食いつきだな……」
唐突に生えてきた恋バナの気配にはやてが鼻息を荒くする。
「えーと、
はやてがピシリと固まる。
(セルジオさんはシスコン……まさかそんなこと……いやでも案外……)
尊敬できそうな上司の見る目が変わり始めているなど露知らず、セルジオが指を折る。
「それに、クロノ、ヴァイス、ゲンヤさん家族、それに、母さんとか、俺に魔法を教えてくれた人たち……」
そこまで言葉を続けるとはやてが「ああ、そういう」と『好き』の種類について理解し、すっとフラットに戻る。
「あとは……」
指を折々名前を挙げていたセルジオの表情がほんの一瞬陰るが、直ぐに元に戻ると薄く笑んだ。
「あとは?」
「あとは…………まあ、ヤガミ二尉なんかも好きだと思いますよ」
「私もですか」
「はい、ヤガミ二尉はとても『いい人』だと思いますから」
「ほほう、その心は?」
「笑った顔が素敵ですから。俺の持論ですが、笑顔が素敵な人に悪い人はいません」
そう言うセルジオは真面目なもので、特にからかいなどではなさそうである。
これには流石のはやても少しばかり照れてしまう。いくらあったばかりとはいえ、はやても中学生。年上の男性に笑顔が素敵なんて言われれば少しは恥ずかしくなる。
「そ、そう言えばセルジオ一尉って妹さんおったんですね」
「ああ、一応」
はやてはぱたぱたと手で顔に風を送りながら話題をかえる。これ以上変な事を言われないためだったのがちゃんと乗ってきてくれた。
「まあ妹と言っても血も繋がってない義理の妹なんですが」
「あ、じゃあウチと同じですね!」
「同じ、ですか……」
セルジオが今、ゲンヤの家に預けているルーテシアのことを思い出しているのか、目を遠くへと向ける。
「俺はちゃんとあの子の兄をやれてんのかな」
「セルジオ一尉?」
「こうして数日間帰れない。帰りに迎えに行く約束も破った数は両手では数え切れない。
……そんな俺なんかが兄なんて名乗る資格、本当はないんだろうけどな……」
セルジオがどろりとした瞳を細めて口角を上げると、取り繕うように笑顔を貼り付けた。
「ヤガミ二尉は家族として上手くやっていく秘訣ってなんだと思いますか?」
「秘訣と言われても……」
「まあ喧嘩しないコツみたいなものでも教えて貰えれば、嬉しいかな、と。私はあまり家族というものに縁がなくて」
問われたはやてが秘訣、秘訣とぶつぶつ呟いて、やがてはっとしたように手を叩いた。
「秘訣っていうか、まあ、ウチで決めたルールみたいなのはありますよ」
「ルール?」
こくりと頷き、「簡単なことなんですけど私は大事だと思うんです」と続けるはやて。
そしてえへん、と胸を張ると、まるで生徒に授業をする先生のように、ゆっくりと、けれどもはっきりとした口調で口を開く。
「絶対に
刹那、ルーテシアとその両親の事が脳裏をよぎる。
なにもセルジオとて本気で家族について聞いたわけではない。世間話、普通はどうなのかな、と気になっただけ。軽い気持ちの質問。
けれど、冗談も交えた軽い気持ちで発された言葉は、はやてが思う以上にセルジオに刺さった。
くは、とセルジオが自嘲するように声を漏らして、右手で顔を覆った。
「は、なるほど、
じゃあ、
そもそもセルジオは始まりからして間違っている。
距離感がわからない。いつかの自分のように悲しんで欲しくないというエゴで、ルーテシアに偽った。
本当にルーテシアを思うならばセルジオは、ルーテシアを迎えに行った日
けれど、セルジオは目先のことに囚われてそれをやらなかった。
それで出来たのが現状だ。
毎日毎日、期待しながら親の帰りを待つルーテシア。
そしてセルジオは「まだ帰らないの?」と聞かれる度に、自分の不甲斐なさに、愚かしさに、醜さに吐き気を催しながら言うのだ。
メガーヌさんたちはいつか帰ってくるよ、と。
偽善だ。結局、自分は目指していたものの本質が見えていない。
人の涙を減らすということが、理不尽に死ぬ人を減らすということが、笑顔を守るということが、本質的に理解できていない。
(本当に、救えないな、俺は)
目が濁る。どろりとした汚濁が胸に溜まって、思考が鈍りそうになる。
「セルジオ一尉、あのどうかしたんですか──」
はやてがリインを膝から下ろしてソファに寝かせると、駆け寄ってこようとして────それよりも早く、セルジオが
(なんだ、これ)
胸がざわつく。
魔法ではない。探知のために使っている解析魔法には何も反応がない。
理由はわからないが、
「ヤガミ二尉空曹と一緒に急いで防御魔法を貼れ!」
「え、でも」
「さっさとやれ!
緊迫感のある怒声に反射的にはやてがリインと自分を取り囲むように魔力障壁を展開する。
瞬間、光が降って来た。
爆音とともに壁を打ち抜いたそれははやての障壁に受け止められ────る事はなく、はやての障壁が空気に解けるように消えた。
「え──」
弾丸が呆然としたはやてに迫る。思わず反射的に目を閉じそうになって、それよりも早く、ぐいっと首元を掴まれ全力で廊下に投げ捨てられた。
「────っ」
部屋を叩き出されて廊下をごろごろと転がるはやて。
「いたた──て、セルジオ一尉とリインは!?」
強かに打ち付けた頭の痛みもそこそこに先程まで自分がいた部屋を見て、絶句する。
そこは壁、部屋の中すらも悉くを破壊されてており、その中で動く影は二つだけ。
一人は、金と『青』の瞳に目を光らせるショートカットの寡黙な女性。腕、腰、腿、脚には紫のブレードを一対ずつ展開し、宙に浮かんで、部屋の中を見下ろしている。
そして、もう一人は、怯えたようなリインを胸に抱いたセルジオ・アウディ。突如障壁が消えてかばいきれなかった彼女を庇ったのか、爆風を受けて額からは流血し、その
「た、隊長さん、り、リインのせいで……!」
「あ、あー、気にしなくていい、リインフォース空曹。
「な、何をすぐに治療魔法を──」
言いかけてリインとはやてが目を見開く。
セルジオの左腕の先が泡だったかと思うと、その断面から血を吹き出しながら『無傷の左腕』が生えてくる。
セルジオは一瞬苦悶の表情を浮かべたが、すぐに顔から色を消すとリインをゆっくりと床に下ろした。
「……久しいなァ、一年ぶりじゃないかよ」
「そうだな、あの日以来だな」
「お前らが、ここを襲ったやつか」
「否、とも言えるし、是とも言える」
「……つまり、これはお前らの親の差し金って事なんだな」
「私はこれ以上答える権利を持ち合わせていなくてな」
「そうか、なら俺が、言えることは一つだけ」
ぎん、とセルジオが目を怒らせて、宙から自分を見下ろした女性を睨んだ。
「お前をここで逃がすつもりはないぞ、
女性──戦闘機人トーレはセルジオの問いに答える事なく、ただ静かに金と青の瞳でセルジオ見下ろして、ニイと愉しげに口角を吊り上げた。
「良かろう、やれるものならやってみろ、死に損ない」
瞬間、セルジオの目が薄白く光った。
「──
「IS《ライドインパルス》」
二人が光へと変わり、はやての眼前で無数の燐光を舞わせた。
セルジオは槍で、トーレは刃で、それぞれを斬り伏せんと自身の技術の遂を尽くして腕を振るう。
瞬きの間に十の剣戟が応酬され、呼吸の間に二重の斬撃が相手を刻む。
「あの日に戻れ、セルジオ・アウディ」
ニイ、とトーレの表情が歪む。
「初めてあった時、貴様の目には光があった。ドクター曰く、人が生み出せる『欲望』の光だ」
「なに、を、言ってやがるッ!」
「次にあった時、貴様の目には殺意があった。そして躊躇いもなく私を殺そうとした。そして私は貴様には殺されかけて思ったのだ」
トーレが、嗤う。
「
愉しくて堪らないと言った様子で、父親とよく似た笑みで。
「私はこの感情について知りたい。それには、貴様に『欲望』を抱いて貰わねばならん」
セルジオが突き出した槍が躱されて、トーレがセルジオの懐に潜り込んだ。
「だから、早くその死んだ目をやめろ、セルジオ・アウディ」
「ぐっ──」
セルジオが反射的にトーレの懐に蹴りを入れると飛行魔法を併用して素早く距離を取るとはやての横でブレーキをかける。
無茶な魔法行使と左腕の修復の消耗で息が荒いセルジオ。けれどそんな事には頓着せずはやてに口早に指示を出した。
「ヤガミ二尉、リィンフォース空曹、隊長として命令する。封時結界を展開後、君たちは今から伏兵を探せ」
「伏兵って、襲撃犯はあの人……」
「アイツは白兵戦特化個体だ。あんなデタラメな砲撃は持ってない。どこかに支援個体がいるはずだ」
「わ、わかりました、一尉! 一尉は──」
「俺はアイツをここで足止めする。勝てないかもしれないが、
トーレの言った通り死に損ない。今更自分の命なんて惜しいなんて思わない。
胸がじくじくと痛むのを押し込めながら、セルジオが槍を握り直す。
横ではやてが何かを叫んでいるようだが、赤い思考が漏れ始めている彼には、もうなにも聞こえない。
「────加速機動」
音を置き去りにしてセルジオが加速し、そのままゆったりと自分たちを見ていたトーレに槍を叩きつけ、そのまま上空まで連れて行く。
「俺が、やらなくちゃ、駄目なんだ! 生き残った俺が、死なせた俺が、みんなの代わりにお前らを逮捕しなきゃ! なにも、なにも終わらないッ!」
「ハリボテの使命感と腐った刃で通せるならばその想い押し通して見ろ!」
「言われなくても、やってやるッ!」
例えいつか死ぬとしても、ここで死ぬのだとしても、せめてトーレくらい捕まえておかなきゃ、自分には死ぬ価値すらない。
いつか三佐の言った『死にたがり』を、彼の言っていた通り全てを失ってから証明するとは、何とも皮肉な話だった。
加速しながら斬り結ぶトーレとセルジオの周囲をはやての結界が覆って行く。
「《ライドインパルス》」
「
セルジオとトーレの速度は僅かにトーレが上だが、セルジオはその差をエクリプスによる回復とゼファーによる予測で補うことができる。
戦闘は千日手の様相を呈すかに思えたが、これは実際は違う。
トーレ達は犯罪者であり、この次元世界では孤立無援だが、ここは管理世界、セルジオ達局員には援軍がおり、時間が経てば経つほど有利になる。腐ってもセルジオは一尉、瞬時にそれだけの算段が立てられる頭があった。
つまり、互角の戦いの時点でトーレは敗北している、とも言える。
そして、そんな事実を前に、トーレは高く嗤った。
戦闘が愉しくて──ではなく、あまりにも考えのないセルジオがひたすらに可笑しかったのだ。
「なあ、セルジオ・アウディ、貴様は私の姿を見ても何も思わなかったのか?」
トーレの左目が、金色に光る。
「あの日から一年も経っているのに? お前が足踏みしている間は相手も足踏みしてくれていると?」
トーレの左目が、金色に光る。
「なあ、セルジオ・アウディ、『機械』であり『人間』である
トーレの右目が、『青』く光る。
瞬間、セルジオが感覚的に、よく知った感覚を思い起こす。
「この、エネルギーは、まさか……!」
「さあ刮目しろ、そして心に刻め、セルジオ・アウディ」
トーレの周囲を青白い陽炎が包み、戦闘機人本来のエネルギーと混ざり合い、群青の陽炎へと変わる。
「
錆びた歯車が回り出す。
ぎしり、ぎしり、と軋みを上げて動き出す。
まるで、喝采の声を上げるように。