暗い道を歩いている。
「ここ、どこだ」
あたりは見渡す限り薄暗く、足元すら定かではない。
けれど、セルジオは理由もなく足を進めた。
どれだけ歩いたのだろうか、一時間か、二時間か、もしかしたらもっと長かったかもしれないし、短かったかもしれない。
だが、止まってはならないという使命感だけが体を突き動かしていた。
「……ん」
不意に、足元に転がっていた何かを思わず踏みつけてしまう。
眉を寄せたセルジオがしゃがんで踏みつけた何かを覗き込む。
「──クイント、さん」
瞬間、息がつまり、思わず尻餅をついて後ずさる。
だが、そんなセルジオの腕を誰かが掴んだ。
『どうして』『どうして』『どうしてお前だけ』
「────は」
息が吐けない。
セルジオの手を掴む手が一つ、また一つと増えていく。
『なんでお前が生きてるんだ』
『俺たちだって生きたかったのに』
『なんでお前が生きて俺たちが死んでるんだ』
『どうして』
ずぶずぶと、体が闇の中に沈んでいく。
「あ、あ────」
必死に手を伸ばして、一人の少女がセルジオを見下ろした。
『私を刺した時、どんな気持ちだった?』
その日の朝、彼の罪悪感が生み出した悪夢が、寝起きの彼の心をぽきりと手折った。
そのせいでいつも完璧に制御されている破壊衝動が割れた蓋の中から、抜け出しそうになる。
「あ、あ、あ、ああああああっ」
ベットから跳ねて起きたセルジオが、震える手で枕元に置いてあったナイフに手を伸ばす。
銀色に光る刃を手首に添えると、セルジオ迷うことなく深く刃を差し込んだ。ぱあっと血が散って、彼の視界の赤の割合が増える。
「はあ、はあ、はあ、は…………」
自分の血を見て、意識を落ち着ける。
応急処置のようなものだが、これでも随分楽になる事は事実だった。
深く、深く息を吐いて、そして、セルジオが手の中のナイフを放ると、空いた手で顔を覆う。
「クソ、まただ……」
きった手首が泡立つように治っていく感覚も、最初こそ違和感もあったが、いつのまにかそれも消えてしまった。
ほんの少し夢見が悪かった程度でうっかり家具を叩き壊しそうになってしまった。今は一人じゃないのだ。なんとしても『家族』を心配させてはいけない。
枕元のタオルで手首と顔についた血を拭うと、ベットのシーツに視線を落とす。そこには手首をきった際に散ったらしい血痕がぽつぽつと残っていた。
「ルーにバレないように掃除しなきゃな……」
タオルと毛布でシーツを隠すと、軽く伸びをして自室を出る。
今日は珍しく休みだ。ルーテシアが以前行きたいと言っていた、買い物にでも連れて行ってあげよう。
週末で朝の変身系ヒーローの番組を見ているであろうルーテシアのいるリビングへ向かう。
「ルー、おはよ────」
何かが、いた。
ぎらぎらと黒光りする甲殻。180近くある自分に届かんかとするような巨体。怪しく光る三対の黄色の複眼。
思考は一瞬。瞬時に寝ぼけていた意識を叩き起こす。
「────加速機動」
は、と小さく息を吐き、魔法を起動──しかけて、胸に刺すような痛みが伝わる。
痛みに胸が軋むが、それを無理やりねじ伏せると、魔力を魔法式に乗せる。
淡い光が身体を包み、加速、目の前のナニカの背後に回り込み、人でいうと延髄にあたる部分に全力の蹴りを叩き込んだ。
魔法で強化した筈の足がみしり、と軋んだが、目の前のモノの黒い甲殻もまた、小さな悲鳴をあげる。
「硬くて通らない。なら──」
蹴りの勢いをそのまま反転させると、首元を抑えて怯んだ奴の腕を取ってそのまま床へと叩きつける。
羽をこすりあわせるような悲鳴が聞こえたが、それに意識を割く事なくそのまま腕を極めて────
「お兄ちゃんっ!」
きーん、と舌ったらずな声が割り込んでくる。
「ガリューをいじめちゃだめーっ!」
「ル、ルー?!」
「おりてあげて、ガリュー、痛がってる」
「え、がりゅ、え? なんだって」
「もう、いいから」
「もは、
ぽかり、と胸を叩かれて、ぎゅうぎゅうと顔を押され、黒い奴の上から落とされた。
「だいじょうぶ、ガリュー、びっくりしたでしょ」
セルジオの戒めから逃げ出した、黒い奴はフローリングの上で正座をして、ナデナデとルーテシアに頭を撫でられていた。
「な、なあ、ルー、そいつは、なんだ?」
「ガリューだよ」
「その、我流? が何かを聞きたいんだが」
「ガリューはガリューだよ。お兄ちゃんわからないの?」
「うん、残念ながら全然わからないな」
「へんなの」
「いや多分この場で変なのは俺じゃないとお兄ちゃん思うなー!」
セルジオが頭を抱えると、ちらりとガリューと呼ばれた黒い奴に目を向ける。
(……どこかで見たことがある気がするけど思い出せない。なんだろう、超進化したゴキブリとかだろうか)
しばらく頭を悩ませていたが、遂にふっとセルジオは爽やかな笑みを浮かべて、天を仰いだ。
「よし、わからん」
セルジオは考えるのをやめた。
「というわけで、八神に頼ることにした」
「いやどういうわけですか?」
「俺一人じゃ手に負えない。お前の力を貸して欲しい」
「いや私今日は非番ですし……」
「俺だってそうだ。八神だけが頼りなんだ」
「この前まで壁つくっとったくせに……」
「今は比較的信頼してるよ、補佐官」
「はいはい、先輩は口がお上手ですね」
朝一からセルジオのマンションに呼びつけられたにも関わらずはやては、なんだかんだ言いつつも一時間後にはやってきてくれた。
面倒見がいいというか、根本的なところで人がいいのだ。
「まあ一応紹介しとくよ、こっちは俺の妹のルーテシア。ルー、ほら挨拶」
セルジオが自分の足にしがみついて、見知らぬ来客に怯えるルーテシアの背中を軽く叩いた。
「ルーテシア、です……」
言うや否やルーテシアはまたセルジオの足にしがみついて隠れてしまう。
「あー、悪いな、八神。ルー、ちょっと人見知りする方でさ」
「ええよ、ええよ、私もちっさい子が親元離れてる心細さとかはわかるつもりやし」
たはは、と笑ってはやてはしゃがむと足の陰からちらちらと自分を伺っている屈んでルーテシアと目線を合わせる。
「私は八神はやて。お兄さんとはお仕事の同僚です」
「どうりょう?」
「あー、まあお友達でええよ。セルジオ先輩の友だち」
「友だち、お兄ちゃんの?」
「せやせや」
ルーテシアが目の前のはやてと、遠くにある兄との顔とを何度も視線を行き来させて、目をまん丸にして呟いた。
「お兄ちゃん友だちいたんだ……」
「いや、最近疎遠になってるけど俺にも友だちくらいいるぞ、ルー」
「セルジオ先輩……」
「あ、ちょっと待て可哀想な目で見るな、八神はクロノとのこと知ってるだろ」
「そうですね、友達いますもんね、先輩」
「やめろ、私はわかってますよ、みたいな目は一番傷つくんだぞ」
はやては慈母の笑みをセルジオに向けると、ルーテシアに向き直る。
「私のことははやてさんでも、お姉ちゃんでも好きに呼んでな」
「……なら、はやてさん……」
「ほんなら、私はルーテシアちゃんのこと、先輩に倣って『ルーちゃん』って──」
「だめっ!」
びくり、とはやてが虚をつかれたように身を引いた。
「その呼び方は、おねえちゃん、だけだもん……」
ぽしょり、とルーテシアは言うとセルジオの足を抱いて目線を落としてしまう。
しばらく部屋の中は水を打ったように静かだったが、やがてはやてがたははー、と空気を誤魔化すように笑う。
「そっか、ごめんな、ええと、ルー、ルー……あ、ほんなら私は『ルールー』って呼んでええ?」
「るー、るー?」
「うん、ルールー」
「ルールー。うん、いいよ、はやてさん」
「ほんま? おおきに、ルールー。あ、飴ちゃんあるけど食べる?」
「たべる」
はいあーん、とはやてがルーテシアの口の中に飴を入れると、口の中でもごもごと飴玉を転がすルーテシア。
ほんの少しご機嫌になったルーから目線を外して、はやてが立ち上がる。
「悪いな八神、ルーちょっと親がいなくなってから呼び名には神経質でさ」
「ええですって。それよりも、お姉ちゃんって、もしかしてなのはちゃんの事ですか?」
「……まあな」
肯定の言葉は短い。言外の雰囲気で、この話は続ける気がない、と伝えていた。
「自己紹介も終わったし、本題に移ろう。今日八神を呼んだのは、そいつの件だ」
ぴっとセルジオが部屋の隅を指差すと、そこにはソファに行儀よく座る黒い奴の姿があった。
「あ、やっぱあの子の件なんやね……今まで何も言われへんから触れてなかったけど……」
「お前が空気読むスキルが高いやつで助かったよ」
まあそんなわけでかくかくしかじか説明を受けたはやて。
「朝起きたら既におった、と。何か詳細わかってそうな肝心のルールーも」
「? ガリューはガリューだよ?」
「なるほど、大体はわかったわ」
「え? マジか」
「いやわかったのはこれは私には分からへんと言うことです」
なので、とはやてが言葉を繋ぐ。
「こう言うのに詳しい人を呼ばせてもらいます」
『それで僕に連絡を?』
「こう言う時に頼れるのユーノ君しかおらへんくて、お願い!」
『まあ別に良いけどさ』
はやてが連絡を取ったのは毎度のごとくというか、いつものようにと言うべきか、ユーノ・スクライア。
基本的に無限書庫は激務だ。それに加えて本人の生真面目さのせいで彼はほとんど毎日無限書庫に出勤している。
なのでこうして調べ物を頼め見たいときは、割と素早く取りかかってくれたりする。
ともすれば良いように使われているようにも見えるが、ユーノ生来の人の良さから、彼は露ほどもそうは思っていないようだ。
『ええと、朝起きたら家に居たんだっけ。それでセルジオさんと妹さんの魔法適正はこれで……』
空中に投影されたホロウインドウの向こうのユーノが忙しくなく手を動かし始める。
いかにユーノといえどおそらくちゃんとしたデータを割り出すまでには時間がかかるだろう、そう思ったセルジオは取り敢えず先日の感謝も込めて礼を言っておこうとする。
「こんな雑事まで手を煩わせてしまって申し訳──」
『よし、わかりましたよ』
「え? 速っ?! まだ頼んで三十秒くらいしか経ってないぞ?!」
『あはは、このくらいならそんなに難しくないですよ』
「ユーノくんやしな。このくらいはやってくれるで」
「え、そうか? そうなのか? これ俺がおかしいのか?」
セルジオ自身自分が解析や分析などの頭を使う分野においてそこそこ優れているとは自認していたが、一瞬で検索を終わらせたユーノには舌を巻かざるを得ない。
ユーノという少年は、はやてやなのはとは別の方向で『天才』だった。
『結論から言って、そこにいるのは所謂『召喚獣』と呼ばれるものです』
「召喚獣?」
『はやてにわかりやすく言うならシグナムたち守護騎士システムが近いと思う。主人の魔力を微量に得る事で生活する、主人を守る盾』
「召喚獣……そうか、お前はメガーヌさんのフォードと似たようなものなのか」
言われてみればメガーヌが連れていたフォードとどこか容姿が似通っているようにだった。
「じゃあ、こいつはルーの召喚に応じてやって来たってことなのか?」
「お兄ちゃんこいつじゃなくてガリュー」
『いや、僕が調べてみた限り、召喚の才能が高いと極たまに召喚獣の方から逆召喚が行われたりするらしい。ルーテシアさんもその例なんじゃないかと』
「じゃあルーがあいつの名前を知ってたのは?」
「ガリュー」
『多分召喚獣の方から教えてくれたんじゃないかな。召喚に成功したってことは多分パスは繋がってるだろうし、軽い思念通話ができてるはずだよ』
「そうなのか、ルー?」
「うん、自分で教えてくれた。それとあの子はガリューだよ」
「はいはい、ガリューな」
膨れっ面のルーテシアの頭をポンポンと雑に撫でてなだめると、ソファに座っているガリューを手招きする。
ガリューは自身を指差し、首を傾げたが、セルジオが尚も手招きすると、のしのしとルーテシアのそばまでやってくる。
「ええと、お前は──」
「ガリュー」
「……オーケー、ガリューは、ルーの召喚獣って認識でいいのか?」
「いいと思う」
「ーーー」
「なるほど、それでこれからは四六時中家にいるのか、おま──ガリューは」
じいっと睨むルーテシアに負けたように名前を言い換えると、ガリューは静かに頷いた。
「メガーヌさんの件があったからいつかはこんな日が来るかもとは思ってたけど、こんなに早くか……」
セルジオが髪を書き上げた手でそのまま額を抑えると、深いため息。
「まあそれはともかくガリュー、お前何食べるんだ、樹液とか? 虫っぽいし」
「お兄ちゃん」
「いやでも、見た目虫じゃんか……」
『多分食料は最小限でいいと思うな。基本的にはルーテシアさんから現界維持の魔力を貰えれば自活できるみたい。後は、果実とかでいい、はず』
「はず、なぁ……」
ちらりとはやてがガリューを伺う。
「取り敢えず、問題解決って事で、ええんですかね」
「いや待て八神、大事な問題がまだ片付いていない」
「え?」
「ここ、ペット不可なんだ」
「あ」
『あ』
「ガリューって、ペットになると思うか?」
『…………たぶん、ならない、かな』
「…………ウチのザフィーラは一応使い魔って事でペットではないで」
「でも、ガリュー見た目めちゃくちゃ虫だぞ」
「せやな……」
『そうだね……』
どーんと立っているガリューに目を向ける。ぎらぎらと光る甲殻、刺々しい見た目はご近所の評判によろしくなさそうだった。
ふう、とセルジオが今日何度目かになるかわからない溜息をついて、ルーテシアの肩に手を触れた。
「悪い事は言わない、ガリューはしばらく元いたところに帰っててもらわないか」
「やだ、ガリューは何も悪いことしてないもん」
「でも、ルーはまだ小さくてちゃんとお世話できないだろ?」
「できるもん。ちゃんとお世話できるもん……」
「本当に?」
「できるもん……」
「なんか、アレやな、風の谷のナ◯シカを彷彿とさせるな、この会話」
『ごめんはやて何のこと?』
その後、なんだかんだあったもののガリューは無事にルーテシアの召喚獣になったんだとか。
ガリューの一件が片付き、通信を切ったユーノ。
「……前より明るくなってるな」
もしかしたら、あちらの方が素の『彼』に近いのかもしれない。
でも、そんな彼を見るたびに、心の中の暗い部分が鎌首を持ち上げるのだ。
──『彼女』は傷ついたのに、彼はそれを忘れたように幸せになっている。
──いいのか、許していいのか。
──あの日、何が起きたか問い詰めるべきじゃないのか。
だが、それをユーノは振り払う。
人は前を向いて幸せになる権利がある。彼にだって立場があるし、それに、彼に報いを受けて欲しいわけではない。不幸せになって欲しいわけではないのだ。
「……仕事しよう」
自分に言い聞かせるようにそう言って、新しい依頼が来てないかの確認のためにメールボックスを開き、眉を寄せる。
「……誰だ」
一通、見慣れない宛先からのメールがあった。
ユーノとコンタクトを取るには本局を通して無限書庫の使用申請の許可を取らなければならない。
故に、こうした宛先不明のメールは滅多に届かないのだが、それでも漏れはある。時折、こうして彼に擦り寄ろうとする輩がいるのだ。それは不明な学術調査だったり、企業のヘッドハンティングであったりするのが大抵だ。
特に考えることなく、いつものように不明なメールを消去しようとして、手が止まる。
普段なら捨てていたもの。けれど、その日のユーノは少しだけいつもと違った。
なのはの一件の調査の手詰まり、『彼』との関わりから湧き出た暗い感情。
少し、いつもと違うことをして気分を晴らしてみたかった。
そうして、ユーノはそのメールを開き、眉根を寄せた。
「これ、どういう事だ……」
書いてあったのは、調査の依頼でも、ヘッドハンティングでもなく、ただ短く不可解な文が、一つだけ。
『 セルジオ・アウディには大きな『嘘』がある 』
ユーノの心に、波紋が生まれる。
最初は小さなそれが、次第に波を立てながら、大きく広がっていく。
心の中に生まれたそれの正体を、ユーノ自身も理解できなかった。