ミッド郊外の森の中で篝火が揺らめき燃ゆる。
黒いフードに身を包んだ大丈夫は、森から拾ってきた枯れ枝を放り込み、アームドデバイスである槍を近くに突き刺すと、背中を大木に預けてへたり込んだ。
「────ふ」
深く息が吐き出される。
ぱちり、と夜の黒の中で火の粉が爆ぜた。
火の粉はほんの僅かな間だけ眩しく輝いたが、すぐに虚空に溶けていく。
「……まさか、もう一度があるとはな」
男は表情を歪めて視線を落とす。握った拳に力を入れるが、彼の記憶にあるものよりも反応が鈍い。
「元より死した身、贅沢は言えんか」
そう言った男が腕を組んで瞼を下ろそうとした時、懐の通信機が小さな音を立てた。
『やあ、ご無沙汰だね。貴方が此方になかなか顔を見せないから私から連絡を取ってしまったよ』
虚空に映し出された画面に映るのは軽薄そうな笑みを貼り付けた痩躯の男。一度死した彼を蘇らせた、張本人。
ジェイル・スカリエッティ。
「何の用だ。俺はお前と談笑をする気は無い」
『それはまたご挨拶だね。同じ目的を見据える仲じゃないか』
「勘違いするな。俺はあくまでも奴の元に行くことが目的であって、貴様の仲間になったつもりはない」
モニターの向こうのジェイルが眉を寄せる。
『じゃあ本題に入らせてもらおうか。以前頼んだ
「……お前の探し物の件か。アレはリスクとリターンが釣り合っていない。管理局がそう易々と漏らすと思うのか?」
『だから君に頼んでいるのさ。ウチの娘たちでも、今回の件は少し手に余る』
「…………答えは変わらん」
『ふむ、それは私が頭を下げて頼み込んでもかな』
「貴様の頭など、何の価値にもなりはしないだろう」
ハァ、とモニターのジェイルが仰々しく嘆息を漏らすと、天を仰いだ。
「ああ、そうか残念だ。なら私も心苦しいが
「ッ、貴様」
「いや、私も心苦しいよ。でも人手が足りないんだ、仕方ないだろう? ああ、貴方がいれば私もこんな手を使わなくていいんだが……いやはや、仕方ない」
手で顔を覆いくつくつと体を震わせるジェイル。その手の隙間からは、隠しようがない深い笑みと、喜色に彩られた金色が覗いている。
全ては、彼の掌の上。もとより、男に断る道など残されていなかった。
彼は歯の根を噛み締めて、絞り出すように声を出した。
「…………今回だけだ」
『ほう?』
「今回は、俺とアギトも動く。その代わり、今回で情報を確定させろ」
『グッド、それで手を打とう。いや私も貴方の力が借りれて有難い。持つべきものは良い友じ──』
ぶつり、と彼はジェイルとの通信を切って通信機を懐に滑り込ませる。
昔は、仲間と共に地上の平和を守ろうとしていた。けれど、今はその仲間すら失い、取り締まっていたはずの犯罪者に身を堕としている。なんとも皮肉な話だ。
男は疲れたように笑みを漏らすと、ポケットから小さな懐中時計を取り出し、指で弾いて蓋の部分を開いた。
そこには二人の男性と、弾けんばかりの笑顔を浮かべた女性と、不思議そうにこちらを見ている少年の写真がはめ込まれていた。
「…………レジアス、お前は俺たちを」
男が目を細め写真に手を伸ばそうとした時、遠くから自身の名前を呼ぶ声に気がついた。
「おーい、旦那ー! ご飯買ってきたぞー、一緒に食べようー」
見れば遠くの方から十歳程の幼子が此方に手を振りながら走ってきていた。その髪は、炎を思わせるように紅い。
「ん? 旦那、またそれ見てるんだ。何か大切なものなのか?」
「……いや、大切なものだったんだ」
「──?」
「ふ、お前が気にすることじゃないよ、アギト。さあ飯にしよう」
「アタシカルボナーラのやつ買ってきたんだ! 山盛り! 旦那は辛いやつでよかったか?」
「ああ、ありがとう、アギト」
「ちょ、頭撫でるなよ、旦那! アタシはこれでも純正ベルカの融合機──もがもが」
男は傍の少女の頭を撫でながら、空を見上げる。
かつて彼が飛んでいた空は、いつもと変わらず腹が立つほど眩しい星に覆われていた。
クロノとエイミィの結婚式が執り行われたのは、よく晴れた夏の日だった。
「そろそろ起きるか」
ぱちり、とセルジオが微睡みを経ること無く目を覚ますと、身体を休ませたせいで少し凝り固まった筋肉をほぐしながら目線を滑らせる。
三課の寮にいた頃と殆ど変わらない、寝具とクローゼットだけという殺風景な部屋の中に、申し訳程度に置いてあるカレンダー。それの今日の日付には丁寧な文字で『クロノ・ハラオウン結婚式』とのメモが残っている。
「…………俺が行ってもいいものか」
貰った招待状は一応参列に丸をつけて、送り返したが、それでも、やはり行くべきかは悩んでしまう。
クロノと言えば海の若きエースだ。その結婚というだけあって規模はなかなかのものであり、本局の高官なども多く招かれたのだと聞く。それに、『地球』の面々とも関わりの深い彼だ、恐らくはやての家族の守護騎士も、『彼女』も、いるのだろう。
「仕事ができたって言ったら行かなくてよくなったり……いや流石にそれは駄目だよな……」
一度しかない親友の晴れの日にバックれるのは、一般常識に照らしてみれば、流石に許されることではない。
思わず頭を抱えそうになって、コンコンと軽いノックが聞こえてくる。
「そっか、ルーのごはん作らなきゃな」
つい忘れてた、と頭をかく。最近こうした物忘れが多くなっている。
忘れてはいけないことも、沢山あるはずなのに。
部屋から出ると、リビングから賑やかな朝のテレビの音が聞こえてくる。ルーテシアが好きでよく見ている変身ヒロインのアニメだ。セルジオはよくわからなかったが、付き合って見るうちになんとなく覚えてしまった。
「よう、早いなルー」
「あ、おはよう、お兄ちゃん」
「───」
「おはようさんです」
「ん、ガリューと八神もおはよう」
「先輩朝何飲む派ですか? 牛乳、コーヒー、一応野菜ジュースもありますよ」
「ああ、じゃあコーヒー。濃いめのやつブラックで」
「ほーい」
セルジオが食卓につくと、はやてが手早くコーヒーを淹れて、黄金色のトーストとおかずに添えて目の前においてくれる。
取り敢えずコーヒーに一口口をつけて、ふう、と一息。
「って、じゃねえだろっ! なんで八神がウチにいるんだ!」
「ルールーが開けてくれました」
「はやてさんの朝ごはんおいしい」
「ルーテシアァ!」
もむもむとはやての朝ごはんを頬っぺたいっぱいに頬張ったルーテシア。
「勝手に鍵は開けちゃ駄目って前言ったろ……」
「はやてさんは友だちだもん」
ねー、と笑い合う二人にセルジオがげんなりと肩を落とした。
実はこうしてはやてが食事を作りに来てくれるのは初めてでなかったりする。以前セルジオが「ルーが好き嫌いして困る」とボヤいた時、少し世話焼きの気があるはやては料理を作りにきてくれたのだ。
しかもルーテシアはその時に胃袋を掴まれてしまったらしく、最初に怯えていたのが嘘のように懐いている。
「ほら先輩も朝ごはん食べましょ、クロノくんの結婚式にはまだ時間ありますし」
「……お前がここに来たのはそれが目的か」
「目的なんて嫌やわ、普通に心配やったから顔見せただけですよ」
「…………」
「そんなことより、かわいー後輩が朝起きたらおるっていうなかなかクるシチュエーションについて何か一言」
髪を一つにくくって側に控えているはやてはにこにこと笑いながらそう言った。足首まで覆い隠すロングスカートに合わせたノースリーブのニットは清潔感のある白、ついでにエプロンまでつけて見た目はちょっとした若妻だ。
普通の男性ならそれだけでコロッと落ちかねないシチュだが、残念ながら相手はセルジオだ。
「次は不法侵入で訴える」
「ひどっ?!」
まあそんなこんなではやての作ってくれた朝食に舌鼓を打つと、着替えてクロノの結婚式に向かう。
セルジオの家から結婚式の執り行われる聖王教会まではそれほど遠くないので、歩いていくこととなる。
「ねえねえ、お兄ちゃん、私どう?」
「ん、可愛いと思うぞ」
「えへへ、じゃあガリューは?」
「え゛、ガリュー? ガリューは、うん、ネクタイいい感じだと思う、ぞ。こう、いい感じだ」
「やったねガリュー」
「─────」
「ふんふんふーん」
楽しげにルーテシアがくるくると回る。その動きに追随するようにドレスの裾と紫の長い髪が踊った。
「ルールーご機嫌ですね」
「ドレスがきれて嬉しいんだろうさ。この前は結婚式に行きたいって言い出して大変だったんだよ」
「じゃああのドレスはそのために?」
「まあな。リミエッタに聞いたらドレスの裾持ちやらせてくれることになってさ、ほんとあいつには頭が上がらない──と、ルー、あんまり走るな、危ないぞ」
「はーい」
「どうにも心配だな、ガリュー、一応気をつけてやってくれ」
「───」
「ん、さんきゅ」
頷いたガリューの胸を軽く叩くと、ガリューはルーテシアの側まで行って控えていてくれた。おそらくこれで一先ずは安心できるだろう。
「まったく、最近は腕白でさ──どうかしたか?」
「いえ、ふふ、なんだか、お父さんみたいやなぁって」
「やめてくれよ、俺は子持ちになる気はないぞ」
「でもルールーの心配する様子とか、ほんま所帯じみてるんやよなぁ、お昼もお弁当自分で作ってはるし」
「やめてくれ、俺はそういうの、ほんとするつもりないからさ……」
「でも、先輩とルールーが『家族』っぽいのはほんとですよ? すっごい自然な感じに見えます」
「自然、か」
「はい、普通の仲良し兄妹です」
くすくすと笑うはやてに、難しい顔をしたセルジオがぽりぽりと頭をかいた。
「それは、たぶん八神のおかげだと思う」
「私の?」
「前言ったろ、『本気』で向かい合うことが大事だって。アレ、結構考えさせられた。ルーとの関係とか、俺がどうすべきかとか、そういうの」
だから、とセルジオが言葉をつなぐと、目線はルーテシアに向けたまま、ぶっきらぼうに続けた。
「その、色々、ありがとう。お前がいてくれて良かったと思ってる」
なんでもそつなくこなすイメージのあった先輩のその言葉は、ほんの少しだけ彼を幼く見せて、はやての表情が綻ぶ。
「もしかして、今私口説かれてます?」
「ばーか、五年はええよ、成人してから出直してこい」
「な、私これでも友達の中では、結構胸大きいほうなんですけど!」
「え、テスタロッサさんの話した?」
「フェイトちゃんは反則やもん……」
「ははは、同い年だろ、テスタロッサさんも」
「ミッド人は乳がでかすぎるんや! アレは何か使ってるで! 豊乳魔法とか!」
「そんな魔法ないんだなぁ」
「くそう、現実はこんなはずやないことばっかりや……」
「お前クロノにぶっ飛ばされるぞ」
そんな真面目なような、くだらないような仲が深まったからこそできる気安い会話を交わしながら、セルジオ達は教会へと向かうのだった。
それと時を同じくした頃、管理局
「おい、何してんだよ! そろそろ行くぞ!」
「あわわ、待ってよヴィータちゃん、だってお仕事の話が長引いちゃってぇ」
「はやてもシグナムもとっくにあっちについたって連絡あったぞ! 急がないと本当に遅れちまうって」
「あ、でも、ヴィータちゃん私のこと待ってくれるんだ。優しいんだね」
「ば、ばかっ! お、お前を置いて行ったらはやてに怒られるからだよ」
「えへへ、ヴィータちゃーん」
「ユーノも車出して待っててくれてんだ! や、やめろこのばかっ!」
彼女は、顔を赤くして出て行ってしまった友人に軽く笑みをこぼして、こつん、と彼女の相棒たる、胸元の赤い宝玉を軽く叩いた。
「いこっか、
瞬くように光った宝玉を胸に入れると、彼女は友の待つ場所へと走り出した。