すよすよと眠るルーテシアを背中に、セルジオは夜の街をひた歩く。
なのはとの一件から一日、セルジオは退院した。
もともと怪我に関してはエクリプスの力でとっくに治っていた。検査さえ終われば病院にいる意味もなかった。
シャマルは大事をとってもうしばらく入院するべきと言ったが、「ルーテシアを早く迎えに行ってやりたい」と言われては、強くは強制もできなかった。
「すぅ……すぅ……おに……ちゃん……」
揺らさないようにゆっくりと歩いていると、こつん、と小さく石がぶつかった。
取るに足らない小さな石ころ。
それをなんとなく、こつりこつりと転がしながら歩き始める。
一定だった足音に時折転がる石の音が混じる。
「……スバルちゃんも、ギンガちゃんも、大きくなってたな」
記憶で見たよりもずっと大きくなっていた。
最後にあってから二年近くが経ってるのだから当然と言えば当然なのだが。
「スバルちゃんが俺を嫌ってるのは当然だけど、ギンガちゃんの方はもうそれすらしてくれなくなっちゃったな」
思い出すのはルーテシアを迎えに行った時のこと。
ゲンヤがいまだ仕事で帰っておらず、玄関ではギンガが迎えてくれた。
そして驚いた。
ギンガがクイントにあまりにも似ていたから。
「……ギンガちゃんが士官学校にいるとは知らなかったな」
よく考えれば当然かもしれない。
彼女はクイントのDNA情報から作られた戦闘機人。その細胞はかなり高いレベルでクイントと同じものであるだろうし、似てくるのは当然だ。
でも。
「……『もう母のような人を作りたくないんです』、か」
──家族をよろしくね。
まぶたを閉じれば今でもあの時の光景が目に浮かぶ。
「俺は、あの時の約束すら守れる時間があるのか……」
ルーテシアのそばにいなければならない。
スバルとギンガの日常を守らなければならない。
でももう自分に残されて時間は一年となくて。
あの二人を守るには今の自分はあまりにも遠くて。
「どうしたらいいんだろうな、俺は」
蹴り損ねた石ころが転がって、側溝の黒い水の中に落ちて、ぽちゃんと一際高い音を立てた。
時は、過ぎる。
「隊長さん〜、ここの書類の書き方を教えて欲しいですよ〜」
「ああ、そこだったら……」
幼い声に呼ばれ、ずり落ちた眼鏡を指で持ち上げつつセルジオが顔を上げる。
目の前にはいつの間にか書類を抱えた半泣きのリインがいて、セルジオはしゃがんで目線を合わせ対応する。
「ここは…………で、ほら、少し古くて見にくいだけで今の形式とあまり変わらないでしょう?」
「ほんとです。じゃあここをこうしたら……どうですか隊長さん!」
「うん、ちゃんとできてる。さすがだなリイン空曹は」
「ふふーん、なにせリインははやてちゃんの融合機、って頭撫でないでください隊長さん! リインは子どもじゃないですよ!」
「おっとと、悪い。ついつい妹にするようになってしまって」
「身長が低いせいで間違ってしまうのはわかりますがリインは立派なオトナなのですよ」
「あはは、面目ない」
「まったくもうまったくもう、じゃあリインはこの書類を総務部に持って行ってくるです。その間ちゃんと隊長さんは反省しておくですよ」
今のリインは人間形態といえど身長はおよそ小学生ほど。
そんな彼女に目線を合わせるために片膝をついて謝るセルジオの姿が、かえってリインの幼さを強調しているようでもあった。
とてとてと三課から出て行くリインを見送るセルジオと、そんな二人をニマニマと見るはやて。
そんな彼女に、自分の席に戻ったセルジオが軽いため息。
「八神、すけべオヤジのように笑ってないで言いたいことがあるなら言え」
「ひどっ! 私これでも15歳のうら若き思春期の女の子なんですよ〜?」
「自分でこれでもとかいう女が何を言う」
「まったく、次の春にはもう花の女子高生になるかわい〜後輩にいう言葉とは思えへんわ」
「一昨日沿岸地区に出た50体のガジェットを範囲石化魔法で瞬殺してなかったらそれに頷いたんだけどな」
「あー言えばこー言うんやから。まあ、それも仲良くなった証として受け取るとそう悪いものでもないんやろうけども」
はやてとリインが来て十ヶ月と少し。
決して長いとは言えないが、短いとも言えない時間だ。
クロノの結婚式から既に半年。
セルジオは魔法を使えなくなったものの権限と指揮の腕がなくなったわけではない。
はやてとリインを実働部隊として三課も大小様々な事件に関わってきた。
ふと、はやてが気づく。
「……先輩、なんか三課すごく片付いてへん?」
「やっぱ気づくか」
「そりゃそうですよ。三課は私とリインと先輩しかいない小さい部隊とはいえ、書類の量なんか膨大やったもん」
「まあそこら辺はゼス……前隊長のころからのものもあったからな」
でも、とセルジオが少しだけ目を伏せて、微笑んだ。
「三課も、あと一ヶ月で解体だ」
「……正確には部隊運用期限が来るだけで存続の可能性もあるんやろ?」
「存続させる部隊の所属人数が部隊長合わせて三人なわけないだろう」
「むう」
「お前だって一年の任期なのに、ここに愛着持ってくれてありがとな」
「別に自分のいる場所に愛着を持つことくらい普通です」
眼鏡の向こうの赤混じりの緑の瞳が細められるのに、はやてが居心地悪そうに身じろぎする。
慣れない。
最近のセルジオのこの素直さはどうにも落ち着かなかった。
はやてがまだ体が不自由だったころ、病院で時折会うお年寄りにこういう態度の人がいた。
その人は重い癌を患っていてまだ幼いはやてにうんと優しくしてくれた。
その人は「私はもうすぐ死ぬから、せめて他の人に素直に生きたい」と言っていた。
はやては、セルジオからもまた「もうすぐ死ぬのだからせめて」という思考を感じ取っていた。
だから、敢えて聞く。
「先輩は三課がなくなったらどうするつもりなんですか?」
「三課が……?」
「なーに意外みたいな顔しとるんですか。その話題を出したのは先輩やないですか」
「そーだなぁ」
セルジオが目頭を揉みながら眼鏡を外して天井を見上げる。
「ううむ」
唸って目を瞑ってたっぷり一分。
考え事にしては短く、雑談にしては少し長い時間で、セルジオは答えを出した。
「ルーテシアの誕生日を祝いたい、かな」
「あれ、ルールーもう誕生日でしたっけ」
「ああ。二ヶ月後、もう6歳だ」
「ということは……もうすぐ学校に入学?」
「一年後にはな」
「あ、そこはミッドも地球と同じなんや」
「英才教育で早く入れる人もいるにはいるが、まあ俺はルーにはそこまでは求めないよ。ガリューもいるしまだ自由にしてていいだろう…………なんだ八神その顔は。なぜニヤニヤしている」
「いや〜? 先輩もお兄ちゃんらしくなったな〜と。入学式とかめちゃくちゃシスコン晒しそうや」
「うっさいわい」
「なーんか深刻な顔で言うから私はてっきりなのはちゃん関連とばかり……もー、先輩も家族には甘いんですねぇ〜」
「そんなんじゃないよ」
「またまた〜」
「お前俺をからかう時にイキイキしすぎだ」
はあ、とわざとらしく溜め息。外した眼鏡を付け直して、つぶやく。
「……それに二ヶ月後なんて、今の俺には夢みたいに思えるよ」
「──っ、すみません」
「おいおい、お前から話を振ってきたのに謝るなっての」
ハッとしたようにはやてが唇を結んだ。
この半年あまりにも普通に過ごしてきたせいかふとした時に忘れそうになるが、セルジオの寿命は風前の灯火なのだ。
本来セルジオのプロジェクトFの失敗作として生きられると予想される八十余年。
エクリプスの負担はその寿命を恐ろしいスピードで削り続けている。このままのスピードで削られ続けていくと、シャマルの見立てでは二ヶ月後はおろか一ヶ月後にどうなってるかもわからない、とのこと。
刻一刻と消えていく命。
セルジオは決してはやてにもルーテシアにも、主治医のシャマルにすらその負担を見せようとしないが、今も彼の体には恐ろしい負担がかかっている。
「そう暗い顔するな」
黙り込むはやての頭をわしわしとセルジオが撫でる。
「俺だって生きるのを諦めたわけじゃない。今もシャマル先生のところで治療を受けてるし、八神だってディバイダーの負担を抑えてくれるものを探してくれてる。俺が絶対に死ぬみたいな顔するなよ」
そうだろ? とセルジオは眼鏡越しに瞳を細める。
「それに、まだまだあと一ヶ月は手のかかる後輩をしっかり扱かなきゃいけないしな。陸のどこに配属されても事務関係で困らないようにしてやるよ」
「……別に先輩が私の右腕になってそういうのぜーんぶやってくれてもええんですよ? あ、でもそれやったらなのはちゃんに怒られちゃうかもしれへんか」
「別に、あいつは関係ないだろ」
「ふふ、先輩なのはちゃんの名前出た途端顔がガチガチになるんやから。ほら、こーんな顔になってる」
「うるさいな」
セルジオがやかましい後輩のデコを小突こうとするがはやてはそれをひらりとかわしてケラケラと笑った。
なんてことはない、普通の仲の良い先輩後輩のじゃれあい。
「ね、先輩」
「ん?」
その中で、はやてが優しく表情を緩めて、目の前の折れかけの青年に語りかける。
「辛かったら、悲しかったら……死にたくなかったら、そう言ってええんですよ」
「……急にどうした」
「なーんかちょっと今のセルジオ先輩、私の小さい頃ににとるなーと思って」
自分だけで生きていく「強い自分」でなければならないと思っていた。
親がいなくても、病気でも、友達がいなくても、未来の自分が見えなくても、それでも迷惑をかけずに、強く生きていかなければならないと。
でも、そんな自分に寄り添ってくれる人ができた。
夜天の書から現れた守護騎士は誰よりも大切な家族になったし、はやてを助けてくれたなのはたちは友達になってくれた。
そして、自分の幸せを願い、微笑みながら空に還った彼女がいた。
管理局で人のために働くようになって、迷惑をかけて、かけられるようになった。
フェイトはどこか抜けてて見てて世話が焼ける。
なのはは無茶しがちで見ててハラハラするから目が離せなくて。
迷惑をかけてはいけないと思っていた。
自分だけでなんとかしなくちゃいけないと思っていた。
でも、迷惑をかけて、かけられる。その当たり前の中で、そんな考え方がとても小さな世界のものだったと気づいた。
「先輩は優秀やよ? その歳で部隊長やってて、私とかリインにも優しくて、妹さんもちゃーんと育てとる」
でもね、とはやてが続ける。
「それは、先輩だけで背負わなきゃいけないものでもないと思います」
しん、と二人の間に静寂が広がった。
「なーんて、先輩に偉そうな口利きすぎでしたね。忘れてください」
だが、すぐにはやてはいつものように笑うと、ぺろりと舌を出した。
「変な話してごめんなさい。あ、そういや私も書類の形式わからへんところあったんやった! 今教えてもらったりできますか」
「……ああ、持っておいで」
「やり〜」
セルジオははやての言葉に何も言わなかった。
ただ、ほんの少しはやてを見る目が懐かしいものを見るようなものに変わっていた。
── セルジオくんの背負ってるもの、私も一緒に背負わせて。
だって、その言葉は、彼が自分の意思で背を向けたものだったから。
ミッドの一つ隣の管理世界、その郊外の廃屋に一人の青年が踏み込んだ。
「……もぬけの空、か」
あたりを見回しつつ軽くため息を吐く青年──ユーノ・スクライア。
「あのアウディ一尉についての思わせぶりなメールを逆探知してここまで来たはいいけど、空振りだったかな」
軽く探知魔法を走らせながら周囲の状況を見てみるが人間の痕跡は最早ない。それどころか最後にここに人間が訪れたのもひと月は前だろう。
メールを貰ってすぐにここを逆探知するなり返信して接触を図っていれば、と思わずにいられない。
つつ、と近くの戸棚に指を走らせると積み重なったホコリがユーノの指の後を浮かび上がらせた。
「わざわざこんな辺鄙なところまで来たんだ何か手がかり一つでも……」
言いかけて、ユーノの探知魔法に引っかかる反応があった。
「これは、システムコンソール? まだ動くかな……」
少し古びたキーボードを叩いて起動を試みる、が、反応はない。
「反応はなし。電気系統も通ってないみたいだしどっかで断線してるかもな。それに反応が全くないのを見ると起動システムがそもそも破損してるとかかな。……面白い」
ユーノが軽く腕まくりをしてポケットから携帯用の簡易デバイス端末を取り出すとコンソールと接続。準備万端とばかりにメガネを指で押し上げる。
「僕が年にどれだけの時間難解なプロテクトのかかった魔導書と向き合ってると思ってるんだ。それを思えばこんな少し破損した端末程度……よし、開いた」
空中に浮かぶウインドウを操作し、奥の方に埋もれていた補助の起動システムにアクセス。そのまま正規の方法では閲覧ができなくなっていた内部データをサルベージしていく。
ユーノのデバイス端末の画面に表示される数字が1からゆっくりと進んでいき、10分ほどをかけて90前後まで増えていく。
残り10%のデータがサルベージされる数分間で、ユーノ・スクライアは思案する。
(仮にここのデータを完全な形でサルベージできたとしてそのデータはなんなんだ。いや、それ以前にここの施設にいた『誰か』は何を企んでいるんだ)
コツコツとコンソールを指で叩きつつ目を閉じ思考を整理していく。
(僕を脅したい? そのためにメールを……いやでもだとしたらなぜアウディ一尉の名前を書く。
はやてやフェイト……なのはならともかくアウディ一尉と僕の関係なんてあってないようなものだ。なら、あのメールは僕の思考の誘導と考えるのが妥当)
そして、端末の数字の一の位が8へと変わった時にゆっくりと目を開ける。
「つまり、あのメールの送り主は僕にアウディ一尉のことを
ユーノが調べたセルジオのデータを貰いたいのか、それを取引に使いたいのかは知らないが、まあどちらにしろロクな相手ではあるまい。
「今更アウディ一尉のデータなんか集めてどうするっていうんだ。もう非魔導士の左遷されたエースじゃないか」
── あの人はさ、私が空に戻ること、疑わなかったんだ。
ちり、と先日のなのはの言葉が思考の端を焦がす。
ユーノが僅かに目を細めた時、端末から小さな音が鳴り、サルベージしたデータは100%になったのを報せてくる。
「……それもこのデータを見たらはっきりする」
そして、ユーノが端末に触れてデータを開こうとして──それよりも早く目の前に半透明のウインドウが浮かび上がる。
「な、なんだっ?! 僕は何もしてないぞ?!」
慌てるユーノを前に浮かんだウインドウは砂嵐を走らせながら、次第に一つの映像を写し始める。
『ねえ、せるじおくん。なかせちゃって、ごめんね』
そこには、血に濡れた一人の青年と、彼に刺された一人の少女が写っていた。
「……なの、は?」