次元の海に浮かぶ時空管理局本局。
その医療区画の一室、シャマルの医務室にセルジオは来ていた。
「うん、うん、数値の前回からの変動値は予想の範囲内。ちゃんと魔法もエクリプスも使わないでおとなしくしてるみたいね」
「魔法はもう使えないんですがね」
「リンカーコアを刺激しないことが大事なの。ただでさえあなたの今の体は未知の塊なんだから」
「ですか」
「です」
子どものように聞き分けよく相槌を打つセルジオにシャマルがくすりと笑った。
もう服着ていいわよと声をかけられてカリカリと問診の内容を書き込んでいくシャマルに背を向けてセルジオが陸の制服に身を包む。
黒と白の海。青と白の空と比べるとずいぶん地味な茶の制服。
この制服とももう5年以上の付き合いと思うと少し感慨深い。
「もう、わざわざここで着替えなくてもいいのに」
「でも着るだけですしどこでやってもそんなに変わらないのでは」
「それはそうかもしれないけど……私も一応異性なのよ?」
「あ、あー、すみません。なんとなく、シャマル先生の前では気が緩んじゃって」
「私をそういう目で見れないのはわかるけど、他人の目にはちゃーんと気を付けておいた方がいいわよ」
「シャマル先生はお綺麗です。俺の不注意でした」
「……もう、お上手ね。そういうこと言い慣れてるのかしら」
「まさか。ただクイントさんたちに──」
言いかけて、ハッとセルジオが口をつぐみ、やがて作り笑いとわかる笑みを浮かべて言い直す。
「昔の、同僚の人たちと、いろいろありまして」
ゆっくり。言葉を選んで。心の柔らかいところを傷つけないように、ゆっくり。
「……それは、その、ルーテシアさんのお母様たち、なのかしら」
「ですね。あの人たちともそれなりに長かったですから」
「そう。大切な思い出なのね」
強くズボンを握るセルジオの手をシャマルが優しく握る。
「無理に話さなくていいのよ。ゆっくり、向き合えばいいから」
「すみません」
「謝るのは禁止です。私はあなたの主治医なのよ?」
ゆるりと微笑むシャマルはそのままセルジオの頭を撫でてくれる。
まるで息子や弟にするような、そういう優しい手つき。
その手つきと笑顔に、なんとなくメガーヌの面影を見てしまう。
(ずいぶん、気を遣わせちゃってるな)
メガーヌがこういう顔をするときは決まって自分を心配して慰めてくれている時だった。
「そういえばルーテシアさんもうすぐ誕生日なのね。はやてちゃんが今度プレゼント選び手伝ってって頼まれたーって言っていたけど」
「ですね。そろそろ誕生日プレゼントも選ばなきゃいけないんですが、どうにもあの年頃の女の子に何を送ったものか分からず」
「それとなく聞いてみたらいいんじゃないかしら。セルジオ君ならうまく聞き出せるんじゃない?」
「俺をなんだと思ってるんですか」
「スケコマシ?」
「生憎と俺は恋人がいたことすらありませんよ」
「もったいない」
「自分のことで手一杯なもので」
言ってから、セルジオが頭をかく。
「まあ、そういうわけで今年は結局八神に頼ることになったんですけどね」
「ええと、今度の休日だったかしら、ルーテシアさんと買い物に行くの。セルジオ君はなかなか休もうとしないんだから、ちょうど良い機会だわ」
「はは、耳が痛いですね」
「そう思うなら次の休みはちゃーんとルーテシアさんを喜ばせてくることね」
「肝に銘じます」
シャマルとセルジオが顔を見合わせて少し笑い声を漏らす。
「……まあ、実はルーに今年の誕生日どうしたいかは聞いたんですけど、ちょっと叶えてあげるのは難しそうなので」
シャマルが僅かに首を傾けるとセルジオは居心地悪そうに胸元のネクタイあたりを触って、続ける。
「『2年前の誕生日みたいにみんなで誕生パーティがしたい』、だそうですよ」
「それは、ちょっと難しいかもしれないわね」
セルジオは言葉ではなく苦く笑って返答する。
二年前のルーテシアの誕生会のことは今でも昨日のように思い出せる。
クイントとゲンヤにお呼ばれして、スバルとギンガの手伝ったという料理を食べた。
メガーヌからちゃんとプレゼント選べたのね、とからかわれたこと。
タバコでむせたのをゼストに笑われたこと。
もう隣にいない彼女と、星空の下交わした言葉。
もう、戻れない幸せな時間。
束の間の追憶を振り払ってセルジオが立ち上がり、ネクタイを締め直した。
「今日はお世話になりました。次もまたお願いします」
「あ、ちょっと待ってセルジオ君。忘れ物よ」
「忘れ物?」
「今日の健診の前にゼファー、預かってたでしょう?」
「……あー、そういえば」
言われてみれば、渡した記憶もある。
どういう会話をしたんだっけ、と思い出そうとするがモヤがかかったように記憶がうまく引き出せない。
ほんの一瞬、シャマルが目を伏せた。
目の前の青年のほんの少しの言葉で全てを察したように。
だが彼女は深くは問わずにセルジオに預かっていた待機状態のゼファーを渡した。
セルジオが手渡されたゼファーをブレスレットとして手首につけようとして、はたと気づく。
「……色、変わってないですか、ゼファー」
前は確か銀色だったはずである。
しかし、いまのゼファーの待機状態は夕焼けのような暁の色。EC発動中のセルジオのエネルギー光に似てるのは気のせいだろうか。
「シャマル先生、これはどういう?」
「……前、はやてちゃんが無限書庫でエクリプスウイルスについて調べたことあったわよね」
「え? あ、ありましたねそんなこと」
「無限書庫は情報を収集するロストロギア。だから研究されてないことは載ってない。無限書庫で調べてもエクリプスウイルスの『治し方』は分からなかった。
……でもね、とある技術の基礎理論の論文と設計図が見つかったの」
「とある技術、ですか」
「──『リアクター』」
「りあ、くたー?」
オウムのように言葉を反芻するセルジオ。
エクリプスウイルスを制御するために必要なものは三つと言われている。
一つがEC適応者である、『ECドライバー』。感染だけでも死につながる世界を侵す毒に耐える力を持つ、制御する可能性を持った存在。
次に感染源である『ディバイダー』。これは武器にもなり、ドライバーはこれを己の手足のように操る。
そして、最後に『リアクター』。
これは簡単に言うとそれ単体では体を侵す毒でしかないECを
このリアクターさえあれば、ECドライバーは己への影響を調整し、その破壊衝動すらある程度は抑制することができる。
もちろん理論上は、という枕詞はつくものではあるが。
「リアクター。これがあれば、きっとあなたの命はつなぐことができる……はずよ」
「リアクター……」
「そして、そのリアクターのシステムを今あなたのゼファーに部分実装してるわ」
「は?」
ぽかん、とセルジオが口を開ける。
「実装、されてる……?」
リアクター。ECを制御するシステム。それさえあればセルジオの負担を抑制できるもの。
それが実装されていると言うことは、
そう、思いかけたセルジオの思考を『部分実装』という言葉が遮る。
そして、目の前のシャマルを見てみれば、未だ重苦しい表情のまま。
「……その顔を見るにこれで俺の諸問題が万事解決万々歳、というわけじゃなさそうですね」
「ええ。無限書庫で手に入れたリアクターの理論、正直素晴らしかった……けど、問題が一つあったの」
シャマルが手元の端末を操作するとセルジオとの間に半透明のウインドウが現れた。
それがリアクターの設計図であることはわざわざいうまでもなかった。
そこには詳細なリアクターのシステム面に関しての研究結果と運用方法、製造方法についてが述べてあるようだ。
それに目を通して、セルジオが止まる。
「リアクターの……生体、外装? これって、まさか……」
「曰く、この論文によればリアクターは心を通わせるもの。故に『心があるものこそがリアクターとなるのがふさわしい』と、考えたそうよ。
そしてその理論によく似たものを私は知っている」
人と一体になる、人でない心あるもの。
力を制御し、主人のために動くための生命。
「夜天の書の融合機。ユニゾンデバイス。この理論はおそらく、古代ベルカの融合機の理論が応用されてる」
「つまり、ベルカの融合機……その技術がリアクター完成のためには必要ってことですか?」
「ええ、だけど融合機の技術はもう失われた技術。はやてちゃんはアインス……ええと、いまのリインフォースの先代のことね、が残した外装とシステムを使っていまのリインを作ったわ。でも……」
「俺の、俺のディバイダー550専用のリアクターを作るにはそういうコピー元がないから作るのが難しいんですね」
「……いまあなたのゼファーに積んでるのはその基礎システム部分。上手く組み込んである程度は負担を抑えることはできるかもしれないけど、根治治療とは言いがたいでしょう」
「ある程度というと」
「おそらく起動すればあなたの破壊衝動を抑えるために回しているマルチタスク、それの一つか二つ分くらいなら代替してくれるはずよ」
「二つ……」
腕の暁色のブレスレットに触れる。
「ゼファー・ディバイダー550、リアクターシステム、アクティブ」
途端、セルジオの赤と翠の混ざった瞳の色から赤の色が幾らか薄れ、靄がかかったような記憶の輪郭が見え始める。
間違いなくセルジオを蝕み続ける破壊衝動の負担が軽くなっている。
例えそれが、何重にも走らせているマルチタスクのうち二つ分を請け負っただけの焼け石に水のような影響だったとしても。
「すごい……久々だ、こんな自分の思考が制御できる感覚……」
「今あなたのディバイダー550に適応するリアクターを作るための準備を進めてる。きっと、きっと遠くないうちに、あなたがあなたであるうちに準備してみせるから」
だから、とシャマルがセルジオの手を取った。
「まだ、諦めちゃダメよ、セルジオ君。あなたが死ぬと悲しむ人は、たくさんいるのだから」
──なーんかちょっと今のセルジオ先輩、私の小さい頃ににとるなーと思って
──それは、先輩だけで背負わなきゃいけないものでもないと思います。
「……わかってはいたつもりですが、俺はいい後輩といい主治医に恵まれたみたいですね」
手を包む温かさに、セルジオが不器用に笑った。
セルジオ・アウディがECに感染してからもうすぐ三年。
最高評議会が予想したセルジオ・アウディの余命が、残り二ヶ月ほどになった、とある日の出来事だった。
この場所はいつきても好きになれない、そうゼストは目を細めた。
いくつ立ち並ぶ培養液の入ったカプセル。
機能だけを求めた結果剥き出しになっている配線とダクト管。
否応にも、自分が蘇った時のことを思い出させられる。
ここはジェイル・スカリエッティの研究所の一つ。
次元犯罪者と名高いジェイルは無数の研究施設を様々な世界に持っており、いざとなればすぐにでも放棄し、移ることができる。
ここもまた、そうした使い捨てができる研究施設の一つだった。
「旦那〜、なんでこんなとこに来てんだよ。あの胡散臭いヤブ医者に呼び出されたからって律儀に来ることはなかったじゃんかよ」
「言うなアギト。奴の言葉無碍にすればどうなるかわからん」
「ちっ、胸糞悪い医者だぜ」
ゼストの側でふよふよと掌サイズの融合機、アギトが悪態をつく。
彼女は以前ゼストが助けたベルカの融合機アギト。
蘇生してからジェイルの頼み事で入った違法研究施設に囚われていたユニゾンデバイスである。
烈火の剣精という二つ名も戴くだけあって強力な力を持つのだが。
「アギト」
「ん? どーしたんだよ旦那」
「いつまでも義理堅く俺に付き合わなくてもいいんだぞ。お前は自分の主人に相応しい騎士を探しているのだろう?」
「ったく、旦那もしつけーなー。
旦那が助けてくれなけりゃアタシはあのまま研究所の実験品だった。それを救い出してくれたのは旦那だ。
だからアタシのこの命は旦那のために使うべきだと思うし、何よりアタシがそうしたい」
「アギト」
「だからそー心配そうな顔すんなよ旦那。
それに、旦那以上のベルカの騎士なんて、今の時代にゃいねーだろ」
「ふっ、それは買い被りだが、ベルカを生きた融合機にそう言われるのは中々に悪くない」
「旦那はアタシを信頼しなさすぎだっての。もっとアタシに頼って頼み事とかしてくれでもいいんだぞー?」
「いつも夕飯は買いに行ってくれるだろう?」
「そーいうのじゃなくてもっとちゃんとしたやつ! ベルカの騎士と融合機っぽいやつ!」
じたばたとアギトが手足と羽をばたつかせて、ふっとゼストが頬の筋肉を緩めるだけの笑みを見せる。
「ではアギト、お前を俺の相棒だと見込んで一つ頼み事がある」
「! ほんとか?! いいよいいよ! 聞かせてくれよ旦那!」
「ありがたい。頼みというのはな──」
かつん、と乾いた足音が響いた。
その反響は今まで楽しげな雰囲気で談笑していたアギトの雰囲気を一変させた。
それは表情は変わらないながらもゼストもまたそう。
「……来たぜ、旦那」
「ああ」
紫の長髪。汚れひとつない白衣。ぎらついた金の瞳。隣に控える静かな女性。
「おやおや、来たとはご挨拶だなアギト君、そしてゼスト・グランガイツ」
「何の用だ」
「あなたは全く性急すぎる。久々の再会を祝しここは盃を傾ける、とはいかないものかね?」
「心にもないことを」
吐き捨てるように言うと、ジェイルは笑みを崩さないままその言葉を受け止めた。
否定はしない。その無言が答えだった。
隣に控えている秘書ウーノに目を向けてみるが、こちらもまた黙したまま目すら合わせようとしない。
「まあそう警戒するものじゃないよ。今日あなたを呼んだのは、ほんの少し頼みごとがあったからだ」
「……俺には俺の目的がある。お前に手を貸すのは互いの目的が重なった時だけ、そう話はついていたはずだ」
「冷たいことを言わないでくれたまえ。先日は管理局の魔導士に大立ち回りしてくれたじゃないか」
「貴様があいつらを盾に取らなければ力を貸すことなどなかった」
じ、とゼストが自分より頭一つ小さいジェイルを見下ろすように睨む。
「次同じことをしてみろ。俺がもう貴様に手を貸すことはない」
「そーだそーだ、このセコ医者め」
ゼストの肩に座ったアギトが肯定の声を上げる。
ジェイルは言われるがまま、しばらく黙りこくっていたが、ややしてから口を開く。
「セルジオ・アウディ」
「ーーー」
「案の定あなたを止めに来た。私はあの時頼んだはずだが、"管理局の保有する『フォーミュラナノマシン』の在処の特定のための陽動と止めにくる魔導士は全力で相手してくれ"と。なのに
「奴が強かった。救援が迅速だった。それだけだ」
「面白い冗談だ。あれだけ局員がいて死者はゼロ。手を抜いていた以外にどう見ろと?」
今度はゼストが黙する番だった。
「私は死んだあなたを蘇らせた。それは私の目的のために力のある手駒が必要だったからだ。
そして、ゼスト・グランガイツ、あなたもまたレジアス・ゲイズにその真意を問いただすために、私に力を貸すように求めた……だろう?」
「……ああ」
「確かに前回の私の頼みはこれっきりと言われ、頷いた。しかし、君もまた私の頼みを完遂したとは言い難い。……残念だがね」
「ならばどうする」
「今度はしっかりやってくれという頼みさ。今度の頼みでもまず間違いなくセルジオ・アウディは現場に出てくるだろう。その彼と、全力で、もちろん殺すつもりで戦ってくれたまえ」
──もし今度また手を抜くようなら『彼ら』の今後は保証できないよ。
そう言って、ジェイルがゼストを覗き込む。
欲望と狂気に彩られた金の瞳。
彼の言葉が、嘘ではないことを、ゼストは知っている。
「こんなやつの言うこと聞かなくていいって。こいつなどんなやつかは知ってるだろ?」
アギトが耳元で囁く。
一瞬、一回だけ瞬きをする様な、小さな時間、ゼストは口を結んで思索した。
そしてその刹那で、答えを出した。
「わかった」
「ま、待ってくれ旦那ぁ! ちょっとよく考えてくれよ!」
「おお、そう言ってくれるか。やはりあなたならそう言ってくれると信じて──」
「お前との取引もここまでだ。これからは俺一人でやらせてもらう」
「……ほう」
すっとジェイルの目が細まった。
「あなた一人で管理局の数多の魔導士の防衛を抜けると? あなたは私が蘇らせたとはいえその体は全盛期のものではない。その体では、レジアス・ゲイズの元に辿り着くのは不可能だろう」
「構わん。これ以上貴様に手を貸すよりは、この無念抱いたまま死ぬ方がいい」
「……『彼ら』の無事も、保証しないが?」
その質問には、答える価値もないとばかりに鼻を鳴らし背を向けるゼスト。
「ジェイル・スカリエッティ、お前は知らんだろう。誰かの幸せを願うという、当たり前を」
「ヒトという生命は利己的なものだよ。己の欲望を糧に常に進化し続けた、罪深き獣だ」
「だから、貴様は変わらん。
欲するだけで、与えようとしない。
人の心を弄ぶだけで、理解しようとしない。
人を眺めるだけで、その繋がりに意味を見出さない。
貴様の無限の欲望は、常に貴様の方向しか向いていないのだ」
ゼストの背中がジェイルから離れていく。
「……まさか、ここで反乱されるとはね。彼の蘇生は上の指示だが……首輪が足りなかったか。いやそもそも首輪として機能しきっていなかった……か」
「ドクター、このまま騎士ゼストを行かせてもよろしいのですか?」
「ん、ああ……そうだったな。
ゼスト・グランガイツ、少し待ちたまえ」
ゼストが足を止める。だが背中を視線をジェイルに向けることはなく、背中を向けたままだ。
「貴様が何をいうつもりか知らんがもう無駄だ。俺は俺のやるべきことをやる。貴様とは既に縁が切れたものと思え」
「ああ、勿論だとも。私も既に君が意思を変えることはないと理解してる。だから、別れついでにツケを払ってもらおうかと思ってね」
パチン、とジェイルが指を鳴らした。攻撃でもなんでもない、ただ指を擦り合わせただけの高い音。
「何、を──っ? な、なに……」
だが、それだけで全ては終わっていた。
ゼストの胸を、腕が貫通していた。
「……同じ人間を二度殺すというのは、流石に初めてだな」
「戦闘機人、とー……れ」
金と青の瞳。底冷えのする武人の瞳だ。
トーレは必要以上に語ることはなく、ゼストの胸から腕引き抜き、軽く腕を振ってこびりついた血を払う。
「旦那! しっかりしてくれ! 旦那! なあ、しっかりしてくれよぉ!」
支えを失ったゼストの身体が倒れるのと、アギトが叫ぶのはほとんど同時だった。
だが、ゼストは血混じりの咳をするだけで何か意味ある言葉をアギトに返すことができない。
30センチにも満たない身長のアギトが、6倍近い大きさのトーレを見上げ睨んだ。
「てめぇ、旦那に何しやがった! まさか隠れてやがったのか! ベルカの騎士になんで卑怯な真似をッ!」
「……下らん」
「ベルカの騎士の誇りを汚しておいて何が下らねえってんだ! お前はアタシが──げほっ!」
言葉を言い終わるよりも早く、アギトの身体に蹴りが叩き込まれる。小さなアギトはまるで人形の様に易々と弾き飛ばされ、床に転がる。
「主人がいなければ本気も出せないデバイス風情が、騒ぐな」
痛みに堪えながら魔法を発動しようとしたアギトを、さらにトーレが踏みつけ押しつぶす。
「ぐ、ぎっ……こ、の、卑怯……モノ」
「何か勘違いしている様だから教えてやる。
私はただ近寄って斬っただけだ。
この新しい力……『アクセルインパルス』によってな」
「そ、ん、なこと……」
アギトは知らない。
トーレの使う『アクセルインパルス』が、異界エルトリアの技術『フォーミュラ』を用いたものだということを。
その速度は最高速がレーダーを振り切る速さを持つ『ライドインパルス』をも超えていることを。
そして、セルジオ・アウディがそのあまりの速さに知覚すら敵わず、敗北したことを。
押さえつけられるアギトを尻目に、ジェイルがゆっくりと、倒れ伏すゼストに近づき、膝を突き顔を覗き込む。
「油断が過ぎるよ騎士ゼスト。いやそれとも自分の知覚範囲には敵の気配が全くなかったかな? あなた……君は、だから甘いんだよ。
君の身体を治したのは誰だ?
戦える様に調整したのは?
そう、私だ。
その私がなぜ、
「ーーー」
「やれやれ、君が私の力になるならばこういった手段は取らなかったんだがね、仕方ない」
ジェイルの金の瞳が、細くなる。口が、半月を描く。それは、ひどく歪な笑みだった。
そして、それはジェイルが心からの欲を満たす策を動かすときの笑みだった。
「ウーノ、あの回収した群体から摘出したウイルスコード、あれの解析は終わっているかね?」
「5割ほど。あれほど完璧に構築され機械類を介して心にまで介入するプログラムとなると、そう簡単には」
「ふむ、問題はウイルスコード打ちこみの方か、なら軽く頭をいじれば問題はないから」
「き、さま、俺に、なにを、させるつもりだ……」
「? 言っただろう、セルジオ・アウディと殺し合ってもらうんだ」
「──ッ」
「人間味のない彼でも苦しむはずだよ。何せ君は育ての親だ。しかも自分のせいで死なせている。そんな君が自分を殺しにくる……その時彼は何を思うのだろうね」
「ジェイル・スカリエッティッ!」
「ああ、安心してくれたまえよ、その面倒な感情も消しといてあげるから。君の意思はもう必要ない。ただ、身体さえ動けばいいからね」
ゼストが残りの力を振り絞り身体を起こそうとするが、それよりも早く四肢を縛りつける様に赤の糸状デバイスが絡みつく。
「はは、そう興奮しないことだ。
父と子の命をかけた最後の語らいとなるだろうし、君が万全を尽くせる様調整してあげよう。
フルドライブは勿論、そうだね、そこのユニゾンデバイスも常時ユニゾンできる様にもしてあげよう。
何、礼はいらないよ、私の頼みから始まったことだ」
くつくつと、ジェイルが嗤う。
「故に私の方から贈らせてもらおう、万雷の喝采を、ね」
星がよく見える夜だった。
ユーノ・スクライアは、無限書庫に併設された公園、その人気のない一角で空を見上げる。
ミッドチルダは魔法文明と共に科学も発展した世界。そのため、まばゆい星が常に見えるわけではないが、その日は昼間が雨だったせいか、よく星が見えていた。
「……確か、初めて会った日も、こんな星空だったっけ」
ユーノが振り向く。今日、ここに呼び出していた自分を。
「
高町なのは、彼の魔導士としての弟子。
大切な幼なじみ。
そして、淡い気持ちを向ける人。
「ユーノくんが私を呼び出すなんて珍しいね。どうかしたの?」
「はは、そうかな……いや、そうだったかもね。ここ最近、少しどっちも忙しかったしね」
彼女は仕事帰りなのか管理局の教導隊の制服のままではにかむように笑った。
最近伸ばしているという健康的なポニーテールが動きと一緒に小さく揺れる。
その姿に一瞬見惚れそうになりながら、頭を振って思考をフラットに戻す。
「なのはさ、三課がその、壊滅した時のこと、記憶が朦朧として覚えてないって言ってたよね」
「え、ああ、うん。みんなで研究施設に乗り込んだのは覚えてるんだけど、その前後がちょっと曖昧で……」
「そっか。その件、僕もちょっと気になっててさ、調べてたんだ」
「ユーノくんが……? 調べてくれたの?」
「うん、なのはも、知るべきだと思ったから。
でも、僕が調べた三課壊滅の出来事について、聞くかどうかは君に決めて欲しい。
あの日の、なのはがなぜ傷付かなければならなかったのかについてのわけを」
なのはの望まないことをしたいわけではない。
ただ、もし知りたいのなら、セルジオ・アウディの話てこなかったその出来事に、何かを思うのなら──。
「教えて、ユーノくん」
「……迷わないんだね」
「ユーノくんが調べてきてくれたことだもん。きっと、私が知るべきことだって思ったんだよね?」
「……ああ」
ふう、とユーノが息を吐く。
今から自分は伝える。ここ数年での調査の結果を。
そして、自分が掴んだ真実を。
彼女が忘れている、全てを。
「あの日、なのはを刺して消えない傷を作ったのは、エクリプスで暴走したセルジオ・アウディだ」
エクリプスを使いこなすには三つのものが必要となる。
『ディバイダー』
エクリプスウイルスを人間に打ちこみ世界を侵す毒とする武器。
セルジオのゼファーには550と呼ばれる型番のディバイダーが埋め込まれており、セルジオの意思によりエクリプスウイルスを供給する。
『ECドライバー』
現在セルジオはドライバーとしての症状は末期。
完全に身体がエクリプスによる改造を終えており、リンカーコアに至っては別種の何かに変異してしまっている。
常に破壊衝動に襲われ、日々の自傷行為と、無数のマルチタスクによる思考封印によってなんとか己を保っている。
だがその負荷も日々増え続けており、最強評議会の下したセルジオの余命は、『セルジオ・アウディが負荷を抑えられなくなり自己対滅により物言わぬ肉塊になる』までの時間である。
『リアクター』
550のリアクターは失われている、というよりももともと存在しない。
ディバイダーとリアクターは二つで本来の働きを成し遂げるものではあるが、元から一つではなく、全く別のコンセプトから作られる。
原作のECドライバーであってもリアクターを持ち得ない場合はあり、『リアクターと揃ったディバイダー』の希少性を現している。
現在、セルジオはリアクターの基礎理論を組み込んだゼファーを代用品とすることで、ある程度はECを抑制しているが、その効果は本物のリアクターの一割にも満たない。
次回、デート回。