「すっごくおもしろかったね!」
「あはは、だねー。私もああいうアニメ久しぶりに見たから楽しかったな」
「わたしはピンクがすきなんだー。いっつも明るくておねーちゃんみたい」
「ほんとう? なんだか恥ずかしいよ」
「そんなことないよ! おねーちゃんはかわいくてかっこいいもん!」
「ふふ、ルーちゃんの方が可愛いよ。えいっ」
「きゃーっ!」
じゃれつくようになのはに抱きつかれてルーテシアが楽しそうにコロコロと笑う。
セルジオは一歩下がってそんな二人を視界の端に捉えつつ歪んだ懐中時計を取り出す。
時刻はまだ昼過ぎ。解散には早すぎる時間だ。
「二人とも、昼飯でもいこうか。せっかくだし、前ルーが食べたいって言ってたオムライスのお店」
「ほんと? あのふわとろのやつ?」
「うん。ここから遠くもないし……もちろん『おねーちゃん』がいいならになるけど」
「私は全然いいよ。今日はルーちゃんといっしょにいるって約束したんだし。……『おにーちゃん』がいいならだけど」
「?」
ぎこちない会話にルーテシアが首を傾げる。
セルジオは何か聞かれる前に妹の頭をくしゃっと撫でると、空いていた手でルーテシアの手を握り歩き出す。
道は先ほど調べたのでだいたい頭に入っている。迷うことはないだろう。
「〜♪」
セルジオの目から見たルーテシアはずっとご機嫌だった。
店に行ってしばらく並ぶことになった時もなのはと話しながらちゃんと待っていたし、疲れたから抱っこしてくれと頼んでくることもなかった。
「おいしいね、おねーちゃん」
「ほんとだ。ううん、うちのお店でもオムライスは出してるけどこれはなかなか……」
「おねーちゃんのお店?」
「ああ、ルーちゃんには言ったことなかったかな。私のおうち、お父さんとお母さんが喫茶店をやってるんだ。ケーキとかコーヒーとか出すからルーちゃんもいつかおいでよ」
「おねーちゃんの家?! いく! いきたい!」
「おいでおいでー。クリスマスとか忙しくなるけど終わったら余ったケーキとかお母さんが食べさせてくれるし。
ルーちゃんはなんのケーキが好き?」
「いちご! ふわふわの生クリームの! おにーちゃんがね、この前おみやげで買ってきてくれたの」
「……そうなんだね」
「うん! ね、おにーちゃん?」
「え、あ、おお。アレだよな、八神がカレー作りに来た日だよな。駅前の店で買ったんだよな」
「あそこのケーキいちごが大きいから私好きだよ。また食べたいなあ」
「それはルーがいい子にしてるかどうかだなぁ」
「むー。私いい子にしてるよ。この前保育園でも……」
ルーテシアはころころ表情を変えながら大好きな二人に自分の経験を語る。
そんな義妹の姿をセルジオは微笑ましく思いつつ──同時に、記憶の端にひっかかる既視感に思いを巡らせていた。
── 私は今の食事が楽しいです。なんでかわかりますか?
── 私は今セルジオくんとごはんを食べてるから普段よりも何倍もごはんが楽しい。
── これ一口あげる! 残念賞です。あげないのもかわいそうですし。
ちり、と額に痛みが走る。
(……これ、いつの会話だっけ。俺は何を食べてたんだっけ。分けて貰った一口に俺は何を思ったんだっけ)
昔のセルジオなら忘れてなかったんだろうか。
昔のセルジオはこの記憶を宝物のように感じていたんだろうか。
『誰かとの食事は楽しい』なんていう当たり前のことを教えてくれた彼女との思い出さえ、いまのセルジオは上手く思い出せない。
そのことが情けなくて、少し寂しかった。
昼食が終わるとなんとなくあたりをぶらつき始めた。
特に行き先が決まってるわけではない、いわゆるウィンドウショッピングというやつだ。
おもちゃ屋さんを適当に回り、セルジオが少し目を向けたデバイスショップを素通りし、なのはがクレープ屋さんから鉄の意思で目を逸らし、三人が足を止めたのはアパレルショップの前だった。
子ども用から大人用まで、普段着からちょっとオシャレな小物まで幅広く扱うミッドでは誰もが知る有名店である。
「この髪留めとかどう? ルーちゃんの髪にあってて可愛いと思うよ」
「うーん、でもお花のやつはもうもってるんだ。ならこっちの緑の方が似たのはもってないし……」
「ならこのピンクのとかどう? 私もピンクのは子どもの頃よく使ってたけど、いつも春がそばにいるみたいで楽しいよ」
「む、むむ……」
自分の手に持った緑の髪留めと、なのはの見せてくれるピンクのリボンを代わりばんこに見つつ唸るルーテシア。
しばらく悩んでいたルーテシアがぱっとセルジオを見上げる。
「おにーちゃんはどっちがいいと思う?」
「俺? いや俺こういうのはあんま詳しくないんだけど」
「いいから言ってみて」
「む、むむ……」
どうやら自分では決めきれないので決断を兄に託したようだ。
急に振られたセルジオは先ほどルーテシアがしたのとよく似た仕草で悩む素振りを見せ、よしと頷いた。
「じゃあこっちの緑でいいと思うぞ。ルーがこの前ビビってたカエルっぽい色合いで綺麗だし」
「じゃあおねーちゃんの言うピンクのにする」
「なんで?!」
カエルとか言うからだと思うよ、となのはが声に出さずツッコんだ。
(別に人の気持ちがわからないとかじゃないけど前から時々びみょーにデリカシーないこと言ってたなぁ。そういうところは変わらないや)
なのはから見たセルジオは随分変わったようにも思えたが、どうやらあんまり変わってないところもあるらしい。
── 何か欲しいものでもあるのか。このくらいなら買ってやる。
──俺を恋人にもの一つ買ってやれない甲斐性なしにする気か?
── アリバイ作りだ。万が一局員だって企業にバレてプライベートできたっていう時、ここの店主が証言してくれると助かるだろ?
しゃがんでルーテシアと目線を合わせてリボンをしげしげと眺めているセルジオの姿が、いつか自分にネックレスを買ってくれた姿と重なる。
なのはの手はなんとなく胸元に向かう。
(……そうだった。もう無くしちゃったんだった)
あんなに大切にしてたのに、もうあの星のネックレスはなのはのもとには無い。
まるでセルジオと道を分けたことを指し示すように、その思い出と一緒に。
(覚えてるのかな。私もうすぐ君と初めて会った時と同じ歳になるんだよ)
その答えを知るすべは彼女にはなかった。
ひとしきり店を回ったあとはセルジオたちは自然と近くの公園に足を落ち着けていた。
「おにーちゃーん! おーい!」
「おー、きこえてるよー」
「みてみてシャボン玉! ほらっ。ぷー」
「きゃっ、もールーちゃんこっちにとばさないでよー」
「えへへー、でぃばいんばすたーだよ!」
「やったなー。じゃあ私もディバインバスター撃っちゃうからね〜」
《
「おねーちゃん……?」
「あ、違う違う。本気じゃないから。うん、だからルーちゃんそんな急に真顔にならなくていいんだよ」
少し離れたところでシャボン玉で遊ぶ二人を見つつ、セルジオは太い木の幹に背を預けて眼鏡を外して目頭を揉んで、前髪をかきあげて深いため息。
「……気を遣われてんなぁ」
誰かなど言うまでもない。高町なのはのことだ。
セルジオもなのはもルーテシアとは話せている。
セルジオとルーテシアが話してる時はなのは微笑みながら聞いているし、反対になのはとルーテシアが話してる時はセルジオも聞きに回っている。
ルーテシアがセルジオとなのはに話を振った時にはどちらも応じるし、会話が途切れることはほとんどない。
だがそれはルーテシアを挟んだ時に限ること。
セルジオがなのはに話しかけることはないし、反対もそうだ。
ここ数年積み重なった出来事のせいで明らかに二人はギクシャクしていた。
でも、その中でもルーテシアがこうして楽しく笑っているのは、間違いなくなのはが気を遣っているからだ。
「このあとはどうしようかな……」
あと1時間もすれば日は傾き、地平線の向こうから二つの月が姿を見せる。
流石にそこまでなるとなのはを付き合わせるのは良くないだろう。
「適当なタイミングで解散して……ん、メール?」
手首につけているゼファーが光って通知を知らせてきたので、待機状態のままホロウインドウのメールボックスを開く。
「件名は空港警備についてか。そういえば今日ゲンヤさんのところの陸士部隊が近くの警備をしてるって八神が報告くれてたな」
軽く目を通したがどうやら仕事というよりもゲンヤ個人がセルジオに話を通しておきたかったらしい。
なんでも今日はミッドチルダ空港で他管理世界からの物品が移送されているらしく、その物品に三課も目を通しておいてほしいとのことだった。
「『明日でいいからウチの部隊に寄ってくれ』、か。まあ確かにウチは陸士部隊のゲンヤさんよりかはそういうのに詳しいとは思うが……」
こんなことをゲンヤがわざわざ頼みにくるのは珍しいを通り越して、少し変だ。
別に事後処理の頼み事などがあるならそれでもいい。
だがもし……。
「何かきな臭いことを嗅ぎつけたんだとしたら……」
無意識にセルジオが拳を握る。
そしてウインドウを操作し、独自で調べた資料を開く──
「こんな時にまで仕事?」
──より前に、いつの間にか側に人が来ているのに気がついた。
誰かなど振り向いて確認するまでもない。
「ルーは?」
「トイレに行くって。ついて行こうとしたけど恥ずかしがられちゃって」
すとん、と彼女がセルジオと同じ木陰に腰を下ろす。
同じように幹に背中を預けて、けれど目線は合わないように、少し離れた場所に。
「……まあ、最近は俺にもそんな感じだ。気にしなくていいのにな」
「いやそりゃお兄ちゃんがついてくるのはヤでしょ。普通に」
「え? そうなのか?」
「むしろルーちゃんは優しい方だよ。あのくらいの歳だと意味もなくお兄ちゃんが嫌いになる子とかいるし」
「そ、そうなのか……」
「そうなんですよ。ルーちゃんはいい子に育ってるね。きみの影響もあるのかな」
「……さあ、どうだろうな」
セルジオがウインドウを消して、沈みかけの夕日をぼんやり見つめる。
セルジオは何かを言おうと口を開きかけて、でも何をいえばいいのかわからず、結局元通り口を結んで眼鏡を指で押し上げた。
なのはそんな彼の動きを背中越しに感じつつも問いかけることはなく、膝を抱えたままポツリとつぶやく。
「ルーちゃん、楽しそうだったよ。喜んでた」
「……ああ、そうだな。お前のおかげだ。ありがとう」
「んーん。言ったでしょ。私もルーちゃんには笑ってて欲しかったから。……それに君がいたからって言うのもあるだろうし」
「俺が?」
「自分の妹のことなのにわからないんだ。やっぱりそういうとこはあんま変わらないね」
なんとなく、なのはが笑ったような気がした。
その雰囲気が懐かしくて、セルジオはそんな気持ちを息と一緒に吐き出して、空気を吸い込み胸の穴を埋めようとする。
「指揮官、やってるんだね」
そんな中で話題を振ってきたのはなのはだった。
「最近よく噂を聞くよ。この前も陸士部隊とはやてちゃんを指揮して未確認機械兵をほとんど被害なく一掃したって」
セルジオがゆるく首を振る。
「それは俺がすごいんじゃなくて八神と陸士部隊が頑張ってくれたおかげだ。責任者の名前が俺だっただけで」
「でも実際に指揮したのは君だよ」
「それはそうなんだが……」
というか、と今度はセルジオが逆に聞き返す。
「教導隊、調子良さそうだな。聞いてるよ、空の花形戦技教導隊の『不屈のエース』」
「もう、やめてよその呼び名は。がんばった結果がそういう風に評価されるのは嬉しいけど、恥ずかしいし……それにゼスト隊長ほど強くなれてる実感はないから」
「『エース』って呼ばれるのには意味がある。技術はもちろんその存在が与える希望と信頼。その姿に人は尊敬を込めてそう呼ぶんだ。
いまのお前には、ぴったりだよ」
つぶやいて、セルジオの視線が地面に落ちる。
もう半年近く前、ゼストに敗北したセルジオを助けに現れたあのあたたかい光。
あの星の輝きは今でもセルジオの目に焼き付いている。
『不屈のエース』、そう呼ばれるのを心で理解させられるような、そんな眩さ。
「……教導隊が、お前の輝ける場になってくれたなら良かったよ」
「……そうだね。でもいまあそこにいるのは私の夢のためだよ」
夢、という言葉にセルジオが顔を上げた。
「あの日、私たちはたくさんのものを失って、傷ついた。そして経験をしたことのある人は他にもたくさんいて、涙を流す人はいまもいる」
なのはがずいぶん長くなった髪に触れて、寂しそうに微笑んだ。
「私はずっと泣いてる人みんなを助けたいと思ってた。思ってる。でも、私だけじゃ届かないところもあるんだ」
だから、となのはが立ち上がり空の向こうに落ちかける夕陽へと目を向ける。
「私は教導隊で『育てる』。
時空管理局に入ってきた『誰かを救いたい』って思ってる人に、私の知る限りの魔法を、技術を、経験を、ぜんぶ。
そうすることで泣いてる誰かに手を伸ばして、涙を拭ってあげられる人を増やしたい」
始まりはセルジオから教導隊へ進む道を示されたから。
そうしてなのはは空へと戻り、再び魔法の力を手にした。
けどそれはセルジオにそうしろと言われたからではなく、彼女が選んだから。
彼女が「こうしたい」と強く思ったから。
そのために戦うことを決めたから。
人はその想いに、そう名前をつける。
「それがいまの私の『夢』」
強い言葉だった。決意と信念が伝わってきた。
それはいまのセルジオにはやっぱりまぶしくて。
「……きみは、さ。いま、なんのために戦ってるの?」
だから、その質問をされた時頭が真っ白になった。
「初めて名前を読んだ時、昔のきみは私に言ったよ。私の目をしっかり見て、きみ自身の夢を」
「──」
無意識に目線をなのはに向ける。
そしてセルジオの赤混じりの翠の瞳と、なのはの水晶の瞳の視線が交わった。
── 俺はみんなを助けたい。泣いてる人も、悲しむ人も、これ以上増やしたくない。みんなに、笑顔でいて欲しいんだ。
声が聞こえた。それは自分の声だった。
それはまだ母親の背中を追ってた頃の言葉。
自分が出来損ないの偽物だと知らない頃のもの。
自分のせいで騙されて、たくさんのものを失って、多くの人を傷つけてしまう前。
もう戻れない、
「……いつの話してんだよ」
セルジオが目を逸らして立ち上がる。
話はここで終わりだ、と暗に言っていた。
「いい時間だ。そろそろルーを連れて……」
言いかけて、時計を見る。
「ルー遅くないか。トイレに行っただけなんだよな」
「え、うん。そのはずだけど……」
セルジオたちのいるところからトイレまで大した距離はない。なんなら出入りする人も見える程度には目と鼻の先だ。
だからこそ恥ずかしがるルーテシアをなのはは一人にしたとも言えるし、セルジオもそれを特に気にしもしなかった。
ざわり、と胸がざわめいた。
「ルー……?」
何かに絡め取られたような気がした。
それは、全てを失ったあの日に感じたものに、よく似ていた。
「ルーテシアーっ! 聞こえてたら返事をしてくれ!」
「ルーちゃん! ルーちゃーん!」
セルジオとなのはがルーテシアの名前を読んで走る。
なのはが確認しに行った時、トイレにルーテシアはいなかった。
セルジオに頼まれたなのはがすぐにサーチ魔法を使ってルーテシアを探したが姿どころか、その痕跡すら見つけることができなかった。
(俺の解析がまだ使えれば……痕跡くらいは、くそッ!)
二人は公園を走り、ルーテシアが一人で出歩いた可能性を考えて街へと抜ける。
途中に付近の陸士部隊に迷子の届を出して、今日来た道を走って戻った。
「ルーちゃん! ルーちゃーん!」
でも、見つからない。
どこにもいない。その痕跡しか見つからない。
まるで
走って、走り続けて、でも見つからなくて二人は元の公園に戻ってくる。
あたりはすっかり暗くなり始め、人気もまばらになっている。
(何が起きてる何が起きてる何が起きてる。なんでルーテシアがいない。自分から動いた? それで迷子になった。いやでも付近の陸士部隊に協力を仰いで随分経つ。もし迷子になってるならそろそろ連絡はあるはずだ。でもまだないってことはそもそも迷子ではない? じゃたルーの召喚魔法の不具合か? いやそんなの動いてたらわかりやすい魔力が残る。それをあいつのサーチ魔法が見逃すわけがない。ならもしかして
ちか、とセルジオの瞳の奥で赤い光が瞬いた。
思考は加速し、無数の可能性を試行していくがいつまで経っても結論に辿り着くことはない。
積み重なったノイズは、ただセルジオの中の焦燥だけを募らせる。
「クソッ! 何が起こってるんだ!」
ドン、とセルジオが拳を近くの樹木に叩きつける。
なのはの体が震えた。
「ごめん、私の、私の──」
「お前のせいじゃ、ねえよ。それだけはない。これは何かもっと不可解で、そう……」
カチリ、と思考がハマった。
「俺のことを、狙ってる」
夕日が沈んだ空の果てが、赤く輝いた。
『緊急事態発生! ミッドチルダ空港で大規模な火災発生! 運搬していたロストロギアが暴走を──「至急応援を頼む! このままでは市街地にまで《 武装局員を呼んでくれ! これは【火災が止まらない! 付近の航空部隊にも連絡を入れろ! くそ、こんなの10年前の廃棄都市で起こった事故の再来──『こちら首都防衛隊。今から救援部隊を組織、そちらに急行する。総員近くの上官の指示を仰ぎ──』
デバイスに、無数の緊急通信が鳴り響く。
声は一人のものではなく、一つの部隊のものでもない。
使われているのは緊急通信。付近の管理局員全てに助けを求めるシグナルであり、それはいまの事態の異常さを物語っていた。
「何が……起きてるんだ……」
「……空港だ」
セルジオの呟きに答えたのはなのはだった。
「あの方向、ミッドチルダの空港がある場所だよ! そこで今日ロストロギアの受け渡しが行われていたはず……いやでも封印はしっかりしてあるはずなのになんでこんな……」
空港。ロストロギア。
その言葉にゲンヤのメールを思い出す。
確か今日ゲンヤの陸士部隊は空港で警護をしているはずだ。
もう日は沈んだのに空が赤い。
まさか燃え盛る炎があそこまで空を赤く染め上げているというのか。
(ならゲンヤさんは……いやゲンヤさんだけじゃない。あそこにあるのは『空港』なんだぞ。何も知らない市民だっているはずで……)
助けに行かなきゃ、まず初めに足が動きかけて、止まる。
(ルーは、ルーテシアはどうするんだ。無視するのか? どこに行ったか分からないのに、それを忘れてあの火災現場に行くのか?)
じゃあルーテシアを探しに行けばと考えかけて、また足が止まる。
あの火災を無視していいはずがない。
あんな規模の火災などセルジオは知らない──否、一つしか知らない。
それは彼の母、セピア・アウディが死んだ事件。
とあるロストロギアが起こした大規模火災事件、その規模と同等、もしくはそれ以上だった。
あの火災を無視すれば多くの人が死ぬ。
でもルーテシアを見捨てていいはずがない。ルーテシアはセルジオのたった一人の家族で、偽物だらけの自分がせめて本物にしようとしたもので、メガーヌから託された存在なのだ。
(俺は、俺は──)
セルジオの瞳が揺れる。こんなもの、選び切れるはずがない。
「俺は──」
でも選ばなきゃ、そう思った時、手を掴まれた。
「君はルーちゃんを探して。向こうには私が行く」
「お前……」
「きっとこの事態じゃ陸士部隊もルーちゃんを探せない。だから、いま一番ルーちゃんに必要な人は君なんだよ。
おねがい、私の分まで。私の……」
ぎゅっと、なのはの握った手に力がこもる。
「お願い」
「だが、あの火災は……」
「ううん。きみはやれることをやって。大丈夫」
なのはの体が光に包まれ、防護服へと変わる。
白と青。夜の中でもひときわ目立つ、その二色。
「私、『エース』だから。行ってくる」
最後にもう一度「だいじょうぶだから」と微笑んで、彼女は飛んだ。赤く燃える空の向こうへと。
それは周囲に希望を与える紛れもなく『エース』の姿で。
「……ルーテシアを、探さなきゃ。そうだ、いま、任されたんだから……」
空を飛ぶなのはに背を向けて、地を走るセルジオ。
目的地はわからないが、心当たりを片っぱしから当たればいい。
そうだ、まずは家に帰って、そして──。
『久しぶりだね、セルジオ・アウディ君』
そして彼は、かつて『教授』と呼んだ男から与えられたデバイスから、その声が流れるのを聞いた。
・ゼファー
かつてセルジオに『教授』と呼ばれていた狂気の科学者から彼へと送られたもの。