彼は概ね、恵まれていた。
そこそこに優れた頭に悪くはない顔と壮健で運動能力に長けた体に頑強な精神、運の向きも悪くはなかった。
ハンターが強大なモンスターを狩る武勇伝や英雄譚を聞かされながら育ち、また小さな街育ちであっために外への冒険心も旺盛。
彼が気の合う同郷の若者と連れ立ってハンターになったのは、半ば必然であっただろう。
果たして、彼は数多の大型モンスターを倒し、大きな怪我もなく大成した。
齢30にもなる頃には、一緒にハンターを始めた仲間とはそれぞれ別の道を歩んでいたが、喧嘩別れしたでも引退したわけでもなく、歳を重ねて少しずつ疎遠になっただけ。
倒すべき目標を見つけるか、または家庭を持つか、はたまた船の護衛ハンターとなるか、少しずつ少しずつ独り立ちしていった。
彼も家庭を持ち一児を設け街にそこそこに大きな一軒家を購入し、成功した側にいる名うてのハンターとして充実した日々を送っていた。
甘い新婚生活。そして妻の腹が大きい間。子供が赤子の間には大きな依頼を受けずに家にいたが、子供が歩き始め少しばかり言葉を発するようになった頃には、彼はまた大きな依頼を受けて家を空けることが多くなった。
多少の鈍りはあったがすぐに勘を取り戻し、肉と酒と生死を賭けた戦いの日々は彼を高揚させ、狩りの世界はハンターという人種を逃しはしなかった。
暗転したのは、些細といえば些細な、売れっ子ハンターの職業病のようなものが原因だった。
ハンターの特性上、彼は家にいる時間がそう長くはなかった。「亭主元気で留守がいい」とは言うが、彼の妻はそれをよく思わなかった。
育児を妻1人とアイルーに任せ、彼は気の合う仲間や友人と好き勝手やっている。
もう少し家庭を顧みてはいいのではないかと何度となく相談したが、なまじ成功したハンターであった彼への依頼はそんな事情を考慮などしてくれない。
ある時、依頼を終えた彼が愛する家族の待つ家へと戻ると「実家に帰ります」と書き置きを残して妻が家を出ていた。遂に堪忍袋の緒が切れたのだ。
焦った彼は急いで荷物をまとめ、家を屋敷守のアイルーに任せて妻の実家の方へと行く船便へ飛び乗り妻の後を追った。
しかし妻の実家に着いても妻も子供もそこには居らず、義父母も「娘は帰ってきていない」と本心からそう言った。
船便で移動したので天候次第で所要時間は前後する。どこかで追い越してしまったのかと義父母の家で過ごし、妻の機嫌をとる方法を考え抜いた。
それなのに彼が待てど暮らせど妻と子供は現れない。
義父母の家には子供を連れて帰る旨の手紙が先着していたし、実家に帰るつもりではあったのだろうとはわかっていた。
船便が遅れるにしても限度があると思えるほどの日数が経過し、もしや妻はこちらに向かっておらずただの家出だったのではと、彼は自らの家に一度帰った。
彼の家は留守を預けた屋敷守のアイルーが掃除をした以外なにも変わらず、妻も子供も帰ってはいなかった。
いよいよもって大混乱になった彼は、自らの実家と養父母の家と知りうる限りの親戚や妻の友人に宛てて至急で便りを出したが、それらの返事が家に届いても妻と子供の行方は知れなかった。
そこまできて、ようやく、彼は妻と子供の行方を知った。考えたくなかった最悪の形で。
妻と子供が乗船した船便が謎の黒い飛竜に襲われ、沈没していたという知らせであった。
奇跡的に生き残った船員がどこぞの岸に流れ着きその報告をしたのだ。
とある船便が消息を絶ったという情報は知っていたし、それが妻の実家の方角行きの船であったことも知っていたし、彼の妻子が乗船していてもおかしくない日の船便であったこともわかっていた。
消息不明となった船の出発前名簿に名前が残っていたのも、わかっていた。
生き残った船員の証言が確証となった。
あまりにも陳腐な、ありふれた獣害の、大きなニュースにもならない、ただただ運の悪い使い古された死別。
諦念し忘我し慟哭し暴食し深酒し当たり散らして、彼の精神が収束するまで一年余。
立ち直るきっかけとなったのは、かの黒い飛竜の正体が判明したからであった。
ただ、敵討ちとはいかなかった。
彼がそれを知った時点において既にその飛竜はとあるハンターに討伐され、またその成体であった古龍も同じハンターに討伐されていたのだ。
やり場を失った怒りは彼を衝き動かし、足をシナト村へと向かわせた。
黒蝕竜ゴア・マガラ、および天廻龍シャガルマガラ。その言い伝えと討伐された時の話を深く噛み締め、願い倒し拝み倒して集中的にシナト村の依頼を受ける見返りを提示して、優れたハンターさんなのだから一度だけだと禁足地へ入ることを許された。
その禁足地で黄昏ていると、話に聞いていたよりも一回り小さな白い龍、シャガルマガラが飛んできたのは、彼らにとって幸運であったのか不運であったのか。
少なくとも彼にとっては、極めて幸運な話であった。
のちに彼はその時の気持ちを義父母への手紙へ
いわく「顔の
未知の敵。それも古龍種。
1人で挑むには無謀極まりない敵。
彼は臆することなどなかった。
直接の仇ではないのかもしれない。しかし一生に何度とも出会えない古龍、その同一種。
やつあたりの相手としては、これ以上ない。
ここで戦うつもりなどなかったから、大したアイテムは持ってきていない。
いっそ敵わず討ち死にしてもいい。そんな心持ちで彼は挑みかかった。
彼は狂気に取り憑かれて、勝利した。勝利してしまった。
勝利しても胸の中が埋まることはなかった。むなしいとも思わない。
2度目のシャガルマガラの到来とそれの即時討伐はギルドにも驚きをもって迎えられる。
ギルドからの事情聴取に訪れた白髪青鎧のハンターには「お前の目が怖い」と言われたが、彼に自覚はなかった。
彼の知人は語った。「あいつはあそこから決定的におかしくなった」。
彼の第二の人生が始まった。
光のない
東に黒蝕竜あれば急行して討伐し、西に変異した黒蝕竜あれば韋駄天のごとく駆けつけ平らげ、北に病罹る獣あればそれを根絶するまで寸暇を惜しんで剣を振り、南に鋼のごとき暴竜あればそれを貫く。
古龍種というわりにゴア・マガラの目撃情報は多く、半ば諦めたように名指しで依頼を持ってくるギルドの担当は、ゴア・マガラ出現は最近になってゼロから急増しているとため息をつく。
彼にとっては好都合。仇がいくらでもいる。
妻子を奪い、病を撒き散らす古龍など、滅ぶべきだ。
彼の姿も次第に昏く黒くなっていく。
仇である黒蝕竜のものを身につけることに抵抗はなく、撒き散らされる黒蝕竜の病に強いのであれば使わない手はなかった。
その病を薬として服用し自らの力とすることができる技術が開発されると、彼は喜んで常用した。
あまりに多用するものだから知人が止めさせようとしたが彼は聞く耳を持たず、これは共食いだ、と冗談ではない声色で言ってのける。
あまりにも黒蝕竜や変異種を執念的に狙い続けることから、彼は心ない同業者からは俺らの分まで狩るな自重しろとまで言われる。
すると彼はその者を狩りに同行させ、懇切丁寧に入念に入念に、培った技術と経験を惜しげもなく伝授する。
それが3人であれば3人に、7人であれば7人に、門外不出にする者も少なくない技術と情報を嬉々として明け渡す。
彼はレクチャーが終わった後にこう結ぶ。
「狩れる者が増えれば、あれが滅ぶのも早くなる。あれは滅んでいい龍だと考える。だからいくらでも教える。連れて行く」。
彼の衝動は止まない。
天廻龍が目撃されたがどこかに飛び去ったと聞けば行って痕跡を辿り寝ぐらを襲った。
もはや根拠地となる家はなく、彼の休息は移動中のみである。
酒飲まず博打打たず街へ村へ山へ平原へ沼地へ凍土へ渓流へ、濁った目でマガラ種が撒き散らすものの後始末。
たった1人の徹底した駆除人からギルド経由で送りつけられる大量のサンプルと執念の討伐報告は、病禍の蔓延を明確に抑えたと龍歴院に評価され召喚された。
彼はその功績を讃える賞状を一読すると、そのまま記憶から抹消してこっそり紙ゴミに捨てて帰った。
いつ頃からか、彼の目からは光が失われる。
完全なる失明。
しかし彼は「書類が見れない」とボヤきながらも何事もなく狩りを続けた。
彼の肌には暗い色が差し始めていた。
それは明らかに狂竜症と触れすぎたからの変化だったろう。
齢50を過ぎても、彼はまだ現役を続けている。
髪と髭は早くも真っ白になったが目以外の体は元気なものだった。
彼の名はどこぞの子供ですら知っている。
諸国を漫遊する竜人の吟遊詩人が広めたもので、決して華々しくはないが悲劇性のある彼の話は良い飯の種。
ある時彼は激しい動悸に襲われ、吐血した。
人の血というにはあまりに毒々しい紫色の吐瀉物。
そして細かな結晶片。
その後も何日も動悸と嘔吐を繰り返して彼は自らの死期を悟り、龍歴院を訪れた。
「もう限界だ」
「なにを弱気なことを。君の目的はまだ達されていないだろう」
「体の中から、黒蝕竜が呼んでいるんだ」
「奴が呼んでいるならとうの昔に出てきているだろうよ。君は何年狂竜症の感染源に触れていると思っているんだね」
「ああ、もうすぐそこにいる。怖いよ。こんな気持ちはいつぶりだろう」
「依頼があるぞ、ゴア・マガラの変異種が出たという陳情だ。君宛で昨日届いたばかりのものだ」
「そうか、それは行かなければ」
「そうだ。それでこそ君だ」
彼は明らかな死相を浮かべ、体も一回り縮んでいた。
上長は彼を殺そうとしている。
そう言って止めに入った職員がいた。
しかし彼を深く知る者は皆一様に首を横に振り職員の方を止める。
彼は当然のようにその依頼を受けた。
誰の目にも死神に取り憑かれていると見えた彼は、龍歴院の多くの職員をして、今生の別れ、死出の旅となるだろうと予想し、死体を回収するためにこっそりと人員を送ったほど。
それでも彼は大きな怪我もせず依頼を達成して龍歴院に帰ってきた。
ただし、担架で。
「防具が重いんだ。どんどん肉が落ちて、もう武器も持ち上がらないんだ」
「なにを言っている。その歳で大剣なぞ振り回しているからそうなるんだ。片手剣を用意しておくぞ、次の依頼に行ってこい。今度は普通のゴアのおそらく若個体だ。判別方法は君が見つけたものだぞ」
彼はその依頼も受けて、やはり達成して帰った。
担架に乗せられ、大きな怪我を抱えて。
彼の体からは、朽ちるような死臭すら漂っている。
気力で生きていると評するのも憚られるような生きる屍状態に、彼を止めようとした職員は言葉を失った。
「もう限界だ」
「そうか。ならば後進を育てることだな」
「なら教材に俺の体を使え。見たか俺の骨。狂竜結晶が生えてたぞ」
「狂竜症に罹患したモンスターの内臓や骨に狂竜結晶が生じる例は多い。人の体で同じことが起きてもおかしくはないだろう」
彼は小さく笑う。
「俺の体を無駄にするな。細切れにしてでも調べ尽くせ。標本にするなら好きに使え。遠慮なんかするな。研究者の本質を見失うな」
そうして彼は逝った。享年56。
20年以上もの間、狂竜症と文字通り戦い続けた狩人の死であった。
彼の体は本人の遺志を尊重して研究に回された。
内臓や骨にはトゲのような狂竜結晶がびっしり生え揃い、なぜ動けていたのか不思議なほどであった。
ゴア・マガラの子実体と思しきものまで発見され、改めてかの古龍の異常性を際立たせる。
頭蓋骨にはゴア・マガラの触角と思われる器官が小さいながらも内蔵されており、彼が失明してからも戦い続けられた理由のひとつとして推察された。
彼のような体になるはるか前に、人体は機能不全を起こして死んでしまう。
症例を鑑みるに、体内に狂竜結晶ができた時点で激痛があっておかしくないのだ。
にも関わらず、全身あまねくびっしり狂竜結晶を生やしていた彼はそんなことをおくびにも出さなかった。
彼は人であったとすら怪しい領域に踏み込んでいたとしか思えない。
健康管理の賜物なのか気力執念憎悪らによるものなのか結論が出ることは永遠にない。
彼の体から得られた情報は残念ながらあまり役には立たなかった。
それでも、彼の変異した頭蓋と狂竜結晶の塊と化した臓器や骨は、貴重なサンプルであることに変わりない。
全身で研究の糧となり一部を保存されそれでも残された彼の体は、感染源とならぬよう入念に焼却され禁足地の一角に弔われた。
彼は幸せな生涯を送ってはいないだろう。
その功績を誇りもしなかった。功績とも思っていなかったはずだ。
死した彼の魂がなにを求めるのか、誰にもわかりはしない。
ただただ思いつきのまま滅びを描きたかっただけ。
あとは文末とテンポの練習でもある。
こういう静かな書き口の方が書きやすい。
そのせいで話の起伏が無くなるけど。
別に続いたりはしない。
11/12誤字発見で修正