【忘れられたシエル】
「スパイー?」
「アメリカの?」
事態の急変に付いていけない、いちかとひまり。逆に、ゆかりは相手を思いきり軽蔑する表情を浮かべる。
「人命救助をして、感謝状と金一封よこせとは言わないけど、これがあなた方の感謝という訳ね。アメリカに無……」
危険を察したあきらが、ゆかりの口元を塞ぐ。
「何を言っているんだ?」
(どうする)
(飛んで逃げる?)
対峙している時、彼女達が見慣れない高級車が停車し、車中から50代くらいの男性と、その部下らしい若い男性が降りて来た。二人とも、古い記録映像で見た陸軍軍人と思われた。その人物を見た憲兵達は、バネ仕掛けのおもちゃみたいに飛びあがり、敬礼を行った。
「石原大将閣下!」
「石原閣下、なぜこのような場所に?」
石原と呼ばれた男は、彼らを鎮めるように語り始めた。
「知人の法要に参加していたのだ。ところで君達は、その子達を連行するつもりなのか?」
彼らは、普段、自分達が声をかけられることもない上官からの質問に、たじろぎながらも事情を説明した。
「住民から妙な連中が川原で倒れていると、通報を受けましたので調査に来たのです」
その報告を聞いて、石原は軍部全体に走っている緊張を改めて感じていた。
「今、国全体がピリピリしているのは仕方ないが、少し焦りが過ぎるぞ。実は、彼女達は今しがた、多摩川に落ちた子供を助けたそうだ。本物のスパイは、見て見ぬふりをすると思えるが」
そう言われ、憲兵らしき者達が上官に意見した。
「隊長、彼女達の服はドイツやイタリアにすら無さそうな服です。完全に目立ち過ぎです」
「悪目立ちですね。昔のマタ・ハリ(1)じゃあるまいし、スパイに使うなら、もっと地味で警戒心を持たせない様な衣服を使うのではないでしょうか?」
「皆さん、どうやら誤解が有った様です。申し訳ない」
ばつが悪そうな表情を浮かべ、トラックに戻ろうとする憲兵だが……石原は何かを感じ取ったのか、憲兵達に忠告した。
「隊長、彼女達はスパイじゃあるまいが、一応、話は聞いた方が良いかもしれんぞ」
「と言いますと?」
「今、君の部下が言った通り、彼女達の服はドイツやフランス(2)……いや、アメリカの最新のファッション雑誌でも載ってないだろうからな」
石原大将と呼ばれた人物は、いたずら小僧みたいな笑みを浮かべると帰って行った。
彼女達は、周囲の風景と捨てられた新聞紙の日付、そして石原莞爾という歴史上の人物を目の辺りにして、自分達が70年前の世界に来てしまったことを確信した。
~60分後。近くの憲兵隊本部~
「息子の命を救ってくれた方をスパイと勘違いして申し訳ありません! 腹を切って詫びます!」
憲兵の隊長は、助けられた少年が自分の息子と知って混乱していた。
「おおおおお、落ち着いて!」
いちか、ひまり、あおいの三人が、必死に隊長を止めている。そうしないと、彼は拳銃の引き金を自分に向けて引きかねない。
琴爪ゆかり
「それで、私たちが70年後の世界からやって来たことは、理解してもらえたかしら」
憲兵
「品川や川崎の住民の方が、10メートルほど上空に穴みたいなのが出て、皆さんが、ふわりと下りて来るのを目撃したとのことです。しかし……どうにも、信じがたいことです」
まあ、信じろという方が無理だろうと彼女達は思った。何より、なぜ、自分達が、この時代に居るのかすら納得出来ないのだから。
自分達が、この時代に来た瞬間は、いちか達は気絶していたので覚えていない。ジャバ長老は、どうやら今回の天変地異に巻き込まれなかった様だ。
ぺこりんだけは、本来、いちご坂が在る近くで目を覚ました。
60分の間に、いちかとゆかりが、全員を代表する形で変身して、東京上空を一周して来た。
ぺこりんが言った通り、スカイツリーも東京タワーも、新宿の高層ビル群も、とにかく有名な建造物は全て影も形も無かった。東京湾もアクアラインもレインボーブリッジも、石油コンビナートなども存在してなかった。浦安に在る有名遊興施設も無く、ただ青い海が広がっていただけだった。反対に東京湾には、自然の海岸が多く残り、のんびりと釣りをしている人の姿も確認できた。
陸上でも70年後には、商業街や住宅街になっている所にも、信じられないほど水田や畑があった。
立花あおい
「あたしたちの住んでいた東京は、多くの自然を犠牲にして成り立ったんだな」
有栖川ひまり
「私たちは本当に豊かになったんでしょうか? 何か大切なものを無くしたのでは?」
妙に沈んでいる二人とは正反対に、この時代の憲兵達は、70年後の東京は凄い未来都市になっているのか? と不可思議に感じながらも、そうであれば喜ばしいと思ったようだった。
その後、彼女達は簡単にプリキュアという存在を説明した。
隊長
「皆さんは70年後の世界で、アメリカと戦っているのではなく、つまり世界を支配しようとしている……宇宙人みたいな連中と戦っていると言うことなのですか?」
憲兵
「アメリカには、アメリカ人のプリキュアなる者が居て、彼女達も宇宙人とか秘密結社みたいな連中から、町を守っているのでしょうかね?」
彼らはプリキュアというものを聞かされても、あり得ない話としか思えなかったが、大人の対応をとった。
数時間後、班長の部下達が関東近郊の警察署や憲兵隊に電話確認を行った結果、他のプリキュアチームも全員無事な事が確認された。
陸軍に所属すると思われる人が手配してくれたのか、最近、経営者が倒産し、海軍が保養所目的で買い上げた日本式旅館を確保できた。
東京五輪が開催断念になり、不景気で経営に行き詰ったそうだ。
宇佐美いちか
(あれ、1940年の東京五輪は中止になったんじゃ?)
ひまり
「私がプリキュアになった事も、当時は信じられませんでしたが、今度は時間旅行をする事になるとは、非科学的です」
剣城あきら
「私たち、未来に帰れるかな?」
ゆかり
「ダメよあきら、言葉には言霊が宿るから迂闊な事を口にしてはならないわ」
あおい
「ま、なんとかなるよ! な、シエル……シエルが居ない!」
それを聞いたいちかが震え出す。
いちか
「ああああああ、わすれてたーーーー」
シエルの所在は程なく判明した。一人だけ逸れて現れたシエルは、空腹で妖精キラリンに戻ってしまい、珍獣として保健所に運ばれた。
保健所には某、榊マリコさんみたいな人はいなくて、無事シエルは回収された。
キラリン
「お腹すいたキラ」
海軍軍人
「しゃべっていますよ! どうすればよいので?」
いちか
「空腹が酷いと妖精に戻ってしまうんです。何か食べ物を」
海軍士官守屋信介少佐
「お土産の羊羹(ようかん)を」
モグモグ。ボン(キラリン→シエル)
松田千秋大佐
「妖精が美少女に!」
士官達は、あり得ない事実に手品でも見ているかのように目をこすった。
キラ星シエル
「皆、酷いわよ、私の事忘れちゃうとか!」
取りあえず謝罪する人間5人と妖精1匹。
シエル
「軍人さん! 何時まで私を、お姫様抱っこしてるの。セクハラはダメよ!」
守谷少佐
「これは失礼をお嬢さん!」
慌てて椅子に降ろす海軍士官。
しかし、海軍士官がセクハラという単語の意味を知る事は最後までなかった。
1 WW1のパリで暗躍した女スパイ
2 この時期フランスは完全に第三帝国領に
石原莞爾は実在の人物ですが、某気象予報士等とは無関係です。
続きは来週