数日後、いちか達は再度、石原大将と対面した。石原大将は彼女達を見て軽く息を飲んだ。彼は、いちか達の表情から、いちか達が真剣に話し合った事を悟った。
彼女達の真剣な眼差しから、軍の重鎮としては、簡単にその立場上あり得ない話を信じることはできないが、一個人として、彼女達を信じてみようと思った。
いちか
「私たち……この世界の……日本に住んでいる人たちを助けたいです」
いちかの返答を聞いた石原大将は、安堵するよりも、むしろ驚いた様だ。
石原
「本当に良いのか? 結論に至った理由を聞かせてくれないかね」
六花
「この世界は、私たちが住んでいた世界とは少し違う世界だと言う事。石原閣下に信じてもらえるか、わかりませんが、私たちの世界の70年前より、ずっと自由があるんです」
その時、静かに紅城トワが挙手した。
天の川きらら
「どうしたのトワっち?」
紅城トワ
「この世界とか、私たちの世界とか混乱しません?」
つまり、何か区別のための呼称を付けるべき、という意見だ。確かに何か区別が有った方が良い。
今、いちか達が居る世界 世界A
いちか達プリキュアが生まれ育った世界 世界B
という風に区別を付ける事になった。
最初にキュアホイップとキュアマカロンが東京上空を飛行して調べて来た事で、世界AとBの違いも少し明らかになっていた。
世界Bでは昭和10年代に入ると、左翼政党は徹底弾圧を受け、政治犯として関係者の多くが獄中にあった。
しかし、世界Aでは左翼政党は一定の監視などは受けてはいるが、未だ活動が出来ているようで、集会など自分達の考えを書いた配布物を配る事も可能の様だ。
更に、世界Aは中華民国(1)と戦争にならずに済んでいるという大きな違いがあった。1937年の七夕の日北京郊外で発砲事件は、世界B同様発生していた。しかし、世界Aで強硬に反撃を行った、連隊長が世界Bでは事件の少し前に自動車事故で死亡していて、日本側からの反撃は回避された。(2)更に、穏健で部下の人望も厚い総司令官田代中将が、必死に鎮静化を図り武力衝突は避けられた。その後12月に中立条約が締結され、ひとまず戦争の危機は去った。
ゆかりは中学時代、自由研究で世界Bにおける戦時中の人々の生活を調べた事があり、未だ戦争に至っていない世界Aは、現代と比べる事は出来ないにしろ、世界Bの70年前よりは、未だ生活必需品に余裕があった。
東京偵察飛行から帰る時、ゆかりはいちかにこう漏らした。
ゆかり
「私が中学生の時、調べた資料で見た戦時中の人の写真よりも、今、見て来た東京の人たちの方が明るい表情をしていたわ」
あきら
「石原閣下が先日、帰られる際に一瞬かなり深刻そうな表情をされました。世界A……今、私たちが居る日本は逆に相当な窮地に陥っているのではありませんか? 日本が、何かをやってしまったのではなく」
相田マナ
「逆に日本が罠に嵌められた……」
石原
「むう、表情には出ないようにしたはずなのだが」
いちか
「あきらさんは医者志望なんです」
六花
「医者は患者さんの状態を正確に見抜いて、正しい診断をしなければならないんです」
石原
「ほー。70年後の世界Bでは、女性の医者もかなり存在するのか」
石原莞爾は、迷うことなくあきらを女性と見抜いた。 帝国陸軍随一の天才と称された男なら当然の帰結だった。
六花が話を元に戻そうと石原に質問した。
六花
「今、何が起きているのか、教えていただけませんか?」
その時、石原の部下が石原大将に小声で囁いた。どうやら誰か来客があった様だが?
石原
「今回の件は海軍も大きく関わってる。故に来て貰った。それに、彼とは奥羽列藩同盟仲間だからな」
奥羽列藩同盟は、明治維新の直後、旧幕府側に付いた東北諸藩の集合体だ。有名なのは会津、米沢、長岡、仙台だろうか。
シエル
「確か将軍の出身地は山形県でしたね」
石原
「日本海に面した鶴岡市だ。出羽三山で有名だ」
鶴岡市は江戸時代は庄内藩で、幕末奥羽列藩同盟にも加盟した。加盟しても、新政府軍が来たら即座に降伏した藩も少なくなかったのだが、庄内藩は西洋式の軍備が揃っていて、官軍を何度も撃退した。
最終的には降伏するのだが、あの西郷隆盛が庄内藩に寛大な対応を取った。そんな訳で、庄内地方では西郷が大いに尊敬されているそうだ。
その来客者は花火で有名な新潟県長岡市出身で、維新後処刑された長岡藩の家老の家があるが、その家に養子に入り、名跡を継いだらしい。
いちか
(あれ、この人何処かで……歴史番組とかで見た記憶が?)
「山本です。遅れて申し訳ない」
丁寧に名を告げ、その人物は続けて謝罪した。
山本五十六(3)
「皆さんを巻き込んでしまい、誠に申し訳ありません」
年齢的には親子以上離れているが、いちか達に深々と一礼する聯合艦隊司令長官、山本五十六大将。
いちか
「こここここちらこそ、大変、お世話になっております」
山本
「長門から飛行艇で横須賀に来るはずだったのですが、駿河湾上空で飛行艇のエンジンの調子がおかしくなって、沼津港に着水して、急いで東海道線の急行に向かったんです」
どうやら呉軍港の聯合艦隊『武蔵』から飛行艇で上京したが、トラブルで途中着水し遅くなった様だ。
現代なら羽田に下りる筈が、悪天候で関空に着陸する。といった感じだろうか?
山本提督の説明によると、世界Aでも世界B同様、日米関係は徐々に悪化して行ったようだ。
1920年代には、合衆国で日本からの移民を禁じる法案が成立。その後も、時々、政府や合衆国の新聞が日本を非難する記事を書く事も有った。しかし、世界Aでは日本は中華民国と戦争に至っていない為に、世界Bほど日米関係は悪化していなかった。
関東大震災の時には、合衆国から多大な支援物資が義援金が届いた。
10年後、ベーブ・ルース率いる大リーグチームが来日し、日米野球が開催された際には、日本人は大リーグチームを大歓迎した。
南太平洋でアメリカ人の女性飛行士が遭難した(4)時には、日米が共同で捜索を行った。数年前までは、日米関係は危ういながらも、なんとか平穏を保って来た。
世界Aでも、1939年9月1日に第三帝国によるポーランド侵攻を発端にして、第二次世界大戦が勃発していた。
合衆国は翌年から英国に軍事援助を開始(独ソ開戦後にはソ連にも援助)したが、未だ直接、参戦していなかった。
ルーズベルト大統領も、1940年に三選を果たした際に、公約で「戦争に参加しない」ことを明言してしまったため、合衆国からの宣戦は難しいと思われた。
同年8月の世論調査によると、参戦に賛成した合衆国市民は未だ3割程度に留まっていた。
日米全面戦争にはならずに済みそうな雰囲気は、いちか達が世界Aに迷い込む40日前で突如終わりを迎えた。この世界Aで、およそ60年先に某オンライン百科事典が出来た場合、事件の記事タイトルには、こう表示されるだろう。
《巡洋艦オーガスタ号爆沈事件》と。
1 首都は北京では無く南京。後共産勢力(代表は毛沢東)がいます
2 インパールの地獄を引き起こした牟田口
3 元の名前は高野五十六
4 アメリア・イアハートの事 某博物館映画に登場 彼女の死亡原因(墜落原因)は現在も不明ですが、日本軍関与説もあるそうです
続きは明日投稿します。