第8話【オーガスタ号爆沈事件】
フィリピンは16世紀半ば以降、およそ350年に渡りスペインの植民地だったが、20世紀初頭に領有権が合衆国に移った。その後1935年に至り、1946年に独立する事が決定していた。
1943年9月15日に重巡洋艦《オーガスタ》がフィリピンを友好訪問し、マニラに近いキャビて軍港に入港した。
《オーガスタ》は、1931年1月に《重巡ノーザンプトン》級の6番艦として完成した。排水量9050トン、全長183メートル、速力32.7ノット。主砲は8インチ砲9門で、合衆国の巡洋艦としては珍しい魚雷発射管を装備していた。
その数日後、自治政府やマニラ市長などの要人を招待し見学会等が行われて、9月20日夕刻に出港し、次の訪問地であるオーストラリア東岸のシドニーに向かった。
しかし、出港して1時間後の午後6時にマニラ湾内で突如大爆発を起こして轟沈し、乗員667名が死亡もしくは行方不明となる大惨事となった。
しかも、《オーガスタ》が大爆発を起こし爆沈する瞬間の写真が、合衆国の写真誌記者であったモーリー・ロルソンにより、彼がチャーターしていた漁船の上から偶然、撮影されていた。
フィリピンの漁船員やマニラ湾に居た輸送船乗員等が、爆沈直前に魚雷の様な物を見ていた事も明らかにした。
この記事が公表されると合衆国の報道機関は、「日本帝国の卑劣な陰謀」と大々的に報道し、世論も参戦を支持する意見が一気に70%を超え、10月に入り更に「日本撃つべし」の意見が広がった。
この世論を受けて、ルーズベルト政権は、10月10日を期して対日全面禁輸と在米日本資産凍結を断行した。
いちか
「日本海軍を信じていますが、念の為に聞かせてください。《オーガスタ号》の爆沈について、一切、帝国海軍は関与していないんですね?」
山本
「無論です」
山本提督は事件が大きく報道されると、即座に外洋に居る全潜水艦に即時帰還命令を出し、全潜水艦が帰還した後、潜水艦の航路情報を全て公表し、事件の時刻にマニラ湾に潜水艦はいなかった事を公表した
しかし、合衆国政府は「こんなものは、いくらでも偽造できる」と切り捨てた。
マナ
「『メイン号事件』みたいだね」
石原
「メイン号事件?」
六花
「あれ、もしかして世界Aでは『メイン号事件』……いや、米西戦争は起きていないとか?」
『メイン号事件』とは、世界Bでの1898年1月にキューバで反スペイン暴動が発生し、キューバ滞在合衆国の国民保護の為に派遣された合衆国戦艦《メイン》が同年2月15日、キューバのハバナ湾に停泊していたところ、突然爆発し沈没して、270名が犠牲となった事件である。(1)
爆沈後、米メディアは「爆沈はスペインの陰謀」と大きく報道し、4月25日には戦争が開始された。スペインは合衆国に連戦連敗であり、1903年のパリ和平条約にて、スペイン帝国はフィリピン、キューバ、プエルトリコを合衆国に割譲し、スペインの領土はほぼ本土のみとなった。
山本
「君達の世界ではアメリカとスペインが戦争になり、オーガスタ事件みたいな事件も起きたと」
いちか
「世界Aでは、戦争にならなかったんですね」
石原
「なる前に経済が疲弊していたスペイン帝国が、お手上げになってしまったのだ」
スペインは欧州の主役の座を大英帝国に奪われていたが、未だ中南米(ブラジル除く)に大帝国を保っていた。しかし、18世紀以降、中南米の植民地が続々と独立。
世界Aでは、ロシア帝国がアラスカを合衆国に売却した様に、フィリピンとプエルトリコは合衆国に、キューバは大英帝国に売却していた。
その後のスペインは、両方の世界で同じ道をたどった様だ。
(1930年に君主制廃止→左翼政権→スペイン内戦→フランコ将軍による右派独裁政権、第二次大戦ではドイツ寄り中立)
1 日本人も留学していた海軍士官などが巻き添えで7名死亡。