逢魔ヶ時に鬼魔は来る。   作:庵パン

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取り敢えず主人公だけでもキャラ紹介をば。

秋山・一磨 昭和56年11月15日生まれ。
東北の米どころ秋田県大潟村出身で両親共に男鹿の者。
15で母を失い、17の時に東京に出て来たので最終学歴は中卒。


3話

暗い。

真っ暗闇だ。

これが「死」というものなのだろう。

似たような感覚を、一磨は以前にも味わったことがある。

似たような感覚を、一磨は以前にも味わったことがある。あれは初めて東京に出て、右往左往してた頃に。親切の仮面を面表に張り付けた池沼に寮付の仕事を紹介された時だ。

当時はこれからの行く末を案じて不安で仕方なかったが、今はその「不安」がない。

インターネット環境を手に入れてから、手話で人間と会話が出来るというゴリラの話を聞いたことがあった。個体名は忘れたが、彼女は死を「苦労の無い 穴に さようなら」と表現したことがあったと聞いている。

動物園育ちのゴリラだから別のゴリラに聞けば違う解答も得るだろうが、一磨にとってはココが表現したそのものという空間に居た。

死後の世界があるとは思わなかったし、意識が漂ってるだけなのか他の者もいる空間なのか解らない。

「起きろ!秋山・一磨!」

目は開けてた筈なのに、呼ばれて気が付くとそこには馬頭の男と牛頭の男がいる。

彼等はいわゆる冥府の官吏か獄卒……いわゆる鬼のような連中か。

死んでも彼等は一磨を休ませてはくれないようだ。

一磨は、ここが子供頃に母や寺の坊主から聞き、母の死後は否定し続けた地獄か冥府であることが分かる。

他にも複数の人が居るから、彼等も生前に仏道に反することをしたのかも知れない。

とは言っても、仏教の教えだと今の人間は大概地獄行きだが。

一磨は神仏習合なので別扱いかとも思ったが、どうもそうではないようだ。何れにせよ今更足掻いても仕方ない。

他の面々は父や母、或は兄弟や子を現世に残りしているものがいて、承服できないようすだが、一磨と同じように行く場所など決められているのだ。

鬼に付いて歩く他なかった。

そんな時、一磨は年端も行かない子供の死者……或は亡者を見る。

彼等、年端も行かない子供が行くのは三途の河ではなく賽の河原だった筈だ。

途中まで同じ道なのかも知れないが、同年齢層の子供はいない。

「母さん!父さん!」

急に両親が居なくなって不安なのだろう。

彼の両親がこの場に居ないとすれば、生存していることが分かるのだが、無事と言えるかは解らない。

同僚の櫻井もだ。彼は、爆発が起きた時に爆心地の方角に行っていた。

命はあるだろうが、無事ではないかも知れない。

空はどす黒かったり、所によれば血のように真っ赤であったりと異界ではあるろうが、地獄という冥府なのかもわからない。

歩きながら、一磨は自分が犯した義母のことを思い出した。旧姓は河瀬で結婚してからは秋山・美由紀といった。今どこでどうしているか分からないが、一磨のことを許すことはないだろう。彼女だけではなく義理の弟妹の命だってどうなったか解らないのだ。

それに、15年前に自殺した娘の名も思い出した。どうも死んでから頭の廻りが良くなったらしい。彼女の名は秋田・雅子だ。兄妹も居ない一人娘で、両親が大事に育てていたことらしいことは憶えている。

そう言えば、櫻井・幹夫も一人息子だった筈だ。彼は大丈夫だろうか。

 

 

*  *                            *  *

 

 

一磨は子供に付き添って異界の道を歩いていた。

母も、父もおらず、周りの風景だって見たことのない場所だ。彼独りではどんなに心細いだろうか、一磨は自分の経験から予感して彼に付き添っていた。

幸い……と言っても目出度くはないが、歩き続けているのに疲れもしないし腹も減らない。喉の渇きを感じることもないのだから、改めて死んでいることを実感する。

歩き始めて7日も経つのに、疲労や空腹、喉の渇きも感じないのは死んでいるからだろう。

ただ、一磨は年端も行かない子供に付いて居たから、集団からは暫し遅れる。

一磨がここまで死後の世界に慣れているのは、やはり母の妖怪や化物の話を聞いたり、坊主から説教されてきたからだろう。

その話からすると、子供は三途の川の畔にある賽の河原に行くと聞いている。

「小僧、お前はこっちだ」

三途の川の畔に着いたらしい。牛頭の鬼が少年の手を引っ張り、賽の河原へと誘う。

「おい待て、その少年を連れてどうする?」

生前であれば厄介事や揉め事は避けて通る一磨だが、もう死んでいるのだ。今更命を惜しむ必要もない。

「どうせ積ませた石を崩して喜ぶような底意地悪いことでもするんだろ!」

「秋山・一磨か。お前に何の関係がある」

「一時保護者だよ。お前らの底意地悪い根性は現世でも有名なんだよ」

すると馬頭の獄卒が答える。

「これは五逆罪だ。母の腹に宿ってから10カ月。二親に様々な心配をかけ、大変な苦しみに耐えさせ血肉を分けてこの世に産だというのに、親孝行もせずに先立って二親を悲しませた大変な罪だ」

「その子供も好きで来たんじゃねーよ馬頭(バガ)! 事件か事故に巻き込まれもしないで来る訳ないだろ!」

「それでもだ!」

そう言い返した牛頭の獄卒が少年の腕を掴む。一磨はその丸太のような腕を掴むと、敵意を以て思いっきり握り込んだ。

するとどうしたことか、牛頭の獄卒が少年の手を離し、一磨が握った片腕を抑えて転げまわる。

「グァァアアアアァ! こ、こいつ蛇神のやつらか!?」

「なんでこんな所に居るんだ!」

その質問は一磨が一番聞きたい。どうして自分が死んだのか。自分を殺したヤツが何者なのか。というか、事故なのか事件なのか。

しかし、見れば馬頭獄卒の腕が、皮と肉一枚の宙ぶらりん状態になっている。

すこし強く握っただけで、ここまで重傷を負わせるつもりなどなかったのに。

「俺が知るかよ」

「お前らなんぞ早く行け!」

「まぁ行くんだけど、それよりさ、その怪我大丈夫なの?」

どうやら、くっつければ直ぐに治るもののようだ。これなら全部捥げても大丈夫だったのだろう。

少年には500円を渡して、一磨は三途の川を渡ることにした。

地獄の沙汰も金次第という。地蔵菩薩が来るまで2匹の獄卒には少年に石積の手伝いをさせることにしてきたのだ。

大鬼が来て積んだ石を崩すという話もあるが、2匹の獄卒もそれなりに大きい。

念の為周囲も見て怪しいヤツには焼きを入れて来たから、あの少年は大丈夫だろう。

賽の河原は仏典にはない民間伝承だから、少しの無茶無謀は大目に見てくれるだろう。

次は三途の川である。

真田幸村の旗が三途の河の渡し賃の6文銭であることが知られているが、当時の慶長14年の1文が約25円である。つまり6文銭は150円程だ。ネットサーフィンは得意な方なので、池沼が自分で掘った墓穴に突っ込む為に調べた知識がこんな所で役に立った。

池沼は、自分で墓穴掘りまくってるからその内足場が無くなって勝手に落ちるだろう。

一磨はそんな諦念に似た感情で、渡し賃に苦労しているだろう人間が居ないか探す。現世ではないが、最後の善行だ。余り所持金がある訳ではないが、だれか150円の捻出に苦労してる者が居ないか見回した。

地獄の沙汰も金次第だから大盤振る舞いは出来ないが、持って居なければ200年ほど待たされるとも聞いている。或は、それはギリシャ神話だったか?

とは言っても平安時代以前は橋やか浅いところや深い所を、生前の罪の重さに比例して渡ったらしい。

「PASUCOは使えないんですか?」

そんなことを社会人であろう女性に聞かれた。実際は正月3日目なので着物を着ていて分からないが、賽の河原に行かなかった所を見ると両親に先立たれた二十歳以上の娘さんなのかも知れない。

「いや、流石にあの世だと使えないかな……俺も始めて来ますし」

すると彼女は俯く。どうしたのかと見たら、泣いているではないか。

いや、普通は自分が死んだと自覚したら泣く。残りの人生でやるべきことが1つか2つくらいしかない一磨が平気でいるのが異常なのだ。

「あの、今日はどうして渋谷駅に……」

「……みや‥宮益御嶽に、主人と行ってたんです」

日本でも珍しい日本狼の狛犬がある場所だ。尤も日本以外に狛犬がある国は限られるが。

というか、どうも独身者は一磨独りだったらしい。親への大罪を犯した覚えのある一磨はアラフォーということで、大人が行くべき地獄行きなのだろう。

一磨から獄卒の種類を聞いた女性は、そのまま三途の川の立っている大樹の元に向かう。

三途の川の畔には大木と言えるが立っており、その木の傍には 胸元をはだけた容貌魁偉な老婆 がいた。

懸衣翁という爺さんも居ると聞いていたが、これは居ないようだ。

「っていうか婆ちゃん。そんな格好しちゃだめでしょ! 世の中には婆ちゃんに、欲情する変態野郎もいるんだよ! っていうか閻魔様に叱られるよ!」

脱衣婆に対する第一声がこれだったが、奪衣婆は上下に確りと歯のある口で快活に笑うや否や一磨と話していた女性の羽織を引っ手繰って木の上に居る獄卒に渡した。

「おっえぇぇえ!?」

若干ばかり扇情的な光景だったが、幸い女性は中に襦袢やら長袖Tシャツを着てるのでエロいことなどなかった。

その羽織を着の上に居る鬼……見れば老人に見える獄卒に渡してそれを枝に掛け、若干枝を揺らしている。

あれが懸衣翁という、最近では奪衣婆が目立ち過ぎて一磨同様に影が薄い鬼である。

枝の揺れ方を見れば……今まで死んだことがないので分からないが、大した業は背負って無いはず。

「次はお前だよ」

はいな? と気が付けば一磨は何の抵抗する間もなく上着を脱がされた。

ちなみに亡者が衣服を身に付けていなかった場合、皮を剥がれて取られるらしい。

今の時季は新年明けて間もない冬だったので助かった。

紺のセーターを着る一磨のトレンチコートは柳の枝に掛けられていく。だが枝が何一つ揺れず、軋みもしないのが一磨には納得できない。

「あの、そのコートの中に財布入ってるんで、川の渡し賃はそこから払って貰えませんかね?」

「10人しか運べないから、誰を置いて行くんだい?」

財布に入ってたのは1500円程度だが、額は少ないながらICカードもあった。

はやり公共交通機関のICカードは使えないようだ。

「じゃあ俺が泳ぎますわ。枝、余り揺れなかったし」

というか、他の人間は一銭も持ってなかったのだろうか? これだからクレジットカード主義者は困る。現金主義は一磨だけか?

中国・台湾・ベトナムには冥銭という死者への副葬品を捧げる風習があるが、今現在の日本では沖縄以外でその習慣は聞かない。

「良い心掛けだ。お前は満足に女の味も知らないんだから、行く前に私が相手してやろうか」

そう言って、奪衣婆は肌蹴た胸元から衣服を脱ぎ、それと共に次第に若い肉体へと変貌していく。一磨が見る事になったのは30代半ばから後半くらいの豊満な肉体をの女鬼の裸体だ。

「もっと駄目でしょ! っていうか爺さんが樹の上から見てるよ! そもそも泳ぐ前にそんなことしたら体力続かないでしょうが!」

あと多分閻魔様が見てる。その前でこれは拙い。拙いに決まっているのだ。

「そうかい。中々良い男なのに遠慮深い男だね」

獄卒がそんな私欲で行動して良いのか疑問だが、地獄の沙汰も金次第とも言う。獄卒は金欲も情欲も否定しなくて良いのか?

今一、地獄のシステムがどうなっているか解らない一磨だ。

既に舟が二往復して、残は一磨と着物の女性とスーツを着たサラリーマンの番となった。

船頭を入れると定員は3人だから、一磨は彼等が対岸に渡ったあとに平泳ぎで行くことになる。

対岸は見えないくらい遠い。泳ぎが達者とは言えない一磨だが、考えてみれば体力が減らない死後の世界だ。先程若くなった婆ちゃん鬼と一発やっても良かった。

まぁ人が観てるからやらないけど。

「やっぱり泳いで行くのは辞めておこうかなぁ……」

一磨が川辺から水に入った時、脱衣婆は言う。

「お前なら常に浅い場所を歩けるだろう。だが泳いで戻ろうとした亡者共が引き込もうとするから注意しな」

なん……だと、と気付いた時には足しか着いていない筈の水底から幾つもの手が一磨を引き込もうと延びてきていた。

「っざっけけんなドリアァー!」

先程の馬頭獄卒の腕を握り潰した要領で、亡者共が伸ばした手や頭を握り塵に変えていく。

骨と皮になった腕が吹き飛び、手刀が首を跳ねる事すらあった。

「秋山さん!」

着物女性が舟から身を出すが、一磨はこれに近い地獄を現世で体験してきてる。

これも全て池沼のせいだ。ラッシュ時に次々と料理を注文され、休む間もなく櫻井と2人で注文に応えていたことが何度もある。

「どうってこたぁ無い!」

亡者の腕を引き裂きながら叫ぶ一磨だが、その顔は笑っていた。

というか、嗤うしかない状況である。

こんな力があるなど知ってたら早々に池沼を闇討ちしてた。

「だから席を船を空けようとかするな!」

着物女性に言うのは、彼女が今にも川に身を投げ出しそうだからだ。そんな必死さを感じ取ったのである。

そうして走り続けること400km。東京から出発してたら兵庫に着いてるし、故郷の近くまで来れる距離だ。

そのように対岸に辿り着いた一磨に船頭は言う。

「流石は蛇神の民の末裔だ。剥き出しの魂じゃ大抵の亡者が敵う訳がねぇ」

どうも、生きてる時には出来なかったことらしい。

死んじゃいるが、人世なんてそんなものである。

「っていうか蛇神の民ってなにモンですよ」

「それについちゃ閻魔様から直々に聴いて下さいよ」

船頭が見る方向には、遂に地獄の門が待ち構えていたのである。

 

 

*  *                             *  *

 

 

地獄門を潜るとそこには巨躯の閻魔様が座していた。

いや、立っているのかも知れないが、存在が大きすぎて全貌が見えない。

一磨は妙な爺に殺されたが、他の亡者達は事件か事故が、何れか解らないが不慮の事態に巻き込まれて死亡したのだ。

その事をちゃんと考慮して貰わないと困る。

「閻魔様!申し上げたき儀が御座います!」

一磨の提案は期せずして不慮の出来事で冥府に連れて来られた魂を、どうか地獄ではなく輪廻の輪に乗せて欲しいというものだった。

「出過ぎだぞ! 小僧!」

アラフォーの一磨だが獄卒にとっては遥かに若造である。

一角の鬼に三ツ又の槍を向けられたが、これ以上は死にようがない。刺されたら痛いかも知れないが、恐怖という感覚は無かった。

「良いだろう。この度のことは我が方にも落ち度がある」

そう言うと閻魔様は一人ずつ裁定を始めた。中には生前に盗みを働き暫し地獄に落とされた者もいたが、着物女性も含めてほぼ全員が輪廻の輪に乗せられることになった。

「それと、ここに来る途中に塞の河原で別れた子供は……」

地蔵菩薩は閻魔の化身という。閻魔様はここに来る前に子供の行く末を決めていたようだ。

「あの稚子なら心配ない。両親は怪我はしたが存命故、次の命を造る時に魂として宿るだろう」

無論、それで良いという訳ではない。両親には子を失ったことを哀しむ時間が必要だろうし、先程の閻魔様の言葉を聴けば事後ではなく人災だった可能性がある。

それも、人には依らない人災である。まさか化物災害とでも言うなだろうか?

「しかし秋山・一磨。お前がその歳で冥府に来るとは意外だったぞ。まさか蛇神の民が化物に容易に討たれるとはな」

「化け物あの爺ですか?」

それ以外には考えられないのだが、自分の心臓を白刃で貫いた爺の顔は良く憶えている。

何せ人世最後の光景だ。

「あれは人間からぬらりひょんと呼ばれている妖怪でな」

その名なら聞いたことがある。日本妖怪の親玉だそうだが、そこまで人望があるとは思えない面構えだ。

「お前も母から名くらい聞いたことがあるだろう」

「えぇ、はい」

「これほど大それたことをするとは思わなかったのだが、我が方の密偵の寄れば最近悪魔との繋がりを着けたらしい」

「悪魔ですかっ? 西洋の!」

閻魔様は頷く。

外国人旅行者か増えることは日本経済の恩恵になるが、鬼魔の類いは金でさなく災厄でも落としてくれそうだ。早い話がご遠慮願いたい。

「蛇神の民は災害の多い日本で古来から怪気象を抑えるべく行けてきた」

蛇神とは、年に一度、地元県内で行われてる荒覇吐の祭典で奉られる神のことだろう。

現在、荒覇吐という名は知られてはいないが、大和朝廷に破れた最初の土蜘蛛とも大和に治水された七つの川とも言われている。

一磨は専門家ではないが、何れにせよ八岐大蛇の元となった存在だ。

彼等は日本の南方である台湾やインドネシアから渡ってきた人々だと聞いている。

海の上をどのようにして渡ったか、国と何処かの大学が実証実験している最中だたったが、その結果を知る前に一磨は死んでしまった。

閻魔様の言ったことは、一磨にはとても受け入れ難いことだ。

「ちょっと待って下さい。私は義母を犯して彼女と彼女の腹にいる義姉弟を危険に晒しました。死んだかも知れないんですよ」

「秋山・美由紀ならお前のことは恨んでおらん。実母を想い女気のない貴様を赦したのだ。産まれた妹も健やかに育っておる」

ちゃんと年の離れた妹が産まれたことに安堵しながらも、一磨は自分を赦す事はできない。6歳下の弟の実と言葉を失った朱美を置き去りにして着たのだ。

「しかし私は池沼・鉄治に復讐するために様々な準備をしてきました。仏道では復讐も復讐を計画するのも罪でしょう」

閻魔様も聞き分けのない人間に次第に怒りを募らせる。

「そうまで言うなら地獄を見てくるが良い!そして地獄の恐ろしさを眼に焼き付けるが良い!」

地獄という環境にも関わらず、我を通そうとする一磨に遂に閻魔様の大目玉が落ちる。

もはや取られる命も無いのだ。一磨は生前から心に感じてたことを通すのみであった。

そうして十王の一人である宋帝王と共に雲に乗せられた一磨は、地獄で苦しむ亡者の有り様を眼にすることとなった。

剣山の如き針の山は知られていよう。

だが若い女の亡者が血を流し身を刻まれながら登っていくのは見るに堪えない。

しかしこれが地獄だ。老若男女が獣に手足を食い千切られ、首だけになっても死ねないでいる。

それを獄卒が集め、今度は血の池に沈めると千切れた亡者が這い上がろうとするが、金棒で叩き落とし、這い上がった亡者を今度は熱せられた鉄板で挟み焼き始めた。

「どうだ、此れだけ見てもまだお前は地獄に行きたいと言うのか?」

その宋帝王の答えには一磨は答えられなかった。

だから十数年前からの疑問をぶつることになる。

「母と新田・雅子はどうなったんです?」

彼女達は自ら命を絶っている。新田は様々な遠因が合ったにせよ、自分の手で命を絶ったんだから地獄に来たのは間違い無い。

「あれを見よ」

すると、一人の骨と皮に成り果てた亡者の女が粗末な貫頭衣一枚で獄卒から逃げているのが見える。彼女が、母か新田だと言うのか?

2人とも豊満な胸を持っていたが、それも見る影もない。地獄の責め苦で削ぎ落とされたか、栄養の必要がない部分から栄養が吸われて行くのか判断することなどできない。

「あの女囚が新田・雅子だ」

すると鍵付きの鋒で雅子を捕らえた鬼が、彼女を仰向けに倒し、首元に大きな(のこぎり)を当てる。

「辞めさせてください! 彼女が命を絶ったのは池沼や役員が彼女の給与も労働時間も保証しないで、使い潰したせいでしょ! 地獄に行かなきゃならないのは奴らですよ!」

「無論、奴らも地獄行きは決定している。だが新田・雅子が犯したのは五逆罪だ。二親を苦しめた罪は消えん!」

時折、此岸に出ようとする複数体からなる亡者が居るという。

その中で、亡者達は重なり合い複合体となり冥府から此岸へ向かい怨みを向けるその相手を引き込むことがあるそうだ。

実際に一磨は亡者達が重なり、巨大な塔を作りながらも獄卒の鬼達が手にする金棒や馬鍬で砕かれるのを見ている。

行方不明となった池沼グループの役員の何名かはそうして直接地獄へ引き込まれたらしい。

だが閻魔様ら十王からすると、それは不自然な形だ。

命というのはどのような形であれ、全てを全うして燃やし尽くされ冥府へと来なければならない。そして審判を受けなければならないのである。

ここで一磨は1つの質問を宋帝王に投げかけた。

「自分を含む殺人が悪として、自分の前で殺されようとしているものの為や自分を殺そうとする者を殺すのも罪ですか?」

人間の様々な事情によって殺人が起きるのだ。過剰防衛と言えるかも知れないが、自分を守る為に他人を傷付けることなど幾らでもあるえる。

「それは自分も心次第だ。邪な心を持ち続ければ行く着く先は地獄だろう」

人間の様々な事情によって殺人が起きるのだ。過剰防衛と言えるかも知れないが、自分を守る為に他人を傷付けることなど幾らでもあるえる。

時として、遭難した者が生き残る為に同族を殺してその肉を喰うという事例がある。

その場合、法律上では罪に問われない。だがそうして生還した者の魂は悔恨に縛られる。時として、そうした者の心は壊れ、人間の形はしているがヒトではなくなる。

問答の一種として、海で遭難した3人の者が居た。1人は父親で1人はその子供。そしてもう一人は生命力のある若者である。

最初に息絶えてしまったのは男の子供だった。次に父親が飢えで苦しみ、命の危機を迎える。

その時、若者は海亀の肉と言って父親に動物の死肉を渡し、そうして2人は生き延びることが出来た。

数年後に父親は海亀の料理を出すレストランに行き、一食した直後に叫び声を上げて拳銃自殺してしまった。

海亀の肉だと言って差し出されたのは、我が子の肉だったのだ。

宋帝王はそうした時の心構えを言っているのである。

「もう1つ、宋帝王様に伺いことが御座います」

十五年前に心を寄せた人は変わり果てた姿で見付かった。

ならもう一人のことを聴かなければならない。

「では母は何処にいるんです。母も自死なら此処にいるんてしょう?」

「お前の母……秋山・恭代はこの冥府にはおらん」

「それは……! 一体何処に!?」

宋帝王の答えは一磨が予想もしてなかったことだ。もし母の居場所が分かれば雅子と母を連れ、何処ともなく逃げ延びるつもりでいたのだ。それは時間の限りも当てもない、逃亡という永遠の流浪を意味する。

「お前ほど強固な魂を持った男のことだ。何を考えていたかは敢えて言わぬが、秋山・恭代はこの国に侵入しようとした悪魔と相撃ちなって死んだのだ」

「そんな…まさか遺書だって……!」

「西洋の悪魔というのは隠匿や偽装が得意なものだ。お前達に悟られまいとして自然に準備してきたのだろう。お前の父と祖母は薄々感付いていたがな」

父と祖母は、母の裏課業を知っていたらしい節がある。それであれ程まで無口で、長男である一磨には度を越えた厳しさを見せていたのかも知れない。

「俺は……なんてことを…」

 

 

*  *                             *  *

 

 

その頃、地獄門に1人の小柄な女性が来ていた。

頭に2本の耳のような毛が立っているが、一磨の同僚である新井・マスにはない刺々しさを全身に帯びている。

「居るか! 十王!」

何食わぬ顔で、彼女は地獄の裁判官達を呼びつける。

「アライ・ラスか!」

呼びかけに応えたのは十王の一人である五官王だ。立派な体躯に髭を生やし、冠を被った大男である。

「地獄に人間の男が来た筈だ。人間なぞどうなろうと構わないが。恩義を感じた娘が森に運んで蘇生してしまった。早く魂を連れ戻さないと獣に喰われてしまうぞ」

「蘇生? 死人ではないのか? 魂が地獄まで来て……」

だが、閻魔王は化け物によって殺された人間が複数いると言っていた。その中には蛇神の民もいた筈。一磨の死は、怪気象からこの地を守るべく産まれて来た人間の死として痛手に感じられていたのだ。

「判った。妖怪とはいえ魂が冥府まできた者を蘇生できる人間などそう多くない。今すぐに知らせを飛ばして呼び寄せよう」

斯くして、一磨の与り知らぬところで彼の肉体は蘇生される準備が整っていったのである。

 

 

*  *                             *  *

 

 

「お前の母は地獄とは違う異界で祈り続けている」

「なんで? どうしてっ!?」

一磨は物心付いた時から祈りに対して意味も恩恵も感じられなくなっていた。

だが宋帝王の話や地獄の門を潜るまでのことを考える、今の状況を考えれば見えないものでも信じるしかないのだ。

昔はあれほど闇の中から現れるヒトならぬ恐怖を観たいと願い、自らヒト以外の者達への憧れと恐怖を一緒くたにしていたのに、ある時季からそれが無くなった。

間違いなく。母が死んだその時からだ。

その母が、冥府で何を祈っているのか。

「お前達家族の魂の安心と、この国を覆わん怪気象からだ」

宋帝王が言うに、怪気象とは魑魅魍魎が跋跨しする百年や千年に一度起こると言われる特別な気象条件の元で起こる現象だという。これで滅んだ人間の文明は多い。

一磨の知識には怪気象と符号する現象が幾つか有る。

古代中国に、長旅で悪くした足を引きずりながらも国を回った善于と呼ばれる人物がいた。

彼の指導で、治水をした場所は、この災いから逃れることができている。

だが同時期に起こった天災でメソポタミアは滅んでいた。

古代エジプトもそうだ。巨石による遺跡は現在も残っているが、犠牲になった文明が消えて眼に見えなくなっただけだ。

先の中国にしても、災害により息絶えた人骨は土の中から複数発見されている。

生き残った善于の文明など、ほんの一握りの事例にしか過ぎない。

「山と海ばかりのお前の国は只でさえ災害が多い。それでも大陸から渡った古代の人間は言ったのだ」

―――やまとは国のまほろば―――

遠征時の死に際してこの詩を詠んだのは日本武尊……一磨のような荒覇吐族からすれば敵である。

だが古代のことだ。蝦夷として東北に追いやられたが、一磨はそこで満足の行く少年時代を過ごせたし自分の国は良い国だと想っている。

少なくとも周辺のちょっと様子がおかしげな連中よりはマシだ。

「母だけが祈ってるなら……」

一磨の言葉はそこで遮られた。別の雲に乗った官吏が宋帝王と一磨を呼びに来たからだ。

 

*  *                             *  *

 

 

地獄門に呼び出された一磨が見たのは、紛れもなく同い年かやや年上の同僚――。

「新井さん!?」

あの駅に新井は居なかった筈。なのに何故彼女が地獄にいるのか?

「勘違いするな人間。私はお前が知るアライではない。眷属が借りを返す為に来た」

眷属とは家族・同族・一族郎党を意味する言葉だ。やはり新井・マスと何らかの血縁がある気がする。

「秋山・一磨。確かに現世でお前の身体の蘇生は確認された。獣等に喰われる戻るが良い」

閻魔王が新井そっくりの女性の言葉を裏付けるが、地獄からそんなの簡単に戻って良いものなのだろうか?

「言っておくが、これはお前に妖力……人間の言葉で言えば法力が強く備わっていたからだ」

お言葉ではあるが、人間の言葉でもそんな言葉は聞いたことがない。マイナー用語なのか……。

「万に1つあるかどうかの法力を無駄にするな。お前は早く戻り僚友に感謝するが良い」

獣スクラッチの1等よりかなり当たり易いことに一抹の悲しさと切なさを感じながらも、一磨は言う。

「では私が怪気象を抑えることができれば、新田・雅子の罪をお赦し下さい。母も祈らずに輪廻の輪に乗ることが出来るのでしょう?」

「正気か? 生けとし生ける者が世にある限り、その者らが恐れる恐怖は闇の中から絶えず這い出る」

それが日本でモノノ怪や妖怪と呼ばれる者達であり、それを近年は物の怪(病気)……超常現象と呼ばれる者達だ。

「勿論、生きる者を皆殺しに出もしなければ物の怪は消えないでしょう。闇は人の心の中にありますから。しかし私が滅ぼすのは具現化した人を害する化け物。それさえ滅ぼして行けば怪気象は抑えられる筈です」

それは嘗て母や先祖たちが選び、生業とした道だった。

「良いのか? 糧道にはなぬし苦難の道だぞ」

「やりようはある筈です。池沼にも地獄に行き前に手伝って貰います」

それは、決して正道とは言えないやり方なのだ。




取り敢えず今回の投稿はここまでです。
1話で主人公が死ぬのは良くありますが、まぁなんやかんやありますので堪忍して下さい。
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