「いや……今日は少し、話をしたかったんだ。君の妹――比叡のことについて」
金剛の手が、ぴたりと止まった。
運ばれて来たおつまみの皿の縁を小さく打つ。
その音の小ささが、騒がしいはずの居酒屋での静けさに異様に響いた。
「……なんのつもりです?」
「知りたいんだ。無理にとは言わない。でも……もし話せるなら、聞かせてほしい」
金剛は数秒、黙っていた。
やがて持っていたグラスをそっと置き、俯いたまま、ぼそりと呟いた。
「……あなたも、同情でもしに来たんですか?」
「違う」
提督は即答した。
「過去を知りたいのは、同情のためじゃない。今、君がなぜそんなにも私を拒絶しているように見えるのか。それを理解したいだけだ」
金剛は唇を噛んだ。
「理解」――その言葉ほど、彼女にとって遠いものはなかった。
「……比叡を信じられなかった。私は比叡ではなく作戦を信じた。
いや、違うネ。指揮官の命令を信じた。信じたかった。
そうすれば、すべてが正しかったことになるって、そう思い込もうとした」
彼女の声は震えていなかった。けれど、静かすぎるその声の裏に、痛みが滲んでいた。
「それで……比叡はあんなことになった。
私は、“正しさ”に縋って、彼女の声を踏みにじったんです」
提督は何も言わなかった。
ただ、金剛の言葉を一つ残らず、受け止めようとするように、黙って聞いていた。
「……あの子のことは、今も心に残ってる。作ってくれたカレーも、かけてくれた言葉も。……でも私は、振り返らなかった。
あの時の私が殺したんです。比叡を」
金剛は顔を上げないまま、息を吐くように言った。
「それでも、まだ私から話を聞きたいと?」
提督は、静かにうなずいた。
「もし君が話してくれるなら。
……それは、君が“自分を許したい”と少しでも思ってる証拠だと思うから」
金剛は初めて、わずかに提督を見た。
その目には、怒りも、拒絶もなかった。
ただ、深い哀しみと――ほんの少しだけ、揺らぎがあった。
提督はゆっくりと口を開いた。
「それでも、君は今、生きてここにいる。
なら、これからの君にできることがあるはずだ」
金剛は、顔を上げた。
その目は、まっすぐに提督を捉えて――だが、冷たかった。
「……綺麗事、ですね。
“前を向け”とか、“償える”とか……そういう言葉を、私は何度も聞きました。でも――あなたに、私の後悔が分かりますか?」
提督は一瞬、返す言葉を探した。
「俺は、分かりたいと思っている」
「思うだけじゃ、足りないんですよ。提督」
金剛は席を立つ。
背を向けて、淡々と告げる。
「結局、誰にもわかりません。
……あのとき、あの子が私に向けた、泣きながらの声も。私が、それを踏みにじった痛みも。…誰にも」
全ての音が、遠くなっていく。
提督は、立ち上がることも、引き止めることもできなかった。
ただ、金剛の残した言葉が、胸に深く刺さっていた。
朝の演習場。空気は乾いて澄んでいるが、張り詰めた気配が漂っていた。
遠くで鳴る訓練砲の音。掛け声。
金剛は端の一角で、黙々と射撃訓練をこなしていた。
そこへ、提督が現れる。
「調子はどうだ?」
いつものように、穏やかな声。
だが金剛の反応は、ほんの一拍遅れた。
「……何の用デスカ」
拒絶の色は強く、視線は合わせない。
提督は少し困ったように笑って、距離を詰める。
「昨日のこと……いろいろ聞いて悪かったと思ってる。無理をさせたかもしれない」
金剛の動きが、微かに止まる。
「別に。あれが、提督のやり方なら――」
そこまで言いかけて、言葉を飲み込んだ。
提督は、どこか手探りのまま、続けた。
「君の過去を全部理解できるとは思ってない。けど……君がどんな痛みを抱えていても、
それを“知らないふり”するのは、上官として不誠実だと思う」
「……」
金剛の眉が、僅かに動いた。
静かに、だが確実に――苛立ちの色が滲む。
「理解したい、ですか」
「……ああ」
「本気で、そう思ってるんデスね」
提督はわずかに頷いた。
すると――
金剛は銃を地面に置き、静かに提督を睨む。
「だったら、聞きますけど」
低い声。鋭く乾いた目。
「“理解したい”って気持ちだけで、人の中に踏み込んでいいと思ってるんですか?私がどんな思いで、どんな地獄を噛み潰してきたかも知らずに。
昨日の今日で、“わかりたい”なんて、安く言わないでください」
提督が息を呑む。
「……違う、金剛。それは――」
「違わないです!!」
声が、演習場に響いた。
周囲の艦娘たちが、一瞬だけ動きを止める。
金剛は一歩、提督に近づいた。
「あなたの“優しさ”は、私にとっては“侵略”です。
踏み込まないで。気を遣わないで。私のことなんて……ほっといてください」
その目は、怒りよりも、苦しさを湛えていた。
「本当に、ただ君を――」
「やめろって言ってるんです!!」
怒声と同時に、金剛は腰のホルスターから拳銃を抜き放った。
刹那、金属音が空気を裂く。
そして――彼女の両手が、提督に銃口を向けていた。
「ちょっと!金剛!何やってるのよ! 冗談じゃ済まされないわよ!」
「提督! 早く逃げて!」
騒ぎを聞きつけて駆けつけたであろう、曙と時雨が提督の後ろで金剛に銃を向け返す。
「近寄らないで……!」
だが、この状況でも提督は動かなかった。
銃口が自分に向けられているにもかかわらず、その瞳は真っ直ぐ金剛を見つめていた。
「待て、いい。大丈夫だ。—曙、時雨、下がっていい」
ゆっくりと時雨と曙の銃を下ろさせるとポツリと言葉を放つ。
「……撃つか?」
その静かな問いに、金剛の指が震える。
「撃てるなら、撃て。
でも俺は、君がそれを望んでないことくらい、見れば分かる」
「分かる?……あなたに、私の何が分かるっていうんですか!!」
金剛の叫びが響いた。
「誰にもわからないんです!!
比叡がどんな声で私を止めたか、どんな顔で私を見たか……
あの声を無視して、背を向けた私の罪が、どんなに重いか――
……誰にも……!!」
彼女の目は潤んでいた。
怒りではない。
それは、怒りに見せかけた、どうしようもない後悔と、痛みだった。
「私は……あの子を、殺したんです……」
銃口が、わずかに揺れた。
提督は一歩、金剛に近づいた。
「……金剛。撃ちたければ、撃て。でも――」
「近寄らないで……!」
「それでも、俺は……君の味方でいたいと思ってる。
過去がどうであれ、君がまだここにいる限り、俺は君を見捨てない」
金剛の瞳が大きく揺れた。
その手が、少しずつ、震えを増していく。
そして――
「……っ……!」
手から銃が落ちる。
乾いた音を立てて、金属が床に転がった。
金剛は逃げるようにその場から走り去った。
提督はそっと、銃を拾い、何も言わず、ただ俯いていた。