灯りを落とした自室で、金剛はじっと壁を見つめていた。
制服は脱いだまま、ベッドに体を投げ出して数時間。
ただ、呼吸をするだけの時間が過ぎていた。
窓の外では雨が降っていた。
それも、気づいていなかった。
――銃を向けた。
それも、提督に。
感情に任せて、引き金こそ引かなかったものの……
あの時、あのまま誰かが背中を押していれば、どうなっていたか分からない。
「私は……」
金剛は呟く。
低く、壊れたような声で。
「私は、また同じ過ちを……私、ガラクタだな」
元々ほとんどなかった生きる気力が、一気に抜けていく気がした。
そのとき。
――コン、コン。
控えめなノックの音。
ドアの前に、人の気配。
「……金剛。俺だ」
提督だった。
返事はしない。息を殺して、気配を断つ。
だが彼は、続けた。
「入ってもいいか? ああ、いや、許可は……もらえないだろうけど。
……でも、これは“命令”じゃない。ただの“願い”だ」
しばらくの沈黙の後、扉がゆっくりと開いた。
その手には皿を乗せたトレイ。
そして、ふんわりと漂ってくるスパイスの香り。
「……カレー?」
金剛がぼそりと呟くと、提督は少し恥ずかしそうに笑った。
「すまん、榛名から比叡がよくカレーを作っていたらしいと聞いてな。レシピも残ってなかったし、手探りだったけど……まあ、なんとか形にはなった……“はず”」
「なんのつもりデスか。私はあなたを殺そうとしたんデスよ」
「いや、あれは私にも落ち度はある。…それにいまおれは生きている。それで別にいいじゃないか」
「腹、減ったろ。朝から何も食ってなさそうだしな。…ここ、置いとくぞ」
トレイをベッドサイドに置くと、提督はそのまま立ち上がろうとした。
が――
金剛の目に、ふと映った。
彼の両手。
指先から手の甲まで、絆創膏だらけだった。
「……どうしたんです、それ」
「ん? あ、ああ、これか。ははっ…恥ずかしい話、包丁の扱いに慣れてなくてな。何度も切ってしまった。簡単だと思ったんだが意外と難しいなぁ料理って」
「…そうですか」
金剛は一口、スプーンでカレーを口に運んだ。しかし
……まずい。
ご飯は柔らかすぎる、水分量をミスしているのが丸わかりだ。
スパイスもバランスを失い、しょっぱいのか辛いのか分からない。
野菜の切り方も不細工で不恰好、中はまだ生のままのものもありそうだ。
でも――なぜか、止まらなかった。
「……なんですか、これ……。下手くそすぎ、特に野菜の切り方なんてほんとに…」
そう言った瞬間、喉がつまった。
こみ上げるものが、唇を震わせた。
「不味い……のに……」
ぽた、と涙がカレーに落ちる。
「……信じられないくらい、不味いのに……
……なんで……こんなに、あったかいんですか……っ」
嗚咽がこぼれた。
「こんなもの、一口で捨ててやろうと思ったのに……っ
でも……手が止まらない……」
顔を覆い、肩を震わせながら、金剛は泣いた。
自然と涙が溢れた。
ようやく、こらえきれなかった弱さ。
提督は何も言わず、そっと椅子に腰を下ろす。
ただ、黙ってその場にいた。
何も求めず、何も押しつけず――ただ、金剛の隣にいた。
絆創膏だらけの手で、差し出されたカレーは不味かった。
でも、それは――
信頼の味がした。
「…提督っ…私っの、せいで、比叡がっ•••全部私のせいで•••」
カレーと共に浮かんだ比叡の顔。
誰にも吐き出すことができなかった感情が目の前の人物になら出していい。そんな言葉にはできない心のダムの決壊から込み上げて来たのは今まで無意識に避けていた罪悪感だった。
気がつくと私は、提督の胸の中で泣きじゃくっていた。
延々と流れる言葉、嗚咽、そして声にならなかった苦悶。
そう言ったものが溢れてとめどなかった。
「•••辛かったな」
提督はただそう言って、泣いている間私の背中をさすり続けてくれた。
翌朝。
まだ静まり返った廊下を、提督と二人で歩いていた。
握った手の温もりが、これから会う相手への緊張を少しだけ和らげてくれる。
白いカーテンに囲まれた病室。
そこには、変わらず眠り続ける比叡の姿があった。
細く、規則正しい呼吸。閉じられた瞼。
それでも、確かに“生きている”と感じられる存在。
「……おはようデス、比叡」
金剛はベッドサイドに座り、自然と声をかけていた。
返事はない。だが、それはもう慣れた。
「昨日は、この人がカレー作ってくれたんデスよ」
「……失敗作だったけどな」
「ええ、そうデス。びっくりするくらい不味くて……泣けました。まるであなたのカレーみたい」
提督が頭をかき、二人は小さく笑った。
まるで比叡が聞いてくれているように、近況を冗談まじりに語り続ける。
笑って、少し沈黙して、また笑う。
昨日までの重苦しさが嘘のように、空気は少しだけ軽かった。
そして――
金剛は比叡の手を握りしめ、ぽつりと呟いた。
「……私、もう一回……信じてみようかと思うんデス。自分も、仲間も……だから、見守っててネ」
そう言った瞬間。
眠ったままの比叡の口元が、わずかに動いた。
にやり、と笑ったように見えた。
「…やっぱり、まずかったんですね」
掠れているが、確かにそう聞こえた。
「っ……!」
金剛の視界が滲む。
昨日ぶり、二度目の涙。
でも今回は、悲しみではなく――希望が胸を満たしていた。
提督はその肩にそっと手を置き、静かに頷いた。
金剛は涙を流しながら笑い、比叡の手をさらに強く握った。
—-ずっと止まっていた時計の針が今、動き出した。