ー新しい鎮守府になって数日が立った。
私は与えられた個室で静かに過ごしていた。
入渠での治療は終わり装備の損傷も修復された。
栄養のある食事も、三食きちんと提供された。
だが——それ以外の時間私はほとんど部屋から出なかった。
窓辺に座り、ぼんやりと外を眺める。
頭の中にはいつも瑞鶴のことがあった。
あの笑顔。
あの声。
あの、最後の言葉。
「必ず帰るから」
ーでも、瑞鶴は帰ってこなかった
自分は生き延びて瑞鶴は死んだ。
その事実が、心を縛り続けていた。
ここでは誰も私を責めない。
誰も「使えない」と言わなかった。
誰も「出撃しろ」と命令しなかった。
ただ、黙って私を休ませてくれる。そんな私にとっては「異質」な鎮守府だった。
だが、その優しさが、その安らぎが——少しずつ、凍りついた心を溶かし始めていた。
ある朝、窓辺で瑞鶴のことを考えていると、ノックの音が響いた。
「赤城、入ってもいいか?」
新しい提督の声だった。
「...はい、どうぞ」
ついに愛想をつかされたんだろうか。
何もせず、何も得ず、ただ死なないために生きる自分に。
そんな考えが浮かんできたが、提督の第一声は意外なものだった。
「調子はどうだ?」
「えっ...えっと、その...体の怪我はほとんど治ってよくなりました。ありがとうございます」
私の傷がひどかった部分はまだ、完治とまではいかないがふさがりつつあった。
提督はそれに気づき、小さく微笑んだ。
「...それは良かった」
しばらく沈黙が流れた後、司令官が口を開いた。
「赤城、一つ聞いていいか? 」
「はい」
「この鎮守府のどこかに瑞鶴の墓を作ったと聞いたが、本当か」
その瞬間体が僅かに震え、冷や汗が出た。
「も、申し訳ありません! 人様の鎮守府に勝手に作ってしまって! 処分ならなんでも受けますので...どうかそのお墓だけは壊さないでほしいです...どうか」
提督の前で深々と頭を下げた私の目は涙で潤んでいた。
実は、ここに配属されてからすぐ、提督の目を盗んで簡易の墓を建ててお参りしていた。
私の罪悪感を少しでも晴らすように、いくばくかのこころのよりどころとしていた。
ーだが私は艦娘だ。どんな事情があろうと、上官に内密で鎮守府の土地を荒らしたのだ。
ばれたときはどうなるか、覚悟はできていたはずなのに、私は泣きながら懇願していた。
「す、すまん! 言葉が足りなかった。私もそこに行きたいだけだ。...その...君が時々、鎮守府の裏手に行っていると聞いてな...」
そういって焦った様子の提督は確かに手に花束を持っていた。
(提督が...お墓に...?)
この提督は前の提督とは違う。
違うとわかっている。
だが、心のどこかでは裏切られる恐怖を感じていたのも事実だ。
でも、同じくらい再び提督を信じる勇気をもらう機会を望んでいた。
「もし、嫌じゃなければ...案内してくれないか。俺も、手を合わせたい」
――私はしばらく躊躇った後、小さく頷いた。
鎮守府の裏手の人目につかない、静かな場所。
そこに、簡素な木の板が立てられていた。
「瑞鶴」
ただそれだけが、私の手で刻まれている。
提督は、その前に膝をついた。
そして、静かに手を合わせた。
私も隣に座り、同じように手を合わせる。
風が、二人の間を静かに吹き抜けていった。
「...瑞鶴は、明るい子でした」
ぽつりと呟いた。
本当は何も話すつもりなんてなかった。
でも、私以外に手を合わせ、隣にいてくれる存在がいることで
抱えている気持ちが漏れてしまったように感じた。
「あの子はいつも笑っていて、自信家で...でも、本当は誰よりも仲間思いで...」
決壊したダムのように我慢していた思いがあふれ出る。
だんだんと涙声になっても、その言葉が途切れることはなかった。
「最後も、自分を顧みず私を守ってくれました」
「...そうか」
提督は肯定も否定もせず、ただ聞いていた。
私を見守るように、静かに手を合わせ続けていた。
「私が弱かったから。私がもっと強ければ、瑞鶴は死ななくて済んだのに...」
「赤城」
提督が私の肩に手を置いた。
「...私は、瑞鶴は、君を責めていないと思う」
「...」
「君を守って、仲間を守って——彼女は自分で選んだ。君の生きる未来を。...それなら君はきっとそれにこたえるべきだ」
提督は立ち上がり、簡素な墓をしばらく見つめていた。
「...少し、時間をくれ」
「え?」
「もっと、ちゃんとした墓を作りたい」
それから三日ほどだったある日。
提督は私を再び裏手に案内した。
そこには——立派な石碑が建てられていた。
「瑞鶴之墓」
丁寧に刻まれた文字。周りには花が植えられ、地面はきれいに整えられていた。
「これ...は...本当に...」
息を呑んだ。
何も考えられなかった。
「瑞鶴にも、ちゃんとした場所が必要だと思った」
私の横で提督が手を合わせた。
「...彼女の魂が、安らかに眠れるように。これくらいしかしてやれんがな」
——石碑の前に立ち尽くした。
今までどこかで現実を拒否していた。
ー瑞鶴はまだどこかで生きているんじゃないか。
ーいつか帰ってくるんじゃないか。
そんな、儚い希望にすがっていた。
だが——
この墓が、現実を突きつけた。
瑞鶴はもういない。
二度と帰ってこない。
立派な石碑は「死」の事実を鮮明に映し出す鏡だった。
「あ...ああぁ...」
受け入れられなかったすべてが、残酷で最悪な現実がそこにはあった。
石碑の前に倒れ込み、声を上げて泣いた。
「...ごめんなさいっ...ごめんなさい...」
ずっと押し殺してきた感情。
悲しみも、後悔も、全てが溢れ出した。
「私、弱くて...あなたを見殺しにした...」
「もう一度、会いたかった...! もう一度、話したかった...! もう一度...私を叱ってほしかった...」
——初めて、瑞鶴の死を受け入れた。
初めて、本当の意味で悲しんだ。
提督は、その姿をただ静かに見守っていた。
泣き続ける私の背中に、そっと手を置いて。
「泣いていい、今はそれがお前の責務だ」
——私はただ、泣き続けた。
瑞鶴との思い出を、一つ一つ思い返しながら。
そして——ようやく、前に進む準備ができた気がした。
泣きわめいた夜。
私は久しぶりに食堂で他の艦娘たちと食事をした。
「赤城さん、これ美味しいですよ!」
周りの艦娘が料理を勧めてくる。
「ありがとう...いただきます」
一口食べると――久しぶりに、食事が美味しいと感じた。
前の鎮守府では、食事はただ生き延びるための作業でしかなかった。
でも、今は――
「赤城さん、明日一緒に訓練しませんか? 私、空母との連携訓練、やってみたいんです」
「え...でも、私は...」
「大丈夫です! 私も完璧じゃないですから。一緒に頑張りましょう!」
その明るい笑顔に――小さく微笑んだ。
「...ありがとう。お願いします」
いなくなる恐怖から逃げていた人とのかかわりを、私は取り戻した。
最上級の別れを通じて私は、向き合い、逃げない選択を取った。
ようやく――少しずつ前を向き始めた。
まだ完全に立ち直ったわけではない。
瑞鶴の死は、これからもずっと心に残り続けるだろう。
でも――
もう一人じゃない。
支えてくれる仲間がいる。
導いてくれる提督がいる。
そして、瑞鶴の魂が――どこかから、赤城を見守っている。
「瑞鶴...見ててね」
赤城は心の中で呟いた。
「私、もう一度...ちゃんと生きてみるから」
窓の外で、星が静かに瞬いていた。
過去編終了です。次回以降も赤城編続きます。