曙が回復するまで、一週間かかった。
その間、赤城は毎日治療室に顔を出した。
最初の二日は「うるさい」と追い返された。
三日目からは「まあ、いれば」と言われるようになった。
四日目には——気づいたら二人とも、窓の外を見ながら黙って座っていた。
それが、不思議と居心地よかった。
大鳳の艦隊は、遠征から三日後に帰投した。
出港の朝、大鳳は赤城のもとに来た。
昨日まで包帯を巻いていた体で、でも——その目は、澄んでいた。
「また——戦いましょう。今度は、並んで」
「ええ」
赤城は頷いた。
「私はもう負けません」
大鳳が——今度こそ、はっきりと笑った。
あの模擬戦でも、廊下でも見せなかった顔で。
「楽しみにしています」
それだけ言って、大鳳は艦隊へ戻っていった。
女提督は最後まで軽い口調を崩さなかった
。桟橋を歩きながら、通りすがりに赤城に言った。
「あなたの提督、やっぱり変わってるわ」
それから少し間を置いて。
「——でも、いい変わり方」
赤城が何か言いかけると、女提督はもう歩き出していた。
艦に乗り込む直前、一度だけ振り返った。
「また来るわ。次の模擬戦はもう少し、骨のある勝負を期待してる」
その目が——笑っていた。
赤城は、小さく笑い返した。
曙が退院した朝。
赤城は一人、鎮守府の外に出た。
向かう場所はー決まっていた。
小高い丘の上に、小さな墓標があった。
艦娘の魂を弔う場所。
鎮守府から少し離れた、海が見える丘。
赤城はその前に立った。
風が吹いた。
草が揺れた。
海が、遠くで光っていた。
「瑞鶴」
赤城は、静かに口を開いた。
「来たわ」
返事はない。
でも——赤城は続けた。
「あなたを失ってから、私はずっと間違えていた」
海風が、髪を揺らした。
「勝つことだけを考えていた。提督に認められることだけを考えていた。あなたを失った痛みを——勝利で埋めようとしていた」
空が、青かった。
「でも最近、少しだけわかってきた気がする」
赤城は墓標を見つめた。
「あなたが最後に見せてくれた笑顔——あれは、勝ったからじゃなかった。きっと、仲間と一緒にいられたから、だったんじゃないかって」
涙が、滲んだ。
でも——今日の涙は、あの日とは違った。
絶望ではなかった。
「瑞鶴。私ね」
赤城は、静かに息を吸った。
「もう負けません」
風が、また吹いた。
「いいえ違いますね。真に負けることはありません」
赤城は空を見上げた。
「どんな戦いでも——仲間を見て、仲間を信じて、全員で帰ることを諦めない」
海が、光っていた。
「そしてもし、また誰かが傷ついたとしても——その痛みを、ちゃんと受け取る。逃げない。次に活かす」
それは、あの模擬戦の後とは、違う誓いだった。
完璧を目指す誓いではなく。
痛みと共に、歩き続ける誓いだった。
「その覚悟だけは——絶対に、折れない」
沈黙が流れた。
波の音が、丘まで届いていた。
赤城はゆっくりと目を閉じた。
瑞鶴の笑顔が——浮かんだ。
怒ってはいなかった。
責めてもいなかった。
ただ、笑っていた。
あの日と同じように。
いや——
あの日より、少しだけ。
安心したように、笑っている...気がした。
「......行ってくるわ」
赤城は目を開けた。
丘を下り始めた。
背中に海風が当たった。
前から鎮守府の気配がした。
提督がいる。曙がいる。時雨がいる。金剛がいる...みんながいる。
そして——いつかまた、大鳳も来る。
みんなが——いる。
赤城は、歩き続けた。
足取りは——あの日より、ずっと軽かった。
でも今度は、軽いだけではなかった。
痛みも、後悔も、全部——抱えていた。
それでも、前を向いていた。
それが——赤城の、答えだった。
ー帰りの船にて
「ねえ、大鳳」
女提督が、静かに口を開いた。
「...なんですか」
「あなた、赤城さんを随分気にかけてるみたいね」
大鳳が——わずかに、固まった。
「...別にそんなつもりは」
「それにしては熱心に話していた気がするけど? 模擬戦の時も。今日の戦場でも。そしてさっきも」
女提督が続けた。
「...別に茶化してるわけじゃないわよ。あなたが誰かのためにあそこまで動くのを、私は今まで見たことがない。...それが純粋に不思議に思っただけ」
大鳳は答えなかった。
しばらく沈黙が流れた。
「...私にも、わかりません」
大鳳が、静かに言った。
「なぜかはわからない。でも」
夕焼けに染まった空を見たまま続けた。
「赤城さんを見ていると——昔の自分を見ているような気がして」
「...それって」
「恐怖で日々を走っていた頃の...私です」
大鳳の声は淡々としていた。
「勝利だけを追いかけて、それ以外が見えなくなっていた頃、余裕のない私そのものでした」
女提督が、目を細めた。
「それで?」
「放っておけない...と思っちゃって」
大鳳が少し間を置いた。
「理由はそれだけのはずなのに——それだけじゃない気もして。自分でも、よくわからない」
女提督は何も言わなかった。
ただ——大鳳の横顔を、静かに見ていた。
(そう)
女提督は思った。
(あなたは今、初めて——誰かのために動いているのね)
胸の奥に、小さな痛みが走った。
それが何の痛みなのか——女提督には、わかっていた。
自分が、与えてやれなかったものへの、痛みだった。
女提督は静かに目を逸らして、窓の外の海を見た。
その横顔に、いつもの軽さは——なかった。
あれから、さらに時が経った。
日本一幸せな鎮守府は穏やかだった。
赤城は仲間と並んで歩くようになった。
曙は「うるさい」と言いながらも、隣にいるようになった。
そういう日常が——続いていた。
ただ一人。
龍田だけが——最近、少し様子が違った。
笑顔は変わらない。
口調も変わらない。
でも——ほんの時々。
訓練中に、止まる。
会話の途中で、龍田自身が遠くなる。
そしてすぐ、戻ってくる。
笑顔で。
「なんでもないわよ」と言いながら。
誰も、気づいていなかった。
——時雨一人を、除いて。
次の話も赤城編が少し続きます。