龍田が——膝をついたまま、顔を上げた。
体から——重さが、抜けていた。
(...私だ)
(ちゃんと、私だ)
息を整えた。
手を見た。
震えていなかった。
その瞬間。
「龍田さん——っ!!」
時雨が——飛び込んできた。
抱きついた。
力いっぱい。
龍田は——驚いた。
こんなに力強い時雨を、見たことがなかった。
「時雨ちゃん——」
「よかった」
時雨が言った。
声が、くぐもっていた。
龍田の肩に顔を埋めたまま——続けた。
「よがったです...。戻っ...てきて...よかった」
同じ言葉を、繰り返していた。
龍田は——しばらく、動けなかった。
時雨の温度が、伝わってきた。
頬の血が、龍田の肩に触れていた。
この子は——
ずっと、怖かったんだ。
しばらく泣きじゃくったのち、少し落ち着いたのか震えが収まりつつあった。
「時雨ちゃん」
「...はい」
「その...ごめんなさい」
時雨が——顔を上げた。
目が、赤かった。
頬の傷から——まだ、血が滲んでいた。
龍田は——時雨の頬に、そっと手を当てた。
傷に触れないように。
「...あなたを悲しませてしまったわね」
龍田が静かに言った。
「謝らないでください」
時雨が言った。
「でも——」
「謝らないでください」
時雨が繰り返した。
その目が——真剣だった。
「龍田さん」
「なに」
「もう...一人で抱え込まないでください」
龍田は、答えられなかった。
「手紙に——提督には言わないでって書いてあった」
時雨が続けた。
「巻き込みたくないって」
「...ええ、そうね」
「でも」
時雨が静かに言った。
「少し...寂しかったです」
「時雨ちゃん——」
「危険な目にあったことに後悔はないです。...たとえどうなったとしても龍田さんが一人で消えていく方が——ずっと、嫌だった」
龍田の目が——揺れた。
時雨の言葉が——胸に、落ちてきた。
「あなたが抱えているものを、全部わかるとは言えない」
時雨が続けた。
「でも——隣にいることはできる。それだけは、させてください」
龍田は——時雨を見た。
目が、赤かった。
頬に、血が滲んでいた。
それでも——真っ直ぐ、こちらを見ていた。
「...わかったわ」
龍田が静かに言った。
「約束です。絶対ですよ」
「...ええ」
時雨が——少し、息をついた。
肩の力が、抜けた。
龍田は——時雨の頭に、そっと手を置いた。
「...ありがとう」
龍田が静かに言った。
「来てくれて、嬉しかったわ」
時雨は——答えなかった。
ただ、また——少しだけ、龍田に寄りかかった。
二人とも——しばらく、動かなかった。
波の音だけが、流れていた。
曙が——遠くで舌打ちした。
「ちっ...いつまでやってんの」
赤城が曙の頭を叩いた。
「少し、黙りなさい」
「べ、別に何も——」
「時雨が心配なのはわかりますが、今は少し空気を読んでください。あの子はあんなけがじゃ死にませんよ」
「しっ、してないわよ!!」
金剛が——空を見上げていた。
目が、少し光っていた。
「...いい鎮守府デスね」
誰も、答えなかった。
でも——全員が、空を見た。
水平線が、橙色に染まり始めていた。
ーしばらくすると、分離機から光が現れた。
小さな、幼い光だった。
形があった。
小さな女の子の輪郭が——ぼんやりと、そこに浮かんでいた。
輪郭だけが——かすかに、光っていた。
角が——小さく、見えた。
天龍だった。
天龍が——泣いていた。
幼い光が、波の上で——揺れていた。
「たつた」
天龍が——龍田を呼んだ。
声が、小さかった。
かすれていた。
「...天龍」
「ごめんなさい」
天龍が言った。
「ごめんなさい、たつた」
「謝らなくていい」
「でも——」
天龍の輪郭が震えた。
「しぐれを、きずつけた」
「...そうね」
「——ごめんなさい」
時雨が——天龍を見た。
幼い光が、波の上で揺れていた。
さっきまで——この光が、自分を殺そうとしていた。
ーでも
今は——ただ、泣いている小さな子供だった。
「大丈夫です」
時雨が静かに言った。
「かすり傷です」
「ごめんなさい」
「...大丈夫ですよ、天龍さん」
天龍が——また、泣いた。
声もなく、泣いた。
輪郭が——細かく、震えていた。
「たつた」
「なに」
「たつたが——きえそうだった」
天龍が続けた。
「わかってた。でも——とめられなかった」
「謝らなくていいわ」
龍田が静かに言った。
「あなたも——一生懸命だったんでしょ」
天龍が——龍田を見た。
「...うん」
波が、揺れた。
龍田は——天龍を見た。
幼い光が、今にも消えそうだった。
でも——消えなかった。
揺れながら——消えなかった。
「お母さん、探すんでしょ」
龍田が静かに言った。
「たつた...」
「約束したでしょう。一緒に探すって」
龍田が続けた。
「まだ——終わっていないわ」
天龍が——揺れた。
「...うん」
「だから——消えないで」
「わかった」
光が——少し、大きくなった。
提督が——立ち上がった。
龍田を見た。
「さて、一旦帰還だ。...戻って落ち着いたらでいい。全部——話してくれるか」
龍田は少しの間、黙った。
天龍の光を——見た。
波を——見た。
水平線を——見た。
それから——提督を、見た。
静かに、頷いた。
「...ええ」
夜明けの光が——水平線を、少しずつ染め始めていた。
橙色が——広がっていった。
天龍の輪郭が——龍田の輪郭がその光の中で、かすかに輝いていた。
二人は確かにここにいた。