転移門を潜り抜けた先は、直前までの『傭兵領域』に広がっていた雲1つない青空と、その下の広大な砂漠から一転、厚い雲が広がる空の下には、降り積もった雪が各所に残る、寂れた小さな町。すでに住民はいなくなって久しいようで、建付けが悪くなった扉や、開いたままの窓から見える民家の中には、残された家具に吹き込んだ雪が付着している。
「なんだかナザリックの第五階層みてぇな場所だな。っても全体がこうって感じじゃなさそうだが」
「下の『自然領域』もそうですが、ブルー・プラネットさんが見たら大喜びそうな要素が色々と詰め込まれてますね。しかしこれほど大規模なダンジョンが存在していれば、イベント中に発見や挑戦の報告が挙がってたはずですから、おそらく今回のためにこの状態で完成させてから実装したんでしょう」
ナザリックの第五階層「氷河」では、極寒の空気が吹き荒び、舞い上がる氷雪が侵入者の動きを封じ、遭難させる。そこの階層守護者担当NPCを制作した武人建御雷が指摘する通り、後方に広がる山肌には雪がない森林地帯や、岩肌が露になった場所が多々見える。それを見たぷにっと萌えの推測通り、『タワー』は『暁の君臨者』各員が趣味をつぎ込んだ私物に近く、『古世界からの使者達』も、その実装に当たる正当性を語るための隠れ蓑の意味合いが強い。
「多分階層1つでも、一般的な中規模ダンジョンに換算したら複数分のボリュームでしょうね。ナザリックでも1階層で、こうも環境を小分けして配備はできないし」
グランディス・ブラックが言うように、ナザリック地下大墳墓もダンジョン由来の拠点としては大規模な部類に入るが、それでも――例えば先述した第五階層なら、対照的に「溶岩」の名前通り、紅蓮の輝きを灯す溶岩の川と熱された空気が継続的に炎ダメージを与える、第七階層のような熱気を配置することはもちろん、階層内を支配する冷気の影響を遮断できないように――1つの階層に複雑な環境の変化は用意できず、複数の環境を――それもかつて存在した実際の自然を再現するかのように、境界部分の緩やかな変化まで成しえることができる程の容量を内包する『タワー』の規模は、明らかに「おかしい」と言えよう。
「にしても階層支配者はどこで油売ってんだろ。さっきみたいな演出の準備でもしてるのかな?」
『令嬢』の宣告に反し、待ち構えているはずの階層支配者は姿が見えない。ペロロンチーノが千里眼で探していると、背丈が付近の民家に並ぶか、それを超える異形の軍勢が、ゆったりとした足取りでこちらへと向かってくる姿を目撃し、「ウゲッ」とうめき声をあげて体を引きつかせる。
「なんだ、もう来てたのか。コイツ等を連れて待ち構えるつもりだったが、集めるのに夢中で少し遅れたみたいだな」
腕や目が何対もある者、翼を持ち宙に浮く者、顔は人に似る分体の異形ぶりが目立つ者と、金属を思わせる強固そうな装甲状の皮膚以外、共通点が見当たらない怪物達を引き連れて現れたのは、同様に金属像を思わせる巨大な半人半馬。背中には膜や羽毛のない骨組みだけの翼もあるが、地に足をつけている様子から、見た目通り直接的な飛翔能力はないらしい。
「チッ、いるとは聞いたが、初っ端からゾロゾロNPC連れてきやがったな……」
半人半馬自身の言葉もあって、一言も発さずに付き従ってきた者達が配下のNPCと判断したウルベルトと、武器を構え、表情が反映されるなら同調するように顔をしかめただろうベルリバー達に反し、当の半人半馬は「まぁ落ち着け」と早くも臨戦態勢の『アインズ・ウール・ゴウン』メンバーを宥める。
「コイツ等は戦闘に参加しない観客だ。一応もう1人来る予定だが……っと、やっと来たか」
「グォロラァーーーーッ!!」
半人半馬が1歩下がると、直後その場で地面が盛り上がり、突き破る様にして新手が姿を現す。後方の怪物達に比べれば、宙に浮く彼らは身長こそ大柄ではあるものの、まだ十分人型の範疇に入るだろうが、それでも両肩に巨大なタイヤを装着した騎士のような風貌の者や、単眼の左右に伸びた巨大な角が目立つ者もおり、間違いなく彼等が人間種ではない存在――おそらくは『アインズ・ウール・ゴウン』メンバー達と同じ異形種と理解できる。そしてその中から、最初に現れた剣道着の人物が半人半馬の隣に降り立った。
「遅れてすまんな。ついつい瞑想に夢中となっていたようだ」
「結局始めると伝言に気づかなくなる悪癖はそのままでしたね。ご覧の通りもう来てますよ」
「すまんすまん」と遅れたことを謝り続ける剣道着に、呆れた様な半人半馬が向き直ると、1歩前に出て自己紹介に移る。
「さて、遅れたわけだしあまり悠長にはできんが、自己紹介くらいはしておくか。俺は『イースレイ』。『妖魔領域』の階層支配者で、隣のこっちは間借りしている遊撃支配者の『ストロング・ザ・武道』。一応メインで戦うのは俺の方だな」
「よろしく頼む。と言っても、私としては真正面から1対1で堂々対決するのが望みでな。総出でサッサとイースレイを倒したいってんなら、大人しく成り行きを眺めながら審判でもやってるさ」
わざわざ『令嬢』を付き合わせてまで演技を優先して、満足な名乗りもなかったN-WGIX/vとは逆に、半人半馬のイースレイと剣道着のストロング・ザ・武道は、名乗りと共に簡単なルールの説明を終えると、『アインズ・ウール・ゴウン』メンバーの様子を窺う。
「わざわざどうも。念のため確認しときたいんだが、ストロング・ザ・武道や取り巻き連中は無視しても構わないから、階層支配者のイースレイを倒せばクリアでいいのか?」
真っ先に口を開いたのはウィッシュⅢ。イースレイの話を聞く限り、武道はあくまで立会人に過ぎず、倒すどころか相手をする必要はないとのこと。それに武道自身が「当然」と答える。
「1対1での対決に名乗りがなければ、私としてはこのまま見守るのみさ。わざわざノらなかった相手に、背後から襲い掛かるような真似はしないぞ」
「さっきも言った通り、コイツ等を連れてきた目的は観客用で、戦闘に参加しない。尤も、そっちが望むなら指名した奴は参戦させてもいいぜ?」
血の気が多そうなメンバーが、便乗するようなイースレイの挑発に乗る前に、ベルリバーが「だったら遠慮しようかな」と素直に断ったことでNPCの参戦はなくなったが、支配者の片割れとも称すべき武道に対してはいまだ決まらない。当人達が言うように、NPC共々スルーして参戦させなくてもいいのだろうが、それもそれで胸を張って「勝った」と誇るには、妙に引っかかる半端な感じになってしまう。そうした中で名乗りを挙げたのは、武人建御雷だった。
「確かにアンタが言うように、イースレイを全員で倒しちまうのが賢いやり方で楽なんだろうよ。けどそれじゃああんたも面白くないだろう?だったら俺が相手してやるよ」
「ちょっ、建御雷さん!?」
味方の不利を承知しながら、「無視しても構わん」とあえて突き放したにも関わらず、乗って来るものが現れたことに、「ほぅ?」と感心とも驚愕ともとれる声を出す武道だが、対峙する武人建御雷は、戸惑うモモンガの方を向くと「すまんな」と簡素に詫びる。
「ナザリック攻略の時にも言ったろ?『勝ち方の分からない、相手の手の内を戦闘中に読む戦いをしたかった』ってさ。折角おあつらえ向きに挑戦してきた奴がいるんだ。ここは誰かしら相手してやるのが礼儀ってモンだろ?っつーことで『五大明王コンボ』はイースレイにも効果がありそうだが、今回は抜きで頑張ってくれや」
「いや、それはそうですけども……」
「諦めなよモモンガさん、あぁなった建やんは誰にも止められないんだからさ」
さすがに相談もなしに即決した武人建御雷の独断に、メンバーでも慎重な方に入るベルリバーは勿論、モモンガを始めとした他の面々も不満気な様子を見せるが、一際親しい弐式炎雷が言うように、1度スイッチが入ると止まらなくなるのも周知の事実だし、同様の気質をしたメンバーも少なくはないため、早々に「こうなったら仕方ない」と匙を投げる。
「ハァ、分かりましたよ。ただ『傭兵領域』からやり直しになったら拾いに行くの大変になりそうですから、調子に乗ってやられないでくださいね?」
「そこは問題ないぞ。ここで明かすのもなんだが、領域移動の際は移動先ごとに復活されるように設定してある。意図的に戻らない限り前の領域には戻されないから、安心してくれ」
気を遣ってくれたのか、竹刀を振るい、『地形操作』で寒空の下には場違いなリングを地面から生やす武道が入れたフォローに、モモンガは「それならまだ何とかなるか…」と安堵すると、とりあえず妙な空気を切り替えるために軽く咳をし、さっそく魔王モードに切り替え、改めてイースレイと武道に対峙する。
「では始めようか御両人。好意を侮辱するわけではないが、『アインズ・ウール・ゴウン』を見くびるなよ?」
「上等、こちとら原作があるんだ。それに恥じるような真似ができるかってな」
そのまま一斉に駆け寄る『アインズ・ウール・ゴウン』メンバーと戦闘を開始するイースレイとは逆に、リングの上で武人建御雷を待つ武道は、手にした竹刀を掲げルールを説明する。
「コイツを上空に放り投げ、地面に落ちた時が試合開始のゴングだ。了承をもらった後で悪いが、生憎と私はこうした得物を振るうよりも、直接肉体をぶつけ合わせる方が性に合っててな。あわせろとは言わんが、そこは承知しといてくれよ?それと決着は、階層支配者たるイースレイの戦果を優先させてもらう。彼が倒れるまで試合が続いていれば、そっちの判定勝ちってことになる」
「ハンッ!それくらいは気にしねぇさ。むしろいいのか?そんなハンデをわざわざ背負ってよ」
「間借りしてる身としては、階層支配者の戦果に従うべきは当然だろう。たとえそのせいで不完全燃焼だったとしても、こうして挑んでもらえただけで満足さ」
事前にそう取り決めてあったといえ、条件としては大分不利だが、武道はノッソリとロープを持ち上げ、リングにあがってきた武人建御雷の挑発にも動じず、むしろ挑戦者がいたことを歓喜する様に答えながら竹刀を放り投げ、試合開始を待つ。
「トァーーーーッ!!」
「でりゃぁーーーーッ!!」
そして雪原に見事先端が刺さり、小さな音が鳴ると同時に、両者は雄たけびを上げながら互いに相手へと駆け出す。
「なかなか器用に立ち回るな。まさか一切魔法攻撃がないのに、こうも多人数と渡り合えるとは……」
タブラ・スマラグディナがボソリと漏らすように、イースレイは20人近くを相手に――それも本来なら数々の不都合が生じるだろう、実際の肉体との体格差をものともせずに立ち回り、器用に両手を相手や場面に合わせて槍や剣、盾などに切り替え、その合間に骨格だけの翼から矢を発射して、牽制までこなしてみせる。おまけに魔法攻撃がない代わりに、魔法攻撃への完全耐性スキルまで有しているようで、ウルベルトの攻撃さえ満足にダメージが通らなかった。おかげでぶくぶく茶釜はちょくちょく射撃や突進の吹き飛ばし効果で動きを乱され、遠距離から攻撃するペロロンチーノ達も盾で攻撃を防がれたり、牽制の射撃で妨害されたりと、決定打を決められずにいた。当然足元付近で直接対峙する近接メンバーも、見た目通りに強固な外皮と、鈍重そうな見た目に反した機動力、接近すればカウンターとばかりに繰り出される、踏みつけや後ろ蹴りのせいで攻めあぐねてはいるものの、何とか手数に任せて、少しずつHPを削りつつある。
「幸い召喚魔法で呼び出したモンスターの攻撃や、防壁系魔法での防御は問題ないみたいですね。ってもあまり通じてる印象はありませんが……」
打つ手なしと早々に匙を投げ、観戦に回っていた彼女に返すモモンガも、魔法耐性に気付いてからは、『骸骨壁』での防御や、『死者召喚』で召喚したモンスター――巨体に見合った巨大盾と波状剣を手にした、1度だけだがどんな攻撃を受けてもHP1で耐えきる能力を持つ防御役型のアンデッド、『死の戦士』を指揮しての援護に徹し、巻き込まれないように距離を取っている。N-WGIX/vもそうだが、どうも彼等は魔法を使うつもりはあまりないらしい。そうして様子を眺めているうちに、イースレイが紅白鰐合戦目掛けて右腕の槍から放った突きを死の戦士が庇い、勢いのまま突き飛ばされながら消滅する。
「ウゲ、またやられちゃった。これで3体目か……」
「大丈夫かモモンガさん?回復薬じゃ回復できないんだから、少しは任せて休んでてもいいぞ」
攻撃が通じないため、対象選択の錯乱や、メンバーの補助しかできないが、同様に『精霊召喚』で呼び出した精霊モンスターをけしかけていたウィッシュⅢが、モモンガを心配する。死の支配者を始めとするアンデッド系の異形種は、回復薬が本来の回復効果を成さず、むしろダメージを受けてしまう。そのため回復に難があり、あまり無茶が過ぎるとガス欠を起こしてしまう。いくらノーリスクで復活できるとはいえ、あまりそう何度もお世話になりたくはなるまい。故に休息を挟むようアドバイスを入れるが、モモンガもそれを理解しつつ、手を止めることを良しとはできなかった。
「心配感謝します。でも、ここまできて手を抜いて誰か1人でもやられちゃったら、自分が許せなくなりそうですから」
「相変わらずモモンガ君は自己優先度が低いねえ。だからこそたっち・みー君がリーダーに推薦して、こうして我々も最後まで着いてきてるのかもしれないけどね」
「はははっ、まあご存知の通り現実の私はしがない平社員ですし、こうして最後までしがみつくくらいには依存してますから、居心地のよかった『アインズ・ウール・ゴウン』が壊れないように一生懸命だっただけですよ」
死獣天朱雀の称賛にも苦笑と共に謙遜するが、モモンガは社会的立場や学歴への劣等感故か自己評価こそ低いが、決して自ら言う程無能ではなく、むしろ人間関係の立ち回りは長年積んだ営業の経験が功を成し、曲者揃いな『アインズ・ウール・ゴウン』を――長きにわたって形だけとなっていたが――こうして『ユグドラシル』最後の時まで存続させる程の義理堅さは、多くの場面でプラスに働いている。
「しかしそうなると、階層支配者だけじゃなくて建御雷さんの戦況も気になってくるね。尤も先程ウィッシュさんが懸念したように、どちらかの勝負が終わる前に我々がガス欠を起こす可能性もあるが」
「気持ちはわからなくもないし、邪魔をするのもどうかとは思いましたが、やはり『自然領域』に続いて『五大明王コンボ』は欲しかったですね。耐久型なメコンさんはともかく、あのスピード狂な弐式さんまで追いつけないとか、巨体に反してどんな能力振りしてんだって思わずにはいられませんよ」
ぷにっと萌えが口を挟むように、イースレイは巨体に反しほぼ足を止めることなく機敏に動き回り、対象と同時に行動を瞬時に選択しては、その成否を問わず即座に移動するヒットアンドアウェイを繰り返してくる。そのせいで狙われた時にタイミングよくカウンターを決める獣王メコン川や、糸で動きを阻害するシャドウ・ウィドゥのような重量型メンバーに対し、手数重視のベルリバーやたっち・みーはおろか、スピード特化型の弐式炎雷やブルー・インパルスでさえ大きく置いて行かれ、前者の足止めがないと、満足に攻撃するチャンスを得られずにいた。
一方一騎打ちに乗った武人建御雷は、器用に両脇を伸ばした右腕だけで固定したストロング・ザ・武道の右肩に頭を抱え込まれ、逆立ち状態で持ち上げられていた。武道はそのまま大きくジャンプすると、地面に轟音とともに降り立ち、衝撃で大ダメージを与えた。
「ぐぅ……油断したつもりはねぇが、生身でえっれえ大ダメージ出すじゃねぇか」
「グロロロロ、さすがに『ワンハンド・ブレーンバスター』では決まり切らぬか。レパートリーはたんまりあるんでな。精々倒れる前に少しでも出させてくれよ?『ハリケーンミキサー』!」
解放した武人建御雷が起き上がったところに、武道は続けて――本来の使用者と違って角がないためただの突進ではあるものの、能力値のおかげで威力だけなら負けず劣らずのそれをロープの反動に乗せて放つが、待ち構えていた武人建御雷に肩を掴まれ足止めされる。
「生憎プロレスはサッパリだが、こっちだってパワーは負けちゃいないんだ。そうやすやす押し切れると思うなよ?」
「望むところ。勝負はまだまだこれからだ!」
少なくともこの勝敗の行方は、まだ分かりそうにあるまい。