どうやらここはゴブリンスレイヤーの世界らしいぞ、とボクが確信したのは生まれてからおよそ十と半分の時が過ぎた忙しい秋のある日だった。
およそというのはボクが地母神の神殿に捨てられた孤児なので、正確な年齢が分からないから。忙しいのはこの広い礼拝堂が、怪物退治から帰ってきた冒険者のための即席治療所になったから。そしてここが何の世界か確信できたのは、二人の男を目前にしているからだ。
「おうい、こいつも頼むぜ!」
ボクと横に立っている幼馴染──便宜上の誕生日が同じだ──に声を掛けたのは長槍を担いだ軽装の冒険者。今はまだ白磁等級。ボクは彼を知っていた。とはいえ彼だけ見たらここはアイルランドだという線も無くはない。
決定的なのはもう一人、槍使いの男が肩を貸している薄汚い革鎧の冒険者の方だ。左手には傷だらけの小さな丸盾、顔は鉄兜で隠れて、腹部には刺し傷もある見窄らしい男。同じく彼も白磁等級。
その男をボクはよく知っていた。
「
「この変なの、俺より早く名が売れてやがる」
「いや、槍使いさんの話も聞きましたよ。なんでも鉱山に現れた
「
「いや、話してる場合じゃないですよね!」
幼馴染の
「おう、というわけで忙しいとこ悪いが、街の入口でぐったりしてたこのゴブリンスレイ野郎を見てやってくれや」
そう言って槍使いさんはボクを見上げた。
「ええ、ここから先は私が運びましょう」
ボクは片足を曲げて、肩の高さを槍使いさんに合わせる。ずしりとゴブリンスレイヤーさんと装備の重量が移ってくる。街の入口はそう遠くないが、あまり良く思っていない彼を一人で運んでくるのだから、やはり槍使いさんは優しい人だ。
「じゃあ後は任せたぜ、お二人さん!」
「あ、は、はいっ!」
「貴方がした事は必ず伝えておきます」
「やめろやめろ気持ち悪い」
恐ろしくばつの悪そうな顔を向けたあと、彼は手をひらひらと振って去っていった。とはいえボクはもちろん教えるつもりである。良いことは吹聴されるべきだし、ゴブリンスレイヤーさんにはもっと人間のあたたかみとかに触れてもらいたいから。特にこの頃の彼はヤバかったはずだし。
「それじゃあ運ぼっか」
「うん、あっちの方に空いてる毛布があるよ!」
「案内よろしくね」
背の高さと頭に八つも眼球があるボクは空きスペースをすぐ見つけられるが、可愛らしい金髪を揺らしながら小走りする少女の背中についていく。まさか彼女が後の女神官さんであるとは思いもよらなかった。
五年前、つまり勇者が現れぬまま
自分が転生者だということを思い出し始めたのが七歳ぐらいだったか。その頃のボクは同年代の
しかし前世のことを思い出したのと関係があるかは分からないが、ボクの身体が急速に成長し始めて、今では槍使いさんすら越える
「冒険者さん、ここに寝かせよっか」
「オッケー姉さん、頭支えてね。兜で重いから気をつけて。角の断面で手ぇ怪我しないようにね」
床に敷かれた毛布の上に傷付いたゴブリンスレイヤーさんを横たえる。わわっ、なんて可愛らしい声を上げながらおっかなびっくりという手つきの少女に手を貸してもらう。
くりくりした青い瞳を懸命に動かして、傷の程度を確かめる彼女の顔と、一仕事終えてきたぼろぼろのゴブリンスレイヤーさんの姿を、ボクの八つの目が捉える。傷付いたひとを癒すひと、傷付けるものを殺すひと、ひとを助けるひとたち。
「この人はあまり重い状態じゃあないかな。とりあえず装備を外して汚れや血を拭っておくよ」
「それじゃあわたしは・・・」
「誰か手の空いてる子がいたら包帯、綺麗にしてきて!」
「行ってくるね!」
「転ばないよう気をつけてね」
年上の神官さんの命を受けて、姉さんがぱたぱたと走っていく。体格差がえらいことになっても精神年齢差が大きく開いても、ボクは彼女を尊敬している。そしてなによりお姉さんぶってる姿がとても愛おしいので、ボクは彼女を姉として扱う。
気を取り直してボクも目の前のやるべきことをする。身体が少しでも楽になるよう、ベルトや
このようにアホなことを考えながら──ボクはミーハーなのだ──も手は動かしていたボクの目の前で、奇跡が起こった。
──いと慈悲深き地母神よ、どうかこの者の傷に、御手をお触れください──
生まれてからずっと聞いてきた、生まれる前から知っている鈴の鳴るような、それでいて芯のある声が聞こえた気がした。
「《
暖かな、優しい光がゴブリンスレイヤーさんの身を包んでいた。彼女が始めて起こした奇跡が、再び彼の命を救った奇跡を、ボクは目の当たりにする。姉さんの祈りと地母神の慈悲が形を成したのだ。
ほんの少し嫉妬する。拾われてから五年間、深く祈りと感謝を捧げてきたボクはまだ奇跡を授かっていない。ほんとの信仰が地母神さまに向かってないんだから当然のことだけど。
負けてはいられないな。そう決意を新たにしたボクの手元から小さな声が聞こえた。薄暗い庇の奥の赤い目と、ボクの八つの視線がかち当たる。
「・・・ゴブリンか?」
「いや違いますけど」
「そうか・・・」
「たしかに肌は緑色ですがね」
よく見たら彼の手が腰の武器の辺りにあった。ゴブリンだったら死んでたぜ。
「ここは貴方が暮らす辺境の街の神殿です」
「そうか」
「貴方は冒険から帰る道中で倒れて、他の冒険者さんに運び込まれました」
「・・・冒険者」
「長い槍を持った顔の良い白磁等級の方です。分かりますか?」
彼は僅かの間考えて、心当たりはあると自信なさそうに答えた。
「俺は、冒険者に助けられたのか」
「はい。後できちんとお礼を言ってくださいね」
「・・・そうだな。そうすべきなのだろう」
「貴方の傷を《
「そうしよう」
そう応えて無造作に立ち上がろうとする薄汚い男をボクは押し留める。ぼろぼろの体で動き回られると周りが堪えるのだ。
「姉さんやもっと上の姉さんを呼んでくるから、そこで休んでいてもらいます」
彼はそれでも動こうとするが、腰と左手が床から離れないことに気付く。絹のように白い謎の粘着物がその身を束縛していた。
「・・・これは、蜘蛛の糸か?」
「
彼には諦める気が無さそうだったが、ボクはさっさと洗濯場へ向かう。侍祭は使用済み包帯の詰まった洗濯桶に手を突いていた。その息は全力疾走した直後のように荒く、額からはだらだらと汗が垂れ落ちる。天上の神と接続して奇跡を起こした代償だ。
「手伝いに来たよ。疲れてるみたいだし代わるね」
「うん・・・ありが、とう・・・」
長い脚を折り曲げて屈み込み、彼女を寄りかからせて血まみれの包帯を洗う。水を交換して擦り、また水を交換して擦る。
「どうしてそんなに疲れてるんだい?分からないなんて言ったら
「からだがどこかで、ふわって浮いて・・・だれかに抱きしめてもらったような・・・」
「いと慈悲深き地母神よ、どうかこの者の傷に、御手をお触れください。こんな声は聞こえなかったかい?」
「たぶん、わたしが、言った」
息も絶え絶えという様子ながら、どこか嬉しそうに彼女は答える。自分の身に何が起きたのかは分かってなくても、どこかで喜ばしいものだと感じているのだろう。別に羨ましくないし?ボクも神さまと会ったことあるし?なんなら
「上の姉さん兄さんが使ってるのをよく見るから分かるけどさ。それって地母神様の奇跡だよ」
「きせき、わたしが?」
「さっきの冒険者さんに暖かい光が射したんだ。小さな傷も無くなって、もう目を覚ましたんだよ」
「わたしが・・・あの人を癒したの?」
青い眼を大きく見開いて、か細い声で反芻する。そうなんだよ。姉さんが奇跡を授かったんだ。凄いことだ。祈りで人を癒すとか、ボクの前世じゃジーザスとかがやる事だ。奇跡って凄いんだよ。ボクも無からパンを出したり水をワインに変えたりしたい。
「姉さんにお礼したいって言わせたからさ。包帯洗ったら一緒に行こ」
「言わせたってもう。失礼なことしてないよね?」
「そりゃもう言葉遣いとか完璧よ。第一印象には特に気を遣ってるしね!」
息も整ってきたようなので二人で洗濯を開始する。水を交換して擦る。水を交換して擦る。
数えるのが面倒なぐらい繰り返して、これなら替えの包帯にして大丈夫だろう、と二人が納得できるぐらい真っ白にした。新品同様!もしも《
「じゃあ行こうか。疲れてるだろうし座ってて」
「わわっ、もう。急に動かしちゃダメだよ?」
姉さんの体(すごく軽い!)を右肩に乗せ、洗濯籠を小脇に抱えて移動する。まずは包帯を
「というわけで、こちらが《
「姉・・・?」
引っ掻き傷だらけの鉄兜が、ボクたちを不思議そうに見比べる。
「こう見えて自分、十歳でして」
「そうか」
脚を折り曲げて屈み込み、肩からゆっくり姉さんを降ろす。少し怖いのか、ゴブリンスレイヤーさんとの間にボクを挟む。大した握力のないちっちゃな手が、
表情の分からない鉄兜が、しかししっかりと姉さんを見つめる。脚がぎゅっと掴まれた。振動感知器官でもある四肢は敏感なので、ちょっとくすぐったい。
「お前が俺を癒したそうだな」
「はい、その、たぶん?」
ゴブリンスレイヤーさんは口下手だった。姉さんが半歩ほど後ずさりするのを広い視野で確認する。
「貴方は何の依頼をこなしてきたのですか?」
「ゴブリンを殺してきた。農村の依頼だ」
「そうなんですか?」
「つまり村を救った
「そうなのか」
「そう、なんでしょうか?」
どっちも凄いことやったんだから、自信を持ってほしい。未だ何も成し遂げていないボクとしては、肩身が狭くてしょうがないのだ。
「冒険者さんはこの神殿を知っていましたか?」
「いや、知らん」
「このように傷を癒したり、何かと助けになるでしょう。自分の周りに何があるのか、もう少ししっかりと把握することを勧めます。他にも貴方の役に立つものが見つけられるでしょう」
「そうか」
一見無関心に見えて、その実、素直な返答。言葉が足りなすぎる。少し呆気にとられている姉さんを前に出す。
「冒険者を、貴方を助けてくれる人はいます。少なくとも地母神の神殿はか弱い孤児にだって開かれています。ぜひ頼ってください。そして世話になったらお礼を言ってくださいね」
今も周りには沢山の冒険者たちが横たわり、真剣な顔の神官たちが彼らを癒している。いけないいけない、長話をしてる暇はなかった。ボクはアホか。ついつい知ってる人が居たから嬉しくなって、調子に乗っていた。情けないことこの上ないぜ。
「じゃ、ボクは忙しいので後は若い二人でよろしく!姉さんはゆっくり休んでね!」
「えっちょっと!」
ボクはすっくと立ち上がり、走ると危ないのでこの長い脚(胴体の横側から生えている)を動かして早歩きで立ち去る。いきなり置き去りにした姉さんのお叱りは後で聞こう。自分でも忘れていたがボクは忙しいのだ。
国や冒険者がゴブリンばかり相手にしてられないのと同様、ボクもゴブリンスレイヤーさんだけに構ってちゃあいけないのだ。あそこにいるのは重戦士さんじゃーんとか思ってちゃあ強いヒーローになれないぜ。知ってる人も知らない人も、みんな頑張ったしこれからも頑張っていくのだから。ボクが冒険者を目指す以上、全員が尊敬すべき先輩だ。
「ありがとう」
八つ目でも捉えられない真後ろから、穏やかで低い声が聞こえた。その言葉は姉さんだけじゃなく、ボクに対しても向けられているんじゃあないか。そんなことを思うのは自惚れだろうか?いやいやこの危険な世界で生きていく以上、慎重に考えるに越したことはない。調子に乗らず迂闊な期待を持たず、目の前のことをしよう。奥ゆかしさ重点だ。
しかし頭、心臓、手先と体のそこら中が熱くなっているのを感じる。ゴブスレさんばかり特別扱いしちゃダメなんだってば。ちゃちゃっと切り替えたまえボク。
「先輩、何かボクに手伝えることある?」
女神官さん プリーステス
今はまだ侍祭で十歳で神殿暮らし。例の青い紐を見ると、自分には親の形見とか無いんだよねって寂しがる。
一党の中じゃ最年少で新米で小さいけれど、面倒見のいいお姉ちゃんでもあるというのも彼女の魅力だよね。
かわいい。
小鬼殺し ゴブリンスレイヤーさん
今はまだ十五歳で、村が滅びた五年前に彼の心は止まっている。つまりはショタだ。Q.E.D.
とてもかわいい。
ネイムレスさん、ぽん吉さん、誤字報告ありがとうございます。