君の恋を叶えられたなら 作:舞花恋
僕は虹が嫌いだ。
人々にとって憂鬱な雨の終わりを示す虹。それはきっと、多くの人が惹かれる素敵な現象であることだろう。
もちろん僕だってそれが素敵なものであることくらいはわかっている。
それでも僕は、雨の
空に綺麗な虹の橋が架かっているということは、何処かで雨が晴れたということ。雨が終わったということだ。それは僕にとって、とても悲しいことなんだ。
これを聞いた人にとって、そんなことを言っている僕はきっと雨が好きな人だと思われるのだろう。
けれど僕は、雨も嫌いだ。
抜けるような青さに澄み切った空が、もくもくとドス黒い雨雲に支配されていく。そうして雨雲に染まった空から、大量の雨が降り注ぐ。
その光景を見ると、晴れやかだった気分を一瞬で憂鬱にさせる。そんな憂鬱な気分にさせられる雨が好きであるはずがない。
雨というものは、晴天の
晴れやかな気分にさせてくれる晴天の終わりというのは、とても悲しいものだ。だから僕は雨が嫌いだ。
物事には必ず終わりというものが存在する。なにかが始まるということは、なにかが終わるということ。なにかを始めるためには、なにかを終わらせなくてはいけない。
そんなの僕は嫌だ。始めるために終わらせるなんて。始めるということがそんなに悲しいことならば、もう僕はなにも始めたくない。
そうだ。終わりが嫌いならば、始めなければいい。始まりがなければ終わりもない。だから、僕は。
僕はこの恋を始めない。
そうすればきっともう悲しまなくていいのだろう。終わりを知ることなく、いつまでもこの状況に甘えていよう。
彼女の恋を叶えることなく。
****
僕の彼女はアイドルだ。
幼い頃から子役として活躍している若手女優で、今は同じ芸能事務所の女の子たちと共にPastel*Palettesというガールズバンドを組んでいる。
アイドルであり女優である彼女のことを恋人にしたいと、男なら一度は妄想することだろう。実際、僕も妄想したことがないわけではない。だって彼女は本当に可愛くて、綺麗で……僕の理想的な女性だから。
そんなことを考えてると、頭の中に彼女の顔が浮かび上がってきた。そんな雑念を慌てて振り払おうとするも、彼女の顔が頭から離れない。その表情を想うと、自然と笑みがこぼれてしまう。
「──くん──悠介くん」
「うぇ!?」
隣の席の女の子に小声で名前を呼ばれ、思わず立ち上がってしまった。静かな教室で、突然変な声を上げて立ち上がった僕にクラス全員の視線が集まる。
「……おい上塚。随分と幸せそうな顔してたなぁ、お前。なんだ、好きな人のことでも考えてたのか?」
「えっ!?いや、その……」
授業をしていた数学の先生が突然立ち上がった僕に向かってからかうようにそう言った。からかわれた僕の反応を見て、クラスのみんながクスクスと笑っている。なんだか少し恥ずかしい。
チラリと、
「ったく、授業くらいちゃんと聞いてくれよ?先生悲しいからさ……」
「は、はい、すみません……」
そう言いながら、先生は悲しそうな表情を作った。またクラスが笑いに包まれる。それを見ても僕は笑うことなく大人しく席に座った。
「ご、ごめんね、悠介くん。突然名前を呼んじゃって……」
先生が黒板に向き直った瞬間に隣の少女、松原花音がまた小さく僕に声をかける。
「いや、大丈夫。それよりどうしたの?」
「うん、その……ここがわからなくて」
そう言って松原さんは僕に自分の教科書を開いて見せた。
なんだ、突然名前を呼ばれてものだからびっくりしたけど、それくらいのことだったのか。彼女のことを考えていたことがバレていたわけではなくて、少しホッとした。
「えっと、ここは……」
松原さんがわからないと言ったところはたまたま僕が理解していたから、淡々と彼女に説明していく。他人に教えるのは苦手なのだが、上手く伝わるだろうか?
「──っていうことだけど……わかる?」
「そうなんだ……うん、わかった。ありがとう悠介くん」
そう言って彼女は僕に可愛らしい笑顔を見せて自らの机に向き直る。
正直上手く言えなかった気がするけど、理解してくれたのなら良かった。軽く安心して、僕も自分の机に向き直る。
「……?」
なんとなく。少しだけ強い視線を感じた気がした。軽く周りを見渡しても、誰も僕の方を見ていない。やっぱり勘違いだろうか?
それでもどこからか、変わらず強い視線を感じたままだった。もやもやとした気分だけど、僕は再び机に向き直って教科書を開いた。
それから程なくして、授業の
これで今日の授業は全て
妙な気分に浸っていると、いつのまにか教室に来ていた担任がホームルームを淡々と始めていた。そしてそれもすぐに終わり、僕たちはようやく放課後を迎える。クラスのざわめきがより大きくなる。
「はぁ……」
僕はいつもこの時間が苦手だ。
学校の終わり。それは本来嬉しいはずなのに、僕は何故だか喜べない。クラスメイトたちはぞろぞろと教室を出ていくのに、僕はずっと席に座って外を眺めているだけだった。
「悠介」
そんな感傷に浸る僕の名前を誰かが呼ぶ。僕のよく知る彼女が。
「……白鷺さん」
「また感傷に浸って、どうしたの」
白鷺千聖。彼女は優しい声でそう言った。
「いや、なんでもないよ」
「そう……じゃあ、帰りましょう?」
「うん、そうだね」
そう返事してから、席を立ってカバンを背負う。
それは少ない会話なのに僕たちにとっては深い会話。僕の終わり嫌いを、彼女は知っている。それだけで僕たちの仲は特別なものだ。
****
学校を後にして、僕たちはゆっくりと帰路につく。
横を見れば、綺麗で可愛い白鷺千聖がいる。けれども僕たちの間に会話はない。
彼女は、白鷺千聖は僕の彼女だ。誰もが憧れるような存在である白鷺千聖が僕の彼女だ。この世でたった一人、僕だけの。
「ねえ、悠介。今日の授業中、花音とどんな話をしていたの?」
「え?」
静かだったこの空間に突然彼女の疑問が降りてくる。松原さんとどんな話って……。
「別に、普通に授業の話だけど?」
「……そう。なら、いいのだけど」
僕の言葉を聞いた白鷺さんは、安心しながらも少し不機嫌な感じだった。
「……白鷺さん?」
突然、彼女が足を止めた。一体どうしたんだろうか?
「悠介。私たち、付き合ってるわよね?」
「う、うん」
「私は貴方のことを下の名前で呼んでいるのに、どうして悠介は私のことを千聖って呼んでくれないのかしら?」
明らかに不服そうに彼女は言った。どうして僕が、彼女のことを下の名前で呼ばないのかと。
──そういえば、どうしてだっけ?
「一応、ちゃんとわかってはいるわよ? 私が女優ってこともあるし、それでスキャンダルになっちゃったら大変だからって悠介は言ってくれたから……」
ああ、そうだ。確か、そんな設定だったな。
芸能人である彼女に、彼氏なんていると知られれば大変だ。当然それは気をつけなければならない。
「でも流石に、名前呼びくらいはいいんじゃないかしら?」
不満げに彼女は言う。本来存在する彼女ならば、そんな甘いことは言わないだろうに。
「……突然どうしたの?普段はそんなこと言わないのに」
「それは、その……悠介が花音と楽しそうに話していたから……」
僕の疑問に、白鷺さんは頬を赤らめて答える。その様子がとても可愛らしかった。
「……ダメだよ。僕と君は、
「悠介、それは……!」
そんな僕の無慈悲な言葉に、彼女は少しだけ怒りを見せる。当然だろう。彼女はその言葉を嫌っているから。
付き合っているけど、恋人じゃない。それが僕たちの関係だ。だって僕は君のことが好きじゃないから。恋をしていないのに、恋人なんておかしいだろう?
僕は恋が嫌いだ。
これもまた終わりが伴うからだ。
今までの二人の関係性、周りの環境、友人関係。恋をすると、それら全てが一度終わってしまう。僕はそれが嫌いだ。
「……帰ろう。白鷺さん」
「悠介……」
彼女はそんな僕の言葉に強くは怒らない。
彼女は僕を知っている。それがわかっている上で、彼女は僕と付き合ってるなんて言っているのだ。それは僕にとって一方的な気持ちなのかもしれないけれど。
「悠介」
再び歩き始めた瞬間、白鷺さんがまた口を開いた。
まだ何かあるのだろうか。聞こえないようにため息を吐きながら、もう一度彼女の方に向き直る。
「どうしたの?」
「せめて……せめて二人の時は、千聖って呼んで?」
悲しそうな瞳でそう言われる。僕はそんな彼女を見て、どんな反応をすればいいのだろうか?大人しく、名前を呼べばいいのだろうか?
確かに、
「僕には、君の恋を叶えることは出来ない」
彼女の……
わかっている。この選択は間違いだと。これでは、この物語は始まらない。
けれど、それでいいのだ。どうせこの物語はつまらない。
終わりという名の始まりを嫌う僕が、彼女との恋を始める。そして僕は彼女のことを好きになって、二人は結ばれハッピーエンド。
これがこの物語の展開だ。そんな誰でも考えつくような、クソみたいにつまらない物語だ。
そんな需要のない物語、始める必要なんてあるのだろうか?
僕にはそれがわからない。それでは結局この物語も、玉にはなれずにただの石で終わる。
だから、僕は。上塚悠介という夢を託された人間は。
この物語を
僕と彼女の恋物語はここで停滞する。
全ては作者の思うがまま。