「その身なり、それがしの一撃を完全に防御し切った腕前……さぞや名のある戦士とお見受けするでござる」
熱があった。
胸の奥底に。
心の奥底に。
魂の奥底に。
例えようも無いほど熱く滾る、膨大な熱量があった。
その猛りと比べれば、状況の変化も自身の変化も全てはどうでも良い事だった。
「その腕前に免じ、今逃げるならば後は追わないでござるが、どうするでござるか? 侵入者よ」
突如としてトブの大森林に現れたのは、恐ろしく美しい人間の少女──に似た外見を持つ化け物だった。
腰下まで伸ばした豊かな髪は猛火の如き赤。竜にも似た瞳も同じ。十二、三歳ほどの少女としてなら不自然でない程度の低い身長で、その身を包む戦闘用と思しき衣服とマントも赤なら、肩に担いだクレイモアも赤だ。剣身の中心は色が薄く、刃に向かって赤が濃くなっていて、柄頭と鍔に紅の玉石が光る。
幼い顔付きはされど、見る者全てが平伏したくなるような美を湛えている。勾玉みたいな形の眉毛が特徴的で、あどけなく笑うのならばただ単に可愛らしく、その笑顔の為に老若男女が身を捧げるだろう、幼くして既に絶世の美貌──しかし、その身が単なる容姿に恵まれた人間ではない証に両側頭部で渦巻き、先端が天を指す巨大な紅角。背中から広がるのは紅蓮の竜翼。
明らかな異形、人とは異なる種族。彼女の様な容姿をした彼は、ユグドラシルやSW2.0においてドレイク──【竜魔人】と呼ばれる種族であった。
この熱はなんだ。体内の紅蓮を形容する言葉を、少年は知っていた。今の自分はおかしい、何かが変だ、と心の奥底で矮小で弱弱しい何かが叫んだ。どうでも良い、と感情が湧く。
弱い者などどうでも良い。弱い者には価値が無い。意味が無い。意義が無い。斬っても何の誉れにもならないし、精々群れて怯えるだけが性分の者共など、勝手に滅びたり栄えたりすれば良い。
精々百年の短命の弱者の声に何の意味があろう。都合が良ければ囲い、悪ければ消すだけだ。
「黙して語らぬ、と……それもまた、武人の姿でござるな。よかろう、それがしも言葉ではなく力で応えようぞ」
熱に任せれば良いのだと知っている。それが正しい姿だと知っている。焔こそ我そのもの。
猛き神々は我らをその様に創り給うた。
戦えと。闘えと。戦って戦って戦って、死んで生まれて戦って──勝利せよと。
解放の剣イグニスが全ての存在に生命を吹き込んだ。生けるもの全てにその熱を吹き込んだ。それは生であり心であり喰らい喰らわれる、生命の本質だ。
神と比肩し得るまでに昇り切ったその少年の奥底に、他の何億倍も何兆倍も強く大きく猛々しく、その紅蓮は渦巻いていた。
生きる為の熱量──
「さあ、命の奪い合いをするでござ」
──戦いだ!
それは思考以前の本能で、今の少年の全てだった。人間だった弱き過去の自分を焼き殺し、覇道を謳わんと魔剣を取る。
常時発動のスキル【バトル・ロード】が三つのスキルを束ねる。【薙ぎ払いⅤ】【全力攻撃Ⅴ】【魔力撃Ⅴ】を。
三百パーセント増しの威力と、十倍に伸長した間合いと、渾身の魔力を威力に上乗せしてその斬撃は放たれ──樹海を切り裂いた。
前方二十メートル以上に渡って大木も岩も地面も扇状に切り裂かれ、音速を遥かに超えた剣速が颶風を巻き起こし、衝撃力と合わさって水平の地津波を引き起こした。直接の斬撃範囲を遥かに超えた破壊の津波が森を蹂躙する。
少年が残心から身を正した時、眼前に広がっているのは荒れ果てた荒野と──
「──……」
「うん? この大きなハムスターはなんだ?」
その少し脇でひっくり返って気絶している巨大な齧歯類の姿だった。
●
「こ、降参でござるー! 命だけは、命だけは助けてほしいでござるよ~!」
誰が殺すか、と巨大ハムスター──種類は分からない──を見上げながら、少年は思った。仰向けにひっくり返っているハムスターの方が、直立した少年よりも尚大きいのであった。
上下逆さのハム顔と向き合いながら、少年は思う。弱い者など殺しても誉れにならないし、この者は既に敗北を認め降伏している。
二重三重に、少年はこの獣を斬る気にならなかった。むしろこうして屈服させたのだから──しようとしてさせた訳では無いけれど──自身の配下として恭順する事を要求すべきだと思った。
力の強い者が弱い者を支配する。強き者が率い、弱き者を束ねる。強き者が命じ、弱き者は従う。それはバルバロスの奉じる力の原理、その正しくそうあるべき姿であった。
「僕の──」
口にしかけて止める。僕という一人称はあまりに大人し気で弱そうだ。強者たる自身に相応しくない、なにより弱者だった時の自分を引きずっている様だ。そう思ったのだ。
我、俺、私。ぱっと思いつく強そうな一人称を舌の上で転がして考える。我は少しカッコつけ過ぎた風であるし、俺はなんだか子供っぽい。強そうではあるが、風格に欠ける。
私が一番大物らしくて強そうだな、と最終的に判断した。
「ならば身も心も私に捧げ、私の物になれ」
ハムスターは否応なく、激しく頷いた。それはもう必死に頷いた。彼女からしてみれば、従わねば殺すと脅されている様にしか聞こえなかったからだ。
人一人分はある巨大な顔が上下する様は迫力があり、かつコミカルで可愛らしい。少年は出来たばかりの一人目の臣下が、早くも愛らしく思えた。有り体に言って気に入ったのだ。
「姿勢を正せ」
「は、はいでござる!」
命令に応じ、ハムスターは即座に身を正した。四つ足でしっかりと地面を踏みしめ、眼前の強者に目線を合わせる。傍から見れば可愛らしい姿であったが、それは彼女なりに最大限畏まった姿だった。
「お前は何時、何処から湧いて出た?」
「そ、それがしはさっきからずっと目の前にいたでござる。気付いていなかったでござるか?」
「まるで気にしていなかったな。この辺に巣があるのか?」
取り合えず命の危機は脱したと安堵したのか、ハムスターは聞かれた事に素直に、やや誇らしくげに応える。
自分は森の賢王と呼ばれていて、人々に恐れられている事。この一帯は自分の縄張りであり、誰もが自分を恐れて近付かぬ事。
「お前がこの一帯の主?」
「そうでござる。殿は別でござるが、これまでに縄張りを犯した者をただで許した事は無いのでござるよ」
追い払うか、勝負の末に下して糧にしてきたと言う。
自慢げに言うので、少年はハムスターを撫でてやった。愛らしかったからだ。
ただそれはそれとして、この巨大齧歯類が一帯の主だという事に驚く。撫で摩った感触や見た感じからするに、レベルは三十強程度だと判断していたからだ。
ジャイアント・ラットの変種でこの辺に良くいるモンスターなのだろうと勝手に決めつけていたのだ。多分そこら辺に巨大な巣穴があって、のそのそと似た様な奴が沢山出てくるのだろうと。
三十レベル強程度のモンスターがボスと言うのは、ユグドラシルで言えばかなり低レベル帯のフィールドだ。百レベルである少年では何もせず寝っ転がっていてもダメージを受けない様なモンスターばかりだろう。
未知の地での、未知なる強敵との戦いを望んでいた少年の心の焔が少なからず萎えた。
「近くに人間の住む場所は無いのか? 別に人間でなくともよいが」
問いに対し、ハムスターは『森の外は人間の世界だ』といった具合の簡潔な答えを返した。動物らしい理解の仕方である。恐らく自分の縄張りの外に関してはほとんど関心が無いのだろう。
襲うか、と少年は思う。取り合えず国の一つ二つは落としてみて、あれこれ考えるのはそれからでも遅くないだろうと。適当に暴れれば対応するために強者が出てくるだろうと。
少年はバルバロス──人族が言うところの蛮族だ。人間種は生来の敵対者、不倶戴天の天敵だ。蹂躙し、支配するのに理由はいらない。本能であり定めなのだ。
ただ、自身はただの蛮族では無くその王だ。率いる配下も無しに王と言えるだろうか。強ければ単身だろうと群れていようと王は王だが、バルバロスの勝利の為にはやはりバルバロスを率いねばなるまい。
取り合えずこの森を支配して、軍集団を率いて人間の国を攻めるべきだろう。弱くとも数が揃えばそれなりの勢力に成り得る。
それが由緒正しきバルバロスの姿、王の姿というものだ。圧倒的な力で攻めるからこそ、相手も死に物狂いで反抗するのだから。
「おい──破瀬牟田衛門芳助」
「えっ。まさか、それはそれがしの事でござるか?」
無意識の返しだった。まさかそんな、といった感情の咄嗟の発露だった。ハムスターは言ってからしまったと思った。いつまでもお前と呼ばれるのは、とは思っていたが、前触れなく急に告げられたのでつい。
「私が付けた名前が気に入らないのか?」
──それがし死ぬでござるかな。ああ、つがい、同族と出会って子孫をもうけたかったでござる──
「じゃあ略して破牟助だ。ハムスケ。今度こそ、異存ないであろう?」
勿論肯定した。子孫を作らねば生物失格というのがハムスター──命名破牟助の常の主張だったが、死んでしまったらもっと直接的に生物失格であるからして。
「あ、ありがとうでござる! このハムスケ、絶対の忠義を誓うでござるよ!」
「うむ」
少年は頷くと、伏したハムスケの背中に飛び乗った。あんまり柔らかくないが、そこそこ清潔で動物らしい匂いがする背中に、腹這いで寝そべる。背負ったクレイモア型の魔剣が良い具合に重しになって毛に半ば埋もれた。暖かい。
先程放ったスキル三重発動の攻撃は効果と同様にリスク、デメリットも三重発動する。故に、今の少年は様々な面で能力がダウンしていた。時間経過で直ぐに元通りになるが、どうせだからそれにかこつけてハムスターライドという未知の体験をしてみたかったのだ。
「この森における強者、もしくは大きな集団の元へ迎え。そいつらを従えて私の軍団を作る」
「で、でもそれがし、縄張りの外の事に関してはあまり知らないでござる……」
「……あっちだ、あっちへ向かえ」
少年は探索系・感知系のスキルをほとんど持っていないが、百レベルであるが故にその五感はハムスケを遥かに凌駕していた。加えて、特に隠蔽等を行っていないのであれば、数少ない気配感知系スキルである程度の位置は分かる。
それっぽい気配のする方向を指し示してやると、ハムスケは勢い込んで頷いた。さっきまで縮こまっていたのに、もう何時ものペースを取り戻しつつあるのだ。現金な奴であった。
「了解したでござる、殿! ──殿……そのう、殿のお名前を聞いても良いでござるか?」
「うん? 名前か。そう言えばまだ名乗っていなかったな。私の名はしの──」
背中で響く声が不自然に止まり、ハムスケはくいっと背後を見た。当然、背中の主の姿は見えなかった。
「──少し待て。いま私に相応しい名を考える」
少年は思った。篠田伊代等と言う名が自分の名であって良い訳がないと。
「え?」
名は体を表すという。ならば篠田伊代と言う名は、弱い人間だった時の自分が弱い人間の両親に付けられた弱弱しい名だ。現在の自分に相応しい名前では絶対にない。
バルバロスの王たる今の自分に相応しい名前を付けられるのは自分しかいない。まさかハムスターに名付けを頼む訳にもいかないだろう。ハムスターは可愛いだけが取り柄だと少年は断じる。
寝返りを打って仰向けになると、少年はアイテムボックスの中から辞典を取り出した。ドイツ語、ラテン語、ロシア語などの様々な単語が日本語で引ける便利な辞典である。カッコいいのでたまに開いて読んでいたのだ。
「ラ行が入っているとなんだか強そうでカッコいい感じだな……私の鱗と髪、瞳は赤い……赤、赤……ドイツ語でロートか……ロードと響きが似ていて良いな……」
「殿……?」
ブツブツと呟く事しばし。
「決まったぞハムスケ。私の名はフィーネ。フィーネ・ロート・アルプトラオムだ。強そうだろう?」
篠田伊代改めフィーネ・ロート・アルプトラオム。誰が何と言おうと、彼の中ではそう言う事になったらしい。ハムスケは言葉の限り褒め称えた。
ハムスケに名前の良し悪しなど全く分からないし、そもそも翼や角の生えた謎の種族がどんな名前を良しとするのかも知らないけども、主が自分でそう言うのだからきっと強くて格好いい名前に違いないと思った。
「素晴らしいでござる殿!」
「うむうむ。愛い奴だな、ハムスケ」
ハムスケの新たな主人、フィーネはその反応に気を良くしたらしく、自分で由来を説明し始める。
「フィーネはイタリア語で終わりと言う意味だ。ロートはドイツ語で赤。アルプトラオムは同じくドイツ語で悪夢。つまり、私こそ人族の歴史に終わりを齎す赤い悪夢である、という意味だ。頑張って考えたのだぞ、褒めよ」
勿論ハムスケはどいつ語もいたりあ語も分からない。分からないなりに、何故違う言語でごちゃ混ぜにするのかという疑問は感じなくも無い。
『それがしに付けようとした破瀬なんとかという名前と違い過ぎではござらんか?』とも思う。
「すごくカッコ良いでござるよ、殿!」
「ふふふ、お前は良く出来た臣下だな。ハムスケはこの私、フィーネ・ロート・アルプトラオム第一の従者だぞ。誇りに思え」
ただ、彼女は野生に生きる者であった。自分より強い者の言う事に意味なく逆らったりしない。野生では当然の事である。
「良し、進軍するのだハムスケよ! この私、フィーネ・ロート・アルプトラオムの覇道の一歩を踏み出すが良い!」
長い名前を逐一フルネームで名乗る辺り、相当気に入ったのだろう。
ご満悦の様子で声を挙げる主人に応え、ハムスケは主が指し示した『あっち』の方へと、颯爽と歩き始めた。
篠田伊代改め、フィーネ・ロート・アルプトラオム。
彼はこの段階で思い切りぶん殴られて叱られれば、いとも容易く人の道に戻れます。が、百レベルのプレイヤーをぶん殴って人の道を説くような人物に出会えなかったのでもう止まりません。
未熟で未発達や人格や精神性は強過ぎる力に塗りつぶされ統廃合、今此処にいるのは人の皮を被った蛮族であり蛮族の皮を被った人族です。
イヨとフィーネの容姿的な違いとしては髪がストレートの赤い長髪、眉毛が勾玉みたいな形、イヨよりフィーネの方がアバター作成時期の関係で少し背が低い(イヨが152㎝でフィーネが148㎝)、あと服装と角と翼くらいです。
なおフィーネの角については「羊 角 画像」などで検索して、両側頭部で渦巻き先端が天を指す巨大な角を見つけたら、脳内で赤く染めてください。フィーネの角はそんな感じです。