不可視であるにも関わらず何故斬撃だと認識できたのかと言えば、第一に天使たちが消える間際、上肢と下肢を分断された真っ二つの姿を晒した事。第二に、全ての粒子が消え切った後、フィーネが足を広く開いて腰を落とし、大剣を振り切った姿勢でいた事だった。
「あり……得ない……」
惚けた様にニグンが呟いたのも、無理からぬ事であった。全周全天を覆っていた天使の群れをただ一太刀で切り捨てる事など出来はしない。一度に五体十体と切り捨てる事が可能だとして、それでも五度六度と剣を振るわなければならない筈であった。
自分自身を起点として全方向に攻撃する何らかの特殊能力──な訳は無い。あの赤い子供の様な化け物の後ろには、ニグンと同じ様に驚愕の表情を浮かべているガゼフ・ストロノーフが相変わらず存在するからだ。
ならば矢張りあの巨大なクレイモアで──『全ての天使をほぼ時間差無く、文字通り一瞬にして斬った』のだ。
ニグンは魔法詠唱者である。しかし、立場上敵味方問わず数多の強大な戦士を知る。だが、記憶にある中のどんな戦士・剣士であっても、こんな真似が出来る者はいない。
尋常な戦闘によって最終的に勝つというならば兎も角──目視すら不可能なほどの速さで一瞬にして数十という天使を斬るなど。人間がどれだけの執念でもってどれだけ長く修行に身を浸した所で、そんな領域に到達可能だとは到底思えなかった。
「──本物の、化け物か……!」
「う、うぁあああああ!」
ニグンがそれでも一抹の──我を忘れて叫び出さない程度の──冷静さを残せたのは、指揮官としての責務と懐にあるアイテムのお陰だった。
だが、両方とも持ち合わせていない部下たちは混乱のまま、自分の目で見た光景を否定するかのように、ニグンを除く総員が魔法を放った。
数十という攻撃もしくは状態異常、呪詛などの魔法がフィーネ・ロート・アルプトラオムに降り掛かる。だが、大半の魔法はその小さな身体に触れる前に宙で掻き消え、直撃した一握りの魔法もなんら痛痒を与えた様には見えなかった。
ガゼフとその部下たちがいる背後を庇う様に広く構えた化け物は、クレイモアを肩に担ぎ直し、体の表面で弾ける魔法を完全に無視して宣告する。
「一太刀も交える事無く敵の眼前から引く事は出来ないというお前たちの矜持、確かに受け取った。だが今の攻防で分かったな? お前たちでは私を殺す事はおろか、傷つける事も出来ん。命を無駄遣いするな、我が宣戦布告を伝えるべく、国に帰るのだ」
「お前は何者だ、フィーネ・ロート・アルプトラオム! その名前も姿も全く見聞きした事はない! お前は──なんなのだ!」
「最初に名乗ったではないか。私は野蛮なる者どもの王、蛮王フィーネ・ロート・アルプトラオム」
ニグンの叫びを、歯を剥き出した満面の笑みで受け止め、フィーネは胸を張って再度宣告する。
「私は人族の敵対者、人族の天敵。人族の歴史に終わりを齎す赤い悪夢である。全員生かして返してやる故、我が声を伝え、抗戦の準備を整えよ。名も知らぬ魔法詠唱者たちよ」
「──ふざけるな!」
ニグンは唐突に、ガゼフ・ストロノーフが羨ましく思えた。多量の血液を失って気力だけで立っている様な状態の奴ならば、眼前の光景を死後の夢か、失血による朦朧状態で見る幻とでも逃避できたかもしれない。立っているだけで精一杯の奴ならば。
しかし、ニグンは多少の魔力を消耗していたが、それ以外は完全な健康体であった。そしてガゼフ・ストロノーフなどとは比べ物にならない程正しく、そして貴く尊い志に全てを捧げた者であった。
──神の名の下に人類を救う、という至上の大願だ。
認められない、看過できない。
人族の──人間の敵対者。天敵。人間の歴史に終わりを齎す者。フィーネ・ロート・アルプトラオムのその言葉が、真実その通りの意味であると今や理解できてしまう。
目の前のこの化け物は──法国が人を守り、人類を救うという意思の下に行動しているのと同じ位に固い意志の下、人と争い、滅ぼす気なのだ。
それが出来るだけの力が、この者にはある。先の斬撃でさえ力の一端を覗かせただけに過ぎない──長く第一線で戦いに身を投じてきたせいか、ニグンはこの時だけは、何の根拠も無くそう確信することが出来た。
ニグンの四肢を縛っていた恐怖をより大きな恐怖が上書きする。──自分が死ぬ、陽光聖典が壊滅する等と言う小さな恐怖を、人類が滅んでしまうという圧倒的に巨大な恐怖が上回った。
その瞬間、心の奥底から熱いものが込み上げ、ニグンの身体は使命感に突き動かされて全力で稼働していた。
「ふざけるな、ふざけるなフィーネ・ロート・アルプトラオム! 我々が──我々陽光聖典が! 人類の守り手である法国が! 貴様の様な化け物を捨て置けるものかぁ!」
総員時間を稼げ、と立ち尽くすばかりの部下たちを大喝し、ニグンも自身の傍に控えさせた監視の権天使を突進させ、懐のクリスタルを取り出す時間を稼ぐ。
「まだやるか!」
化け物が命令に反応できた部下たちの放った魔法を棒立ちで受ける。やはり何ら効果は無い様だ。権天使もまたもや一刀の下に切り捨てられ──その間に、ニグンはクリスタルを取り出し、既定の使用方法に乗っ取り解放せんとしていた。
「それ、見た事あるぞ!」
ニグンの手の中のクリスタルを見付けたフィーネは驚愕の表情を浮かべ──ついで、嬉しくて堪らないと言わんばかりに破顔する。対しニグンは、知っているのか、だがもう遅いと断ずる。
「良いぃいいい物を持ってるじゃないかぁ! そうだ、そういうのが欲しかったんだ! 雑魚の相手はもう沢山だ、我が身を蹂躙し得る強敵こそ戦うに値する! 認めよう──私はお前たちを侮っていたぞ! そして心の底から謝罪しよう、我が愛しき敵対者よ!」
「黙れ! モンスター! 法国の──六大神の、最高位天使の力の前に滅せよ!」
このクリスタル一つの価値は、考えようによっては陽光聖典とすら釣り合いかねない。しかし、目の前の化け物を──人類の天敵を今この場で討ち取る為ならば十分釣り合う。ニグンは確信した。
フィーネが全身に漲らせた戦意、今までとは比べ物にならない強大な鬼気が周囲を威圧し、生きとし生ける者の肌が粟立つ。あれを相手にすれば死ぬ──弱い生き物であるが故の確信が身を貫き、しかし誰もが後退しない。
クリスタルから溢れ出た神聖なる白き光が、化け物の放つ威圧に抗するかのように弱き人々を照らす。
それは隠れようとする太陽が地上に顕現するかのようだった。伝え聞く伝説の降臨を前に、心の折れかけていた隊員たちは歓喜し、喝采を上げる。至高なる善が──全てを清浄に染め上げる人の守り手、最高位天使が降臨するのだ。
フィーネも熱狂的な高笑いを上げながら、愛しき敵に対して口上を述べた。
「さあ、互いに全てを尽くして戦おう! 命の限りに、共に舞おうじゃないか! 我が愛しき強て──」
「神の名の下に、人を、人類を救いたまえ! 威光の主天使ィィィイ!」
「──死ねコラァ!」
威光の主天使は真っ二つになって消滅した。
●
陽光聖典の隊員は喝采を上げた姿勢のまま固まっていた。ニグンはクリスタルを使用した姿勢のまま固まっていた。ガゼフはいい加減治療もされず放置され過ぎたせいで、ちょっと前から立ったまま気絶していた。
最高位天使はその身を確定した瞬間、フィーネのスキルによって間合いを延長した刃で真っ二つになって生命力を全損、その身は解け、神聖なる粒子となって消滅し、人形の様に誰一人身動きしない世界の中で、フィーネだけが子供の様に地団駄を踏んだ。
「なんっなんだ、この世界は! ドッキリか? みんなで私を馬鹿にしてるのか!? 職業レベルを全く取得していないであろう推定五十レベル未満の自称竜王! 超位以外なら封じられる高品質な魔法封じの結晶に主天使なんか込めやがる大馬鹿! さも切り札でございとそんなもんを使う特大の馬鹿! 貴様ら揃いも揃って私に喧嘩売ってんのか!? あぁ!?」
期待した分だけ裏切られた瞬間が辛かったのだろう、ぽろぽろと涙を零しながら地団駄で地に大穴を穿ち、地形を変えていく。
「お前らなんか嫌いだぁー! みんな死ねー!」
技量もクソも無く腕力のみで振るわれるクレイモアが地表を引っぺがし、空に土砂を巻き上げ、剣風に乗ってそれらは砂嵐の様に周囲の人々に吹き付けた。
フィーネがなけなしの自制心を発揮したため、陽光聖典隊員もニグンもガゼフも倒れている戦士団の者も誰一人怪我はしなかったが、等しく土煙に塗れて薄汚れた。
「お前は……何者なんだ……フィーネ・ロート・アルプトラオム……最高位天使を一撃で倒す存在など……」
「最高位天使は確かに私でも一撃では倒せないな。可能性は低いが一対一なら負ける事もあり得んではない。だが主天使くらい別に私じゃなくても勝てるぞ。お前、騙されたんじゃないのか?」
主天使って確か中の上くらいの天使だぞ、全然最高位じゃない──一通り暴れて鬱憤を発散したフィーネは、抜け殻の様なニグンに言葉のナイフをぶっ刺した。
「主天使の上には座天使、智天使、熾天使といた筈だ。本当に最高位の熾天使がクリスタルに入っていたのなら、お前の判断は間違いじゃない──私を倒せる可能性はあった」
カルマ値マイナス五十のフィーネにとって熾天使は極端に相性の悪い相手でも無いが、決して相性のいい相手でも無い。破壊・攻撃・殺戮の専任者たるフィーネにとって、ああいった連中の持つ秩序を強制する類の能力は厄介である。
「馬鹿な……馬鹿な、そんな筈は……」
「お前もう国に帰れよ、疲れただろ? 帰って温かい物を食べて、布団でじっくり寝ろ。顔色悪いぞ」
「うぅ……」
この場において心の支えであった最高位天使、魔神をも滅ぼした存在がまさか一撃で殺される──あってはならない光景を目の前にし、ニグンを始めとした陽光聖典の隊員たちは虚脱状態に陥っていた。
「お前、名前は?」
「……うぅ」
「な、ま、え、は?」
「……ニグン・グリット・ルーイン」
「ニグンね。その頬の傷は戦傷だろう? 中々カッコいいじゃないか。イケメンとは言い難いが良い顔をしているな」
そんな事を言われても反応に困る。そう戸惑うと同時に、ニグンはこのモンスターの気安い態度は、偏に脅威とは思われていない──警戒に値しない存在であるが故にこうも軽々に扱われているのだという事に気付く。
そうした見下しは、誇り高いニグンからすれば通常ならば怒気を抱くもの。しかし、これほどまでに徹底的に心折られ、反抗の手立てを潰されてしまえば怒りすら湧かない。むしろ化け物の言う通り生きて帰る事──祖国に情報を持ち帰り、危機を知らせる事こそ今できる最大の任務だという事実に気が付いた。
最上位──だと思っていた天使が敗れた以上、目の前のモンスターは魔神をも凌ぐ脅威。ならばその情報はどんなものであれ、正に値千金と言える。ニグンは未だ呆然自失している部下の内、立ち直りの早い何人かが向けてくる視線に同じく視線で返す──何もするな、と。
「……私と部下たちを、国に帰してくれるのか?」
「そう言ってるだろう。殺すつもりなら上からそっちの戦士ごと燃やしてるぞ──あー、お前らちょっと手伝ってくれ。あの戦士たちを一所に集めるんだ。死人とそれ以外で分けてな」
それだけ言うと、フィーネは剣を構えた姿勢で気絶しているガゼフ・ストロノーフを横に寝かせ、ニグンらに視線で催促してくる。
「……た、隊長」
「……手伝うんだ。言う通りしろ」
こと此処に至っては、ガゼフもその部下の戦士も些事だった。王国のあれこれなどより目の前の怪物の方がずっと危険度が高いという事が判明しているのだ。無駄に反抗してフィーネの機嫌を損ねるメリットは無い。
戦の高まりからの反動か、フィーネは最早口調も態度も雰囲気もまるで子供の様になってしまっている。気絶している瀕死の戦士たちの足を掴んで引きずると、ガゼフの周りにごろ寝させておく。陽光聖典隊員総出の作業はあっという間に終わった。
夕陽の中に、屈強な戦士の死体と、まだ生きているが放っておいたら遠からず死ぬだろう戦士たちが敷き詰められる。両者の割合は五分五分だ。
戦士の殆どは刀傷と火傷を負っていた。炎の上位天使と戦いで負ったもの──数は少ないが、身体が一部ひしゃげていたり頭がカチ割られているのは投石か射撃系の魔法──陽光聖典隊員の攻撃を喰らったのだろう。
単純な傷なら低位の治癒魔法で十分だな、と判断したフィーネは最初にガゼフに、次に息のある戦士たちに治療を施していく。操霊魔法は呪いや疑似生命の創造に秀でるが、同時に回復の術も併せ持っているのだ。
──死んでしまった者はどうしよう。戦いの中で逝ったなら本望であろうし、しかし良い奴らだったから正直惜しい気持ちもある。魔法を掛けるだけならタダだし後は本人の気持ち次第か──等と思っていたフィーネは、所在無さげに固まっている陽光聖典の視線に気づいた。
先頭にいるニグンを指さし、告げる。
「私は魔法も使えるぞ。魔法戦士なんだ。操霊魔法を第十位階まで使いこなす、ちゃんと国に帰ったら報告するんだぞ? 自分にバフ掛けたり相手にデバフ掛けたり、ゴーレム作ったりしながら剣を振るうからな。 対策しろ、対策」
「……貴様は、何者なんだ」
「何回聞くのだニグン。私は蛮王である。野蛮なる者共の王、戦神ダルクレムの信仰者にしてその地上の名代よ。──ああ、そうだ」
──どうせなら貴様ら、私の軍勢も見ていくか?
歯を剥き出して笑うフィーネを前にニグンが怯んだ瞬間。遥か後方の森から木々の砕ける音が遠く響く。それらは一つ聞こえ始めて以降数と音量を増しに増し、その場で意識のある者は一人残らず異常を察した。
日が暮れていく──暮れ切っていく。夜の訪れと共に、その魔軍は姿を現した。
「どうした? 振り返れよ、ニグン。振り返って全てを見ろ。言ったろ? お前らは生かして国に帰す。命の心配はいらない。さあ、振り返って見よ──」
天地を覆い尽くす化け物の軍勢を、陽光聖典は見た。空には竜がいた。地には巨人がいた。何千というゴブリンやオーガが最も目につくが、近い数を誇る他種多様なモンスターがまだまだ森から見る間に溢れ出てくる。
その波の中で一際存在感を放つ魔物の中の魔物というべきモンスターが幾体もいた。
全身を恐るべき武装に身を包んだ巨躯のトロール、オーガとしては埒外に均整の取れた体躯の威風堂々たる狂戦士、ゴブリンらしからぬ理知を目に秘めた大族長、美しく迫力溢るる白銀の四足獣、這い進む長大なる身の魔蛇──空の竜にも地の巨人にも、数多くいる中で明らかに突出した強者たる存在がいた。
誰が想像できただろう──種族も違う、同じ種族内ですら部族で分かれ競い合う者共を、強引に力で纏め上げ軍勢と成す覇者の存在を。
人間を目の敵にし、天敵と位置づけ、その為に数百種族を束ね軍勢と成す──人間は弱い種族だ。六大神降臨以前は正に暗黒の時代、絶滅寸前の種族に過ぎなかった。
その人間が今も命脈を保っているのは六大神の庇護があり、八欲王の跳梁跋扈が力ある多種族を衰えさせ、神々の遺志を継いだ法国が裏で表で人類を守護し、人類全体の勢力増進を計画していたから──そして、人間の領域が大陸全体から見ればちっぽけな地でしかなく、人間自体さして目立つ存在では無かったからというのもある。
明確に敵として見定められてしまったのならば、遥か昔に人は家畜か奴隷か絶滅かという時代に逆戻りであった筈。竜王国が毎年の様にビーストマンに国民を食い荒らされていながら、『勝手に増える餌場』程度に思われているが故全面的な侵攻をされなかったように。
法国は国是として人こそ神に選ばれし種族と唱え、他種族は殲滅すべしと掲げている。周囲は外敵だらけで団結する必要があるという意識を国民に浸透させ、国の力を一点に集中し、強国化してきたのだ。
そんな法国でも、国内向けのスローガンをそのまま外に向けて他種族に所かまわず喧嘩を売る事などしない。する気は毛頭ない。法国首脳部は現実を見ているのだ。自国の力、優先順位、他国の力、人間の力、他種族の力──それらを見ているからこそ評議国一つにだって正面から喧嘩は売らない。国が焦土になってしまうから──。
「どうだ、ニグン。馬鹿な私が力のままに思いのままに頑張って集めたんだ。強い兵だろう? 強い軍だろう? 頑張ったんだ──人族との戦争の為に」
正面に回って、ニグンの顔を下から覗き込む様に見ながらフィーネは笑う。満面の笑みだ。子供の様な笑みだ。余りに美しく可憐で、この上なく悍ましい。ニグンは自分の身体が裸で寒風に晒されたかの様に、激しく震えているのに気が付いた。
「お前は……ほ、本気で──」
「言ったじゃないかニグン。私の名はフィーネ・ロート・アルプトラオム! 知らないのか、名は体を表すのだぞ!?」
強く言い切ると、フィーネはくるりと身を回し、両の手を一杯に広げてはしゃいだ。回る、回る、何度も回る。赤い髪が広がり、夜目にも眩しい。
──私は人族の歴史に終わりを齎す赤い悪夢なんだよ、ニグン!
馬鹿みたいに大きな笑い声。それは人の世界の終わりを告げる鐘の音の様だった。──そして、笑い声と時を合わせたかの如く、空が割れた。