グはウォー・トロールである。幾多の戦いを繰り返す中で適応し誕生した戦闘特化のトロールだ。
トロール種族が備える再生能力に加え、より大型な同族異種をも上回る高密度の筋力。刃物など扱いに技術を要する武器を使いこなす天性の才覚。
それら全てはグを他を圧倒する強者として成り立たせ、実際多くのモンスターを従えていた。
グは誰かに追従した記憶が無い。生まれながらの強者だった。無論彼にも幼体、赤ん坊の時代というのは有った訳で、本当の本当に誰からも守られた事が無い、弱かった時期が無い訳ではないだろう。
しかしそんなものは記憶にすら残っていない遥か遠い過去だ。トロール種の寿命は人間より長い。彼は長い間三大の一角として君臨し、恐れられた。肉体と比較してあまり良くない頭で考える限り、グはずっとずっと強かったのだ。
己こそが王、己こそが強者。強い己が弱い者を食い、生殺与奪を握るのは当たり前。そうした自覚は骨身の芯にまで定着し、最早その人格の一部ですらあった。
その絶対の自信がつい先日打ち壊された。木っ端微塵にまで。
「うぇえ……に、苦い! 苦いぞグよ、これはこういった味の果物なのか?」
目の前でぺっぺと口内の果肉を吐き出している一人の少年にである。外見は人間に近く、しかし皮膜の翼と捩れて天を指す紅い角を持つ。紅蓮の髪色と瞳を持つ生き物だ。
小さい生き物だ。身長はグの半分以下。体重に至っては十分の一も無いのではないだろうか。名はフィーネ・ロート・アルプトラオム。余りに長く弱弱しい名だが──グより遥かに強い。
紅玉をあしらった大型の魔剣──クレイモアはフィーネ本人より大きい。が、グが持っていた剣と比べればそれでも細く小さいとすら言える。魔法の道具は持ち主に見合った大きさにサイズが可変する。それほど彼我の体格さ、外見の強さの差は大きい。
根城に乗り込んできたフィーネをグは罵倒し、打ち殺して喰い、身に纏った物を奪おうとした。しかし逆に打ちのめされた。ほんの一瞬でだ。
あの瞬間の記憶は今をもってしても色褪せない。細部に至るまで明確に覚えている。手首から先の力だけで振り回された遅い剣が、グの持った魔法の剣ごと四肢を叩き切った。治らない致命傷を負わせた。
その後グは恐怖に怯え死に怯え、言われるがままに恭順を誓った。
その時からグはフィーネの配下だ。長く王として君臨してきたグが、記憶にある中では初めて誰かの下に立った。
「その果実はまだ青く、熟していない。そちらの黄色いのが熟したもので食べ頃──だと思う」
どの様に喋ったらいいのか分からない。最上位者として意のままに振舞っていたグには、上位者に対する態度というモノが全く備わっていたかった。
最初はあの魔蛇や、比較的知恵の回る連中がフィーネに使う敬語を真似していたが、全く上手くいかなかった。フィーネにも畏まった態度は要らないと言われたので今はこうして喋っているが、自分でやっていてぎこちなく、そしてまるで自分では無いかのような振舞だと思った。
「こっちの奴か? 熟していれば甘いのかな?」
「多分。あ、俺が取る」
熟した果実はフィーネの手が届かない樹上にあるが、グからすればちょうど目線の辺りだ。捥ぎ取ってフィーネに手渡す。すると小さな強者は目を輝かせて受け取った。
「おお、ありがとうグよ」
慣れない。こんなに弱弱しく小さな声で喋るのは──以前と比べれば小さいだけで、声量そのものは普通に出ているのだが──慣れていないとしか言い様が無かった。
トロールは肉食を好みがちだが、肉も骨も果実も穀物も、食べようと思えば何でも食べられる。しかしグは肉を食う事を好み、木々の実や虫などを取って食べるのは獲物を取れない弱い者のする事と思っていた。
更に言うと、自分で取らなくとも配下に命じれば良かった。自分より弱い配下は自分の言う事には絶対服従だった。機嫌の悪い時など切り捨てた事もある。グは自分のそうした振る舞いを当然の事だと思っていた。
「美味しい! すごく甘いぞ、グは物知りなのだなぁ」
しかし、自分よりもっと強いフィーネは自分を部下としてから一切そういった扱いをしない。グだけではなく、他の者にもしない。部下になる前は木っ端でも刻むかの様に四肢を切り落とされたが、恭順を誓って以降は傷一つ付けられた事は無かった。
「木に生った果物なんか初めて食べたが、全部が食べられる訳では無いのだな。熟した奴だけか。なるほどなるほど」
森に住まう生き物なら動物やゴブリンだって知っている常識だが、フィーネはそんな事も知らないらしかった。
知識として知らずとも、臭いを嗅げば熟れているのか青いのか判断位はなんとなく付く。生きて行くうちに知識として身に着ける。
フィーネは異常に強いが、殆ど物を知らなかった。遥か遠い地から森にやって来たという点を考慮しても異常に無知である。
聞いてもいないのに語り聞かせてくれた話によると、フィーネの元居た場所には緑の木々は無く、地面も空も水も黒く淀んでいたらしい。生き物もみな死に絶えていたとか。
グには想像もできない世界からやって来たフィーネは、グには理解できない存在だった。ただ、何故かフィーネは非常にグを好いていて、良くしてくれる。そこも良く分からない。
グはここ数日で、以前なら考えもしなかったことを良く考える様になった。何故この小さき強者は自分に武具を与え、笑顔を向け、まるで旧来の友人の様に接するのか。正直困惑している。
竜の王と戦いに行くからお前も来いと言われて有無を言わさず連れてこられた訳だが、使い捨てにされるとか見捨てられる等といった不安は一切ない。無論竜は──これも以前なら断固として認めず、考えもしなかっただろうが──怖いし、戦いに行くのは恐ろしい。
だが、何の根拠もなく漠然と理解している事がある。
例えどんなに竜が強かったとしても、フィーネ・ロート・アルプトラオムは臆せず戦うだろう。どんなに苦境に陥ってもグを見捨てないだろう。
そして、何となく、理由もなくグは想像している。勝つのはフィーネなのではないか、と。
●
「たーのもー!」
適当にアゼルリシア山脈を彷徨う事五日、グとフィーネは竜の根城、その昔ドワーフたちの都だった場所まで到達していた。
誠に大変であった。そもそもその場のノリで出てきた二人には一切の知識も手掛かりも無く、『竜王は強いのだから多分頂上にいる筈』といった認識で漠然と広大な山脈を漂っていたのである。
百レベルに達したフィーネで無かったら死んでいたに違いない、正気の沙汰とも言えぬ大愚行である。前述したように何の知識も準備も無く、霜の竜が棲み処とする様な冷涼な高山帯に挑むのだから。
フィーネは馬鹿げた身体能力とお気楽能天気な気性で道行を楽しんだが、グはそこそこ苦労した。そこそこで済んだのはグが辛そうな顔を見せる度、フィーネが何かしらのアイテムを与えたからである。
かつては動物の皮を集めて作った革鎧を着込んでいたグも、今や神話の勇者の如き煌びやかな武装と装飾品に身を包んだ騎士に見える。身長が三メートルを超えているトロールであるという事実を無視すれば、思わずその輝く武装に負けず劣らずの美男を連想するくらいだ。
まあ、実際のグの顔は人間的な美醜の価値観からすれば醜悪としか言い様が無いが。恐らくトロール的には厳つい系のイケメンに違いない。多分、きっと、恐らく。
「蛮族の王、フィーネ・ロート・アルプトラオムが霜の竜王に挑戦状を叩き付ける!」
二者が曲がりなりにも竜王の棲み処に辿り付けた理由は単純である。出会う生き物を愛でたり喰ったりして放浪している途中、『竜の王が何処にいるのか知らないか?』と逐一聞いていたのだ。
二足歩行のモグラっぽい生物と出会い、恭順を要求したらなにやらぐちぐち抜かしたので叩きのめしたところ、自らの種族全体が竜と同盟、という建前で竜の王のしもべとなっている事実を吐いたのであった。
それからその伝手を使ってあっち行ってこっち行って、行く先々でモグラっぽい生物──クアゴア【土堀獣人】というらしい──を強制的に配下にしていくと、やがて竜の棲み処に実際に行った事のある地位の高い奴に行き当たった。
その者の案内で──面倒な所は飛んだりぶっ壊したりで力尽くで抜けた──こうして竜王のお膝元に辿り着いたのであった。案内人を務めたヨオズというレッド・クアゴアは有無を言わさぬ強引さでフィーネの側近にされていた。
因みに、クアゴアという種族の外見はフィーネ的な価値観からすると──野生故か結構汚れていたが洗いさえすれば──可愛いので、フィーネはクアゴアを大いに気に入っている。
種族的な平均で言うと身長は大体百四十センチ程度で小さめ、体重は七十キロ程度で割と重い。ずんぐりむっくりした体形が思いの外可愛らしい。体毛で覆われた身体をしていて、毛色もバリエーション豊かである。
特に子供は毛も柔らかく、一層小さくて愛くるしい。幼少期に希少な鉱物を食べる程強くなり、ブルー・クアゴアやレッド・クアゴアといった上位種に成長するらしい。氏族王ペ・リユロなるクアゴアは大層強いと聞くので是非とも殴り倒して配下に加えるつもりであった。
「出でよ竜王、否というなら此方から行くぞ!」
フィーネは左右にグとヨオズを従えて再度叫ぶが、当然のことながら何の返答も無い。さもありなん、そもそも元々はドワーフの王都であった霜の竜王の支配地は広く、如何に馬鹿でかい声を出そうと隅から隅まで聞こえる筈も無いのだ。
見晴らしの良い所から喚いているに過ぎないフィーネの声は誰にも届いていない。監視網や連絡網といったクアゴアの警備を引き裂き、同時に無理矢理配下に収めて急速に侵攻してきた竜魔人の存在は、まだ誰にも知られていないのであった。
「……出てこないな。どうする?」
グが疑問すると、フィーネは当然と言った口調で断言する。
「取り合えず突っ込む。王と言うならば、あの立派な城に住んでいるに違いないからな」
魔剣を抜刀したフィーネは切っ先を遠方の城に向ける。偉くて強いのだから最も立派で高い建物に住んでいるに違いないという短絡な発想だが、この場合は正解であった。
ヨオズは通して無言である。話しかけられれば丁重に対応するが、勿論その心根はフィーネの事など全く好いていない。突然ぶん殴ってきて竜と戦いたいから根城に案内しろ、等と命令してきた相手なのだから当然である。
実際に案内したのだって、数々のアイテムと異常な身体能力、戦闘力を持つフィーネに逆らえず、また騙しても早晩バレるだろう事は想像に難くないからに過ぎない。
彼は実際の所、このオツムの出来と反比例して異常に強い竜魔人という種族の少年とトロールを霜の竜王とぶつけ合わせて両者を疲弊させ、種族王率いるクアゴアたちが漁夫の利を得るという目的をもって動いていた。
クアゴアを非常食か奴隷としか思っておらず、代わりが見つかれば滅ぼす事さえするだろう竜王に対する彼らの恨みや反感は強い。その支配からの脱却と種族の繁栄は、氏族王を始めとするクアゴアの上位者たちにとって悲願であった。
この能天気極まる暴君は、その観点から言えば渡りに船とも言える好都合な存在だ。誤算があるとすれば、何故かこの少年はクアゴアという種族の外見を非常に気に入り、兎に角自分の傍に置きたがり離れる事を良しとしなかった為、今の今まで氏族王に事の一切を伝達する事が出来ていないという点のみだ。
一応あまり注目されなかった連中を使って伝令は出したのだが、高速で空を飛ぶフィーネと地面を走るクアゴアでは移動速度が違い過ぎた。伝令の者たちが到着するまで、短く見積もっても半日から丸一日は掛かるだろう。
だが、こと此処に至ればそれらは余り問題にならない。
「フィーネ様。私は足手まといになりますので、氏族王にフィーネ様の来訪を伝えて参ります。竜の支配から我々を解放して下さるお方、新たなる主人がいらっしゃったのだ、と」
「ああ、行ってくるが良い。巻き添えにならぬように離れていろと伝えてくれ。加勢も手助けも無用、竜と私が一対一でやるからな」
全く疑っても考えてもいない、ヨオズの言った事を鵜呑みにした態度。ヨオズは内心でフィーネを大いに嘲った。
「はっ! ご武運をお祈りしております!」
堂々たる態度で、ヨオズはフィーネの前から走り去った。言った通り、氏族王にフィーネの来訪を伝え、巻き添えにならない様に退避する為。
外見が可愛いから大事にするという事は、労働力や兵力としてのクアゴアに価値を感じていないという事。
竜王がより良い奴隷を手にしたらクアゴアを捨てても良い、滅ぼしても良いと考えている様に、より好みの外見の種族を手に入れたら、このフィーネなる異種族の子供もクアゴアを滅ぼそうとするやもしれない。もしくは単に飽きた、気が変わったというだけでも。
如何にクアゴアという種族を好いているとは言え、腕力だけで馬鹿丸出しの異種族に心から傅く気など、ヨオズには毛頭無かった。まだ傲慢極まる竜の方が賢い気さえする。
一時的に頭を下げるには全く構わないが、いずれ打ち倒す。そして、その機会を逃す気は無い。
──可及的速やかに兵力を結集し、戦って生き残っていた方の暴君を抹殺せねば。
ヨオズは一心に、氏族王ペ・リユロの下へと走った。