トブの大森林にある瓢箪型の湖、その内比較的水深が浅く、大型の生物が少ない下の湖では戦乱が吹き荒れていた。
リザードマンの部族連合と、侵攻してきた大勢力との戦争である。
リザードマンたちにとって、事前にその軍勢を察知できたのは稀有なる幸運に他ならなかった。発見したのはリザードマン全体でも最も優秀な狩猟の雄、『小さき牙』の族長だった。
本来リザードマンが活動しやすい領域ではない森の中に、それでも日々の糧を得る為に分け入るプロフェッショナルが狩猟班。『小さき牙』の長は、元々そこに身を置いていた男だった。己が察知した非常事態を、彼は己の部族だけではなく、湖に住まう全てのリザードマン達へと伝令した。
二つ目の幸運。それはリザードマン達が警戒を高めていた所に、メッセンジャーがやって来た事。それはゴブリン・シャーマンと二人のトロールであり、リザードマン全体の恭順を要求してきた。
『野蛮なるものの王、フィーネ・ロート・アルプトラオム様のご意志を代行するお方、森の三大が一角、リュラリュース・スペニア・アイ・インダルン様のお言葉である。我らは全てを打ち破る戦力を備えている。お前たちのみならず、いずれ全てが偉大なる蛮王の名の下に組み敷かれる。今一度言う、服従せよ。せぬと言うならば、叩き潰して言う事を聞かせるのみである。容赦はない』
野蛮なるものの王を名乗ったフィーネ・ロート・アルプトラオムなる人物の名を知る者はいなかったが、リュラリュース・スペニア・アイ・インダルンの名は幾人かの長老、族長が知っていた。
森の有力者として名高い強力なモンスターであり、実際に目撃された兵力からしても確かだろうと。
長らく保たれてきた三大の拮抗、森の勢力図に異変が起こり、大きなうねりが生まれつつあるのだと推測された。
一つ一つの部族で戦っていては滅びる他なく、二三の部族が纏まっていても焼け石に水。そしてリザードマンという種族がぶつかりつつ合った将来の苦難。戦わずして誰かに頭を垂れるのか。よしんば頭を垂れたとしても今までと同じようには生きて行けないだろう。逃げたとして、自分たちリザードマンは見知らぬ地で生き延びられるのか。そもそも森の支配者の勢力が及ばぬ所など森にあるのか。
様々な要因が、彼らを全部族の連合という前代未聞の戦時体制へと導いた。
『小さき牙』の族長、『鋭き尻尾』の族長、『緑爪』の族長に旅人──その結論に至った者たちが同時多発的に動き、驚異的な短時間でそれは成った。
その戦争も佳境である。話し合いは終わった。序盤の小競り合いも終わった。今まさに大激突という状況で──リザードマン達は劣勢だった──。
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「おおぉお!」
双方の怒号が響き渡る。湿地帯という事で小競り合いの段階ではリザードマンが優勢だったが、それは一時の事。本格的な戦力投入に従って、彼我の勢いは明らかに偏りつつあった。
そもそもリュラリュースは無理攻めにならない範囲である程度の戦力損耗をむしろ必要と思っており、最初期に投入されていたのは彼にとって繋がりと利用価値の薄い者たちである。リュラリュースの意志を汲んで部下を動かすことの出来る側近は将帥の立場で、新たに組み敷いた者、グの配下だった者などをフィーネの名で前線に立たせていた。
無論彼も勝利を目指して戦っていた。将としてだが。
無理に殺す気は無いが、過剰に命を尊重してやる気も無い。死んだらそれまでだし、生きて功を立てたのならそれ相応に扱う。怪我をしているなら助けられる者を見殺しにして損害を増やしたと見なされない程度に治療をしてやる。だが結局、どの程度大事にされるかはその者の価値次第だ。
「ザリュース! このままじゃジリ貧だ!」
「分かっている! だからこそ駆けろ!」
既に犠牲は多数。しかし、勝ちの眼が潰えた訳ではない。だが、戦士階級の一人が叫んだように、このままでは磨り潰される。全部族連合は事前の想定より戦えていたが、相手の戦力もまた事前の予想を超えていた。
数は予想通り。しかし、ある強大な個の存在があった。
全身を毛皮で覆われた、白銀の四足獣。尻尾はまるで意志を持つ蛇の如く伸縮して獲物に襲い掛かり、魔法すら用いる強大にして威圧を纏う大魔獣。
あれ程の強さならば間違いあるまい。あれこそが、単体で三大の一角を成す孤高の王者、南の大魔獣。
東の巨人と思しき姿は見当たらないが、三大の内二つが手を組んだならば、既に葬られているのかもしれない。
今は族長たちを始めとする強者が南の大魔獣を押さえているが、それとて英雄的と言っても過言ではない命を掛けた奮戦であり、長く持たない事は火を見るより明らかだ。
リザードマンの勝機──それはザリュース率いる別動隊が、ある作戦を成功させるかどうかに掛かっていた。それとて成功すれば勝利確実と言った夢のような手ではない。ただ、か細い糸を次の機会へと繋ぐだけかもしれない。
しかしそれでも、やらない訳には行かないのだ。兄の、愛しき者の、友の姿が脳裏に浮かぶ。ザリュースはただ一心に走った。
そんな時である。
空にドラゴンの編隊が現れた。
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翼が打つ空気の波濤が、地上にいる全ての者を叩いた。耳が痛くなるようなその波濤を生み出すのは、天を覆う様な──恐怖心が実像より大きくその姿を捉えさせていた──巨大な竜の群れだ。
青白い鱗、白い鱗が光を反射し、その姿は神々しく輝いている。四肢の一本とてリザードマンより遥かに大きく、力強い咢はオーガすら一噛みで殺してしまうだろう。尾を振るえば一度に何人が死ぬのか見当も付かない。
良く見れば比較的小さい竜もそれなりにいるのだが、翼を広げたその姿は下から見るとやはり巨大に見えた。
蛇体に近い様な細身の竜たちが、地上で諍い合う生き物を見下ろしていた。その眼に温度は無く、その視線は正に王の目線だった。間違ってもお友達になりに来たわけではない。
──もし、あれだけの数のドラゴンが一斉にブレスを吐いたら?
「アゼルリシア山脈に住まう筈のフロスト・ドラゴンが何故……馬鹿な、戦争どころではない……」
実際、戦争など中断されていた。
リザードマンだけではなく、敵の軍勢の方もそのドラゴンに目を剥き、恐怖し、一拍の間をおいて蜘蛛の子を散らした様に逃げ始めたからだ。実際、地を這う生き物が可能とするドラゴンへの対処法など精一杯に逃げるくらいしかないだろう。
相手は空を飛んでいるのだからそもそも戦いにすらならない。仮に届くとしても、鋼より強靭な鱗を持つドラゴンへ投石などを行った所でどの程度の効果があるのか怪しいものだ。相手をイラつかせていらぬ注目を集める手段としては有効かもしれないが。
ザリュースは声の限りに叫んだ。少しでも多くの同胞を生かす為だ。
「逃げろ! 戦おうとするな、バラバラの方向へ走れ! 固まれば範囲攻撃で一掃されるぞ!」
フロスト・ペインを持つリザードマン屈指の戦士とて、そもそも手の届かない高度にいる相手ではそれ以外に手段が無い。
生存を掛けた闘争から命がけの逃走へと様相を変えた湿地に、場違い極まる能天気な子供の声が響いた。
「おーい! リュラリュース! 私だ私、帰って来たぞーう!」
見上げれば一頭だけ太い体格の竜がいて、その背には小柄な人影が乗っていた。身を乗り出してぶんぶん手を振っていた。
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戦争は終わった。そりゃそうだ、ドラゴンが十数頭、そしてそれを従える化け物が戦陣に加わったのだ。リザードマン達は生きる為に戦ったのであり、死ぬと分かっていて断崖絶壁へと種族ぐるみのダイブを敢行する様な真似はしなかった。
『まだ戦うなら私が相手になるぞ』
そんな台詞を吐きながら剣を振るった化け物は、なんと空に浮かぶ雲を切り裂いて見せた。それでまだ戦いたい等と言う輩はいなかった。化け物の配下である筈の敵軍ですら恐怖に駆られて『降伏します!』と叫んでいた位だ。
降伏は滞りなく受け入れられ、リザードマン達はフィーネの配下に収まる事となった。ただ問題はどの様な形で配下に収まり、どんな待遇で迎えられるのかと言う話だ。負けた以上、勝ち目がない以上、戦いとは別の形でリザードマンの生存と繁栄を勝ち取るしかない。
頭も下げる。忠義も尽くす。──走狗となって戦う。全てはリザードマンという種族が生き残る為。
「偉大なるお方、我らリザードマンの絶対の忠誠を──」
「別にその様な態度を取る必要はないぞ、今まで通りで良い。私はお前たちを好いている。ただ私に従ってくれるならばそれで良い。また戦いを挑むのならそれも良い。喜んで受けて立つ」
上からちょっと見ていたけどお前らの奮戦は見事だったぞ、と何も考えていなさそうに言う化け物、フィーネ・ロート・アルプトラオムを前に、リザードマン側の代表団は大変困った。
「……その、今まで通りで良い、でもあなたに従うというのは具体的には──」
「そのままだが? あ、そっちの者、お前の事は特に覚えているぞ。モンクであろう? 良き戦いだったな! 私は剣を使うがモンクは好きだ。己の身体だけで戦うのはカッコ良いからな!」
「お、おう。なんだ王様、話が分かる奴──お方じゃねぇか……ねぇですか」
話にならねぇ。
この場にはクルシュ・ルールーを始めとして三名に加えザリュース、生き残った族長級の者が全員来ているが、何故かフィーネはもう話が終わったかのようなノリでゼンベル・ググーに声を掛けていた。
蛮王の相手はゼンベルに任せて、クルシュ、ザリュース、『鋭き尻尾』の族長は顔を見合わせるが、そもそも話し合いの相手である蛮王は色々な意味で話が通じそうにない。
正直に言えば、卵から孵ったばかりで道理も掟も理解できていない幼子を思わせる相手だった。
今だって仮にも軍勢同士と言える規模の集団の降伏交渉なのに場所は露天の湿地だし、回りにいるナーガや大魔獣やトロール、謎の毛むくじゃら種族、ドラゴンは明らかに交渉など出来よう筈もないフィーネを補佐する気は無さそうだった。もう仕方ないから好きにさせておこうという諦めの色が──異種族にも関わらず──見て取れた。
フィーネは身に着けた物が汚れるのも構わず、ゼンベルと取っ組み合いを始めて遊んでおり、そのゼンベルは『俺はどうしたら良いんだ』と言わんばかりの視線で訴えてくるが、そんなもの此方が聞きたいくらいだった。
リザードマン側も立場的に強くは出られない為、なんとも表現しがたい時間が過ぎる、取っ組み合う二者がバシャバシャと水音を立てる他は無言である。
「あれ、そう言えば礫を投げる者や大きな剣を背負った者はどうした? あいつらも強いのだから偉いのだろう? 何処にいるんだ?」
唐突にフィーネが疑問すると、リザードマン達は一瞬身を固くした。だが、まさか抗議が出来るような立場ではない。だから言葉少なに、非難めいた響きが混じらない様にだけ気を付けて言った。
「あの者たちは治療が間に合わず、死亡いたしました」
「……そうか」
その声が余りに痛ましく、そしてリザードマン達を気遣う様な響きを伴っていたので、彼ら彼女らは驚いた。
『なーんだ、死んだのか』とでも言いそうなイメージを抱いていた。強きが故の残虐さ、弱者に対する無関心さを発揮するとばかり思っていたからだ。
そして続いた言葉はもっと予想外だった。
「うむ、そうか……私はお前たちの事が好きだ。劣勢にも関わらず勇敢に、臆せず、そして必死に戦っていたからな。そういうのが好きなんだ、一生懸命でひたむきな……」
だから、
「生死それ自体は対等の戦いの末の決着だが、お前たちの奮戦と武勇に敬意を表したい。私が死んだ者を生き返らせよう」