「指揮官には私さえ居れば十分よ」
「む」
M1895は指揮官の執務室にノックをした上で入室し、眉を顰めた。視線の先には我らが指揮官がいつもの如くそこそこ立派なデスクとチェアに腰掛けてキーボードに指を添えているが、滑らかに動いていなければならないソレは微動だにしていない。
軍帽は頭の上……ではなく、モニターの角に引っ掛けられていた。
M1895命名、仮眠の構え、である。
「お主…」
「……」
「お主ーーー!」
「うお!」
癖のある幼い声が指揮官の耳元で炸裂し、仮眠とはお世辞にも言えない程深く沈んでいた指揮官は文字通り飛び起きた。勢い余って椅子ごと倒れそうになるものの、鍛えた体幹で堪え、目覚ましと焦点が合うと気まずい表情で、
「お、おはよう」
と言った。
「騙されんわ!」
しかしM1895は怒り心頭と言った様子で挨拶の返事もすっ飛ばして、背格好の割には堂の入った説教を垂れる。挨拶から世間話を始め終いには秘蔵の菓子や茶でなあなあにする指揮官の手口を彼女は良く知っているからだ。何せこの一週間、毎日の様に手練手管を変えて言いくるめられたのだから。その度に自分が年長なのにと悔しい想いをしていた彼女は今日こそバシッと言ってやるべく、口を挟む隙を与えないつもりだった。
左手を腰にあて、右手の人差し指でキーボードの痕が付いたほほをぐりぐりとねじり、抓む。
「いた、いたたたた! 痛いってばーちゃん!」
「誰がばーちゃんじゃ! 田舎で土いじりが趣味の祖母のような呼び方をするでない! おばあちゃんと呼ばんか!」
「どっちも変わんねーいててて!」
またしても話を逸らそうとした指揮官に主導権を握られまいと、話を逸らされまいと無言で口封じ(物理)。すまん、悪かったと指揮官が口にするまでの数分間、ひたすら無言でほほをつねり続けた。
「まったく、何度も言わせるでない。勤務時間は守れ、残業はするな、三食――」
「三食きちんと食堂で摂れ、休みはしっかり休め、部屋で寝ろ。だろ? 耳にタコができるくらい聞いたよ」
「分かっとるなら言う事を聞け」
「文句は終わらない量の仕事を押し付けるクルーガーもといヘリアンに言ってくれ」
「その言い訳も耳にタコができるくらい聞いたわ。お主、この後に儂が言う事も分かっとるの?」
「一人形にそんな権力無い」
「うむ」
「はぁ」
M1895も本当は分かっている。自らの指揮官が多忙な事も、本人の処理能力を超える依頼や仕事が押し付けられていることも。
クルーガーとヘリアンへの直談判など数え飽きるほど行った。人形だからと話を聞かない堅物でない事は知っている。M1895は今でこそ一戦術人形として現場で銃を握っているが、G&Kが第二世代戦術人形を扱い始めた頃から在籍する古株なのだ。当然、ある程度の口利きは出来る。
それでも指揮官の待遇が代わったことは無い。出来ることは尽くしたうえでこうなのだから、M1895は半ば諦めた。あの二人でもどうしようもない程、自分の指揮官は重たい役目を背負っているらしい。末端が知らないだけで、もう二つほど基地の管轄をしていても驚きはないだろう。
好きで残業など誰がするものか。指揮官が身を削っているのは全て基地の為。引いては前線で命を懸ける自分を含めた人形の為。
だからこそ、余計に自分を労わることを覚えて欲しいというのに。
彼女がこうして毎日の様に様子を見に来るのも、少しでも疲弊した指揮官をねぎらう為だった。その目的を果たすために、今は愛飲しているコーヒーを淹れる。
「ありがとう」
目に隈を作った指揮官はくたびれた笑顔でマグカップを傾ける。取っ手を握る手が震えている様が痛々しくて、M1895は視線を逸らす。その先には時計があり、時刻は午前8時ぴったりだ。
「一段落付いたら朝食じゃぞ」
「うーん」
「……なんじゃ、そんなに急を要する案件が多いのか」
「そんなところ」
「なら終わるまで待つ」
「……結構掛かるよ?」
「構わん。寧ろ手伝わせんか」
「それはちょっち無理があるなぁ」
たはは、と笑いながら指揮官が空になったマグカップをM1895へ差し出す。複雑な表情でそれを受け取り、二杯目をデスクの邪魔にならない場所へそっと置いた。
出来ることと言えば、こんな給仕まがいの事だけ。それでも指揮官が楽になるなら、とソファとデスクとコーヒーメーカーの往復を繰り返す。
それが5回目を迎えようとした時、時間にして8時30分を過ぎた頃にドアをノックする音が響いた。
「416です」
「あぁ、入れ」
「失礼致します」
現れたのは二ヶ月ほど前から見かけるようになった戦術人形だった。銀髪に涙のタトゥー、融通の利かなそうな、しかしこれといった欠点の無い優等生タイプ。確か……HK416とか言ったか。
――またか。
M1895はそう思ってしまう。会社そのものと古い付き合いの彼女は、当然ながら指揮官とも長く働いてきた。今でこそ適材適所が出来るほどの大所帯だが、当初はなんでもかんでも自分が回していたものだ。それでも、例えどれほど優秀な人形が加わったとしても、指揮官の右は譲らなかった。
しかし、この女は現れたその日から、まるで何度も修羅場を潜り抜けてきたパートナーであるかのように馴れ馴れしく接している。指揮官は珍しく人形に対してフランクで、軍規を押し付けない性格なので気にしていないようだが、M1895を始め416に対し不信感を抱く人形は少なくない。
「おはよう、M1895」
「うむ。おはよう416。猫の面倒はもう良いのか?」
「珍しくIDWがやる気だったから任せてきたの」
「ほー。今日は銃弾でも降りそうじゃの」
言葉の端々に“にゃー”とつけるIDWだが、猫に対して敵対心を持っている。自分のキャラを奪われかねないとでも思っているのだろうか? そんなわけなのであまり世話をしたがらないのだが、稀にやる気を見せる時がある。今日はたまたまその日だったようだ。
「そう言えば…」
「?」
「M1895、スプリングフィールドがあなたを探していたわよ。確か貸したものを返して欲しいとか」
「………あ"っ」
416に言われて何のことかを思い出したM1895からみるみる内に表情から血の気が引いていく。“怒らせると怖いライフル部門”堂々の四年連続第一位を死守するスプリングフィールドとの約束をすっぽかすとなれば、仕方のないことかもしれない。
慰労の為にと訪れたがこればっかりは許してくれお主! と心で唱えながら、M1895は老骨に鞭を打つように全速力でカフェへと走っていった。
「行ったわよ」
416がドアの施錠と同時に教えてくれる。
もう限界だった。
俺は椅子から転げ落ちながら戸棚へ這いずり、震える手で金庫のダイヤルを回す。元々備え付けられた重要書類やデータディスクを収めるそれとは別で、自ら改造して壁に埋め込んだ特性のそれには、見られるとかなりマズイものが隠してある。
クスリ……と言うと誤解を招くかもしれない。が、間違っていない。いやその通りだろう。
アッパー系と言われる興奮剤だ。かれこれ数ヶ月はこれの世話になりっぱなしだった。
壁に背中を預けて、震える手で瓶の蓋を開けて指定容量よりも少なく取り出す。いつの間にか俺の真横に膝をついていた416から水を受け取り飲み干した。飲んですぐ効くものじゃないが、気持ちは落ち着いた。30分もすれば震えも止まるだろう。
「……大丈夫?」
「ああ、何とか」
真顔で俺の顔を覗き込む416。大丈夫だと微笑み返して、いつもの通りに彼女に甘える。スカートから除く生足に頭を乗せて双房越しに整った顔を見上げた。ため息を付きながらもそれを許してくれる、どころか頭まで撫でてくれるんだから彼女は優しい。
医薬品は飲むタイミングが大事だ。常用なら尚更気をつけなければならない。今日はただでさえ寝過ごした挙句、何も知らないM1895の手前で飲むわけにもいかず、軽く禁断症状を起こしかけていた。
入室と同時に察した彼女の洞察力は流石としか言いようがないな。
「指揮官」
「うん?」
「その、言いにくいのだけど……」
「……あぁ、うん、分かった…。ちゃんと眠るよ」
416は気まずそうにもごもごさせている。何となく言いたいことは分かったので、手でストップのジェスチャー。
M1895が言ったように、416も部屋で休んでほしいとずっと口にしている。M1895が朝様子見に来たように、416もまた俺の状態を確認に来ているのだ。日に日に隈を濃くして、挙句薬の時間を寝過ごして禁断症状を起こしてしまえば注意せざるを得ないだろう。
というより、ドラッグに頼りながら仕事を続ける異常者の心配か。
ともかく、今回は流石に堪えた。今日は大人しくベッドの世話になろうと決める。
ベッド。
ベッドか……。
帰りたく、無いなぁ。恐らく待っているであろう悪夢を想像してくしゃと顔を顰め、416には見せまいと腕で隠す。
思い返すだけで胸が苦しくなって掻きむしりたくなるし、額を打ち付けて無能な頭蓋を砕きたくて仕方が無い。まさか思い出がこんなにも自分を深く抉ってくるなんて、あの頃の俺は思ってもいなかった。
「指揮官、今日はいっぱい仕事をしましょう?」
「416?」
「一休みして、ご飯も食べて、全力演習なんて良いかもしれないわね。溜まった書類も、普段後回しにしがちな企画書も提案書も全部今日で片付けるの。勿論、私も手伝うし、M1895みたいに副官経験のある人形ならきっと手伝ってくれるわ。最後に掃除して、時間めいっぱい働いてくたくたになって帰りましょう?」
「……」
「これでもかってくらい疲れてしまえば、少しは悪夢を見なくても済むかもしれないじゃない?」
「どう、だろうなぁ」
「私も一緒にいるから、ね」
暗い瞼の向こう側で、優しく微笑んでくれている姿が容易に想像できる。優しく頭を撫でる柔らかい掌が、人間と区別のつかない弾力と温かさで包み込む太ももが、普段の完璧主義を貫く彼女とはまた違う一面もあるのだと教えてくれている。
うっすらと、瞼を開けば視界いっぱいに移ったのは416の顔。器用に長い髪が俺の顔にかからないよう手で抑えたままずっと待っていたのか。
顔を隠していた腕を彼女のほほへ伸ばして、そのまま後頭部を撫でながら顔を近づけて唇を重ねる。唐突なキスもまるで分かっていたかのように受け入れ、どこか嬉しそうだ。
「元気は出たかしら」
「わりと。偶には真面目に働かないと、いざって時に言う事聞いてくれないと困るし」
「そうね……ここの人形は言う時は言う子が多いから。威厳、見せときなさい」
「そうするよ」
「………起きなさいよ」
「あと十分」
「馬鹿言わないで。ほら、そうと決めたらキリキリ動く」
……俺の天使様は甘々ではないらしい。それが彼女の良さでもあるんだが、それこそ偶には見せてくれてもいいんじゃないか?
指揮官の個室には窓が無い。鉄血がそこから侵入してきたら流石の私達も守れないから、と45がぶっ壊した。その代わり少ない電力でも十分な光量を持つ特別な蛍光灯を付けている。
これといった趣味を持たない指揮官の部屋は殺風景だ。支給された最低限の家具と持ち帰った資料だけの部屋に飽きた9が、45に叱られて片付けるよう言われたぬいぐるみを持ち込んだお陰で、独身男性の部屋とは思えないほどファンシーに。ただし、ぬいぐるみのチョイスが絶望的なのでお察しであるが。
上官ならさぞ良いベッドで眠っているのだろうと企んだG11はこっそり忍び込んで、人形に支給されたものより劣悪な寝心地で一度キレたことがあった。珍しく真面目なG11にびっくりした指揮官は自ら正座し、懇々と頷いたとか。使い道のない給料を奮発したベッドはG11も唸るほどに変貌した。
今はもういない彼女たちの残り香が、この部屋には色濃く残されている。物についた彼女たちの匂いが、一つ一つにまつわる彼女たちとの思い出が、壁のコルクボードに飾られた一枚の……404小隊の写真が、指揮官の心を深く強く抱きしめて、傷つけたまま放さない。
残されたのは、この部屋と、辛うじて私が回収してきた……というより形見代わりに押し付けられたコートやアクセサリーの類ばかり。404の性質上、私達が収集してきた所有物は全て使途不明品として廃棄されるのだ。何かを形で残すなら指揮官の私物として渡す他ない、というのが45の考えだった。実際その通りになって今では空き部屋となっている。
「……zzz」
「もう…」
今朝うんと働いて疲れてしまえば悪夢を見る余裕も無くなる、確かに自分がそう言ったし、考える間も与えず仕事で忙殺してやった。お陰様、部屋に入った瞬間に意識を飛ばした指揮官はベッドにふらふらと歩み寄って夢の世界へ旅立っていった。
これでは多少なりと期待していた自分が馬鹿みたいだ。もう少し加減すべきだった。
制服とシャツ、ズボンをキャストオフさせて、自分もラフな格好に着替えて同じ毛布にくるまったのが15分前の事。特にうなされる様子も無く、規則的な寝息を立てるだけ。今のところは、くたくたに疲れさせた効果が出ているらしい。
「ふふ」
のんきな、けれど安らかな顔だ。あの日から数か月ぶりの表情に、思わず笑みがこぼれてしまう。しかし取り繕う必要も無い。指揮官は熟睡していて、それを眺めているのは私だけなのだから。
音を立てずに布団の中でにじり寄り、程よく筋肉のついた右肩にそっと手を這わせ、少し抑えきれなくなって抱き枕の様に右腕を抱く。血が通い、毛布で温められた抱き枕は非常に硬いのだが、どんな高級寝具よりも安らぎを与えてくれる。
ほのかに香る支給品シャンプーの雑な匂いと、男性らしい香りが混ざったそれが鼻をくすぐって、眠らなければならないというのに心を昂らせた。
あぁ、指揮官。
好き。
好きよ。
愛してる。
あなたは初めて会ったその日、その一言で私達の心を奪った。ただ補給に立ち寄っただけの基地、一晩世話になればまた戦場を渡り歩くだけの毎日に罅を入れた。それだけ、でもそれだけで十分過ぎた。
『404小隊です。本日はお世話になります』
『うん、おかえり。UMP45、UMP9、416、G11。時間まで好きに過ごすと良い』
『………えっと』
『? 何かおかしなことを言ったかな? 君達はグリフィンの戦術人形なんだから、基地は帰る家なんだろ? だったらおかえりなさいだし、家なんだから好きにくつろぐもんさ』
『……ねぇ指揮官。だったら、ずっと寝ててもいいの?』
『なんだ寝るのが好きなのか? 良いとも。空き部屋が幾つかあるから、せんべい布団を数枚重ねてみ。少しはマシになるから』
好きに過ごせ、なんて言われてもこれといった趣味を持たない私達は少々困った。だから、寝たがりなG11がそんな感じに切り出したのは助かったし、到着早々に寝たいなんて我儘を快く許した指揮官に対しては好感半分疑惑半分と言ったところだった。
私達は戦術人形だ。鉄血を殺して殺して殺し尽くす為に銃を握る。第二世代は人間に近い思考と身体を与えられたからなんだというのだ。殺せと命令されれば殺すのが役目、人間と私達のおままごと。結局はそういうもの。
しかし、いや、だからこそ、だろうか。
おかしな人間だ、と45も呟いた。そう、おかしな奴。不安や疑惑もあったけど、その分だけ興味を持った。
後は指揮官という沼にどっぷりと肩まで浸かって抜け出せなくなるまで、そう時間は掛からない。文字通り、あっという間に骨抜きにされちゃったんだから。
「ん……」
「…あっ」
身じろぎした指揮官が右腕を抱いていた私を左腕で抱きしめた。先程までの穏やかな寝顔は少し陰って、眉を顰めている。急接近した整った顔には滲んだばかりの汗。
汗、指揮官の。
「はっ、はあっ……へっ」
頬を湿らせる極上の雫を、私、わたしは…下品にも犬の様に、
「あっ」
「ああああっ」
「あはっ♡」
「 」
舐めた。
ぺろりと。
こんな、この世の贅を尽くしたフルコースすら足蹴に出来る甘美。私だけが味わえる、私だけが知っている。世界一博識なスパコンでも知らない、これでもかと分厚い本にも載ってない、私だけのでざぁと。こんなものが、この世に存在してもいいのか?
電脳が排熱処理が追い付かずにエラーを吐き続け思考が鈍り、味覚と嗅覚のダブルパンチが全身の神経を弾丸よりも早く駆け抜け、つま先から髪の先端まで電流が迸って、唾液がじゅわっと溢れて、潤滑油が下着と指揮官の指先をぐっしょりと濡らす、禁断の果実が?
「うふ」
良いに決まってる。その為に
存分に味わい尽くさなければならない。義務……そう、義務よこれは。四等分、平等に与えられた愛情を独り占めした義務がある。三人の分まで、私は一分の一になった愛情を注がれなければならない。享受しなければならない。啜らなければならない。しゃぶりつくさなければならない。骨の、骨の骨の骨の髄まで。
これが悦び。たまんないわ、ほんと。鉄血の屑をハチの巣にバラバラにぐちゃぐちゃにしてやるよりも、M16の悔しがる様よりも、何よりも素晴らしい快楽。これこそが幸せなのよ。
「……ねぇ、指揮官」
一滴も逃がしはしないと伸ばしていた私の右手は彼の首筋を捕えて離さない。力を少しだけ込めて、それを支えにゆっくりと浮上し、外気に肌を晒す。やがて胸の位置に指揮官の頭が収まる具合で留め、そっと抱きしめた。
「私は指揮官のモノ。指揮官だけのお人形よ」
返事は無い――筈なのだが、私を抱いていた左腕が腰から私の顔へ伸ばされる。ただの寝返りと同じ反応に、私の心は単純にも満たされていく。それだけのことが嬉しくて、嬉しくて。重ねた私の左手と指揮官の左手から鳴るカチンという音が、たまらない。
まぁ、言いたいことはそうじゃなくて、
「指揮官には私さえ居れば十分よ」
諸々の事実は揺るがないと言う事だ。
低体温症、いかがっすか?
自分っすか?
体温下がりすぎてアーキテクトちゃんにとどきませんっす。