Survivor from NeighborHood   作:くそもやし

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いつかの私たちと、さようなら

 

 

 そうして、日々は過ぎていく。

 

「こんにちは、須賀さん」

「あやつじか、こんにちは」

 

 綾辻遥という少女の世間からの評価はおおむね「優秀」や「聡明」といった言葉に顕れている。

 そんな彼女だからこそ、胸の裡にある狂おしい程の想いの丈を欠片も見せずに過ごすことが出来る。

 

 次の日も、その次の日も、彼女はランク戦フロアを訪れ、少年と会話を交わす。

 まるで、今はもういない誰かに語りかけるように。

 

「要ェ! ブース空いた! オラもっかいやんぞ!」

「うん、わかった……悪い、行ってくる」

「ふふ。いいえ、どうぞ」

 

 席を立った須賀さんが申し訳なさそうに此方を見る。

 私はにこやかに、そんな彼に小さく手を振って促した──ように演じた。

 

 私は今、上手く笑えているだろうか。

 普段通りの、人当たりの良い綾辻遥をできているだろうか。

 泣き虫で、怖がりで、だけど彼の友達でいられた「遥ちゃん」を、彼に気取られていないだろうか。

 

 

 

 言い聞かせる。

 ──「もしかしたら」なんて、烏滸がましい期待を抱くのはやめなさい、綾辻遥。

 全てを失った彼に、その元凶である私がだいじなものを取り戻してもらおうなんて、そんな恥知らずな話はないのだから。

 

 

 

 

 モニターに映る彼を見る。

 試合開始のアナウンスと共に猛然と斬り合う両者。

 思わずトリオン体である事を忘れ、命の危険すら感じさせる気迫でお互いの急所へ刃を振るう様はいっそ異様にすら思う。

 

「……」

 

 その剣戟の火花の中で、確かに、少し口角を上げる彼の姿。

 

 それを見て、ああ、やっぱり私にできる事は無いんだなと思った。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 どれだけそうしていただろうか。

 仕事まだ残ってたっけ、とか、そろそろ帰ろうかな、とか考えていたら、私の隣に誰かが腰を降ろした。

 

「お隣失礼するよ」

「あ、はい……」

 

 なんで周りにいっぱい空いてる席があるのに私の隣に来るんだろう、と思って隣を見ると、視界に入ったのは意外な人の顔だった。

 

「や、綾辻ちゃん」

 

 迅悠一。

 黒トリガーの所有者として『S級隊員』と格付けされる二人の隊員のうちの一人だった。

 その立場や備えたサイドエフェクト故に様々な噂が付き纏う彼と私の部隊の隊長は同い年なこともあって良い友人だが、私自身とはあまり接点は無かったハズだ。

 

「あの……?」

「あいつ、こっち戻ってきた時とは見違えるくらい表情が柔らかくなったんだ」

 

 迅さんは玉狛支部の所属だ。

 誰の事を言っているのかなんて考えるまでもなかった。

 

「あいつ、この間まで外国にいてさ」

「そう、なんですか」

 

()()()()()()になっているのだろう。

 迅さんの口調は白々しかった。

 

この街(三門)の生まれなんだから知り合いがいても全く不思議じゃないよな」

 

 確信した口調で彼は言う。

 驚きは無かった。

 迅悠一とはそういうことができる人間だからだ。

 

「……調べたんですか?」

「そりゃあね」

「そう、ですか」

「言わないの? 昔のこと」

「……それは」

 

 いつから見えていたのか。

 どこまで見えたのか。

 少なくとも迅さんには私と彼の関係の現状はお見通しなようである。

 

「言える訳、ないです」

「なんで?」

「なんで、って……!」

 

 とぼけたような迅さんの返答に苛立ちを覚える。

 カッと頭に上りかけた血は、こちらを見つめる迅さんの眼を見てすぐさま冷えていった。

 

「これは持論なんだけどさ」

 

 諭すように、悲しむように、迅さんは私と、モニターに映る須賀さんを見つめていた。

 

「言えるか、言えないかは置いてといて、『言いたいこと』は言えるうちに言っておくべきだと思うんだ」

 

 カチャリ、と音がする。

 おそらく無意識に、彼が腰に差した鞘を撫でる。

 モニターの中でレイガストを振るう須賀さんから、もう一度私へと視線を移し、彼は言った。

 

 

「手遅れになることがどれだけ辛くて苦しいか、君ももう知ってるだろ?」

 

 

 その一言が、とどめだった。

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

「ふぃ〜」

 

 地雷原の上を歩くのはいかに実力派エリートといえども疲れる。

 迅は深くソファの背もたれに体重を預けた。

 

「最近、綾辻の様子がおかしい」と嵐山から相談されたのはつい最近である。大抵の問題事は誰に相談するでもなく、自身で解決できる嵐山だが、今回ばかりはそうもいかなかったらしい。

 なにせ嵐山いわく「綾辻は自分の弱さを人には、特に嵐山隊(俺たち)には決して見せようとしないだろう」とのこと。

 付き合いは嵐山ほど深くはないが、こうして改めて話してみて迅もそれには同意するしかなかった。

 

 ──要がこちらに戻ってきたときに素性を調べた際、綾辻遥の一家が隣家であったことは調べがついていた。

 要が綾辻の事を覚えていなかったのは仕方ないとして、綾辻から要への態度もまた他人行儀だった。

 綾辻の方も要を忘れてしまっているのかとも思ったが、ある日迅は偶然綾辻を見かけた際に "見て" しまう。

 墓石に花束を添える綾辻の姿。そしてそこに刻まれている「須賀」の苗字を。

 

 綾辻遥は須賀要に対してとてつもない後悔と罪悪感を抱いている。

 そしてそれが彼女の心を今も、いや、今になって強く苛んでいる。そう考えるのに疑いはなかった。

 

「久しぶりに疲れたな……」

 

 彼と彼女の間にかつてどのような出来事があり、その中のどれが今回の件の原因となっているのかは知らないし、迅は自分が部外者である二人の思い出に積極的に立ち入ろうとは思わない。

 

 しかも、その思い出は要本人からは既に失われてしまっている。

 何かの拍子に思い出すかもしれない。

 だが、『時間が解決してくれる』という漠然とした希望を抱くのは、死と隣り合わせとはいかないまでも、他の多くの人間よりも遥かに命の危険があるボーダーの人間には、あまりよろしくないと迅は思うのだ。

 

(まぁ、後は本人達に任せるしかないかな)

 

 少なくとも、手遅れにはならなそうだ。

 そう一息ついた迅は、持っていたぼんち揚を口に放り込みながらランク戦フロアを後にした。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「話とは何だ?」

 

 影浦との個人戦を終えた要は、何やら自爆特攻を仕掛ける前の兵士のような顔をした綾辻に連れられ、嵐山隊の作戦室へと足を運んだ。

 

 時刻は5時を回ったころ。

 嵐山や他のメンバーは非番だったりもう上がったりしているらしい。

『今日はおくれるかもしれない。ごはんはたべる』とだけ玉狛のグループチャットに書き込んで一息つく。

 

 対面のソファに座った綾辻は、緊張した面持ちで深呼吸している。

 

「あ、あの!」

「うん」

 

 初めて聞く綾辻の大声に若干驚きつつ促した。

 

「前にも同じようなこと、言ったと思うんですけど」

「うん」

 

 要の相槌を聞いた綾辻は、もう一度息を整えてから、打ち明けた。

 

「私達、昔に会ってるんです。ずっと、ずっと昔に」

「……」

「と、友達、だったんです……私の初めての……」

 

 じわ、と目尻を潤ませながら、震える声で絞り出される告白。

 

 要は困惑した。

 

 だから何だと言うのだろう。

 

 綾辻の口ぶりからして、多分要が向こうに拉致される以前の事を言っているのはなんとなく理解した。

 ただ、こんな悲壮な面持ちで打ち明けられても「そうですか」以外の感想が浮かばない。

 

()()()()()()()()()()

 

 記憶とは、脆く繊細なものだ。

 人体実験によって()()の記憶を失ったもの、逆に他人の記憶を植え付けられたもの。

 戦闘中、または戦闘の跡の光景を見て発狂し、前後の記憶を無くしたもの。

 そして、長い戦いの中で故郷の景色すら失くしたもの。

 色々な壊れ方をした人間を見てきた。

 そんな彼らの中で記憶を取り戻したという話はついぞ聞いたことがない。

 

 要にとって、記憶を失うということはそれだけ不可逆的なものだった。

 だからこそ、もう二度と会えない両親の墓の前で「ただいま」と言えた事は、とても大きな出来事だったのだ。

 

 だから。

 

「悪い。覚えてないし、思い出せない」

 

 ひゅ、と綾辻が息を乱した。

 

 だから、繕うのはなしだ。

 気遣うのもだめだ。

 

「たぶん、これから思い出すこともない」

 

 もう須賀 要(じぶん)は、あの日独房で蹲って泣いていた須賀 要()とは全くの別人になってしまったから。

 

「う────ぅ」

 

 ついに、ぎりぎりの所で堪えていたものが溢れた。

 ぽろぽろと、とめどなく零れる滴が綾辻の胸元にしたたり落ちる。

 

「ご…………ごめ、なさ……っ」

 

 耐えきれずに、俯いていくら拭っても、涙が涸れる気配は無かった。

 

「…………」

 

 要は謝らない。

 その権利は自分のものではないから。

 そして唯一それを持っていた男の子は、もういない。

 

「ぅ……、っ……く」

 

 ただ静かに、窓から差し込む夕日の朱が二人を照らす中、嗚咽が静まるのを待っていた。

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

「ありがとうございます……」

「問題ない。小南がよく玉ねぎ切って泣いてるから慣れてる」

 

 それはちょっと違うんじゃないだろうか。

 渡されたティッシュ箱を受け取り、鼻をかみながら私は思った。

 

「で、だ」

「?」

 

 ──「すみません、一人でこんなに騒いじゃって」と言いかけた私を、須賀さんの声が遮った。

 

「俺は、俺と綾辻が友達だったことも、この街に住んでいたことも、両親のことも思い出せない」

 

 言い聞かせるように突きつけられる現実。

 でも、続く彼の言葉はこれまでとは少し違った。

 

「思い出せないけど、これから知ることはできる」

 

 私の傍で腰を落として、目線を合わせて彼は言う。

 

「父と母はもういない。だから、お前だけが()を知っているんだ」

 

 励ますように、願うように。

 懐かしくて頼もしい、優しい熱を秘めた瞳が、私を捉えた。

 

「教えて欲しい。俺が、俺とお前が、父と母が、どのようにこの街で暮らしていたか」

 

 その眼は、かつて私が憧れて、追いかけていたあの子の眼と、とてもよく似ていた。

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

「来ちゃいましたね、警戒区域」

 

 

 

「いいのか、って? 須賀さんが言ったんじゃないですか、教えてくれって」

 

 

 

「大丈夫ですよ。私『いい子』で通してますし、1回くらいこういうことしても……嘘です嘘です! ちゃんと申請してきましたから。はい、中身はないけどそれっぽい理屈を並べ立ててきました」

 

 

 

 

 

「はい、ここが須賀さんと、私の家があった場所です……もう、何も無くなっちゃいましたけど」

 

 

 

「ここは近界民の被害が特に酷かった地域ですから、建物の形を留めている家の方が珍しいですね」

 

 

 

「向こうの通りには駄菓子屋さんがあって、よくお小遣いで買ったお菓子を交換とかしたんですよ。何味が出るかわからないガムとか、飴とか」

 

 

 

「ここの公園で毎年夏祭りがやってて、二人でよく夏祭りの翌日に落ちてる小銭を拾って駄菓子屋に行ってました。それでお父さんとお母さんに怒られるんですけど、須賀さんは『次はバレないようにしようぜ』って言って、やっぱりおじさんとおばさんに怒られてました…………私? 私は次の年からやめましたよ。須賀さんには『裏切り者!』って言われました」

 

 

 

「うちと須賀家でよく花火もやったなあ……ふふ、全部の指に花火を挟んで『八刀流だ!』とか言ってむせてました」

 

 

 

「あ、ここ……」

 

 

 

「ここで貴方の靴が見つかって……おじさんとおばさんはずっと、貴方を……」

 

 

 

「ちが、違うんです! わ、私……貴方に酷いことを言って、それで! 貴方は一人で、貴方を一人に、したから……」

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「それは違う」

 

 綾辻は一人生き延びた者の典型的な状態だ。

 必要以上に自罰的。

 なんでもかんでも自分のせいにして、そして最後は後を追う。

 

 自分を一人にしたから? それがなんだと言うのだ。

 

「俺一人だろうが綾辻と二人だろうが、十にも満たない子供がいくらいた所でトリオン兵の障害ではない。十人以上もいれば隠密行動を主とし人間を拉致するトリオン兵であれば騒ぎが大きくなるのを嫌って助かったかもしれないが、俺の場合こんな人気のない所に入って攫われているんだから、結果は変わらなかっただろう」

 

 要は慰めるつもりなどなかった。

 ただ状況を的確に判断した結果を口にしただけだった。

 

「────」

 

 ただ、目を見開く綾辻の雰囲気が予想と違ったので、要は少し首を捻る。

 

(ん…………?)

 

 そして、自分の言葉を思い出して、

 

「ああ」

 

 と思わず声が漏れていた。

 

「やっぱり、そうなんですね…………トリオン兵って」

(まずいな、バレてしまった)

 

 

 

 林藤に怒られる。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「────そして、半年ほど前に玄界……三門市に戻ってきたんだ」

 

 要は全て話していた。

 もうどうにでもなれ。

 というか綾辻が()の知り合いであるなら『外国に行ってました』などというカバーストーリーで誤魔化すのは不可能である。

 俺悪くないし。

 

玄界(ココ)では殺される心配がほぼない』と半年のミデンライフで理解した要は平和ボケしていた。

 

 でも罰としておかずとか減らされたらどうしよう。

 要は有り得てはならない恐ろしい結末に思わず身震いする。

 ここまで恐怖を感じるのは大規模誘導装置破壊作戦以来であった。

 

「……」

 

 綾辻はおおよそ要の境遇にアタリをつけていたようだが、想像以上のモノが要の口から出てきて絶句している。

 

「綾辻、今の話は秘密に──」

「なんで」

 

 恐る恐る切り出した要の声を、綾辻が勢いよく遮る。

 その口調はおおよそ彼女らしくない、責めるような口調だった。

 

「なんで、私を、近界民(彼ら)を恨まずにいられるんですか? ………………なんで、そんな事があったのに、さっきみたいに『それは違う』って言えるんですか!」

 

 警戒区域独特の生気のない静寂を、綾辻の叫びが引き裂いた。

 綾辻はまた泣きそうだ。

 このままでは『女を泣かした』という噂が広まって林藤とかレイジとかに怒られてしまうかもしれない。

 綾辻が泣きそうになっているなか、要は要で切羽詰まっているので、返答がぶっきらぼうになってしまう。

 

「知らない。誰を恨んでいたかとか忘れた」

「な……」

 

 静寂。綾辻が息を飲んでいる間にこれ幸いと要は畳み掛ける。

 

「というか最初は怖いとかばっかりであんまり恨むとかなかったし、そもそもそれどころじゃなかった」

「それどころじゃ、って」

「恨み憎しみで戦う奴はいつか『こいつを殺せるなら死んでもいい』って死んでいく。俺が今ここにいるのはずっと『生きるため』に頭を使ったからだ」

 

 その言葉は、途方もない実体験に裏打ちされた重みに満ちていた。

 ずっとずっと、念じ続けてきた。

『死にたくない』と。

 何故死にたくなかったのかすら戦いの中で擦り切れていっても、ただそれだけは消えなかった。

 そして、そうしてきたから、

 

「だから今、こうしてお前に会えている」

「————」

「お前はさっき俺を一人にしたのがいけなかった、と言ったな。繰り返すけど、それは違う。お前がいても二人一緒に攫われていただけだっただろうし、そもそもトリオンが低いオペレーターのお前は、攫われていたらすぐにトリオン器官を抜かれて死んでいたか、半死半生のままトリオンタンクにされていただろう」

 

 つらつらと、身の毛もよだつもしもの話をしながら、しかし要は最後にこう締めくくった。

 

「だから、うん。これでよかった。帰ってこれたし、向こうに行ったのが俺でよかった」

 

 そう言って、彼ははじめて綾辻の前で屈託なく笑う。

 

「ぅ……」

 

 その笑顔が、いつか見たあの子の笑顔と重なって。

 

「なんで、なんでぇぇ…………」

「こっちの台詞だ。なんでまた泣く」

 

 狼狽える少年をよそに、少女はうわあん、と泣き出してしまった。

 その光景は、いつかの二人の日常と同じだった。

 

 

 


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