Survivor from NeighborHood   作:くそもやし

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須賀 要

 

 

 

遠い、遠い記憶を見ている。

 

 暗い檻の中、いつまでも啜り泣く子供の声。

 それが自分のものだと気づくまでに、たっぷり1分はかかった。

 

 次の日も、その次の日も。独房のような部屋の隅で、自分は膝を抱えて泣いている。

 

「■と■■ん、お■■さ■」

 

 ──繰り返し繰り返し、同じ言葉を涙ながらに口にして。

 

 ある日、一人の男がやってきた。男は部屋を出て自分に着いてくるように言った。

 暗い部屋も怖かったが、その時は男の方が怖かった。だから自分は嫌だと言った。

 

 腹を殴られ、髪を掴まれてどこかへと引き摺られて行った。

 

 ──そうして『武器』を手に入れた自分は、次の日に初めて戦場で人を殺した。

 

 いつしか涙は枯れて、『どうすれば死なないで済むか』を考えるようになっていった。

 

 何か、とても大切な事を忘れているのではないかという思いを、心のどこかに抱えたまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

「わ、私、お医者さん呼んできます!」

 

 どたどたと駆け出す茜ちゃんに返事すらせず、私とくまちゃんは起き上がった彼を見ていた。

 全身の至る所に包帯が巻かれていて、包帯が巻かれていない所からも覗く古傷が痛々しい。

 

「もう、大丈夫?」

 

 言ってからしまった、と思った。あれ程の大怪我でずっと寝たきりだったのだ。大丈夫なはずがない。

 何か言葉を交わしたくて、つい変な事を言ってしまった。

 

「……要求は何だ」

「よ、要求ってあんた、助けて貰って礼も無いの?」

「大丈夫……大丈夫よ、くまちゃん」

 

 男の子の態度にくまちゃんが熱くなってしまったようだ。

 私はというと、納得していた。最初に本部に連絡した時、忍田本部長が「近界民(ネイバー)かもしれない」と言っていたのを思い出す。

 

 もしかしたら、彼は自分が敵に捕まったと思っているのかもしれない。

 ボーダーの偉い人達が彼の事をどう考えているのか分からないけれど、私は彼が生きていて本当に良かったと思っている。

 助けようとした人が死んでしまう所なんて見たくない。

 

「あなたを傷つけたりなんてしないわ。ただ、あなたの事を教えて欲しいの」

 

 本部への通信を開く。彼が目を覚ましたことを伝えると、沢村さんは酷く驚いて、小さく「良かったわね」と言ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 彼、カナメくんが話した事は、私の想像を超えていた。

 

 奴隷として10年以上戦い続けてきた事。

 大国に彼のいた国が攻め滅ぼされる直前、(ゲート)の暴走で飛ばされてきた事。

 

 そして、大規模侵攻よりもずっと前に近界民(ネイバー)に攫われた日本人である事。

 

『……成程。情報、感謝する。続きは後日だ』

「了解しました」

 

 ベッドのカナメくんを見る。彼は自分の身の上を語る時も、眉一つ動かす事は無かった。

 淡々と、ただ起きた事をありのままに話していた。

 その声には感情も感傷も、当時感じただろう苦痛を厭う色すら伺えなかった。

 彼にとって、それが当然だったのだろう。

 

 初めて会った時のあの大怪我を思い出す。もしかしたら彼の命を奪っていたかもしれないあの傷すら、彼にとっては当然の物だったのだ。

 

 ────胸が痛い。

 

 いつも感じる息苦しさとは違った、締め付けるような痛みだった。

 

『こちらでも君の戸籍を確認した。安心してくれ、要くん。決して君を悪いようにはしない』

「そうですか」

『那須くん、君も休みなさい。……顔色が悪いぞ』

「……はい、ありがとうございます」

 

 忍田本部長の優しい言葉も、彼は唯の報告として聞き流しているのが分かった。

 まるで、「悪いように」というのがどんな扱いなのか分かっていないかのように。

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 要くんの一件は機密情報として扱われる事になったみたいだ。

 事が事なので当然だと思う。

 詳細は流石に私たちには教えてくれなかった。

 

「こんにちは」

 

 それはそれとして、私たちは許可が降りたのをいい事にずっとお見舞いを続けている。皆私のわがままに付き合ってくれて頭が上がらない。

 

 病室に入ると、ベッドから青空を見ていた要くんが振り返った。

 

「なすか」

 

 要くんはいつも、何をする訳でもなく、窓の外の景色を眺めている。そして私たちが来ると、少し遅れて振り向く。

 

 ——改めて、驚異的な回復速度だ。

 

 既に受け応えには何ら問題は無いし、その他の身体機能にも障害は残っていない。

 

「ええ、何回もごめんなさいね」

「構わない」

「あんたもうちょっと何か言いなさいよ……」

「クマチャンもか」

「やめてよ気持ち悪い」

「そういう名前じゃないのか?」

「違うからね!?」

「あっははははは!」

「笑うな茜!」

 

 静かだった病室に笑い声が満ちた。

 悪気があるのか無いのか、要くんは「?」マークを頭の上に浮かべながら差し入れのバナナを頬張っていた。たぶん至って真面目だ。

 

「お前達は軍人か」

 

 ふいに、食べる手を止めて要くんの静かな目がこちらを見た。

 

「いいえ。私たちのいるボーダーは、そうね……ちょっと違うかもしれないけれど、自警団や自衛隊と言ったらいいのかしら」

「ジケイダンやジエイタイ」

「志願者だけで結成された、防衛のための独立した組織よ。戦争じゃなくて、街の人たちを守るのが役目なの」

「わかる」

『YESかNOかしか意思表示できないんですかこの人……』

「ブフッ」

「?」

 

 思わずといったふうに口を挟んだ小夜ちゃんの言葉に茜ちゃんが吹き出した。通信なので要くんには聞こえておらず、相変わらず首を傾げている。

 それでも、小夜ちゃんが男の人のいる会話に入るのはとても珍しい。男の人が苦手なのを含めても、やっぱり放っておけないのかもしれない。

 

「……戦闘の無い日はあるのか」

「防衛任務は週2,3回くらいだから、それ以外の日はお休みかな。防衛任務でも何も起きない日もあるわ」

「————あるのか?」

 

 ぽかん、と。私の話を聞いて、要くんは酷く驚いていた。

 

「……ええ、あるわ」

 

 ──いったい、()()()ではどれだけ戦ってきたのだろう。

 

 気になるけれど、要くんが自分から言わない限り、決してこちらからは聞かないと私は決めていた。

 

「戦わない日は何を?」

 

 要くんが不思議そうに尋ねる。

 最近は専ら要くんの質問に答える形で会話している。「幹部の人たちから色々聞かれるぶん、要くんが何か聞きたいことがあったら遠慮なく言って頂戴」と私が言った。

 要くんの事だから「別にいい」とか言われちゃったらどうしようかと思っていたけれど、意外にも要くんは話しかけてきてくれた。

 

「それは、学校とか遊んだりとか……」

「学校とはなんだ?」

「────」

 

 何気なく放たれた質問。

 彼にとっては、おそらく何ら重要な意味の無いその言葉に、私達は死角から頭を殴られたようにうちのめされた。

 

 認識が、甘かった。

 要くんの言葉に、皆黙り込むしかなかった。

 

「……っ」

 

 ごくりと、一度息を飲み込んで。

 けれど私は、その空気を振り払うように。

 ここで怯んじゃダメだと自分に言い聞かせながら、できる限り気丈に言葉を繋げた。

 

「学校はね、色んな事を学ぶ場所。友達だって出来るし、身分なんて関係なく誰にだって行く権利があるの。もちろん、要くんも行けるわ」

「玲……」

 

 でも、ここで狼狽えていては駄目だ。彼に関わるというのなら、その位の覚悟はしないといけないんだ。

 

「何を学ぶ?」

「計算したり物語を読んだり、国の歴史を勉強したりするの。他にもいろいろあるわ」

「それでどうする?」

「お友達ができるとね、とっても楽しいの」

「楽しい…………」

「ええ、とても幸せな気持ちになれるの」

「……よく、分からない」

「ううん、いいの。いいのよ、今はそれで…………そうだ、ならまず、私とお友達になりましょう?」

 

 そう言って手を差し出す。

 要くんは私の手をしばらく見つめて、悩んでいるように言った。

 

「違う、分からないのはお前達だ。俺は知っている情報は全て話す。お前達が俺に貸しを作る理由は無いはずだ」

「…………」

 

 初めて、彼が目を覚ましたときの事を思い出す。

 ──重なったのだ。

 ベッドから体だけを起こし、何をするでもなく空を眺める彼の姿が。

 ──窓の外から聞こえてくる笑い声を羨ましく思いながら、届かない空を見つめるしかなかった以前の私に。

 

 ボーダーに入る前は、きっと私もああ見えていたのだろう。

 くまちゃんや茜ちゃんや、小夜ちゃんに出会わなければ、たとえトリオンの体を手に入れても、きっと私は今もそうだった。

 

「ううん、貸し借りじゃないの」

「…………」

「……あなたの事を放っておけなかった。恩を売るつもりは無いけれど、助けた人に死んで欲しくなかった。だから私たち、あなたが助かったって聞いた時、とても嬉しかった」

 

 彼は困惑した様子で私を見ている。

 でも私の言葉は止まらない。

 なにか、胸の奥に生じた、温かいような熱いような、そんな何かに突き動かされながら私は彼に言葉を届ける。

 自分がこんなに饒舌だったなんて知らなかった。

 

「──それに、どちらか選べるなら、楽しい方が良いでしょう?」

 

 要くんははじめて、驚いたように目を丸くした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやあ悪いな、わざわざ来てもらって。お前のトリガーを聞くに、此処で調べた方が良いってなっちまったんだ」

「構わない」

 

 はっはっは、と笑いながら肩を叩いてくるのはボーダー玉狛支部支部長、林藤匠だ。

 

 要が三門市に流れ着いてから一ヶ月。

 外出の許可が降りた要は今、彼の統括する玉狛支部へと足を運んでいた。

 

「しかし、よくボーダーにそこまで協力する気になったな。俺が言うのもなんだが、別に協力する理由ないだろ?」

 

 玉狛支部の傍を流れる川を興味深そうに眺めていた要が、林藤の言葉に振り返った。

 

「……友達のためだ。ボーダーのためじゃない」

(…………おぉ?)

 

 なんか、こう…………。

 

「……お前、ずいぶん変わったな」

 

 要の目は、林藤が初めて彼を本部からディスプレイ越しに見た時と同じだった。

 無機質で何も映さない、冷たい鉄の様な瞳。

 だが確かに須賀要という少年は、病室で過ごした一ヶ月で、少しづつだが変化を遂げていた。

 

「……分からない。ただ、玄界(ミデン)……この世界で生きる以上、変わらなければならないと感じた」

「────」

 

 違う。

 変わったのだ、自分から。

 彼はそう、努力したのだ。

 

 第1目撃者故に仕方がない、また何ら責のある行為を働いたわけでもないのに記憶封印措置を行うわけにもいかない、という理由でこの少年との面会を許された那須隊だったが、彼女たちとの接触は要を想像以上に良い方向へ運んでいた。

 

 林藤は知っている。

 奴隷や兵士、戦わされる者たちが、敵と共に自分の心をも殺し始めたとき、二度と取り返しのつかないところまで壊れていってしまうということを。

 他でもない、自分の目で見てきたから。

 

「はは……よーし、このあと用事が済んだら焼肉連れてってやる。こっちのメシはうまいぞ〜」

「肉か、任せろ。食糧の現地調達(狩り)はできる」

「や、そうじゃないから」

 

 国とか戦争とか、トリガーとかボーダーとかなんて関係ない。

 林藤はただ一人の人間として、この少年が真っ当な人生を送り始める入口に立ってくれた事を喜び、またそれを助けてくれた那須隊へ深い感謝を抱いた。

 

「おっし、とりあえず入るぞ。今は戦闘員達は防衛任務だが、皆面白い奴らだ。仲良くできると思うぜ」

「了解した」

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

「うーん……君、コレで今まで戦ってきたんだろ?」

「そうだ」

 

 仮装シミュレータールームで要のトリガーを調べ終わった後。

 玉狛支部のエンジニア、ミカエル・クローニンが深刻な面持ちで要を見た。

 特に思うことも無く要が肯定する。

 

「よく死んでないね」

「……? 生きているからな」

「オイオイ、会話が噛み合ってないぞ」

 

 質問の意図が不明だ。

 こいつは目の前の自分が見えていないのだろうか。

「こうして生きているのだから死んでいる訳が無いだろう」と要は思った。

 心底不思議そうな顔で見つめ合う二人に、呆れた様子で林藤が突っ込む。

 

「まあいいや。今後基本的にこのトリガーは使用禁止だ。それまでは使うならボーダーの……そういえば、君はボーダーには入るの?」

「そのつもりだ」

「えっ、おれ聞いてない」

 

 適当に頷くと、林藤がずっこけた。

 言ってないから当然だ。

 

「手続きはどうすんだ? 正式入隊には保護者の書類が必要だぞ」

「……因みに、実家は?」

「2年前の侵攻で死んだそうだ」

 

 シノダが連絡してきた事実を伝えると、二人の顔にわずかに陰が差した。

 ミカエルはすぐに「ごめんね」と謝り、林藤は静かにタバコの煙を吐き出していた。

 

「それより、俺がボーダーに入るにはどうすればいい?」

 

 構わずに質問すると、林藤は椅子から立ち上がり、静かに頭に手を置いてきた。

 

「まあ待て。お前には先にやんなきゃいけない事がある。行くぞ」

「ちょっと、ボス」

 

 そう言うと、林藤はミカエルの制止も聞かずに要の手を引いて歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

「……ここは?」

 

 三門市の中心にほど近いとある公園。

 木々に囲まれたその空間に、1つの大きな塔が立っていた。

 その周りをいくつかの石版が囲み、そこにはびっしりと細かい文字が刻まれている。

 

「慰霊碑だよ。2年前の大規模侵攻で死んだ1200人超の名前が全部書いてある」

 

 塔の下にはいくつもの花束が手向けられていた。

 度々人が訪れる場所のようだ。

 

「お前の親御さんの名前もあるはずだ。探してみろ」

「……文字がわからない」

「あぁ〜……そうか、そうだよな、悪い。俺が探すしか無いか……えっと五十音順だから……」

 

 しばらく端から文字を読もうとしたが、とてもできそうになかったので林藤に伝えると、林藤は一言の謝罪の後、要を1つの石版の前に連れていった。

 

「須賀……あった。ほれ、ここだ」

 

 指さされた2つの文字の羅列を見る。

 やはり、なんと読むのかは分からなかった。

 

「ただいま、って言ってやりな」

 

 林藤が穏やかな声で言った。

 

 要はもう、彼らの名前すら忘れてしまった。

 しかし、その2人の名前を見て、『お父さん、お母さん』と何となく胸の裡で唱えた時、ふと要の脳裏に去来するものがあった。

 

 わけも分からず放り込まれた殺風景な監獄。

 寒くて、怖くて、ただ泣き叫ぶしかなかった幼い自分。

 死なないために大勢を殺した。

 敵を殺した。

 味方を見捨てた。

 そうして命を長らえても、胸に積もるのは絶望だけだった。

 

「一つ……思い出した」

「ご両親のことか?」

「違う。攫われた後の事だ」

 

 ──遠い、遠い記憶を見ている。

 

『おとうさん、おかあさん』

 

 暗い部屋の隅で、膝を抱えて泣いている自分。

 嗚咽混じりに繰り返し呼んでいる。

『お父さん、お母さん』と。

 

 ──なぜ、今まで忘れていたのだろう。

 

「……最初は、ただ帰りたいだけだったのに」

「…………」

 

 いつからだろう。

『もう一度父と母に会いたい』という願いすら忘れ、命じられるままひたすら敵を殺すようになったのは。

 

 慰霊碑に近寄り、そっと2人の名前を指で撫でる。

 

「遅れて、ごめんなさい」

 

 冬の気温と木の陰に晒された慰霊碑は、要の指に冷たい痛みを残すだけだった。

 だが確かに、なにか物理現象とは別の温かさが、自分の胸の裡に広がったのを要は感じた。

 

 ——その痛みと温かさが、まるで両親に叱られた後に、優しく頭を撫でられたようで。

 

 二人の声も顔も、もうとっくに覚えていないのに。

 要には、優しげな男女の「おかえりなさい」と言う声が聞こえた気がした。

 

「うん。ただいま、二人とも」

 

 もう一度慰霊碑を優しくなぞり、指をもう一方の手で包み込む。

 その痛みを、大切に、慈しむように。

 

「借りが出来た。ありがとう、リンドウ」

「気にすんな。もういいのか?」

 

 立ち上がり、慰霊碑を離れる。

 

「──ああ。俺が生きていれば、また来れるから」

「……そうだな」

 

 林藤の傍を通り過ぎる時、要の顔には柔らかな笑顔が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 後日。

 

 

「リンドウ支部長の計らいにより、本日付で玉狛支部配属になった須賀要(スガカナメ)だ」

「つーわけだ。あ、こいつここに住むから」

 

「ちょっと! あたし聞いてないんだけど!」

「木崎レイジだ、宜しく」

 

 後にボーダー最強と呼ばれる事となる「旧玉狛第一隊」が結成された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




慰霊碑はオリジナルですけど、三門市にそういうの無いんですかね。

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