目の前は悲しくなりそうなくらい青一色だった。海の青、空の青…青青、青…抑えられない負の感情…耳に入ってくるのはおさまらない貧乏ゆすりのような波の打ち返す音だけだ。スラ吉は一人、真っ白な砂浜を歩いていた。それは泳ぎに来たわけでもなく、ましてや感傷に浸るためでもなく、これからの復讐計画を練り上げるために、たった一人でここにやって来たのだった。
計画そのもの自分が生き残っていた時から考え始めていたし、もっと具体的に『あの商人』と倒すことを思いついたのは特殊階層以後のことだ。必要なものをそろえる準備はリリパとパトリックを助けてから始めた。2人の世話をしながら、必要な道具を集めていた。
後は計画を実行に移すタイミングと、不備がないかを総点検するだけだった。
「何を゛し゛て゛お゛る゛の゛だ、こ゛ん゛な゛と゛こ゛ろ゛で」
後ろの岩場から急に現れた族長・パトリックのしわがれた声に、スラ吉は一瞬ビクッとした。
「考え事をしていたんです」
言った瞬間、スラ吉はしまった、と思った。泳ぐのでもなく、サーフィンでもなく、ナンパでもなければ海にくる理由なんて考え事ぐらいだろう。
しかも、こう言ってしまった以上、次は「何を考えておった」とか訊かれるに決まっている。スラ吉はこの二人のリリパットを巻き込みたくなかった。もし、二人が自分と同じく五体満足ならこの考えも変わっていたかもしれない。だが、二人はすでに致命的な身体の損傷を背負っている。
単純な問題として足手まといになるかもしれないし、それ以上に二人には生き伸びて、残された人生を生きて欲しい。
今や、二人が生き延びることがスラ吉にとっての唯一の希望だ。
スラ吉はもはや死ぬ覚悟でいた。この戦いは死んでいった仲間たち――スラ美ちゃんや大ナメクジのおばさんに捧げるため、ただそれだけの戦いだ。
もう二度と取り戻せない故郷に決着をつける。
スラ吉は自分の計画を心中に秘めておくために、「族長はなんでここに来たのですか」と相手の機先を制した質問をしたつもりだった。
「お゛前と゛同じこ゛と゛を゛考え゛て゛い゛た゛の゛だよ゛」
スラ吉の真横で松葉杖を傾けながら真っ白な砂浜に族長は座った。ここ数日で、松葉杖にもだいぶ慣れたようだった。
「復讐計画だよ゛。何も゛、君だけ゛の゛専売特許では゛な゛い゛だろ゛う゛?」
唯一使える右手で貝殻を拾い上げると、海面へ向って滑るように放り投げる。貝殻は2,3回海面を跳ねると、元いた海底へと沈んでいった。波紋は波の力であっという間に消されてゆく。
「実は゛話があ゛って゛な゛」ひと呼吸置いて続ける。
「リ゛リ゛パ゛も゛……あ゛の゛子も゛そ゛の゛計画に゛参加さ゛せ゛て゛欲し゛い゛」
スラ吉はハッとしてパトリックの方を見上げた。
「驚く゛の゛も゛無理は゛な゛い゛」
「驚くって……何を言ってるんですか。あの子を危険な目に遭わす訳にはいかないよ。例え本人が望んでいたとしても」
「言い゛た゛い゛こ゛と゛は゛分か゛る゛。私だって゛出来れ゛ば参加さ゛せ゛た゛く゛な゛い゛」
「だったらどうして」
「君は゛気付い゛て゛い゛る゛か゛ね゛」
パトリックがフードの影で僅かに笑みを浮かべている。
「何にですか」
「あ゛の゛子の゛聴覚に゛だ」
「あ゛の゛子の゛聴覚は゛失った゛視力を゛補う゛か゛の゛よ゛う゛に゛日に゛日に゛発達し゛て゛い゛る゛。ま゛あ゛、歌の゛方は゛ア゛レ゛だがね゛」
「それがどうしたんです。そんなこと言ったって参加させる訳には…」
「まあまあ、話は最後まで聞くものだよ。リリパの聴覚は地獄耳の巻物の効力をも、上回っておる。いや、これは大げさかもしれんが、とにかく、リリパはダンジョンで、広範囲で索敵できる。必ず役に立つだろうし、索敵だけならばそれ程危険もない。頼む、連れてやってくれ」
「まだもう一つ頼みがあるんじゃないですか」
「よ゛く゛分か゛って゛お゛る゛な゛……私も゛連れ゛て゛行って゛く゛れ゛」
フードの中の顔に不敵な笑みが広がった。明るい色彩の風景の中、パトリックの暗緑色だけがくっきりと浮かび上がってみえる。そう言えば――スラ吉はこの時初めて自分の体色が空と海と同じ青色だと気付かされた。
「どうせダメだって言ってもついて来るんでしょ?でも、危険なことは僕がやる。今回はヤツラをおびき寄せる囮が必要なんだ。それも近くで挑発するような囮が。それは絶対、僕一人でやるからね」
「分か゛って゛お゛る゛。こ゛の゛中で一番足が速い゛の゛は゛(スライムに足は無いが)お゛前だか゛ら゛な゛。だが」
フードの中の笑みが消えた。
「絶対に゛生き゛て゛戻って゛来い゛。無理だと゛思った゛ら゛退く゛こ゛と゛も゛勇気の゛一つ゛だ。今回を゛逃し゛て゛も゛ま゛た゛襲撃す゛る゛チ゛ャン゛ス゛は゛必ずあ゛る゛」
「……問題は襲撃するチャンス、正にそれなんだ。さっきはついて来てもいいって言ったけど、僕は全力でヤツラを追いかける。ついて行けなくなったら、気の毒だけどそのまま置いて行くからね。それだけは分かってよ」
スラ吉が言い終わるやいなや、パトリックは突然高笑いした。戦火の傷痕生々しいあのダミ声で。
「私は゛由緒正し゛い゛リ゛リ゛パ゛ット゛の゛族長だぞ。君た゛ち゛の゛知ら゛な゛い゛近道く゛ら゛い゛、い゛く゛つ゛も゛知って゛お゛る゛。ま゛あ゛、若者を゛導く゛の゛も゛老人の゛義務だか゛ら゛な゛…ハ゛ハ゛ハ゛ハ゛ハ゛」
パトリックは砂の上で立ち上がりにくそうだったが、一旦、立ち上がってしまうとそのままヒョイヒョイと砂浜を横切り、リリパの元へ消えていった。
後には、空の青も海の青も拒むスライムが白い浜辺に佇んでいるだけだったが、それもしばらくすると何処かへ溶け去った。
トルネコ達は傷を癒すと、さらに10階ほど降りて行った。
いつものように階段を下りたが、すぐにただならぬ雰囲気に二人の冒険者は困惑した。
BGMが急に止んだのだ。
過去の冒険でもこのような事態はあったが、それは嵐の前の静けさであり、何か大きなイベント――それも大抵はよくない方の前触れだ。二人とも沈黙の中、何を喋っていいのかも分からなかった。ライアンは何か言おうとしたが、舌は軸が外れた車輪のように空回りし、肺は異常な空気を取り込むだけで精一杯で、意識しなければ呼吸自体が止まってしまいそうだ。
こんな状況であっても、最初の沈黙を破ったのはトルネコの方だった。
「さっき拾った地獄耳があるだろ」
「ああ、あるな。一つだけ」
「それを使おう」
「ここで? 少しもったいなくはないか?」
「いや、どうせ使うなら今使おう。それにしても嫌な空気だ。隣の部屋にネネでもいるんじゃねえのか」
ライアンは地獄耳の巻物を平板な声で読み上げた。
何のBGMもない中では、巻物を読んだ時の効果音ですら何か不吉なように響いた。
「何だ? これは……」
「オイ、どうしたんだよ」
ライアンの予想外の表情の変化にトルネコですら少し戸惑っている様子を隠せない。
ライアンはしばしの間、自らの目に間違いがないかどうかを必死に確かめてみたが、それでもフロア内に全くモンスターがいないという自らの解雇に匹敵する歴史的大事件は疑いようがなかった。
いや、ちょっと待てよ……
索敵範囲ギリギリのところに、かすかに光る赤い点が見えるではないか。その赤い点はすぐに移動し、巻物の効果範囲外に出てしまったが……
一瞬、それはライアンの願望が生み出した希望的幻影かと思ったが――それはあり得ない。広大なマップの中に確かに赤い光を見つけたからこそ、そこに注目したのであり、その光が太陽の黒点のごとく移動してゆくのを目撃できたのだ。だから、あの赤い点があったのは確かだ……そのことをトルネコに告げると
「とにかくそいつを追いかけてみようぜ。地獄耳はモンスター以外に神父や商人なんかも赤い点でしか表示しねえからな。ひょっとしたら物語上の重要人物かもしれねえ」
口には出さなかったが、ライアンは思った。このゲームの製作者がそんな粋なことをする訳がない、と。
だが、それを言ったところでどうすることもできない。
二人は、取り合えず赤い点があった場所に行こうと、左の通路へ入って行った。
ぼきゅ、ぼきゅ、ぼきゅ…
静寂に包まれた部屋の中で、合成の壺へドラゴンの死骸を入れる音だけが響き渡る。トルネコはその高貴な古代生物の死骸を発見して喜んでいたが、ライアンは一抹の不安を感じていた。というのも、死骸からは内臓の一部がすでに抜き取られているようなのだ。そして足元にある焚火の跡……ここでドラゴンの心臓を焼いて喰ったのだろう。
そして大きな外傷――首筋のバックリ開いた切り傷。これは強烈な力で叩きつけられた斧によるものと見て、ほぼ間違いない。そしてこの二つの痕跡から想定されるのは――バーサーカーだ。それに、ライアンはバーサーカーが戦いの直前に竜の肝で出陣前の儀式を行うことも知っていた。
別に、竜の心臓やその他の内臓の喰ったからといって強くなる訳ではない。そうするのは、ただの儀式なのだ。人間が辛い時や悲しい時に神に祈ったり、どうにもならない家のローンを抱えながら宝くじを買ったり、はたまた教会の売る紙切れ同然の免罪符を買ったりするのと同じ、ただの効力のないジンクスなのだ。
それにしても――もうあのフロアで黒こげになったと思っていたのに、まさかここまで先回りして待ち伏せしているとは……
いいだろう、ここで決着を着ける。
こっちは二人とも強力な武器を持っている。向こうの斧が届く前に矢と鉛の雨で、儀式を捧げた神の元へ送り返してやろう。
「いやぁ、ちょうどドラゴンが欲しかったところなんだよ」
――ひと通り死骸を壺に詰め終わったトルネコが嬉しそうに喋りかけてくる。もはや、この壺はトルネコにとってただの家畜の入った壺以上の愛着が芽生え始めているようだ。
そうだ、その方法があった。
ライアンはトルネコにこのフロアに例のバーサーカー(Lv9)がいることを知らせた上で、ここで合成生物を使うように提案した。
「いや、駄目だね」返事はそっけないものだった。
「なぜだ? 今こそ使う時ではないか」
「さっきドラゴンを合成しただろ。あれでまた完成するまでに時間がかかるんだよ。今コイツを開放しちまうと、暴走する可能性が高い。何たって、まだ不完全なんだからな」
「最悪、敵が増えることになる、そういうことか」
「まあ、そういうことだな」
この肝心なときに使えないとは、何と不便なものだろう。こんなモノの為にわざわざ危ない橋を渡ってゾーマまで倒しに行ったのかと思うと、余計に腹の底からこみ上げてくるものがあったので、その辺りはあまり深く考えないようにした。
とにかく、今は生き残ったゾーマの犬を始末することが先だ。
「そう心配するなって。俺達には強力な武器があるじゃねえか」
放火しといて「保険かかってるからいいじゃねえか」と言うようなものだ。心の中でお前が言うなとボソリと言い返しながら、赤い点を追って歩きだした。
早くしないと――地獄耳の巻物の効果もそれほど長くはないのだから。
「よし、この辺りでいいかな」
「向こうの部屋も言われたとおり準備できた」
「こっちも準備できたよ」
「ありがとう……二人とも、もう安全な場所に下がってて。これから先は僕一人の戦場だから」
安全な場所――このフロアにそんなものがあること自体、信じていない。例の商人達にバーサーカー。しかし、リリパの聴覚が捉えているのは、自分たち以外にはあの二人だけだという。では、さっきフロアに残ったアイテムを回収した時に見つけた、あのドラゴンの死骸は……? このフロアにバーサーカー(Lv9)がいることは、あの証拠から確かだ。だが、姿も見えず存在も感知されないということは、普通に考えればもう下のフロアに降りて行ったのだろうか。
「どう゛し゛た゛、何か゛気に゛な゛る゛こ゛と゛でも゛あ゛る゛の゛か゛?」
「ええ。一つだけ気になることが」
本来なら、実行直前に不安になるようなことはあまり言わない方がいいだろうが、この二人には聞かれても構わないと思ったし、むしろ聞いて欲しかった。もしかしたら、何らかの解決策が得られるかもしれない。
「あぁ、ドラゴンの死骸のことだろう?」
コクリと黙ってうなずく。
「もうそのことは気にしても仕方がない。忘れろ」
「うん……でも」
「私とリリパのことなら心配はいらん。危険が近づいたらいくらでも逃げることはできる。だから、余計なことはもう忘れろ。今は目の前の、『自分の戦場』に集中するんだ」
「はい……」
スラ吉の返事は小さかったが、決意は大きかった。いくら近道を通ったとはいえ、ここまでついて来れた二人なのだから、もはや心配する必要はないとようやく悟った。そして、スラ吉がいなくなっても、もう十分生きていけるだろうということも……
すると突然、パトリックは松葉杖を放し、(その間、左足と右の義足だけで立っていた)右手をスラ吉の上に掲げた。
「すべての無念の死者たちよ……大いなる勇気を持つ、この小さきスライムにあらん限りの武運と祝福を! さあ、存分に戦え。私たちも見守っていることを忘れるな!」
「ありがとう、みんな……そっちこそ、気をつけてよね」
「言われるまでもない。私は由緒正しいリリパットの族長だぞ」
松葉杖に手を戻して、リリパと一緒に奥へ行こうとした時だった。
「こ、これは……もう一人フロアに……」
「心配すんなって。俺達には強力な武器があるじゃねえか。」
例の商人の声がすぐ真上でした。BGMが消えた静寂の空間を二人の足音だけが点描していくのを聞きながら、十分遠ざかったころにバーサーカー(Lv9)はドラゴンの死骸があった地面の下から這い出た。
商人たちの前には、スライムが通りかかった。
恐らく、彼もここで決着を着けるつもりなのだろう。あの弱いスライムがどうやって戦うのかはだいたい予想がついていたが、それでも無謀なのは変わりない。まあ、そんなことはどうでもいいが。
バーサーカー(Lv9)はスラ吉があまり好きではなかった。その最大の原因は、スラ吉がゾーマをけしかけて、結果的にトルネコと闘わせたことにある。あれ程強力な武器を持っていると知っていながら、主君の自尊心をくすぐりうまくあの遺跡へ商人を招き入れた。お陰で自分は今こうして主君も故郷も、主君が復活したときに約束された栄誉もはく奪され、復讐に身をやつす羽目になったのだ。
完全に地面から抜け出すと、バーサーカーは商人が消えていった通路へと足を踏み入れた。以前のような異臭がしないか確認する。
まあ、ここまで用心しなくても、そもそもあの二人はまさか自分が竜の死骸の下にいるとは思ってもいないだろう。それより、スラ吉のやっていることの方が気になった。正々堂々と勝負をつけるつもりで(それとリハビリも兼ねて)フロア内のモンスターを排除しておいたのだが、このままではハサミ打ちの格好になってしまう。
まあいい。奴らにフェアプレーなど高級すぎる。最期にこの斧を叩きこめれば、それ以外はどうでもいい……
暗い通路に油の臭いはなかったが、嫌な湿り気とコケ植物特有の香ばしい香りがバーサーカーの鼻腔を満たしていた。
ようやく、逃げて行ったマップ上の赤い点をまた捕捉したところでライアンは自分たちの跡をつける赤い点が、新たに出現したことに気づいた――のだが、それとほぼ同時に地獄耳の巻物の効果はプッツリと、電源を落としたかのように切れてしまった。
「ん? どうした、何でまた急に止まるんだよ。まさか、もう巻物の効力が切れちまったのか」
トルネコが少し驚いた表情のライアンを見てそう尋ねる。
「ああ、そのようだ。だが、場所は分かっている。それより気になることが2つある」
すぐに思い出したように通路を歩き始めるライアン。
「2つもあるのかよ。アンタが分からんことを、俺が分かるとは思えんがね。」
「まあ、もしかしたら話すことで何か解決の糸口が見つかるかもしれん」
「んで、結局何が気になるんだ?」
「まず第一に、さっきの竜の死骸があった部屋、そこから忽然と姿を現したやつが一匹……そいつは今、我々の跡を追って来ている。実際に追いかける気があるかどうか分からんが。
そしてもう一つ。逃げて行った赤い点は所定の位置に留まっている。」
「なるほどね~要するに、後ろの赤い点は気になるが、分らないことが多すぎる、前の赤い点は罠の可能性があるってことか?」
「ああ、そうだ」
別にライアン程の軍事専門家でなくとも、少し経験を積んだ人間なら容易に想像できることだろう。こういう場面での問題は、相手がどこまでこちらの思考を読んでくるか、に尽きる。こちらに罠だと思わせておいて、実は何の罠もない、ということもあり得るのだ。
だが。
「実際、奴さんが何を考えているかは知らないけどよ、いったん部屋の中に入っちまえばアンタの黄金の弓でイチコロだろ。俺らの武器の前では小細工は通用せんぜ」
確かに、トルネコの言うとおりだと思ったが、それでもライアンの心の中に何か引っかかるものがあるなは否めない。あれだけ強力な武器を持てば、誰だってトルネコと同じことを言うだろうが。
「それに、今思ったんだが、相手がモンスターって決まった訳じゃないだろ。もしかしたら別の冒険者かも知れんしな」
「ああ、そうだな。可能性はある」
口ではそう言ったものの、実際にそれはものすごく考えにくい。人間だとしたら、なぜあんなところで止まっているかが理解できないからだ。だが、説明できないことをいくら言い合ってもしかたがない。
最後は自分の目で確かめるしかないのだから。
リリパの聴覚によれば、地面から出てきたのは足音から判断するに倍速系のモンスターらしい。これを聞いた時、スラ吉は自らの計画が成功する確率がグンと上がったと確信した。そしてついに――たくさんの仲間を殺戮した商人たちが、通路の闇からスラ吉のいる部屋へ、無機質な足音だけを異常に響かせながら入ってきた。