「フフーん♪今日もいい天気だなぁ♪」
ぼく(普通のスライムのスラ吉)は今日も上機嫌だった。これから何が起こるかも分からず、能天気にいつもと同じく、ダンジョン内でピョンピョン飛び跳ねながらスライムベスのスラ美ちゃんの家に遊びに行くのを楽しみにしていたんだ。今日こそは……いつも言いそびれていたことを言おう。そう思っていたときだった。
「あれ? 何だろう……」
前方のフロア―それもど真ん中の中途半端なところに――丸い物体が転がっているのが見えた。あのオレンジ色から判断してスライムベスか――ぼくには、何となくスラ美ちゃんに見えたし、その確信はあったけど、それにしてもなぜこんなところにいるのか……日向ぼっこでもしているのだろうか……? とにかく、近づいて分かったことは、それがぼくの思った通りスラ美ちゃんであったこと、そしてスラ美ちゃんは日向ぼっこをしていたのではなく、重症を負って息も絶え絶えの状態で倒れていた、ということだった……
「ど……どうしたんだい、スラ美ちゃん?!」
「あ……スラ吉」
スラ美ちゃんは朦朧とする意識の中で辛うじて相手を認識することができたみたいだった。でもすでに、全身から体色と同じ色をした(若干濃い)液体が体の至る所から流れ出している。
早く治療しなければ……
なぜこのような状況になったのかは、このときとても気になったが、今は治療が先決だ。
「待ってて……すぐに薬草とって来るからね!!」
叫ぶようにそう言って、走り出そうとしたそのときだった――
「スラ吉……」
「え?どうしたんだい? 大丈夫、すぐに戻ってくるから――
「そうじゃないの……逃げて、スラ吉……今すぐこのダンジョンから逃げて!!」
もうほとんど、最後の力を振り絞った訴えだった。どんなことが起きたのかは、ぼくはまだ知らない。でも、それでもスラ美ちゃんを見捨てて逃げ去ることなど――何より出来るわけ無いじゃないか!
「聞いてスラ吉……」
そんなぼくの心を読み取ったかのように、スラ美ちゃんが話を続けた。息もさっきより荒くなっている。死期が近づいている―― 一瞬そんな考えが浮かんだが、すぐに打ち消した。
「このダンジョンに……悪い人間がやってきたの……奴らはダンジョン中の仲間を殺して……アイテムを根こそぎ奪っていったわ」
信じられなかった。これはイタズラか何かで、誰かが物陰から見ているのではないか、そしてスラ美ちゃんの血も血糊か何かで、ぼくが慌てているのを見て、みんなで笑うのだ。このダンジョンの仲間達はそんなイタズラものばかりだが、それでもみんな根は優しい、憎めないものばかりだった……だがウソだと思いたい願望は、スラ美ちゃんの血の匂いが完全否定していた。
「ももんじゃのモン太君は?」
ぼくは恐る恐る、尋ねた。
「頭を一撃で……」
「いたずらモグラのモッチーは?」
「スコップで首を刎ねられたわ……」
「おおなめくじのおばさんは?」
「行方不明、でも多分……」
ウソだ、こんなこと。
「スラ吉、私はもうどうせ長くはない。でもあなただけは逃げて! そして下の仲間にこのことを伝えて……!」
「嫌だよ、そんなの…… 出来るわけないじゃないか!」
「だめよ…… お願い、逃げて…… 奴らが…やつらが…すぐそこまで――
スラ美ちゃんがそのセリフをすべて言い終わることはなかった。背後から突然叩きつけられたゴルフクラブによって、2度と喋れないようにされたからだ。
「うわあああぁぁぁぁぁ!!!!!!」
ぼくは、気がつけば絶叫していた。自分の意志とは関係なく、体だけが別人のように絶叫していた。こんなに怖い思いをしたのは天変地異で大粒の雹が降ったとき以来だった。あのときは一晩中、恐怖でほとんど眠れなかった。
今、目の前にあるのは、上から凶器を叩きつけられ、破裂して地面のシミへと変わりつつあるスラ美ちゃんだったものだ。ぼく自身も血飛沫を浴びて、ほとんどスライムベスのような体色になってしまっていた。このときの臭いは長い間取れなかったことを、今でも覚えている。
スラ美ちゃんを殺した男は、青い髪の毛をした、縞模様のシャツに赤い羽織を着てサンダルを履いた、どこにでも居そうな、町の商人のようないでたちだった。一瞬、体が固まった。だが、スライム族特有のすばやさがあったおかげで、ぼくは幸運にも、その男の第2撃目をなんとか避けることができた。ぼくがさっきまでいた場所に、思いっきり振りかぶったゴルフクラブの一撃で、クレーターが出来ていた。
ぼくは恐怖でどうにかなりそうな頭を必死に鎮めて逃げ回ったが、あっという間に部屋の隅に追い詰められてしまった。どうやらこの商人は、ダンジョンでの戦闘にかなり熟練しているらしい。ジリジリとにじり寄る男……髭で一部隠れているものの、その口がこれから行われる殺戮の喜びに不気味な笑みを浮かべている……少なくともぼくにはそのように見えた。
(ごめん、スラ美ちゃん……逃げられそうにないよ……)
でも、それもいいのかもしれない。このまま生き延びてしまうよりは、早くスラ美ちゃんのもとへ逝ったほうが、このときはまだマシに思えた。商人の黒い影がぼくの全身を覆い、ゴルフクラブが振り下ろされようとしたときだった。
「グァッ!!?」
商人は短い、なんとも言えない、意外に情けない声をあげると、突然地面に前のめりに倒れたのだ。そしてその倒れた商人の背中に乗っていたのは――
「おおなめくじのおばさん!! 生きてたんだね!!」
「さぁ、今のうちよ、早く逃げて! こいつは私が引きつける」
「おばさんは? どうするの?」
「そんなことは気にしないで! 今は一人でも逃げ延びることが先決よ!!」
それだけいうとおばさんは商人の背中を思いっきり、何回も噛んだ。
「いってぇぇ!! このドチクショウ共が!!」
まただ……また、「逃げて」……モンスターのなかでも最弱のスライムに誰も期待などしていないのが悔しかったし、そして悲しかった……もう仲間はいない……一緒に笑い、泣き、メダカを追いかけた、あの仲間も、あの時間も――もう帰ってこない。何もかも。そして今、ここで仇討ちすらできない自分に腹がたった。自分なんて……逃げても何も出来ないじゃないか……! せいぜい下の他のモンスター達にこのことを知らせるぐらい。それも仲間の犠牲の上に成り立つもので、自力ではない。
ぼくが迷っている間に、大ナメクジのおばさんは顔面に裏拳を喰らい、5メートルほど吹っ飛んで、地面を何回か転がった。
「何……してるの。あれ程逃げなさいと言ったでしょう……こんなときに……おばさんを困らせないで」
痙攣しながら起き上がろうとするおばさんの口からは、緑色の血が幾筋も流れ落ちていた。ぼくは、みんなの期待を裏切らないために、そしてみんなの命を無駄にしないために、心を決めることにした。
例の商人(らしき人間)は地面に落ちたゴルフクラブを拾おうとしている……
(今だっ!!)
覚悟を決めると、隙をついて一気に逃げた。後ろは振り返らなかった。また迷ってしまうから。だから、ぼくはこのとき、おばさんを見捨てて逃げた、世界一の臆病者になったんだ――その後おばさんがどうなったか、詳しいことは結局分からないままだ。あのときの状況から考えて、死んだと考えるのが自然だろう。でも、ぼくとは違って、勇敢に戦って死んでいった――それだけは確かだし、そのことはずっと覚えているだろう。ときどき夢に出てくるおばさんは、優しくて――厳しくて――パンをつまみ食いしたときは怖くて――そしてやっぱりそれ以上に優しかった、あのときのおばさんのままなんだ。でも、一つだけ違うのは――おばさんの口から緑色の血が流れていて、それを見ると、ぼくはまた・・・逃げ出し て し ま う………
「くっそ~絶対ぇぶっ殺す!!」
トルネコがゴルフクラブを手にして起き上がったときには、すでにスライムは走り去ろうとしていた。すぐに追いかけようとしたそのときだった。
ドン!! トルネコの側面を何かがぶつかったような衝撃が襲った。
「あのクソなめくじが……まだ生きてやがったのかよ」
2回とも不意打ちにも関わらず、ほとんど致命的なダメージを与えられていないことからして、戦力差は圧倒的だった。しかしおおなめくじはそんなことに頓着せず、またしても勇敢に突撃していったのだ。だが、トルネコも何度も不意打ちされるような未熟者ではない。
「ウリャァァア!!」
獣のような叫び声をあげると、突進してきた大なめくじへむかって、愛用の2番アイアンをキレイに振り抜いた。スライムベスを叩き潰したときと同じ、嫌な打撃音だけ残して大なめくじの体は衝撃で二つに分かれ――別々の方向に緑の体液を撒き散らしながら、ゴルフボールを打ったときのように――キレイな放物線を描いて飛んでいった。
「ナイッしょ~!! ヒャハー!!」
本人にとって、あまりにもキレイに飛んでいったので、標的のスライムのことも、今までおおなめくじに翻弄されて忌々しい思いをしていたことも――これまたキレイにトルネコの頭から吹き飛んでしまった。
「トルネコ殿、随分と調子がいいな。」
今しがた、通路から入ってきたばかりのライアンがそう呟いた。
「おう、アンタか。そっちにスライムが逃げていかなかったか?」
「いや、見かけなかった。きっと別の通路を逃げていったのだろう」
「くっそ~もうちょっと楽しめると思ったのにな」
先の戦闘(というより一方的な虐殺)を忘れて、取り逃した獲物を悔しがる。
「随分とスライムにこだわってるようだが……すでにアイテムも全て回収したし、剣の切れ味も十分試させてもらった」
そういって血まみれの破邪の剣を指す。
「もう、このフロアには用は無いだろう」
「スライムは形がボールに似てるから一番打ちやすいんだよ。それに死体も回収したかったんだが……アイテムも全回収したなら、もうこれ以上ここにいる必要はなさそうだな」
そんなことを言いながら、フロアを立ち去ろうとしたときだった。
「じ…くに…ちろ……ねの…じゃども………」
背後から幽かにそう聞こえる。振り向いて耳をすませてみて分かった。先の大なめくじの千切れた破片からだ。トルネコはこんな雑魚に(ダメージはほとんどなかったとは言え)不意打ちをくらったことを思い出した。ライアンの「そんなものは放っておけ」という制止を無視して、つかつかと、自らがばら撒いた体液の海に横たわる、大なめくじの残骸に近づく。
「ぢごくにオチロ…金の亡者ドモ………」
「うへぇ。気持ち悪ィ。まだ喋れたのかよ。こういうゴミはチャッチャと片付けとかないとな」
そう言うとトルネコは壷からおもむろに伯方の塩を取り出し、散らばった臓物にも満遍なく、執拗に、何回も、これでもかと、アメリカ軍の空襲の如く、ばら撒いた。きっと奇襲されたことをまた思い出したのだろう。体中から水分が抜けていく中で大なめくじが最後に見たのは、歪つな喜びに顔を歪める商人の姿だった。
「トルネコ殿!!」
「分かってるって。もう終わったから、そう急かすなって」
「すでに風が強くなってきておる」
ピンク色の無頼漢の言う通り強くなってきた風に追い立てられるようにして、二人はそのフロアを跡にした。
そしてたった一つだけポツンと残された、塩で縮んだ大なめくじのミイラ(かつてこのフロアに生命がいた最後の痕跡である)は、やがて塵のような小さな破片になり――強くなる一方の風に乗って、フロアの奥へと飛んで行った。
米軍と『インディアス破壊についての簡潔な報告』を参考にしております!