マッド・トルネコ   作:トラネコ

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ようやく冒険再開!


20.ダンジョン50階層にて1

レミの言った通り、トルネコ達はダンジョンの50階へと、別々に飛ばされていた。

「よお、ライアン。またアンタと一緒か」

「そのようだな。正直安心したぞ。流石にレベルが低いうちの50階単独は厳しいものがあるからな」

「他のやつらはどこに行ったんだろうな」

 たぶん、ポポロのことだけが心配でこのような柄にもないことを口走ったのだとライアンは思った。他のメンバーは全員、デスピサロに立ち向かった猛者だが、ポポロはまだほんの子供にすぎない。本人は自分を大人だと思っていてもだ。

「大丈夫だ。我らを一度は窮地から救ってくれたのだから、ここでも心配することはない。それに、他の者は皆(落ちぶれたとはいえ)一度は世界を救った英雄たちだぞ。すぐに合流すれば全く問題ない」

「そのことなんだがよ」

 異常に暗いダンジョンの空間を見つめている。数メートル先も見えないくらい、暗い。

「マーニャやミネアと合流したなら、まだ安心できる。ブライやアリーナも頼もしい。だが」カチッという金属音。銃器に弾を込めているのだろう。

「もしもだぜ、もしもクリフトとポポロが一緒になっちまったらどうするんだ?」

 確かに、クリフトはトルネコの言うこと以外、聞きそうになかった。もし、ポポロに万が一のことがあったら、どうするだろうか。正直なところ、精神異常者の行動は予測できないが、よくない結果になる可能性が高いことだけは容易に予測できる。

「そして俺達の置かれた状況」

 アサルトライフルの安全装置を外しながら続ける。

 ライアンは暗闇に手を伸ばした。冷たく無情な感触が、そこに頑丈な壁があることを視覚に代わって教えてくれた。

「ここは多分、迷宮タイプのダンジョンだ」

「前に話してくれたことがあったな。たしか、フロアが通路だけで構成されている、というやつか」

「そうだ」とトルネコは軽く答えた。「これだけ視界が狭いと俺達がポポロを拾うのも難しいだろうな」

「なら、一刻も早く階段を見つけるしかあるまい。まさか、前のようにアイテムにこだわる気はなかろうな?」

「前は欲張りすぎた。今回は一直線に獲物だけを取りに行く。それに、他のメンバーも気になるからな」

 よかった。ダンジョンでは誰か一人が階段を見つければ、パーティ全員が――フロア内のどこにいようとも――下の階へ自動的にワープする。もちろん、一か所にワープするから、レミの魔法のように、そこでメンバーが散ることはない。

「早速、階段を探しにいこう」

「だがその前に害虫駆除が先だな」

 そう言ったトルネコの見つめる視線の先に目を凝らすと、闇の中に触覚や肢が蠢いているのが見えた。

 

 

「ねえ、ポポロ君はこんなの好きかなぁ?」

 どこに隠し持っていたのか、クリフトはどう見てもただの美少女フィギュアにしか見えないものを取り出すと、熱心に布教活動を始めた。

「聖母マリア様・スク水メイド服ver1/10スケール」

 頼んでもないのに得意げな顔で説明を開始する。このまま待っていれば誰か来てくれるかと期待したかったが、迷宮タイプのフロアではそれも望み薄だ。

 何とか自分の力だけで乗り切るしかない。

「これを買えば君も今日からマリア様の下僕になれるよ。今なら教会特製免罪符もついて期間限定特別価格8万9980ゴールドでご奉仕します」

 あたりを見まわして見たが、闇に包まれた中で、出口なんて見当もつかなかった。こいつと一緒に階段を探す―考えただけでほとほと嫌気がさした。

 そんなことを考えているポポロの目の前に、突然手足をエキセントリックに曲げたマリア様が舞い降りた。

「ねえねえ、ポポロ君。わたし、あなたにお仕えしたいな。あなたのいうことならなんだって聞くよ」

 クリフトの気味悪い裏声が、ダンジョンの中で不気味に反響する。

「もうそれ、今すぐやめろよ。あんまりやるとモンスターがやって来るかもしれないし」

 本当のことだった。暗い場所のモンスターは目が悪い代わりに主に聴覚が発達しており、そこで営業活動すればやつらに無防備でちょろい獲物がここにいると宣伝しているようなものだ。

「え~、マリア、もっとポポロ君とお話した~い」(cv.クリフト)

「だったら、外に出たらいくらでもしてやるよ!」思わず語気が強くなってしまった。「だから、今はその口を閉じてるんだ。分かったな。今度喋ったら、今度こそ殺すからな」

 トルネコを回復したのはクリフトだったが、あの時の騒動を忘れたわけではない。瀕死のトルネコを目にしながら、クイズを出して嘲笑っていたあの光景を忘れるわけがない。

 それでも、なんとか心の中の怒りを鎮めると、暗闇の中へ歩き始めた。きっと、これからの探索ではこの基地外神官の回復魔法が必要になるだろうから。そう頭の中で無理やり自分を納得させた。

 ところが、クリフトはポポロを追いかけると横から腕を伸ばしてまたしても人形劇を始めた。

「ポポロ君怖~い……もっとリラックスして、ね?」

「……」

「そうだ、ポポロ君のためにお歌を唄ってあげるよ。じゃあ、いくよ、1,2,3――

 ポポロはそれがどんな歌か、残念ながら聞くことは出来なかった。

 歌が始まる前に、ポポロは手に取った銃を関節がおかしな向きに曲がったままのフィギアに向けた。そして今度は抜かりなく撃鉄を上げると、何の躊躇もなく引き金を引き絞った。

 意外とあっけない破裂音と共に、クリフトの大事なマリア様の胴体の一部は吹っ飛び、腕と首は闇の彼方に散っていった。

「すまないけど、下らないお人形遊びに付き合ってる暇はないんだ」

 茫然自失のクリフトを置いて、ポポロはじめじめと暗い通路を歩き続けた。

 

 

「あら、ここだけ扉があるわ」マーニャが通路で不思議なものを発見した。

 一足遅れて、ミネアが燃え尽きて灰になったアイアンアントの死骸を踏みしめながら、その扉の前にやってくる。

「結構頑丈そうね。いかにもここに何かありますよって感じの」

「面倒くさいし、イオナズンで破壊しちゃっていいでしょ?」

「何言ってるのよ」今度は長いスカートについた灰を払っている。「ああ、もう……灰も残さず焼き尽くすんじゃなかったの? 煙たいし、最悪じゃない」

「しょうがないでしょ、久し振りのベギラゴンなんだから。これでも頑張った方なんだし」

 コン、コン、と中に誰か入っているか、確認するかのようにノックする。

「んで、肝心のこれ、どうする? イオナズンで吹っ飛ばす?」

「そんなことしたら、扉ごと中身もお釈迦よ」

「いいじゃない。どうせ大したものなんて入ってないでしょ。こんな大げさな扉つけちゃってさあ」

「姉さん」それはいくらなんでもやりすぎでしょ、と言いいたかったが、言っても仕方ないのでミネアは一つの鍵を取り出した。

「ねぇ、そんな鍵で本当に開くの? 明らかに形が違うじゃない」

 マーニャの心配をあざ笑うかのように、鍵は目の前で素早く形を変えると鍵穴にピタリと収まった。 

「最後の鍵よ。アンタが冒険終わったときにこっそり勇者のとこから持ち出したの。まさか忘れた、なんて言わないでしょうね」

 そのままゆっくりと鍵を回すと、ガチャリと音を立ててあっけなく扉は開いた。

「忘れた」

「だと思ったわ。タンスの奥でホコリ被ってたわよ、この鍵」

「まあいいじゃない。質に入れられてなかっただけマシね」

 仮にタンスの奥から奇跡的に救出されたとしても、質に入れられることはなかっただろう。あまりに汚れた鍵に、そんな価値があるとマーニャが気づくわけがない――そう考えながら、ミネアは無言で開いた扉の中へ入って行った。

「あ、ちょっと待ってよ。もしかして、まだ占い用の水晶を勝手に質入れしたこと怒ってるの?」

 無論、その金はカジノにあるマーニャ専用の貯金箱(ミネアはカジノのコイン販売機をそう呼んでいた)へ全額投入されたのは言うまでもない。

 

 

ひどい悪臭だった。

 ライアンの記憶の中でこの臭いに最も近いものを探すとすれば、一週間たった戦場が最もふさわしいだろう。ここには戦場を飛び交うカラスも、死者の無念の表情を照らすいかなる天体もない。だが、もしこれら硫酸で溶けた巨大なアリの死骸を照らすに相応しいものがあるとすれば、月が一番似合っているように思った。

 これが人間の死体なら夕日と答えただろうが、やはりモンスターには月光がよく似合う。それは山から谷へ河が流れていくのと同じく、ライアンにとっては太古の昔から決まっている自明の理のように思えた。

 目の前の硫酸を浴びて溶けかかった巨大アリは、通路の壁に僅かに張り付いているヒカリゴケによって僅かにその崩れた輪郭を浮かび上がらせていた。死んでいるが、まだ肢や触覚がヒクヒクと動いている。

 これがもし美術館で見た絵ならそれなりに心動かされるものがあっただろうが、なにぶん、この悪臭の中では悪意のこもった戯画のようなもので――要するに反吐が出るというやつだ。ライアンは床に漏れ出したアリの体液と硫酸が作った水たまりを避けながら、トルネコの方へ近づいて行った。

 トルネコは無言でグレネードランチャーを操りながら、通路に群がるアリの群れに、硫酸を浴びせかける作業に熱中していた。それが唯一、神から与えられた仕事だとでも言いたそうに。あまりの熱中ぶりに声をかけるのをためらったが、それでもこの臭いを紛らわすのに何か喋りたかった。

「油田の情報はどこで聞いたのだ?」

 空になった薬莢を地面にバラバラと落とすと、次の硫酸弾を補充した。アリの群れは今がチャンスとばかりにトルネコの方へ押し寄せてくる。あぁ、あと数秒でその牙がトルネコの肉に食い込もうというところ――だが。

「なあに、簡単なことさ。ネネの会社から盗み出したんだよ」

 アリがどれくらいの速さでこちらに迫ってくるのかくらいはとうに計算済みであったらしく、その牙は惜しいところで硫酸を浴びて地面に溶け落ちた。残った顔も、溶けて歪んだせいで人の無念の表情に見えないこともなかった。インチキ霊媒師が見れば、昔ここで死んでいった冒険者の亡霊がどうのこうのと話して、自らの妄想癖を自ら証明してくれることだろう。

「そうか……しかし、あれだけ抜け目のないネネの目をかいくぐって、よくそんな情報を入手できたものだ」

「昔は社員も全員がネネに賛同してたわけじゃない。一部は俺のようにネネのやることに反感を持っていた。今になって思うよ。あいつらは本当の商売人だった、てな」

 アリの群れがだいぶまばらになってきた。それでも、トルネコの手は止むことを忘れた機械のように硫酸弾を撃ち続ける。

「今となっちゃあ、もう誰もネネに逆らうような根性あるやつなんていねえけどな。みんな、よくて左遷か降格、ほとんどが首になった。代わりに来たのは、ネネの言うことに賛同するカスばっかりさ」

「トルネコ殿でも止められなかったのだからな。まあ、過ぎ去ったことを悔やんでも仕方あるまい。人間には忘却という神が与えたまいし精神安定剤がある」

 こんなことを本気で信じている訳ではない。ただの気休めだ。自分だって、解雇された時の悔しさとその後の恥辱にまみれた生活を忘れはしない。それは魂に刻まれた刺青だ。消え去ることは決してない。ただ、その刺青を見ることに慣れただけの話だ。

「俺が思うに、あいつがこうなったのは俺が勇者と一緒にデスピサロを倒しちまったからだと思ってるんだ」

 アリたちはもういくら突撃しても無駄だと悟ったのか、闇の中を撤退し始めた。

「戦場で思い出話をするのは不吉だという」

「そいつに聞きたいね、戦場の定義を」

「命を賭けて戦う場所」そう言った本人に直接聞いたわけではない。ただ漠然とそう思っただけだ。「ではないのか」

「やっぱりよ、戦場ってのは相手が対等であって初めてそう呼べるモンだと思うんだ。こんなアリンコ相手じゃ――そうだな、掃き溜めなんてしっくりこねぇか? この臭いといい、雰囲気といい」

 軍隊には貧しい農家出身の若者がたくさんいたが、それですらまだ軍隊内ではマシな部類の人間といえた。彼らには、帰るべき故郷がある。中には囚人一歩手前のゴロツキもいたし、当然、職にあぶれた者もいた。ようするに、社会の掃き溜めという訳だった。

ライアンはいくつもの戦場で彼らの死体を見てきたが、そこに名誉や尊厳を見出すことは、正直できなかった。

 ただそこにあったのは、夕陽に照らしだされた死体の山と、立ち上る悪臭だけだった。

「というわけで、とにかく早くここから立ち去ろう。さっきから鼻がひん曲がる思いだぜ」

 しかし、あれ程の悪臭だったにも関わらず、ライアンの鼻はすでに何も感じなくなっていた。もう、掃き溜めの臭いに慣れてしまったからだろう。

 

 

 ブライは暗い通路の中、一人でとても不安だった。

 大抵のモンスターなら倒せる程度の魔力はあるとたかをくくっていたが、いざ一人っきりになると流石にどうしようもない焦りのようなものを感じた。

 だいたい、ここはアイアンアントの巣ではないか。

 角を曲がると、そこには延々と続く通路が、僅かにへばり付いているヒカリゴケに照らされて不気味に映った。こんなところを、どこにあるかも分からない出口目指して進まなければならないのかと考えるだけで息が詰まりそうになった。

 デスピサロを倒したときも、このような無気味なダンジョンに入って行ったが、その時は若い者もいる手前、年配者の威厳を見せつけておかねばならぬと虚勢を張って、無様に怯える姿は見せないようにしてきた。

――トルネコのやつめ。油田なんて本当にあるんじゃろうな?

 一人心の中で自問自答する。

 やっぱり、こんなところに来る必要はなかったかもしれない。あともう少しで引退なのだから、聖職者年金でも貰いながら王の目付け役として適当に頑張っていれば、それで充分快適な老後を過ごせたのに……

 もし民衆がもう少し信仰心を持ってくれれば、自分はこんなところに来なくてすんだかもしれない。いや、クリフトがもう少し頑張って昔のように正常な人間でいてさえしてくれれば……

 口からリレミトが出かかったが、その呪文を必死に胸の奥にしまいこむと、勇気を振り絞って闇の中へ足を踏み出した。

 どうせ地上に戻っても、孤独なだけだ。教会の煩瑣な儀礼にくだらない布教活動、アホな国王のお相手……今城に戻ったら、アリーナがどこに行ったか、絶対に訊かれるに決まっている。教会の神父どもは、やっかいな老人が消えてくれて今頃せいせいしているだろう。

 そんな素敵な郷愁に胸をときめかせていると、通路の向こうで何やら肢が多い生き物が通ったように見えた。最初は恐怖による幻覚か気のせいだと思ったが、光ゴケが一瞬隠れたことから、それが幻覚でも痴呆の始まりでもないことが分かった。

 ゆっくりと、そのアリらしき生物が横切って行った、十字路へと近づく。左右を見ると闇しか見えない。どうやら、もうさっき見たアリは通り過ぎたらしい。ブライは確認のため、松明の呪文(レミーラ)を唱えた。杖の先が淡い光を放つ。

 ブライの目に飛び込んできたのは洞窟の壁――だったらそんなに驚くわけもない。そこには天井にへばり付いて待ち伏せしていた、アイアンアントの開かれた牙があったのだ。

「マヒャド!」

 とっさの攻撃呪文も、むなしく響く木霊を生み出しただけだった。精神が錯乱していたせいかもしれないが、おそらく長年、戦闘から離れていたことと、ダンジョンに入ってきてレベルが低くなっていることが原因だろう――といつもの冷静なブライなら分析できたろうが、このときは無様に杖を振り回すのが精一杯だった。まるで痴呆の、幻覚を見ている老人のように。

「あっちへ行け、クソ虫が!」

 落ち着いてヒャダルコでも放てば簡単に倒せる相手だが、一旦パニックに陥ってしまうと、人間は最も原始的な方法(ようするに脳細胞の使用量を最小限に抑えるような方法)にすがりつくようになる。

 もちろん、お爺さんの滅茶苦茶に振り回す杖にやられてあげる程、アイアンアントはお人よしではない。大あごでブライの法衣の袖に噛みついて自由を奪うと、押さえこもうと前あしを伸ばしてきた。

 ブライはあともう少しでアイアンアントのまずい餌になるところだったが、さすが長年の年季とでも言おうか、必死にもがいてそこから脱出することができた。ただ、そのとき犠牲にした、ちぎれた法衣の裾はアイアンアントの牙(に見える大あご)にだらしなくぶら下がっている。

 アイアンアントはブライをちょろい獲物と思ったのか、天井から壁へ移動すると、頭と前足をもたげて威嚇のポーズをとった。

 いや、威嚇ではない。弱い敵にそんなことをする必要がない。それが単なる次の攻撃への予備動作だと察知すると、機先を制して杖をその頭に叩きつけてやった。

 だが残念ながらアイアンアントは、レベルの低い魔道士の打撃攻撃でやられてあげる程、お人よしではなかった。一瞬ひるんだがそれでも大あごで噛みついてくる。とっさに後ろに下がったので、アイアンアントの攻撃はブライの肩口に軽い傷をつけただけですんだ。

 だが――なんということだろう、軽傷とはいえ、傷を受けたことと、急に後ろに足を動かしたせいで足は絡まり合い、結果ブライは地面に尻もちをついて倒れ込んでしまった。

 その間、大あごの法衣を前足で器用に取ると、最後と思われる攻撃をしかけてきた。

「来るんじゃない!」

 そう叫んで必死に杖を振り回すが、努力空しく大あごはどんどんと迫ってくる。ついに喉に食らいつこうとしたところ――ブライは、死ぬ間際に今までの一生が走馬灯のように見えるというが、実際は走馬灯も何もみえないものだ、と考えていた。だが、いつまで経っても走馬灯はおろか、敵の攻撃さえこない。いつの間にか咄嗟にあげた腕をおろし、そらした視線を元に戻すと、アリは宙に浮いた状態で子供が駄々をこねるかのようにジタバタと6本の肢を動かしていた。

「あは、やっぱり爺じだったんだ」

 巨漢――漢は女にも使えるのだろうか?――がアイアンアントの大あごを掴んで持ち上げていた。

「光ってたし、遠くからでもすぐに分かったよ」

 この時だけは、杖の光で下から照らされるアリーナの顔が聖母に見えた。

「来るなって言ってたけど、来ちゃってよかったんだよね」

 もちろんだ。

「んで、こいつどうする?」

 殺せ。

 「分かった」

 聖母様は大あごを掴んだ逞しい右手と左手を広げると、アイアンアントの頭を――杖であれ程殴っても大したダメージを与えられなかったのに――子供がトンボの頭でも引きちぎるかのように、簡単に真っ二つに引き裂いた。

 

 

「安っぽい剣ね」

 指で刃の部分を弾きながらマーニャがそう呟く。この場合の『安っぽい』とは機能や攻撃力ではなく、ただ単純に値段と見た目に絞られた価値観のことを指している。

 ミネアは、またもや姉の悪い癖が出たと心の中で深いため息をついていた。男を選ぶ基準も見た目と収入の2つしかないから、よく散々な目にあった。頭の悪い魚のように、ルアーを追いかけては釣り上げられる。せめて本当の餌かどうかを見極められるようにはなって欲しい。

 今、マーニャが持っている剣はおそらく剛剣かまいたちだろう。8方向同時攻撃ができるのがその特徴だが、マーニャには装備できないためあまり意味がない機能ではある。

 マーニャがブンブンと素振りをし始めた。

 「まあ、剣舞ぐらいには使えそうね」

 「姉さん、それは……」

 仕方なくマーニャに、今自分が持っている剣がどれ程貴重な物かを説明する。

 「ふーん」

 子供が期待してクリスマスの翌日に靴下の中身を見たところ、大したプレゼントが入っていなかったときに口から出そうな、興味なさそうな返事だった。

 「たった8方向? 別に、イオナズン使えばそれで一発じゃない」

 「誰でもイオナズンが使える訳じゃないでしょ。戦士とか、そんな人にはうってつけの剣なのよ」

 マーニャがミネアの言葉を確かめようと素振りをしてみる。

 「やっぱり、8方向なんて攻撃できないじゃん」

 「姉さんは装備できないでしょ」

 子供から玩具を取り上げる母親のように、マーニャの手から剛剣かまいたちを取り上げると、入ってきた扉に向かって歩き始めた。用事は果たした。もうここに用はない。

 「こっちの方が近いわよ」

 立ち去るミネアの背中に向かって、マーニャがそう言ったと同時に、ダンジョン中を揺るがす轟音が鳴り響き――次に粉塵が室内に充満した。ミネアが咳込みながらバギマで粉塵を追い払うと、そこに確かにあったはずの壁がポッカリと消え去っていた。

 

 

 たぶん、アイアンアントは餌にするつもりで持ってきたのだろう。そうでなければ、こんなところに――普段は集団で暮らすももんじゃが一匹でいることに説明がつかない。

 殺してしまうことはもちろん容易(たやす)かったが、これからの探索で万が一ということもあるし、頭数は多いにこしたことはない。一応仲間にしておくことにした。

「ルールルるルー。ほら、こっちにおいで」

 ポポロはしゃがみ込んで手まねきすると、ももんじゃは不安そうな目でポポロを見つめた。その視線には、ようやく虫以外の生物に会えたことに対する、若干の希望もこもっている。

 そうだ、ポケットにモンスター用の肉が入っていたはずだ。

 肉が取り出されると、ももんじゃの目の色が変わった。きっと、お腹もすいていたのだろう。この人間は悪者かもしれない――その疑いより餌の誘惑が勝ったとき、一歩ずつ、ゆっくりとだがポポロの方へ近づいて行った。

「さあ、怖くないよ、こっちにおいで。るるるるー……」

 くちばしの先が肉に触れようかというときだった。突然、低い轟音とともにダンジョン全体が僅かに揺れた。天井から落ちた土くれが床に落ちきる前に、ももんじゃは猛スピードで通路の暗がりへ消え去っていった。

 

 

 まぁ、自業自得と言えばそれまでだが、俺の放った硫酸弾とアリの体液によって、通路はエゲツナイ臭いに包まれていた。まあ、しょうがねえ。こういう甲殻動物に最も効く兵器は硫酸弾だからな。シレン先生がそう言ってたんだから、間違いねえ。だが、こんなに臭いんじゃあ、次の使用は『前向きに検討致します』ってやつだな。

 どれ程臭いか、てのは嗅いだことのない人間には分からんだろうが、一応説明しといてやると――まず、中年のサラリーマンを思い浮かべて欲しい。そいつは脂ぎったやつで、頭は禿げあがりゴキブリの背中みたいにギラギラとテカってる。そこに刻み海苔みてえに、髪の毛が申し訳なさそうにかぶさっているんだ。しかもそいつが無精ひげに囲まれた口を開くと、歯の間にいつ食べたのか知らねえがクラッカーのカスなんて挟まっててよ、歯は黄色い歯垢でべったりだ。そしてアンタがかったるい仕事を終えて、ようやく安らぎの我が家へ帰ろうという頃――そいつはやってきて異常に顔を近づけ、体中の汗腺からドブ川のヘドロみてえな汗を出しながらこう言う――今夜一杯、どう?

 どうだ、大分キただろ?

 だがこれからが本番なんだぜ。アンタはその非常に『前向きに検討したい』要求を断りきれずについに飲みにいっちまう。そこではまあ、おいしい食事やなんかかんやで、なんとか乗り切ることができたが、帰り道に地獄が待ってる。

 まず、アンタはそのへべレけに酔っ払った、上司である中年サラリーマンを肩に担いで電車の駅まで送り届けなければならない。なぜそんなことをする必要があるかって? 世の中の理不尽に理由なんてねえよ。あえて言うなら、酔っ払った上司を支えるのが『後輩の役割』だからさ。とにかく、アンタはアルコールの酷い臭いが混じった上司を何とか支えながら駅まできたが、とうとうそこでオッサン、やっちまった。

 地面に屈みこむと、今までに喰ったものを全部オムレツにして吐き出したんだぜ

びちゃびちゃと地面に音を立てて盛り付け完了したオムレツさんは強烈な胃酸の湿った臭いを立てている――しかも、よく見てみりゃあ、飛び散ったオムレツがアンタのスーツにちょっとかかってやがる!

 そこまで来て、アンタもついにやっちまった。思わず胸からこみ上げてくるリゾットに――そしてその他諸々に――ついつい耐えきれず、オムレツの上にそれをふりかけちまうってワケさ。そうやってできたオムレツとリゾットのイタ飯定食の臭い――ちゃんと想像できたか? それに非常に近い臭いがこの狭い通路に充満してたら、俺がこれから硫酸弾をあまり使いたくねえのが分かるだろ?

 でも人間ってすごいと思ったな。こんだけ酷い悪臭にも10分もすれば、嗅覚が麻痺してきて、あまり感じなくなってくるんだ。15分もすればそこで普通に飯でも食えるかと思った程だ。

 そんな障害を乗り越えてアリンコ供を撃退し、通路を進んでいくと、肌にちょっと雰囲気の違う空気を感じ取った。ま、冒険者のカン、てやつだな。ここには何かあるぞって。

 察するに、暗く狭い通路を抜けて、急に開けた大きな部屋に出てきたようなんだ。(俺の人生もぜひそうなって欲しいもんだね。トンネル抜ければ夏の海ってどっかの歌にもなかったかい?)

 でも、そこだけヒカリゴケも何もなかったから、真っ暗で何も見えねえ。俺はすぐにライアンに頼んで、松明をつけてもらうことにした。アイツが松明を取り出したときだった。

 ズシン……

「今、少し揺れなかったか」

「そうか? 気のせいだろ。それより早く松明をつけてくれ。無駄話してると、日が暮れちまうぜ」

 今思うと、ライアンも嫌な予感がしてたんだと思う。アイツの『嫌な予感』はミネアもビックリの的中率100%だからな。俺はと言えば――隠したって無駄だから正直に言うよ。アイテムにこだわらないと言った矢先から、何か貴重なアイテムでもあるんじゃないか、て期待してた。そりゃあ、こんだけの広い空間、アリンコが何に使うってんだよ。野球でもするのか?

 ライアンが松明に火をつけた。

 そこに財宝でもあるかという俺のかわいらしい期待は、炎に浮かび上がったアリンコ供によって粉々に打ち砕かれたね。(どうやら夏の海は大時化のようで……残念、またトンネルに逆戻りだな!)

 

 




うん、長くなりそうだね!
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